精霊流し

 長崎県人としての、長崎(ヒロシマ)についての有森の幼い私見であり、メモです。
 ときどき、書いてみたいと思います。


 神と握手したかのような人々(2010.10.14)
 
これは、「あんなことこんなこと」とは逆の話になります。
 先日のNHKの放映で、ノーベル平和賞受賞者(受賞理由=非核三原則を提唱?)である佐藤首相が、核兵器の開発の可否をアメリカに打診していたということでした。
 さらに、同じノーベル平和賞受賞者であり、「世界から核兵器の廃絶を目指す」(=受賞理由)と言ったオバマ大統領のもとで、臨界前核実験が行われたというニュースほど、私たちを愚弄するものはありません。
 いったん、神と握手を交わしたかに見えた両者が、容易に転落する事例であると見るのは、単純に過ぎましょうか。



   ヒソカナ決意(2010.09.24)

 私は昭和23年、長崎県壱岐に生まれました。壱岐といいますと、次のような特徴があげられます。
(1)文永の役、弘安の役で2度全滅しました。
(2)長崎の原爆に関係があります。
 私はもの心ついたときから、「死」というものの臭いを全身に感じてきました。つまり、元寇で2度も全滅した島であるということによる錆びた空気の匂いや、母(川棚の海軍工廠で原爆を目撃)や叔母(長崎医大病院で被爆者の看護に当たる)から、ポツリポツリと聞かされてきた原爆や戦争というものの悲惨さ、恐ろしさを、肌に感じ、心に焼き付けて育ってきたということが根底にあるのではないかと思われます。
 私はすこぶる小心者のせいもあり、かなりなげやりな少年時代、青年時代を送ってきました。その間の拠り所といえば、自らの経験から発することになる詩や句や小説の世界でした。それらの作品では、自らの存在について探ろうとし、生きとし生きるものやそれらを取り巻くものが「何故に在るのか」ということに焦点を絞り、表現を試みてきました。
   その上で、現実社会を見れば、共存平和ということとはほど遠い方向に向かいゆく世界の動きに対し、「人間の傲慢さ、浅はかさ、哀しさを見る」というような思いを禁じ得ず、悲しみ、憂えてきました。
 実際私が夢に見ることといえば、いつも決まって「世界の終わりの光景」ばかりです。
 21世紀を迎えた今、めまぐるしく世界は変化しています。すなわち、グローバル化の進展、社会の変容、個人の変容、地球温暖化、気候異変、天変地異の多発、テロの多発、止まない核の開発などということに見られるように、人類自らがバベルの塔を目指すがごとく、ひたすら「破滅へ」と向かって突き進んでいるのではないか、との危惧を強く抱くものです。
 これは勿論、私自身の心が悲観的、感傷的に過ぎるという性癖から生じることでありましょう。

 これらのトラウマに似たものを抱え、自らの乏しい経験のまま、詩や句や小説などに、約40数年にわたって関わってきたわけですが、どう考えても「観念的に過ぎ」かつ「芯があいまい」であることが否めない点を、他からも指摘され、自らも実感するものです。
 先日、しいの実学園を作られたf地三郎先生の講演を聞く機会があり、103歳児(現在は104歳児)であられる先生の、お若く、ユーモアに溢れ、探求心旺盛で、理知的で、積極的な、そして、100歳を越えてなお世界を飛び回られるというお話に接し、激しく心を動かされました。
 私は、これからの時間、詩や句や小説にはライフワークとして関わっていきたいと思っていますが、できれば、わずかでも「芯のある作品」が書ければ、と考えています。
 というところで、一度心して、自らが日頃感じるところの具体的な問題である、使用すれば人類の破滅につながりかねない核の問題について、「人類破滅への抑止-原爆の実体を知る-抑止への道を探る(仮題)」というような、具体的なテーマのもと、史実や事実に則し、客観的、体系的な手法による探求を行いたいと考えています。




  ナガサキ(2010.09.22)
 9月20日、長崎に行ってきました。記憶の薄れかけた原爆資料館を見るためです。
 途中佐賀のあたりでは、驟雨に見舞われましたが、長崎は全くの抜けるような青空で、2ヶ月にも亘って続く、真夏日そのものでした。
 1945年8月9日11時2分、ファットマンと(いう愛称で)呼ばれる原爆が投下され、火薬に火が点いた瞬間、まだ爆弾が原型をとどめているそのうちに、既に長崎の街は破壊され、ヒトも建物も形ないもの、原形をとどめないものになってしまいました。それは、1秒の万分の1にも満たない時間のうちに起きたと言われます。
 爆発、激しい閃光、轟音、爆風。発生した火球の温度は数百万度。その1秒後には、直径300メートルほどの、表面温度が約6,000度の小さな太陽に匹敵する火球となり、地上に落ちたと言われています。
 その熱線が、3秒ほどの時間のうちに、数キロの範囲を焼き尽くしてしまったのです。
 資料館では、繰り返し繰り返し、原子野となったナガサキの光景を映し出します。初めて、人類に向けて使用した核兵器だということで、米国側の追跡調査がこれでもか、これでもかとなされており、その実験の結果が期待以上の成果(?)を得たことに、かなり驚いていることのようです。
 それもそうで、戦争に犠牲者というのはつきものなのでしょうが、戦闘員ではない子供や、老人や、女性たちが主な犠牲者となったのです。死者73,884人、負傷者74,909 人となっていますが、これは1950年の統計ですから、その後の犠牲者、2世、3世の犠牲者となると、どういう規模になるのでしょう。
 と、これは数字だけの問題ではなく、人間が人間そのものや、その他を消し去り、形を奪い、その血肉の中に恐ろしい毒素を塗り込めていくという行為であったのですから、戦時であり、戦争を早期に終結させるためにやむなく行使したもの、などというという大儀や口実はあったとしても、なんとも言いようのない虚脱感に陥らざるを得ません。
 
 2009年に、「核兵器のない世界」、というオバマ大統領の演説がありましたが、核を廃棄するということではなく、核の元での均衡を保った上での「平和」であり、核の「平和利用の提言」(地球温暖化を防ぐという意味での)ということだろうかとしか理解できないのは、私の稚拙さによるものかもしれません。しかし、これ以上核保有国を増やさない、ということの内容はわかったようでわからない、奇妙な理屈にしか聞こえません。 (つまり、廃棄するということではないのですね。)

 ともあれ、ナガサキは、少なくとも表面は、綺麗な観光都市に見事に生まれ変わっているという印象を与えてくれます。
 恐らく75年は草木も生えないだろう、といわれた阿鼻叫喚の真空地帯から復興した街は、今満々と水を湛えた噴水をバックに、右手を天に、左手を水平に伸ばした像が凛々しく立ち、まるでなにごともなかったかのように、公園の片隅に息づいています。
 それにしても、残留放射能の危険などはもう心配ないのだろうか、という素朴な疑問を抱きつつ、夕暮れのナガサキを後にしました。




 ナガサキ・ヒロシマ周辺(2010.09.22)
 これまでに、ナガサキ・ヒロシマの周辺に関連して作った句や詩などを掲載(再掲)します。


(小説:抄)

 
あだし野へ ここ


(自由律句:抄)

宇宙始まるときのふうせんを 誰が吹いたか

海暮るる 死者の齢石に刻まれ

 ダリアのような月をぶら下げて 町が夕餉時

 ビルをシルエットに 陽がぼよよよと沈む


電気つけっぱなしの ひげのまばらな口である

地球儀カラカラまわして 真白い秋になっている

何という顔だ 地球が消える

山を人を焼きつくしたあとの 鐘が鳴る

まっすぐに歩いてきた筈の 砂丘

秋天の どこかに翳が生まれつつある

十字架を連ね海の下 街が影絵になる

どこまでも真っ青の空 ヒロシマ真下に今もある

破れた月が ビルのどの窓にも貼られている

まぶたのうらにも光が見える 春になっている

顔がない 割れた鏡のうちにもそとにも

石畳 踏めばかんかんと死者の手が伸びてくる

鳩の目に 血の風光らせ 爆心地嘘のない広さもつ

鳩 赤い胸のうちをぶら下げたまま時間の真円を歩く

光 光に向かって戻ればよい

その向こう にあるのかもしれない

ナガサキがある 原爆資料館ここに

全景が真空地帯に ヒト競い空に上る

黒焦げの死体に 魂なおも留まる

一秒もいらぬ 街もヒトも気配さえ消す

宇宙資源のビッグバン この街を襲う

殺戮兵器 なお何を殺せば気が済むのか

核には核という構図 ヒト狂えるか

天を怖れぬか ヒト高き高き塔を目指す

裁きの気配見ゆ そこにもここにも

瘧のように震え 原爆資料館を出る



(詩:抄)

   母の記憶

八月九日

あの瞬間のぶざまな戦慄を

川棚というところで知った

空があまりに乾いていたから

大村湾を渡ってくる

得体のしれないどよめきが

赤々と喉元を焦がし

身内をわさわさと

締め上げてくる冷たいものが

胸のあたりに

激しく渦巻き

滴り落ちるのは

汗だったのか

にわかに湧き起こってきた雲から

落ちてくる滴だったのか

赤々と燃え上がるのは

この世の光景ではない

彼岸の向こうに

広がるという

鮮烈な紅葉のうち重なり

であったのか

音のない

奇妙に澄んだ

清冽な空の広がり

森閑とした

空気を透いて

天上のせせらぎのような

軽やかな音曲にのり

得体の知れないどよめきが

目を耳を肌を喉元を

はたはたと

わらわらと打った

それはものたちが

一時の間に

天に競いのぼるという

ひしめきの音だったのだろうか

あまりの突然の

ことに

天上の側もがうろたえ騒ぐ

靴音の乱れであったのだろうか

ものたち

それは子を持つ母であったり

日々の糧を得るために働く

車引きであったり

戦地に赴いた恋人の

帰りを待つ少女であったり

産まれ落ちたばかりの

乳飲み子であったりする

ものたち

それは毎日数千人が

乗り降りする駅のホームであったり

祈りの絶えることのない

教会の鐘の音であったり

校門への坂道に積まれた

形のよい石ころであったりする

空があまりに乾いていたから

まるで森閑とした

空気を透いた

天上のせせらぎのような

涼しく軽やかな音曲にのった

得体の知れないどよめきが

大村湾を渡り

目を耳を肌を喉元をはたはたと

わらわらと打った

母は

得体のしれないどよめきに

喉元を赤々と焦がし

身内にさわさわと

込み上げてくる

冷たい胸の鼓動に身をまかせ

めくるめくような

晴れがましささえ感じながら

眼前に揺れ立つ

逆さまの海軍工廠を

じっと

見上げていた


   ビッグバン

それは気配だった

それはことばだった

それは冴え冴えとした意志だった

それはある瞬間のことを予感させる

気配だった

それはあるものをあらしめようとする

ことばだった

それは冴え冴えとして強い

意志だった

光もなかった

闇もなかった

時間もなかった

空間もなかった

ないものもなかった

その瞬間がどこからきたのか

知らない

その意志がどこから発せられたのか

知らない

その激情がどう生まれたのか

知らない

その光がどう走り始めたのか

知らない

その闇がどう垂れこめたのか

知らない

その時間がどう刻み始めたのか

知らない

その淡い空間がどう漂い始めたのか

知らない

それはある気配だった

それはあることばだった

それはある冴え冴えとした意志だった

それらが全てだった

それらが全ての全てだった


   世界のどこかで

体に爆弾を巻き付け

多くの人で溢れかえる建物に突っ込み

自らの血肉とともに

数え切れないほどの人々の血肉を

一気に吹き飛ばす

そのとき自らの魂は

どこでなにをしているのか

吹き飛ばされた多くの人々の魂は

どこからどこにいったのか

いったいこれはなんだ

神がそんなことを命じたというのか

部族の威信をかけて

なにかを得ようというのか

欲か、徳か、正義か、恨みか

英雄になるためにか

体に爆弾を巻き付けるとき

母の声は聞こえなかったか

恋人の声は聞こえなかったか

敵討ちの敵討ちのそのまた敵討ちの

敵討ちではないのか

爆弾を巻き付けるためだけに

生まれてきたというのか

体はうち震えなかったか

心はうち塞がれなかったか

流す涙は枯れ果ててしまったのか

戻ることのない車が動き出したとき

故郷の川のせせらぎは聞こえなかったか

恋人の声は聞こえなかったか

母の子守歌は聞こえなかったか

天上の音曲はなにも聞こえなかったか


   光あれば

はるかな宙空から

光が到達する

白いビームのような

百万燭光の電気が一瞬に

はじけるような

例えていえば

そんなことになる

光の速さを測る

モノサシなどないというから

強いて例えれば

そんなことになる


光のシャワーに

しとど濡れ

頭のてっぺんから爪先まで

しとどに濡れ

悲しい思いや

悲惨な出来事や

思い上がった略奪行為など

全てがしとどに濡れ

瞬時に全てが貫かれ

瞬時に全てが無きものになり

瞬時に全てが有るものになり


   星降る

都会の灯りの届かない

漆黒の闇では

星が間近にある

手を伸ばせば届きそうな

ところに浮かんでいて

よくお喋りをする

だって、ほんのすぐ近くだし

囁き声でだって相手に届く

この頃人間はおかしくないか

まあ、昔からちっとも

変わりはしないな

どうしたら、ああも強欲で

横暴で、冷血を貫けるんだ

あんまり見境がつかない

ままだと

今度もリセットだな

星たちの話題は尽きない

だって、星たちは

ほんの近くの距離から

何でも見てるし

何でもよく知っている

今夜も星たちのお喋りで

闇はぎらぎらに輝き

陽気な星たちは

上に、下に、斜めに

時間、空間を突き抜け

気の向くままに

滑空を楽しんでいる


   ブラックホール

放蕩の限りを尽くし

暴虐の限りを尽くし

淫蕩の限りを尽くし

詐術を駆使した物盗りや

刃物や飛び道具や

怪しいクスリを用いた

容赦ない殺生などを

平気の平座でやってきた

国のため

家のため

名誉のため

地位のため

金のため

女のため

男のため

親のため

子孫のため

先祖のため

国家の安寧のため

部族の安寧のため

自らの安寧のため

教会の繁栄のため

などというあまたの口実で

放蕩の限りを尽くし

暴虐の限りを尽くし

淫蕩の限りを尽くしてきた

しかし今

一つの判定が下されようとしている

山影に幾本もの光が走り

にわかに地が揺れ動き

海がざわめきだした

人類の繁栄のため

未来の安寧のため

などという麗々しいことばが

発せられて幾久しいが

それらのことばが生みだし

それらのことばが穿ってきたものは

実に自らの足元をどんどん

食いちぎることばかりではなかったか

間近に迫ってきている

巨大なものの姿は見えない

見たものなどいない

透明な空気や

透明な宙の彼方に

それはあるという

命あるものを

正しく権威あるものを

暴虐の限りを尽くした

猛々しいものを

愛しく美しいものを

巨大な神殿を

海を山を

月を星たちを

見えないものが

すっぽりと包み込んでしまう

見えないものが

すうっと通り過ぎてしまう

見えないものが

見えないもののままに

静かに通り過ぎてしまう



   クリスマス

クリスマスも間近だというのに

自爆テロだの

酔っぱらい運転だの

無差別殺傷だのというニュースが

頻繁に流される

街はクリスマスソングで浮き立ち

大売り出しの看板が並び

人はコマネズミのように走り回る

夜を徹しての

仕事に疲れているというのに

メールやファックスで

新たな仕事が降ってくる

あるいは、仕事をもぎ取られ

突然、寒空の下に放り出される

妻も子供もいるのに

いったい、どうしろというのだ

おぼっちゃまばかりの政治家が

理屈だけは通りそうな漫談を

連綿とやらかす

バラエティーばかりが映る

テレビしか他にはないのだろうか

大型スクリーンの前で

人はとうに諦め

ねじけた笑いを浮かべるばかりだ

クリスマスも間近だというのに

押し寄せてくる波に

人はようよう首まで浸かっているが

やがて、その力も失せ

濁流に呑まれていく

なにかが変だ

変ということばは今年を象徴する

ことばだというが

実に変なことだらけだ

やはり、なにかがおかしい

変なことが普通だという

変なことに慣れてしまうと

間隙を縫って

財をやたら積み上げることや

変なことで目立とうとすることに

やっきになったり

うつつを抜かすように

なったりする

命という命が

紙屑みたいに引きちぎられてしまう

クリスマスも間近だというのに

人は、ただの作り笑いが習い性になり

隣がなにをしているのか

なにをしようとしているのか

見ようともしない

見ても、見えないのかもしれない


 ナガサキ今

六十五年前の夏
この地の上空で
二発目の火球が炸裂した

その瞬間に
ヒトは溶け
ヒトは焼け焦げ
ヒトは異形のものとなった

放射能という
全てを焼き尽くし
全てを突き抜け
全てを狂わせてしまう
宇宙の資源の内に潜んでいた
異端児が

子供の上に
母の上に
少女たちの上に
老人たちの上に
若い兵隊たちの上に
情容赦なくのしかかり
紅蓮の熱線を浴びせた

イヌやネコやウマや
学校や工場や鉄塔や
石組や塑像や瓦や線路や
そんな形あるものを
破壊し尽くす
ばかりではなく
心の芯までを引き裂き
阿鼻叫喚の真空地帯に
変えてしまった

六十五年を経て今
ナガサキの坂道には
マップを片手に
アベックや
修学旅行生や
外人たちが
上ったり下ったり
笑い合ったりする

しかし
宇宙の資源の内に潜んでいた
異端児が
そう簡単に遁走したとは
とても思えない

天を指さし
左手を水平に広げ
平和を祈念する像が立ち
溢れるように噴水が上がる
街の片隅に

もしかしてまだ
かの異端児がひっそりと
潜り込んでいないとは
限らない



 
八月・人間

紺碧の空から
一個の弾が落ちてきた
それは着地寸前で炸裂し
鋭い閃光を発し
巨大なきのこ雲を立ちのぼらせ
天と地の間を覆った

地上では
いのちが、いのちの繋がりが
学校や山や川や橋や街そのものが
神隠しにでも会ったように
一瞬にして消え失せてしまい
消え残ったものたちも
紅蓮の炎に包まれてしまった

血も肉も肌も
目も鼻も耳も手も足も
意志も脳髄も腸も
男も女も
牛も馬も蛙も犬も
影さえも止めずに消され

あるいは、焼け跡に
骨を剥き出し、肌を垂れ
目も鼻も耳も手も足もかなわぬ
奇天烈な姿のものとなり
水を求め
ただ水を求め
声にならぬ声を振り絞り
亡者のようにふらふらと彷徨い
やがて力尽き
再び灼熱の野に
倒れ伏した

歴史は炎上し
時間空間は激しく瘧え
おぞましい哮りが
奥底から獣のような声をあげた

あまつさえ
きのこ雲から降り落ちる
タールのような雨に打たれ
どう拭い去っても消しようのない
αやβの種子を
DNAの配列の中に
容赦なく叩き込み
地中深くに
魂の奥深くに
まるで悪魔の礎石のように
穿ち込んでしまった

戦を終わらせるため
などという理屈のもとに
もっともらしい論陣を張り
守ろうとしたものは
はたして、義であり得るのか
このことをもって
いったい
晴天白日のものとなり得るのか

あの八月に
人間というものが
いったい
なにを、どう裁いたというのか



ナガサキ・ヒロシマ周辺
(2010.09.22)


ナガサキ
(2010.09.22)


ヒソカナ決意(2010.09.24)

神と握手したかのような人々(2010.10.14)
 
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