コーヒータイム

「無名作家のメモ」、「無名作家のつぶやき」とでもいうべき欄です。
このHPの中で、管理人が、最も気楽に書いている部分です。内容は、やはり「文芸について」です。


ということでありましたが、評の類はどうにも苦手であるということがわかりました。
2010年2月からは、「小説に至るメモ」の場として、この欄を使いたいと思います。乱雑なメモ、の類に終止するかもしれません。
私生活については原則として触れないことにいたします。同人誌等の関係者の記述をする場合にあっても、出来得る限り御迷惑にならないように心掛けるつもりでおります。

NO 9
2018年01月以降の分は→ NO10へ
 2016年12月までの分は→ NO8へ
2015年12月までの分は→ NO7へ
2014年12月までの分は→ NO6へ
2013年12月までの分は→ NO5へ
2012年12月までの分は→ NO4へ
2012年03月までの分は→ NO3へ
 2011年06月までの分は→ NO2へ
2009年12月までの分は→ NO1へ




 
さて1231(2017.12.31)
 文芸の関係は、海のホームページに多くを書きました。
 今年は、子供のことを中心に作品を書いてきたといっても過言ではありません。私にとっては、それほど大きな出来事でした。子供のことも、まだ殆ど書けていません。
 2018年以降がどういう状況になるのか懸念するところですが、殆ど書いていないことを、少しでも書くことができれば、と思います。また、これまで焦点が合わないままで放置してきたことも、ちゃんと納得がいく段階にまで整理したいと思います。
 それには、村松氏の「文章王」ほかから受けた印象などが力になりそうです。参考資料の利用ということも、大切なことだと思うことです。


 
さあ1230(2017.12.30)
 さあ、もないものですが、会計報告の質疑受付期限がきたので、原案を了承いただいたことになります。これで、ようやく第19号が終わりました。
 昨日のことになりますが、わざわざ東京の文学街から電話をいただき、「海の作品はよく出来ている」「笹原さんの詩がすばらしい」とのことでした。
 ありがたく、たいへん励みになることです。
 今日は、全作家の作品数編を読みました。全作家も、きちんとした出来映えではないだろうか、と思いました。


 
むむ1229(2017.12.29)
 全作家に、寄贈本が2冊、アマゾンに注文していたCD2枚が届きました。
 全作家は掌編特集号です。54作が掲載されています。ということは、会員の半数が作品を出しているということです。
 全作家の30年2月以降、1年分の会費を納入しました。


 
さぶ1228(2017.12.28)
 寒い中、部屋を開け放ち掃除です。わが部屋は、大量の本や資料に埋もれています。たいへん残念なのですが、ぶ厚い全作家の短編集や、海の保管分も号によって残部にバラつきがあるため、5部を残し処分することにしました。
 本当に「さぶ」という気持です。個人の狭い家ですので、保管するには限度がありますが、寄贈いただいた他誌にはできるだけ手を付けないように、と心掛けています。しかし、それにも限度がありますから、‥。ま、先のことは先で考えましょう。


 
さむ1227(2017.12.27)
 本当に寒い一日でした。井上靖の「星と祭」を読んでいます。600頁ありますから、1/3のあたりです。
 CDを聴きながら、当面これに挑戦します。


 
ええ1226(2017.12.26)
 いただいたCDを聴きながら、パソコンに向かっています。これまで、音楽とパソコンは同時には出来なかったのですが、心を柔らかに解してくれる音楽だと、両方が可能になるのですね。故に、アマゾンにCDを注文したりしました。
 ようやく海の1号が終わったので、しばらく積ん読の中から何冊かを読んでみたいと思います。読んでもすぐに忘れるのが、気になりますが。
 細々したところまでは望まず、エキスをいただくつもりで。


 
えと1225(2017.12.25)
 海の会計を締切り、会計報告をしました。
 何度やっても、この会計というのも辛い仕事ですね。
 アマゾンから本が2冊届きました。井上靖の分です。


 
それ1224(2017.12.24)
 アマゾンから本が届いたので、読むことにしました。
 久留米市在住の直木賞作家:葉室麟氏(66)が、12月23日死去されました。


 
はい1223(2017.12.23)
 郵便局に行ってきましたが、納入はまだです。もう少し時間を置くことにします。このままでも会計報告が出来ないことはないのですが。
 この間は、資料を読むことに当てましょう。なにしろ、積ん読が多すぎて、収拾がつかないままですので。 
 そんな中、またアマゾンに注文したりで積ん読候補が増えます。


 
まず1222(2017.12.22)
 会計報告にかかるタイミングをみていますが、納入が終わったかどうかということで、12月25日に行うことにしました。
 12月25日現在で、万一未納があれば、いたしかたありませんが、その旨の内容で事務を進めさせてもらいたいと思います。この期に及んであせっても仕方ないことです。1号がいつまでも終わらない、という悩みはありますが。


 
まあ1221(2017.12.21)
 くだんのタイトルが決まらないので、もう「解り過ぎるほどのタイトル」を付けました。が、ちょっと品がないな、というのが今の感想です。
 タイトルは難しい。何日も何日も考えたのですが、最悪の結果になったかもしれません。もともと原タイトルはあったのに、それを越えようとしたばかりに。やはり、欲を出すといけません。


 
やや1220(2017.12.20)
 海第19号の印刷関係の支払いを終え、少し安堵しました。
 会計報告をしたいのですが、まだ複数名の納入がないようです。お願いどおりには、なかなかいきません。ということで、予定していた会計報告作成は出来ず、くだんの作品のタイトルに戻ります。
 もともとあるタイトルでいいのですが、これを越えるものがないかと考える余り、こうなります。あと2日ぐらい考えますか。


 
まず1219(2017.12.19)
 くだんの作品のタイトルは、まだ揺れています。
 高岡さんが、長塚節文学賞の優秀賞受賞だそうです。長塚節文学賞は、何度かチャレンジしたことがありますが、1次すら通ったことがありません。
 そういう文学賞に、海の同人はいとも容易く入賞するのですから、感心します。教えられることばかりです。


 
また1218(2017.12.18)
 寒いものです。海第19号が着いたという知らせが、複数入ってきます。
 同人誌関係からの、お礼のメールも入ります。
 くだんの作品を50枚に圧縮したはいいのですが、タイトルが定まりません。都府楼を歩きつつ、啄木の歌の中にヒントはないかと考えました。
 そうだと決め、これから調べることにします。


 
はて1217(2017.12.17)
 会計報告まで若干時間を要しそうですので、一つの作品を50枚に圧縮し、間に合えばどこかに投稿してみようかと考えます。
 村松氏の「文章王」ほかから受けた印象により、「下手な遠慮はやめろ」「恥を書け」というあたりに沿い、実行してみたいと思います。


 
さて1216(2017.12.16)
 早くも1、2の感想をいただきました。
 第19号はバランスのよい作品が並んだと思いますが、これは発行側の感想ですから、さてどうなりましょうか。
 今号で感じたのは、どの作品も細部にまで目の行き届いたものが多いということですが、このラインからさらに上を目指していくにはどうするか、ということです。なにしろ、海の目指すところは、「胸に激しく突き上げてくる/怒りにも似た/祈りにも似た/無垢のことばを海に浮かべる//あの星たちのど真ん中を/昂然と悠然と/雄叫びをあげながら/天涯まで走りゆく‥ことにありますから、当然先があります。
 それは、「芥川賞を越える作品を書く」という例えでも宣言しています。今海は、海の浅瀬を出立したばかりです。


 
さあ1215(2017.12.15)
 海発送後の作業をします。
 昨日のうちに、ホームページの書き換え、交流掲示板への書き込み、を終えました。その後、寄贈依頼が新たに届いたので、ついでに併せて4冊発送しました。
 全作家文学賞の方はどうするか。と、考えました。これまで、参加することに意義ありということで行ってきましたので、この方針で行きたいと思います。
 会計報告が終わったら、編集委員会の日程調整も必要、となりますね。


 
むむ1214(2017.12.14)
 7つ道具を抱え、海第19号の発送作業です。
 封筒に宛名ラベルを貼り、同人、その他に区分けします。中に入れる送付メモの内容が違うからです。(中には、同人費の納入依頼も)
 1部、2部、3〜4部という区別をします。そこに冊子を入れ込みます。
 入れ込んだ冊子に封をします。
 最後に、ヤマトのシールを貼り、最初と最後の番号を控え、送付部数を数えます。また、宅急便の分は別に発送準備をします。
 これで、3時間半の作業です。182頁という分量は、確か2番目のぶ厚さです。しかも、1頁の文字数を増やし、フォントを小さくしているので、かなりの内容量です。冊子も重たいですね。
 この冊子が、どう流れていくやら、案じつつ見守りたいと思います。
 寄贈先の確認・点検をしたいという趣旨の意見が出ていましたので、これは年をまたいだ来月にでも編集委員会で検討してもらうことにします。
 その前に、会計報告をしなければなりません。


 
さぶ1213(2017.12.13)
 冷え込んでいます。氷点下を切ると、堪えますね。
 明日の発送準備を終えました。送付リスト、送付状(同人あて、一般あて)印刷、宛名印刷、ゴム印、スタンプ、指サック、筆記具、付箋という具合です。
 冊子送付とともに、次号の投稿・冊子作成要領、20号記念小特集案内も送りますが、閉口してホームページの更新、数日後に会計報告となります。
 ここまでの作業を終え、半年にわたる海第19号の発送作業を終えます。
 以降は、感想などをいただきますのでお礼状などを書き、交流関係のある他誌からの寄贈を受けます。次号までの間に、約50冊ほどを受けます。


 
さむ1212(2017.12.12)
 寒いです。海の編集委員会の準備をしたり。発送関係の印刷にかかろうかと思ったり。やはり、こういうことは前日になるまで手が付けられないものです。
 恩田陸「ねじの回転」を読み始めました。2.26のことが出てくるからです。時間遡行装置というものも出てきます‥。


 
ええ1211(2017.12.11)
 あわてて公募に出しましたが、大丈夫でしょうか。
 海の配布先を一覧にしているのを見てみましたが、かなりカバーし得ているのではないかと思われます。ううむ、これ以上をどこに‥。


 
えと1210(2017.12.10)
 海第19号の発送作業の準備はほぼ終え、後は送付状や宛名ラベルを印刷すればよい段階まできました。
 投稿・冊子作成要領(第20号小特集を含む)の方も、準備を終えました。
 発送を終えれば、ホームページ書き換えなどの方に進みます。
子供の命日が2月26日であること、生前から神楽坂や市ヶ谷が好きで、そのあたりには強いオーラを感じるといっていたことや、湯河原や池袋を極端に嫌っていたこと。1月には靖国神社に詣でたことなど、何か因縁があるのかしらんと、資料を集め読んでいます。また、2月25日の磔刑図からの顔出し写真が最後となったこと、多くの教会の磔刑像に誘ってくれることも、どういうことだろうと考えることです。
 思えば、2月26日の前日までなんの生活の乱れもなく、最大のノルマであった決算の仕事も土日返上で1月に終えていますし、妻とは1月末に楽しく食事をし、表情もとても爽やかだったということとの結び付きも、考えさせられます。


 
それ1209(2017.12.09)
 あれ、とかそれ、とかの見出しを付けていると、これもいいかなと悪戯っ気が起き、しばらく続けてみたいと思います。
 海第19号の発送準備にかかりました。まず、発送先、リスト、宛名ラベル印刷、送付状印刷、同人には次号の「投稿・冊子作成要領」など案内ときます。
 それに、当日は「発送7つ道具持参」(送付状、送付リスト、宛名ラベル、ゴム印、スタンプ、指サック、筆記具)を忘れないこと、などです。
 さらに、前号が未着だった方には前号を、さらにさらに、と一気に用件を済ませてしまうため、通帳の確認をと、こう書き出しておけばなんとか‥です。
 発送当日の恒例の打ち上げは、年明けにということになりました。
 また、北日本は2次止まりとなりました。


 
はい1208(2017.12.08)
 今日は文芸は休憩です。
 俳句に挑んでみましたが、生半可な気持では作れませんね。
 発送の準備に掛かることにしましょう。


 
まず1207(2017.12.07)
 海第19号の校正に出向きました。作業は思いの外順調に終わり、印刷をお願いする段取りとなりました。印刷があがり次第発送で、14日の予定です。
 今回は原稿を作成する段階で少々悩みましたが、悪くないようです。


 
まあ1206(2017.12.06)
 恩田陸の「蜜蜂と遠雷」ですが、今日になって見ると、昨日はなんであんなに夢中になったのだろうと、かなり醒めてしまいました。
 比喩がオーバー過ぎるのと、アトセツが多すぎる。というのは、エンターティメントならではのものでしょうね。読ませる工夫には同意しますが。
 なんという迫力。きらびやかなメロディ。凄まじい和音の連打と加速−といった表現が続くのですが、通り過ぎると戻って来たくなくなります。
 明日は海第19号の校正に行きます。中身は3時間は掛かりましょう。


 
やや1205(2017.12.05)
 確か半年ほど前に買っていた、恩田陸「蜜蜂と遠雷」を開いてみると、止まらなくなりました。こういう次の頁が待てないほど、魅了される作品があるのですね。
 まだ半ばなので、語るほど中身は掴んでいませんが、読者を捉えて放さないという作品、これこそ小説なのかもしれません。
 かなりオーバーな比喩が多用されますが、それが気にならなくなりますから、一概に「文章の使い方に口尖らせる」ことばかりが能ではないのでしょうね。


 
まず1204(2017.12.04)
 村松氏の「文章王」を、ようやく読み終えました。4冊を読み終え、ぼんやりしか残っていないのですが、1)自分の時間軸にそって考えてみよ、2)作品には矛盾、摩擦、ノイズが大事である、3)他者の目で読め、4)推敲に拘り過ぎるな、5)直すより新たなものを書け、というあたりが自分なりに残りました。
 全体が抽象的でよく読めていないのかもしれませんが、「下手な遠慮はやめろ」「恥を書け」ということになりましょうか。
 出来、不出来は自分の責任として、出る、出ないは運でしょうか。自分の場合は、「ぐだぐだ言わずに書き進めよ」ということを一応の締めにしておきます。


 
また1203(2017.12.03)
 村松氏の「文章王」を読み終えるつもりでしたが、海のことで、また。
 印刷部数を増やすと、通常は経費が掛かります。いつまでもサービスに甘えてばかりはいられません。また、編集ソフトを用いても、使いこなすのが難しい上に、二度手間が掛かり、手に負えないかもしれません。
 それなら最初から印刷所に依頼すると、2倍強の経費が掛かるでしょう。これにはたちまち同人費額の高騰という結果が見えますから、50万円近くの負担ができるとの前提が必要です。それがならないと、やはり手作りが賢明なのですが。
 1号を出すのも、やわではありません。


 
はて1202(2017.12.02)
 村松氏の「文章王」を読んでいます。ぶ厚い本ですので、なかなか進みません。しかし、気合いのごときものは漠然とわかる気がします。
 書いて見ろよ。まず、書いてみろよ。書きながら覚えろよ。
 という要約は外れているかもしれません。しかし、書かないことには(良くも悪くも)何もはじまりません。思い切って飛び込め。これも正確ではないかも‥。
 子供に対していただいた弔文に対し、礼状の類を書き、投函しました。
 で、北日本の2次、通過だという、妙なことです。


 
さて1201(2017.12.01)
 早くも12月に入りました。「覚悟」という見出しは4日で終わり、「さて」になってしまいました。ということは、悩みが多い‥ということですね。
 村松氏の「文章王」を読んでいます。ともかく、これは読み終えるまでやってみようと思います。これまで、氏の本を3冊読みました。
 1日1句、これは続けます。


 
覚悟1130(2017.11.30)
 海の作業を続けねばなりません。が、さすがに今日はお休みです。
 積み上げた本(村松氏の本など)が読みたくて、仕方がありません。本によると、あまり細部に拘らず、一気に書きたいことを書け、というふうに理解しました。
 それに、一日に何か定めたものをやったらどうかということなので、この画面には書きませんが、1日1句を作っていこうと思います。
 村松氏の「あまり先人の作品に捕らわれるな」「することがないときは、森鴎外の作品を3年読め」ということのエッセンスをいただきたいとい思います。


 
覚悟1129(2017.11.29)
 海第19号の最後の読みを終え、データなどの修正を済ませ、印冊所に足を運びました。今号は、27文字×25行×2段の、27文字にややゆとりをもたせ(上下に1mmずつ広げた)たため、レイアウトなどの確認に手間取りましたが、内容的には良いものだと思われます。殊に、小説、エッセイ、詩が充実しているのではないかと思います。
 2年ぶりに復活した俳句も、きりりとしています。
 順調にいけば、12月7日校正、12月半ばあがりという予定になりそうです。


 
覚悟1128(2017.11.28)
 海の「誤記確認」が終わり、印刷した原稿が戻ってきましたので、私の方でも最後の読み込みをし、指摘のあった箇所などのデータを直し、それが終われば入稿という運びになります。全体は182頁とかなり多いのですが、それほどの長さを感じないのは内容が整っているせいでしょうか。
 ひとふんばりし、入稿までの準備をきちんとやりたいと思います。


 
覚悟1127(2017.11.27)
 これまで婉曲に書いてきたことを、フィクションではありながら、より地に足の着いたもの、踏み込んだものにしていきたいと思います。
 もっとも、書くことは憂さ晴らしとか、意趣返しとかの類ではありませんので、ノンフィクションではなく、本音のところを書きたいということです。
 ある意味では、チェンジであり、これからがスタートであるというものです。
ただし、調和を最も大切にして生きた子供の存在を、決して貶めたり否定するものであってはならないと思っています。ずい分と、子供に教えられました。


 
書くため1126(2017.11.26)
 さてさて、こうなったら、恐いものはない。といいつつ、机に向かいます。
 相手を揶揄したり、攻撃したりすることは性にあいませんが、これまで書かなかったことで書かねばならないことに、手をつけます。
 自分の魂が曇らない範囲で、を心掛けますが。


 
書くため1125(2017.11.25)
 全く期待せずにWEBを開いたら、北日本文学賞1次通過となっています。まてまて、この作品では多くは望めないぞと思っていますが、やはり1次にでも残るのは嬉しいものです。1284編中の430編ですから、喜んでもしかたないのですが、まるでお呼びでないといわれるとよいものではありません。
 過去には4次通過が1度あり、2次通過が複数回、1次通過がほとんどです。


 
書くため1124(2017.11.24)
 村松恒平氏監修による「編集」関係の本は面白く、これまで縮こまりがちだった気分が少しだけ大きくなった気がします。
 何から始めてよいかわからないときは森鴎外を3年読め、というくだりもありますが、それらは知識としてや学問として読め、というのではありません。
 氏のたとえに、「民謡の弟子入りの話」があり、中学卒で師匠のもとに弟子入りしたが、させられるのは掃除、片付け、使い走りといったことばかりで、発声の仕方や譜の読み方などは全然教わらないのだそうです。その弟子が5年ほど経って、師の前で突然「歌ってみろ」といわれるのです。歌のイロハなど何も習っていないので弟子は尻込みするのですが、なお「歌ってみろ」と促され歌うと、弟子自身が驚くほどの「音域が出、歌もさまになっている」というものです。
 氏のいう「体で覚えよ」「文章も体でものにしろ」という部分が、好きですね。テーマ、プロット、文体、推敲の話など、胸がスカッとします。要するに「理屈ではない」というのです。このあたりに救われる気がします。理屈の文章ではなく、自分の息遣いから出る文章というところには納得しますし、とにかく書いていると「ひとりでに文章が走り出す」、というあたりが「そうなんだ」と思うところです。
 また、一つの作品を何度も何度もいじくりまわすより、「新しいものを書け」「推敲は1、2回でいい」というのもそこらの文章の書き方とは異なっています。


 
書くため1123(2017.11.23)
 海の原稿が誤記確認に出ている間を縫って、今後の準備をします。
 まず、次号の「投稿・冊子作成要領」の作成です。併せて、次号が記念号になるため、小特集の内容文案を作成し、同上作成要領の後に付け足し、準備をしました。
 発送文案、発送先の確認、作成などなど、いくらもあります。
 平日の時間に、郵便局に行き、経費の具合も見てこねばなりません。
 これだけの兼務をしていると、ポスト某が見えないではありませんか。意図して兼務をやっている訳ではないので、この一極体制はよくないと思うのですが。(無役の時代を知っているだけに、役を引き受けようという声は‥出ないのでしょうね‥)


 
書くため1122(2017.11.22)
 昨日WEB上での誤記確認を依頼、今日プリントしたものでの確認を依頼しました。この時点で中間地点、約1月です。
 後は印冊所に入稿してから、校正を経て、冊子印刷あがりとなります。
 約1月後、海第19号182頁、果たしてどういう冊子になりますやら楽しみです。


 
書くため1121(2017.11.21)
 海第19号の原稿を締め切ったところで、並べ替えを行い、目次を作ります。
 その前には、総てに頁番号を打ち、間違いのないことを確認します。並べ替えにも気を遣います。トップには話題となりそうな作品を、ラストには最も安定感のある作品を、中間には達者な作品を、という大方の目安を持ちます。
 しかし、できるだけ見開きで掲載したいので、奇数頁作品、偶数頁作品の組合せで、順序がズレます。また、同一作者の作品が固まらないようにと、結構難しい作業です。頁を打ち、目次を作るというこれがワープロの技を必要とします。
 もともと、割付という作業には繊細な注意が必要で、うまくフォーマットに収めることが一の難関、簡易な誤字脱字がないかを読むのが二の難関です。実際、誤字脱字の類は多いものです。「、」「。」の違い、行頭、行末の不揃いが、一目で分かります。
 表現は作者本人の原文を尊重することとして、それでも「うっかり誤記」「誤字」が見付かるから不思議です。そのために、目を変えて「誤記等の確認」を委員に依頼することになります。これが終わって、印冊所に依頼に出向きます。


 
書くため1120(2017.11.20)
 今日は海第19号の原稿締め切り日です。日付が変わる頃、締切の連絡をする予定です。半年前の前号配本時に、次号の「投稿・冊子作成要領」とともに原稿作成依頼をし、原稿締切、割付、校正、誤記確認、印刷、配本という流れを案内します。
 締切1ヶ月前には直前案内をし、10日前には最終案内をします。
 原稿が出来上がっていれば、1ヶ月前くらいから原稿の受付を開始します。わがスケジュールの方のこともあるので、約1ヶ月の原稿受付期間に集約してもらっていますが、実は年中海のことに関わっています。
 その原稿締め切り日が今日です。やれやれとも、今回もここまでくることができたか、という複雑な感慨に一時浸ります。
 今後は、原稿が揃えば掲載順を決め、目次を作成し、まだ取りかかれないでいた「あとがき」などを揃えます。その他の、前号への感想まとめ、受贈誌お礼、次号の予告などなどを揃え、ようやく1冊の体裁にします。
 その後誤記確認を行い、データの最終修正をし、印冊所入稿、校正、冊子発送という運びになります。会計の締め、ホームページの整理と、いうなればここからが冊子作りの本番に入るということになります。
 海第19号がうまく放たれ、広い海原に流れ行かんことを願うものです。
 全作家掌編の校正依頼がきましたので、直し、掲載料も振り込みました。
 村松氏の「編集の本」などを読むにつけ、同人誌というマイナーなものへの関わりが淋しいものに思えないではないですが、こういうかたちででも発表するということの方に目を向けたいと思います。作家になりたければ、なれていたかもしれないと考えたり、だとしても、売文に魅力があるのかと、悩んだりすることだろうと思います。


 
書くため1119(2017.11.19)
 海の締切を明日に控えたところで、全体の頁割りイメージを予想してみました。もっとも、締切がこないと具体的な作業はできないのですが。
 巻頭と巻末には力のある作品を、といつも考えているところですが、さらに見開き頁にと考えると、作品の順番が多少前後します。同一作者が一箇所に重ならないように、という配慮もしますから、総て締切後に決定を延ばします。
 とりあえず、180頁は越えそうです。


 
書くため1118(2017.11.18)
 村松恒平氏監修による「編集」関係の本が面白く、読んでいます。意外なヒントがあったりして、読み進むのが楽しみです。
 ライトノベル、エッセイ、純文学などジャンルにとらわれない話です。
 聞きたくても聞けなかった内容など事例が多く、参考になりそうです。


 
書くため1117(2017.11.17)
 海の原稿は、約180頁というところです。まだ、4日ありますが。
 第20号の小特集案をつくり、叩き台を編集委員に送りました。何かの案を作らないと、先に進みませんから。その「海へ、海から」というタイトル、どんなものでしょう。
 海には詩人が多かったということもあり、ことばに対しての感覚が優れている作品が多いのではないかと思います。
 単なる人情話に止まらず、胸の内の叫びをことばに託して、作品化している場合が多いと思います。(特に、根保氏による井本作品評はそれを明確にしています)


 書くため1116(2017.11.16)
 海の原稿の方は、海へのことば、小説1編が届き、印刷用の割付をして校正の依頼という手順を進めています。まだ出ていない原稿もあり、180頁になりましょうか。
 今号は、エッセイ、小説、詩によい作品が出されています。今号から復活する俳句はどういう位置になるでしょうか。評価が楽しみです。
 アマゾンから編集関係の本が届き、読んでみることにします。今後の編集や、作品を書く上でも参考になれば、と思うこと大です。


 
書くため1115(2017.11.15)
 アマゾンに発注していた編集関係の本などが届きます。こういう本は、古書店などではなかなかお目にかかれないものです。
 要は、積ん読に終わらず、中身にじっくり触れたいものです。
 死後世界地図などの方は、興味深く読みました。


 
書くため1114(2017.11.14)
 最近アマゾンでの購入が多くなりました。当地の書店や古書店に出向いても、なかなか目的の本などに出合えないため、本などは余計に通販の方に頼ることになります。検索をしながら、その関連の本まで知ることが出来るので、やむを得ません。
 古書店などで、たまたま出合う本とのわくわく感もよいのですが、なかなか出会いには恵まれないし、図書館での出会いもはかばかしくありません。
 通販の伸びの理由が分かる気がしますが、これでは現地をわざわざ訪れることも、直接の出会いや、実際の空気を体感することも少なくなるのだろうな、という残念さもあります。なんでもTV画面や、PC画面を通じて用を足すということでは、ものごとの感動が急速に薄れていくのであろう、という白々しさが残るばかりですが。
 アマゾンを語る犯罪が増えてきたということです。特に、動画の閲覧などの架空の請求が増えているということです。希薄な人間関係を逆手にとった、質の悪い犯罪が、世界の各地で頻発しそうです。


 
書くため1113(2017.11.13)
 悩まなくてもいい、微細な文章表現でひっかかっています。海の投稿の文章ですが、これが正解だ、という決まりは見出せず、こうなると「作者の記述を尊重」することしかないのかな、と考えます。
 いろいろ調べてみましたが分からず、途中で出会った「編集の仕方」なる本4冊を購入してみることにしました。
 普段使っている文章、なかなか難しいものです。


 
書くため1112(2017.11.12)
 笹原、群氏に、交流掲示板の箇所をプリントしましたので、明日送ります。
 詩の作品が到着、割り付けをし、校正依頼をしました。
 その間に、わが小説、俳句の何度目かの読みを行いました。


 
書くため1111(2017.11.11)
 海の同人は、海の作品でではなく、他誌掲載の作品や公募作品での評価が高いということをホームページに書いていたら、今日の全国文芸同人誌評掲示板に詩の笹原、群氏の作品と、小説の井本氏の作品について、高い評が掲載されていました。
 第18号作品は、何故かどこからも取り上げてもらえず、残念に思っていましたので、ことにありがたさを覚えました。中でも、笹原、群氏の作品に目を止めてもらったということが編集子としては、とても嬉しく思いました。
 いつも励ましをいただく根保氏には、この場からお礼を申し上げます。 
 ホームページには、簡潔に記していますが、交流掲示板(同人にのみ開放)には、より詳細なことを記しています。
 もっとも、海の姿勢として、他誌や公募への発表を勧めていますから、いずこで評価が出ようと嬉しいことには変わりはありません。
 海第19号の原稿受付は中間地点ですが、約140頁を数えています。


 
書くため1110(2017.11.10)
 詩の校正済み原稿が戻ってきました。入れ替わりに、校正依頼の原稿を送りました。現在原稿未提出の同人には、案内を出しました。
 誰も書けなかった死後世界地図 (A・ファーニス)を、アマゾンで求めました。


 
書くため1109(2017.11.09)
 詩の原稿が入りました。また、電話と郵便でしか連絡がとれない同人に原稿受付中の連絡をしました。2、3編が入りそうです。
 現在では、原稿のみで140頁を数えます。全体では150頁を越えましょうか。


 
書くため1108(2017.11.08)
 翻訳原稿を割付け、校正依頼をしました。
 俳句には、まだなお悩まされます。小説にも手を入れました。


 
書くため1107(2017.11.07)
 俳句の整理に1日かかりましたが、まだ終えていません。
 小説の5回目ほどの見直しも行っていますが、これも半ばです。
 校正済みの小説と、翻訳原稿が提出されました。これから割付に入ります。


 
書くため1106(2017.11.06)
 俳句を仕上げようと(仕上げたつもりだったのですが)、眺めていると気分が変わります。手を加えていると、最初の句はどこに行ったのかいうふうになります。
 難しいものです。詩も小説も難しいですが、17文字の難しさは一味も二味も違います。あれこれやっていると、パニックになります。手強いですね。


 
書くため1105(2017.11.05)
 わが俳句の全面的な見直しをしてみました。俳句というのは、難しいものです。17文字しかありませんから、適切と思われるなことばを何度も入れ、時間を置きます。時間を置いて、初めて見る句として感じます。
 結局、最適の表現には至るべくもありませんが、扱っているうちに全く違うものに変貌したり、扱えなくなり手放さざるを得なくなる句も多くあります。
 俳句の全国大会で特選に入ったという同人のことを仄聞しましたが、あまり外に出したくないという考えをお持ちなので、手紙で意向を尋ねることにしました。


 
書くため1104(2017.11.04)
 私も触発されて、急ぎ俳句10句を並べてみました。ちょっと感傷的に過ぎるきらいがあり、何度も見直さねばなりません。
 小説も新たに原稿が入り、割付をして書き込み依頼をしました。


 
書くため1103(2017.11.03)
 海の原稿受付3日目です。割り付けをし、粗読みをして、少々コメントを書いたりします。初めて読む作品ですから、内容より文章表現の方になりますが。
 俳句原稿提出希望があるようですから、2年ぶりに俳句を再開することにしました。以前は、私の趣味と、埋め草のため設けていたのですが、最近俳句に係わるかたが複数見えますので、頼もしいことです。


 
書くため1102(2017.11.02)
 50冊近い受贈誌の書き出しや、第18号の作品についての意見の概要まとめ、その他できることから進めます。27文字×25行の組み方が「窮屈だ」という意見もあり、それもそうだと思いながら他誌の例を眺めます。
 他誌の真似をするつもりではありませんが、参考にすべき点は多くあります。いろいろと試した結果、27文字×25行は変えないとして、27文字の間隔をほんのこころもち広げることにしてみました。1ミリとか、2ミリ程度文字列を長くするだけで、ずい分余裕が出てきたように感じられます。現在のままの「厳粛な」気分も悪くはないのですが。


 
書くため1101(2017.11.01)
 海の原稿受付を始めました。早速、午前中に2件の原稿が寄せられました。
 エッセイが4頁、詩が20頁というものです。内容の濃い原稿です。早めの提出をお願いした分と合わせると、約100頁になります。
 ということで、今号も約150頁あたりだろうという見込みです。 


 
書くため1031(2017.10.31)
 小説の書き方虎の巻!上手な物語のつくり方を伝授、というサイトから相互リンクのメールがきました。中身はなかなか興味深いもので、このホームページというより「海二期」のサイトにリンクさせていただきたいものです。
 わがホームページは、かなり「引いた」ものにしております。生活の面など殆どをパスにして、文芸好事者のつぶやきばかりにしていますから。


 
書くため1030(2017.10.30)
 海19号の原稿受付の準備をしました。
 フォーマットを少々見直しました。「誌面が詰まって見にくい」との意見がありましたが、頷くところがありますから。ほんの1ミリの差で、誌面にゆったり感を与えることができるようです。
 この微細な加減がうまくいくといいのですが。誌の内容はハイレベルのものが多い、と考えていますが、地元のメディアにはなかなか賛同が得られないようです。
 大胆に、臆することなく、となりましょうか。


 
書くため1029(2017.10.29)
 海の編集作業が始まるのを前に、ようやくミュージックの方に区切りをつけました。ボイストレック(録音機)の容量の都合で、約半分に抑えざるを得ませんでしたが、約1週間にわたり、これまで親しんできた曲を改めて聴き、胸が洗われました。
 さて、文芸の方がまるで疎かになりました。やる以上は、より深めていかねばと思います。人間の葛藤、これには現実的に相当疲れかけていますが、それを昇華させていくつもりで、チェンジをはかりたいと考えます。


 
書くため1028(2017.10.28)
 海に恵送のあった誌を、ホームページに書き込みました。
 今日も、ミュージックです。


 
書くため1027(2017.10.27)
 ミュージックに夢中です。谷山浩子、子供が好きだった山崎まさよしや、fayray、森川由加里などのCDで知った歌手の曲をまとめて聴いています。
 カーペンターズ、オリビア・ニュートン・ジョンなどもいいですね。


 
書くため1026(2017.10.26)
 文芸からずい分遠ざかっています。今、近付きたくないという思いもあります。
 ミュージックの方は、ずい分進みました。まあ、曲に浸っているというのも、なにかの意味があるのでしょう。
 希望、期待、挫折、悲しみなど、その諸々の表現は、文章ではとても表し難いもので、ときどきの記憶とともに浮かび上がりますから、悲喜交々万感の思いです。


 
書くため1025(2017.10.25)
 ボイストレックに入れる予定のミュージックを聴いていると、まだ子供たちがいなかった頃のことなどを思い出し、生まれてきた子はこういう宿命になっていたのかと、なんともいえない無念さに浸ったりします。
 かつて聞き囓った曲を、いま改めて聴き直してみると、ふきのとうや松山千春、さだまさしや南こうせつ、カーペンターズや井上昌己らの曲があまりにも完成されていて、驚かされます。エンヤ、サイモンとガーファンクルなども、素晴らしいですね。


 
書くため1024(2017.10.24)
 ボイストレック(OLYMPUS)に入れる予定の、くつろぎの曲、お気に入りの曲、英会話練習などのデータを準備しています。
 くつろぎの曲はほぼ決まったのですが、お気に入りの曲となればこのホームページの「心の歌」の歌手、歌をいま一度聴いてみると、やはり歌っていいですね。心に沁みてきますから、ちょっと夢中になっています。歌は、理屈抜きですから。


 
書くため1023(2017.10.23)
 選挙開票速報に付き合い、今日も文芸はお休みです。池上氏の歴史観がだいぶ頭に入っていますので、目の前の「政権を争う幾多の駆け引き」を、今回はかなり興味を持って見ました。政治家というものは、1つの顔ばかりではやっていけないということもかなり分かりました。実に因果な商売だな、と思ったことです。
 こうやって、ある意味手段を選べるだけ選んで、権力を構築、維持していくのだな、と今になって思った次第です。「きれいごとばなりではいかない」というのが、社会であり、国家であるのだ、と(好むところではありませんが)も思ったことです。
 戦争はやってはならないという前提は変わりませんが、憲法をどう動かそうとするのか、お手並みを見てみたいと思います。


 
書くため1022(2017.10.22)
 松原照子、木村籐子らの本を走り読みしています。
 ホームページの「心の歌」の見直しをしています。ミュージックに係わっているときが、一番の和みのときです。


 
書くため1021(2017.10.21)
 今日も文芸書ではなく、池上彰、松原照子、木村籐子らの本に夢中です。
 ミュージックの方(mp3変換)に、かなり入れ込んでいます。録音器が23日に届くとのことで、ずい分なミュージックをyoutubeからmp3変換しました。


 
書くため1020(2017.10.20)
 どうも文芸書には気持が向かわないで、池上彰、松原照子らの本に夢中です。
 ミュージックの方(聴くこと)にも、かなり入れ込んでいます。


 
書くため1019(2017.10.19)
 自作をプリントアウトして、丹念に読んでみました。
 画面で見るときには気付かなかった点や、息遣いの違いなどが見え、やはりこの作業を欠かしてはいけないと思いました。


 
書くため1018(2017.10.18)
 自分の原稿を打ち出し、読んでいます。自分の原稿となると、なかなか集中ができません。細かいところまで読まねばなりませんから、つい後延ばしにしてしまいます。
 池上シリーズの方が面白いですから。


 
書くため1017(2017.10.17)
 池上氏の「そうだったのか」シリーズ、辞められません。池上氏の書だけで判断を固めてはいけませんが、「人間世界は暗黒」との思いが改めて突き付けられた気がします。普段、何気なく聞いているニュースや出来事には、陰謀や企みが満載されたものだと思うことが適切なようです。単なるお涙頂戴の話にも、大いなる仕掛けが…。
 などと考えると、性善説など軽く吹き飛んでしまいますが、この世界、この社会というもの、欲望と騙し会いの場かと思えてくるから嫌です。
 うーん、甘ったれた作品など書いてる場合ではない、ということでしょうか。


 
書くため1016(2017.10.16)
 池上氏の「そうだったのか」シリーズを読んでいると、歴史というものがいかに強欲と裏切りと嘘と抹殺の結果であるのか、と思われ情けなくなります。
 目的のためには手段を選ばず、かつての味方でさえ、濡れ衣や言い掛かりや謀略で葬り去ってしまう、という粗筋が歴史そのもののようです。
 天下を取る、後は転覆を免れるために、事実を知る者や、賢い者などを次々に葬っていく。それがこの世の天下取りとか、国体なのだとしか思えません。
 嘘で固めるためには、相手を悪に仕立て、部下たちが勝手に争うように仕向けるという、血も涙もない仕打ちを企む、誠に「人間らしい」仕業の連続なのですね。


 
書くため1015(2017.10.15)
 海の送付先を整理し、元リストを書き換え、宛名シールのデータも作り替えました。まあ、こつこつとやっていけば半日の作業です。
 受け手が、快く受けてもらえるよう、何かを工夫すべきなのかもですが。
 写真変換入りの原稿の割付を終えたので、校正の依頼をしました。なかなかよい作品のようです。自作を加えると、ただ今70頁を越えています。
 昨日の問題、質のよい誌にするためには、きちんとしたリーダー(教室の講師のような存在)がいて、目利きができるといいのですが。掲示板に紹介した誌は、カルチャー育ちのものが多いですね。という手は、あまり好みではありませんが、やはり何らかの方法で質を高める工夫・努力をする必要がありそうです。
 幸い海は、レベルの高い書き手が在籍していますので、そのエキスを学ばなければいけません。一定の質が見込めれば、後は個性の発揮でしょうか。


 
書くため1014(2017.10.14)
 海の送付先の検討、これは落ち着きましたが、作成部数との関係があります。他誌では購読者を募り、また、同人の買い上げを強いているところもあるようです。
 しかし、海のように「謹呈」のみをするのも、相手にとっては迷惑な場合があるようで、個人の場合、とても「歓迎する」という気分を生み出しているとも言えないようです。自分が希望したものが送られてきたのならまだしも、望みもしないものが送られて来た場合の「引いてしまう気持」がわからないではありません。
 やはり、それなりの送り主の名前が問題かとも思われますし、そうでないかもしれませんが、この忙しい時期、冊子が送られてきただけで憂鬱になるという気分の変化を、思わないでもありません。「いらない」「迷惑だ」「受け取り拒否」という態度を明確にされる方や組織もありますし、黙ってゴミ箱へという方もあろうかと思われます。
 当方も、謹呈とは、押し付けか、と思う場合も多くあります。というのも、多くの(半年に50冊近くの)謹呈を受けている一応の同人誌の当事者でありながら、開封するのは億劫な気持になるのです。(特に興味を持っている誌は別ですが)
 そこには、思わなかった時間を割かねばならない(面倒だ)という気分の揺れが生じます。まして、返事を書かねばならないとなると、ブルーに…。
 だからといって、購読制度には持ち込む気はありません。気持の通い合いは、多分購読制度の方がうまくいくのだろうとは思えますが。
 よく言う、「タダほど高いものはない」というのは、真理に近いのかも知れません。タダで送り付けてくる相手が、妙にうらめしく思えてきたりするから不思議です。
 海は伝統的に、無理矢理相手の家には土足で上がらない、という考え(あったかな?)だと思っていましたので、(ムニャムニャ)とはっきりしません。
 故に、同人誌が公に認められた一つの例(と言えるかどうか?)として、「まほろば賞」の対象になった誌のサンプルを掲示板に出してみました。
 どういう根拠で選ばれる対象になったのかどうか分かりませんが、身近な誌はきちんと対象になっているのです。では、海は何故ならないのか。理由は分かりませんが、海の何かに、特別な問題があるのでしょうか。考えさせられることです。


 
書くため1013(2017.10.13)
 写真のスキャンが必要なため、早めの提出をお願いしていた原稿の割付ができ、かなりの評判を呼びそうな作品だと思っています。
 現在、わが作品を入れると、70頁を越える原稿が寄せられています。
 文藝春秋のニュースですが、これってアリなのでしょうか。

文庫本「図書館貸し出し中止を」 文芸春秋社長が要請へ
2017年10月12日 5時5分
朝日新聞デジタル
 売り上げ減少が続く文庫本について図書館での貸し出し中止を文芸春秋の松井清人社長が要請することが分かった。
 貸出数の4分の1を文庫が占める地域もあるなどと実情を示し、13日の全国図書館大会で市場縮小の要因の一つと訴える。
 2015年の同大会でも新潮社の佐藤隆信社長がベストセラーの複数購入を出版不況の一因と主張。その後、図書館側が「因果関係を示すデータはない」と反論し、議論は平行線をたどった。今回は文庫に焦点を絞って問題提起する。
 出版社側の調べでは、文庫本の貸し出し実績を公表していた東京都内の3区1市で、15年度、荒川区は一般書の26%を文庫が占めた。ほかの区市では新書も合わせた統計で2割前後に上った。松井氏は「文庫は自分で買うという空気が醸成されることが重要」と訴え、一石を投じる。


 
書くため1012(2017.10.12)
 昨日と今日で、合計38頁の作品の割付をしました。
 一作には7枚の写真が入るため、スキャンし、切り取りをし、文章の中に入れ込みます。入れる場所がなかなか難しいのです。本文の記述を斜めに見、大方の箇所を定め、文字を揺らしながら挿入します。写真の説明の挿入も、技術を要します。
 よい出来上がりであれば、嬉しいのですが。


 
書くため1011(2017.10.11)
 入ってきた作品の割付作業を始めました。力作のようです。
 写真のスキャンの必要がある作品もあり、やや時間がかかりそうです。


 
書くため1010(2017.10.10)
 海第19号の原稿が、早くも入り始めました。昨日の今日で、気持が今一つというところなので、写真などの資料が揃えば、本格的に始めようと思います。
 昨日買った積ん読の本、これも読みたいものです。昨日も書いていますが、文芸作品に手が伸びないというのは何だろう、と思います。資料として読みたい方に、多く気持が入るのです。そういう時期なのでしょうか。


 
書くため1009(2017.10.09)
 壱岐行きの船中で、池上氏の「そうだったのか! 現代史」を読み終えたので、博多に帰り着いた足でTSUTAYAに寄ってみました。
 何の目的もなく寄って、思いがけない本に出会うというのが醍醐味なので、また狭い部屋に積む10冊を買ってきました。今回は「戦後史開封」(産経)、「大学を問う」(同)、「理工教育を問う」(同)、「こちら救命センター」など3冊(秀英社)、「日本の危機」(新潮)などです。最近、文学書を殆ど読まないのは何故だ、と自問しつつですが。


 
書くため1008(2017.10.08)
 全作家短編集第16巻のベストスリーの選考依頼がきていましたので、一通り読んで見ました。読み応えのある作品のうち、自分の中での順番を定め投函しました。
 よい作品数編が印象に残りました。ただ、冊子そのものがぶ厚過ぎて、処理にこまる感じがします。置く場所がだんだん無くなっていきます。書店に並ぶにしても、手に取るには重たすぎるし、値段が高いのもどうにかならないものでしょうか…。


 
書くため1007(2017.10.07)
 海原稿の受付に先立ち、できることを先にします。
 海第18号の作品について、同人一覧の作成、こちらで入力を約束している原稿打ち、などなどです。海同人の活躍に触発され、準備を進めます。
 最近は交流掲示板に掲載する事項も多く、そのエキスをホームページに書き込みます。交流掲示板は手軽にカキコできるのですが、ホームページとなると、別の資料(データ)により、ホームページ作成ソフトを立ち上げてかかります。
 最近のスマホなどの使い方は分かりませんが、パソコン環境だけは整備し、使えるように自己訓練をします。というところが、現況です。


 
書くため1006(2017.10.06)
 交流掲示板への書き込みが多い日でした。
 書き込みが多いということは、同人の活躍が盛んであるとのことです。井本氏の活躍が多いですね。「芭蕉蛤塚忌全国俳句大会」で入選だそうです。
 俳句は、同人の何人かがやっているのですね。遠からず、種目の「俳句」を復活する必要が生じるかもしれません。


 
書くため1005(2017.10.05)
 池上氏の作品を読んでいたら、どこのどんな政権も、血塗られたものであるとのことです。米、ソ(ロ)、英、仏、中をはじめ、悪逆非道でない歴史はないようです。
 人間、欲と、権力と、力と、ということでないと、そもそも消滅している筈ですから。そのとおり、悪い奴ほど蔓延る、という仕組みのようです、現実世界は。
 ノーベル文学賞は、長崎県出身の日系イギリス人で作家のカズオ・イシグロ氏(62)に決まったとのことです。


 
書くため1004(2017.10.04)
 和田作品を打ち込みました。時間のあるうちに、「同人一覧」とか「第18号の作品について」とかいう共通的な頁を作ります。
 よい企画など、今号は計画していませんが、個々の作品に期待というところです。


 
書くため1003(2017.10.03)
 子が逝ってから、よい作品を書こうとか、面白い作品を書こうという気持がなくなっていることに気付きました。
 多分、気持が半分この世を抜け、あちらの世界に入り込んでいるのではないだろうかと思います。「人間らしい」「人間臭い」「認められるような」作品を書こう(書けはしないのですが)ということが、どこか嘘くさく感じられてならないのです。
 目が、あまりこの世を向いていないということでしょうか。


 
書くため1002(2017.10.02)
 海第19号のおおまかな準備を終え、自作を見直します。
 見直すのは何度目かですが、自分の見方では、何度見ても大きくは変わりません。そうこうしているうちに、全体の原稿の相手をし、わが原稿は中途半端なままで出す、というのが習いです。今回もその手法が変わりそうにはないのが、残念です。
 文芸オンチをさらけ出したままで。


 
書くため1001(2017.10.01)
 いよいよ第19号に向け、出発です。郵送分も、発送しました。
 わが作品を、本気に見直さねばなりません。


 
書くため0930(2017.09.30)
 昨日の「長野氏を囲む海の集い」のことを交流掲示板にアップ、同人費の改訂に伴う「投稿・原稿作成要領」など関係部分の修正を、まず行いました。
 それが出来ると、海第19号の原稿提出・締切案内、長野氏の紹介、海へのことばの原稿依頼、写真作成を伴う原稿の提出についてなど、一気に連絡を行いました。
 この「最終案内」を送付すると、いよいよ始まるのか、という気になります。
 そうです、ホームページの修正も行いました。


 
書くため0929(2017.09.29)
 海の第19号から加わっていただける長野秀樹氏を囲み、海の懇談会を行いました。長野氏は、第一期の一時期同人に加わっていただいていましたが、第二期では初めてです。この4月までの15年4月の間、西日本文学展望の担当を務められただけに、現在の海第二期にうまくなじんでいただけるのか心配ですが、腹蔵のない話が出来たのではないかと思われます。あまりにも飾りっ気のない海第二期に戸惑われたかもしれませんが、今後に期待すること大です。
 5人の委員の出席により、膝を交えての時間を持てたのではないか、とひとまずのステップを踏むことが出来、近々原稿提出案内にかかる予定です。


 
書くため0928(2017.09.28)
 この世は陰謀に満ちている、この世は闇だ、と思うことです。
 若い頃は、まだこの世を信じていました。今は、何を信じるというのでしょう。言葉が荒い、言葉が陰険、言葉が刺す、言葉で脅す、言葉で殺すと並べてみました。
 ううむ、色即是空空即是色です。


 
書くため0927(2017.09.27)
 池上彰「そうだったのか朝鮮半島」を読み、歴史というものはどう捏造され、どう葬られていくのか、ということを強く感じます。
 池上氏の本の内容が総てだとは思いませんが、こう「嘘」で固められるというのには、怖じ気付きます。まあ、そのくらいの気概がないと、政権とか政治とかはやれないのでしょうが。歴史とは、現実とは、伝えられるニュースとは、いったい誰の判断で、誰のためにやるのでしょうか。現在のことでさえ、伝え方、力点の置き方、導きたい主張など、国や、メディアの違いにより、180度違っていたりするのが日常ですから。
 感じる私たちも本当のことを知らず、メディアも都合のよい方向に誘導するとなれば、今作られている歴史さえ実際を知らず、ましてその積み重ねとなると、どう感じていけばよいのか、考え込みます。


 
書くため0926(2017.09.26)
 全作家の掌編作品を、これ以上手を加えても気持が萎えるばかりなので、思い切って提出しました。ただ、内容が内容だけに、達成感はありません。
 池上彰の「そうだったのか」シリーズを、6冊注文、読んでいます。
 かもめ食堂のDVDも届きました。


 
書くため0925(2017.09.25)
 全作家の掌編、何度目かの手を入れ、ほぼ提出出来るあたりにきました。内容が内容だけに、慎重になります。
 これだけ気を使った作品は、これまでなかったでしょう。そのことが、作品の良し悪しとは関係ないのではありますが。
 どうかしたらエッセイ風になってしまうので、引き戻し、引き戻しという、何のことだか解らない作業をしました。(何度読んでも最終稿というのは出来そうもなく…)


 
書くため0924(2017.09.24)
 掌編といえども、難しいものです。短かければ短いだけ、難しくなります。
 長編は長編で、生半可にはいきません。構想から、資料調べから、たいへんな労力を要します。簡単なことなど、あり得ないでしょう。
 見上げたら切りがありませんから、時々にベストを尽くせるようにと考えます。


 
書くため0923(2017.09.23)
 全作家の掌編の見直しをしました。しばし日を空け、また見直しをします。
 海のエッセイにも書いて見たいな、という思いがあります。つい先日、エッセイは書かないと宣言したばかりですが。
 子のためにも、書いておかねばと考えています。


 
書くため0922(2017.09.22)
 全作家の掌編を見直しました。まだ、焦点がうまく絞れていません。
 「サピエンス全史」は科学的な本で、興味を惹かれます。小説には小説の醍醐味があるのですが、こういう宇宙規模、人類規模の話になると、行き当たりばったりの作りものではいけませんから。
 小説は最初から「創作」として読み、気持を動かされるべきものですが、私的には宇宙の物語(作りものではない)が好きです。能力がなく、学ぶに至らなかったのですが。


 
書くため0921(2017.09.21)
 全作家の掌編に目鼻をつけました。
 全作家から、短編集の作品に対するコメントが寄せられました。気恥ずかしいような感想があったり、書き足りない部分を指摘されたりと、ありがたいことです。
「サピエンス全史」は、面白いですね。
 アマゾンのリストを見ていると、池上彰の「そうだったのか」シリーズに興味が湧きました。数冊を注文してしまいました。


 
書くため0920(2017.09.20)
 掌編から始めました。
「サピエンス全史」(ユヴァル・ノア・ハラリ)が、早くも届きました。


 
書くため0919(2017.09.19)
 作る。物語を作る。自分の世界を追求する。
 萎えかけた気分に、そう言いきかせます。まだまだだ。これまで、自分の開いていない心を解き、自分の世界を追求する。
 時間がかかろうと、かかるまいと、精魂こめてやる。と、心に楔を打ちました。


 
書くため0918(2017.09.18)
 台風の通過の間、こういう時間を利用して、謹呈していただいた同人誌の作品を読んでみると、文化度の高い(と思われる)誌や、テーマを決めて半分ほどを埋めるといった、それぞれの工夫が読み取れます。詩や俳句作品にも惹かれます。
 小説も、読み掛けてとまらなくなるものや、1頁でやめるものもあります。
 繰り返して読んだ中で、作品の元となっている著作「サピエンス全史」(ユヴァル・ノア・ハラリ)をアマゾンで注文してみました。


 
書くため0917(2017.09.17)
 自作の詩や小説を読み返しています。何度か読み通しましたが。
謹呈していただいた同人誌の作品を読んでみると、とても参考になります。九州芸術祭の予備審査のこともどこかに書いてありましたが、これは以前からよく言われていることでもあります。しかし、実際予備審査をされる方々には、多分意図するところはないものであろうと思われます。地区によって何か決めごとがあるのかもしれませんが、小説作品の評価というもの、それは予備審査員が3人であれば3様であろうし、これほど意見が一致しないものはないだろうと、日頃から思うからですが。


 
書くため0916(2017.09.16)
 自作の詩や小説を読み返しています。何度か読み通しましたが。


 
書くため0915(2017.09.15)
 自作の小説を読み返しています。


 
書くため0914(2017.09.14)
 自作の小説を読み返しています。


 
書くため0913(2017.09.13)
 謹呈していただいた同人誌の作品を読んでいました。
 結局、文芸は知識階級のものだろうかと。この点、ちょっと抵抗を覚えます。


 
書くため0912(2017.09.12)
 詩と掌編、取り敢えずここから入ろうかと思っています。


 
書くため0911(2017.09.11)
 書くことへの取り組みを始めましたが、なかなか簡単には入れません。
 2編目の詩をどうしようと思ったのですが、これは辞めることにしました。


 書くため0910(2017.09.10)
 詩と小説を準備しています。書きたいことはたくさんあるのですが、すぐにはまとめが出来そうにありません。結局、書いてきたものの中から、使うことになります。
 以前の作品は思い切り暗いのですが、いたしかたありません。


 
書くため0909(2017.09.09)
 そろそろ、全作家に出さねばならない掌編の準備にかかります。
 海の詩も準備します。また、小説も見直さねばなりません。


 
書くため0908(2017.09.08)
 今日も事務作業中のため、この欄は休みです。


 
書くため0907(2017.09.07)
 今日も事務作業中のため、この欄は休みです。


 
書くため0906(2017.09.06)
 今日も事務作業中のため、この欄は休みです。


 
書くため0905(2017.09.05)
 今日こそは作品に取り掛かるぞ、との気持でいましたが、子供のことの方を先に整理しなければということになりました。
 つくずく、逆縁とは痛いことだなと考えさせられます。


 
書くため0904(2017.09.04)
 福岡文化連盟退会のことが、一段落つきました。いまの家庭内の状況では、やらねばならないことを半減ぐらいにしないと持ちません。
 それほど、突然世を去った子供のことが決定的なダメージになっています。


 
書くため0903(2017.09.03)
 海の集いの連絡をしました。9月29日(金)18時からです。


 
書くため0902(2017.09.02)
 海の集いの方は、もう1日様子を見、会場の方の予約なども入れ、明日には開催の連絡をしたいと考えています。
 久しぶりに、寄贈を得た同人誌を読んでいます。
 福岡文化連盟に、退会願のその後について、確認メールをしました。


 
書くため0901(2017.09.01)
 長野氏の日程に合わせ日程照会をしていましたが、僅差で9月29日(金)の希望が多く、取り急ぎ日程のみの連絡をしました。
 岸田林三として出した俳句の掲載された誌が届きました。岸田林三という名の使用は、今回で終了にする予定です。
 それにしても、俳句の掲載というのも、なかなかいいものですね。


 
書くため0831(2017.08.31)
 長野氏の日程に合わせ日程照会をしていますが、関係者は忙しい方々のようです。少し工夫をしなければならなかったようです。
 まだ雑事に追われていますが、気分的には、かなり文芸の近くに寄ってくることができるという感じが出てきました。


 
書くため0830(2017.08.30)
 長野氏の日程の都合がわかりましたので、委員に照会しています。
 他のブログなどを参考に、自身のプロフィールを作成しました。


 
書くため0829(2017.08.29)
 身辺の雑事に追われ、まだ文芸には携わっていません。
 全作家の掌編特集に参画することの返事を書き、投函しました。


 
書くため0828(2017.08.28)
 まだ実作には至っておりませんが、長野氏を囲んでの集いの日程照会に進みました。直前の原稿受付などの連絡を、約1か月後に控え、実施が叶えばとても嬉しいことになります。海の集合体に、明確な柱ができる、と期待しています。
 海の先人には優れた人たちが多くいましたが、多くは詩や評論分野の人で、既に老齢の域に入られたり、他界されたりで、また一期の終わりが混乱したものであったため、「海の歴史」なるものが明確に形作られていません。
 そういう意味でも、もっと総合的な意味でも、有能な柱がほしいものです。


 
書くため0827(2017.08.27)
 全作家から、掌編特集の参画の問い合わせがあったので、参画することにしました。2,000字程度の見開き2頁のものです。
 ずい分文芸から遠ざかりましたが、これからチェンジでいきたいと思います。


 
書くため0819(2017.08.19)
 今日も、とりとめのないことをやっただけです。文芸から遠いですねえ。


 
書くため0818(2017.08.18)
 今日も、とりとめのないことをやっただけです。文芸が疎かになっていますねえ。


 
書くため0817(2017.08.17)
 今日は、英会話を学んでみました。


 
書くため0816(2017.08.16)
 文芸関係掲示板の閲覧が、多くなりました。


 
書くため0815(2017.08.15)
 まほろば賞候補作6編が示されています。文芸思潮のやり方は文藝春秋のやり方に似ていますが、むしろその強引さは以上なのかも知れません。確かに好作品が並べられていますが、選考の方法が狭いのではないかという感じがしないではありません。
 特に異論があるものでもありませんが。


 
書くため0814(2017.08.14)
 新盆祭のため、今日は文芸はお休みです。
 文芸掲示板と全国文芸同人誌評掲示板の書き込みが始まり、閲覧者が多いようです。やはり、注目の度が高い掲示板ですね。
 海のホームページでも、閲覧がしやすいように、LINKを整理しました。
文芸思潮67号が送られてきました。まほろば賞候補作6編が掲載されています。


 
書くため0813(2017.08.13)
 後先を考えず、急遽思い立ち、短編1編と詩1編をそれなりに整理し、応募しました。結果を考えてのものではありませんので、通過点としてのつもりです。
 そうでもしないことには、立ち止まりかねませんので、動けるものから動いてみることにしました。


 
書くため0812(2017.08.12)
 本当に芯から疲れているのですが、海の掲示板に「各種投稿案内」を出した手前、短編1編と詩1編ぐらいは参加したいな、と考えています。今は、まさに参加することに意義があり、というところです。
 文芸掲示板と全国文芸同人誌評掲示板は、順調に船出がなされました。


 
書くため0811(2017.08.11)
 一昨日あたりから、新しい「文芸掲示板」と「全国文芸同人誌評掲示板」(いずれも根保氏によるもの)が始められました。
 文学、文芸、芸術一般、時事などの総合的な視野から書かれる氏の鋭く、厳しく、かつ温かい書き込みから、多くのことを学ばされます。
 歌に例えれば、シンガー・ソング・ライターである、氏からの評文ということです。指摘される内容には、重さと優美さがあります。ご健闘を祈ります。


 
書くため0810(2017.08.10)
 しばらく、短編小説に向かいます。


 
書くため0809(2017.08.09)
 しばらく。短編小説に向かいます。と書いたものの、詩を推敲してみたり、いったん書き殴った小説の一部を読み返したりで、次に進むのはいつも簡単ではありません。
 このチェンジがうまくできるようだと、ありがたいのですが。次の舞台の袖のあたりで、気分が乗ってくるのを当分の間待たねばなりません。


 
書くため0808(2017.08.08)
 しばらく。短編小説に向かいます。


 
書くため0807(2017.08.07)
 ずい分以前から考えていたことですが、福岡文化連盟会員の退会です。福岡の調子のよい文化には、どうも肌が合いません。ついに、退会願を出しました。
 しばらく、短編の小説に向かいます。


 
書くため0806(2017.08.06)
 昨日の詩1作を見直しました。台風の影響か、熱中症気味です。
 小説の方も、少しだけ取り組むつもりでした…。


 
書くため0805(2017.08.05)
 詩1作を仕上げました。今日は台風の影響か、すごい暑さでした。
 小説の方も、少しだけ取り組んでいます。


 
書くため0804(2017.08.04)
 あまりの暑さに、音をあげそうです。
 作品を見直しました。詩の方も手掛けています。


 
書くため0803(2017.08.03)
 先に準備した作品を、日をおいて眺めてみました。「よい、悪い」という評にはとらわれず、今書ける作品をまず書く(どう書くかまで考え、今できる範囲で努力する)という方針で進み、今回なせなかった部分は、次作でまた考えるという方向で行きたいと思うことです。
 幾つかの他の作家の作品や、書き方の本を読んでみましたが、今の自分になせることは限られている、と思った次第です。


 
書くため0802(2017.08.02)
 文芸は、芸術であり、芸術は全身で受け止め、受け入れるものですから。とは、昨日同じことを書きました。
 知識で済むことではないとはいえ、それなりの土台の上に、深く掘り下げ、感じ、知り、生み出すものですから。
 通常の社会で出て来ることごとの、その芯であったり、横であったり、裏であったり、はるかな上や、とんでもない下に向かうものを対象にするのですから。
 三田誠広によれば「宇宙より大きく、広い」ともあります。


 
書くため0801(2017.08.01)
 三田誠広の「深くておいしい小説の書き方」を読んでいると、いかに幼時期からの精神的・物的環境が大切か、ということが分かります。
 もちろんDNAの問題もありましょうが、この環境にどのように恵まれるか、そうでないかに大きく左右されます。文化とか教養というものは、成人してから習得が不可能だということではないようですが、幼心に自然に入ってくることがいかに大切か、そうでない場合、(理屈だけでは)なかなか身に付きにくい、ということを実感します。
 文芸は、芸術であり、芸術は全身で受け止め、受け入れるものですから。


 
書くため0731(2017.07.31)
 小説作法(三田誠広「天気の好い日は小説を書こう」「深くておいしい小説の書き方」)を読んでいます。
 小説を書くには常識人ではダメで、ヘンタイでないといけないとのことです。ヘンタイとは何でしょうか。読むのは面白いのですが、書くとなるとタイヘンです。


 
書くため0730(2017.07.30)
 次の作品に掛かる前に、小説作法(三田誠広「天気の好い日は小説を書こう」「深くておいしい小説の書き方」)と陽羅氏の「未使用十箇条」を読み返しています。
 詩にも掛かってみました。大枠は書きました。


 
書くため0729(2017.07.29)
 一応、90枚程度にまとめてみました。もっとも、これから中身を絞らねばなりません。というところで、いま一作ぐらいは書いてみたいと思います。
 なにしろ、これまで何も書いていないに等しいのですから、零からの出発のつもりです。もっとも、いつも零から書き出すことになるのですが。
 資料の読みなども、巧みに用いる必要があります。今の自分は「カラッポ」です。カラッポから始めるのですから、恐れるものは何もありません。


 
書くため0728(2017.07.28)
 まだ書き切る、には至っておりません。


 
書くため0727(2017.07.27)
 まだ書き切る、には至っておりません。
 文芸の道は険しいですね。しかし、その険しい道のりを辿ることがたまらなくいいのです、という説明は野暮でしょうか。
 詩も、俳句も、やらねばならないのですが、まずNOVELです。辞書を引いてみると、NOVELとは「新しい種類の、新手の、奇抜な、いままでにない」などとあります。やはり、難しいものなのですね。


 
書くため0726(2017.07.26)
 ともかく、まず書き切ることだと、締めに入りました。


 
書くため0725(2017.07.25)
 ようやく当面のテーマを定め、まとめに入りました。本当に書くべきことには、まだ一歩も近付いていないというのが情けないところです。
 考えてみれば、これまでの作品で、書くべきものは一作も書けていません…。


 
書くため0724(2017.07.24)
 さてさて、わが作品です。今手掛けているものは、確か半年以上前に書き殴ったもので、3月以降のわが身辺の変化にまでは及んでいません。
 3月以降のことを考えると、辛く悲しいものがありますが、今これに取り組むととんでもないことを書きそうなので、しばし後に延ばしたいと思います。


 
書くため0723(2017.07.23)
 民俗学などの学術的な資料を読んでいましたが、辛いものがあります。こういう事例を列記するという学術的・権威的な書き方には、どうにも馴染めません。
 あまりのことで、他誌の小説やエッセイにも目を通してみましたが、ホッとします。なんでしょう、この違いは。多分、目線の違いなのでしょう。知識、学術=権威とみなす書き物のなんという意固地さ。傲慢さ。でしょうか。辟易するのは。


 
書くため0722(2017.07.22)
 海第18号に対し寄せられた感想などに対するお礼状を、まとめて書き投函しました。多方面からの意見を寄せていただき、感謝に堪えません。
 ただ、2年前の赤字転落の対応策→「文字を小さくし、行数なども多くしたため、誌面が見づらくなったのではないか」という意見もありました。


 
書くため0721(2017.07.21)
 資料【「婚姻覚書」(瀬川清子)など】を読みながら、自身の作品にチェックを入れます。やはり、調べることはとても大切なことだと思います。
 多くの先人の努力の結果を、参考にし、利用させていただきます。


 
書くため0720(2017.07.20)
 なかなか書けないものです。書きたいものはあるのですが、絞り切れていません。
 資料も読まねばなりません。


 
書くため0719(2017.07.19)
 芥川賞、直木賞が次のとおり決まったそうです。

NHKnewsweb
 第157回芥川賞と直木賞の選考会は19日、東京・中央区で開かれ、芥川賞は沼田真佑さんの「影裏」、直木賞は佐藤正午さんの「月の満ち欠け」が選ばれました。
 芥川賞の受賞が決まった沼田真佑さんは、北海道小樽市出身で盛岡市在住の38歳。西南学院大学を卒業後福岡市で塾講師を務め、現在は盛岡市で塾講師などのアルバイトをしながら小説を執筆しています。今回の受賞作の「影裏」で文芸誌の新人賞を受賞し、芥川賞は、今回初めての候補での受賞となりました。
 一方、直木賞の受賞が決まった佐藤正午さんは、長崎県出身の61歳。北海道大学を中退したあと創作活動を始め、昭和58年に「永遠の1/2」で、すばる文学賞を受賞してデビューしました。3年前に出版した「鳩の撃退法」で山田風太郎賞を受賞したベテラン作家ですが、直木賞の候補になったのは今回が初めてです。


 
書くため0718(2017.07.18)
 資料ばかり溜めています。嬉しい悲鳴ですが、最近は読んでもなかなか入ってきません。読んだ端から忘れていくのかもしれません。
 読むと書く、これらのバランスがとれるようになればありがたいのですが。


 
書くため0717(2017.07.17)
 100枚程度にまとめようとしています。
 参考資料が届きますが、なかなか生かすまでには至っていません。もう少し本気モードで、何とかしなければ、というところです。


 
書くため0716(2017.07.16)
 2.26事件関係、民俗学関係などの本を、資料とするため注文しました。


 
書くため0715(2017.07.15)
 資料としての本を読んでいます。この暑さです。読むのも難儀します。


 
書くため0714(2017.07.14)
 子供の鎮魂の行事の準備のため、博多駅に出向きました。
 また、アマゾンに本を注文したりしました。


 
書くため0713(2017.07.13)
 書き始めましたが、中途から資料読みに入りました。
 一度書き、一度読んだ資料ですが、再度読み込む必要がありそうです。
 二・二六関係の本を少々、アマゾンに注文しました。中身は判りませんが、子供の弔い合戦にでも生かせたら、という緒にすべきつもりの資料です。
 もっとも外れていたら、柔軟に次を当たるつもりでいます。


 
書くため0712(2017.07.12)
 少し、わが作品に取り掛かっています。150枚ほどに殴り書きをしていたものを、100枚以内ぐらいにまとめたいと思います。
 子のことで、書きたいこと、というより書かねばならないことをまとめたいと思います。命日が「2月26日」だったので、ひょっとして「二・二六事件」に関わっているのかもしれないなどと考え、その方面も当たってみたいと思います。
 昭和を好み、四谷の大学を出、神楽坂を愛した子でした。思想などもってはいなかった筈ですが、今年の正月の初詣は、なんと靖国神社なのです。よく、パワーの筋が見えるとか、湯河原の「二・二六事件」に関わる宿に泊まったなどと言っていました。


 
書くため0711(2017.07.11)
 そろそろ、わが作品に掛からねばなりません。
 関東文芸同人誌交流会掲示板が、風雲急となりました。同人誌の評や意見交換をする場が、どうしてこう攻撃的になり、荒れるのだろうと首をひねります。
 海の方は、論争に用いる時間と労力をできるだけかけないよう、最初からパスワード付きにしましたが、海のかつての合評会の激しさを知っている故の選択です。今の内容は、事務連絡と、海の中身をどう工夫するかが主で、適切と思われるニュースなども掲載はしています。決して、仲間褒めなどには使っていないつもりでおります。
 同様に、他誌の噂などもしないということです。


 
書くため0710(2017.07.10)
 たくさんのメール交信をしました。
 豪雨見舞いですが、今回太宰府は幸い線状降水帯(加えて、バックビルディング現象)には入らず、雨も夜半に降り、昼間は小雨が続くというものでした。
 しかし、すぐ近くの朝倉・日田などの惨状は目を覆うばかりです。こういう災害によって被災された方々を見ていると、4か月前に子供を喪ったときのやり場のない気持が蘇り、この方々はどうしてこういう目に逢われるのだ、という気持が湧き起こります。この世というものを、この世から見ていると、何ともやるせなく、説明のつかない酷いことばかりが起きることだ、と今更ながら思わされることです。


 
書くため0709(2017.07.09)
 電車の往復に、全作家106号の作品を読みました。
 今年も、佳作2編だということです。


 
書くため0708(2017.07.08)
 新たに「根保氏の同人誌評掲示板」が立ち上げられるとのことです。
 関東文芸同人誌交流会掲示板の方の成り行きが心配でしたが、新たな掲示板での同人誌掲示板を楽しみにしたいと思います。
 意欲ある同人誌の書き手にとって、朗報だと思われます。


 
書くため0707(2017.07.07)
 いくつかの、同人誌の作品を読みました。
 日本ペンの会費納入通知がありましたので、急ぎ納入しました。


 
書くため0706(2017.07.06)
 読みたいと思っていた作品(同人誌)を読みました。プロの作品より、同人誌の作品に共感します。それは、「上手すぎない」ということにあるのかもしれません。
 よく「上手い」「上手くない」などといいますが、これは何を指していっているのでしょう。既に評価の定まった作者や作品はたしかに上手いとは思いますが、「売らんかな」というものが行間に流れていて、だんだん嘘っぽく感じたり、あざとく感じたりして、嫌気がさしてくる場合が多くあります。
 となると、「誰がそんな評価をしたのだろう」と妙な気になります。「文豪とか」名作とか」「名文とか」いう表現で称揚されています。
 そうは思わない、ということが自分の能力や感性のの足りなさ故にくるのだろうか、と情けなく思うばかりでしたが、そう思っていた(思わされていた)自分自身に騙されていたのかもしれない、と考えれば、かなりスッキリしてきました。


 
書くため0705(2017.07.05)
 読みたいと思っていた作品(同人誌)を読みました。プロの作品より、同人誌の作品に共感するのはなぜでしょう。もちろん、読み手を考えた作品に共感するのですが。
 売るとか、売れるとかいう−−余計な考えがないということ、問題が切実であるということに、共感するのでしょうか。人生そのものを教えてもらえますし、表現や技術が巧みな作品に出会うと、心底から感動するものです。


 
書くため0704(2017.07.04)
 学歴エリートの豊田議員の暴言には不快感を拭い得ませんが、この都政選挙の時期に合わせて報道するマスコミも、ともにゴミではないでしょうか。
 同人誌にも学歴エリートの論理で勝手な振る舞いをしているところがあるようで、自分をエリートと信じている方々の心の冷たさには、哀れさを感じます。


 
書くため0703(2017.07.03)
 ホームページの表現、難しいものですね。直接ことばを交えてさえ理解することには困難が伴うのに、文字だけでは(かなりの気分を込めて書いてさえ)、きちんとした話ができるとは、なかなか思えません。
 海は「合評会が持てないため、やむなく」交流掲示板というもので、お知らせなどの類のものを選って、書き込んでいますが、果たしていかがなものかと?
 同人専用とし、パスワードを用いていますので、良くも悪くも「逃げている」訳ですが、複雑な内容を伝達・公開するにはよほどの覚悟が必要だと思うことです。


 
書くため0702(2017.07.02)
 全作家短編集第16巻を読んでいます。
 海第18号の返送(宛先変更など)が複数にのぼったため、宛先の確認をし、複数冊を送ることになりました。出版関係の会社でも、宛先が変わるのですね。


 
書くため0701(2017.07.01)
 全作家短編集第16巻を読んでいます。今回は26名によるもので、厚さは手頃な感じで、計ってみると2センチ丁度というところです。
 数編を読んでみましたが、いいですね。やはり、いま現在の作品の方が、評価の定まった古典などより親しめます。


 
書くため0630(2017.06.30)
 全作家短編集第16巻が届きました。
 その他、寄贈された誌を読み、感想を送りました。


 
書くため0629(2017.06.29)
 今日、明日と、罪と罰の残りを読まねば、と。
 ホームページなどを扱っていると、結構時間を食うものです。


 
書くため0628(2017.06.28)
 葬祭屋(「ぼくが葬祭屋さんになった理由」)の本を、読みました。
 海の感想が届きますが、「あんまり…」というのがなぜか多い感じです。


 
書くため0627(2017.06.27)
 陽羅氏にハガキを書きました。メールや、パソコン印刷では気持が通じないとヒラリズムに書いておられるので、下手な手書きにしました。
 海に対して寄せられた内容をホームページにアップし、その他、ホームページの更新をしました。次号にかかるのは、会計報告が認められるであろう最短日の6月30日以降、にした方がいいようです。


 
書くため0626(2017.06.26)
 陽羅氏の「氷花(しが)」(構想第62号)に、「生活も仕事も恋愛も友情も順調な人びとの物語を読ませようなんて傲慢ではないか」「主人公のナルシスチックな述懐及び説明文と描写ばかりの現代小説に食傷気味だった」という一節に、頷きました。
 なにかこう、世に持て囃されている「秀作」「話題作」などが胸に響いてこないのは、私の精神の欠陥ではなかろうかと、昨日も書いたばかりでしたので、多少はこの道を行く幅も残されているのだろうか、と思い至り、止まったことです。


 
書くため0625(2017.06.25)
 わが能力の欠如なのでしょう。小川国夫の作品3作ほどを読んだのですが、これまで読んだもので鷲掴みされるものがないのに驚いています。まだ、1/10程度しか読んでいないので、早急な結論はいけないのですが。
 最近思うことですが、わが稚拙な能力をもってしては、いわゆる名作と呼ばれる作品に感応したことがない、という情けないことを思うものです。
 わが作品がわからないといわれてきたのは是として、山脈をなす作品群に分け入っていけないという、こちらの方が問題大なのですから。
 今、掲示板(海ではありません)が荒れているようです。心配ですね。


 
書くため0624(2017.06.24)
 小川国夫などを読み始めましたが、今は文学の方は体に入ってきません。
 葬送の関係の方の本の方に、どうしても傾きます。


 書くため0623(2017.06.23)
 海のホームページの微修正など、必要に応じしました。
 「葬送の仕事師たち」や小川国夫など、読書がメインです。


 
書くため0622(2017.06.22)
 罪と罰の名場面に入ったところで頁を開いたまま、届いた「葬送の仕事師たち」や小川国夫の本などの中から、「葬送の仕事師たち」の方に目が移り、読み始めました。
 2月の東京での子供の件以来、葬送の仕事師たちの仕事ぶりに痛く感銘を受けたせいでもあります。あの「瀬戸際に立たされた者たちに寄り添うこと」の大切さが、身に染みて有り難かったという理屈抜きの印象の強さに、今惹かれています。


 
書くため0621(2017.06.21)
 印刷関連の経費などがわかりましたので、送金を済ませ、会計報告の作成にかかりました。これが終わると、発行の最終章になります。
 そうなると、第19号の方に頭を切り換えねばなりません。次はどういう内容の作品にするか、まず自作にかからねばなりません。
 罪と罰はラスコーリニコフが老婆を訪ねたところで、ここから物語は大きく展開するのですが、今日は会計報告の方を優先しました。
 そうこうしているうちに、小川国夫、葬祭の仕事などの本8冊が届きますから、時間の使い方がうまくいきますやら。


 
書くため0620(2017.06.20)
 この束の間の時間に、何度読んでも(40歳過ぎて読んだためか)感覚的にピリッとこない名作「罪と罰」を読み始めたのですが、能力がないのか、どこかの感がズレているのか、かつて2度は読んであらかたは知っていることなのに、「進まない」のです。
 これは私の能力がついていかないのでしょうが、ロシアの作品は「長い」「やたら長い」というところに違和感があり、なんでこう「饒舌」過ぎるんだ、などといっているうちに2日を無為に費やしてしまいました。全体の1/10も読めていないのですが。
 その間、同人の間で話題になっていた小川国夫の作品を4冊、葬送や納棺など人生の裏方にあたる方々に、このほど痛く感銘を受けましたので、その関係の本を4冊注文したところです。
(ツブヤキ)
 エリートとか、才人とか、巨匠とかといわれる人々のDNAの感覚についていけないのか、私には、そのあたりの「障害」があるのかもしれないと思うことです。


 
書くため0619(2017.06.19)
 海到着の連絡が多いです。中には、「高齢につき今後辞退します」という内容もあったり、連絡をいただいた内容で先方のことが窺えたりして、複雑な気になります。


 
書くため0618(2017.06.18)
 海第18号の冊子をめくったりします。九州内は、ほぼ着いたのではと思われます。少しずつ感想が寄せられます。
 今日は小休止です。


 
書くため0617(2017.06.17)
 昨日の作業で、何度試みてもホームページが受け付けてくれなかった作品ですが、半角文字のタイトル(半角の英数文字でつけねばなりません)のどこかに、微妙なスペースでもあったのか、もう一度消して、つけなおしてみたら、うまくいきました。
 やれやれです。見た目にはわからないものです。ホームページの更新作業に、1日半かかったということになりました。
 15日に送った冊子がもう届いたらしく、早々と感想までいただきました。ありがたいことです。こういうふうにしていただくと、なんとも感無量です。


 
書くため0616(2017.06.16)
 一日かかりで、海ホームページの更新作業です。
 なんの問題なのか、作品データを載せようとしても、どうしても受け付けてくれないものがあります。作品の、電子情報としての名前をいろいろ工夫し、チャレンジしてみます。果ては、パソコンを再起動してみたり、この世界はどうも理屈ではありません。
 見かけ上は、うまくいっているように見えますが…。


 
書くため0615(2017.06.15)
 海第18号の発送作業を行いました。井本氏、中野氏に駆け付けていただきました。
 第18号から、体裁が変わりました。内表紙のことば、目次の縦書きなどです。今号の内容は、どのように伝わり行くでしょうか。
 第19号にも期待大、というところです。


 
書くため0614(2017.06.14)
 明日の海の発送に向けての準備をし、併せてグッズを揃えました。


 
書くため0613(2017.06.13)
 できるときに何でもしておかなくてはと、寝不足の朦朧とした気分のまま、海の一般あて送付状、同人あて送付状、第19号投稿・冊子作成要領、宛名ラベルなど、一気に印刷をし終えました。
 まず、目の前のものを片付けておかないことには、責任が果たせませんから。


 
書くため0612(2017.06.12)
 子供のことで、これ以上原因を追及しても詮ないことだしと、当面は海の発送と、次号の原稿作成要領の作成をきちんとしなければと思うことです。
 6月15日は、発送作業の協力が得られそうで、ありがたく思います。最近、文芸の催しには全く出ていませんので、獏にでも流れ、様々な話ができたらと考えます。


 
書くため0611(2017.06.11)
 送付状(一般用、同人用)、次号の投稿・冊子作成要領などの内容をチョックしました。 ホームページ掲載のための、作品の準備もしました。


 
書くため0610(2017.06.10)
 海の作業は、宛名ラベルを買いに行ったことぐらいです。
 小説道場が辞めになるので、飲み会の案内がきましたが、現在のこちらの状態をしたため、欠席の返事をしました。まだ、外に出て懇談できるところまでいきません。
 全作家の方もキャンセルしたのでした。殊に今、東京には行けません。
 もちろん、徐々に時間を設け、作品に取りかかりたいとは思います。しかし、なかなか心身の落ち着きが戻りません。持論は「この世もあの世も一つ」ということですが、現実の方はかなりの時間の経過を待つ必要がありそうです。


 
書くため0609(2017.06.09)
 海発送前の準備をします。
 送付状(一般用、同人用)、次号の投稿・冊子作成要領、送付先整理、宛名ラベル印刷などなど、です。そこで、送付となり、ホームページの整理もあります。
 会計も兼ねているので、同人費の納入具合を確認し、必要に応じ督促し、最後に会計報告をします。これが終わるのが6月末頃でしょうか。


 
書くため0608(2017.06.08)
 海の校正(印冊所における)に行きました。
 約2時間で終了。内容は悪くないのではないだろうかと思われます。
 順調にいけば、印刷あがりを待ち、15日にも発送ができる予定です。


 
書くため0607(2017.06.07)
 今日したいと思っていたことを始めたら、子供の関係で東京都監察医務院から通知が届きて、その関係で一日を費やすことになりました。
 今は、文芸の仲間や、集まりにはなかなか行けないし、気が向かないという中にあります。ただただ、静かに編集の作業を行うのみ、というところです。


 
書くため0606(2017.06.06)
 今回の作句のテーマを子供のことにしたので、なんともまとまりが出ず、気持があらぬ方に飛び、千々に乱れます。
 この5日ほどは、またあの2月の時間を思い出し、苦いものが胸を過ぎってばかりなので、完成の度合いを見切り、今日原稿の提出をしました。


 
書くため0605(2017.06.05)
 俳句、これは難しいものです。この5日間ほどは、呻吟を繰り返していますが、なんとも閃きません。詠もうとする情景がフリーであれば、これまでなんとかなっていたのですが、テーマを一つに絞ったところ、これが出来ないのです。
 五、七、五、このリズムに嵌まらないし、理屈っぽくなってしまいます。


 
書くため0604(2017.06.04)
 海の送付先などの確認、送付状の作成、宛名ラベルの作成などです。次号の投稿・冊子作成要領も作成します。
 次号からは中身の方も工夫すべきですが、まずは第18号を仕上げること。
 全作家の方にも気持は残りますが、今の自分には、あまり手を広げ過ぎるというのは考えものです。ただ、全作家に作品の投稿が出来なくなったということは望まないことであっただけに、痛いですね。
 毎朝子供の方にチャンネルを合わせてみるのですが、特別のものは感じ得ません。ただ、これまでの「ヒネタ」作風はなんとかしなければ、と漠然と思います。


 
書くため0603(2017.06.03)
 作句をと、モードを切り替え中です。
 送られてきた群系「第6回(2016年)富士正晴全国同人雑誌大賞受賞」を見てみましたが、批評系同人誌としては抜きんでた誌ですね。それにしても、全国の応募誌が117誌というのは意外に少ないものです。
 ともかく、受賞された3誌には敬意を表します。


 
書くため0602(2017.06.02)
 印冊所の校正までの間を縫って、作句などと思うものの、そう簡単ではないですね。短い作品は、短い故に極限までの無駄を省かねばなりません。ほんの17文字ではないか、などというなかれ、なんとも難しいものです。
 詩も難しいものです。詩のモードに入るのに、早くても数日を要します。詩は説明ではないのですから。と、理屈ばかりいっても難しいものは難しいです。
 では散文はとなると、これまたそのモードに入るのに数日を要します。
 つまり、たやすいものなどどれ一つありません。特に、簡潔に表現出来たと思える作品には、涙ぐましいほどのエネルギーが費やされています。


 
書くため0601(2017.06.01)
 文学街の会費納入は5月中に、とのことです。今日来た349号に書かれていたので、慌てて郵便局に走りました。はたして間に合うのやら、ですが。
 ハガキは、今日から52円から62円に値上がりしました。10円の切手を求め、100枚ほどの手持ちのハガキを62円のものにしました。


 
書くため0531(2017.05.31)
 原稿を手放した、という一時的な弛みがあります。
 ただ、すぐに、冊子の送付の場合のもろもろの準備や、次号の要領の作成など、すべきことは多くあります。今の精神状態では、すべきことがあるということが、救いにもなっているというのが不思議なところですが。
 第19号からは、それこそ「しまっていこう」ということになるのでしょうし、第18号の発刊が成ったら、新たなメンバーを交えて感想を述べ合う懇親会をしようという提案が一部からありますので、考えてみたいと思います。


 
書くため0530(2017.05.30)
 海第18号の原稿を持参、印刷依頼をしました。今後は校正を経て、6月18日の週に印刷あがり、という予定で進みます。
 この暑い中、印刷発注にまで進むことが出来、やれやれです。


 
書くため0529(2017.05.29)
 海第18号の大方の読み込み、修正が終わりました。明日、印刷依頼という運びになる予定です。
 今号は、内容のいずれも引き締まったもので構成されています。一字一句を大切に拾い、表現したという作品群です。
 作成側の考えと、評価が必ずしも一致しないのは難点で、よくあることですが。海第17号がそうでした。堅実な出来を求めると「新規性がない」などとなり、まあそういうことは第二次的なことにしか過ぎませんが。
 発行側としては、継続して発表し、チャレンジすることを目指しています。
 今号あたりからは、良きにしろ悪しきにしろ、目を通してもらえるところに「謹呈」を絞りゆかねばならないのかもしれない、と考えているところです。


 
書くため0528(2017.05.28)
 誤記など確認の資料が戻ってきました。
 私も最後の読み込みを行い、戻ってきた資料の「指示する箇所」の修正を行い、これが終われば印刷依頼へと進みます。
 その際、印刷依頼冊数、送付先などの確認も必要になります。


 
書くため0527(2017.05.27)
 今、誤記など確認依頼中です。
 それが戻ってくると、急に忙しくなります。


 
書くため0526(2017.05.26)
 おやおや、海の見本誌がほしいというメールが入り、送りました。こういうメールが入るということは、とても嬉しいものです。
 今の海の書き手の水準は、かなりのものだと思いますから。


 
書くため0525(2017.05.25)
 海第18号は、委員による「誤記など」の確認中です。
 この間を縫って、長野氏から質問などをいただいていた事項をとりまとめ、文章にしてみました。文章にすると、かなり他人行儀になってしまいます。
 実際にお会いし、言葉を交わすことが最も大切なことだと思われるのですが、自分自身が取り込み中のところでもあり、やむなくこの文章を送信しました。


 
書くため0524(2017.05.24)
 WEB上で確認をお願いした上水氏から、確認のメールが入りました。さすが、早い。結果も、想定の域だったので安心しました。
 牧草氏からのデータを併せ、これらを微修正した上で、印刷依頼という段取りになります。やはり、複数の目で確認することの大切さを実感しました。


 
書くため0523(2017.05.23)
 海の編集作業をいったん終え、周囲を見る余裕が出ました。
 資料を牧草氏に送付、ホームページの整理などです。


 
書くため0522(2017.05.22)
 待っていた原稿が到着したので、至急入力し、校正依頼を送付しました。
 全ての原稿が揃ったので目次を完成させ、それに従い全体の頁入れをし、「原稿の受付締切」と今後の流れについて説明のメールを送付しました。
 同時に、上水氏にはWEB上での「誤記など確認」の依頼を今日行い、牧草氏にはプリントアウトした上で、資料を明日送付し、同確認を依頼します。


 
書くため0521(2017.05.21)
 原稿の到着を待っています。この到着を待って、「原稿受付締切」の連絡をしたいと考えています。その間になし得ることを準備しています。
 原稿受付の期間は、どうしても「待機」ということになります。


 
書くため0520(2017.05.20)
 あと1人の原稿が待たれます。今日届かなかったということは、明後日夕方着になるということです。昨日投函したという連絡(原稿分量も把握)は受けています。
 よって、目次(仮)を作成し、全体に頁を打ちました。
 原稿の締切の連絡は、明日以降になります。まあ、本来なら、今日までが受付け期間なのですから。到着を待ちましょう。


 
書くため0519(2017.05.19)
 全ての原稿が出たわけではありませんが、だいたいの予定がわかりましたので、まず目次作りにかかります。
 今回から「海の扉」(海の理念)を1頁目に作り、目次を縦書きにします。この作業はこれから行います…。うまい具合に運べばよいのですが。
 目次ができれば、作品を順に並べていきます。全体で150頁の予定です。


 
書くため0518(2017.05.18)
 今日も原稿は届かず、という訳で周辺のことばかりやっています。
 風邪休みにもなり、まあよいことにいたしましょう。


 
書くため0517(2017.05.17)
 おそらく最後になるであろう、今日の原稿提出は届きません。その原稿が入れば、全体を並べ、頁を打ち、目次が出来るのですが。
 締切は20日ですから、急いでもせんないことです。
 原稿が入らないままで頁組みもまだですが、同人費の払い込みをしました。


 
書くため0516(2017.05.16)
 どうやら、今日の原稿提出はない模様です。
 5月20日の締切を待たねばなりません。
 小説のトップと、ラストの配置をイメージしていますが、これらは奇数頁、偶数頁の出具合などにも左右されます。


 
書くため0515(2017.05.15)
 今日のところで、150頁を越えるということが見えました。
 今日は小説、詩で20頁というものです。さっそく、印刷用フォーマットに割り付けし、校正の依頼をしました。
 ほぼ全貌が見えて来ましたので、次は全体の割付に入ることになります。


 
書くため0514(2017.05.14)
 海第18号の原稿の出方は、今のところ130頁あたりですが、あと20頁ほどには達するのではないでしょうか。原稿提出期間は、まだ1週間を残していますから。
 今号は質的に充実しているようです。


 
書くため0513(2017.05.13)
 原稿が入り、フォーマットに割付け、校正依頼をします。
 校正済み原稿が戻ってきます。このことの繰り返しです。小説のトップには、ときにイラストを入れます。
 本文の途中にも、必要に応じ、写真や図を入れ込みます。


 
書くため0512(2017.05.12)
 海の発送先の調整をしました。本当に必要なところに届くように。ネタミやソネミの元となりそうなところには、送らないことにしました。
 また、頭から「読まない」と宣言されるところにも、必要ないでしょう。
 という間に、原稿が入ってきました。頑張ります。


 
書くため0511(2017.05.11)
 エッセイの原稿提出がありました。Kingsoft officeになるものだそうですが、Microsoftに劣らない、というか見分けがつかない出来です。Kingsoftでいいのなら、かなり負担が減らせそうですが、本家本元はやはりMicrosoftでの作業をしました。
 校正に出していた分が戻ってきています。今見ても、かなりの出来映え(自画自賛)ではないかと思います。(「編集作業」のことですが) 


 
書くため0510(2017.05.10)
 今日の昼間までは、海の原稿は出されていません。
 中間休みということでしょうか。
 昨夜は、関東文芸同人誌交流会掲示板に的確な評をいつも書いてくださる根保氏からメールアドレスをいただいた(プロバイダが変わられたのですね)ので、早速メールを入れ、日頃のお礼を含め、今後のアドバイスなどをいただけるようお願いしました。
 根保氏は、狂区掲示板や群系掲示板でも広く意見などを披瀝され、執筆面も、短歌、詩、小説、評論など幅広く、実に濃い中身の作品を生み出されています。
 評論だけでなく、実作もこなされるとあっては、いつも発しておられることばの意味が軽いものではない、ということがよくわかります。
私は、氏の「宙空間をも意識された」作品が好きです。…現実を見れば、宙空間はSFでもなんでもなく、実際そこにあるのですから。


 
書くため0509(2017.05.09)
 笹原さんが、第22回NHKハート展に入選されたとのことです。全国の3,641編の中の上位50編に入るというのは、易しくはありませんね。おめでとうございます。
 さて、現在小説4編が出されています。たいへん良い内容のものではないかと思います。小説はまだ出ることだと思いますし、詩の方も期待大です。
 現在まだ状況が見えない方に、締切と、参加の案内を出しました。


 書くため0508(2017.05.08)
 海第18号の原稿が入ります。しっかりした内容の作品です。
 ありがたいことです。早速印刷用フォーマットに割付け、校正を願いました。
 個々の作品が非常に意欲的に、丁寧に書かれています。


 
書くため0507(2017.05.07)
 詩と、まだ格闘しています。説明ではないのですよね。そのあたりがうまく表現できていないようです。
 詩1編と侮るなかれ、というものです。詩も小説も、難しいものです。
 しかし、放ってはおけない。チャレンジする。恥をかく、この繰り返しです。ただ、それが醍醐味でもありますから、やっかいなことです。


 
書くため0506(2017.05.06)
 わが詩を見直し、手を加えました。詩は(も)難しく、本腰を入れてやらねばなりません。よい詩を多く読むこと、そして書くこと、でしょうか。
 編集作業をしていると、だんだん文章の難しさが分かってきました。といって、書く方にすぐに生かせるかというと、そう単純ではありません。
 あきらめずに続けること、これが大切なことになりそうです。


 
書くため0505(2017.05.05)
 エッセイと小説の校正依頼(郵送分)を送付しました。内容の締まった作品で、第18号の核となってくれることでしょう。
 イラストや写真などを入れるのが、なかなかたいへんですが。


 
書くため0504(2017.05.04)
 新たな小説作品が出て、約30頁が増えました。編集作業は久しぶりなので、細かいところになると詰まります。
 フォーマットに割り付けるには、作成された原稿の編集のクセをいったん解除せねばならないため、テキストファイルに変換します。その際、「ルビ、傍点、線」などが消去されるため、原稿を見ながら「消去したものを復元」する作業が必要になります。


 
書くため0503(2017.05.03)
 小説作品、エッセイの修正など、割付作業が始まりました。60頁を越えました。


 
書くため0502(2017.05.02)
 エッセイの原稿割付を行い、作者に送信しました。写真の不足などあり、まだ調整を行う必要がありますが、出足はまずまずというところでしょう。
 現段階(3人)で、約40頁をカウントしています。


 
書くため0501(2017.05.01)
 今出来得る海編集作業の準備は、ひととおり終えています。
 原稿がいつどこから出てきてもいいように、との態勢にあります。


 
書くため0430(2017.04.30)
 海の編集作業がいよいよ始まります。その前に、海第17号への意見まとめや、和田氏のエッセイなどを完成させました。
 自分の作品も、大方は出来上がりです。
 こうやって世間に背中を向けたくなったいま、海の編集作業が巡ってくることはありがたいことです。懸命に取り組みたいと思います。


 
書くため0429(2017.04.29)
 詩を3編用意しました。
 小説も20頁を準備しています。


 
書くため0428(2017.04.28)
 詩が3編入りました。
 私の方も、小説を一応掲載できそうなあたりにまでに修正しました。
 詩の方も2〜3編を考えています。


 
書くため0427(2017.04.27)
 海の印刷用割付を始め、詩5編を校正に出しました。エッセイの割付もしましたが、これには写真が入るということで、写真の到着を待ちます。
 ようやく、わが作品です。まだしっかりと手を加えねばならないと思われますが、一応20頁のかたちはできています。(半年前の作品ですが)
 全作家短編集の校正が送られてきたので、校正し返送しました。掲載料の振り込みも併せて行いました。


 
書くため0426(2017.04.26)
 今日からは、海の原稿の編集作業に入ります。出された原稿で、既に手掛けたものもありますが、肝心のわが作品は全くのお留守です。
 まあ、今はそれもよし、ということでいきましょう。


 
書くため0425(2017.04.25)
 まだ海の原稿に本格的に入り込めていません。あと2〜3日の猶予が欲しいところです。やはり重い出来事なんですね。
 朦朧とした状態は、やはり続いています。


 
書くため0424(2017.04.24)
 海の原稿が出始めています。長編作品もあるようです。
 今書く、今を書く、今だから書く。それらのいずれでも構いませんから、今書ける作品を書いていただければ最高です。
 評価が良いにこしたことはありませんが、自身の存在証明なるものを、書くことによって今示していただけたら、と思うことです。


 
書くため0423(2017.04.23)
 この時期に文芸などあったものか、という気がしないではありません。
 いったい文芸になにができる、ということでもあります。できるかできないかはともかくとして、一日、一日、ここに向かうしかないということはできます。
 間違っても、売れるとか、売るとか、有名になるとか、自慢するとかいう事柄とは全く無縁の、自発的な情動をキャンバスに書き付けるということによってですが。


 
書くため0422(2017.04.22)
 文芸を「学」ととらえたこともなく、またそういうものでもないだろうと思う身には、評というものがどう位置付けられるのだろうという疑問が残ったままですが、「芸」ととらえると、ようやく息が吹き込まれます。
 どう書くか、ということは芸の域のことだろうと思うのですが、ここにあまり理が走り過ぎると、対象を狭めてしまいます。あまり情感を表に出し過ぎたものにも萎えてしまいますが、理が勝ちすぎるといけません。
 もっとも、表現は緻密に、正確に、論理立ててということを前提にしなければならないものだろう、とは思うものですが。


 
書くため0421(2017.04.21)
 身内の事情にかまけていましたが、ようやく海の割付作業に入りました。ちょっと調子が狂ったままの状態ですが、1月頃までに案を練っていたことなどを思い出しながら、1からのやり直しになります。
 さて、巻頭の文言は、目次は、等々を考えていたのでした。「9P→9.5P」のことも考えていたのですが、第17号の誌面を何度も眺めていると「まるで違和感がなくなってきた」から不思議です。要は内容ですから。
 日本文学振興会あての書状も送付しました。


 
書くため0420(2017.04.20)
 海の編集作業を開始しました。まず、送ってもらっていた「詩と絵」の打ち込みと、絵のスキャン、切り取り、貼り付けからです。この作業は少々難しいので、いつも初っぱなにするようにしています。それに、巻頭の文の確認です。
 自分の作品の方は、半年前に書いていた作品に頼らざるを得ない、というところでしょう。それに、詩を1〜2編書けたらいいのですが。


 
書くため0419(2017.04.19)
 今日も、携帯の解約だのなんだのという用務が入ってきて、なんとも知れないうちに一日が過ぎてしまいました。
 私の普段からの姿勢なのかもしれませんが、「現世と次世」「次世と現世」が半々に見え、常に行き来しているものですから、ものを書くにしても、現世の一コマ一コマにそれほど執着が湧かないせいもあって、結果として「逃げを打っている」というふうに読まれがちなのだと、最近気付きました。
 これは、幼いときから私はこの視点で見ていて、他の人もそうだろうと思っていたら「どうもそうではないらしい」と分かり始めてきました。そうしてみると、わが初期の「コスモスダンス」あたりからして、どなたにも理解してもらえなかった所以が逆に分かってきた、という妙な話になります。
 宮本輝の「幻の光」についての元講師との解釈のズレ。今も思い出しますね。もっとも、私の書き方の方を、もっと「現世」に近付けて書かねばならないのですが。


 
書くため0418(2017.04.18)
 さてさーて、なにから始めよう。といっても、いったん錆び付いたところからは、何も出ませんね。まあ、冊子のスタイルのことでも考えますか。
 えーと、どこまで準備していたのかから確かめなくては。


 
書くため0417(2017.04.17)
 さてさて、海の方に向かわねば、とやおら進路の舵を切りつつあります。
 多分大丈夫でしょう。気を入れて準備しなければ、というところです。


 
書くため0416(2017.04.16)
 今日も文芸の方はお休みです。
 子供の50日祭・納骨とあって、一日これにかかりました。


 
書くため0415(2017.04.15)
 こういう時期に文芸か、と我ながら思わないでもありません。文芸とは、命を張ってまでやるものか、と独りごちてみます。
 中身によるのでしょうが、老人問題や身辺雑記等々には飽きました。
 妙な落ちをつけたり、気取ったり、うぬぼれたりなど、今見たい聞きたいことではありません。評論や論文調にも、違和感が拭えません。いったい何が見えないのか、この時期の切迫したことがどうして問題にならないのだろうか、と思うことです。


 
書くため0414(2017.04.14)
 考えてみれば、海の自分の原稿のことには手を付ける暇がありませんでした。というふうに逃げはうちたくないのですが、今回は特に半年前に準備したものでなんとかしたいと思っています。ゆえに、実験作の類になります。
 出さない、という選択肢は持ち合わせていません。ある意味、1号1号の自作への評価はあまり期待してしていませんし、そういう書き方をしてきました。
 と言ってしまえば、やはり逃げになるのでしょうか。


 
書くため0413(2017.04.13)
 そうこうしているうちに、海の原稿が入り始めました。やおら、腰を上げねばならないことになってきました。
 子供に関する資料の収集もおおかた終わったところですので、今度はまた本来の目標に向けて集中せねばなりません。
 こういうときは、ひたすら原稿を眺めていくということで、救いでもあります。ただ、今回もまた、作品の向上には至りそうにありませんが。


 
書くため0412(2017.04.12)
 4月16日の子供の50日祭が終わるまでは、何とも雑事が多いものです。
 気持の整理の方も、まだまだついていません。
 いましなければいけないこととして、子供の携帯からのラインやメール資料の整理などを、この一週間というもの行っています。
 というのも、携帯は壊れているものとして、1か月以上放置していたものの、もしやと思い携帯ショップを訪ね、まだ生きているということが分かったからです。ラインなどの全てを書き取ることはできませんが、親しく交わった多くの友人らとの交情が偲ばれ、いまさらながら私とは異なり、人懐っこい子だったのだと思うことです。


 
書くため0411(2017.04.11)
 そろそろ始めなくては、と腰を浮かしかけるのですが、まだ時が至っていないものと思われます。4月16日の50日祭が終わるまでは、何とも雑事が多いものです。
 気持の整理の方も、まだまだついていません。
 もう少し時間が必要だ、ということでしょう。


 
書くため0410(2017.04.10)
 そろそろ始めなくては、と腰を浮かしかけるのですが、まだまだ時が至っていないものと思われます。
 もう少し時間が必要、ということでしょう。


 
書くため0409(2017.04.09)
 こちらの方は、1か月以上留守になっています。
 4月16日の50日祭を終えれば、海の方にかからねばなりません。今度の顛末などは、今回の号には間に合いそうにはありませんが、何かを書かねばと思うことです。


 
書くため0408(2017.04.08)
 こちらの方は、1か月以上留守になっています。
 文脈が浮かばないということより、時間がない、ということに尽きます。
 毎日毎日、同じ文言ですね。
 ただ、高岡さんから、小柴節子さんの詩集「雨ノチ雨」「水甕の水」と、歌集「にゅうろんんの茎」「夏の舟」「しろつめくさの咲く頃に」の5冊の作品が届きました。才溢れる詩人(歌人)の作品群に、必ずやいどみたいと思います。


 
書くため0407(2017.04.07)
 こちらの方は、1か月以上留守になっています。
 文脈が浮かばないということより、時間がない、ということに尽きます。
 毎日毎日、全く同じ文言ですね。


 
書くため0406(2017.04.06)
 こちらの方は、1か月以上留守になっています。
 文脈が浮かばないということより、時間がない、ということに尽きます。
 こちらは、いつもと全く同じ文言ですね。


 
書くため0405(2017.04.05)
 こちらの方は、1か月以上留守になっています。
 文脈が浮かばないということより、時間がない、ということに尽きます。
 これは、いつもと全く同じ文言ですね。


 
書くため0404(2017.04.04)
 こちらの方は、1か月以上留守になっています。
 文脈が浮かばないということより、時間がない、ということに尽きます。
 これは、昨日と全く同じ文言ですね。


 
書くため0403(2017.04.03)
 こちらの方は、1か月以上留守になっています。
 文脈が浮かばないということより、時間がない、ということに尽きます。


 
書くため0402(2017.04.02)
 そろそろ文芸にも気を向けねばならないのですが、ことがことだけに、目の前の用事が多いことと、気持が切り替えられないことがあります。
 ディランさんが、4ヶ月遅れでノーベル文学賞の賞状とメダルを授与されたということのようです。あの一連のポーズは、なんだったのでしょうか・・・。

ディランさんにメダル授与=ノーベル文学賞、4カ月遅れ
時事通信 4/2(日) 7:37配信
【ロンドン時事】米シンガー・ソングライターのボブ・ディランさん(75)が1日、スウェーデンのストックホルムで2016年のノーベル文学賞の賞状とメダルを授与された。同賞選考に当たるスウェーデン・アカデミー関係者がスウェーデン放送に明らかにした。ディランさんは昨年12月の授賞式を「先約がある」として欠席していた。
 ディランさんは欧州ツアーの一環でストックホルムに滞在中で、1日夜にはコンサートを開いた。授与はそれに先立ち、非公開の場所で行われた。アカデミーのダニウス事務局長は3月のブログで「ディランさんの希望により、メディアを入れず本人とアカデミーのメンバーだけが出席する」と述べていた。
 受賞者が800万スウェーデンクローナ(約1億円)の賞金を受け取るには授賞式から6カ月以内に記念講演を行う義務がある。同事務局長によれば、ディランさんが「後日(講演の)録音を送付してくる」見通しだという。文学賞では13年に受賞したアリス・マンローさんも録音により講演を行った。 


 
書くため0401(2017.04.01)
 正直、時間が割けません。日常に追われています。
 海の原稿依頼だけはしましたが。自分の作品はどうする、というところです。


 
書くため0331(2017.03.31)
 海の原稿提出案内を出したというのに、まだ文芸の気運にも、気分にもなりません。原稿が出始めると、それに押されるかたちででも入り込むことになりましょうか。
 いただいた本などが多くあるのですが、まだ読めないでいます。


 
書くため0330(2017.03.30)
 海第18号(通巻第85号)の原稿依頼をしました。郵送が必要な同人あてには、送付しました。こうして、海の冊子作成が始まります。


 
書くため0329(2017.03.29)
 明日には海第18号(通巻第85号)の原稿依頼ができるよう、準備をしています。こういう時期に、冊子を作成するという用務があるということは幸せです。
 頁の組み方などで一時迷いが出てしまいましたが、「9P」「27文字×25行×2段」を基本にし、出発したいと思います。


 
書くため0328(2017.03.28)
 今日も、この項はスルーです。そのうちに必ず始めます、という気持です。


 
書くため0327(2017.03.27)
 やはり、この項はスルーです。そのうちに必ず始めます、という気持です。


 
書くため0326(2017.03.26)
 旧の作品など出して、整理を始めたり仕掛けたのですが、うまくいきません。
 いろいろな難問はあれど、文芸のことをやっていてよかったことだと思います。


 
書くため0325(2017.03.25)
 高岡さんから、小柴節子さんの詩集「地図」が送られてきました。繊細な感性をお持ちの方のようです。その「通夜」という作品に目がとまりました。
 高岡さんによると、「こしば・きこう、さんの元奥様」「かつては美貌で知られたが、お酒と煙草と孤独が彼女の肉体的若さを奪い、高岡さんの『無口な女』に似た晩年」「昨年の2月に孤独死」されたとあり、ここで衝動的にわが子(この2月に死亡)のことを吐き出したくなり、掲示板に書いたものの、恥じています。
 小柴さんに関していえば、かつて「ざいん」に書かれた小説のつまらない点にケチを付けたことがあり、礫で打たれるかのごとく、です。
 詩集はきちんと読み通し、自分なりの感想を述べてみたいと思います。


 
書くため0324(2017.03.24)
 読んでも入ってこない状態ですが、まずヒラリズムを読み、感想のコメントを送りました。返信のメールに、たいへん癒やされました。
 半年は平常の状態に戻れないだろう、とのアドバイスです。そうだろうと、思いました。いったいなにをやっているのだろう、ということの連続する日々です。


 
書くため0323(2017.03.23)
 海の本文を「9.5P」に変えてみたいと思っていましたが、現行の「9.0P」の誌面を眺めていると、なかなか味があり、「ならば今辿り着いたところのままで継続してみよう」か、という心境になりました。
 これは、他誌の誌面に寄り切られるかたちで考えていたのですが、「9.0P」の海も個性のうちだと、攻めに転じることにしました。
 一方で、わが身辺があまりにも忙し過ぎるという訳もあってのことですが。


 
書くため0322(2017.03.22)
 書くことからも、読むことからも遠ざかって久しいものです。
 その間、ホームページの整備などをやっています。


 
書くため0321(2017.03.21)
 海のホームページを整理し、電子書庫のことを再びPRしたり、3月19日のアートスペース獏での高岡さんを囲む懇親会の記事のことに没頭したりということでした。
 他方、小説道場の運営が難しそうだというお話が来、まさに私の方の抱えている事情も併せて考えくださると、先行きが難しそうな感じです。私のことはおいて、メンバーそれぞれが独り立ちしようという気運のようでもありますし、いったん休止もやぶさかではないのかな、という思いです。聞けば、13年もの歴史があるのだとか。おおきな役割を果たしてきた「鍛錬の場」ともいうべき、道場であったのでしょう。


 
書くため0320(2017.03.20)
 昨日のお礼のメールや、掲示板等への報告の掲載、電子書庫の新規掲載など、そういうことをまとめてやる日でした。
 後で考えると、花書院さんほかに多くの迷惑をかけたことになり、反省しきりです。まだ、うまく感情の制御ができていないようです。


 
書くため0319(2017.03.19)
 第10回北九州市文学協会文学賞・小説部門大賞の高岡さんを囲み、懇親会を催しました。時間は18時から、場所は天神アートスペース獏で約3時間。今回の受賞作である「無口な女」の巧みさについて、よい意見の交換ができたことと思われます。
 福岡に同人の少ない海が、総計5人の参加を得たということも大きいことでした。ざっくばらんに語り合い、「さらなるチャレンジを」ということになりました。


 
書くため0318(2017.03.18)
 本当に久しぶりに作品を読みました。高岡さんの「無口な女」です。
 なるほど、どうしてこうも無口というか表情のない女なのかと思っていたら、14年前精神を病んだ夫の自殺を幇助したのですね。それにしても、画家を目指しているのに芽の出ない極貧の主人公が、頼まれて肖像画を描いたところ、意外な報酬を得て、それまで行けなかった歯の治療に行くということから、物語は展開します。
 主人公の目に、天啓のごとくにとらえられた美人ではない、奇妙なほどに無口な歯科の窓口の女(主人公は、美人を主として描いてきていた)。能面のような女の観察が、1か月以上にわたり、歯科医の窓口で、女のアパートの近くで続けられます。
 それをリアリズムの手法で描いた作品が眼にとまり、主人公は画家としての成功の道を踏み出します。しかし、デフォルメして表現したにも拘わらず、無口な女の首の痣が誰かの目にとまったのか、女は逮捕されるという結果になります。絵が無口な女を白日の下に晒した、ということになるのでしょうか。
 20年後の今、都会の雑踏で二人は再会する(女は気付かない)という「現在」に至るのですが、作者のストーリーテラーぶりは、玄人はだしですね。高岡さんは、40年近く絵を描いてきたということですが、そのデッサン力(姿、形、心の奥まで)には、脱帽です。第10回北九州文学協会文学賞小説大賞、さすがの作品です。


 
書くため0317(2017.03.17)
 今日もこの項はスルーです。そのうちに必ず始めます、という気持です。


 
書くため0316(2017.03.16)
 今日もこの項はスルーです。そのうちに始めます、きっとという気持です。


 
書くため0315(2017.03.15)
 今日もこの項はスルーです。そのうちに始めます、の気持です。


 
書くため0314(2017.03.14)
 今日もこの項はスルーです。そのうちに始めます、の気持です。


 
書くため0313(2017.03.13)
 今日もスルーです。
 そのうち、徐々に戻ってくることでしょう。忍の一字です。


 
書くため0312(2017.03.12)
 文芸には戻っていません。高岡氏との懇親会の最終参加確認のメールを出すなど、で終わりました。今しばらくは、こういう状態でしょうね。


 
書くため0311(2017.03.11)
 何もしていませんねえ。ただ、3月19日の高岡氏との懇親会の連絡を、少ししただけです。もう間もなく、授賞式ですから。


 
書くため0310(2017.03.10)
 この10日以上の間、文芸とは無縁の日々を過ごしています。


 
書くため0227(2017.02.27)
 何作か続けて、旧作の書き直しに挑んでいます。本来は書き直しも「大胆になすべき」なのでしょうが、取り敢えずの作業は「どれだけの作品がまだ扱えそうか」というものです。いくつかを手掛けているうち、「大胆な改作」も成るかもしれません。
 一番の狙いは、初期の頃の作品を見直すことで当時のパワー(あったのかどうか分かりませんが)を思い出し、次なる新たなものに繋いでいきたいと思うものです。


 
書くため0226(2017.02.26)
 万華鏡を修正、次は夾竹桃と青い空の方に入ります。


 
書くため0225(2017.02.25)
 道場の作品の合評です。最初、道場とは特定の同人誌の作品の整理の場かと思っていましたが、その場でもあり、また同人誌に属していない方も含めた「鍛錬の場」でもありで、意欲のある作品が出されてきます。
 今日の作品も意欲的な作品ばかりで、その真剣さにおおいに学ばされました。次回は6月24日で、年に3回だそうです。


 
書くため0224(2017.02.24)
 道場の作品を読んでいます。道場とは、今に至って理解したのですが、特定の「同人誌に道を開く」ということに留まらず、芥川賞、直木賞にもチャレンジする場所だと分かり、認識を新たにしました。
 そうでしょう、意欲的な作品が多く寄せられています。期待大です。


 
書くため0223(2017.02.23)
 もう一度、道場の作品を読まねば、と考えています。こうもよい作品が出されるならば、と自分ももっと努力し、工夫をする必要があります。
 やはり、息遣いの聞こえる場所で作品の内容を高め合ってていくということは大切ですね。かつては、こうやって意見を交わし、ときには傷付け合いながらも作品を生み出してきたものです。今、この意見を交わすという場をもたない海は、漂流の海に浮かぶ漂流船に例えていいのかもしれません。人間関係が希薄であれば一定のことはやり易いのですが、そこには自己慢心とまでは言わないまでも、油断や、方向舵の行方の誤りや、自身の力を過信したりする過ちを起こしがちです。
 作品を生むことを「遊び」だとか、「自慢」だとかに結びつける向きもありますが、自分たちの行おうとしていることは、「芸術表現」であり、「学び」であり、「反省」であり、「謙虚」になるためになすべき、厳しい訓練と苦しい作業なのです。


 
書くため0222(2017.02.22)
 小説道場に出される作品の「温かさ」、「切実さ」、「呪わしさ」、「哀しさ」という言葉の表現は抽象的になってしまいますが、これほど「真剣で、真っ向勝負を挑む」という凄い作品が出されようとは、当初予想もしていないことでした。
 故に、というと言い訳がましくなってしまいますが、わが作品の貧弱さが情けなくなります。私にも「切実なテーマはあるのですが」、「臆して書けない」という情けなさを露呈してしまいます。この場が、「捨て身で打ち込む」という場であるのなら、私ももう少し腰を据え、「藻掻かねばならない」のでしょう。


 
書くため0221(2017.02.21)
 イオンモールに文庫本を抱えて行きましたが、周囲が落ち着かないため殆ど読めず、今日は何もしない日だとたかをくくりました。
 殆ど1日、パソコンの前にもいないとなると、これはこれで悪いものではありません。平日というのに、モール内は人で溢れています。家庭にいると出会わない赤ちゃんや、主婦などが活発に動いているのを見て、心安らぎました。
 モール内のTSUTAYAを期待していたのですが、この店は新書ばかりで、おまけにこれというインスピレーションも出てこなかったため、完全休日となりました。


 
書くため0220(2017.02.20)
 照葉樹の水木作品(他はまだ読んでいません)を読み、初めての(?)時代小説のようですが、それが極め付けにいいのに驚かされました。水木作品ならではの、温かい作品なのですが、半端な気持で読んでいたら、引き込まれてしまいました。
 時代考証、空間考証などの問題などはさておき、登場人物が実に生き生きと描かれています。現代ものでも同じ傾向の作品を書く方ですが、時代ものとなると格別に響いてきます。その伎倆に、時を忘れてしまいました。
 というか、モノを書くことで私など思いもかけない揶揄をされてしまうのですが、こういう作品だったら、皆で温め合えることだと思ったことです。恐るべき、羨ましい筆力であり、よい作品です。


 
書くため0219(2017.02.19)
 久しぶりに旧作に手を入れ、一応結末までを見てみました。こういうことでいけば、すべきことは多くありそうです。
 念のためということで、イラストの収集もしてみました。


 
書くため0218(2017.02.18)
 そろそろ書く方に戻れそうな感じです。「鉢と歌麿」あたりからになります。
 こちらは、コツコツと地道に向かうだけです。句や自由律も日々拘わって行こうか、と思っています。書き止めておかないことには、時間だけが過ぎ行きます。
 読む、書く。書くにしても、句、自由律、詩、小説と上手に時間を配分して行ければ、最高なのですが。これらは、工夫しなければならないことです。


 
書くため0217(2017.02.17)
 いやあ、本当に自分が沈み込みそうなことばかりを書き連ねました。
 話はいきなり飛んで、芥川賞発表号の文藝春秋3月特別号の中に、日本ハム監督の栗山英樹氏に取材した記事があります。
 栗山氏からは、現職時代のオリンピックセンターでの研修の場で、話を伺ったことがあります。内容は忘れましたが、謙虚な中に、強い意思を持ち、かつ既成の事柄に捕らわれない独特の考え(それも非常に深い思慮の中から出てくるもの)をもった方、だなという好ましい印象を持ったものでした。
 日本ハムの監督としての成果がそのことを物語っていますが、文春の取材記の中にもとても頷かされるものがありました。栗山氏の大切にしておられる言葉は、道端のモノ書きを標榜する自分の心にも響きます。以下は、その要点のみですが。
・「野球は無私道」(学生野球の父と呼ばれるという飛田穂州氏の言葉) 
自分を殺して人のために尽くしきることが、野球というスポーツである。
・田中角栄氏の「政治を志した以上、オレは命なんか惜しくない」
 常に全力を尽くしきる魂にしか、野球の神様は微笑んでくれない。
・「虎は虎のまま使え」(心の師と仰ぐ三原脩氏の言葉)
 一番大切なことは、選手がみんな「自分らしくある」こと。
・イメージを構築させるということ。(栗山氏の考え)
 言葉や理論ではなく、「自分はこういう活躍の仕方をするといいんだ」という絵を描かせる。余計な言葉はいりません。
・「常識・非常識について」(栗山氏の考え)
 これらは、いったい誰が考えたルールなのだろうか。正しいものだろうか。−大谷の二刀流への批判などに対して。
・「論語と算盤」(渋沢栄一氏の著)
 運を自分のものにできるかどうかは「徳」にあり、それは、他人のために尽くせる人物であるかどうかなのだと、教えてくれる。
・「学ぶ喜びに出会ってほしい」(栗山氏の考え)
 渋沢氏の著作で知ることができるように、「こういう考えがあるのか」と学ぶ喜びに出会ってくれればと思っている。
・「日本ハムへの新入団選手は、最初の休日に本を買いに行き、毎朝食後の十分間は読書をする、というルールがあります」(栗山氏)
 一番大切なことは、野球で成功すること。選手として少しでも成長したいと思ったときに、必要なことを学ぶ方法を知るきっかけを与えてくれる。
・「企業再建の鬼」(井原隆一氏の著)
 人間万事塞翁が馬、という故事。何が禍福となるか分からないという意であるが、起きたときにどう生かすかという発想に立つことだと考える。
・「勉強していないと組織は動かせない」(栗山氏の考え・井原氏の著から)
 「絶対こうなる」と真に信じていると、そのためにはどうしたらいいかと考えるようになり、知恵が生まれる。そう自分にも言い聞かせている。
・「必死さは伝わる」(栗山氏の考え)
 必死に、命がけでやっている姿に、人は感じ、それは必ず伝わる。


 
書くため0216(2017.02.16)
 ずい分僻みっぽい書き込みを続けましたが、私が目指しているのは、自慢とか、教訓の類の種だとか、PR…などではありません。
 こうやって日々を生きて行くことがどういうことであるのか、何のために今という時間が与えられているのだろうか、という素朴な疑問から発したことです。
 あろう筈もない自慢や、競争といったことのためにやっていることではありません。生活の種でもありません。
 そこに「時があり、場があり、命があり、支え合っている」というさまざまを見、こういう不思議を考え、何とも言い難い敬虔な気持に至ることからくる「表現」をさせてもらっている、とのみ考えています。これが「感動」でなくて何であるのでしょうか…。 


 
書くため0214(2017.02.15)
 山下氏のように、はなばなしいデビューをするという門を潜れたならば別として、私ごときがモノを書くということでも、ずい分咎めがありました。
 それは今に至っても続いており、「家の恥を晒すな」というクレームがきます。そういう類のことなどを書いている訳でも、書きたい訳でもないのですが、おそれを覚える何かがあろうことは想像できないでもありません。
 芥川賞の山下氏に共感できた一点は、まさにここにあります。


 
書くため0214(2017.02.14)
 第156回芥川賞「しんせかい」(山下澄人)を読みました。2回まではいかず、1回と半分ほど読んだことになります。
 これまでいくつかの書評で「(極めての)悪評」が出ているのは知っていますし、「芥川賞に値するという内容なのか」という疑問もおおいにあります。
 選考委員の消極的な過半数の賛意を得て当選作となったらしいですし、この作品を世に出す場合の、出版界が最も大切にする「話題性」「商業性」が十二分に計算された上での選考であったらしいことがかなり強く読めてきます。それは、「富良野塾とは何か」という興味に惹かれ、殆どを読まされるという仕掛けにあります。
 にも拘わらず、私的には「それほどの嫌悪感を抱かなかった」のは、作者の30年前の記憶により「作られた」「曖昧にされた」記述の「稚拙さのままを押し通した作品」という希有の方法で「芥川賞を得た」という意外性でしょう。そこに、普段「巧みに計算し尽くされた」「高邁な」「理屈っぽい」「高みから見下ろす」「教養が溢れている」「ふてぶてしい」「オタクっぽい」「生い立ちが面白い」という類の作品を見慣れている目に、「北海道の『谷』といわれる集落を切り開き」「半端ではない条件下で」「農、土木作業に明け暮れる」という、シンプルな風景を描いてくれた、ということでしょう。
 芥川賞作品を擁護するというのは好みではありませんし、この作者の考えや、過去三回の候補作のことも知らない訳ですが、読後に「うまく説明できない」(川上氏)のですけれども、「風景が肌に感じて立ち上がる」という奇妙な「印象」が消えないのです。「壮大な空振り感」(吉田氏)という評もあるように、「絶品」というわけではありませんが、私も「素通り」(小川氏)しかけようとしたものの、この奇妙な作品を否定はしないということに落ち着きました。

 倉本氏とのこともとやかくいわれることだとは思われますが、私が最もプラスに傾いたのは、小学一年時に書いた作文が、「はぐるま」という神戸市の児童文学の巻頭に載せられたとき、「住んでいた家が雨漏りはするし、狭いし、酷いボロアパートだ…」という内容だったので、母親に「そういうことを書くな」ともの凄く怒られた、という記述があり、同じ思いをしてきた私が大きく傾いたということも否めません。
 それにもう一点、「文字から何かが出てくる」という手法です。テーマも登場人物も考えなくて、「夕方」と書いたら夕方のシーンにするし、「僕は」と書いたら男の主人公で、「私は」と書いたら男か女か分からなくて、書き進めていかないと「自分でも話が全く分からない」という手法だそうです。つまり、「小説の勉強をするのではなく」、「この自分のスタイルで書けなくなるまで続けたい」という「馬鹿を維持するしかない」という点にも、(評論や文章作法云々の苦手な私は)興味を持ったところです。


 
書くため0213(2017.02.13)
 免許証の更新に出かけたついでに、文藝春秋3月特別号を買ってきました。
 芥川賞の発表号です。さて、どういうことなのでしょうか。


 
書くため0212(2017.02.12)
 書くために、今現在の書きかけ(といっても、過去に準備したもの)の主な分を書き出してみました。内容を問わないなら、約50はあるのです。もっとも、書きかけていたというものは、それ以上の展開がうまくいかなかったとか、たいしたものでなかったとかの理由になりますが、今すぐにナントカせねばとなれば、これだけは目の前にあるというふうに前向きにとらえることにしました。
 もっとも、その後、というか現在書き止めねばならない項目も数十はある筈ですから、まあ悲観しないようにしなければ、と思ったところです。


 
書くため0211(2017.02.11)
 あまりに冷えるため、気になっていたイラストの扱いを復習してみました。イラストの方は、なんとかなりそうな気がし、少し心穏やかになりました。
 後は書き始めの調子が出れば、うまく回転していくのですが。


 
書くため0210(2017.02.10)
 あまり寒いので、書く方に集中できず読む方にと。深沢七郎の「楢山節考」「月のアペニン山」「白鳥の死」などです。
 深沢七郎は、気が散漫になると決まって読みます。何度読んだかしれないほどですが、何度読んでも新しさを感じます。
 トランプショックを目の当たりにし、「いま読むべき作品」「現実がSFに近づいた」と、改めて注目を浴びている作品といわれる小松左京の「アメリカの壁」をアマゾンに注文しました。 


 
書くため0209(2017.02.09)
 陽羅氏の新ヒラリズムによると、『「ブンガク」と呼ぶものをやっている者は、「呪いじゃ」と、じつに嬉しそうに答える。呪われてるなら辛いでしょうと聞くと、「辛くて死にそうじゃ」と、じつに幸せそうに答える。「呪われた者」であり、、至福の呪いである。』とあります。そうでしょう、と言えるほど分かったわけではないくせ、その言わんとするところは理解出来ます。
 呪われたというしかないし、周囲に話すにもそうしか言えそうにありません。
 

 
書くため0208(2017.02.08)
 さあ、書くことに向かおうと構えたのですが、詩文はいっこうに進まず、中途で時間をおくことにしました。
 散文の方も、構えがまだできていなくて、これから考えることになります。
 できたら「目新しいものを」と願うのですが、簡単に出てくるものではありませんから、結局読むことになり、挙げ句、書くことも読むことも半端なままです。


 
書くため0207(2017.02.07)
 海冊子の依頼があったので、手紙を書き、送付しました。
 さてさて、何を書きかけていたのだったか、このところとぎれがちです。読む方も、しっかり仕切り直しをして、積み重ねていかねばなりません。
 海第17号は、年末年始にかかったためか、最近目立った評価などが出ません。


 
書くため0206(2017.02.06)
 禅問答に等しいかもしれないが、午後3時、上弦の半月が顔を現していました。
 昔からここにあったのかもしれませんが、昼間から月は出ているのですねえ。


 
書くため0205(2017.02.05)
 全59編の合評になる。人生の殆どの問題は、ここに込められているかもしれません。圧巻の掌編集だと思います。
 学生諸君をはじめとする、若手の参加が嬉しいですね。


 
書くため0204(2017.02.04)
 ひょいと出て来た本「七つの封印」(ヨハネ黙示録の全貌)というのを、また出して眺めています。内容は人類の消長に関するものですから、今の世界の情勢や、人種、民族、政治、環境問題などと絡めて読むことにしています。
 予言書というのは好きではありませんが、聖書に何故か収められている「ヨハネの黙示録」というものがまことに不思議な存在で、興味の尽きないことです。


 
書くため0203(2017.02.03)
 全作家承編集の、2回目を読んでいます。
 他のことは低調です。


 
書くため0202(2017.02.02)
 読んだばかりの「世間人として、普通人として、常識人として、駄目になる」というくだりが気になって、朝方まで眠れませんでした。
 ここが理由で「嫌がられているんだ」ということは、以前から解っていました。となると、自分たちのような端にも棒にもかからないものもそうだとして、大々的に世間に喧しい人気を博したりすると、周囲はいったいどういうことになるのだろう、と思えてなりません。もっとややこしいドラマが生まれたりするのでしょう。
 故に、にわか芸人当人や、家族たちが阿修羅となる様は仄聞しないわけではありません。自分たちは、まだ金に縁がないだけマシだと言えるのかもしれません。
 一般的に、芸術家やモノ書き(詩人、作家)の類を抱えた血筋の人たちは、どれだけ多く「芸術の悲劇」の中に織り込まれてしまったことでしょう。
 なにしろ「芸術家や芸術家崩れたちは、人間としてはなはだ未熟のままに、不器用にしか生きられない」のですから、察して余りあるところです。
 芸術家や芸術家崩れたちのことは、やはりアスペルガー症候群とでも呼ばないことには始まらないのではないでしょうか。彼らに、家産を継ぐ、恒産を繋ぐといった「全くの世俗事」の才覚もなく、できよう筈もありませんから。


 
書くため0201(2017.02.01)
 薄ボンヤリしたまま、掌編を読んでみます。頭に入っているのかいないのかわかりませんが、これをやらないことには始まりません。
 陽羅氏のヒラリズムには、「つまるところ、詩人(小説家も同じ)になるとは、社会人として、世間人として、普通人として、常識人として、駄目になることである。よって、そうした、『志』なくして、詩など書かぬがよい」とあります。
 うーむ、ここで昨日の「血の繋がり」を思い起こしました。


 
書くため0131(2017.01.31)
 今日の西日本文学展望のテーマは「血の繋がり」ということで、牧草氏の作品が紹介されました。
 誠に、この問題は日々に深くあるもので、私もこれを作品化しようと何度も試みましたが、相当の覚悟をしないことには書きおおせないものです。書くべきか、書かざるべきかと、入口のところで迷ってしまいます。
 たまたま昨日、NHKの「プロフェッショナル・動物スペシャル」を見て痛く感動したところですが、実際のところ、人間には「超難問」です。
 今回の九州芸術祭文学賞の最優秀作品も、「アル中」を扱った作品らしく、(粗筋によると)いったん人間が破綻して戻ってくるまでの作品のようですが、このブザマな人間とは何なのでしょう。それをヨシとする「文学」とは、また。


 
書くため0130(2017.01.30)
 風邪と、風呂蛇口の交換のため、読むも書くもないままでした。
 ここに書くことではないのですが、たまたまNHKの「プロフェッショナル・動物スペシャル」を見て痛く感動しました。「夜間救急の獣医さん」「緊迫の中でのキリンの飼育」「ゾウ飼育30年の愛情」「介助犬・驚きの能力涙の物語」というものですが、全てに通じているのは『愛情を注がないことには心が通じない』(ましてや、人間において…)ということでした。


 
書くため0129(2017.01.29)
 そうです。そうだよなあ、と思うことです。
 わが心の、殊に貧しい青春は、まず親鸞の「悪人正機説」を知ることから始まりました。仏教とは縁がなかったのですが、わが心に慈雨のごとく降り注いでくれました。
 勤務先では、(本当に謙虚に振る舞う美人の方から・美人でなくともよかったのですが)三浦綾子さんの三部作を教えてもらい、聖書を読むことに繋がりました。
 今日故あって、聖書の話が出、久しぶりに新約、旧約聖書を取り出してみました。ここに心を癒やしてくれる泉があるのだったと、忘れていたことを思い出しました。


 
書くため0128(2017.01.28)
 原稿を整理し、道場関係者に送りました。


 
書くため0127(2017.01.27)
 私が書くべき「テーマ」は、恐らく「終末絵図」だろうと思われます。
 報じられている「終末時計」に似通ったことが、ずっと心を占めてきました。幼い頃から、幾度も幾度も「その光景」を夢に見てきました。
 このことを表現するのは「文学や文芸」であるのかどうか迷うところですが、わが拙い読書歴からみて、幼い頃には読書を禁じられていたため殆ど読んだものはありませんが、青年期頃からようやく自由を得ても、文学書には向かっていません。
 もちろん、最初に心を奪われたのは、元図書室というべき中学校の倉庫で見付けた貧弱な明治の文学全集でした。啄木、朔太郎、芭蕉へは飛び込んで行けましたが、年齢が年齢だったためか、その後文学の王道ともいうべき漱石にも鴎外にも太宰にも深い興味が持てずにおります。翻訳文学に至っては、お寒い限りです。
 そういう淋しい限りのわが読書歴であり、系統的に学んだものとてありませんので、はてどうすべきかと悩むところです。はっきり言えるのは、「娯楽文学」「売るための文学」「時代文学」「推理もの」などには向かわないだろうと、整理をしてみました。
 人間だけを中心に据えるというものにも気持が引かれないので、人間関係を書き込むというのにも今一つ乗れないのですが、「人間のことを書かないでどうする」という内なる言葉を支えに、自分なりのものを書きたいものだと思うところです。


 
書くため0126(2017.01.26)
 次号海の作品を練り直していましたが、気持が切れました。
 目の前に置いていた村田沙耶香の、「しろいろの街の、その骨の体温の」を読み出したら止まらなくなりました。彼女は確かに、何かに異常に固執するところがあります。しかし、彼女の読書歴などを読むと、少し偏っているのかもしれませんが、現実に書かれた作品(古典から現代作品まで)の多くと、実に深く関わっているようです。
 小学生の頃から、文体を確立したいという考えは、まず誰も持ち得ないと思います。彼女が「かなり偏執的」といわれようと、多くの経験の中から生まれ出たエキスが今の作品であるのだ、と確かに感じるものです。


 
書くため0125(2017.01.25)
 道場と、次号海の原稿ですね。
 身辺雑記ではなく、かといって切れ味のよいもの、というのが一番ですが。努力はしてみますが、こればかりは思いどおりにはいかないものですね。
 井本氏の小説「三人の母」(胡壺)と詩「訣別」(詩と眞実)は、鮮やかですね。というより、大山小山を潜り抜けてきた氏の大きさが羨ましいです。


 
書くため0124(2017.01.24)
 蛮勇を奮い、短編集の原稿を出しました。
 何を出しても、今たいしたものが書けそうもなく。迷っていますね。何か、幹のようなものに出合えればいいのですが。いつも、枝枝ばかり書いています。
 幹がないことはないのですが、書けない(今は)です。しからば、もう少し理論武装をしてかかればいいところ、これが苦手(無理)ですから。
 恩田陸氏に比べるべくもないのですが、彼女は「一作一作、出す物が違う」ということですから、いやあ恐れ入ります。


 
書くため0123(2017.01.23)
 全作家掌編集を読み終えました。58編の作品は、なかなかの読み応えがあります。新人の作と思われる数編が、なかなかのものです。もう一度は読まねばなりません。
 全作家短編集の方にもかかっています。以前の作品に手を加えるものですから、大方はできているのですが、もう少し深めていかねばなりません。


 
書くため0122(2017.01.22)
 さし当たって、全作家掌編集を読み通さねばなりません。今、2/3程度でしょうか。こうして並べて見ると、2ページの作品といえども、作者により大きな違いが見えます。
 ともかく、2度は読みたいものです。
 引き続き、短編集にも掛からねばなりませんが。


 
書くため0121(2017.01.21)
 時間が切迫してきました。まず、全作家掌編小説58編を読まねばなりません。続いて、全作家短編集の原稿です。
 第156回芥川賞に山下澄人氏「しんせかい」、直木賞に恩田陸氏「蜜蜂と遠雷」が選ばれました。


 
書くため0120(2017.01.20)
 小説と詩と評論、全作家掌編集。全作家短編集などを読む予定です。
 鍼に行って、余計に疲れて、まだ気力が盛り上がってこないままです。外は風雪が音立てて、吹き殴っています。


 
書くため0119(2017.01.19)
 小説と詩と評論第336号が送られてきました。第13回森田雄蔵賞の発表です。島永氏の「霧の山伏峠」と、本間氏の「アパートの男」が受賞作だとのことです。選評も読み、全く同感だな、と思わず独りごちてしまいました。
 この二氏が、受賞作によらず、今最も良い作品を発表していますから、納得するところです。おおいに励みにしていただきたいと思います。


 
書くため0118(2017.01.18)
 パソコンのバッテリーチェックに7時間を要しましたので、その間サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」や「ナイン・ストリーズ」の中の「バナナフィッシュにうってつけの日」「小舟のほとりで」「エズミに捧ぐ−愛と汚辱のうちに」などを読みました。
 読みましたと書いたものの、よく解らなかった、というのが本当のところでしょうか。サリンジャー自身が、多分アスペルガーであり、第二次大戦に従軍したということが心に妙な翳を落としているようで、読む方のこちらまでが妙な気分になりました。
 もっとも、一度の読みでは読めていないのだろうと思われます。


 
書くため0117(2017.01.17)
 雑用に追われながら、「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいます。今度こそは、今日読みきりたいものです。
 読むスピード、これも技のうちでしょう。


 
書くため0116(2017.01.16)
 さてと、サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいます。今、あれこれを読んでもなかなか頭に入ってこないのですが、まだ1/3ほどです。
 自分の習性か、文学というものが解っていないためか、どちらかといえば理系の書き物や詩やミュージックや絵の方が素直に入ってきます。
 それでも、比較的若い頃に読んだ朔太郎、中也、啄木らの詩や歌、芭蕉や放哉の俳句、深沢七郎、宮本輝(初期)、村田喜代子、辻仁成、松本清張(初期)、三浦綾子、小川洋子、南木佳士、三浦哲郎、村田沙耶香らの小説を好んで読んできましたが、これらのうちに通う理念とか骨格とか傾向とかはよく自覚しないままです。
 どうやら、文学というものが解っていない、という方が適切です。しかし、ことここに至っては、「誰の」とか、「どういう」とかは置いて、作品のエキスというか一行に出会い、感応することができれば、というつもりでいます。


 
書くため0115(2017.01.15)
 少しその気になってきたので、順序を決め行うことにしました。
 まずは、全作家短編集の作品です。これは過去の作品でもOKですから、幾つかを候補にあげ、練り上げることにしました。
 その後は、2〜3の予定のものから始めることにします。内容は書きながら、これから考えることになります。本当は、しっかりした企画意図があって始めるべきなのですが、自分にはどうもこの式は合っていないようですし、書いている途中に思い付くというか、降りてくるというか、こういう勘に頼ることになります。
 1作が、こうもたいへんなものだとは以前は考えもしないことでした。


 
書くため0114(2017.01.14)
 少しその気になって書き始めたのですが、本を探しているうち、本の並びがあまりにヒドイので片付けになりました。
 知らないうちに同じ本を手にしていたり、ハウツウものの本がどっさり出てきたりと、うんざりしながら「捨てようか」と選りだしたものの、結局また元の位置に。この「捨てる」「まとめる」ということが苦手なもので、頭の整理もうまくいっていないようです。特に他誌の恵贈分が増える一方で、どうしたものかと思うところです。


 
書くため0113(2017.01.13)
 雑件を読んでいます。この「読む」ということはとても大切なことですが、「書く」がないと落ち着かない仕組みになってしまいました。
 その書くがありません。何だか落後してしまったかのように思うのは、いいことなのか悪いことなのか。調べ→書く、という手順に持っていければ、この「空疎」と感じることもなくなるのでしょうが、今に至ってもコツが掴めていません。


 
書くため0112(2017.01.12)
 全作家のHPの絶対文感について、またまた拙い感想を書きました。
 絶対詩感にあげられた詩人たちや詩はすばらしいもので、心に沁みるものばかりです。散文を書くにも詩の心を持つことの大事さ、これは日頃から思うことです。
 宇多田ヒカルの音感や詩(詞)についても触れられており、私も、音学(ミュージック)や絵が放つものの強さ、心に訴えるメロディやリズムや言葉や色彩などがどれだけ「伝える力」を強く持つかについて、自覚し納得するところです。


 
書くため0111(2017.01.11)
 日に何度も目薬をさしながら、パソコン画面を見、本を見ます。
 まるで能率があがっていませんので、今日の記述は「なし」とします。


 
書くため0110(2017.01.10)
 何をしたろう、というほど何もしなかったことです。
 海のHPに少し書き込んだりしたものの、何も芯の部分には入りませんでした。


 
書くため0109(2017.01.09)
 竹内久美子の動物学関係の本を読んでいます。なかなか興味あるないようですが、ウィキペディアによると「トンデモ本」なのだそうです。
 まあ、どこまでのトンデモ内容か、興味あるところです。


 
書くため0108(2017.01.08)
 電車の行き帰りに、また深沢七郎の「楢山節考」などを読んでいます。博多を舞台にした「秘戯」、これは博多人形を楽しむ仲間が、人形の裏に男女のコトを描き見せ合うのですが、その人形は決して残さない(壊す)というものですが、なかなか「謎めいた」物語になっており、心の奥に問い掛けてくるものがあります。
 私たちの知らない博多が出てきて、面白くもあり、ものさびしくもありという、深沢作品のよさを、すばらしさを、読む度に発見します。


 
書くため0107(2017.01.07)
 書く方に回ろうと試みましたが、今ひとつ調子に乗れません。
 いくらか読んでも、書く段になるとやはり自分自身の素との兼ね合いになりますから、右から左にうまくいくという具合にはとてもなれません。
 諦めて、深沢七郎「みちのくの人形たち」などを読みます。


 
書くため0106(2017.01.06)
 3日前のこともあり、「コンビニ人間」を読み返してみました。コンビニという狭い世界に限った不健全な作品なのかもしれませんが、社会不適応というか、アスペルガーというかそういう気質の主人公ですから、読み方によると「何の感動の、カの字もない」と言い捨ててしまえるのかもしれませんが、自分も前者に近く、身近にもそういう気質の者を抱えている身としては、気持が入り過ぎるほどに入ります。
 エリート風の方が力み込んで書いた作品、あるいは教科書みたいな作品をヨシとされる向きには、何の異論もありません。それが結果であるのですから。


 
書くため0105(2017.01.05)
 龍舌闌を読みます。ここにも、上質の文芸があります。
 1年の計は元旦にあり。元旦ではありませんが、これまでの作品の発表具合を書き出し、表にまとめてみました。以前のことはわかりませんので、ここ10年の資料を調べ、一覧にすることにしました。ここから、何かが見えてくればいいのですが。
 まとめてみると、一貫性のなさがよく解ります。一貫性が必要なことかどうかは解りませんが、いつまでも「行き先はボールに聞いてくれ」ではコントロールも、スピードも、切れ味も出ませんから「いったん立ち止まる」必要はおおいにありそうです。


 
書くため0104(2017.01.04)
 詩と眞実第807号から811号までを、まとめて読ませていただいています。


 
書くため0103(2017.01.03)
 詩と眞実、季刊遠近など、まとめて読みました。


 
書くため0102(2017.01.02)
 文芸思潮賞を読んでみました。最優秀賞の「海洋の響き」:大胆でエネルギッシュな筆致で、目を惹き付けてくれますが、中年男が高貴の出の高校生を愛するというところはなかなかのもの。が、少々疲れてしまいました。
 以下優秀賞になりますが、「夕映え 九十五歳を生きる」は読んでいません。「街路樹」:教科書みたいに、ストーリーもよく、葛藤もあり、胸に迫る部分もあり、上手さはさすがです。が、新社長と受付の出来のよい若い子が、偶然に親子だったというくだりなどは作り過ぎではないかと思うぐらいで、欠点のなさそうなところが気になりました。やはり、めでたしめでたしで終わるのですね。「じはんき きょうそう きょく」:この破天荒な発想の方が面白く読めました。童話なのでしょうか?
 驚いたのは、芥川賞作品への批判はアリとしても、冊子全体が「コンビニ人間」への手厳しい批判です…。
 季刊遠近「寒桜」、「夏の夜の唄」「顔」、面白く読ませていただきました。


 
書くため0101(2017.01.01)
 ホームページの整理をし、新たな頁にいつでも入れるように準備しました。
 いただいた年賀状の中にも、海の作品に触れていただいている数枚がありました。昨年は海の外的スタイルにかなり気を使いましたが、これからは本来の「書くこと・読むこと」に打ち込めればいいな、と願うところです。
 なにより、実験作ばかりを書いてきましたので、できればいくつかのテーマを整理し、書き繋いでいきたいというのが今の願いです。




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覚悟1128
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覚悟1129
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覚悟1130
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さて1201
(2017.12.01)


はて1202
(2017.12.02)


また1203
(2017.12.03)


まず1204
(2017.12.04)


やや1205
(2017.12.05)


まあ1206
(2017.12.06)


まず1207
(2017.12.07)


はい1208
(2017.12.08)


それ1209
(2017.12.09)


えと1210
(2017.12.10)


ええ1211
(2017.12.11)


さむ1212
(2017.12.12)


さぶ1213
(2017.12.13)


むむ1214
(2017.12.14)


さあ1215
(2017.12.15)


さて1216
(2017.12.16)


はて1217
(2017.12.17)


また1218
(2017.12.18)


まず1219
(2017.12.19)


やや1220
(2017.12.20)


まあ1221
(2017.12.21)


まず1222
(2017.12.22)


はい1223
(2017.12.23)


それ1224
(2017.12.24)


えと1225
(2017.12.25)


ええ1226
(2017.12.26)


さむ1227
(2017.12.27)


さぶ1228
(2017.12.28)


むむ1229
(2017.12.29)


さあ1230
(2017.12.30)


さて1231
(2017.12.31)











































































































































































































































































































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