コーヒータイム

「無名作家のメモ」、「無名作家のつぶやき」とでもいうべき欄です。
このHPの中で、管理人が、最も気楽に書いている部分です。内容は、やはり「文芸について」です。


ということでありましたが、評の類はどうにも苦手であるということがわかりました。
2010年2月からは、「小説に至るメモ」の場として、この欄を使いたいと思います。乱雑なメモ、の類に終止するかもしれません。
私生活については原則として触れないことにいたします。同人誌等の関係者の記述をする場合にあっても、出来得る限り御迷惑にならないように心掛けるつもりでおります。

NO 10
2017年12月までの分は→ NO9へ
 2016年12月までの分は→ NO8へ
2015年12月までの分は→ NO7へ
2014年12月までの分は→ NO6へ
2013年12月までの分は→ NO5へ
2012年12月までの分は→ NO4へ
2012年03月までの分は→ NO3へ
 2011年06月までの分は→ NO2へ
2009年12月までの分は→ NO1へ




 
H30.12.31(2018.12.31)
 OUTLOOK2016のメール、期待していたものとは違う。こうしてみると、OFFICE2016は何のためのものだったのだろう。結局2013を入れようとしている。
 WIN10にノートンを移し替えた。ゆえに、WIN7の1台がまず不要物と化してしまった。IT関係のことは、まことに難しい。


 
H30.12.30(2018.12.30)
 新しいWIN10の立ち上げをする。一応再セットアップディスクも作成した。
 OFFICE2016はどうして必要だったのか、首を傾げる。
 OUTLOOK2016にメールを移し替えることが、果たして出来得るのか。それによって、どちらのWIN10をメインに使うかが決まってくる。
 まだ、プリンタ接続等々の細かいことは出来ていない。


 
H30.12.29(2018.12.29)
 WIN10が着いた。セットアップの前に、再セットアップディスクを作ろうとしたのだが、セットアップのスピードが速すぎて、インターネット接続まで行ってしまった。パスワードも、後で入れ直すという始末。
 速いのはいいが、さてどれをどう使うべきか。
 office、HPビルダー、一太郎などのインストールも必要だ。ウィルス対策は、90日試用版のウィルスバスターが入っている。
 細かいことは今後考えて行こう。
 それにしても、このWIN7には未練が残る。何とかならないものか。
最初はバカバカしい本だ、と少しずつ読んだり止めたりしていた「日本沈没最終シナリオ」(なわ ふみひと著)の後半にかかり、マタイ伝が出てきたあたりから俄然その気になり、読み終わったら感動していた。
 確かに、日月神示のカタストロフィーと、聖書の黙示録がどう結びつくのかまでは書かれていないが、マタイ伝の箇所だけでも心に深く留めるべき内容だと思った。勢い余って、5冊も注文してしまったが、どこに送ることになるのだろうか。


 
H30.12.28(2018.12.28)
 明日には、WIN10が来る予定。設定で、あわただしくなりそうだ。
 今日までに読むべきは読んでおこうと、「日本沈没最終シナリオ」なる本を手にするが、なかなか読みが進まない。日本が滅びることと、ミロクの世とがどう結びつくというのか。わかったようで解らない。細かな部分は、見知っているのではあるが。
 WIN10が来れば、セキュリティソフト、microsoft 2016のインストールが必要、などと考えてみる。HP作成はどのPCで行うか、ということもある。 


 
H30.12.27(2018.12.27)
 現在、とても手に馴染んでいるWIN7を1年以内(恐らく半年以内)に手放さねばならないのかと思うと、残念でならない。
 しかし、「ウィルス攻撃」「マルウェアの防御」などという記事を日常的に見ていると、サポートのないPCはやはり使えない。今朝も、妻のタブレットに「1件の検索が必要」との赤字が踊っているのを見て、「やむを得ないか」と思ってしまう。
 しかも、世はIT花盛り。「マッチポンプ」とかいう言葉、「マッチを擦っておいて、後で火消しに行く」という作戦を考えたのか、それとも「激しい情報戦争に突入している」のか、見えないことが気味悪い。
 最近、「なんとも悪がはびこることよ」の感を強く抱く。そして、わが心の中にも、「憎む」という感情が根付いているなと気付き、ハッとする。


 
H30.12.26(2018.12.26)
 お次は、定例懇談会である。3つの顔を持つと、ややこしい。
 会場の空き具合を確認し、開催通知を出した。
 ノートンの威力には恐れ入る。スポーツニュースや、芸能ニュースの類なども、めったなサイトには入れなくなった。「ウィルス発見」「狙われているのは→arimori pc」「望まれない拡張サイトまたは詐欺サイトへの誘導だから?」という表記が出る。
 自分は何のターゲットなのだろう。「このウィルスは無害化した」という表記がすぐに出るのだが、ちょっと気味が悪い。わが持つPCのニュースメールでも「詐欺の手口」「ハッカーの手口」「マルウェア情報」などという記事が続々と送られてくる。「ITとは個々を丸裸にするための仕組みではなかろうか」と唸ってしまう。
 電子化、カード決済、グローバル化などということばの裏に、何かの企み(陰謀)をつい感じてしまうのは、マイナス思考に当たるのだろうか。


 
H30.12.25(2018.12.25)
 海第21号の会計報告をしなければならない。全部の納入が終わっていればいいのだが、とATMに向かったがやはり未納者があった。
 これ以上日を延ばすと、年を越してしまうので、例年の〆を行う25日を踏襲した。当方としては、もう何度となく督促までしているので・・。
 この作業にも半日を要する。通帳、請求書、支払いメモを照合し、18時半頃に出来上がった。早速メールで周知し、郵送必要者には投函した。
 投稿・冊子作成要領から始まり、会計報告で1号の行程がようやく終わる。この間、半年、ずっと海第21号に付き添わねばならない。
 もっとも、感想や批評が出されるのはこれからであるが、ひとまずの作業工程を終えたということで、関係者を労いたい。


 
H30.12.24(2018.12.24)
 今日はパソコン作業はなし。ということは、お休みということでもある。
 最近は、なんでパソコンに気力、体力を奪われていたのだろう。ウィルス対策ソフトの比較から試用と、たいへんな時間を奪われた。結局の答えは、数年前まで使っていたノートンの使用ということになった。
 マカフィーは弱い。頼りにならない。効いているのかいないのか、ちゃんとやっている(つもりである)のに足元を抜かれた。
 プロバイダーの「1メールにつき1ソフト」という前提はわかるが、家庭ではメールを持たないパソコンがあり、この図式ではどこかで奇妙にこんがらがってしまう。そのパソコン自体、「安全」マークが出ていながら、同じページに「このパソコンは保護されていません」と出ている。決められた形に収めようとするだけで、ひどく神経を使い、説明を聞いたが、実効があがらなかった。丸1か月を費やした。
 ESETやカスペルスキーやウィルスバスターも試してみたが、それらも相性のせいなのか。試用版では、それぞれのよさがわからなかった。


 
H30.12.23(2018.12.23)
 WIN10は手がかかる。システムの復旧に丸一日付き合う。OFFICE2013に2016を入れたものだから、OUTLOOKメールがやられてしまった。
 WIN10で、OFFICE2013と2016を共存させたら、何かが反発してしまいそうだ。それにしても、microsoftは「サポート終了」などという期限をつけ、夥しい利益をあげようと目論んでいるのだということがミエミエで、甚だ気分が悪い。
 これの実験は、新しいWIN10を立ち上げるための教訓になりそうだ。


 
H30.12.22(2018.12.22)
 ホームページビルダー21が到着したので、WIN10に早速インストール、古いホームページデータが使えるのかを試してみた。
 勝手が少々違うが、そのまま使えるようであるので安堵した。
 WIN10には、先に入手したmicrosoft 2016 personalもインストール。試したところ、2013があれば済んだのかもしれないと思った。


 
H30.12.21(2018.12.21)
 広告につられて、WIN10の購入を申し込んだ。あと半年後くらいが都合がよいところであるが、細かな設定もあるし、来年秋には消費税も上がる。
 ということなどを考えていたら、つい誘いに乗ってしまった。それも、アウトレット商品の最安値のもの、というところが出自故なのか。
 新しいPCがくれば、今十分使えるWIN7製品とどう併用していくのか、まだ考えつかない。忙しくなることだけは目に見えているが。


 
H30.12.20(2018.12.20)
 海第21号が到着したという連絡が続く。早くも感想まで頂戴する連絡も。
 ありがたいことである。しかし、私の方からの返事が遅くなりそうである。できるだけ順番にそいたいので、少々時間をいただければ・・。
 ご勘弁いただくこと、お許し願いたい。


 
H30.12.19(2018.12.19)
 一度に大量のものをスキャンしたので、プリンタが唸りだした。
 WIN10を1台注文することになりそうだ。となると、ホームページビルダー21も必要になってくる。あと半年というあたりが適切なのだが・・。


 
H30.12.18(2018.12.18)
 海第21号を発送したので、少し周りが見渡せるようになった。
 詩と眞実第835号の、井本氏の小説「酔芙蓉」が良い。やはり才能なのだろう。老犬の死を看とりながら、夫婦としての愛や嫉妬や老化を描いている。氏の手になると、一つの文章が単純な意味を越え、複合した意味をもつから不思議だ。
 力ある詩人の筆がハーモニーを奏で、巧みに絡み合うのだろう。


 
H30.12.17(2018.12.17)
 海第21号の発送作業。ラベルを貼って、差し出し人住所氏名のゴム印を押して、後は同人と一般に分けて送り状(簡単なもの)を準備。
 ラベルに書いた部数を、準備の出来た封筒に入れ、封をする。それにヤマトのシールを貼る。宅配便の対象は宛名を書き、部数を準備する。
 と、こう言えば簡単そうであるが、びっしり3時間半を要した。
 戻ると、同人に「発送終了」のメールを出し、ホームページの加筆をする。今回は、「投稿・冊子作成要領」は、1月の委員会での検討内容を待って作成するということにしたので、この分の作業が後回しになった。


 
H30.12.16(2018.12.16)
 手元にある「前生のシークレット」を、知り合いに送った。
 明日は発送作業になるので、諸々を取りそろえ(「発送グッズ」と呼んでいる)本番に備える。ところで、まだ会費未納の人が多い、が・・。
 Microsoft Office 2016(personal)が届いた。CDではなく、ハガキ大の紙に「プロダクトキー」が書かれたものが、手渡しで届けられた。それもそうだろう、数万円もする代物なのだから。
 ところで、2016は自分には必要であったのかどうか。編集の作業を担当しているので、品揃えだけはしないと話にならないが。


 
H30.12.15(2018.12.15)
 パソコンのセキュリティソフトを近くの電機店で急遽購入、インストールした。プロバイダ方式ではどうも妙な不安が残り、他に手が回せない。
 それより、海第21号の発送準備の方を先にしなければならないので、宛名ラベルを購入、印刷物を作成・・後は、当日の作業あるのみ。
 佐野美代子の「前生のシークレット」が3冊届いた。


 
H30.12.14(2018.12.14)
 パソコンの関連は、よく分からない。
 WIN7のサポートは、2020.1.14までということである。XPのときもそうであったが、こうもサポート期間が限られると落ち着く暇がない。
 パソコン本体は勿論、周辺機器も大きな影響を受ける。メール設定など、「たいへんだったなあ」ということしか思い出せない。なんとかなるのだろうが、やってみないことには始まらない。それにしても、十分使える(脂の乗りきった)パソコンを廃棄(リサイクル?)しないといけないなんて、何のため?


 
H30.12.13(2018.12.13)
 北日本の3次通過ならず。ま、近く結果を出したい。
 佐野美代子の「前生のシークレット」の1冊が届いた。計2冊目である。ここまできて、数人にクリスマスプレゼントにしてみたらどうだろうと思い付いたので、さらに4冊を注文した。この内容で、現在を見詰め、未来を創り出すための参考(つまり、「生き方の参考」に、「考え方や感じ方の参考」に)になるかもしれない、という閃きだった。最近、結構閃きに助けられることが多いと自覚する。
 例えば起き抜けにインスピレーションが走ったり、身体の維持によいのではないか、と思い始めている。(助けられている・・と思う)


 
H30.12.12(2018.12.12)
 海第21号の作品を、ホームページにアップした。まだ海第21号の発行がなされていないので、ホームページの方だけ資料として先に挙げたという格好になる。普段は、この作業にかなり手間取るのであるが、意外にスムーズだった。
 セキュリティソフトのことは、プロバイダの考えと個人の事情が一致しないための、すれ違いではないかと思われる。インストールは出来ても、「有効」となってはいても、どこかがしっくりきていない。
 結局、自己責任でやるべきということなのだろう。


 
H30.12.11(2018.12.11)
 「ザ・シークレット」の著者(発見者?)のリンダ・バーンの説くことは、よく解る。自分の深奥から発した「願い」であれば、それも「真の願い」であれば、「叶う」ということは。それが「(宇宙の)法則」だという。「引き寄せの法則」を用いたものだと解説がある。私には、よく意味は解るのだが・・。
 ウィキペディアなどには、あまり良くは書いていない。確かに「マーフィーの法則」に似て(というより、マーフィーの法則の方がこちらを利用したとしか思えない)、本書にはあまりにも、金、物、希望、健康などという現実的な「モノ」への到達の道を書いている、と穿った見方もできる。
 到達への法則というか、原理は間違いない(と思う・・)。


 
H30.12.10(2018.12.10)
 佐野美代子から知り得た「ザ・シークレット」の内容は、「引き寄せの法則」の紹介と、詳細な説明であると理解した。
 なるほど、と納得させられるばかりである。これまでの自分の思考が、今の自分をこしらえているのだ。マーフィーの法則の方は知っていたが、ひどく現実的な事柄を内容としていると敬遠して、結句が今の自分である訳だが、シークレットの方は、「宇宙を貫く法則(宇宙の原理)」だというから、改めて納得した。
 今更のことながら、思考、言葉、気分というものが、どういうふうに導いてくれるものかと、知った次第である。時間というものの経過、ということを考えることも無意味だと。こんなふうな仕組みだとは気付かなかった。
 ともかく、彼女の書を読むと、ひとりでに心が温まり、踊り出しそうになるからたまらない。そう、怯え、恐れて過ごさねばならないことなどないのだ。
 海の具体的な発送作業の準備をした。送付状作成印刷、送付先リストと照合しながら宛名ラベルの印刷、まで済ませた。
 ホームページ作成の準備として、各作品のPDF化もした。


 
H30.12.09(2018.12.09)
 ルーターのIDとパスワード変更を行った。パソコン5台と、タブレットと、スマホの根元に関わるものだから、かなり神経を使った。
 で、どうにかこうやってパソコンが動いているところをみると、うまくいったのだろう。そう思うことにした。
 最近「引き寄せの法則」を知り、否定語や過度の謙遜・謙譲語も使わないことにした。言葉ばかりでなく、思うことも向きを変えることにした。
 プラスの方を、明るい方を向き、しっかり向き、信じ、「思えば実現する」という法則に乗ることにした。まだまだ「実現すべき」ことが現にある。


 
H30.12.08(2018.12.08)
 このパソコン、いったい何度の、セキュリティ対策ソフトのインストール、アンインストールを繰り返したやら。
 その度に、再起動を行い、フルスキャンを行い、ウィルスバスター、ノートン、ESET、もちろんマカフィーとくるから、3万円台の安パソコンも悲鳴を挙げているのではないかと、同情する。ソフトの比較や書き込み(口コミ)を見ると、わがマカフィーは常に下位に甘んじているのだが、慣れというのは恐ろしいもの。
 マカフィーの画面に戻ると、安心する。その実、ノートンなどの実力のほどは分かるので、つい手が伸びてしまいそうになるが、1つのソフトで5台まかなえるというのがESET、カスペルスキー、マカフィーとなっている。
 中でも、カスペルスキーは最も高い性能の数値を示しているが、カスペルスキーだけ「無料使用版」を試していないというのも妙である。はて、なんでだったかと考えるが、テストを繰り返すのに疲れたということもあるが、安パソコンの方も「やり過ぎだよ」と言わんばかりなので、「最も評価の高いカスペルスキー」のみ手を付けなかった。これは、まさに天の邪鬼な仕儀。はて、どうしてだろう。


 
H30.12.07(2018.12.07)
 海第21号の校正のため、花書院に行った。全162ページ確定。
 校正というも、この時点で全原稿との突き合わせはできない。ゲラの要点をチェックするに終わるのだが、2時間はかかる。結構辛いのだ。
 懸案の行間の方も眺めながら見てきたが、「ページ内がやや開き加減の24行あたりでどうだろうか」と、個人的には感じた。
 そういうときに、東京の「文藝軌道」がきたので見ると、「29字×28行、8.5ポイント、明朝」という凄い組み方の誌が届いた。これだけを見ると詰まった感じがしないのが不思議だが、海もまだ余裕があるように見え始めるから、悩ましい。


 
H30.12.06(2018.12.06)
 本当に、たまたま北日本新聞のWEBを見たら、2次通過となっている。これは驚きだ。まあ、これまでには4次通過までしたことがあるので驚きはしないが、今はやはり感心するばかりである。もっとも、先は先、気楽にいこう。
 しかし、賞というものの決め方は、入賞などは早目に決まるので、その該当者には既に連絡があり、原稿を主宰者に送ったりするものだ・・。
 佐野美代子の本2冊が届いた。最近は、年賀状印刷や、パソコンのウィルス対策にかまけているので、3冊目はまだ読んでいない。


 
H30.12.05(2018.12.05)
 子供の思い出に繋がる紅茶を注文している。子供がフィンランドに行こうとしていたが果たせなかったということで、注文サイトを探し当てたものだ。
 毎朝、そのフルーティな紅茶と果物を供える。この紅茶、なかなか美味しい。勿論、優しい花の香りだ。(ベリーを混ぜたもの)


 
H30.12.04(2018.12.04)
 年賀状を印刷し、宛名書きから始める。去年は服喪のハガキを出したのだったから、年賀状の要領になじめない。
 2年近く服喪の状態にあるので、そうそううまく転換できない。とはいえ、子供のことが影のように纏わりついている訳ではない。むしろその反対に近いのだが、やはりこれまで過ごしてきた日々を思うと切なくなる。


 
H30.12.03(2018.12.03)
 人の生死のことは、こちらの方に書くべきことであったが、まあそれは「文芸だけのものではない」ので、書く場所はどちらでもよかった。
 学びや学びの切っ掛けは、人間関係、自然環境、われわれを大きく取り巻くもの(宇宙環境や宇宙の法則など)、あらゆるところにある筈だが、やはり読書や人間関係から教えられることは多いし、大きい。
 幼い頃から教えられた「馬車馬のように働く」「他に嗤われない」なども大切なことではあろうが、「人間は自らを(他をも)磨くためにある」「楽しみつつ生きる」ことにこそ目的と意味があるのだと思うので、「この世の損得」「この世での評価」などばかりに関わり過ぎると、まるで動きがとれなくなる。
 この世の贅を尽くし、この世の名声を一身に博しても、それはこの世限りのこと。際限のない転生を考えるなら、「まず学ぶ」「柔軟になる」「今あることに感謝する」というふうにならねばならないと思うのだが、どうであろう。


 
H30.12.02(2018.12.02)
 橋さんの長いメールに、長いメールを返した。
 橋さんは、何をするにも情熱的な人で、あまりにも沢山のことをするので驚かされる。ヒプノセラピー、無機農業、文芸などがメインかと思われるが、情の深い人で、またいつまでも気持が若い。社会との関係も深く、ホームページに、ツイッターに、フェイスブック等々もやりながら、若い友だちの輪にもずんずん入り、人気がある。
 やっぱり世の中、捨てたものではないのだ。
 3冊目の佐野美代子の本が届いた。4冊目、5冊目を新たに注文した。


 
H30.12.01(2018.12.01)
 ひょんなところで牧草さんに会った。聞けば遠くはないところに住んでいるのだから、会わない方が不思議なのかもしれない。しかし、近いといえども一山越した感じの場所に住んでいるから、そう簡単には会えそうもない。
 それが、閉店したマーケットの通路で正面から出会った。これは、奇遇の類ではないだろうか。寒くはない隅の椅子で、30分ばかり話し込んだのだった。
 佐野美代子の「前生のシークレット」には、感動した。これまで読んだ本の中で、もっとも心の奥にまで入ってきたのではないかと思うほどだ。


 
H30.11.30(2018.11.30)
 さてさて、パソコン騒動はそろそろお仕舞いにしたい。
 全作家から、夏頃の意見(提言)のまとめが送られてきた。自分の名前を見ると、恥ずかしくも厚かましいことを言ったものだ、と反省する。
 要するに、作品が先だ。理屈ばかりではいけないのだ。
 昨日の北日本のWEBを見て見たら、第一次通過ではないか。確か去年も。というふうに、一回目だけでも通過すると、最近殊に嬉しく思えてきた。


 
H30.11.29(2018.11.29)
 パソコンの2台が、メールを共有したかたちになっていたので、これらを切り離すため、2台のウィルス対策ソフトのアンインストール、再インストールを行った。これらの関係がなかなかスムーズにいかない。
 いっそ、ウィルス対策ソフトを自前で購入した方がよいのかもしれない、と思ったりする。情報を失ったりすることの方が、まずいから。


 
H30.11.28(2018.11.28)
 未着だった資料も届いたので、今日の入稿に間に合った。
 ここまでが大きな山の8号目というところか。あと、校正、発送、会計報告とスケジュールは続く。その準備もあるし・・。
 まあ、よさそうな内容だから、今日は休憩。


 
H30.11.27(2018.11.27)
 ペーパーで確認してもらった資料も届き、未着だった原稿も届いた。
 完璧に揃ってはいないが、ここらで印刷入稿をしないことには先が困るので、わずかな一部は見切り発車せざるを得ない。
 明日には、印刷所行きが出来るだろう。


 
H30.11.26(2018.11.26)
 未着だった詩の問合せを済ませ、明日あたり着くだろうことがわかった。
 この際、わが作品も最終の見直しを行っている。


 
H30.11.25(2018.11.25)
 海の作品の細かいところの、見直しを行っている。
 パソコンも、小まめに全スキャンを繰り返している。


 
H30.11.24(2018.11.24)
 全作家の掌編の校正をし、経費を送信した。
 海の作品の細かいところの、見直しを行っている。


 
H30.11.23(2018.11.23)
 さて、ピロリ菌をやっているから、アルコールが駄目である。この状態はいつまで続くのだろう。うまくいけばいいけれど。
 最近はパソコンも除菌に余念がない。プロバイダ社の方針に従い、メール1つにウィルス対策ソフトを1という定めのもと、全部のソフトを入れ直し、フルスキャンをした。その後も2日に1回はクイックスキャンを欠かさない。
 ウィルスの数はうじゃうじゃいるもので、毎回夥しい駆除の数値が出るが、このソフトを潜り抜けてくるウィルスもあるに違いない。
 それほど、膨大な怪しい情報が来ているらしく、水際で防いでいるという訳だ。ちなみに、現在のウィルス対策ソフトによると、「パソコンは安全」だという結果を得ているが。なにしろ、国家をあげてウィルスを仕掛けてくる時勢だから。こんな状況で、よくも電子決済などが出来るものだと思えてならない。
 50枚あたりの作品がないかを調べ、見直しに入らねばならない。


 
H30.11.22(2018.11.22)
 海のホームページを書き替えた。久しぶりである。
 海も162ページ、よく揃ったものだ。今後は12月中旬の冊子発行に向け、順を追って作業をこなしていかねばならない。
 次は、1ページの組み方だ。この組み方に対し、かなりの不評を買った。
 当時、会費の値上げとも絡んでいたため、一気に都市圏版並みに「字数、行数」を設定したものだった。「27字×25行、9ポイント」は、いかにも窮屈である。編集を担当すれば、それがどんなにせせこましいものであるか分かっている。
 しかし、1ページに入る字数は大胆には減らせない。同人負担額との関係があるから。「27字×24行、9ポイント」あたりでケリがつけばありがたいのだが・・。


 
H30.11.21(2018.11.21)
 海第21号の原稿の最終確認(校正)を、WEB担当者とペーパーでの担当者に送付し、依頼した。ここまでくるのがたいへんで、やれやれである。
 ともかく、半ば当たりまでの作業終了となる。


 
H30.11.20(2018.11.20)
 海第21号の原稿受付を終了した。今号も、162ページとなる予定である。
 午前0時を待って受付終了の連絡をし、これからは目次つけなどの具体的な作業に入ることになる。最終校正後の原稿にはひととおり目を通したが、1ページカウントを間違っていたため、「同人の著作紹介」を加えねばならない。
 となると、新規入会者で「著作」について尋ねていないケースがあるので、調べねばならない。これは明日以降速やかに、ということになる。


 
H30.11.19(2018.11.19)
 海の原稿はまだ完全には出ていないが、だいたいの形は見えてきた。
 あとがきを書いたり、これまでに出された作品を細かく読んでいる。


 
H30.11.18(2018.11.18)
 ウィルス対策ソフトは、メールとの関連づけのため、結局全てをアンインストールし、再度インストールすることになった。
 ところが、ウィルス対策ソフトということの性格からか、簡単に片付くものではない。疑い深いソフトである。としか思えない。なかなか環境に馴染んでくれないのである。お蔭でこの1週間、結構この道に詳しくなった。
 何とか落ち着いた模様であるので、海の原稿の再度の読み直しをしている。細かな点検は担当委員にもお願いするが、作品の中身を把握しておかないことには、目次組みも出来ないし、あとがきも書けない。ということで、読み込みを行っている。


 
H30.11.17(2018.11.17)
 ウィルス対策ソフトは、5つのメール、5つのインストールというふうに仕分けをしてやり直している。ところが、これがなかなかうまく進まない。
 インストールまでは早く済むのだが、安物のパソコンはこういうときに困る。インストールすればフルスキャンをしなくてはならないが、これに膨大な時間がかかる。うまくいったやれやれ、と思っていると相手ははそう簡単にはOKを出さない。なんの機嫌を損ねたのか、ソフトが動いていない。となると、またまた1日近くの時間をかけてやり直し、となる。5台のパソコンに平均して3回ぐらいはこれを行っているから、この1週間ほどはこの作業ばかりを繰り返している。
 お蔭で、ウィルス対策ソフトのことなら、かなり詳しくなった。あれやこれやとソフトを替えて試してみたりもした。「ウィルス対策」というもの、これからの大きな課題となりそうだ。世の中が不安定で、「怨み」「嫉み」「憎悪」「欲望」が蔓延しているものだから、ネット社会では、これらに対応することが喫緊の課題となるであろう。これら、顔の見えない相手、顔の見えない犯罪にどう向き合えばいいのだろう。
 ということで、少しは甲斐があったのか、YAHOOなどのメールを覗いてみたら、かなりの数の迷惑メールが来ていたのが、殆ど見なくなった。


 
H30.11.16(2018.11.16)
 昨日の割付を投函し、心当たりの同人には電話した。
 ウィルス対策ソフトに付き合う方法を改めてプロバイダーに尋ね、「1つのメールに、1つのソフトが原則」とその社の説明にあるので、メールとの関連づけを行うため、それぞれのソフトを入れ直した。
 これに要する時間が、原稿を待つ時間を埋めてくれる。
 また、パソコン関連の資料を整理しながら、乱雑に積んだ本も「作者や、傾向ごとに整理し」区分したりした。
 日頃の整理と整頓が、大切であると感じ、貴重な時間だと思えた。


 
H30.11.15(2018.11.15)
 ウィルス対策ソフトに付き合うと、1日仕事になる。外はいい天気なのに。
 海の原稿が入り、割付を行い校正依頼の郵送をする予定。現在、145ページを超えている。160ページはいくかもしれない。


 
H30.11.14(2018.11.14)
 ウィルス対策ソフトに付き合うと、1日仕事になる。
 たまたま文藝春秋を買ってきていたので、ずい分小まめに読むことができる。これも、意味あることなのかもしれない。


 
H30.11.13(2018.11.13)
 気になると仕方がないもので、今日もセキュリィティーソフトの動き具合を確かめることにしたら、1台が動いていないのに気付いた。それから、ノートンやウィルスバスターを入れたりで、1日を費やしてしまった。
 久しぶりに読もうと思った文藝春秋は、まだページをめくったままである。


 
H30.11.12(2018.11.12)
 自慢ではないが、安物のパソコンを5台も持ち、タブレットも1台持っている。
 パソコンの方は、毎日のようにウィルス対策ソフトによるフルスキャンをやっているが、1台のパソコンのソフトが気まぐれなので、思い切ってアンインストールした。ところが、インストールができない。
 あわてると、余計にうまくいかない。よく読めば、パソコン1台につきメール1つを持つ必要がある、と書いてある。そんな、パソコンにメール1つずつなど持つ訳がない。ということで、電話で尋ねてもよくわからない。
 ままよ、と3時間余りを要してインストールなる。ソフトの動きもスムーズになった。今日は、なんとも「除菌」に追われた日だった。


 
H30.11.11(2018.11.11)
 海第22号のページ組みなどについての資料の修正を、委員に送付する。
 昨夜遅く原稿が入ったので、割り付けをし校正依頼をする。
 昨夜寝がけに、宮本輝の短編「小旗」を読んだ。目が覚めるような鮮やかさだ。
 パソコン3台、3度目かのフルスキャンをする。その前には、ディスクのクリーンアップも必要だと知る。


 
H30.11.10(2018.11.10)
 海第22号のページ組みなどについてのメールを、委員に送付する。
「マーフィー100の成功法則」(大島淳一著)という本があった。ブックオフで105円のときに買ったものだし、進んで読む気になれなかったので放っていた。
 ところが、ほんの少しのつもりで読み出すと、なかなか深い。「成功」という語句に初め近付けないものがあったが、ハウツーものなんかではない。
 すなわち、内なる潜在意識に届いた情報が、いかに大きな役割を果たしているかという。「普段は抜群の成績の者が、本番にどうしてもうまくいかない」という1つの事例を見る。・・「暗示からくる一事的な記憶喪失症に悩む」というもの。
 潜在意識というものは記憶の倉庫である。勉学に用いたり、読んだりしたこと、全部を完全に記憶している。よって、潜在意識はそれらに反応する。
 心身くつろいで、なごやかになり、自信を持つまでに至れば「自ずと良い結果が出る筈」であるのだが、試験の数日前から、心配したり恐れたりして、恐怖を感じたりすると、恐怖とは「失敗を抱え」るものだから、結局、失敗に至らざるを得ない。それが潜在意識の法則だという。失敗に向かうべく潜在意識に刻印されることを自らが要求していた、というのである。ココは実に深い。
 では、潜在意識に良い反応をさせたいのであれば、「置き換え」という方法があるのだともいう。つまり、失敗が心配であるなら「成功」を自らの内なるものにし、病気が怖いなら「完全なる健康」を内なるものにし、死が怖いなら「永遠の生命」に思いをいたすことということになるのだそうだ。
 ~は大生命であるし、自分の命は潜在意識であるから決して老いることがない。それは時間を超越し、宇宙の初めから存在していた普遍的生命の一部であるから、決して死ぬことはないという。
 宇宙の始まりからどれだけの人間が生きたか。全てが消えては全て生ずる。今ある波が消えても、悲しむことはない。また、同じ大海の水になり、波になる。大海が老いを知らないように、潜在意識にも老化はなく自分の心は永遠であると。
 また、心や肉体に有害な影響を与えるのは「時間に対する恐怖」であって、時間そのものではない・・ともある・・。


 
H30.11.09(2018.11.09)
 海のページ組みのことを考える。他誌の真似をするつもりではないが、他誌の場合は9ポイントもかなり使っているようであるから、行数の減も検討すべきかもしれない。そのためには、第21号に24行を数編試してみたい。
 ページ組みの全体については、1月の定例会に諮った方が適切だろう。


 
H30.11.08(2018.11.08)
 「知られざる日本国憲法の正体」(吉本貞昭著、400頁超)読了。改憲派の本であることは分かるが、「なぜ、なに、どうして」という専門的な書であるので、内容が分かったなんてヤワなものではない。いやはや、占領軍と時の政権(担当者)との必死で細かなやり取りや、思惑が描かれてあるので、正直殆ど理解出来ていない。
 この憲法が、国産のものではないということは、時の状況から十分推察出来るし、誰がどう動いたのかということも、この本の範囲ではだいたい分かる。
 あくまでも、「帝国憲法の改正」というかたちを取っているが、実際は「新たに制定」されたというのが実のところであろう。
 天皇を失わんがため、また英、ソ、中など列強が背後にある手前、「やむなく定められた」憲法であることも間違いないだろう。
 この本によると、日本国憲法が今日に至るまで一度も改正されなかったということは、米国側にも意外であったという。日本人の「不磨の大典」として扱うという民族的気質は、西欧諸国には予測が出来なかったのだろうとある。また、第96条の改憲の手続きが難し過ぎるということもあるようだ。
 それにしても、第9条の「自衛のための軍もNO」という徹底した平和主義については、戦勝国側もたいそう気にしていたようで、制定後の80年代に「安保ただ乗り論」という批判も出たというから、双方のすれ違いはかなりのものだ。「平和はただではない」というここが、水面下でどのように扱われているのか知らないが。
 余談であるが、日本国憲法の制定に最も異を唱えたのは、今は護憲派の共産党であったというから、歴史というのは全く難しい。


 
H30.11.07(2018.11.07)
 海の1ページの組み方について、委員に提案し、意見を求めているが、なかなか出てこない。このままだと、次の案を出さねばならないことにもなりかねず、参考までに他誌の「字数、行数、フォント」などを調べてみた。
 感じたところでは、「詰め込み過ぎないページ作り」をやっている誌が多く、改めて驚いた次第である。もちろん、なにも他誌に合わせるというのが本意ではないが。このところの感想の端々から、「海の読みにくさ」ということが感じられてならない。もっとも、そこは内容による、というのが大前提であるが。
 日本文学振興会へは、所定の作品の推薦を行った。


 
H30.11.06(2018.11.06)
 海原稿の受付を行っており、郵送による投稿予定者に、締切日などの案内を行った。なお、海の通帳の1冊目がオーバーするので、通帳の更新を行った。
 追加頒布希望の有無などについて、連絡があった。


 
H30.11.05(2018.11.05)
 海原稿の受付を行っており、校正が戻りつつある。まだ原稿の出ていない同人(郵送連絡の人)には、明日あたりの郵便受けを確認し、受付中の連絡をしたい。
 現在の1ページ(特に、小説、エッセイ)の組み方では、「字が詰まりすぎて、窮屈だ」「威圧感を感じ、入って行きづらい」などという感想が多く寄せられてきた。これがいつも頭の隅にあり、過去の海と今とを見比べてみたら、さすがに以前の組み方の方にゆとりが感じられる。他誌の多くや商業誌も、ゆとりを持たせている。
 この組み方を変えた理由は、経費の問題でやむを得なかったものであったが、この際「旧と現」のいずれにすべきかについて、メール回議を行った。


 
H30.11.04(2018.11.04)
 海原稿の受付を行っており、割付原稿を作成して作者に校正を依頼。依頼に当たっては、一応大まかに目を通し、字句のあたりに注意をしている。
 校正が完成したら、これまた入念に体裁から字句までを読み通している。


 
H30.11.03(2018.11.03)
 海原稿の受付を行っているとのメールを、関係者に送った。郵送が必要な分は、数日後に送る予定である。
 「教科書が絶対教えない東京裁判」(吉本貞昭著)を読了した。この1冊だけで裁判の全貌が見える筈もないが、米英中ソなどの思惑や、戦勝国が敗戦国を裁くという、恐らくバランスを失した内容であったことには違いはなかろうと思われる。
 引き続き、「知られざる日本国憲法の正体」(吉本貞昭著)を読んでいるが、同じ著者の作だけに、こちらが前のめりになってはダメだと思っている。
 手元には、これらの関係の本が幾冊も集まっている。


 
H30.11.02(2018.11.02)
 海原稿が入ったので、割り付けて校正を依頼した。
 昨日割り付けた原稿は、レターパックで発送した。ここまでで、約115ページといったところか。今号はどの程度になるのか、予想がつけにくい。


 
H30.11.01(2018.11.01)
 今日からの海原稿の受付に供え、普段使用しているパソコンのディスクのクリーンアップを再度行い、フルスキャンを行った。その他、パソコン関連の機器の処理をし、準備を入念に行った。
 早速、CD原稿が入ったので割付を行い、イラストはスキャンを行い貼り付け、作者に郵送する準備が整った。


 
H30.10.31(2018.10.31)
 明日からの海原稿の受付に供え、普段使用しているパソコンのディスクのクリーンアップを行い、フルスキャンを行った。その他、家族の者が所有しているパソコンは同様の処理をし、タブレット、スマホ全部の安全も確認した。
 原稿受付にあっては、いつもこの手順を踏んでいる。
 海原稿は、今の時点で約100ページになっている。これから20日間、いやそれから冊子送付となる12月後半までの間、海一色になる。
 東京裁判などの本を読んでいる。


 
H30.10.30(2018.10.30)
 手元に読みたい本を積んでいるが、パソコンの作業が急ぐので、こちらを優先する。AI関係が世の問題として出てから、本当に忙しくなった。
 広く社会と繋がっており、躊躇が許されないからである。


 
H30.10.29(2018.10.29)
 手元の「靖国問題」(高橋哲哉)を読んでいるが、4冊の追加分が届いた。
 海の原稿が入ったので、印刷用の割り付けをし、校正を依頼した。
 最近、同人のアドレスを半ば利用した不審なメールが入ってくる。そのような指摘があったので、「不審なメールは開かないよう」に注意喚起した。原稿の受付を前に、わがパソコンのクリーンアップをし、フルスキャンをしたが。
 パソコンの方は何とか目処が付いたが、タブレットがどうなっているか調べている。わが手元になかったので、かなり乱暴に使っているが。iPadだからウィルスソフトはいらないとの説明を受けたりしたが、そんなものだろうか。パソコンなどは、何万という怪しいサイトへの接続を監視し除去しているのに、「アップルだから」ということで安心してよいものだろうか。このタブレット、7月にauを解約し、ワイファイに繋いでいるのだが。もともと、タブレットへのソフトのインストール、アンインストールの仕方から調べなければならない。


 
H30.10.28(2018.10.28)
 手元の「靖国問題」(高橋哲哉)の方を、まだ読んでいる。こちらは、靖国神社が政治や軍事や外交に利用されることでの、批判の内容となっているようだ。
 PCの方は、ディスクのクリーンアップを行った。


 
H30.10.27(2018.10.27)
 手元の「靖国問題」(高橋哲哉)の方を読んでいる。
 海の原稿が入ったので、印刷用の割り付けをし、作者に校正依頼をした。
 PCの方は、Google Chromeの相性がよくないようで、再度Fire foxをインストールした。Google Chromeを入れたら、途端にセキュリティ面が甘くなった感があり、怪しいメールなどが入り出したので、元に戻したという次第である。


 
H30.10.26(2018.10.26)
 手元の「ハル回顧録」(コーデル・ハル)、「靖国問題」(高橋哲哉)を広げかけたが、出かけていたこともあり、中途半端なままである。


 
H30.10.25(2018.10.25)
 手元の「日米戦争を起こしたのは誰か」を読了し、かなりの衝撃を受けた。
 子供の死亡→その直前の、おそらく初めての「靖国神社初詣」に発し、「2.26死亡」「池袋界隈を忌避していたこと」「湯河原温泉の奇妙な気に敏感だったこと」等々から、手繰っていくうちにこの本に出会ったのだが、興味を覚えたのでさらに次の本を手繰り寄せることにした。
 もっとも、子供と靖国神社とは何の関係もない。政治的思想や信条とかを口にしたこともなく、聞いたこともないので、もし何かの関わりがあるとすれば、「第六感として感じた波動が、偶然に子供の内なる気に感応した」のだったろうか、と考えられなくもない・・。
 子供のスマホに残る最期の写真(半日前)は、キリストの磔刑図の「顔出し写真」に笑顔で写っているものだったから、政治的なものではあろう筈もない・・。


 
H30.10.24(2018.10.24)
 手元の「日米戦争を起こしたのは誰か」を読む限り、「自由主義」と「共産主義」の戦い、「騙し会い」だということになるようである。
 第二次大戦の端緒である「ドイツのポーランド侵攻を、米英が阻み」、ロシアに援助することによってソ連が成り、日清、日露戦争で勢力を伸ばしつつあった日本に、米、英、ソ、(中)が「策謀をもって日米戦争を起こさせた」(真珠湾)ということから、ソ連、中国が結果的に力を持ったというふうに読める。
 何も、日本の教科書に書いてあることと違背するからということではなく、第二次大戦は「欲の絡み合い」「騙し合い」であり、結局共産主義国家を作り、伸張させたという結果が残ったことは間違いがない。それにしても、「歴史は策謀をもって、あったかのごとくに書かれる」ということも違いないようである。
 策謀の最たるものは、日本においては、「戦争責任」なるものが殊更にでっち上げられ、現行の9条なるものも、殊更に思い込まされているやに思われてならない。となると、例の戦犯の位置付けも、どうなるものだか。
 これらの結果、アメリカにも共産主義が入り、世界とりわけアジアにおける緊張は現在に至っている、ということができるのであるが。


 
H30.10.23(2018.10.23)
 手元に「日米戦争を起こしたのは誰か」「ハル回顧録」などがある。何をトチ狂って、ということにもなろうが、世の定説がいかに「捏造され」「政治利用され」ているかを思うに当たり、これにはこれの言い分があろうと読むことにした。
 何も急に右旋回した訳ではない。この現実が「どう決め付けられ」「どう恫喝されているか」の一端を、反対から見るのもよしと考えた次第。
 最近、綺麗ごとというものに「辟易」しているので、「口が達者で」「正義ぶって」「論理的なもの」に、違和感を抱くことがある。というより、「大きな声で」「大きな態度で」「勝ち組とか叫ぶものに」、一種の哀れささえ覚えることが多い。
 現世での「名誉」「地位」「権力」「力」「富」などを追うことはもっともなことであろうが、「そればかりではないぞ」という疑問が噴出してきた。
 右も左もない。「綺麗ごとを言う輩」「論理だてて言う輩」には、まず疑念を抱くことになった。そういうことの裏には「とんでもない嘘」や、「とんでもない罠」が仕掛けてあったりするからだ。
 まことに、心の貧しきものは幸いなり、である。


 
H30.10.22(2018.10.22)
 同人誌の感想もどきを書き、送った。
 PCの方、IEはスピードが遅いので、Google Chromeをインストールしてみた。あくまで既定はIEで、というところで。しばらく使っていたFire foxの調子が今一つなので、スマホと同じGoogle Chromeにしたという訳である。
 これがうまくいくかどうかはわからないが、ホームページを作成する関係上、既定ブラウザはやはりIEということにした。


 
H30.10.21(2018.10.21)
 メールの問い合わせに応じたり、ホームページの点検で終わった感あり。
 本が滞っているが、これから手にするつもり。同人誌は、気になった作品を読むに止めている。残念ながら、多くにはなかなか目が行かない。
 半年で50冊近く謹呈いただくが、お礼も滞ることになる。


 
H30.10.20(2018.10.20)
 PCの表示がよろしくないので、「有森・・」のホームページを、1日半かけて修正する。ホームページは、使用するブラウザによって見え方が違う。また、同じIEでもPCのバージョンによって見え方が違うということも知った。
 自分のPCでは正常に見えていても、他にはきちんと見えているのかどうか分からないというところが厄介である。10年ほど前からの作成方法できているから、いつの間にか罫線の中の表記や、レイアウトしたつもりのものがうまくいかなくなった、というのが今回の事例である。10年の間には、ホームページの作成方法も変わってきたのかもしれないし、そもそも今はブログを利用する例が多い。
 ひしゃげかけたホームページを眺めながら、10年の月日を考え、おいそれとリフォームするという訳にもいかないか、と妥協することにした。
 FFFTPもバージョンアップされているので、その作業も行った。


 H30.10.19(2018.10.19)
 PCの表示がよろしくないことに気付く。数日前、FC2にアップしたときから妙な具合になった。念のため、元データのINDEXから見ると、おかしくない。
 何が原因なのか。考えるだけで時間を過ごした。FFFTPを変えてみたりしたが。


 
H30.10.18(2018.10.18)
 高橋哲哉の「靖国問題」を読みかけたが、いったん閉じて海の資料作りをした。「受贈誌お礼」と「第20号の作品について」は今日の作業。
 その前には、「海へのことば」「第22号の発行について」等々、1冊に収める資料は出来るときに準備しておく必要がある。


 
H30.10.17(2018.10.17)
 茂木健一郎と南直哉の対談集「人は死ぬから生きられる」を読了。
 茂木氏の「志向性」「仮想」「偶有性」という言葉と、南氏の「業」「因果」「無記」「無常」「ヒューマニズムはない」「死のリアリティの方が強い」「生は幻想=迷い=執着」「破綻していても何とか生きられるようにする」「疑団が大切」などと、対話の要点のタイトルだけ書いてもよく分からないが、茂木氏の問いによる南氏との対話は、非常に難しく、答えが出てこない(出せない)というもの。
 分かったような気もするが、まるで分かっていないという方が本当のところ。形而上学的という言葉も当てはまりそうもない。禅問答中の禅問答のようであり、つまり「実体も幻もなく」・・というところで、終わりなのかと。これでは、永遠の「問い」をする「幻のような」何かを想像しろ、という・・これは何なのだ。


 
H30.10.16(2018.10.16)
 島田裕巳著「靖国神社」を読了。靖国神社が、当初は明治維新に関わった勤王の志士たちを祀るということから始まり、以降、明治、大正、昭和の幾多の戦争犠牲者を祀るようになり、最後は第二次大戦の戦没者を祀るようになったというおおまかな経緯は分かった。しかし、第二次大戦の死没者全てを祀るものではないこと、特にA、B、C級戦犯を合祀するようになったこと、そのすんなりとはいかなかった経緯などを知ることになった。それに、宗教(神道)施設とは言いきれないしばりがあることも。
 また、政争の具になり、中、韓、米国などの思惑の中で揺れてきたということも分かった。天皇の親拝が昭和50年11月以降はなされなくなり、首相の参拝も関係諸国の動きを抜きにしてはなされ得ず、常に憲法論議の対象となる「施設」であるということも分かった。現在、関係諸国の動きが緊迫している中、その嵐の中に揉まれ続けるであろうということも、おおまかに分かった。
 なんとも、やり切れない「政治色の濃い神社」であることか。
 なお、靖国神社を調べたくなったのは、子供が最後の年始(おそらく初めてだと思うが)に、参拝に行ったと記しているので・・。命日の「2.26」も、何か関わりがあるのではないだろうか考えた次第。池袋(巣鴨プリズン、霊園・・)はNOで、神楽坂のあたりは強い気の流れがあると、よく言っていたし、リノベーション成った湯河原温泉の旅館に感じるものがあるなどと言っていた。子供の没後、なぜか渡辺和子氏の書籍を某人から紹介された・・。こんなことは些事ではあるのだが。


 
H30.10.15(2018.10.15)
 一遍に本が溜まってしまい、TSUTAYAの100円也の本を読んでいたが、急に宮本輝の「幻の光」が読みたくなり、読了。やはり、よいものはよい。
 と言いながら、30数年前文芸教室の講師と「なぜ主人公が自殺したのかわかる・わからない」で意見を戦わしたことがあった。
 作者曰く「それ(小説)は忘我である。感動である。陶酔である。知的探究心とか、観念への埋没とかの欲求は、芸術の発生においては二次的なものであった・・」とある。これは、(日頃から、小説に懐疑的になっている私への)示唆であろうか。
 いうまでもなく、私は、宮本氏の初期の作品に強い感動を覚える身である。


 
H30.10.14(2018.10.14)
 昨日壱岐からの帰りに、TSUTAYAで1冊100円の本を11冊も買ってきたので、それを読んでいる。決して文学書は選んでいない。
 これらが読みたいんだから、仕方がない。いよいよ文学音痴が激しくなる。


 
H30.10.13(2018.10.13)
 壱岐への道中、全作家を読んでみたが、作品の半分には疑問符を付けた。周りが騒々しくて、よく入り込めなかったせいもある。

 根保氏が、10月12日の「文芸掲示板」に、同人誌の批評をすることでの説明というか、なぜ批評を行っているのかという「意味」について説明をされていますが、普段から、作者のために忌憚のない意見を出してくださっています。
 作者としては、作品の位置付けがどうあるのか、どうすればいいのだろうか、という貴重な意見として読ませていただいています。ありがたいことです。
 殊に、北海道地震の最中でありながらの、数々のご労苦に、感謝いたします。


 
H30.10.12(2018.10.12)
 全作家短編集を読み直し、ベスト3を選んだ(実際は5作)。確かに、半数はよい作品が収録されていると思う。よい作品も数編ある。
 しかし、この冊子を1,800円+税で販売するには、かなり無理があるのではないだろうか。せめて、1,200円、できれば800円あたりではないだろうか。もっとも、値段の問題ではなく、これを「全作家短編集」と銘打つことが疑問である。
 もっと言えば、内容はともかくとして、誤字、脱字が目に付くというあたりで、萎縮してしまうのである。


 
H30.10.11(2018.10.11)
 全作家の会員としてのノルマ、短編集のベスト3を選ばねばならない。順位は固まっているのだが、提出するとなれば全体に目を通さねばならない。
 抽出して読んでいたのではあったが。


 
H30.10.10(2018.10.10)
 久しぶりに獏に行く。以前からの井本氏との話を延ばしてきたためだ。
 特に話し合うことはない。従来どおり、海は続けていくことになろう。12月か、1月頃北海道を訪問してはどうか、という話も出た。


 
H30.10.09(2018.10.09)
 昨日から読み出した「もういちど会えたら」には、今考えていること、知りたいこと、疑問に思っていたことの120%が書かれている。そう思う。
 1998年初版だから、高かったものだと思われる。新刊では手に入らないし、中古となると定価をゆうに超えてしまう。ありがたいことである。


 
H30.10.08(2018.10.08)
 恵与いただいた「もういちど会えたら」(全米ベストセラー)という本を読んでいる。もちろん、この世と、あの世を繋ぐ話だ。
 最近、こういう本ばかり読んでいる。・・どんどん、この世の「狡猾な人間関係」「温かい人間関係」という小説作品から、離れて行く。


 
H30.10.07(2018.10.07)
 郵送校正依頼分を送付した。
 全作家の方に向くこと、これがいいのかもしれない。


 
H30.10.06(2018.10.06)
 全作家第111号が送られてきた。
 全作家あてに、関連する一連のハガキを送った。


 
H30.10.05(2018.10.05)
 全作家へ、掌編を提出した。何にも出ないと思っていたが、ひねり出せば書けないことはない。とは言え、内容が偏り過ぎている。
 自由な発想を膨らませ、筆に流れをまかせるというこれまでの手法が戻ることはあるのだろうか。いや、そのその手法はよくないとして、立ち止まっているのだろうか。いつか、再び新しい芽を育むことがあるのだろうか。


 
H30.10.04(2018.10.04)
 全作家の掌編を、ひととおり書いた。


 
H30.10.03(2018.10.03)
 原稿用紙やノートにびっしり書き込まれたW氏の作品を選び、割付原稿に打ち込んだ。現在3人の作品があり、これだけで約80ページになる。
 後は、全作家の掌編。読みかけの本、というところか。


 
H30.10.02(2018.10.02)
 海のホームページの更新などを行う。


 
H30.10.01(2018.10.01)
 寄せられた原稿の中、長編小説の割り付けをし、筆者に確認依頼をした。
 「もういちど会えたら」(全米大ベストセラー)という本をいただいた。今は、こういう心境にあり、体調の加減もあるが、酒も飲めない状態である。
 目の前の一つ一つを、つぶしていく。


 
H30.09.30(2018.09.30)
 寄せられた原稿の中、まず、絵の挿入が必要なエッセイの割付にかかった。
 何度もやるが、これが結構難しい。なんとか仕上げ、筆者に確認依頼をした。


 
H30.09.29(2018.09.29)
 リサ・ランドールの「ワープする宇宙」を読んでいることにしたい。
 海第21号(通巻第88号)の、わが原稿を整理している。
 寄せられた原稿の割付にもかかった。
 ところで、全作家の掌編にもかからねばならない。(以上、当分同じ、といきたいところだが、風邪にやられて殆ど休止状態にある)


 
H30.09.28(2018.09.28)
 リサ・ランドールの「ワープする宇宙」を読んでいることにしたい。
 海第21号(通巻第88号)の、わが原稿を整理している。
 寄せられた原稿の割付にもかかった。
 ところで、全作家の掌編にもかからねばならない。(以上、当分同じ)


 
H30.09.27(2018.09.27)
 リサ・ランドールの「ワープする宇宙」を読んでいることにしたい。
 海第21号(通巻第88号)の、わが原稿を整理している。
 寄せられた原稿の割付にもかかった。(以上、当分同じ)
 ところで、全作家の掌編にもかからねばならない。


 
H30.09.26(2018.09.26)
 リサ・ランドールの「ワープする宇宙」を読んでいることにしたい。
 海第21号(通巻第88号)の、わが原稿を整理している。
 寄せられた原稿の割付にもかかった。(以上、当分同じ)


 
H30.09.25(2018.09.25)
 リサ・ランドールの「ワープする宇宙」を読んでいることにしたい。
 海第21号(通巻第88号)の、わが原稿を整理している。
 寄せられた原稿の割付にもかかった。


 
H30.09.24(2018.09.24)
 リサ・ランドールの「ワープする宇宙」を読んでいることにしたい。
 海第21号(通巻第88号)の、わが原稿を整理している。


 
H30.09.23(2018.09.23)
 リサ・ランドールの「ワープする宇宙」を読んでいることにしたい。
 海第21号(通巻第88号)の、投稿案内(最終)を行った。


 
H30.09.22(2018.09.22)
 リサ・ランドールの「ワープする宇宙」を読んでいることにしたい。


 
H30.09.21(2018.09.21)
 先にリサ・ランドールの「異次元は存在する」を読んだが、難しい。しかし、何となく要点が掴めたような気がして、氏の「ワープする宇宙」に移っている。
 後者は600ページを越す大著。どこまでついて行けるやら。


 
H30.09.20(2018.09.20)
 青木新門氏の著書の中に(紹介として)出て来た作品のうち、「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」を読み終えた。この本は、かつてベストセラーとして本屋に積まれていたが、なぜかベストセラーというものに手が伸びないもので、今になって初めて読んだ。心に迫ってくる作品である。医師である作者の「余命がない」という悲痛の叫びともとれるが、「生きたい」という気持の向こうにみえる、「風景まで読み込んだ」作品だということを知った。感動した、というより形容する言葉はない。
 同じ青木氏の紹介による「ぼくと1ルピーの神様」は、はたしてどういう経緯での紹介であったか。これから手に取る予定である。


 
H30.09.19(2018.09.19)
 いつまでも、いつもいつも、「あの世の風」に吹かれてばかりもいられないので、溜めていた予約や整理などをする。
 この世の仕組みの方は「ああそうだった」、と思い出しながら、よくも複雑な決め事をこしらえたものだと改めて感心する・・なんて、間抜けな話。
 歩くときも、しっかりと山を見、色を見、店に入ればきちんと店の人に尋ね、レジに行くという・・これもかなり新鮮に映るという具合。
 視野が広がったのか、狭まったのか、ここはよくわからない。ものごとを見る目が変わったということだけは、言えると思うが。


 
H30.09.18(2018.09.18)
 子供のスマホの最期の写真に「顔出し写真」があり、それが何ということか、「キリストの磔刑図からの顔出し」で、「胸には2本の矢を受け」ながら、「はっきりと微笑んでいる」のである。虚血性心疾患で死去する、わずか半日前に・・。これは何を意味するのだろう。自身のうちの何かが先行きを感知したのだったか。
 それとも、「約束の時間になったよ」という迎えが、ふいに来たのだろうか。このことで、今思えるのは子供は「かぐや姫」だったのかもしれないと。

 子供がこうなって、人生観が変わった。これまで考えては止め、考えては止めしていたことが、一遍にわが現実になった。
 どういうことかというと、「現実と言われるこの世界が、幻のように見え、感じられ」「この世の地位、職位、財、しくみまでが空しく」思われ出した。この傾向は、私には昔からあったのだが、「騙、憎、呪、感動、正論、評価、業績」などというもろもろが、ふいに疑われ、ぐらつき始めた。「たかが人間50年、100年、3000年の出来事ではないか」という思いが、表に出て来たのだ。「偉い、偉くない」という価値観も一挙に飛び、「歴史上の偉業なるもの」にも怪しさ、空しさを感じ出した。
 生まれてすぐに死ぬ者、病気がちな者、戦や事故で死んだ者、うだつがあがらないままの者、他を利用するだけして生きている者、偉大だと言われる業績をあげた者、巨万の富を築いた者等々、「たかだか50年〜80年」でどうしてこんな開きが出来るのだろう。科学では「偶然」というワードで説明を始め、後説で「運」などと言う。
 しかし、それでは何も見えてこないのだ。
 まして、生きとし生けるものは、全て「死」というものから逃れることは出来ない。これをどう捉えるか、これは大問題だ。どんな医療や宗教の手を借りようとも、まともに答えてくれるものはない(と思う)。

 しかし、内容はどうであれ生は現実にあり、死も確実にある。
 今、わが子供は「一人で死の中に入り」込んだ。世間的に言えば、程度の差はあれ「孤独死」「突然死」「若年死」という類で。私も、この形は予想だにしなかった。「人がこうも簡単に死ぬ」などとは、思いもしなかった。まるで、電車の「停車駅を、うっかりと間違えてしまった」とでもいう態で。
 子供と意思を通わそうとした。しかし、「あの世に」渡ってしまったからには、言葉も交わせず、気配も見えない。この間の稀な出来事を挙げるならば、「夢の中にイメージとして現れた」「私の胸中を苦しめた(脂汗が出るほどに)」「実際、携帯を鳴らした」「この世の様を、二人で空中から俯瞰した」ということはあったが、49日を過ぎてからはまるで何もない。「穏やかな波動が漂ってくる」という具合である。
 
 現実的には、「子供に先立たれた親」という何とも切なく、無念な気持に押しつぶされそうになるのだが、ある瞬間には「いい奴だった」「立派に生きてくれた」という思いになり、「親に教えるために来てくれてたんだ」という思いになる。何を教えてくれるのかというと、「こっちは平和だから、安心しなよ」「また会おうよ」というものであり、「泣き言なんか言わずに頑張るんだ」「しっかり生きろよ」というものであり、「この世とあの世は、ごく間近で結ばれている」と感じることである。
 子供のライフスタイルだった「争わず」「穏やかに」「笑顔で」ということを、一応親であった筈の私たちに、「教え諭し」てくれているように思われてならない。

 矢作直樹氏、青木新門氏らの著作を読むなかで、こういうことに思い当たった。なお、これらの著作は、アマゾンで検索し、これと思うものを購入している。


 
H30.09.17(2018.09.17)
 どこかに書いたかもしれないが、子供は「かぐや姫」ではなかっただろうかと、思うことがある。自分たちに「生き方」「死に方」を示すために生まれ、その期間が至ったら瞬時に、元いた世界に帰ってしまった・・。
 死ぬ(肉体から離れる)ことを自覚してはいなかったと思われるが、周囲との調和を心掛け、友だちにも恵まれ、職場の決算もこなし、一段落したその代休中のことだった。親(母親)には約1ヶ月前に会い、3度の食事を楽しんだという。
 本人のスマホなどを今紐解いてみれば、その半年前頃から、気功を始め、他の友人たちが見えない「気」の流れを見ることができるといい、パワーを感じていたらしい。もともと感受性が鋭く、神楽坂近辺の気の流れに興味をもち、リノベーションした家屋の「元の気」などをも感じたらしい。
 前夜(29年2月25日・土)、23:33発信のラインが最期の記録(絶筆)になっている。内容は「パンケーキ以外にもフレンチトースト、エッグベネディクトもパフェも好きです。食べ物で、好き嫌いはないですよ! お寿司も中華もタイ料理も好きですよー 笑」というたわいもないもの。
 翌日(29年2月26日・日)、11:28受信のラインに応答しないことから、不在着信が無数に入り、騒ぎが始まる。(この間に死亡。鑑識は2月26日死亡としている)
 2月24日〜27日は代休を含めた休みとなっていたため、28日(火)に出勤しないことで会社の上司がアパートを訪ね、アパートの鍵は家族の了解がないと開けられないということで、11時頃電話があった。→16時過ぎ、牛込署から電話が・・。
(中略)
 子供の顔は「晴れ晴れしていた」と、今になって思う次第。青木氏の著書を読んでいて、子供は「今回の役目を、無事に終えたんだ」と思うこと・・。

 青木氏の著書の方は「いのちの旅」に移ったが、深く考えさせられることばかりである。人間、その意味、宇宙、極微、宗教観等々と際限もなく続いていく。


 
H30.09.16(2018.09.16)
 何気なく読み出した「納棺夫日記」(青木新門著)が、すばらしい。
 全部読んではいないので感想を書くには早いが、「どうして死体に接するようになったのか」から書き起こし、「人間はどこから来たのか、どこへいくのか、何なのか」との問いを発し、「人間存在とは」「生死とは」「科学的見地から」「宗教的見地から」「文学的見地から」といった内容で迫る、実に深みのある本である。
 映画「おくりびと」の元になった本だそうで、なるほどと思った。


 
H30.09.15(2018.09.15)
 この世にいるのか、あの世にいるのか、分からない加減で目が覚め、キツイ。矢作氏の本の読み過ぎには違いない。自分の思いも、矢作氏に同じである。
 よく眠れていない。午前中に眠気がきて、夜9時過ぎると猛烈に眠くなる。それが、朝方の2時だか3時だかに目覚め、目が冴えてくる。
 納棺夫の本を読んでいる。東京での納棺は、若い女性がきてくれ、自然な仕上がりにしてくれた。こちらは、ぼんやり眺めているだけだったが。
 通夜、お別れ会は観音寺。焼き場は代々幡斎場だった・・。


 
H30.09.14(2018.09.14)
 海の打ち合わせをする予定だったが、関係者のご家族も風邪具合が悪いとのこと。私の方もかなり苦しい状態だったので、日延べをしてもらった。
 最近、同人誌の発行人となっていることが苦しくなった。文学オンチが10年も厚かましくやってきたが、表に顔を出していることが辛くなった。
 1作業人として参画するのであれば問題はないのだが。第一、最近どれが優れた作品であるのかが分からなくなった。それは、存在するかたち(現在「この世とあの世の中間にいる状態」のようであるので)との関係が大きいのだと思う。
 現実の「真、善、美」などという価値観に、大きなズレが生じてきた。これまで「知識、学識、地位、職位、業績」などに、それなりに納得したり、求めようともしてきたが、どうもそこらあたりが曖昧になったり、欠落してしまったらしい。


 
H30.09.13(2018.09.13)
 海のホームページの更新をする。
 この歳になり、ますます「知らないことの何と多いことか」「分からないことの何と多いことか」「何も分かっちゃいない」と思うことの多いこと・・。
 片っ端から忘れるというより、元々何も分かっちゃいないと思う。
 そんな者の書くこと。デタラメもいいところ、と言ってしまっては「書かれたことやものに失礼」に当たるのかもしれない。
 しかし、ショパンのデスマスクのあの「絶望」「悲しみ」も分かる。天才と謳われたショパンの、何と悲しい最期の表情なのだろう。39歳の老爺とでもいうべき・・。


 
H30.09.12(2018.09.12)
 文芸をやるのなら、やはり「芸」の域を目指さねばならない。
 しかし、いまだに芸の域というものがよくわからないでいる。


 
H30.09.11(2018.09.11)
 いくら小さな同人誌だとはいえ、大切なのはリーダーだ。
 編集作業員としての役目は負うが、早くリーダーの資質のある人が現れてほしい。それが意欲にも、評価にもつながる。
 つけ刃の、なまくらリーダーでは、心許ない。
一人で役どころの全てを抱えていると、権力ともとられかねないし、第一マンネリに陥ってしまう。これが、リーダー待望の所以である。
 海20号は資料集であり、肝心の作品には見るものがなかった。


 
H30.09.10(2018.09.10)
 詩は、全体で違うことを言おうとしているのだが、これではダメのようだ。なにしろ、「詩には挫折」している。
 散文も、書いていることの行間に意味を持たせようとしているのだが、今はそれを「グサリ」と書けない事情がある。
 言い訳はできないのだが、今はそれ以上のことができない。
 矢作直樹氏の関連で、渡辺和子氏「目に見えないけれど、大切なもの」「愛をこめて生きる」、青木新門氏の「納棺夫日記」「いのちの旅」、リサ・ランドール氏の「ワープする宇宙」「異次元は存在する」などが机上にある。
 矢作氏のは、10冊ぐらいあるだろう。
 考えてみれば、どれもこれも文芸書ではない。こういうところが問題か。


 
H30.09.09(2018.09.09)
 海の次号分の、作品を見返した。まだまだ・・のようだ。


 
H30.09.08(2018.09.08)
 考えてみたら、スピリチュアル関係の本などには夢中になってはきたが、文芸面の方は俳句や短歌を主に(自己流で)やってきた。
 明治以降の文豪と言われる作家の作品など、まともに読んでいないし、外国文学となると、もうお寒い話である。
 それが、なにかの間違いで1同人誌を預かっているというのだから、ミスキャストもはなはだしい。ましてや、作品を売ろうなどと考えたこともない。わが作品など、売れる訳もない。なにがしかのストーリーにまぶしてはいるが、ストーリーと自分の考える主題とが異なるため、妙なものになっている。
 これは、考えなければならない。自分が読んでも、なにが言いたいものであるのだろう、というぐらいの妙な方向に筆の勢いで進んでいる。
 文章作法で言う「人間を書く」には、まるで当てはまっていない。

 18歳時(52年前)の9月8日は、佐世保で一人、盲腸の手術を受けた。
 9月7日の晩の苦しみといったらなかった。あまりの痛さと苦しさに悶絶し、「魂」が抜け出し、佐世保の夜の空にぐんぐん昇り、夜の佐世保湾を、自分が寝ているであろう宿舎の青い屋根を眺め下ろしていた。
 9月8日は普段15分で歩ける距離を、途中何度も道端に蹲りながら、1時間以上かけて外科医院まで歩いた。4時間を要した手術中、1時間で麻酔が切れ、たたみかけてくる痛みに「魂」が飛び、手術台に寝かされている自分を見下ろし、医院の屋根を突き抜けて佐世保の昼の空に昇っていた。真夏の暑さの陽光が照る中を。


 
H30.09.07(2018.09.07)
 4時から矢作直樹氏の本を読み出し、今日で2冊目を終わろうとしている。矢作氏の本は何冊目になるだろうか。
 こういう大きな災害発生の際、小説なんて読んでいられない。作りものだし、切迫感がない。これは、子供を喪った頃からの感情でもある。
 生、死、この世、あの世、といった次元のものしか受け付けない。


 
H30.09.06(2018.09.06)
 北海道で震度7(当初は6強)。知ったのは、発生後およそ1時間後だった。妙に神経にサワルものがあり、テレビをつけた。「苫小牧は?」という焦る思いのまま、5時半頃に高岡さんに電話を入れた。「身体的には、大丈夫ですよ」との返事のなんと嬉しかったことか。しかし、その他を尋ねる勇気はなかった。家の中の片付けや、跡のもろもろのことが、どれだけたいへんだろうかと、思いを残したままで・・。
 2年前は、上水さんが2度の震度7に遭っている。そのときには、問い合わせをする勇気も出なかった。近場なのに、行くことも出来なかった・・。
 こういうときは、ことばは役にたたない。言葉がみつからない。
 最近、矢作直樹氏と佐藤愛子氏を読んでいたが、作家である佐藤愛子氏の作品の虚構というか、ふざけ加減に腹が立ってきた。
 小説などは、こういう場面では「嘘八百」の「不誠実」なものに思われ、同じことを行っている自らにも腹立たしさが募ってきた。


 
H30.09.05(2018.09.05)
 矢作直樹氏、佐藤愛子氏を読んでいる。この世とあの世が重なり合い、人生観がかなり変わった。現世のことが希薄に見えている。
 これでは、文芸が(とりわけ文学から)遠ざかってしまう。


 
H30.09.04(2018.09.04)
 海第二期の今後について、近く話し合いをもつことにした


 
H30.09.03(2018.09.03)
 人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり
 人の世の50年間は天界の時間と比すれば夢幻のように儚いものだ、といった意味のことば。幸若舞「敦盛」の一節。織田信長に関連付けられるこの一節の意味に、今日はずい分考えさせられた。
 海第二期を形の上では「発行人」として出しているが、最近、特に子供のことがあってから、「現実的な生き方、描き方」についていけなくなり、ならば、海二期もこのままの体制であれば、次号で「終刊」にした方がよくはないかと考えるに至った。これらは、もともとわが内なるもの、すなわち「全てが終わる、必ず終わる」という「現実の世界が終わる」という生まれもった感覚が表に出たという次第。
 これまでに雑多に読んできたスピリチュアリズム関係の考えが頭をもたげ、矢作直樹氏の考えで前に出てきたものと考えられる。
 人の世は儚く、夢幻の如く、という感覚は確か幼時にもっていた。繰り返し繰り返し、夢を見たものだった。それが「文芸に繋がる」と思っていたが、どうも「通常の文芸はひどく現実的」だと思う。芥川でも、鴎外などでも・・。
 だから、現世に強くない、というか現世の事々が陽炎のごとくに見えるというもの。決して、わが固有のものなんかではない。


 
H30.09.02(2018.09.02)
 矢作直樹氏の本の2冊目ほかを読んでいる。人間は、必ず肉体を脱ぎ捨て=死に(内なる魂が肉体を出て霊になる)、戻るべきところに戻ることになる。
 よって、肉体からは去ることになるが、人間の本体は消滅しない。


 
H30.09.01(2018.09.01)
 矢作直樹氏の本の2冊目ほかを読んでいる。頷かされることが多い。


 
H30.08.31(2018.08.31)
 矢作直樹氏の本の2冊目を読んでいる。頷かされることが多い。


 
H30.08.30(2018.08.30)
 詩の方、俳句の方を見直した。
 矢作直樹氏の本の2冊目を読んでいる。頷かされることが多い。


 
H30.08.29(2018.08.29)
 詩の方は一応の完成をみたとして、しばらく寝せておきたい。
 矢作直樹氏の書をアマゾンで求め、1冊は読んでしまった。肉体が魂をもてば人間になり、肉体から魂が離れれば死といい、肉体を離れた魂は霊というという矢作氏の説は、非常に判り易い。霊はわれわれと同じ場所に住み、消滅することはないという説にも、頷きたいものだ。また、寿命は決まったものであるという。
 よって、医療により寿命を延ばすものではないということも。


 
H30.08.28(2018.08.28)
 詩の方のまとめをしている。詩のリズムにはなかなかなれないが、修行。
 A=B+Cとかではなく、A=α+βなどとやらねばらならいのだろうか。散文のように、理屈で運ぶことなく。難しい。
 やはり、説明になってしまう。比喩、暗喩の生かし方で飛躍に導く。こういうふうにもっていく、ということなのだろうか。


 
H30.08.27(2018.08.27)
 30枚の方をなんとかしてまとめ、送付した。こうやって、一つのことを終わらせていかないと、伸びきったそうめんみたいになりかねない。
 中身には未練はあるが、今出来ることはここまで。足るを知るである。


 
H30.08.26(2018.08.26)
 30枚の方をなんとか規定枚数に収めた。内容は、あと数回見なければ。


 
H30.08.25(2018.08.25)
 30枚の方をなんとかしようとしている。(昨日と同じ・・・)


 
H30.08.24(2018.08.24)
 30枚の方をなんとかしようとしている。


 
H30.08.23(2018.08.23)
 夜中殆ど眠れなかったのに、なんとかもっている。
 西日本詩時評に、海の作品が紹介された。久しぶりである。掲載された写真も、初めて見るもので、海の同人とはいえあまりにメンバーを知らなさ過ぎる。
 海第88号の自作の準備はおおまかに目鼻をつけたが、30枚ぐらいまとめて1作ぐらい投稿してみようかという加減である。


 
H30.08.22(2018.08.22)
 一念発起。全作家からの問いかけに対する私見を書き、送った。
 この2年、全作家には出席していないので「的外れ」を覚悟で、一応書いた。書いた後で、言わずもがなのことだったのではないか、と反省する。
 この時期、仲間の増の方策があるのだろうか。仲間が減っていくと、活気にも翳りが出るし、経費も苦しくなる。
 中央の同人誌の元締めである全作家も、海と同じ悩みを抱えているという。


 
H30.08.21(2018.08.21)
 暑過ぎる。暑さを言い訳にしたいのではないが、これは危険な域だ。
 世界中のことはよく知らないが、カリフォルニアの山火事が鎮火したとは聞かないし、あちこちで地震や洪水が多発しているらしい。
 核を減らすという話はあったが、これも減る気配はなさそうだ。
 こんなときに文芸なんぞ、と皮肉られたりするが、遊びにも命がけのものがあり、人間の究極に迫る美や感動があったりする。もちろん、文芸もその域である。
 全作家から、運用についての意見が求められているが、意見なるものがそう簡単に纏まる気配もないし・・・。


 
H30.08.20(2018.08.20)
 文芸といえば「遊びだろう」と、昔も今も言われる。そうだろうと思う。
 では、現世に「遊びではないもの」があるというのだろうか。職場での指揮命令も、いじめだパワハラだなどと言えば、当たらないでもない。
 人間「遊びがないと、なんのためのニンゲンか」とも言いたくなる。たいてい、他人がやっていることは「遊び」であり、「くだらない」ものであると見えるだろう。
 そんなマジメ風ニンゲンが考えること、「それもおおいなるジマンという遊び」であるのかもしれないではないか。
 人間はなにをするために生まれてきたのかと言えば、「遊びをするため」と言った方がだいたいにおいてよいのではないだろうか。
 詳しい説明にならないのは、こちらの芸のなさ故であるのだが。


 
H30.08.19(2018.08.19)
 このページは、文芸という狭いことについて書くことにしていた。それが、なにやら「自分が分かってもいないもの」を書いたり、報告したりするようになった。
 もともと、多くのものの1つに過ぎない「文芸」という、「それも自身でもよくわからないこと」をもの知り気に書いていることに、疲れてきた。
 もう「他からの批評」などに怯えることもないだろう。「分からなきゃ、分からないままを書く」ばかりだ。
 芸術はクレイジーなものだし、文芸も芸術の域だ。
 最近、もの知り顔に作ることも、ウケを狙うことにもうんざりするようになった。要は、自分の「オンリーワン」が描けるよう心がけたい。


 
はい0809(2018.08.09)
 詩の方は、詩のリズムになるまで待ちます。
 俳句は、20句への絞り込みを行います。


 
まず0808(2018.08.08)
 詩に挑戦してみたいと思います。詩は20代に挫折したものですが、全くの自己流で続けてきました。もともと詩には、特別な才能が必要だと思います。
 最近の詩の難しさには、太刀打ちできません。理屈ではないですね、詩は。しかも、いくら詩を読み込んでも、滋養になってくれません。
 もともと挫折したものですから、種も芽もないのでしょう。とはいえ、読ませてもらうのは好きですし、詩的表現というものが好きですから、ここも恥を書くつもりでやっております。イメージが、はじけて、飛んでいかない・・のです。


 
また0807(2018.08.07)
 駄句30句ほどを並べ、少し手直しをしています。
 ゆくゆくは、20句に絞る予定です。


 
さて0806(2018.08.06)
 駄句を10句ほど、また加えました。


 
さあ0805(2018.08.05)
 駄句を10句ほど、加えました。


 
ええ0804(2018.08.04)
 小説の未完成分のうち、1作を一応終えました。


 
えと0803(2018.08.03)
 部屋に居ても、暑さが窓ガラスを通してきます。
 小説の未完成分、ダラダラとやっています。


 
それ0802(2018.08.02)
 詩と句の間に、小説の未完成分4編を完成させようかと思っています。


 
はい0801(2018.08.01)
 俳句のカケラに、詩のカケラを少々書いてみました。が、浮かばないというか、言葉が落ちてこないときは、まるで進展がありません。
 俳句や詩を舐めてはいけないことは、承知しておりますが。


 まず0731(2018.07.31)
 俳句のカケラに、詩のカケラを少々書いてみました。


 
また0730(2018.07.30)
 俳句、俳句・・・と言うは易し、実行は難しというところです。


 
さて0729(2018.07.29)
 台風の方は、当地では思いの外影響がなかったようです。
 しかし、午前中にQBカットに行くつもりが見送らざるを得ない空気になり、文芸の方も一向に進む気配が見えません。
 海についての問い合わせが来たので、答えました。


 
さあ0728(2018.07.28)
 短い小説、ひととおり終わりましたが、これではねえ、というところです。3月のあいだに、なんとかしましょう。
 詩と俳句、に掛かりたいと思います。


 
ええ0727(2018.07.27)
 まず、小説から取り掛かりました。なかなか進みませんが。


 
えと0726(2018.07.26)
 海ホームページに、受贈誌などの書き込みをしました。
 次号向けに、短い作品でもと、旧作の中から選って割付を始めました。最近、小説が冴えない方向の作品ばかりになっている傾向があり、少し趣向を変えてみようかと思っています。とは言え、新規作品が成るならそちらを選びたいと思いますが、旧作の中で未発表の作品を、まず完成させてみてからという手順です。
 次号以降の、わが方針ですが、小説の方はこれから考えることにして、詩と俳句の方には力を入れてみようと思います。


 
それ0725(2018.07.25)
 全作家短編集を読み、詩と眞実などを読みました。
 まだ、書く方向に至らないのはなぜだろう、と考えています。


 
はい0724(2018.07.24)
 海ホームペーの微修正の方は結局うまくいかず、「海のアルバム」という新メニューは諦めました。新聞記事のPDFは、ホームページには載せられないのですか?
 最初、ホームページ貸しの「1G」を超えたタメではないだろうかと、調べてみましたが、8bit=1byte 、 1000byte=1MB 、 1000MB=1GBということであり、「95000byte=95MB」ということらしいので、オーバーはしていなのだと確認しました。


 
まず0723(2018.07.23)
 一念発起、海ホームページの微修正を行いました。この暑さのせいか、データのリンクがうまくいかず、汗だくだくです。
 途中で激しい雷雨になりましたが、埼玉、東京、岐阜、群馬を中心に猛烈な暑さとなり、4地点で40度越え。「41.1度という5年ぶりの最高記録更新」だということです。


 
また0722(2018.07.22)
 全作家短編集第17巻の、作品の数編を読みました。


 
さて0721(2018.07.21)
 全作家掲載の作品を読みます。
 全作家短編集17が届きました。


 
さあ0720(2018.07.20)
 全国2位の暑さの中、朦朧としながらもいただいた本を読んでいます。が、なかなか根が続きません。
 海送付希望とのメールが入り、送付しました。


 
ええ0719(2018.07.19)
 子供を亡くした喪失感を引き摺りながら、こうも豪雨、猛暑などと続く外部の環境や状況の変化に心が弱くなり、文芸にも今一つ乗れないでいます。
 この世の全てが、実体のない幻のように見えてしまいます。


 
えと0718(2018.07.18)
 文芸は休憩中です。


 
それ0717(2018.07.17)
 お礼状を書き上げ、投函しました。道筋の暑いことです。


 
はい0716(2018.07.16)
 恵与いただいた本を読み、お礼状を書きます。数冊溜まっているので、少々時間をかける必要があります。恵与いただくこと、ありがたいことだと思います。
 よって、それらの本の方に向き合っています。
 海のホームページの整備は、その後時間を見付けて行います。


 
まず0715(2018.07.15)
 母のペースメーカーが耐用10年になったので、今後どうするかということですが、子供としては「取り替えてほしい」という意見しか言える筈もなく、要は当人が望むかどうかということにしかならないと思うのです。
 思えば、20代の頃から「キツイ」「辛い」と言い続けて、今日に至っています。その間は、「子供たちが親の傍に付いていないと『他人から嗤われる』」という論法で、子供たちの伸びようとする芽をことごとく奪ってきたのですが、考えるに、「自分に従わない」ということが「他人から嗤われる」という意味に結ばれるのですから、何かしっくりこないものがあります。せめて、「自分は大丈夫だから存分に羽ばたきなさい」という母性からくる一言が欲しかった、と今も切に思うのですが・・・。


 
また0714(2018.07.14)
 暑さでボーっとしてくるのですが、寄贈いただいた本が数冊あり、その方を中心に、そして三浦作品をあれこれ読んでいます。
 私など、同人誌関係の方が書かれた作品や、出版された作品の方が直に胸に飛び込んでくるのですが、思うに商業出版された本(三浦作品などを除く)には、「上手いだろう」といわんとするところが透けて見え、そこに抵抗を覚えるからではないかと思うこのです。つまり、「商魂」が透けて見えるということでしょうか。


 
さて0713(2018.07.13)
 三浦綾子作品を読んでいます。


 
さあ0712(2018.07.12)
 古くからの知人(親戚)から、「松本は頭のよい家系で、それぞれの行動も自由で、伸び伸びとしていましたよ」という言葉を聞いて、幼い頃、盆正月に家に集ってきていた面々のことを思い出しました。
 確かにそうだった。個性に溢れ、自由を謳歌していた人々が集っていました。それは、現在の「縮みようとは対極にある」のですから、説明がつきません。
 かつて、自由に羽ばたいていた(羽ばたき過ぎていたのかも知れませんが)人々が欠けるにつれ、「ねばならない」「嗤われてはならない」という強い考えが入り、今も自分らを縛り付けて離さないのは、なぜでしょう。
 ここには、「偽善」と「見栄」が大きく羽ばたく考えが、悲しいまでに浸透し、マインドコントロールが生きています。残念ながら。
 言うなれば、「母性の欠如」というDNAが入ってきたのでしょう。言い換えれば、「子供の家畜化」ということにほかならないでしょう。


 
ええ0711(2018.07.11)
 パソコントラブルの間、画面を気にしながら、軽い読み物をと探し、辻仁成の「そこに僕はいた」を眺めました。
 気が散るので眺めた程度ですが、彼の子供時代から青年期のことまでが自由奔放に書かれてあり、印象に残りました。
 ただ、自分はこんな自由な時期は過ごしてこなかったな、という悔恨も交えてですが。第一、親が子供を支配しようとすること自体、思い違いであり、冒涜であり(とこれは彼のことではありませんが)、悲しいことですね。


 
えと0710(2018.07.10)
 何日も放っていた塩狩峠を読み終えました。私の向かうべきは、ここまでの求道心はもたないものの「ここだ」と感じました。
 三浦綾子さんの作品を多く読みながら、この方向の作品を書いていません。なぜだろう、と考えるばかりです。私に中身がない、ということが最大の原因でしょうが、これからは自分の心に対する「偽りの作品は書かない」としないと、時間がありません。
 それに、直ちに進路を変え得るか、ということもあります。努力したいと思います。亡くなった子供のためにも、向かわねばなりません。
 子供は、磔刑図の顔出し写真を最後に、突然に逝ったのでした。


 
それ0709(2018.07.09)
 今日もまた、落ち着かない日を過ごしてしまいました。


 
はい0708(2018.07.08)
 今日もまた、落ち着かない日を過ごしてしまいました。 


 
まず0707(2018.07.07)
 少し落ち着きましょう。まず、塩狩峠を読み切りたいです。


 
また0706(2018.07.06)
 激しい降雨で、携帯の警報・連絡が頻繁に鳴ります。
 既に洪水や、土砂災害が起きており、交通も大方止まっています。という状況が28日までは続くそうで、発生した台風8号の影響も考えると、当分この大降雨による大きな被災の恐れと、交通の乱れなども考慮し、7月8日に予定していた海の「懇談会(編集委員会)」は中止せざるを得ない状態になりました。
 よって、中止の旨のメールを送信しました。


 
さて0705(2018.07.05)
 というところで、文芸の方に目を向けねばならないのですが、台風だったり、大雨だったりと、雑用に追われ遠ざかっています。
 塩狩峠は読み掛けたまま、ページを閉じていました。


 
さあ0704(2018.07.04)
 6月25日に海第20号の会計報告を作成・送付しましたが、以降7月3日までに、質問等はなかったので、報告のとおり了承をいただいたものとして扱わせていただきますとのメールを出し、ようやく1号が終わりました。
 次号には、論文が出ればいいなとの思いがあります。

 
ええ0703(2018.07.03)
 台風の直撃(に近い)を受け、いろんなことが手につきません。
 風の音は、凄いものです。これでも、現在まだ平戸付近だといいますから。


 
えと0702(2018.07.02)
 しばらく、読むことに専念します。三浦綾子さんの作品を中心に、再読してみたいと思います。詩や俳句は、心掛けて書き付けていきたいものです。
 小説も、どこか一つぐらいには投稿したいものだと思います。


 
それ0701(2018.07.01)
 交流掲示板のパスワードを変更しました。1年に1回、この時期に変更します。
 WIN10機種を持つことになり、初めて海のホームページをみたら、「なんと、文字が暴れて」います。ええ、WIN7では気付かなかった「表記の不揃い」「文字の浮遊化」が見られます。これでは、「ホームページを見てください」という表現を至るところにしていたのですが、「この汚いホームページを見てください」という案内をしているようなものです。いくら素人の作品だとはいえ・・・。
 少し手直しをしてみましたが、本当にまともなものになったかどうかはわからないでいます。なにしろ、HTML言語のことなど知らないままに作ってきたのですから、「汗!」です。ただ、古い「ホームページビルダー」なるものを、「勝手に飛ばし読みしながら作って」きたという、お恥ずかしいものです。
 最近は、無料で提供される「ブログ」など、上質なものが多いだけに。


 
はい0630(2018.06.30)
 今日もお休み状態です。


 
まず0629(2018.06.29)
 末弟の見舞いに行ったので、今日はお休みです。


 
また0628(2018.06.28)
 ホームページを整備しました。
 読み返してみると、気恥ずかしいことばかり、書いていますね。
 ううむ、ホームページも「好し悪し」ですね。


 
さて0627(2018.06.27)
 海ホームページを更新しました。とりわけ、WIN10で見たとき、ホームページが所在なげに泳いでいます。これは、WIN7には見られなかったので驚きでした。
 素人が作ったホームページではありますが、文字や表がバラバラに泳いでいたんでは話になりません。これまで、ホームページをと勧めてきた手前、「不出来であったか」という自責の念が起きてきて、無念です。
 大急ぎで素人なりに修復はしたつもりですが、いかがでしょうか。


 
さあ0626(2018.06.26)
 この間に、多くの寄贈を受けています。ホームページの更新もやらねばなりません。ニュース面の書き込みも必要です。
 気負いすぎた海第20号でした。地に足をつけていかねばなりません。


 
ええ0625(2018.06.25)
 海第20号の会計報告を作成、報告しました。ここまでが1号の仕事です。
 TSUTAYAに寄る機会があったので期待していたのですが、こういうときにはたいして興味の持てそうな本には出会わず、空振りでした。
 もう少し違う角度の方向に進まねば、と思うことです。


 
えと0624(2018.06.24)
 丁寧な感想が寄せられました。発行経費についてのお尋ねもありました。メールでの返事など、数件しました。
 はてさて、明日には会計を締め、会計報告に進めればと考えます。
 海第20号への感想をいただいているうちに、私の方もいろいろな感想から、改めて学ばせていただいたことも多々あります。
 発行前には結構苦しかったことも、こうして世に出してみれば多くの角度から目を通していただき、改めてありがたく思います。


 
それ0623(2018.06.23)
 感想もいろいろです。いろいろ・・・ですね。
 天神に出るつもりが体調が戻らず、行かずじまいです。TSUTAYAで見てみようと思っていた本も、予定はずれに。
 結局、アマゾンになるのですかねえ。


 
はい0622(2018.06.22)
 思い掛けず、お酒(焼酎)をいただいたので、お礼状を書きました。子供のことがありながら編集発行をしたからということでしたので、子供にも供え、一緒にいただきました。とても口当たりのいい焼酎でした。
 感想などが届きます。丁寧に読み、書いてくださるその親切が、なんともいえず心に沁みます。とともに、もっと良い作品を書かねばという気になります。
 「塩狩峠」を読んでいます。


 
まず0621(2018.06.21)
 海に寄せられた感想などをアップしたり、連絡したりしました。
 「塩狩峠」を読んでいます。


 
また0620(2018.06.20)
 雨のため、雨戸を閉め切ったままです。
 「病めるときも」、このわが原書はやはりすばらしいです。文芸的価値がとか、評価がとかはどうでもよく、自分が入り込んで行ける、納得できる作品です。
 40数年前の私は、この地点から始まったのですから、宗教がどうのこうのという意見は置いて、この「人間の極限に迫る筆致」に魅せられます。


 
さて0619(2018.06.19)
 地震などの災害があり、また自分の体調も優れない日は、いつものとおり三浦綾子さんの作品に気持を委ねます。
 新約聖書入門の「マタイ伝編」を終え、「病めるときも」に移りました。聖書入門の方はひとまずおいて、「病めるときも」は何度か読んだのですが、何度読んでも「短編小説としての凄さ」を感じ、感動します。
 考えてみれば、私も「病めるときも」から出発して韻文から散文に入ったのですが、今はまた、何という体たらくなんだ、と鞭打たれる思いです。


 
さあ0618(2018.06.18)
 海第20号についての、返事などが届き始めました。
 昨日までは「疲れた、疲れた」と言っていたのが、やや持ち直してきたから、不思議なものです。業なのでしょうか。
 おかしかったホームページも、ようやく整理が出来たところです。
 印刷関連経費を送金しました。


 ええ0617(2018.06.17)
 風邪具合が酷いので、なにもしていません。37度前後の微熱ですが、これがきついのです。本を読んでも頭に入りませんし、喉や肩や脇のあたりが痛みます。
 こんなときの決めで、三浦綾子さんの本をめくっています。


 
えと0616(2018.06.16)
 今は当分見たくないのですが、ホームページに誤記がたくさん見付かるので、やむなく修正しました。(別に、急ぎはしないのに・・・)
 冊子も根を詰めて読むと、今は疲れます。よって、休憩中です。


 
それ0615(2018.06.15)
 海第20号の発送が終わったので一段落、などではないのです。
 ホームページがあります。中でも「作品公開」のところが大変で、この気分の悪い中、根を詰めねばなりませんから、昨日今日に亘って青息吐息です。
 いやはや、その苦しいこと。さすがに、あまりのめり込み過ぎないようにと言いきかせながら、それでも作業量がハンパじゃありません。
 それでも、先ほど(22時過ぎ)ようやく筋が見えたので、ここらで小休止です。笑うな、誰も笑うな、です。誰に頼まれた訳でもないのに、ですね。
 はてさて、お次はお金の支払い、会計報告と、厳しい作業は続きます。訳が分からないけど、この猛烈な忙しさと、猛烈な疲れはなに?


 
はい0614(2018.06.14)
 海第20号の発送作業をしました。全部で130通と1つの宅配です。
 今回は、体調がよろしくなく、ようよう終えました。井本氏と中野氏に参加してもらったにも拘わらず、2時間半です。
 まず、宛名ラベルを封書に貼り、同人の分は取り分け、全ての封書の裏に発送責任者(私)のゴム印を押し、同人へのメモ・資料、一般へのメモをそれぞれに入れ、封筒表に表した部数を封入します。それを部数毎に分け、封をします。
 封をした後は、メール便のシールを貼り、それらを終えると総数を数えます。宅配便の方は別途作ります。
 途中から息があがり、ようよう作業を終えました。
 この後は、無事に冊子が届くことを祈るのみです。


 
まず0613(2018.06.13)
 発送の準備を確認しました。
 TSUTAYAの本、読み応えがあります。半島の国々の考え方、したたかですね。謝ったり、思いやったりしないという考えは、どこからくるのでしょう。
 謝ると「下」になるという考え、これはなんでしょう。儒教はそんなことを言っていたのでしたっけ。「下」になると、「どんな仕打ちにも従わねばならない」など、これはいいがかり以外のなにものでもない、と言うべきでしょう。
 大騒ぎをすれば、なんでも変えられるという「変」「愚」、こうなると「我が儘放題」「言いたい放題」「目的のためには手段を選ばない」ということなのでしょう。
 要は「相手にしない」「無視する」、という手しかないようです。


 
また0612(2018.06.12)
 まだ体調不十分で、立つとふらつきがあります。
 6月14日の発送の準備を、昨日大部分を済ませていたので安心です。
 剪定作業に1日を要したので、先日TSUTAYAで買った本のうち2冊ほど読みました。今日だけでです。韓国関係の本です。シンガポールを気にしながら。
 文芸書の類ではないのを、こういうときに読みます。


 
さて0611(2018.06.11)
 さて、と言うには言ったものの、具合がこうも悪いと・・・。
 6月14日の海の発送に向けての準備は、ほぼ終えました。作成した投稿・冊子作成要領の見直しなど、かなり疲れることになりました。
 ちょっと気が落ちすぎているのが、いけません。


 
さあ0610(2018.06.10)
 宛名ラベルを作成、プリントアウトしたものの根気が続きません。
 送付連絡メモ、同人への連絡メモ、投稿・冊子作成要領・・・できてはいるものの、プリントする元気が出ません。
 こういうときは、休憩あるのみです。


 
ええ0609(2018.06.09)
 風邪具合が酷いので、なにもしていません。37度台の微熱ですが、これがきついのです。本を読んでも頭に入りませんし、肩や脇の下あたりが痛みます。
 流し気味に、「美しい国へ」などを読んでみます。


 
えと0608(2018.06.08)
 天気のせいもあるのか、かったるい気分なので、発送準備には入りませんでした。昨日買ってきた本を読んでいます。
 1冊読み終えましたが、本を読むのも疲れるものです。幼い頃、傍に本などなく、縁がなかったのですが、今は読みたい候補を積み上げています。
 あまり特定の方向に流れないよう、気を付けながらですが。


 
それ0607(2018.06.07)
 海第20号の印刷所での校正を終えました。2時間というところでした。
 発送の日も決まりました。6月14日午後ということになりました。
 発送となれば、準備がいります。宛先確認、宛名ラベル作成、同封文書(メモ)作成、同人には次号の「投稿・冊子作成要領」の作成などなどです。
 校正を終え、天神まで足を伸ばしました。2ヶ月ぶりでしょうか。
 TSUTAYAに寄り、文学・文芸とは関係のない本(1冊100円)13冊を求めました。子供の死因に迫れそうな本、6月12日の米朝会談を理解するために役立ちそうな本、慰安婦問題などを扱った本、マスコミの内実に迫れそうな本などです。
 最近は、どうもこちらの方に興味が向いているようです。


 
はい0606(2018.06.06)
 私は、平成29年2月26日に子供を亡くしています。子供を亡くすということは、これほど辛いことであったのか、と日を追うごとに痛切に感じます。
 これまで、他の方が子供を亡くされたと聞いてもそれほど痛みを感じなかったのに、いざ自分のこととなると違うのです。かつて、他の方の場合に、私が余所事のような態度をとっていたのだったとしたら、心からお詫び申し上げます。
 この際子供とは直接の関係はないのですが、森友問題の発端である報道がなされたのが、平成29年2月9日であるということを改めて知った今、それは子供の「誕生日」だったのではないか、という悲憤です。死の17日前のことです。
 森友も加計も、私が子供の跡整理で絶望の時期にあった平成29年の早春頃に発した事件だったのですね。世間のことに向かう暇さえなかった頃に・・・。

 子供のことは辞めましょう。辛すぎます。ともかく、この2つの事件が、我が国を代表するマスコミによって世に出されたのです。しかも、昨日書いた「先祖の怨みに子孫は怨みをもって応える」的なやり口で、それも実に巧妙に。
 この事件を煽るマスコミの手口のほどは、直感で疾うに知れていました。何という卑劣な大騒ぎを創り出したのかと。とにかく、印象操作がエグ過ぎます。最近の視聴者は、テレビや新聞だけで事実を知るものではないのが、唯一の救いですが。
 巨大マスコミの恐ろしさに身が竦みます。マスコミにかかっては、「好きなように塗り替え」「悪を善とし」「善を悪とする」など朝飯前のことかと思われます。しかも、この報道がなされていた期間は、半島問題が危険域にある真っ只中であったということを考えれば。もっとも、今も半島問題がどう転がるのかわからず、明日のことさえ考えられないというのに。こういうバカ騒ぎをしている場合なのかと・・・。
 明日は、海第20号の校正を印刷所で行います。


 
まず0605(2018.06.05)
 興味が出て、「赤い韓国」を半日で読み終えました。ついで、「森友・加計事件」です。これらは、内容は異なるものの、底の方では繋がりを感じます。
 1冊目の方は、韓国、北朝鮮の置かれてきた歴史から紐解いてあり、今まさに「南北会談」「米朝会談」「慰安婦問題」「徴用工問題」などの問題が進行中であるので、判り易く思いました。韓国・北朝鮮という同一民族故の「統一」というのはここからくるのだなとか、中華思想・儒学・朱子学が根付いているので、彼らの「秩序である、中国>朝鮮>日本」という序列が、なるほど「民族の序列」であり、劣等民族に一時統治を許した憤懣が、即ち「反日」に集約されるのだなと思われました。
 また、彼らの「法規」(国内・国外とも)は、「情理」に基づくものとされ、どんな「約束」をしていても、時の「国民の情理」によってそれが覆えるのは、彼らにとっての「常識」であり、「同情」「思いやり」の気持など理解され得ず、「悪とみなしたものを断固断罪する」「謝罪しない」という姿勢は、常道なのだなと思われました。
 故に、一夜明けての鮮やかな「微笑み外交」という演出も当然のことであり、儒学は「先祖の怨みに子孫は怨みをもって応える」となり、仏教は「先祖の怨みに子孫は慈愛をもって応える」という違いになるのだろうか、と感じた次第です。
 2冊目の方は、まだ中途です。


 
また0604(2018.06.04)
 海第20号は記念小特集を組み、「海の詩魂」という副題でのまとめをしましたが、かねてから難解な現代詩について・・・文芸思潮が、同誌現代詩賞受賞者による座談会を組んでいるのを、勉強のためと思い読んでみました。
 現代詩手帖や詩学(かつて、あった)など、中央の詩誌を読まなくなって50年近くになるので、ある興味をもって読みましたが、私などの手には負えない内容です。詩について本格的に取り組んだ(取り組もうとして挫折。20代)ことがないだけに、何も言えないのですが、超難解、この上もないですね。
 まず、一編は、「口紅の吐息に残る白亜の夢へ」

 陽へ穿つ電線鉄塔から忘我で魘されていく先刻の眼
 流れる涎の既決は夢の在り処であると悟り
 洗濯物のはためきさえ幻となり
 耳鳴りのベランダに青空を託す母親の抱擁への慟哭に
 名状しがたき性の糸を噤む呼水の記憶へ
 昏き芙蓉の子は眠りのうちに
 ゲノムの楽園について語りはじめる(後略)

 もう一編、「海神(わたつみ)の鈎爪」

 海の獣と未収録なわたしを分類して。

 もの珍しげに邪険にしたら、捩じれた恥じらい。海の、フリルなすわたし、この生態をおしはかって。底は沈殿(おど)んでいて、興味ほんいが、しらしらと溶けていた。仮死しながら小瓶の標本のうえ。しにたえる棲(すみ)か、生命類いの、珍種の飾りは拙く、未発見だから噤んでただ流れ去ってしまえば。莟みの瞑想、プラチナいろに富んだ国土−だったと思えば、きぐしゅ、身動(みじろ)ぎせずにただ流れ去る深海の底にて。そこ昏さのなかに、無辜な海月(くらげ)の躰ともおぼしき、縹渺ゆるゆら。ふしゅびな誇りにかけ隔てられつつ。(後略)

 この二編を意図して選んだ訳ではないのですが、もの判りの悪い私には、もうなんのことやら分からず、茫然、唖然、討ち死にの状態です。いやはや。 


 
さて0603(2018.06.03)
 「偽りの報道」「朝日リスク」などを立て続けに読んで、かなり納得する点があります。お蔭で、朝日、NHKの報道に対し、以前から燻っていた不満のありかが見えてきた感があります。「でっち上げ」「作りごと」「偽もの」「正義面」「悪と名指したり、なにかを貶めるために印象操作をしている」という類で、「誠に鼻持ちならない上から目線で」「傲慢極まりない」やり方で、というものです。
 事実を報道するということとは対極で、「目的のために事実を巧みに操作する」「都合良く事実を組み合わせる」「目的に合わせた演出をする」「強調する事実があるかと思えば、事実を無視する」「都合良く編集を行う」という手法です。
 これが、公器と言われる朝日、NHKに多いという情けなさです。こういう手法で、世論を操作し、一定の方向に操ろうというものです。
 こういう「エリート」と称される彼らが、世論を動かし、歴史を動かし、「エリート好みの方向に」連れ、導こうというものです。
 これらは、最近ネットで、報道の違いが多くあるということに気付き、不審に思っていました。そうです「多くの者の上に立ち」「自分たちは偉いんだ」「世の中は間違っているんだ」などと宣う輩には、そうは容易く騙されはしない、ということを誠に抽象的にではありますが、書き止めて置きたいものです。
 そうそう、「エリートはエリート以上でも、以下でもない」という意味の言葉があったような、と思い至りました。彼らに共通しているのは「謝らない」「誤りを認めない」「感謝しない」「感動がない」「理屈にこだわる」「自分至上のエゴを通す」「つまり、他を見下してやまない」という不遜なことです。


 
さあ0602(2018.06.02)
 引き続き「朝日リスク」なる本を読んでいます。


 
ええ0601(2018.06.01)
 アマゾンで注文して「偽りの報道」なる本を読んだりしています。


 
えと0531(2018.05.31)
 文芸思潮からの継続購読依頼がきたので、振込みをしました。


 
それ0530(2018.05.30)
 海の原稿を印刷所に持参、入稿の手続きを踏みました。今後は約1週間後の校正、それから10日ほど後の印刷・製本を経て、発送となる予定です。
 蒸し暑い中、1つのステップを踏みました。
 はなはだ疲れました・・・。これで、行程の半分ですか・・・。


 
はい0529(2018.05.29)
 海の原稿186頁を、1字1句まで確かめながら、総読み込みし、データ修正をしました。明らかな「誤記」と思われるもの、これが結構ありました。
 拝名→拝命、刃→歯、沖中士→沖仲士、五分狩り→五分刈り、公毅→公威などはそうでしょう。また、文末の「。」がないもの、2つもあるものなどです。
 午前2時までかけ、明日の印刷所入稿に間に合わせます。


 
まず0528(2018.05.28)
 海第20号の、プリントでの最終誤記など確認の資料が戻ってきました。
 手始めに、先にデータ修正済みの複数枚の差し替えをして、全体を通し読みします。それが終わればデータの最終修正をして、プリントとともに印刷所に持参、説明の上印刷依頼を行います。
 手順でいけば、明日は総読み込みをし、データの方を最終のものに修正します。予定では、印刷所行きは明後日ということになりましょうか。
 今現在の感触では、今号は小説にいま一つ伸びやかな作品がなかったな、という思いがあります。他誌の女流のそれとまではいかなくとも、もう少し心理描写に長けた、魂を鷲掴みにしてくれる作品がほしいものだと思いました。


 
また0527(2018.05.27)
 今日も文芸はお休みです。
 明日には、海割付のプリントアウトが戻ってくるので、それからが忙しくなります。細かい仕事になりますから。
 何度やっても、編集で「これでいい」と思うことはありません。ああもしたら、こうもしたら、という迷いが出るのはいたしかたありません。どこかで決断し、先に進まねばなりません。その合間には、次号の「投稿・冊子作成要領」の作成、印刷所への入稿、印刷所での校正、発送と、書いてみれば単純そうなことですが、ことは容易ではありません。発送一つ取っても、宛名確認、ラベル印刷、謹呈メモ作成印刷、同人向け次号の案内となる投稿・冊子作成要領の送付、同人向けのメッセージ作成送付ときて、経費振込、経費の振り込み確認、会計報告の作成送付、とまあ書き切れません。
 当分の間、自分の間はできません。
 ところで、現代詩の「比喩、暗喩」とやらにどうも馴染めないでいます。伎倆ですか。まあ、それはそれ、これはこれですから、なんとも・・・。


 
さて0526(2018.05.26)
 今日の文芸はお休みです。


 
さあ0525(2018.05.25)
 海第20号のWEB担当者からの、確認資料が届きました。指摘のあった「小特集」部分の修正を終えました。
 後はペーパーの確認担当者からの資料が届けば、全体を確認、データとペーパーの必要資料を揃え、印刷所へということになります。


 
ええ0524(2018.05.24)
 海の編集の中途で「個人特集を組むのはどうか」と投げかけられていた件について、自分なりのまとめ案を作ってみました。
 同人誌は同人全体の活動のためのもの、と思っていたら違う意見もあるのですね。私が担当して10年、年に100冊ほどの同人誌や自費出版冊子が寄贈されるのですが、同人誌には特定の同人の小特集や、追悼小特集はあるものの、1号全部を個人の作品で固めて発行しているものは見ません。
 見ないからダメだというのではなく、それは同人会との関係を超えた自己責任、つまり自費出版になるのではないでしょうか。同人誌の中で、個人の特集号を出す。これを同人個々に説明し了解を取り付けることは出来そうにありません。
 経費もそれほどかけず、自身の好みの仕様で、好みの部数を作成し、好みの宛先に発送するということは、自費出版の目的そのものだと思うのです。


 
えと0523(2018.05.23)
 海第20号の全ての原稿が揃いましたので、目次を完成させ、頁を打ち、冊子1冊分の表紙から最終頁までをプリントアウトしました。
 この作業がまた一苦労するのですが、ここまで来るまでの緻密かつ茫々とした時間の経過に比べれば、一安心の部類に入ります。
 予定どおり186頁となりましたが、20号小特集などの小さな記事の集積が多く、今回ずしりとくる作品はなかったかな、という感じです。
 とにかく、1冊分を見てもらうために、レターパックで担当委員あてに送付しました。WEBで読んでもらう委員には、昨晩依頼をしています。
 これらの読みが終われば、それらの全ての意見を得て、私が必要なデータを修正し、総読み込みをし、印刷所入稿という段取りになります。


 
それ0522(2018.05.22)
 海第20号の冊子の形態を整え、あと1件の原稿を待っています。
 いつものことなので、手紙で2度締切のことを伝え、電話でも2度伝えて、必ず出すという原稿の頁を空けて待っています。
この締切のことは、前もって連絡するのですが、本人が身動き出来ない身であるので、やむを得ないことではあるのでしょうが。
 しかし、毎度のこととは言え、待つのは辛いものです。
 校正に出した原稿も、まだ1件戻ってきていません。会計の方も、今日つけ込みに行ってきましたが、数人がまだ残っています。まあ、こんなことで焦っても仕方がないのですが、後に大きな作業が控えているものですから。


 
はい0521(2018.05.21)
 電話で確約が取れている笹原さんの原稿が届いたら、全てが揃います。電話で3度確認しているので大丈夫とは思いますが、この数日は具合が悪いと母君が言っておられたので心配です。でも、昨日本人に電話したときは、とても明るくて、明日(今日のこと)出しますとのことでしたが。彼女はNHKハート展に入選したことを、嬉しそうに伝えてくれました。「ホームページに載っていますよ」などと。
 目次を作り、それに合わせて頁を入れます。この順番と配置に悩むのですよ。偶数頁の作品か、奇数頁の作品かで掲載順が変わります。小説なら小説の途中に、コラムを挟むなど出来ませんから。
 あとがき、これはちゃんと書かねばなりません。全部の作品が揃うまで、取りかかりにくいものですし、これには結構苦労します。


 
まず0520(2018.05.20)
 海の締切の日です。時間のことまでは決めていませんので、24時まで待つことにします。この締切日近くになると、いろいろな問い合わせ事項があります。
 9割5部の原稿は出ているのですが、念のため待ちます。
 どうやら、190頁には至らない模様です。これらが全て揃わないと、目次作りも、頁揃えもできないので、ただ待ちます。
 笹原さんは、今年もNHKハート展に入選されたそうです。昨年もそうでしたし、過去にも幾度かありました。彼女の詩には、奥深いところからしっかりと世界を捉えた心があります。海の作品では、彼女の詩のファンが一番多いように思われます。


 
また0519(2018.05.19)
 まだ、いくつかの原稿が出ていないようです。
 今は、あわてずに5月20日を待つよりほかありません。原稿が出揃わないと、次の作業に移れません。とにかく、目次が作れないと動きようがありません。
 何かの作品を読もうにも、落ち着かないものです。


 
さて0518(2018.05.18)
 まだ問い合わせ中で、原稿が寄せられていない人がありますが、おおまかに整理し(まだ頁付けはできません)、目次の大方の並びを考えてみました。
 最後の原稿が出るまで作業はできませんが、冊子のイメージだけは描いてみます。まだ2日残っていますから、頁のイメージも前後するかもしれません。
 原稿が「偶数頁のものが出るか」「奇数頁のものが出るか」で、目次の並びが変わってくるというのは説明が難しいのですが、実際そうなってしまいます。


 
さあ0517(2018.05.17)
 入ってくるであろう原稿の進み具合などを、電話で尋ねたりしました。
 手元にあった九州の他誌の3誌をめくってみると、なかなかいい作品に出会いました。作者が若く、女性であるので、私には鮮烈に感じました。感覚が違うというか、視点が違うというか、海ではなかなか出会えない作品です。
 海の作品は重く、激しいものが多いのですが、こういう作品もいいですね。しかし、中央の誌などでは、女流の作品に多くお目にかかりますから、それはそれ。と言いつつ、女性特有の感性の細やかさ、機微の描き方には魅力を感じます。


 
ええ0516(2018.05.16)
 午前中に小説作品を割付、校正依頼をしました。
 夕方の時間にも、原稿が入ってくるのではないかと思われます。
 受贈、寄贈の関係でどのくらいの冊子を受けているのかをカウントしたところ、半年に約50冊というところです。月に10冊程度ということですから、なかなか中身に入ることが出来ず、どうしても興味のある方の作品を読むことになります。
 その間は、自分の研鑽や創作にも努めねばならず、海の発行のために1号でほぼ3月を費やしますから、結構厳しいスケジュールになります。


 
えと0515(2018.05.15)
 詩の24頁、小特集の詩2頁が到着、大急ぎで割り付けて送付しました。
 今の段階で、180頁あたりになるのではないかと思われます。メールの連絡で何がどう勘違いを生んだのか、1人180頁と受け取られ、「掲載を分けるべき」「特集号を出すべき」と、何やら意味不明の意見がよせられました。
 個人特集号というのがあるのは知っていますが、常々同人全体を平等にという気持で編集作業を行っている身としては、趣旨の小ささに同意できません。
 個人特集を考えるなら、自費出版が一番理に叶うではないですか。特定個人を宣伝するという趣旨にも「NO」ですし、それが目的なら公募に出すということが一番ピタリとはまります。同人誌の送付先と、個人特集の送付先が違ったり(違うのが普通でしょう)、作成部数が極端に違ったり(違うのが普通でしょう)すると、海という同人誌の屋台を揺すられることになりかねません。
 これを言うと自らに返ってきますが、「今、本を寄贈されても誰がどう読んでくれるというのか、お寒い」というのが体験からきたわが意見です。
 寄贈した本が「不要だ」という怒りとともに戻ってきた体験を持たない人たちは、あくまでこのアナログに拘りを持っておられるのでしょう。 
 「宣伝のため」という同人誌なら、ない方がいいのかもしれません。やむにやまれない気持から「表現を行う」ということを、目標としてきた筈ですが。
 また、海は「年に2回発行する」という規約ももっています。


 
それ0514(2018.05.14)
 忙し過ぎる日でした。
 全作家短編集の校正が来たので、校了で返送しました。400字詰め30枚で42,000円とは、高過ぎではないでしょうか。1頁3,000円です。頁は間延びがするほどゆるゆるで、冊子がとんでもなく厚い。かねてから、もっと字を詰め、冊子を薄くしないと買えない(値段も高い)し、置き場に困ると言ってきたのですが。義務の8冊も、どうしましょう。これこそ、1冊で十二分なのですが。
 海の原稿(昨日のCDの分)を打ち込み、割り付けして作者に送りました。これには図が付いており、少々時間がかかりました・・・。


 
はい0513(2018.05.13)
 海第21号からの「docx」への変更案を作り、レイアウト関係の委員に問い合わせてみました。わが作品を用いて、「27×25」「26×26」「26×25」を作ってみたのですが、いよいよ迷いは増すばかりです。決め手がないのです。
 昨日の第11号から19号までの目次書き出しの際、冊子の体裁にまで触れながらきたのですが、「悪くない」し、「いいのではないか」と思い始めたものです。
 禁則処理の関係で、フォーマットの「両端揃え」はいずれの場合も避けられそうにありません。ならば、「現行のまま」かという気になってきました。関係者の意見はどういうことなのでしょう。
 郵送の原稿が届きましたが、CDが空白です。ああ、度々こうなるのだった、と忘れていたことを思い出しました。結局、こちらで入力となります。


 
まず0512(2018.05.12)
 海第11号から19号までの目次を拾い出し、割り付けました。
 現在、原稿受付は小休止状態です。小特集もあるので、週明けになるのでしょうか。結構難儀しそうです。
 第21号からの「docx」への変更案を作り、提案せねばなりません。問題は「行間を狭くすると、ルビの付け方が大丈夫か」、「禁則処理」、「両端揃え」などの細かい部分が上手くいくか、ということになります。勿論、見栄えも大切です。


 
また0511(2018.05.11)
 海の記念号には、号毎の掲載一覧が必要だったかな、と思い付いたのが夕方です。ああ、あった方がいいだろうということで、冊子をめくりながら書き出しを始めました。それが、結構手こずることに、なりました。
 1号、1号の目次を書き写すのですが、結構時間がかかります。3号分を書き出したところで、伸びてしまいました。


 
さて0510(2018.05.10)
 夕方までには、1人からの原稿送付を受けました。
 今回は「小特集」を付け加えたためなのか、原稿の出が遅いですね。「同人誌」という発表手段も、あまり日の目を見ないものですから、構成員が増えず、発表が下向きになった誌も多いと聞き及びます。
 本当に、惰性で出しているといってもいいほどの状態や反響が続けば、同人誌というスタイルがいつまで続けられるのか、悩ましいところです。
 私など、天の邪鬼な質なのでしょう。見向きもされないというときなど、逆に闘争心が出てきたりするのは、不可思議です。
 そのまた逆で、最初から見向かれることばかり画策するというか、時流に阿るということが性に合いませんから、今の状態の方がいいのかもしれません。


 
さあ0509(2018.05.09)
 microsoft wordのフォーマットの拡張子「doc」を「docx」に変えた新フォーマットを作成し、レイアウトの担当委員に送っていたら、「26×26」の案に賛同するとの意見をもらい、次号に向けての方針が見えてきたという思いです。
 普段から「連絡の取りにくい方、病気の方」にハガキを作成し、都合3度目の原稿締切日、小特集の案内、同人費の連絡を行いました。


 
ええ0508(2018.05.08)
 海の次号の「投稿・冊子作成要領」案を作成しました。フォーマット、割付、割付案による校正、それが印刷につながることを明記しました。
 また、microsoft wordのフォーマットの拡張子「doc」を「docx」に変えた新フォーマットを作成し、印刷見本を作ってみました。現在、小説などは「27字×25行」となっていますが、「26字×26行」が一番よいのではという感触を得ました。


 
えと0507(2018.05.07)
 海の、これまでに校正済み(校了)となった原稿(印刷版下)の確認をしました。まずまず、正確に行っているのかな、という感です。
 私の方は、書く方ではなく、ワードの扱いに結構慣れてきました。


 
それ0506(2018.05.06)
 この数日間(本当は約1ヶ月間なのですが)、海の原稿を受け付けて、印刷用の割付を作成し、作者校正を依頼しているのですが、この仕組みのことがなかなか理解を得ていないのだ、と改めて気付きました。
 割付案は、印刷所の「版下」のようなもので、割付案の校正ということは、作者本人が冊子の印刷頁を作っている、という理解のことです。多分、作者の原稿→編集担当者の原稿(形のみの)というふうに理解されているのでしょう。
 こちらとしては、本番中の本番をやっているつもりですが、まだ練習中かというふうに受け取られているであろうとの例えに近いのですが。
 ゆえに、送付される原稿も個々によって異なりますが、「完成品」の域から「とにかく書いた」というあたりまで、幅が広いようです。ですから、割付案の校正の際に「大いに書き直したい」という作者もあるようです。

 次に、同人費の問題です。全て「頁数による」ということなのですが、他誌に拘わっておられる場合はそこそこで手方が異なるので、迷われるのでしょう。
 追加頒布についても、編集側としては重要視してはいませんでしたが、ときにかなりの部数を求めたいという人があり、この仕組みを設けたものです。事情は分かりますが、冊子を売るつもりはないので、「できたら避けたい」ことでした。
 私など、首都圏の同人誌に入っているものですが、「○冊以上購入のこと」というふうに義務づけたところがあり、たとえば別途5冊買わされたとしたら、それを持って行く先などないし、「捨てざるを得ない=捨てるということを躊躇う」という気持の間で揺れてきたものですから、個人的には複雑な気分です。

 海二期は、「冊子+ホームページ」で発信するということで始まりました。インターネットの扱いに難渋している身として、冊子以外の発信がよい選択であるのかどうか迷うところですが、これだけ電子出版などが幅を利かせ、冊子が伸びないという世情を考慮する必要もあろうかと、複雑な気持です。
 しかし、「評文」などはネット上に出されるものが多く、それが多数の耳目を集めているということを、無視する訳にもいきません。「アナログ」崇拝という線よりややデジタル側にいると思う私には、デジタルも使いようだと思うのです。ですが、「デジタル崇拝」にも組みしないので、これも複雑です。これを二項対立と呼べるのであるのかも定かではありませんが、「1のみを選ぶ」というのは難しいものですね。


 
はい0505(2018.05.05)
 海の原稿の「印刷用フォーマットへの割付」作業を行っていますが、これがそのまま印刷される(頁番号は変わりますが)ということの理解が、ちゃんと得られていないようですね。割付案の作者校正により、「自身の印刷頁を作っている」ということは、なかなか理解し難いのかもしれませんが。
 さて、フォーマットは、誰もが開きやすいようにとmicrosoft wordの拡張子「doc」を用いてきましたが、「docx」に変更してもよい時期にきたといえるのかもしれません。そうするにしても、「docx」は次号からの使用ということになりますが、事前の案内をし、了解を得ておく必要があります。


 
まず0504(2018.05.04)
 ひたすら、海の原稿の割付関係作業をやっています。
 間を縫って、この割付作業を通じて疑義が生じたことなどをまとめ、次の「投稿・冊子作成要領」に書き込むなどの作業をします。
 印刷・製本をするにはフォーマットによる「割付」作業が必要であり、それをもって同人に校正を依頼するのですが、校正のやり方として「割付に直接書き込む」のは可としても、同人個々の原稿を「コピー&貼り付け」をしても、最初の割付が崩れてしまいます。これを行うには、個々の原稿の癖をいったん抜くためにテキスト形式に変換し、「それをDF平成明朝体W3」というフォントに変換し、しかも9ポイントにする必要がある」ということをどう説明していくかです。
 取り敢えず、交流掲示板には書きましたが、校正のやり方にも個々で違いがあり、なかなかスムーズにはいきません。
 また、現在用いている拡張子「doc」を、「docx」に変えねばならなくなるだろう、という必要も出てきそうです。


 
また0503(2018.05.03)
 海の原稿が少しずつ入っており、割付をし、校正依頼をしています。
 今時点で、110頁というところですから、どうでしょう、150頁は超えるという予測になりましょうか。
 憲法記念日の新聞は、戦争反対、改憲反対、現政権不支持ということを主張しています。誰も戦争を肯定するものではありませんが、これまでどおりの丸腰でよい、と単純に言い切れるものでしょうか。その議論を提起することこそが、メディアの役割ではないでしょうか。ことは、単純ではないとは思われますが。


 
さて0502(2018.05.02)
 また過激なタイトル「朝鮮崩壊−米中のシナリオと日本」という本が届きました。最近朝鮮ばかりの読書ですが、今の緊迫の情勢をメディアは一向に伝えようとしませんね。何か、思惑があるのでしょうか。
 モリカケに、セクハラに、性被害の話ばかり大仰で。今のメディアは、意図して何かを隠すためにセクハラや性被害の話ばかりに集中しているように、そう勘ぐってみたくもなります。国会もそのようです。
 海の方は、かなり受付の整備を終えました。


 
むむ0501(2018.05.01)
 タイトルが強烈ですが、「言いがかり国家『韓国』を黙らせる本」を読み終えました。このところ、私が考えていることの大半が書かれています。勿論、これだけはっきりと書かれた本ばかりに気持を寄せるという訳にはいきませんが、日頃疑問に思うことをきちんと整理してくれています。
 日本には「思いをいたす(思いやる)」という文化があるのに、韓国には「自己都合優先」という文化の違いがあるようです。どんなに「国際的な条約」を結んでも、「今の感情にそぐわない」となれば、後者を優先するというものです。だから、常にゴールポストが動かされるのです。約束できない国(民族)です。自分たちが選択した道であっても、都合が悪くなれば、他のせいにしてはばからない…。
 それに、自らを大とする思想です。中国(中華)が最も大きく、韓国より中華に遠い日本などをバカにしてかかる。何にせよ、言いがかりをつける。 
 この先に、慰安婦問題、竹島問題、旭日旗問題などなど、あげれば切りがありませんが、「お陰様で」とは決して言わない国(民族)のようです。
 まだ、この関係の本は後6冊はありますから、多少は先方の言い分も分かろうかというものですが、今はこれまでで「後略」です。
 海の原稿受付開始です。私の方も、編集上必要な箇所はあらかた書いて準備をしています。それらを加味すると、現段階で80頁は越えています。


 
ええ0430(2018.04.30)
 太宰の短編「グッドバイ」、うまいですね。美人の麗人が、信じられないほどの重い物を担ぐというのがすごい。おまけに鴉声の持ち主で、学も品もない。金欲がすごく、汚い部屋に住み、人の何倍も食うというところも。
 その彼女に頼み込み、多くなりすぎた愛人を切り離そうという話。美人の麗人を、疎開先から戻ってきた妻というふうに紹介するのです。うまくいったのかどうか、後は省略という話の作りもうまいものです。
 朝鮮関係のことを調べようと、いったい何冊注文したのだか、と自分でびっくりです。「朝鮮人強制連行の記録」「言いがかり国家『韓国』を黙らせる本」が届きました。注文控えを見ると、後数冊もあります。
 作品になる訳でもないのに、これはわが興味のためですが。
 さて、いよいよ海の受付が始まります。約2月の間、休みなく作業に追われます。勿論、普通に作品が出てくれば、ということですが。


 
えと0429(2018.04.29)
 昨日着いた「従軍慰安婦と歴史認識」という本を、あらかた読み終えました。2日前の「朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の事実」とはうって変わった、まさに「慰安婦問題」の発端をなした人々の作のようです。
 しかし、同じ事実が何故にこう「自虐的」「露悪的」「日本は悪魔だ」的な捉え方になるのかが、わかりません。目の前で暴力が振るわれたとか、強制的に軍が連行したというものではないだけに、「ジェンダー」「フェミニズム」の固定観念から見た作で、戦争中のこと(戦争を起こすなということになりますが)にもかかわらず、良心がないとか、自由が殆どないとか、性病の治療が殆どなされなかったとか、転覆した船から海に投げ出された人々を救う際に関係の女性の救出が最後になったとかで、あの某新聞の「慰安婦問題」「性奴隷」「強制連行」なる虚言が作り出されたようです。
 よって、かなりヒステリックな内容に終始しています。


 
それ0428(2018.04.28)
 昨日の南北朝鮮首脳会談、いわゆる韓流ドラマみたいですね。あそこまで「ベタベタ」「イチャイチャ」されると、薄気味が悪いです。それを繰り返し流すマスコミも、薄気味悪いとしか言いようがありません。
 平和、統一などと掛け声はいいものの、肝心の「非核化」はどうやって実行するのか。これ、簡単にはいかない訳でしょう…。
 まあ、「しないよりよいではないか」という大方の意見があることは承知ですが、出来過ぎたドラマには「まやかし」が透けて見えたり…。
 以前から、特に韓国の「身勝手さ」には辟易していましたが、ゴールポストはあちこち動かさないでもらいたいものです。
 こういう時期に、かねてから調べてはいた「慰安婦問題」など、何がそうさせるのかについて、少々調べてみたいと思うところです。
 読み掛けた太宰と三島の作品は、下に沈んでしまいました。
 日本文学振興会への推薦、投函しました。


 
はい0427(2018.04.27)
 折も折ですが、「朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の事実」を読み、現在の慰安婦問題がどこから、何故出て来たのかを知りたく思います。この関連で、また数冊の注文をしました。そもそも、この問題は1965年の日韓基本条約及び日韓請求権並びに経済協力協定で終結し、さらにアジア女性基金での支援まで行っているところ、今何故、こうまで「強制連行」だの、「性奴隷」だのと言われるようになったのか、「謝罪しろ」と言われ続けるのか。先方が儒教国家だと称するのなら、毎度毎度ゴールポストが動かされ、嘲笑されるかのごとき関係が続くというのは可笑しくはないでしょうか。
 彼らの会談が、今まさに行われているところですが、この笑顔の裏には真の笑顔があるのか、それとも(これまでずっと騙されてきた経験上)ズルガシコイ企みがあるのか。どうも、後者にしか見えないところが残念ですが。


 
まず0426(2018.04.26)
 海編集委員会の結果が出たので、委員にはその旨を、同人には初めて連絡しました。というのは、「招待席」を設けるというものです。
 趣旨はとても結構なことですが、同人からの推薦があるだろうかという心配があります。第20号の原稿受付を間近に控えているだけに、どうでしょうか。
 印刷部数が増えていくというのは、逆行ではないでしょうか。冊子を送っても殆ど手応えはないし、はっきりと「いらない」「捨てる」という返答をされたのが幾十件あったことかと思い出されます。思いがけないところから最初の1冊がきた、というところまでは確かによいのかもしれないとは思いますが、次も、また次もとなると「受け取り拒否」をしたくなるというのも分からないではありません。
 広く海を知ってもらうということのために、「ホームページでも発信しよう」というふうに考え、第二期はスタートしたのを思い起こしました。
 パソコン機器などを使うという点も、たいそうな「悲観論」があることは分かります。しかし、今、ネットなどの情報を用いて「発表する」という作者(若者が中心?)たちが増えていることは確かですし、「電子出版」が小さくはない表現の場になってきたという事実は否めないところです。冊子作成ということがいつまで必要になっていくのか、これは分かりませんが、多分作成部数はだんだん減っていくのではないでしょうか。
 大手の商業文芸誌も数を減らしていると聞きますし、図書館など1冊あればデータベースにするというふうに、状況は変わりつつあり、先が読めません。


 
また0425(2018.04.25)
 昨日書いた海関係の文言の見直しです。特に、「小特集の前文」は、ずい分書き直しました。1頁の内容ですので、なかなか表現が難しいものです。
 三島を読み始めたところに、「朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実」の本が届きましたので、こちらを先に読むことにしました。
 考えるまでもなく、これまであまり文芸書に夢中になれず、読んでもいなかったのは、教養が足りないということもありますが、こういう人間の暗闘というか、人間の浅ましさといったものにより興味を引かれ、あるいはスピリチュアル方面に解を求めてきた、というところに問題がありそうです。
 逆説を言えば、人間と人間の関係性ということの前に、なぜ人間であるのかという前提の方に余計に目が行くからと言うことになります。結句、太宰の言う(言っていないかもしれないのですが)「人間であることのおぞましさ」「人間αであるということの悲しさ」という方に、気持の本音が動いてしまうものですから。


 
さて0424(2018.04.24)
 勇を奮って、海の「作品」、「受贈お礼」「海について」「あとがき」の半分、「表紙」「背表紙」、「小特集の前文」などを書きました。
 これで、原稿受付準備が揃ったというところです。
 太宰の「人間失格」は再読してようやく、心に残りました。「狂人の記」を作者が採用した、という最後のくだりも見事ですね。それにしても、ここまでの狂人ぶり、生半可では書けやしませんね。内妻・ヨシ子の警戒を知らなさすぎるという存在が、哀れですね。「こうこは、どうこの細道じゃ?」の歌がこんなに淋しいものだとは。
 太宰はまた後にして、三島に移ってみようと思います。


 
さあ0423(2018.04.23)
 和田の原稿をノートから探し、短いものに仕上げました。
 太宰の「人間失格」を再読しています。タイトルは「人間嫌い」「人間恐怖」「人間脱出」「人間破滅」などと、つけても面白いかもしれませんが、「生まれ付き持たされた血の恐怖」「血への反抗」というものかも知れません。
 持って生まれた血、血の縛りなどというものは、人間、この世のいかなる階層や身分にあっても、苦しいことには違いないのでしょうか。


 
むむ0422(2018.04.22)
 さてと、少し体調を戻さねば。これからの受付対応をするには、です。
 全体が、200頁以内あたりに収まるといいのですが。
 読み掛けて、途中で放っていた太宰を再読します。
 戦後歴史観のバイアスがかかっていないという「慰安婦の真実」を注文しました。はて、どういう内容であるのかですが。


 
ええ0421(2018.04.21)
 海の打ち合わせで福岡へ。暑かったですね。
 天神から、福岡城を経由、大濠公園までを往復したもので、殊に暑さが身に染みました。風邪具合で沈んでいるところで、これは堪えました。
 夜になって、委員会のメール回議案を送りました。


 
えと0420(2018.04.20)
 明日の、海有志の打ち合わせのための資料を打ち出しました。
 今日は風邪のせいか、読む気にも書く気にもなれません。


 
それ0419(2018.04.19)
 海の作品が、だいぶ見えてきました。
 この数日、印刷・製本のために必要な割付作業に明け暮れています。


 
はい0418(2018.04.18)
 手書き原稿の打ち込みをしています。
 400字詰め20枚。ですが、他の作者の原稿ですから気を使います。


 
まず0417(2018.04.17)
 私の海の原稿は、だいぶ形が見えてきました。小説、詩、俳句、小特集と、書けるところまでは書いたのではないかと思っています。
 小特集は「詩魂の人・海の創始者織坂幸治」というもので、こういう類の文章は殆ど書いたことがないのですが、「ミニロマンとぼんくら談義」がたいへん参考になりました。織坂氏の方からも大方の了解が得られ、後は字句を点検します。
 だんだん、海第20号の構想がつかめてきたようです。


 
また0416(2018.04.16)
 招待席を実施するとしたらという想定で、詰めるべき点を書き出してみました。まず、どういう人選をするかというのが問題です。
 普通に書けるという人選をしたとして、海のフォーマットに馴染んでもらえるように説明をしなければ始まりません。勿論初めての人物が対象になりましょうから、なかなか簡単ではないですね。
 次に経費の問題になります。いずれにしても、大変ではあります。この手は、よその真似になってしまうかもしれませんし、どんな人材がいるかですが。
 ああ、こんなことばかりしているという…。


 
さて0415(2018.04.15)
 昨日話に出た「招待席」の素案を作りました。これらは話に出たことをまとめて、理由付けしただけに過ぎません。
 全国的には同人誌の高齢化による先細りが見え、一方文学フリーマーケットには若者が大挙しているという現状を見るに、海の方も現在の構成員のまま推移すると、壁がだんだん厚くなってくるのは実感出来るところです。
 ただ若ければいい、という方に傾くつもりはありませんが、周囲に「同人誌に書いてみたいけれど…」という気持ちの人があり、一度ぐらいは書いてみたいという望みがあれば、海の誌上を解放する意味はおおいにあろうかと思われます。そのことで、現在の海の同人にも「風が吹く」というのであれば、さらに好ましいことです。
 しかし、単なる話題づくりのためにだけ、というのであれば問題は残りますが、一歩踏み出してみるという勇気は持たねばならないのでしょう。
 ただでさえ、作品の発表の場がホームページやブログなどに広がり、「紙の上に発表する」という希望者が少なくなっていると聞きますし、文学学校などの関係者が適切な指導をし、商業誌などにも声かけが出来るという土壌の方に「人は移動する」という現状も知らなければならないでしょう。
 私たちも今こそ、本当は文学学校やカルチャーセンターなどで学び直すなどし、「息の吸い方」「息の吐き方」から復習をする必要がありそうです。


 
さあ0414(2018.04.14)
 海の前主宰の織坂氏の出版記念会に出ました。
 同時に、伊藤康彦氏(93歳)の生前葬の讃回忌が行われました。


 
むむ0413(2018.04.13)
 海記念小特集の原稿を、大方作成しました。


 
ええ0412(2018.04.12)
 海のホームページの更新をし、PCの調整をしました。
 織坂さんの本を、読み返しています。


 
えと0411(2018.04.11)
 えと0411(2018.04.11)
 今日も、結局パソコンに使われてしまいました。
 織坂さんの本を読み、まとめたいと思っています。
 全作家文芸時評の横尾氏の提案(根保氏にも似た考えがあった)は、同人誌関係者の高齢化などで、同人誌の方は先行きが細りつつある。よって、将来の文学の担い手を育てるには、編集者や作家などのプロが有償で後輩を育て、育成しようとする仕組みが必要ではないか。また、カルチャー教室の活用を、真剣に行うという方向はいかがであろうか、などというものです。


 
それ0410(2018.04.10)
 WIN10機種は、microsoftアカウントで締め付けられ、ならばとアカウントを変更しようと試みましたが、結局出来ませんでした。microsoftアカウントでは「これまで購入したmicrosoft製品」なる一覧で、チェックされているようです。
 故に、試みにインストールしたmicrosoft office2013はアンインストールし、ということですから2013outlookメールも削除となりました。
 代わりにmicrosoft office2007をインストールしました。メールの設定は、当分の間おあずけです。で、microsoft office2016の購入は、しばし考えることにしました。という判断に至るまでの作業を終えたのが、今朝2時です。
 この流れから、今後microsoft wordの方は、拡張子「doc」から「docx」に変えざるを得ないかと、考えています。
 いやはや、パソコンにこき使われています。
 ところで、海の作品はどうなったのでしょう・・・?。


 
はい0409(2018.04.09)
 わが部屋は、足回りを広くしました。よって、書籍などは段ボール箱に入れ、分類を記し、散らばらないようにしました。
 そうしただけで、何となく整理がなされたような気分です。
 小説、詩、俳句は当面このまま置き、小特集の方にかかります。


 
まず0408(2018.04.08)
 壊れたプリンタが、またわが狭い6畳間に戻ってきました。一段と部屋が狭く感じられ、圧迫感が増しました。捨てなかったのは、スキャンの方は使えそうなのと、インクを総入れ替えしたばかりだったので戻しました。
 ついでに、わが部屋の掃除です。よくもこう汚れ、埃まみれになることよとあきれつつ、半日かけて大掃除しました。
 海の原稿は、小説、俳句、詩が七分どおりというところです。


 
また0407(2018.04.07)
 めったに見ない広告を見、5,580円のプリンタの売り出しを見付け、2度も電機店に足を運びました。吹き降りの中、自転車でです。
 バカですね。というのも、別途発注していたものがあり、そちらを止めてという仕儀になりましたから、仕方ありません。
 何でも安いというものに飛びつくのもいかがかと思われますが、この電機関係、高ければいいというものではありません。このパソコンは確か3万円台で、2013年直販ダイレクトで購入というものです。不要と思われるソフトや飾りを一切取り除き、必要最小限の構成でやっています。使い勝手はとてもいいものです。


 
さて0406(2018.04.06)
 俳句作品は難しいものです。まだ、未完成です。
 詩も3編準備していますが、どうにもわが今の心象が前に出て、飄逸だったり、呑気だったりという作品にはなりそうもありません。
 あまり内面を締め込み過ぎるのもどうかと思われるので、言葉の使い方で、多少は緩めの部分を作らねばと思うところです。


 
さあ0405(2018.04.05)
 わが作品にもかかります。小説、詩、俳句、小特集が目標です。小説、俳句は、一応7割方までいきました。
 難しいのは、小特集「海へ、海から」です。織坂氏の「ミニロマンとぼんくら談義」を取り上げようか、とは思っていますが。


 
むむ0404(2018.04.04)
 ところで、自分自身の原稿はまだです。作品のひな形はないではないのですが、これから真剣に見直さねばなりません。
 小特集も「海へ、海から」という主題をこしらえたものの、内容をなににすべきか、ここが結構難しいものです。
 今年になり、プリンタが2台壊れました。さあ、どうすべきか。安い製品だったのですが、プリントもスキャンもコピーも出来る機種だったのでショックです。


 
ええ0403(2018.04.03)
 昨日から、腰を据えて海の原稿の割付にかかっています。
 写真を入れる場合は、スキャンをして、切り取りをして、地の文の関係ある箇所に貼り付けます。貼り付けた写真はあまりにも大きいので、小さく調整します。それに、ワードの「テキストボックス」を挿入して、説明の文字を入れます。このテキストボックスがまた簡単ではなく、どうにか目的の場所に設定すると、今度はテキストボックスの罫線枠を無色透明にします。
 この一連の作業の間、地の文字は大きく(数頁分の範囲で)動きますので、写真が全て収まってから全体の文を読み、写真を確認します。
 と、これは写真の場合ですが、通常原稿が届いたら、テキストファイルに変換し、テキストファイルの文字を「フォーマットに使用するフォント及びサイズに直し」、それをコピーしてフォーマットに貼り付けます。次に、タイトル、作者名を決まりのサイズにし、縦の文字数、横の行数を確かめます。ヘッダーを入れ、全体の準備が落ち着いたところで、文章を読みます。きちんと文章になっているか(作者の個性までには踏み込みません)、誤字、誤記、脱字はないか、というところを中心に読みます。
 意外に多いのが、行の1字下げの間違いや、縦書きであるのに「.」が用いられていたりと、形式的な間違いは正すことがあるのですが、表現にかかるものは作者に尋ねなければ勝手に手を加えるのは御法度です。
 まあ、こうやって作業を集中的に進めるのですが、「細かいところにばかり目が行って」肝心の内容はあまり覚えていない、という機械的な作業なのです。


 
えと0402(2018.04.02)
 太宰の「グッド・バイ」を読んだ後、海の原稿の割付案作成に入りました。
 太宰の作品はかなり読んだのですが、印象としてアバウトには感知してはいるものの、ストーリーとなるとハタと忘れてしまっています。「男女同権」とか「グッド・バイ」「ヴィヨンの妻」あたりは少々覚えていますが、こうも忘れが激しくては情けない限りです。(言いたくはありませんが)齢だし、常備薬の作用もあるのでしょうか。
 鴎外の「雁」、漱石の「こころ」もまだ覚えています。要するに、感覚が鈍り、覚えも悪くなっていることですから、せめて2回は読む必要がありそうです。
 海の原稿割付は、神経を使うものです。一字一句を読まねば始まりませんから、構えてかからねばなりません。


 
それ0401(2018.04.01)
 太宰の作品は「メリイクリスマス」「フォスフォレッセンス」「朝」「饗応夫人」などを読みました。上手な作品です。さすがだ、と思います。
 その間に、小林健氏の「5度の臨死体験でわかったあの世の秘密」という本を読了しました。半分納得し、半分分からない、という内容でした。私も臨死体験があるのですが、どうも「ツクリものめいている」という感が、拭えないままです。「あの世ではみな平等で幸福」「生まれ変わりはない」「魂は不滅」という趣旨ですが、だったら「どうして生まれて来るのか」「様々な生の様はどうして?」などという疑問が湧いてきます。
 やたらに、「船井氏と繋がっている」という表現が出てくるのですが、「それは何故?」と言い出したくなりますし、「あの世ではみな平等で幸福」はいいのですが、これでは幸福過ぎて眠たくなってきやしないか、などと思ったことです。
 海の原稿が出てき始めています。気分を整理し、割付案作成の方にも動かねばなりません。それより、自分の原稿をどう書くか、です。


 
これ0331(2018.03.31)
 太宰の「十五年間」「男女同権」「冬の花火」「たずねびと」「苦悩の年鑑」「薄明」など、太宰の苦しみがよく出ています。
 「たずねびと」では、家族が食う物に事欠きながら疎開先に向かう途中、見知らぬ少女から蒸しパンなどを恵んでもらうのですが、それを屈辱と感じ、「男女同権」では女性に苛められ(可愛がられ)てきた自分が情けなく、新しい男女同権の世がきたので、これで男も女性にはっきりものが言える、という逆さまの感覚が新鮮です。
 戯曲であろう「冬の花火」「春の枯葉」の人物の動かし方、心理描写があまりにも巧みなので、太宰という作家の力に感心しました。


 
ええ0330(2018.03.30)
 太宰の短編集を読んでいます。太宰については、小説に親しみ始めた頃、もう少し食らいついていかねばならなかった、と心残りに思います。
 海第20号の「原稿受付期間」などを周知、最終の案内をしました。


 
えと0329(2018.03.29)
 太宰の「斜陽」を読了しました。太宰の出自(貴族)ゆえの心の痛みは、自分の身を滅ぼさずにはいられないほどに痛烈なものだったのです。
 出自といえば私の場合も同じ問題になりますが、私の場合は「貴族とは真反対の落ちぶれ士族・農民であるがゆえ」に、「文化もなし」「遊びもなし」「社会的責任もなし」というものですから、こちらも身の置き所がありません。加えて「無知」「無学」ときていますから、身悶えするほどに悲しくなります。
 この世に置かれた身分や境遇のことで、激しくとり乱してしまうのはいかがかと思われてならないのですが、小さな島国であるわが国において、こうも大きな差があろうとは信じられないことです。
 私の場合は、「運のなさ」ということも感じ、「娑婆の運などどうでもいいではないか」という思いを発しても、宿命というものの仕業を思わざるを得ません。


 
それ0328(2018.03.28)
 「魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く─」を読み終えました。突然、肉親を失った人々は「その悲しみを、いつまで経って忘れることはない」というふうに言われますが、当事者となって初めてその気持ちが分かる気がします。
 残された者として、自分の生き甲斐は「失った肉親に会えること」になります。自分がこの世を去ってから、あるいはこの世で「魂や幽霊としてでも」会いたいということが、これからを生きるための励みになるのです。
 この震災で、あるいは普段の生活の中で、「ふいに肉親を失う」「それも子を失う」という言い難い責め苦に遭うと、表現する言葉が見付かりません。この本が、震災関連の方々ばかりではなく、現在の荒れた時勢には頻繁に起きている悲劇に、心から寄り添うものであるのだろうと信じるものです。
 また、それほどに関係者の心は折れ、傷んでいるのです。いろんなことを、ああでもない、こうでもない、この仕組みは一体何だ、と考えさせられるのです。

 井本氏から、小川国夫、三田誠広らの著作を13冊も恵与いただきました。箱一杯の、ずしりとした中身は何だろうと思ったことでした。感謝です。


 
はい0327(2018.03.27)
 「魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く─」が回ってきましたので、読んでいます。「幽霊になってでもいいから出てきて」と子供に言っているのですが、よく分かります。
 殊に、突然いなくなった訳ですから、なにかの繋がりがほしいです。もっとも、これまで夢の中や、携帯を通じて、いくつかの繋がりをもてたかと思います。


 
まず0326(2018.03.26)
 太宰の続きを読みます。注文していた「魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く─」が届きました。
 後者の方は、妻が読みたがっているので先を譲りました。


 
また0325(2018.03.25)
 太宰の「ヴィヨンの妻」「女性徒」「富嶽百景」ときました。
 後は、「グッドバイ」などの短編数十編に挑みます。
 「ヴィヨンの妻」は、子供ができたので結婚、夫はなけなしの金を持って飲み歩いてばかり。3日も4日も帰って来ないことはザラ。籍は入っていないので、子供は私生児扱い。子供ときたら、発育が遅れていて心配の種。
 こんな生活なのに、この奥さん、どうしてメソメソしていないんだろう。
 人間の一生は地獄、寸善尺魔とは全くですね。「人非人でもいいじゃないの、私たちは生きていさえすればいいのよ」という科白で終わりますが。生きていくということは、本当に本当に、たいへんなことですね。 


 
さて0324(2018.03.24)
 太宰の作品に移りました。「桜桃」「人間失格」「斜陽」ときています。
 これまでの漱石、鴎外の作品に比べると、まるで違う世界です。「人間失格」の不幸? の連続する語り。心情の吐露が痛々しく、暗示の方向にどこまでも突き進みます。失意、どん底、泥沼、阿鼻叫喚…暗然とならざるを得ません。
 人間の営みとは、何でしょう。


 
さあ0323(2018.03.23)
 鴎外の「妄想」「「かのように」「魚玄機」「寒山拾得」「都甲太兵衛」など読みましたが、鴎外の作品はそれなりの素養がないと読めないと知りました。
 せいぜい「高瀬舟」あたりの内容になると、安楽死のことを扱っているのだということが分かる程度で、感想など軽々には言えません。
 締まった高潔な文体である、というほどで留めさせていただきたいと思います。


 
むむ0322(2018.03.22)
 WIN10のパソコン画面に、「手動でのアップグレードを要する(内容はBIOSアップロード)」というメッセージが出たので、それなりの神経を使い作業を行いましたが、最後にきて画面が固まってしまい、動かなくなりました。
 多分、単純な「操作一つが足りない」のだろうと思いましたが、迂闊に進めると故障に繋がりかねないので、メーカーに確認することにしました。
 慌てているときは余計に時間が掛かるもので、あちこちに電話を掛け、メールでも尋ねようとしてみたりで、結局電話が繋がったのは約1時間後。しかし、メーカーの適切な説明で、ことなきを得ました。それにしても、今回の「手動アップグレード」の内容はかなり難しいものでした。
 森鴎外の「高瀬舟」を読み、「妄想」「かのように」「護持院原の敵討」「魚玄機」「じいさんばあさん」「寒山拾得」「都甲太兵衛」などを読み掛けましたが、まるで頭に入っていず、やり直すことにしました。


 
さぶ0321(2018.03.21)
 鴎外の「雁」「里芋の芽と不動の目」「山椒大夫」「阿部一族」を読みました。鴎外の文体はくっきりしています。よく人物の心の動きまで、書き込んであります。
 もちろん、ストーリーも抜かりなく描かれています。
 「雁」では無縁坂に暮らすことになったお玉の身の上、檀那と言われる高利貸しの末造との関係や気持の機微が簡潔丁寧に描かれています。
 自我に目覚め始めたなかで、無縁坂の道をいつも通る大学生の岡田を慕うようになった切っ掛けや、最後のチャンスに岡田を見かけるものの、すれ違いになってしまう。岡田が投げた石で雁が一羽死に、岡田は鍋物に付き合うことになるという皮肉。
 その岡田は、官費留学生としてヨーロッパに行くことが決まり、翌日には出発して行ったのだった、という悲恋の物語が沈着な筆で描かれます。
 「山椒大夫」は、安寿と厨子王の物語です。人買いの手になり、重労働を強いられる安寿と厨子王。重労働から逃げ出す厨子王。逃げる手筈を考えた安寿は自死。
 厨子王は関白師実に助けられ、国守にまでなるのですが、母の行方を佐渡まで出向いて捜すことに…百姓家の庭で、襤褸を着た女を発見するというものです。


 
さむ0320(2018.03.20)
 また鴎外に戻ります。必要あって、当面読むことに専念します。


 
ええ0319(2018.03.19)
 百年泥を読みました。どうしてこう、グチャグチャの話にしたのだろう。とか、わざと現代詩の手法を取り入れ、わかり難い話にしたのだろうかとか思いました。
 タイトルからして「千年泥」ぐらいにすればいいものをとか、「東大出の才女視線がギラツクな」とか、今一つ入ってきませんでした。


 
えと0318(2018.03.18)
 急遽「百年泥」を読まねばならなくなりました。


 
それ0317(2018.03.17)
 鴎外になると、かなり読み応えがあります。素直に読めています。
 啄木の「ROMAZI NIKKI」が届きました。こちらも楽しみです。


 
はい0316(2018.03.16)
 漱石の「明暗」は昨日読了し、かつて読んだ数作(虞美人草、草枕、硝子戸の中など)にも入ろうかと思いましたが、これら全てに接するには時間も限られるので、鴎外の方に移りました。
 最初は「雁」からです。せめて、太宰、三島あたりまでは読んでみたいと思いますが、自分の素養の具合も考えると、砂に播く何とかになるのかもしれません。
 今日の西日本新聞「春秋」欄の、3月14日に亡くなったホーキング博士の言葉「足元ばかりを見ず、星を見上げることも忘れないで」という方に頷きました。


 
まず0315(2018.03.15)
 各所修繕で、今日は終えました。35年にもなると、あちこちが傷みます。
 また文芸に入りますよ。取り敢えずは、漱石「明暗」の約500頁からです。ところで、漱石の幾作かを読んできましたが、「残念」の方が多い気がします。
 上から目線で人間関係を描いてあるのですが、どうにも同調する気分になれない。というより、こういう類の人の我が儘さにいささかウンザリしています。
 エリートはエリートにしかなれない、という誰かの言葉を思い出しました。彼の懊悩、嫌味、いっそ宗教にでも逃げ込んでくれればピタリとくるのですが。


 
また0314(2018.03.14)
 文芸の方はお休みしていますが、HPの更新はしました。
 また、そろそろ漱石にかからねばなりません。
 啄木の「ローマ字日記」というものを注文してみました。


 
さて0313(2018.03.13)
 突然の各所修繕の用などが入り、文芸の方はお休みしています。
 この際、HPの微修正もしなければならなくなりました。
 漱石「明暗」は、400頁あたりで閉じています。


 
さあ0312(2018.03.12)
 と書きましたが、文芸のことは数日お休みとなります。


 
むむ0311(2018.03.11)
 東日本大震災の番組を少しだけ見ましたが、「魂でもいいから、そばにいて ─3・11後の霊体験を聞く─」という本が出されていることを知り、アマゾンに注文しました。震災で亡くなった方々が「幽霊?」をよく見かけるということで、著者が体験談を聞き書きしたものだそうです。
 私も今子供を亡くしたことで「魂」というものに強い興味があり、子供とやり取りをした体験もありますし、以前に亡くなった肉親の魂の働きも、いくつか見て、触れてきました。故に、私の最大の関心事は「魂」であり、「根元」なのです。
 また、幼時に、本やラジオなどを与えられなかった代わりに、空を眺め、その広さを思い、宙なるものの何かを思ってきました。その頃考えたことは、「宇宙という存在さえも、時が至ればいつか消えて行くのだろうか」ということで、何度も何度も悪夢に魘されたことです。おまけに、幽体離脱を体験したということもあります。

 以前、文芸を始めることになった切っ掛けは、偶然に中学校の物置で明治の文学全集を見付けたということを書きました。ならば、自分の時間が持てるようになってから、文学全集の総読み込みをすべきだったのですが、興味はその方向には向かわず「魂」「スピリチュアル」なるものの方を目指して動いてきました。
 今、漱石や、これから少なくとも文豪と呼ばれる人数名の作品を読んでみますが、なかなか読み込めないでいます。「人間とは何ぞや」「自意識とは何ぞや」「人間関係とは何ぞや」ということが、文芸のテーマであるのですから…。
 漱石の「明暗」は、400頁あたりにきました。


 
さぶ0310(2018.03.10)
 漱石の「明暗」に移りました。今回これまで、「我が輩は猫である」「坊っちゃん」「三四郎」「それから」「門」「こころ」「道草」ときましたが、「漱石は○○だ」ということが言えるまでには到底至っていません。
 「明暗」は文庫本で600頁を超しますから、読了までにはかなり時間がかかりそうですが、感性が動かないのか、鈍ったのか、どうにも調子が上がりません。
 しかし、チャレンジしないことには始まりませんから、とにかくやります。俳句も、詩も、小説も、どれ一つ単純なものはありません。


 
さむ0309(2018.03.09)
 本当に寒さが戻りました。漱石の「道草」を、読み終えました。文豪と言われる漱石ですが、この作品(ばかりでなく)は近代知識人と言われる人々の苦悩を描いているのだと思います。例えば、「するべき学問をした」「何々の地位、あるいは出自が問題」「自分が一番」「生活する分の金はある」「バカバカしいから仕事につかない」「机の前に座って神経衰弱を起こす」「金、金、金」「信義の問題」「愛情の行き違い」「ネガティブ」などという内容が、多く出てきます。嫌いではないが、…という読み方しかできていないのですが…。
 
ダブルバインドという、心理学用語を知りました。矛盾した言葉を投げかけ続けると、相手はパニックになり、おかしくなってしまいますね。
 しかれども、これも歩かねばならない道なのでしょう。


 
ええ0308(2018.03.08)
 眼科と内科を受診してきた後、身辺を片付けていました。
 片付いたら、また漱石の「道草」に挑戦する予定です。


 
えと0307(2018.03.07)
 漱石の「道草」を読んでいますが、やや漱石疲れの態です。なにしろ、漱石は上中流家庭の出で、学問も申し分ないし、イギリスなどへの渡欧歴もありますから、それはそうとして、どうも鼻に付くのは「プライドの高さ」「上から目線」「働かないで暮らすことでの意味づけの鬱陶しさ」「上流にあるが故の憂鬱さ」「エゴ」というものが次々に出てきますので、本当のところは投げ出したいところですが、ここは一通り読んでみないことには、いつまで経っても話にもできやしません。
 明治によらず、文学などをするのは、上流の特権であるようですが、かつて、ここに惹かれ、ここを嫌いになったんだった、と思い起こしつつです。


 
それ0306(2018.03.06)
 漱石の「門」を読了しました。
 文庫本の「それから」は310頁、「門」は230頁もあり、「それから」には「孤独な個人主義」をテーマにした「上流中流階級の恵まれた環境から追放され」「社会を敵に回さねばならないエゴ」というものが書かれています。
 このテーマ設定からして、肌に寄り添えるという感覚からははるかに遠く、高踏趣味で綴られる文章は、なぜこんなにやたら長くなくてはならないのだろうと思えます。気合いを入れて読んだにしては、「こういうテーマでいいのか」という点が、気になりました。文体は好きでも嫌いでもありませんが、何としても「漱石を読まねば」という意地の方が先に立ち、まだまだ「道草」「行人」なども読みます。
 読了した「門」ですが、これも「上中流階級の環境にあり、ひっそりと暮らす夫婦」…この夫婦は「それから」の「三千代と一緒になった主人公」という解説がありますが、エゴの肯定の上に一緒になった夫婦には子供が出来ない、などという不如意や、心躍らせる生活ではない日常などから安息というには至らず、神経衰弱に陥った身を参禅に求めるものの、「門」は開かれないという物語です。


 
はい0305(2018.03.05)
 漱石「それから」を読了しました。「三四郎」も終え、今は「門」に入っています。
 「それから」は三十を過ぎても定職につかず、漫然と生きている長井代助が主人公です。代助にはかつて愛した三千代を、親友の平岡に譲った過去があったのでした。今、代助が数々の縁談を断り続ける訳は、三千代にあるのです。三千代に戻って来てほしいと言う代助。親友である平岡にそれを話す代助。平岡との友情を壊してまでも、三千代の心を惑わしてまでも、です。それは真実の愛であるのだろうか、と考えさせられます。これが「エゴイズム」でなくて、何なのだろうかと…。
 下記「こころ」もそうで、「孤独、疑念、嫉妬、葛藤…」ですか。

(再掲・「こころ」18.2.15)
 漱石の「こころ」の最後は、先生の長い手紙です。東京の大学に通う先生が両親を亡くしたとき、田舎の家は叔父の世話で繋ぎ、先生の学費や生活費などを両親が残した財の中から送ってもらっていました。恩義を受けていると信じていた先生は、両親の財の多くを叔父に奪われたことを知り、親族のことが信じられなくなります。
 東京の下宿先には、「元軍人の奥さんと、お嬢さん」がいるのですが、先生は同郷のKを半ば無理矢理に同宿させます。先生はお嬢さんに好意をもっているのですが、いつかKもお嬢さんを好きになります。
 それは、Kが先生に胸の内を打ち明けることで知れることになりますが、先生は嫉妬する形で、Kが「自分が弱い人間で恥ずかしい。自分で自分がわからない」と悩む当人に向かい、「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」などと言い、Kの上にどういう影響があるかなどを見ようとします。先生は「自ら卑怯だ」と思われることの数々で、Kを追い詰めようとするのです。お嬢さんは、Kから好意を持たれているということは知らないままです。Kは先生以外には気持を告げませんし、先生の方も、自分もお嬢さんを好きだということをKに話すこともありません。
 ここらは漱石です。さすがに、心理の描き方、操り方が巧みで、どう書けばこういうふうに進むものか、私には到底できない複雑な方向に向かいます。
 Kから「覚悟」という言葉を聞かされた先生は、一方的に解釈し、先生の方がお嬢さんに好意をもっているということを、奥さんに打ち明けるしかないと決めます。仮病を使って学校を休んだ先生は、「お嬢さんをください」と言うのです。
 奥さんから話を聞いたKは、先生が態度を決めようとしている晩、喉をナイフで切って、一息に死んでしまいます。
 その後先生は、Kに脅えるのです。お嬢さんを妻にした後も、何も明かさずに逝ったKは「失恋のためではなく、淋しかったからではないか」などと考えてみるのですが、先生自身も「Kと同じ(道を辿るのでは…)」などと考えます。恐ろしい影が胸にひらめくようになり、人間の罪を意識するようになります。Kの墓にも参ります。しかし、動こうにも動けなくなるのです。死の道だけを残して…。
 長い手紙の最後には、「明治天皇が崩御されました。殉死でもしたらよかろう…」「妻から殉死したと思われたいのです。気が狂ったと思われても満足なのです」と書かれ、「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はこの世にはいないでしょう…妻が生きているうちは、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい」と結ばれています。
 この作品を殊更に云々することは、浅はかな私にはできないことです。文学、文芸が、こうまで険しく、強く、かつ脆いものであるのかとじっと考えます。


 
まず0304(2018.03.04)
 今日こそは。「それから」を読了します。


 
また0303(2018.03.03)
 漱石を読んでいますが、「高踏趣味」が過ぎ、私のような田舎者にはついて行くことが難しく思われます。
 これが文芸だとしたら、私にはあまり食指が伸びないものです。本当に、理解ができない残念さが先に立ちます。わが素養のなさ故、なのですが。


 
さて0302(2018.03.02)
 最近気分が内向きになり過ぎている気配で、何とかせねばなりません。
 照葉樹や季刊遠近などを読み、しばらく無沙汰にしていた漱石の「それから」にチャレンジしたいと思っています。
 鴎外も、太宰も、明治の作家の方から読み返したいと思います。
 やはり、読んでもらえる作品を書かねば始まりません。


 
はて0301(2018.03.01)
 照葉樹の「母性あふれる作品」を読んでいたら、数回書いてきたわがコメントが悲しくなりました。小さいもの、弱いものを、(いわゆる通常の)人の行動で包むと、そこには温かい人間関係が表れ出て当然ですから。
 その元をなすのは、いうまでもなく「母性(父性)」でしょう。目の前のことが放っておけない、計算などしない行動に出る。それが普通の母性でしょうから。
 残念なことに、母性というものの存在を、もの心つくまで知らずにきました。砂の上を歩いてきた…、というところでした。


 
また0228(2018.02.28)
 一方的に他を攻めたような書き方になっているとしたら、それは本意ではなく、私の間違いになります。
 この1年間に、社会的に経験してきたことは、子供のことは置いて、「正義が勝つ」とか、「良いものが評価される」などということとはまるで関係のないことが殆どで、理不尽が大手を振って歩く、という図ばかりを見せ付けられました。
 この傾向は、今も昔も変わりはないのでしょうが、「我が儘で、抜け目のない、狡猾で乱暴なものがやりたい放題」であるという、地獄絵図(があるのかどうか、ですが)に近いこの世界の現実でした。
 私など、ただでさえ「神経が過敏」になっていましたから、「武力を競ったり、暴利を貪ったり、他の領分を侵したり、ゴールポストを勝手に動かしたり、卑劣な勝負に出たりする」などという行為を見るにつけ、普段以上に憤りを覚えたものです。
 反面、必ずしも目立つ場所ではないのに、「さり気なく思いやる、黙って寄り添う、何気ない笑顔などに、奇跡のような美しさ」を見て、安らぎを感じました。と言いながら、「こういう理不尽な世はもう長くはないだろう」などと思いつつ来ましたが、それらはもとより、私などが裁けることではないことですから…。
 このように、揺れる気持ちを持ちながら、ある意味ではたいへん貴重な経験をさせてもらったのだと思いますし、魂が少しだけ磨かれたのかもしれないとも思います。この世での地位、名誉、評価、富などを一概に否定するものではありませんが、いずれこの世を去る定めとなっています。この世のモノをそのまま持っていくことは出来ないのですから、そのことにも思いをいたさねばならないのだと思うことです。
(この項、続きます)


 
それ0227(2018.02.27)
 前海主宰の織坂幸治氏の「ミニロマンぼんくら談義」を読み終え、数日になります。その印象が強いのです。
 私のように因習の掟にしばられている者にとっては、快哉であり、羨ましく、驚きでさえあります。いったい、マインドコントロールを施された私たちの掟とは、何と禍々しいものであるのか、とあきれるほどです。
 家が、長男が、兄妹全員が仲良く、と聞こえは美しいのですが、その兄妹が生育する過程がいかに歪められたのか、という前提を抜きにしては言えないのです。
 まことに不平等に、一方的な好みのままに育てられた子供たちが、どういう立ち位置で臨むべきか、なんともよくわからないのです。
 
 具体的な話はなくし、「親はあと1ミリ、視野を広くもってほしい」と思います。いつのときも、「昔はこうだった」「年齢順である」「親をみるのは当然である」となります…。
 しかし、幼時にどんな理由があったにせよ、「扱いを間違えた」という事実は理解してもらってもいいのではないか、と思うことです。
 当時「どこもがそうだった」「忙しかった」という科白では、見えてきません。
 今、子供を喪った私は、こういう弁明に敏感になっています。
(この項、続きます) 


 
これ0226(2018.02.26)
 そもそも、文芸を始めることになった切っ掛けは、幼い頃から「(広いものや広い場を)見せない」「家や親の妨げになることは知らしめない」「大切なことを教えない」「遊ばせない」「助けない」「不自由を強いる」などとした上で、「都合のよいように調教する」「言いくるめる」という親たち(母方の)の姿勢に、幾度も幾度も挑んだにも拘わらず、それが変わらなかったということにあります。
 普通、親が子供に願うのは「将来、家や親のために調教しよう」などとは考えないだろうということが、今回わが子を喪って初めて分かりました。
 もっとも、「子供を政争の道具にしたり」「売ったり」「殺したり」ということは、かつて行われていましたし、現代でも行われているようです。
 私も、それらの間で思いが揺らいでいましたが、この「子供を喪った」という体験を得て、子供の残したメッセージを感じるのです。「子供は家や親の道具ではない」「親の自慢のためにあるのではない」「与えられた筈の、個々の能力を伸ばしてやるのが親の務めというものだ」「子のためには、体をなげうってでも」…と、いうことを痛切に感じるのです。

 これが、何故文芸に繋がるのかということですが…。
 読むことも、遊ぶことも殆ど許されなかった私が、中学生の半ば頃、学校にはないとされていた図書室の本を、(戦中の習いだったのでしょうが)学校の物置場所を見ているうち、明治の頃の文学全集というものを見付け、意味もわからないままに眺めていると、「一挙に、眩しい光りが射してきた」のです。
 啄木であり、朔太郎であったりしました。古びた本の中に書かれたことの、何という自由で新鮮なこと! 一遍で、魅入られてしまった訳です。もしや、それらが文学全集ではなく科学や技術の本などであったとしても、同様に感化されたことでしょう。
 日頃の生活からは考えもしなかった「魂を揺すられる本」、だと思ったのです。それは、偶然でした。こちらが考えもしなかった世界でした。
 
 つまり、普段の抑圧された生活の中にはない、自由な精神の世界でした。(自由な世界だから、戦中は子供たちの目に触れない場所に置かれたのでしょう)
 そもそも、人は
「遊びをせんとや生まれけん たはむれせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声きけば 吾が身をぞこそゆるがるれ」(梁塵秘抄)ということが、もともと以前からあったのです。それが、「世間体が悪い」「仕事に差し支える」「友だち、親戚から馬鹿にされる」などという理屈に変えられ、「子供を縛る」という「ある目的のために、自由を奪い」「最も感性を磨くに適した子供時代の能力を抑圧する」という算段のもとに、躾がなされたのです。

 だから文芸、というには飛びすぎる話ですが、これは出会ったという「運命のようなもの」だと考えざるを得ないのです。確かにこうして「見たり、聞いたり、知ったことは」、国や家や親のためにはなりそうもありません。しかし、こういう希有の出会いをし、細い窓から、少しなりとも世界というものを見る契機となったことです。
 長じてからも、「文芸は毒だ」「退廃だ」「危険だ」と言われながらきました。出世や生活や家人のためには、「大荷物」となりかねません。
 私は「他を攻撃するため」とか、「自慢のため」とかに使うつもりはまるでありません。それでも、「不愉快だ」と言われることは現にあります。
 
 そもそも、文化というものを考えてみたいと思います。「自分は何ものか」「生まれて死ぬとはどういうことか」「世界はどういうふうに造られているか」「自分たちは何をするために、どこからきたのか」ということに発し、「人間関係とは」「動植物とは」「宙とは」「時間、空間とは」等々、考えねばならないこと、自分を耕さねばならないことなどは、際限なくありそうです。文芸でも、学問でも、商売でも何でもいいのですが、まずそれらの入口から入り、広く、深く、見て、聞いて、触れて感動し、情操を豊かにした上ですべきことこそが、今の「生」で私たちに与えられたことではないかと思うのです。
 長い口舌はこのくらいにして、私たちが「出会い」「驚き」「感動し」「自らの低さを知り」「故に自ら研鑽し」「他を尊重する」「己を空しくする」「己を低くする」ということの大切さを、とり急ぎの簡単な説明に替えたいと思います。
(この項、続きます)


 
ええ0225(2018.02.25)
 読み残している、織坂氏の著作「ミニロマンぼんくら談義」の最終章や、詩と眞実などをこれから読むつもりです。
 井本氏も無事に帰ってこられたようで、安心しました。
 根保氏からは、拙作の過分な評に対するお礼のメールを送付していたところ、丁寧な励ましのお返事をいただき、恐縮しきりです。


 
えと0224(2018.02.24)
 織坂氏の著作「ミニロマンぼんくら談義」の紹介を、同人のみんなにしました。織坂氏は海という「激しい荒波の場を自ら設け」「荒波を自らくぐってきた人」ですから、ものが違います。海の当初の「自由、軽妙、洒脱、痛快、力に媚びない」という雰囲気は、今思うと貴重過ぎるものだったのだと思います。
 この本を読むと、海の荒くれ男たちの雄叫びが蘇り、今の第二期のことなど「生真面目過ぎる?」と、呵々大笑されるのではないかと思うことです。


 
それ0223(2018.02.23)
 織坂氏の著作「ミニロマンぼんくら談義」を読んでみると、氏の慧眼を改めて感じるものです。的確にして軽妙、痛快、実に面白いのです。
 海時代の氏の作品はきれぎれに読んだものですから、今併せて読むときに感じる「凄さ」を感じないままだったのは、申し訳ない限りです。


 
はい0222(2018.02.22)
 ようやくPCのセットアップが終わりましたので、これからは文芸の方に目を向けます。読まねばならない本が溜まっていますし、子供のことも控えています。
 漱石の新規3冊の注文は多すぎたかなと思いつつ、この博識の作家の懐に入ってみねば、と思うことです。ともかく、今回は文豪と呼ばれる数人にしぼって、読んでみたい(再読ですが)と考えています。
 そうしないと、新人の芥川賞作家との対比が出来ませんから。


 
また0221(2018.02.21)
 また今日も文芸から遠ざかってしまいました。
 1台のPCのセットアップのなんとたいへんなことか、と頭を抱えています。  


 
まず0220(2018.02.20)
 まず、もなにもありません。WIN10の方に掛かりきりで、本の1行も読んでいません。この大層な手の掛かり具合からすると、31年6月の直前にとり掛かったのでは、とても間に合いません。ワードのフォーマットがちゃんと出来るという見通しをもたないことには話になりませんから、すべき「読む、書く」が疎かになります。
 パスワードを聞いてくるのですが、WIN10が聞いてくるのがどこのパスワードなのか、それすら意味が掴めずにいます。


 
また0219(2018.02.19)
 確定申告会場は騒音のため、漱石の「それから」を持って行ったものの、とても集中することができず、読めませんでした。
 戻ったら、注文していた「明暗」「道草」が届いていました。


 
はて0218(2018.02.18)
 漱石「それから」を読んでいましたが、WIN10が届いたので、セットアップをしました。時間のかかること、かかること。8時間は潰れました。
 現在WIN7がさくさく動いているので、なぜにWIN10を始めるのかということですが、これまでWIN10がらみでの編集トラブルが続いたので、編集側もWIN10を経験してみないことには、ということで思い切ったのです。が、「これは実に大変だ」と悲鳴をあげました。WIN7のサポートは後2年近くありますが、さまざまな事前案内もする手前、半年以上前には使いこなせるようにならないことには始まりません。
 半年前というのは、31年6月頃までには目鼻をつけなければいけませんので、今の時期にとりかかったという訳です。これから、1年余の時間で、編集関係をマスターしなければいけません。「結果、大変だ」ということが分かりました。


 
さて0217(2018.02.17)
 NHKドキュメンタリー「3.11万葉集-詠み人知らずたちの大震災」を読んでいます。注文していた「それから」が届きました。
 若竹作品「おらおらでひとりいぐも」の感想を、橋氏とやりとりしました。


 
さあ0215(2018.02.16)
 しばらく漱石を読み込んでみたいと思います。「それから」「明暗」「道草」が手元にないので、アマゾンに注文しました。
 若竹作品の方は、海の「特集」のために、まとめてみようと思います。


 
むむ0215(2018.02.15)
 漱石の「こころ」の最後は、先生の長い手紙です。東京の大学に通う先生が両親を亡くしたとき、田舎の家は叔父の世話で繋ぎ、先生の学費や生活費などを両親が残した財の中から送ってもらっていました。恩義を受けていると信じていた先生は、両親の財の多くを叔父に奪われたことを知り、親族のことが信じられなくなります。
 東京の下宿先には、「元軍人の奥さんと、お嬢さん」がいるのですが、先生は同郷のKを半ば無理矢理に同宿させます。先生はお嬢さんに好意をもっているのですが、いつかKもお嬢さんを好きになります。
 それは、Kが先生に胸の内を打ち明けることで知れることになりますが、先生は嫉妬する形で、Kが「自分が弱い人間で恥ずかしい。自分で自分がわからない」と悩む当人に向かい、「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」などと言い、Kの上にどういう影響があるかなどを見ようとします。先生は「自ら卑怯だ」と思われることの数々で、Kを追い詰めようとするのです。お嬢さんは、Kから好意を持たれているということは知らないままです。Kは先生以外には気持を告げませんし、先生の方も、自分もお嬢さんを好きだということをKに話すこともありません。
 ここらは漱石です。さすがに、心理の描き方、操り方が巧みで、どう書けばこういうふうに進むものか、私には到底できない複雑な方向に向かいます。
 Kから「覚悟」という言葉を聞かされた先生は、一方的に解釈し、先生の方がお嬢さんに好意をもっているということを、奥さんに打ち明けるしかないと決めます。仮病を使って学校を休んだ先生は、「お嬢さんをください」と言うのです。
 奥さんから話を聞いたKは、先生が態度を決めようとしている晩、喉をナイフで切って、一息に死んでしまいます。
 その後先生は、Kに脅えるのです。お嬢さんを妻にした後も、何も明かさずに逝ったKは「失恋のためではなく、淋しかったからではないか」などと考えてみるのですが、先生自身も「Kと同じ(道を辿るのでは…)」などと考えます。恐ろしい影が胸にひらめくようになり、人間の罪を意識するようになります。Kの墓にも参ります。しかし、動こうにも動けなくなるのです。死の道だけを残して…。
 長い手紙の最後には、「明治天皇が崩御されました。殉死でもしたらよかろう…」「妻から殉死したと思われたいのです。気が狂ったと思われても満足なのです」と書かれ、「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はこの世にはいないでしょう…妻が生きているうちは、あなた限りに打ち明けられた私の秘密として、すべてを腹の中にしまっておいて下さい」と結ばれています。
 この作品を殊更に云々することは、浅はかな私にはできないことです。文学、文芸が、こうまで険しく、強く、かつ脆いものであるのかとじっと考えます。
 

 
さぶ0214(2018.02.14)
 漱石の「こころ」の終盤です。主人公の帰省する田舎でも、子供が学問をするとその地域を出て行く、という悩みがあるのですね。
 親は、自慢ではあるけれど子供に置いていかれる(親の科白に、「子供に学問をさせるのも、好し悪しだね。せっかく修業をさせると、その子供は決して宅へ帰って来ない。これじゃ手もなく親子を隔離するために学問させるようなものだ」とか、「昔の親は子に食わせてもらったのに、今の親は子に食われるだけだ」とある)ということが、問題だったのですね。100年後の今も、私には突き付けられる問題ですが。


 
さむ0213(2018.02.13)
 芥川賞受賞作品「おらおらでひとりいぐも」(若竹千佐子)の感想を書いてみました。作者の視点のうち、四十六億年の歴史、今後も続く、われわれはその繋がりの中にある、死者の世界が必ずある、それは近いところにあるというものです。
 身近な者が行った世界に行くことは辛いことではない、「安心である」。死は恐れではなく「解放である」という点が、思いを同じくするところです。そういう意味において、「私の言いたいこと全部をヤラレタ」という感の方が強くあります。


 
ええ0212(2018.02.12)
 第158回芥川賞受賞作品「おらおらでひとりいぐも」(若竹千佐子)を読んでいます。全体に東北弁が使われており、最初読みづらさを感じましたが、中途からは作者の視点に感応し、久しぶりに堪能しました。
 選考委員の評はそれなりのものでしょうが、わが感じた点とは異なります。ただ、私の場合は感想に過ぎませんから。


 
えと0211(2018.02.11)
 第158回芥川賞受賞作品掲載の、文藝春秋を買ってきました。作品に入る前に、朝鮮半島問題、慰安婦合意、北朝鮮軍の陣容、平昌オリンピック関係の記事が面白くて、先に読んでいます。
 芥川賞作品は、その後でということになります。
 漱石も読んでいるのですが、「こころ」の中途です。


 
それ0210(2018.02.10)
 本箱に入れていない本で、床に積み上げているものだけで何百冊あったのやら、机を動かした途端に山崩れになり、無残に崩落。机の向きを換え、今度は古典、現代、詩歌、外国などと分けるのにも一苦労でした。
 少しは区分けしないと、どこに何があるのやら。大まかに分け、種別毎に置き場を違え、整理してみました。積ん読だけで殆ど中身は理解していないのに、数は増える一方。本となると、断捨離がなかなかできないもので、いけません。


 
はい0209(2018.02.09)
 海第20号の小説を整理してみました。が、なにか一つ、二つ納得いかない点があり、これはしばらく寝かせておくことにします。
 俳句、詩、特集の方も何とかしたいと思うのですが、これらも機が熟してこないと書けないのでしょう。よって、気持だけは切らさないようにと努めます。


 
まず0208(2018.02.08)
 まず、有線ランルータから無線ランルータに換えたということで、よしとします。これから、WIN10やワード問題に入ることにします。
 漱石の「三四郎」は昨夜読み終えました。漱石の文体には味があります。先人だとか、明治の人だとかの古い印象はなく、現代の作品として読み、なんら無理はないし、影響を受けてもよい(影響を受けるべき)ものだと思いました。
「平成28年熊本地震 震災万葉集」も届きました。


 
また0207(2018.02.07)
 夏目漱石「三四郎」を読み返しています。漱石の博学と、文章の切れのよさに、さすがだなと思わせられます。内容も現代のものと比べ、古びてなどいません。
 海の作品にもかかりたいと思います。小説、詩、俳句、特集作品と、しっかりと書き込みたいと思います。
「3.11万葉集(詠み人知らずたちの大震災)」も届きました。


 
はて0206(2018.02.06)
 全作家短編集の原稿を出しました。
 早くも海第20号の原稿が入ってきたので、おおまかな準備をしてみました。その中で、ルビの付け方の工夫を知ったりと、収穫がありました。
 かねてから興味のあったWIN10対応のこと、特にルーターのことなど、本格的に調べてみました。いつか、無線ルーターを入れ、WIN10も、WORD16も考えねばならなくなってくるのでしょうね。
 まず、夏目漱石から始めました。


 
さて0205(2018.02.05)
 熊本地震の万葉集を注文しましたが、「今在庫切れ」だそうです。同じ日に注文した東日本の「震災・原発被災の万葉集」の方が、先に届きました。
 後者の方を読み終えましたが、本当に心打たれます。タイトルは「変わらない空」というもので、「泣きながら、笑いながら」という副題がついています。
 短歌の90首は全て英訳され、「ニューヨークの人びとが泣いた」との帯があります。本当に何故の被災なのか、考えても多分答えは出ない筈ですが、あの震災の苛烈さ、惨さ、それに打ち砕かれた命や絆や思い出などの無念さ、悲しさ、苦しさが真っ直ぐに伝わってきますし、「変わらない空」の美しさを、まるで何ごとも嘘であったかのように見上げるという空しさは辛いものです。だからこそ、希望に変えねばという祈りとなって迫ってきます。「ぼくは、この短歌を読み、かなしいけれど、のぞみを持つことができました」という帯の片面の声が、さらに感動を強くしてくれます。
 さて、わが課題でもある「文学オンチ」を何とかすべく、「わかるわからないは別として」明治期からの古典を引っ張りだし、目を通すことにしました。


 
さあ0204(2018.02.04)
 終末時計が回り始めたというのに、「文学、文芸」でもなかろうという声が聞こえてきます。しかし、こういう時期だからこそ「文学、文芸」の出番ではないかとも思います。この時期、政治や経済や科学というオーソドックスな方法の方に、何が見えますか。
 政治や経済や科学の「正義論」に、果たして何を期待できましょうか。
 今、この時勢に、「希望を膨らませる」何が見付かりましょうか。一日一刻を生きねばならないということが見えてきた現在「日月神示」などを読んで、ただ鬱ぎ込んでばかりいるという訳にもいかないでしょう。
 こういうときにこそ、芸術(音楽、美術、文学など)の「揺らぎの精神」の方に焦点を合わせると、見えてくるものがあるのかもしれません。


 
むむ0203(2018.02.03)
 全作家短編集に出す原稿を、かなり時間をおいて見直しました。もう少し書き込んで、かなり趣の違う作品にすることも可能ですが、今回はここまでとします。
 新たな作品の構想もしなければならないのですが、こちらの方はアイデアが浮かんでくるまで待つことになります。
 わがアイデアは、理屈では生まれませんので、幸いを待つ。ただ、待ちながら偶然の閃きを掴まえる、ということしか方法はありません。それまでは、まるで関係のない本を読んだり、歩いたりという具合に過ごすことになります。 


 
さぶ0202(2018.02.02)
 F女史から思いがけない電話をいただき、励ましていただきました。
 海のホームページの更新をしました。半月ぶりです。
 新編集委員の紹介、寄贈先の吟味のことなどを書き込みました。


 
さむ0201(2018.02.01)
 今日も暖かい訳ではないのですが、昨日の最低気温-2.8度が、今日は2.6度に変わったところ、ずい分心地良く感じるから不思議です。
 西日本文学展望に取り上げられた長崎文学と、詩と眞実の当該作を読みました。前者は軍艦島らしい場所を舞台に、幼年時代から青春時代にかけての男女の交流をフィクションを交えて描かれた作品で、感傷に流れない書き方が印象に残りました。
 後者は、ロンドン在勤の主人公が、田舎の母(みかん農家。母は余命いくばくもない)の元に一事的に戻り、母を背負って海を見下ろすというもの。この母はとても母性溢れる方のようで、幼いときから主人公を愛し育ててきた方。故に、背に負った母の温もりがジンと伝わってきました。(羨ましい…ものです)
 小説はフィクションですから、母の愛情を描いてもいいのですが、私にはできない芸当だと思われ、かなり落ち込んでしまいました。
 海のメール回議の結果を纏め、委員などに送付しました。


 
ええ0131(2018.01.31)
 海第19号の評や、感想が届き始めました。ありがたいことだと思います。
 今号では、私事のためにお見舞いをいってくださる方が多く、そのため海の作品全体に対する感想が少なくなっていました。今回はなかなかいただけないな、と弱気になっていたところに、JSさんから感想をいただきました。よく読み込んでいただいたものだ、と感謝するのみです。
 この諸事に気忙しい中、他誌の作品を読むという時間は、なかなかとれないものです。しなければならないことも多く、また、つい易きに流れてしまいます。
 一方、この数日は、飯田史彦氏の本から貴重なことを学びました。


 
えと0130(2018.01.30)
 飯田史彦氏の「生きがいのメッセージ」を読み終え、橋氏に感想を送りました。「私とは魂をもつ肉体ではなく、肉体をもつ魂だ」とは、深いですね。
 この生=肉体をもつ間は、「愛と許しと感謝を学ぶための、貴重な機会であり、学校であり」、当面の学びを終えたものは卒業(肉体を脱ぐ=死)し、しかるべきところへ戻っていくというものです。よって、死は魂の終わりではありません。
 また、「人生は何をもっているかじゃない。何をするかなんだ。愛があるかないか、問題はそれだけだ」となります。
 人生、与えてもらったというだけで、感謝しかありません。


 
それ0129(2018.01.29)
 飯田史彦氏の「生きがいのメッセージ」「ソウルメイト」を読んでいます。
 橋氏のお勧めによるもので、興味深く読んでいます。


 
はい0128(2018.01.28)
 同人誌作品についての感想や、子供のことでのお礼状を書き、投函しました。
 飯田史彦氏の本を、さらに追加注文しました。


 
まず0127(2018.01.27)
 直木賞系の短編集に飽きましたので、同人誌作品を何点か読みました。
 後者の方が勝る、と思ってしまうのは何故でしょう。


 
また0126(2018.01.26)
 短編ベストコレクションを読んだりします。これは、直木賞系の短編ですから、さすがにストーリーに切れがあります。
 読ませるコツを掴んだ作家の作品ですから、読み手の気持ちを逸らしません。読むスピードも速くなります。(つまらなく感じるときもあります)
 芥川賞系の作家のは、そうはいきません。読んでも頭に入ってこない「日本語(に違いはないのですが)」があったりして、はたしてこれでいいのだろうかと思うこともあります。専門家の評価は、断然後者の方が高いわけですが。
 外国文学の方は、やはり日本語で躓きます。誰が訳したのかで。


 
はて0125(2018.01.25)
 子供のことで寒中見舞いをくださった皆様に、お礼状を順次したため、送っています。多くの方にお気遣いいただき、感謝に堪えません。
 また、本の紹介をしていただいたりもします。私自身、この世と別の世の間をうろうろしていますから、教えていただき、考えます。
 みんなが等しく行く「死の世界とはどんなところだろう」という問いは幼い頃からもっていましたが、自分の子供が行ったとなると、真剣になります。
 そのような本を読み、考え、感じることが日課になりましたし、一方、昨日からいっているように、「今は、この世でしっかり生きる」ことがなにより大切ですから、今を粗末にしてはいけません。ただ、以前と異なり、「何がなんでもこの世に執着しよう」とは思わなくなりました。これは、逃げでも何でもありません。


 
さて0124(2018.01.24)
 昨日、部屋の本の整理が追い付かなくなったため、ふと足元の本を取り上げてみました。文芸本だと読むスピードが遅く、読んだ端から忘れていくものですから、これではなんにもなりやしないと思っていたところです。
 で、捨ててもいいと思って積み上げていた本数冊を、半日で読み終えました。読むといっても、要点だけを読んだのですが、こういう読み方も悪くないなと思ったものです。たまには、こういう本にも目を通さないと錆び付いた頭がますますいびつになり、頑固に向かいゆくばかりではないかと思い、書き上げてみました。
「前向きになれる50のヒント」「ブラック心理学」「お金を稼ぐための勉強法」「知的ストレッチ入門」
 これから半日で読もうとする本
「自分の中に奇跡を起こす!」「どう生きるか、自分の人生!」「今できることから始めよ!」「女性の神秘」・・


 
さあ0123(2018.01.23)
 さあ、と掛け声はかけたものの、かんたんに書けるものではありません。
 気が満ちるのを待ちます。
 フォークナーにかかりましたが、訳がぎこちなく、うまく入ってきません。まあ、馴染むまではしばし我慢です。


 
むむ0122(2018.01.22)
 小川国夫が「悲しみの港」のなかで、常に触れていたフォークナーの「八月の光」を注文していましたが、届きました。短編集とともに。
 あまりのめり込まずに、読んでみたいと思います。
 それにしても、海第19号の評は遅いですね。とらわれてはいませんが。


 
さぶ0121(2018.01.21)
 小川国夫の「逸民」を読み終えました。
 全作家短編集向けの作品は一応できたのですが、なんとも切れ味に欠けており、もう少し提出を見合わせることにします。
 文体が単線になっており、ストーリーもいま一つです。


 
さむ0120(2018.01.20)
 全作家短編集向けの作品をまとめています。これは、いつも北日本文学賞に投稿した作品を充てているのですが、いま一つ気合いが入っていないものです。
 過去に発想したり、手掛けた作品の方が扱い易いのですが、これではお茶を濁したに過ぎません。やはり、新たに発想し、書き上げねばならないようです。
 

 
ええ0119(2018.01.19)
 芥川賞・直木賞に、少し口を挟みすぎました。
 こちらは文芸同人誌です。まず、この誌面で「芥川賞などを越える作品」を1作でも、2作でも、そしてコンスタントに出していければと思います。
 一方、足腰を強くするため、全国公募へは積極的に応募していただきたい、と思うものです。同人誌が先か、応募が先かは時が決めるでしょう。
 海を、閉鎖空閑にはしたくないし、反面売文家を育てる場にもしたくないと思います。読み応えのある、only1の作品を書くための場なのですから。


 
えと0118(2018.01.18)
 小川国夫「悲しみの港」を読了しました。主人公である作家が、こうも神経を使いながら書いて(生活して)いるというのが、印象に残りました。簡潔で分かり易い文章なのに、単純ではない情味、意味が込められ、音楽で言う和音となって響きます。描く風景や心象も単純ではなく、そのレベルに感心しました。
 最初、「俺たちが十九の時」から読み始めたときにはそれほど惹かれず、それ以降放っていたのですが、今では「捨て置けない」と思い、「青銅時代」「アポロンの島」「逸民」も読み進んでみようと思っています。「悲しみの港」に度々登場するフォークナーの「八月の光」も読みたくなり、注文しました。


 
それ0117(2018.01.17)
 第158回芥川賞・直木賞受賞者が決定に関し、私見を交流掲示板に書き込みました。なにも、認められることが目的ではなく、大きな目標を定めて作品にかかるということは、やはり大切なことだと思いました。
 全国公募に応募しなくなって数年になります(短編の公募を除く)が、しっかりとした目標を持つということは、作品を書く動機付けにもなるし、工夫することにもなるのだと思い返しました。もちろん、売文が目的ではありません。


 
はい0116(2018.01.16)
 小川国夫の「悲しみの港」を読んでいます。
 第158回芥川賞・直木賞受賞者が決定したとのことです。

芥川賞に石井さん、若竹さん=直木賞は門井さん
時事ドットコム 2018.1.16
第158回芥川・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が16日夕、東京・築地の新喜楽で開かれ、芥川賞には石井遊佳さん(54)の「百年泥」(新潮11月号)と若竹千佐子さん(63)の「おらおらでひとりいぐも」(文芸冬号)の2作が、直木賞には門井慶喜さん(46)の「銀河鉄道の父」(講談社)がそれぞれ選ばれた。

石井さんは初候補で受賞した。作品はインドで日本語教師として働く女性の物語。大洪水で1世紀にわたり川底に堆積した泥が巻き上げられ、中から出現した品々にまつわる人々の混然とした記憶が実体化していく。
若竹さんはデビュー作、初候補での受賞。2013年に75歳で受賞した黒田夏子さんに次ぐ高齢記録となる。新たな老いの境地を描いた受賞作は、74歳で独り暮らしの桃子さんが主人公。夫は他界、子どもらとも疎遠な日常の中、心には懐かしくもにぎやかな東北弁の声が満ち始める。
選考委員の堀江敏幸さんは、石井さんの「百年泥」について「混沌(こんとん)としたインドの現実と奇想、妄想をうまく物語に収めた」と評価。若竹さんの「おらおらでひとりいぐも」については「東北弁と標準語をバランス良く配し、言葉に活気、勢いがある」と、年齢を感じさせない「若々しさ」に言及した。
一方、門井さんは3回目の候補。作品は「銀河鉄道の夜」で知られる宮沢賢治とその父・政次郎の関係を描く。何事にも前のめりな息子への愛と、親としての建前のはざまで揺れる父の姿が浮き彫りにされる。
選考委員の伊集院静さんは「歴史的事実だけでなく、賢治を思う父、父を思う賢治という、人間の感情が非常にうまく書かれていた。門井ワールドと言える短い文章で端的に表し、ユーモアもある」とたたえた。

若竹千佐子さんについて(ネットで検索したもの))
1954(昭和29)年 岩手県遠野市に生まれる。現在63歳。
岩手大学卒業後、教員となる。
27歳で結婚して以来専業主婦。
55歳で夫と死別し、その後、小説講座に通う。
2017年 
処女作「おらおらでひとりいぐも」で第54回文藝賞受賞、第158回芥川賞候補となる。
※夫に先立たれ、深い悲しみに沈んでいる若竹さんを見て、息子さんが
小説講座に行くのを勧めてくれたという。


 
まず0115(2018.01.15)
 海のメールによる書面回議資料を作成し、送信しました。
 小川国夫の作品「悲しみの港」ですが、文体が簡潔で、しかも粘り強く、場面が飛びながらも幾つもの角度から、鮮明な絵となって生まれ出ます。
 これまで読んでいなかったのは何故だろう、と切に思うことです。


 
また0114(2018.01.14)
 天満宮に行ってきましたが、これから小川国夫を読むことにします。
 海編集委員会のメール回議の方は、まだ準備が整わないようです。


 
はて0113(2018.01.13)
 小川国夫を読み始めました。
 昨日親不幸通りで、「雪5句」を詠もうということになりました。俳句はまことに難しく、次のあたりで取り敢えず勘弁していただきます。
 鴨七羽肩寄せ合ふて雪の川
 笛鳴らしゆるゆる渡る雪の川
 傘に積む雪の青さを胸に負ひ
 胸重し時の疾さよ雪の道
 さあ降れよ雪に巻かれて行くもよし


 
さて0112(2018.01.12)
 海の現状と展望についての雑談を、天神獏で行いました。
 編集委員の追加、寄贈先の確認、懇談会(編集委員会)の定例化などを、編集委員会に提案したいと考えています。
 話は文学の話題を越えて広がり、意義あるものだったと思います。


 
さあ0111(2018.01.11)
 さあ、と気合いを入れようと思いましたが、あまりに寒く縮んでいます。
 海寄贈者関係の資料などを、完成させねばなりません。


 
むむ0110(2018.01.10)
 現在の海寄贈者リストを整理し、一覧に作成します。


 
さぶ0109(2018.01.09)
 海のことから少し離れ、子供のアルバム整理をしました。
 注文していた相田みつをの本、5冊が届きました。


 
さむ0108(2018.01.08)
 海の新春懇談会は、日程のやりくりがつかず、やむなく中止にしました。
 HPのトラブルは、「調整ができないな」と嘆息しているところで、無意識に「エンター」キーを押したものでした。
 ブルーな気分でパソコンをいじっていたりしたら、とんでもないことになるというよい見本になりました。
 海関係の雑務からしばらく離れ、休憩した方がよいのかもしれません。


 
ええ0107(2018.01.07)
 海の新春懇談会の日程照会を行っています。寄贈者の点検・確認という提案がありますし、次号20号は10年という記念号になります。その小特集についての案内は終えていますが、今後の方向性については意見交換をする必要があります。
 渡辺和子さんの本に釘付けになっています。


 
えと0106(2018.01.06)
 渡辺和子さんの本を続けて読んでいます。
 今は、小説にはちょっと入れない気分です。


 
それ0105(2018.01.05)
 渡辺和子さんの本は、心に沁みます。父上は2.26で反乱軍に殺された方だそうです。わが子の命日も2.26。それに渡辺さんの出身大学は、わが子供と同じですね。
 このあたりは、なにか縁を感じてなりません。
 渡辺さんのお好きな、相田みつをの本を注文しました。子供のラインを見ていると、相田みつをという名前がよく出てきますので‥。


 
はい0104(2018.01.04)
 全作家の掌編や、渡辺和子の本などを読んでいます。
 井上靖の「闘牛」ほかも読んでみたいと思います。また、同人誌の作品なども。


 
まず0103(2018.01.03)
 井上靖の「星と祭」を読み終えました。長い作品でしたが、読み終えると映画でも観たような色や形や月の輝きなどが残っています。
 細部は決して巧みとは思えなかったのですが、全体を俯瞰してみると、鮮やかなものがあります。小説は、やはり「すばらしいものだ」と再認識をさせられました。


 
また0102(2018.01.02)
 井上靖の作品を読み終えようと思っていたら、突然のプリンターの故障。それも、再起不能という態です。まるで、わが子供の最後を見るよう。
 同時期に買った古いプリンターを持ち出し、一応の対応はできましたが、こう問題が突然降ってきたら、と考えます。人の命も、こういうものなのではないかと。
 もう残りの時間の方をカウントするようになりました。決して、後ろ向きのことではありません。人間、生まれてきた以上、みなこの道を辿るのですから。
 子供が先に逝って、お蔭で先のことを恐れる気持がなくなりました。同時に、艶やかな話や、憧れも同時に吹き飛んでしまいました。


 
はて0101(2018.01.01)
 2018年がやってきました。
 よい作品とはどういうものかは分かりませんが、今手掛けることの出来るベストの作品を書きたいと思います。
 とにかく、一日、一日を大切に歩みたいと思います。



 索 引


2018年

はて0101
(2018.01.01)


また0102
(2018.01.02)


まず0103
(2018.01.03)


はい0104
(2018.01.04)


それ0105
(2018.01.05)


えと0106
(2018.01.06)


ええ0107
(2018.01.07)


さむ0108
(2018.01.08)


さぶ0109
(2018.01.09)


むむ0110
(2018.01.10)


さあ0111
(2018.01.11)


さて0112
(2018.01.12)


はて0113
(2018.01.13)


また0114
(2018.01.14)


まず0115
(2018.01.15)


はい0116
(2018.01.16)


それ0117
(2018.01.17)


えと0118
(2018.01.18)


ええ0119
(2018.01.19)


さむ0120
(2018.01.20)


さぶ0121
(2018.01.21)


むむ0122
(2018.01.22)


さあ0123
(2018.01.23)


さて0124
(2018.01.24)


はて0125
(2018.01.25)


また0126
(2018.01.26)


まず0127
(2018.01.27)


はい0128
(2018.01.28)


それ0129
(2018.01.29)


えと0130
(2018.01.30)


ええ0131
(2018.01.31)


さむ0201
(2018.02.01)


さぶ0202
(2018.02.02)


むむ0203
(2018.02.03)


さあ0204
(2018.02.04)


さて0205
(2018.02.05)


はて0206
(2018.02.06)


また0207
(2018.02.07)


まず0208
(2018.02.08)


はい0209
(2018.02.09)


それ0210
(2018.02.10)


えと0211
(2018.02.11)


ええ0212
(2018.02.12)


さむ0213
(2018.02.13)


さぶ0214
(2018.02.14)


むむ0215
(2018.02.15)


さあ0216
(2018.02.16)


さて0217
(2018.02.17)


はて0218
(2018.02.18)


また0219
(2018.02.19)


まず0220
(2018.02.20)


また0221
(2018.02.21)


はい0222
(2018.02.22)


それ0223
(2018.02.23)


えと0224
(2018.02.24)


ええ0225
(2018.02.25)


これ0226
(2018.02.26)


それ0227
(2018.02.27)


また0228
(2018.02.28)


はて0301
(2018.03.01)


さて0302
(2018.03.02)


また0303
(2018.03.03)


まず0304
(2018.03.04)


はい0305
(2018.03.05)


それ0306
(2018.03.06)


えと0307
(2018.03.07)


ええ0308
(2018.03.08)


さむ0309
(2018.03.09)


さぶ0310
(2018.03.10)


むむ0311
(2018.03.11)


さあ0312
(2018.03.12)


さて0313
(2018.03.13)


また0314
(2018.03.14)


まず0315
(2018.03.15)


はい0316
(2018.03.16)


それ0317
(2018.03.17)


えと0318
(2018.03.18)


ええ0319
(2018.03.19)


さむ0320
(2018.03.20)


さぶ0321
(2018.03.21)


むむ0322
(2018.03.22)


さあ0323
(2018.03.23)


さて0324
(2018.03.24)


また0325
(2018.03.25)


まず0326
(2018.03.26)


はい0327
(2018.03.27)


それ0328
(2018.03.28)


えと0329
(2018.03.29)


ええ0330
(2018.03.30)


これ0331
(2018.03.31)


それ0401
(2018.04.01)


えと0402
(2018.04.02)


ええ0403
(2018.04.03)


むむ0404
(2018.04.04)


さあ0405
(2018.04.05)


さて0406
(2018.04.06)


また0407
(2018.04.07)


まず0408
(2018.04.08)


はい0409
(2018.04.09)


それ0410
(2018.04.10)


えと0411
(2018.04.11)


ええ0412
(2018.04.12)


むむ0413
(2018.04.13)


さあ0414
(2018.04.14)


さて0415
(2018.04.15)


また0416
(2018.04.16)


まず0417
(2018.04.17)


はい0418
(2018.04.18)


それ0419
(2018.04.19)


えと0420
(2018.04.20)


ええ0421
(2018.04.21)


むむ0422
(2018.04.22)


さあ0423
(2018.04.23)


さて0424
(2018.04.24)


また0425
(2018.04.25)


まず0426
(2018.04.26)


はい0427
(2018.04.27)


それ0428
(2018.04.28)


えと0429
(2018.04.29)


ええ0430
(2018.04.30)


むむ0501
(2018.05.01)


さて0502
(2018.05.02)


また0503
(2018.05.03)


まず0504
(2018.05.04)


はい0505
(2018.05.05)


それ0506
(2018.05.06)


えと0507
(2018.05.07)


ええ0508
(2018.05.08)


さあ0509
(2018.05.09)


さて0510
(2018.05.10)


また0511
(2018.05.11)


まず0512
(2018.05.12)


はい0513
(2018.05.13)


それ0514
(2018.05.14)


えと0515
(2018.05.15)


ええ0516
(2018.05.16)


さあ0517
(2018.05.17)


さて0518
(2018.05.18)


また0519
(2018.05.19)


まず0520
(2018.05.20)


はい0521
(2018.05.21)


それ0522
(2018.05.22)


えと0523
(2018.05.23)


ええ0524
(2018.05.24)


さあ0525
(2018.05.25)


さて0526
(2018.05.26)


また0527
(2018.05.27)


まず0528
(2018.05.28)


はい0529
(2018.05.29)


それ0530
(2018.05.30)


えと0531
(2018.05.31)


ええ0601
(2018.06.01)


さあ0602
(2018.06.02)


さて0603
(2018.06.03)


また0604
(2018.06.04)


まず0605
(2018.06.05)


はい0606
(2018.06.06)


それ0607
(2018.06.07)


えと0608
(2018.06.08)


ええ0609
(2018.06.09)


さあ0610
(2018.06.10)


さて0611
(2018.06.11)


また0612
(2018.06.12)


まず0613
(2018.06.13)


はい0614
(2018.06.14)


それ0615
(2018.06.15)


えと0616
(2018.06.16)


ええ0617
(2018.06.17)


さあ0618
(2018.06.18)


さて0619
(2018.06.19)


また0620
(2018.06.20)


まず0621
(2018.06.21)


はい0622
(2018.06.22)


それ0623
(2018.06.23)


えと0624
(2018.06.24)


ええ0625
(2018.06.25)


さあ0626
(2018.06.26)


さて0627
(2018.06.27)


また0628
(2018.06.28)


まず0629
(2018.06.29)


はい0630
(2018.06.30)


それ0701
(2018.07.01)


えと0702
(2018.07.02)


ええ0703
(2018.07.03)


さあ0704
(2018.07.04)


さて0705
(2018.07.05)


また0706
(2018.07.06)


まず0707
(2018.07.07)


はい0708
(2018.07.08)


それ0709
(2018.07.09)


えと0710
(2018.07.10)


ええ0711
(2018.07.11)


さあ0712
(2018.07.12)


さて0713
(2018.07.13)


また0714
(2018.07.14)


まず0715
(2018.07.15)


はい0716
(2018.07.16)


それ0717
(2018.07.17)


えと0718
(2018.07.18)


ええ0719
(2018.07.19)


さあ0720
(2018.07.20)


さて0721
(2018.07.21)


また0722
(2018.07.22)


まず0723
(2018.07.23)


はい0724
(2018.07.24)


それ0725
(2018.07.25)


えと0726
(2018.07.26)


ええ0727
(2018.07.27)


さあ0728
(2018.07.28)


さて0729
(2018.07.29)


また0730
(2018.07.30)


まず0731
(2018.07.31)


はい0801
(2018.08.01)


それ0802
(2018.08.02)


えと0803
(2018.08.03)


ええ0804
(2018.08.04)


さあ0805
(2018.08.05)


さて0806
(2018.08.06)


また0807
(2018.08.07)


まず0808
(2018.08.08)


はい0809
(2018.08.09)


H30.08.19
(2018.08.19)


H30.08.20
(2018.08.20)


H30.08.21
(2018.08.21)


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H30.08.23
(2018.08.23)


H30.08.24
(2018.08.24)


H30.08.25
(2018.08.25)


H30.08.26
(2018.08.26)


H30.08.27
(2018.08.27)


H30.08.28
(2018.08.28)


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(2018.08.29)


H30.08.30
(2018.08.30)


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(2018.08.31)


H30.09.01
(2018.09.01)


H30.09.02
(2018.09.02)


H30.09.03
(2018.09.03)


H30.09.04
(2018.09.04)


H30.09.05
(2018.09.05)


H30.09.06
(2018.09.06)


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(2018.09.07)


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(2018.09.08)


H30.09.09
(2018.09.09)


H30.09.10
(2018.09.10)


H30.09.11
(2018.09.11)


H30.09.12
(2018.09.12)


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(2018.09.13)


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(2018.09.14)


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(2018.09.15)


H30.09.16
(2018.09.16)


H30.09.17
(2018.09.17)


H30.09.18
(2018.09.18)


H30.09.19
(2018.09.19)


H30.09.20
(2018.09.20)


H30.09.21
(2018.09.21)


H30.09.22
(2018.09.22)


H30.09.23
(2018.09.23)


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(2018.09.24)


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(2018.09.25)


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(2018.09.26)


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(2018.09.27)


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(2018.09.28)


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(2018.09.30)


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(2018.10.01)


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(2018.10.02)


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(2018.10.05)


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(2018.10.11)


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(2018.10.12)


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(2018.10.13)


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(2018.11.02)


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(2018.11.19)


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H30.12.01
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