三浦文学と私


三浦綾子さんには、生前にはお会いしたことはありませんが、作家としてだけではなく、その生き方にたいへん深い感銘を受けるものです。
このコラムでは、作品を通じた私なりのコメントをさせていただきたいと思います。



三浦綾子記念文学館(HP)
(旭川市)
美瑛川
 
 三浦光世文学館長が昇天(2014.10.31)
 
三浦光世・三浦綾子記念文学館長が、平成26年10月30日に昇天されました。詳細は、次の記事のとおりです。
 三浦綾子さんの作家としての活動を愛情をもって理解し、当初から支え励まし、自らも短歌作家として立派な活動をしてこられましたが、綾子さんのもとに旅だって行かれました。たいへん、敬愛する方でした。ありがとうございました。
(朝日新聞)
 三浦光世さん(みうら・みつよ=短歌作家、小説家三浦綾子さんの夫)が30日、敗血症で死去、90歳。通夜は2日午後6時、葬儀は3日午前9時から北海道旭川市5条通15丁目のやわらぎ斎場旭川で。喪主はおい紀一郎さん。
 朝日新聞社が実施した1千万円懸賞小説で当選した「氷点」でデビューした故三浦綾子さんの取材に同行し、口述筆記するなど、病気がちな妻の作家活動を二人三脚で支えた。
(参考)
 三浦綾子さんは、平成11年10月12日に77歳の生涯を終えられた。



 文学館開館十周年行事:続続報(2009.8.12)
 
今回も、手元に届けられた「みほんりん」第23号からの文学館開館十周年行事:続続報をさせていただきます。

【特別展】
  会場 文学館第4展示室
 「綾子の療養時代」 6月13日〜9月30日
【その他】
  会場 ロワジールホテル旭川 17時
 「三浦綾子さんを語る夕べ」  10月12日(三浦さんの命日)
※ 詳細については、上記「三浦綾子記念文学館」のHPをご覧ください。


 文学館開館十周年行事:続報(2009.2.7)
  三浦綾子さんの小説紹介などの記事から、長い間遠ざかってしまい申し訳ありません。
 今回も、手元に届けられた「みほんりん」第22号からの文学館開館十周年行事:続報をさせていただきます。
   今年は、三浦綾子さんが平成11年10月12日に77歳の生涯を終えられてから、10年をむかえます。そこで、没後10年関連事業が行われることになっています。
 その概要を御紹介いたします。
【特別展】
「綾子が歩んだ道のり〜人、出会い、文学〜」
   会場 文学館2階  
       第1回「綾子の青春時代」 4月10日〜5月31日
   第2回「綾子の療養時代」 6月13日〜9月30日
   第3回「三浦綾子の創作活動」10月9日〜3月28日
【講座】
会場 文学館2階
   7月9日、7月10日、7月11日
『現在の催しなど』
「塩狩峠100年」の特別展(3月31日まで開催中)
   メモリアルフェスタ(2月27日、28日)
       三浦光世の「小さな講演会」(開催中)
※ 詳細については、上記「三浦綾子記念文学館」のHPをご覧ください。


  
文学館開館十周年記念行事(2008.9.8)
   三浦綾子さんの小説について触れていく、との約束がなかなか果たせないでいます。
 それは、私の怠惰のせいではあるのですが、一度、二度と読んだ作品に「触れていく」というのは、なかなか勇気が必要なことで、いましばらく猶予をいただけたらと思う次第です。

 この間、館報「みほんりん」第21号が送られてきまして、「開館十周年記念」のことを知りました。
 三浦光世館長をはじめ、多くの三浦綾子さんを敬愛する方々の手で、記念行事が催され、文学館にまつわる思い出などが記されていて、とても感慨深く読ませていただきました。
 記念行事については、現在すでに多くのことが済まされているようですが、まだ間に合う催しもあるようですので、遅ればせながら御案内させていただきます。

三浦綾子記念文学館開館十周年記念式典
三浦綾子記念文学館開館十周年記念講演会
三浦綾子記念文学館開館十周年を祝う集い
平成20年6月13日(金) 於:ロワジールホテル旭川

開館十周年記念 三浦綾子文学散歩
平成20年5月23日(金) 於:旭川市内・塩狩峠

開館十周年記念講座 「三浦綾子の思い出を語る」
平成20年7月8日、10日 於:文学館二階図書コーナー

五郎部俊朗見本林コンサート
平成20年8月30日(土) 於:外国樹種見本林

おだまき会フリーマーケット&おじさんバンドコンサート
平成20年9月6日(土) 於:外国樹種見本林

文学散歩『泥流地帯』ゆかりの地を中心に
平成20年9月26日(金)9時に文学館集合
   行先:『泥流地帯』の舞台・旭川市内

記念講演会(上出恵子、三浦光世)
平成20年9月27日(土)14時から 於:記念文学館

館長 三浦光世の小さな講演会
平成20年9月10日(水)、10月8日(水)、11月12日(水)、12月10日(水)、
平成21年1月14日(水)予定、2月11日(水)予定、3月11日(水)予定‥
   いずれも、11時からと14時からの約30分 
       於:文学館二階図書コーナー

森下辰衛氏のミニ講演会
平成20年9月19日(金)、10月17日(金)、11月21日(金)、12月19日
   (金)、平成21年1月16日(金)、2月20日(金)、3月30日(金)‥いずれも、
   14時からの約1時間
於:文学館二階図書コーナー

※ その他、特別展示等も、もりだくさんに行われる予定です。
※ 三浦文学が、世により広く伝えられ、より深く愛されんことをお祈りいたします。


 
星野富弘さんのこと(2008.7.30)
  星野富弘さんのことを知ったのは、三浦綾子さんのことを通じてでした。
 十年近く前でしたか、職場の女性の方に、私としては初めて、三浦綾子さんの本を紹介したことがありました。
 その方は若い方でしたし、スポーツにも堪能だということでしたので、三浦さんの作品に果たして興味をもっていただけるか、内心心配しながら、勧めたものでした。
 もちろん、なんの心配の必要もなく、すぐに、「氷点」や「道ありき」などの作品を通じて、かなり深みのある話ができるようになりました。

 逆に紹介してもらったのが、「愛、深き淵より」(星野富弘さん)でした。
 星野さんの事故、闘病、苦しみのことを知り、最初はなに気なく始められたという草花の絵を見、全身機能の麻痺というなかで「筆をくわえて綴った命の記録」というタイトルで書かれた本を、私はいったいどれほどの震える気持ちで読んだことでしょう。
 絵も詩もすばらしいことは、いうまでもありません。
 しかし、星野さんという方が醸し出す優しさ、不思議さはなんでしょう。これほどの胸に迫る感動を与えてくれる星野さんという存在は、なんでしょう。
 青年としての、人間としての幾多の苦悩を乗り越えた後に、このように私たちを和ませてくれるという筋書きを、いったい誰が書き、それが現実の存在としてあるという不思議さに、頭を垂れずにはいられません。
 星野さんの絵と詩。いつ何度見ても、偽りのない感動を覚えます。やさしさを覚えます。

 そして、やはり星野さんと三浦さんの接点はありました。
 これは、とても嬉しいことでした。

 最後に、星野さんの詩一遍を紹介させていただきます。

   二番目に言いたいことしか
   人には言えない
   一番言いたいことが
   言えないもどかしさに耐えられないから
   絵を描くのかもしれない
   うたをうたうのかもしれない
   
   それが言えるような気がして
   人が恋しいのかもしれない


  小説への誘い(2)―「氷点」三浦綾子さんについて(2008.7.19)
 かつて、子供が学寮(キリスト教の趣旨によるもの)にお世話になっており、寮の読書会で「氷点」が取り上げられるとのことで、私にもコメントが求められました。その際のものを再掲させていただきます。(意図的に、原罪という表現は用いておりません。)

「氷点」について
1 心理作家、ストーリー作家といわれる三浦綾子さんの、デビュー作であり、代表作です。
 ストーリー運びの巧みさはともかくとして、心理の襞々までが克明に描かれていて、何度読み返しても、次のページを繰らずにはいられない、巧みさがあります。
 かたちは、純文学や、大衆文学などという既成文学の枠を超えた「心の文学」だと思います。特に、手法として、( )書きを駆使して、(われわれが用いれば、あざとくなってしまうであろう)心の動きを克明に描いてあります。
 朝日新聞の一千万円懸賞小説に一席当選した「氷点」は、平凡でキサクな雑貨屋の主婦が書いた1,000枚の小説ということで、一気に世間の話題をさらうことになりました。
 しかし、三浦さんは、原稿用紙に向かう前に、この作品が【必要であるのであれば世に出してください】と、夫君の三浦光世さんとともに祈り、雑貨屋の仕事を終えた深夜に、病身を押して書きつづりました。
 いうなれば、【大いなる力】が、この作品を必然のものとして【世に押し出した】と、いえましょう。

 三浦さんは、小学校教員として、人一倍の熱意をもって軍国教育を子供たちに施しましたが、敗戦とともに、自らが施してきたものが【否定されるべきもの】であったということを知り、立ち直れないほどのダメージを受けます。
 自責の念から教員の職を辞し、放心の状態に陥ってしまいます。そのなかで、カリエスを発症し、20代半ばから30代後半にかけ、ギブスベッドの上で13年もの間、仰臥したままの状態で過ごさねばならないということになりますが、三浦さんは、「絶対安静のギブスベッドの上にあってさえ、役に立つことができる」という確信を得るに至り、その導きに感謝しています。
 三浦さんを支え、三浦さんに支えられた人々は実に多く、それらが信じがたいほどの善意と希望に満ちていることはいうまでもありません。
 三浦さんは、私にとって、尊敬すべき人であり、奇跡の人であり、真実人間臭い人であり、共に涙し、共にやすらぐことのできる唯一の人である、といっても過言ではありません。
 三浦さんのことを多く知っているわけではありませんが、夫君の三浦光世さんは実に真摯な方であり、三浦綾子さんの作品群(「道ありき」ほか多数)を通じて知る夫君の謙遜な人柄に、心から敬意を表するものです。
 三浦さんは、「氷点」のほかにも、「天北原野」、「海嶺」、「塩狩峠」、「泥流地帯」ほか多くの作品を世に出し、自伝の書というべき「道ありき」(3部作)や「旧約聖書入門」、「新約聖書入門」など、「魂の書」としての実に多くのメッセージを残し、平成11年10月に他界されました。

2 「氷点」について
 テーマは、人はいかに生きるのか、ということにあるのではないかと思われます。
 登場人物は、陽子、夏枝、啓造、徹、北原、村井、辰子らですが、いわゆる極悪人はいません。
 そんな彼らが(いわば、誠実に)日常を生きるなかで、(不如意にも)殺意を抱いたり、怒りや、憎しみや、悲しみを抱いたりすることになってしまうこと、殺人犯の娘であろうと、なかろうと、もろもろの出来事のいずれの時においても、人は誰でも「氷点」を持つ可能性があるということ、をいっているのでしょうか。
 つまり、陽子、夏枝、啓造‥の誰のうちにも「氷点」があり、善意や慈しみがあるのです。
 他のためを思い、他のためになしたことが、ほんのちょっとしたタイミングのずれや、思いがけないものや、思いがけない人物の出現によって、いいようのない悪意に取られたり、予期もしない感謝を受けたり、感謝を受けたために悩みを深めたりと、実に心の動きは複雑で、難しいものですね。

 三浦さんは、ルリ子殺し→啓造の夏枝に対する疑念→高木の啓造への「汝の敵を愛せよ」ということば→殺人犯の娘として陽子をもらい受ける→夏枝の陽子への偏愛→啓造の苦しみ→はかられたと知る夏枝→夏枝の陽子に対する憎悪→陽子の悩み、苦しみ(まっすぐに生きていこうとするけなげさ)→夏枝の陽子への意地悪→耐える陽子(すくすくと育つ陽子)→徹や北原が陽子に寄せる思い→殺人犯の娘と知らされる陽子→自殺をはかる陽子→殺人犯の娘ではないという事実が明かされる→しかし、陽子は不義のもとに生まれてきたのだという新たな事実に苦しむ‥というふうに、実に巧みなストーリー展開を見せてくれます。
 確かに、ストーリーの巧みさに引き込もうというねらいもあるようですが、三浦さんはそのことよりも、人は誰もが、生きていく過程で他を傷つけないではいられない(誰もが「氷点」を持つ)のだ、といっているのではないかと思われます。
 だからといって、絶望の淵に沈むことしか道はないとも、自棄を起こせともいってはいないのです。
 作品の背後にあるのは、愛であり、やさしさであり、救いであり、許しであるのです。人は誰もが、愛し、愛されるべきものであり、究極において、許されない者はない存在であるといっているのではないかと思われます。


 
小説への誘い(1)−Aさんと「道ありき」と「氷点」(2008.7.14)
 三浦綾子さんの存在を知ったのは、ちょうど30年前のことです。
 昼休み、勤務先のデスクでいつものように文庫本を読んでいました。
 そこへ、同じ係のAさんという若い女性が、はにかんだように、「よかったら読まれませんか」と一冊の本を差し出してくれました。「道ありき」という本でした。
 そのころの昼休みといえば、男性はソフトボールや卓球、女性はバドミントンなどで汗を流すのが普通でした。私もソフトボールなどにかり出されることもありましたが、だいたいはデスクで煙草を吹かしながら(当時、一日に一箱ぐらい吸っていたんですね)本を読んで過ごしていました。
 私の記憶に、Aさんがはっきりと登場するのがそのときでしたから、Aさんがどのように昼休みを過ごしていたかを知りませんでした。

 Aさんは、清楚な方というより、どこか透き通ったという表現が適切な方で、ほどなく結婚退職されたこともあり、実際同じ係で過ごしたのは数ヶ月にしか過ぎません。
 大学受験に失敗し、自棄になっていた私の心に、「道ありき」は慈雨のように染み込んでいきました。「道ありき」三部作を瞬く間に読み終え、三浦さんのデビュー作であり代表作である「氷点」に至りました。

 「氷点」は、驚きでした。
 主人公の陽子が、運命的とでもいうべきさまざまな試練を受けながら、誰を恨むことも呪うこともなく、次々と障害を乗り越えていくその強さとけなげさに心うたれ、ページを繰るのももどかしいほどに、一気に読み終えてしまいました。
 終わりには、自分の出自を知り、その罪の深さを知るあまりに、一人で死に向かいます。見本林の、河原の、静かな、あの深い雪のなかで。
 「続氷点」では、本当の出自が明かされますが、陽子の心には、以前のような天真爛漫さだけではない、人間としての罪の心が芽生えます。しっかりとした真実の愛の心が芽生えます。

 「氷点」−
 三浦さんの作品は、この作品を契機に、山の如く、海の如く、大きくうねり、連なり、果てしなく広がっていくことになるのですが、「氷点」に三浦さんの全貌を見ることができる、といえば乱暴になりましょうか。
 作品としていうならば、これほどに複雑に構成されたストーリーは類を見ず、心理描写の的確さ、テーマの重さ、真摯さにはことばを失ってしまいます。
 しかし、三浦さんは、決して観念論だけで解決しようとはしません。
 三浦さんは、真実、魂の人だと思います。常に、魂と祈りの段階にまで歩を深めます。

 私は、それまで書いていた詩、短歌、俳句、小説を、小説一本に絞りました。それは、「氷点」の感動のゆえであり、三浦さんのように、私なりに次のステップにまで歩を進めようという覚悟でありました。
 しかし、私の場合は、どうやら小説という手法だけを真似たに過ぎない、といまになって気付いている次第です。


 
三浦綾子記念文学館(2008.7.13)
 2006年9月23日、快晴。
 積年の憧れの地、三浦綾子記念文学館を訪ねました。
 旭川市の「神楽4条8丁目」でバスを降り、国道が一本すっと伸びているなかを、360度見渡しましたが、周囲にすぐにそれとわかる案内もありませんでした。
 多分この方向かもしれないとの勘だけで、近くの農協(後で神楽支所とわかる)で行く先を尋ねてみました。対応してくださった方は、満面の笑顔で「こんないいお天気は、年にそんなにはないのですよ」と、「すぐそこの道を真直ぐ‥」と、恐縮するほど丁寧に教えてくださいました。
 
 文学館は、「氷点」の舞台である外国樹種見本林の入り口にあって、清楚な佇まいで迎えてくれました。
 館内ではちょうど「海嶺」展が催されており、しばらくそれらの作品のコーナーを巡った後、いよいよ、2階の三浦さんと直に触れあうことのできるコーナーに到着しました。
 「ひとはどのように生きたらいいのか」という自らへの問いかけのなかで、三浦さんは、深い洞察に基づいた、しかし決して小難かしくはなく、誰にでもわかりやすい、実に多くの優れた作品を書いています。
 私は、三浦さんの書斎(写真)の前に長く佇み、三浦さんが座った椅子に腰を下ろし、閲覧室でずいぶん長い時間を過ごしました。
 まさに、万感の思いが胸をよぎっていきました。
    
   文学館の裏手は見本林で、林の中を歩いたりした後、ひょっとして奥には川が流れているのではないだろうかということで分け入ってみると、本当に「氷点」の舞台となった川(美瑛川)が流れていました。
 その川の流れに手を浸しながら、氷点の各場面を思い浮かべ、実に深い感慨をもったことを覚えています。

 いったいどのくらいの時間を、文学館で過ごしたのでしょうか。
 多分三時間程度にしか過ぎなかった筈ですが、もうそれは時間の長短などに関係なく、私の心の底に大きな位置を占めることになりました。
 何度も文学館を振り返り、見本林を振り返り、三浦さんのもとを去ったのですが、去ることによって、いよいよ三浦さんを近くに感じることになりました。
 ただ、できれば、夫君の三浦光世さんに一目お会いできていれば、という心残りがありました。

 次回以降は、「小説への誘い」ということで、三浦さんの作品に触れてみたいと思います。

三浦綾子記念文学館(2008.7.13)

小説への誘い(1)−Aさんと「道ありき」と「氷点」(2008.7.14)

小説への誘い(2)―「氷点」三浦綾子さんについて(2008.7.19)

星野富弘さんのこと(2008.7.30)

文学館開館十周年記念行事
(2008.9.8)


文学館開館十周年行事:続報
(2009.2.7)


文学館開館十周年行事:続続報
(2009.8.12)


三浦光世文学館長が昇天(2014.10.31)











































































































































































































 

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