コーヒータイム


「無名作家のメモ」、「無名作家のつぶやき」とでもいうべき欄です。
このHPの中で、管理人が、最も気楽に書いている部分です。内容は、やはり「文芸について」です。


ということでありましたが、評の類はどうにも苦手であるということがわかりました。
2010年2月からは、「小説に至るメモ」の場として、この欄を使いたいと思います。乱雑なメモ、の類
に終止するかもしれません。
私生活については原則として触れないことにいたします。同人誌等の関係者の記述をする場合に
あっても、出来得る限り御迷惑にならないように心掛けるつもりでおります。


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2015年12月までの分は→ NO7へ
2014年12月までの分は→ NO6へ
2013年12月までの分は→ NO5へ
2012年12月までの分は→ NO4へ
2012年03月までの分は→ NO3へ
 2011年06月までの分は→ NO2へ
2009年12月までの分は→ NO1へ




 
書くため0224(2017.02.24)
 道場の作品を読んでいます。道場とは、今に至って理解したのですが、特定の「同人誌に道を開く」ということに留まらず、芥川賞、直木賞にもチャレンジする場所だと分かり、認識を新たにしました。
 そうでしょう、意欲的な作品が多く寄せられています。期待大です。


 
書くため0223(2017.02.23)
 もう一度、道場の作品を読まねば、と考えています。こうもよい作品が出されるならば、と自分ももっと努力し、工夫をする必要があります。
 やはり、息遣いの聞こえる場所で作品の内容を高め合ってていくということは大切ですね。かつては、こうやって意見を交わし、ときには傷付け合いながらも作品を生み出してきたものです。今、この意見を交わすという場をもたない海は、漂流の海に浮かぶ漂流船に例えていいのかもしれません。人間関係が希薄であれば一定のことはやり易いのですが、そこには自己慢心とまでは言わないまでも、油断や、方向舵の行方の誤りや、自身の力を過信したりする過ちを起こしがちです。
 作品を生むことを「遊び」だとか、「自慢」だとかに結びつける向きもありますが、自分たちの行おうとしていることは、「芸術表現」であり、「学び」であり、「反省」であり、「謙虚」になるためになすべき、厳しい訓練と苦しい作業なのです。


 
書くため0222(2017.02.22)
 小説道場に出される作品の「温かさ」、「切実さ」、「呪わしさ」、「哀しさ」という言葉の表現は抽象的になってしまいますが、これほど「真剣で、真っ向勝負を挑む」という凄い作品が出されようとは、当初予想もしていないことでした。
 故に、というと言い訳がましくなってしまいますが、わが作品の貧弱さが情けなくなります。私にも「切実なテーマはあるのですが」、「臆して書けない」という情けなさを露呈してしまいます。この場が、「捨て身で打ち込む」という場であるのなら、私ももう少し腰を据え、「藻掻かねばならない」のでしょう。


 
書くため0221(2017.02.21)
 イオンモールに文庫本を抱えて行きましたが、周囲が落ち着かないため殆ど読めず、今日は何もしない日だとたかをくくりました。
 殆ど1日、パソコンの前にもいないとなると、これはこれで悪いものではありません。平日というのに、モール内は人で溢れています。家庭にいると出会わない赤ちゃんや、主婦などが活発に動いているのを見て、心安らぎました。
 モール内のTSUTAYAを期待していたのですが、この店は新書ばかりで、おまけにこれというインスピレーションも出てこなかったため、完全休日となりました。


 
書くため0220(2017.02.20)
 照葉樹の水木作品(他はまだ読んでいません)を読み、初めての(?)時代小説のようですが、それが極め付けにいいのに驚かされました。水木作品ならではの、温かい作品なのですが、半端な気持で読んでいたら、引き込まれてしまいました。
 時代考証、空間考証などの問題などはさておき、登場人物が実に生き生きと描かれています。現代ものでも同じ傾向の作品を書く方ですが、時代ものとなると格別に響いてきます。その伎倆に、時を忘れてしまいました。
 というか、モノを書くことで私など思いもかけない揶揄をされてしまうのですが、こういう作品だったら、皆で温め合えることだと思ったことです。恐るべき、羨ましい筆力であり、よい作品です。


 
書くため0219(2017.02.19)
 久しぶりに旧作に手を入れ、一応結末までを見てみました。こういうことでいけば、すべきことは多くありそうです。
 念のためということで、イラストの収集もしてみました。


 
書くため0218(2017.02.18)
 そろそろ書く方に戻れそうな感じです。「鉢と歌麿」あたりからになります。
 こちらは、コツコツと地道に向かうだけです。句や自由律も日々拘わって行こうか、と思っています。書き止めておかないことには、時間だけが過ぎ行きます。
 読む、書く。書くにしても、句、自由律、詩、小説と上手に時間を配分して行ければ、最高なのですが。これらは、工夫しなければならないことです。


 
書くため0217(2017.02.17)
 いやあ、本当に自分が沈み込みそうなことばかりを書き連ねました。
 話はいきなり飛んで、芥川賞発表号の文藝春秋3月特別号の中に、日本ハム監督の栗山英樹氏に取材した記事があります。
 栗山氏からは、現職時代のオリンピックセンターでの研修の場で、話を伺ったことがあります。内容は忘れましたが、謙虚な中に、強い意思を持ち、かつ既成の事柄に捕らわれない独特の考え(それも非常に深い思慮の中から出てくるもの)をもった方、だなという好ましい印象を持ったものでした。
 日本ハムの監督としての成果がそのことを物語っていますが、文春の取材記の中にもとても頷かされるものがありました。栗山氏の大切にしておられる言葉は、道端のモノ書きを標榜する自分の心にも響きます。以下は、その要点のみですが。
・「野球は無私道」(学生野球の父と呼ばれるという飛田穂州氏の言葉) 
自分を殺して人のために尽くしきることが、野球というスポーツである。
・田中角栄氏の「政治を志した以上、オレは命なんか惜しくない」
 常に全力を尽くしきる魂にしか、野球の神様は微笑んでくれない。
・「虎は虎のまま使え」(心の師と仰ぐ三原脩氏の言葉)
 一番大切なことは、選手がみんな「自分らしくある」こと。
・イメージを構築させるということ。(栗山氏の考え)
 言葉や理論ではなく、「自分はこういう活躍の仕方をするといいんだ」という絵を描かせる。余計な言葉はいりません。
・「常識・非常識について」(栗山氏の考え)
 これらは、いったい誰が考えたルールなのだろうか。正しいものだろうか。−大谷の二刀流への批判などに対して。
・「論語と算盤」(渋沢栄一氏の著)
 運を自分のものにできるかどうかは「徳」にあり、それは、他人のために尽くせる人物であるかどうかなのだと、教えてくれる。
・「学ぶ喜びに出会ってほしい」(栗山氏の考え)
 渋沢氏の著作で知ることができるように、「こういう考えがあるのか」と学ぶ喜びに出会ってくれればと思っている。
・「日本ハムへの新入団選手は、最初の休日に本を買いに行き、毎朝食後の十分間は読書をする、というルールがあります」(栗山氏)
 一番大切なことは、野球で成功すること。選手として少しでも成長したいと思ったときに、必要なことを学ぶ方法を知るきっかけを与えてくれる。
・「企業再建の鬼」(井原隆一氏の著)
 人間万事塞翁が馬、という故事。何が禍福となるか分からないという意であるが、起きたときにどう生かすかという発想に立つことだと考える。
・「勉強していないと組織は動かせない」(栗山氏の考え・井原氏の著から)
 「絶対こうなる」と真に信じていると、そのためにはどうしたらいいかと考えるようになり、知恵が生まれる。そう自分にも言い聞かせている。
・「必死さは伝わる」(栗山氏の考え)
 必死に、命がけでやっている姿に、人は感じ、それは必ず伝わる。


 
書くため0216(2017.02.16)
 ずい分僻みっぽい書き込みを続けましたが、私が目指しているのは、自慢とか、教訓の類の種だとか、PR…などではありません。
 こうやって日々を生きて行くことがどういうことであるのか、何のために今という時間が与えられているのだろうか、という素朴な疑問から発したことです。
 あろう筈もない自慢や、競争といったことのためにやっていることではありません。生活の種でもありません。
 そこに「時があり、場があり、命があり、支え合っている」というさまざまを見、こういう不思議を考え、何とも言い難い敬虔な気持に至ることからくる「表現」をさせてもらっている、とのみ考えています。これが「感動」でなくて何であるのでしょうか…。 


 
書くため0214(2017.02.15)
 山下氏のように、はなばなしいデビューをするという門を潜れたならば別として、私ごときがモノを書くということでも、ずい分咎めがありました。
 それは今に至っても続いており、「家の恥を晒すな」というクレームがきます。そういう類のことなどを書いている訳でも、書きたい訳でもないのですが、おそれを覚える何かがあろうことは想像できないでもありません。
 芥川賞の山下氏に共感できた一点は、まさにここにあります。


 
書くため0214(2017.02.14)
 第156回芥川賞「しんせかい」(山下澄人)を読みました。2回まではいかず、1回と半分ほど読んだことになります。
 これまでいくつかの書評で「(極めての)悪評」が出ているのは知っていますし、「芥川賞に値するという内容なのか」という疑問もおおいにあります。
 選考委員の消極的な過半数の賛意を得て当選作となったらしいですし、この作品を世に出す場合の、出版界が最も大切にする「話題性」「商業性」が十二分に計算された上での選考であったらしいことがかなり強く読めてきます。それは、「富良野塾とは何か」という興味に惹かれ、殆どを読まされるという仕掛けにあります。
 にも拘わらず、私的には「それほどの嫌悪感を抱かなかった」のは、作者の30年前の記憶により「作られた」「曖昧にされた」記述の「稚拙さのままを押し通した作品」という希有の方法で「芥川賞を得た」という意外性でしょう。そこに、普段「巧みに計算し尽くされた」「高邁な」「理屈っぽい」「高みから見下ろす」「教養が溢れている」「ふてぶてしい」「オタクっぽい」「生い立ちが面白い」という類の作品を見慣れている目に、「北海道の『谷』といわれる集落を切り開き」「半端ではない条件下で」「農、土木作業に明け暮れる」という、シンプルな風景を描いてくれた、ということでしょう。
 芥川賞作品を擁護するというのは好みではありませんし、この作者の考えや、過去三回の候補作のことも知らない訳ですが、読後に「うまく説明できない」(川上氏)のですけれども、「風景が肌に感じて立ち上がる」という奇妙な「印象」が消えないのです。「壮大な空振り感」(吉田氏)という評もあるように、「絶品」というわけではありませんが、私も「素通り」(小川氏)しかけようとしたものの、この奇妙な作品を否定はしないということに落ち着きました。

 倉本氏とのこともとやかくいわれることだとは思われますが、私が最もプラスに傾いたのは、小学一年時に書いた作文が、「はぐるま」という神戸市の児童文学の巻頭に載せられたとき、「住んでいた家が雨漏りはするし、狭いし、酷いボロアパートだ…」という内容だったので、母親に「そういうことを書くな」ともの凄く怒られた、という記述があり、同じ思いをしてきた私が大きく傾いたということも否めません。
 それにもう一点、「文字から何かが出てくる」という手法です。テーマも登場人物も考えなくて、「夕方」と書いたら夕方のシーンにするし、「僕は」と書いたら男の主人公で、「私は」と書いたら男か女か分からなくて、書き進めていかないと「自分でも話が全く分からない」という手法だそうです。つまり、「小説の勉強をするのではなく」、「この自分のスタイルで書けなくなるまで続けたい」という「馬鹿を維持するしかない」という点にも、(評論や文章作法云々の苦手な私は)興味を持ったところです。


 
書くため0213(2017.02.13)
 免許証の更新に出かけたついでに、文藝春秋3月特別号を買ってきました。
 芥川賞の発表号です。さて、どういうことなのでしょうか。


 
書くため0212(2017.02.12)
 書くために、今現在の書きかけ(といっても、過去に準備したもの)の主な分を書き出してみました。内容を問わないなら、約50はあるのです。もっとも、書きかけていたというものは、それ以上の展開がうまくいかなかったとか、たいしたものでなかったとかの理由になりますが、今すぐにナントカせねばとなれば、これだけは目の前にあるというふうに前向きにとらえることにしました。
 もっとも、その後、というか現在書き止めねばならない項目も数十はある筈ですから、まあ悲観しないようにしなければ、と思ったところです。


 
書くため0211(2017.02.11)
 あまりに冷えるため、気になっていたイラストの扱いを復習してみました。イラストの方は、なんとかなりそうな気がし、少し心穏やかになりました。
 後は書き始めの調子が出れば、うまく回転していくのですが。


 
書くため0210(2017.02.10)
 あまり寒いので、書く方に集中できず読む方にと。深沢七郎の「楢山節考」「月のアペニン山」「白鳥の死」などです。
 深沢七郎は、気が散漫になると決まって読みます。何度読んだかしれないほどですが、何度読んでも新しさを感じます。
 トランプショックを目の当たりにし、「いま読むべき作品」「現実がSFに近づいた」と、改めて注目を浴びている作品といわれる小松左京の「アメリカの壁」をアマゾンに注文しました。 


 
書くため0209(2017.02.09)
 陽羅氏の新ヒラリズムによると、『「ブンガク」と呼ぶものをやっている者は、「呪いじゃ」と、じつに嬉しそうに答える。呪われてるなら辛いでしょうと聞くと、「辛くて死にそうじゃ」と、じつに幸せそうに答える。「呪われた者」であり、、至福の呪いである。』とあります。そうでしょう、と言えるほど分かったわけではないくせ、その言わんとするところは理解出来ます。
 呪われたというしかないし、周囲に話すにもそうしか言えそうにありません。
 

 
書くため0208(2017.02.08)
 さあ、書くことに向かおうと構えたのですが、詩文はいっこうに進まず、中途で時間をおくことにしました。
 散文の方も、構えがまだできていなくて、これから考えることになります。
 できたら「目新しいものを」と願うのですが、簡単に出てくるものではありませんから、結局読むことになり、挙げ句、書くことも読むことも半端なままです。


 
書くため0207(2017.02.07)
 海冊子の依頼があったので、手紙を書き、送付しました。
 さてさて、何を書きかけていたのだったか、このところとぎれがちです。読む方も、しっかり仕切り直しをして、積み重ねていかねばなりません。
 海第17号は、年末年始にかかったためか、最近目立った評価などが出ません。


 
書くため0206(2017.02.06)
 禅問答に等しいかもしれないが、午後3時、上弦の半月が顔を現していました。
 昔からここにあったのかもしれませんが、昼間から月は出ているのですねえ。


 
書くため0205(2017.02.05)
 全59編の合評になる。人生の殆どの問題は、ここに込められているかもしれません。圧巻の掌編集だと思います。
 学生諸君をはじめとする、若手の参加が嬉しいですね。


 
書くため0204(2017.02.04)
 ひょいと出て来た本「七つの封印」(ヨハネ黙示録の全貌)というのを、また出して眺めています。内容は人類の消長に関するものですから、今の世界の情勢や、人種、民族、政治、環境問題などと絡めて読むことにしています。
 予言書というのは好きではありませんが、聖書に何故か収められている「ヨハネの黙示録」というものがまことに不思議な存在で、興味の尽きないことです。


 
書くため0203(2017.02.03)
 全作家承編集の、2回目を読んでいます。
 他のことは低調です。


 
書くため0202(2017.02.02)
 読んだばかりの「世間人として、普通人として、常識人として、駄目になる」というくだりが気になって、朝方まで眠れませんでした。
 ここが理由で「嫌がられているんだ」ということは、以前から解っていました。となると、自分たちのような端にも棒にもかからないものもそうだとして、大々的に世間に喧しい人気を博したりすると、周囲はいったいどういうことになるのだろう、と思えてなりません。もっとややこしいドラマが生まれたりするのでしょう。
 故に、にわか芸人当人や、家族たちが阿修羅となる様は仄聞しないわけではありません。自分たちは、まだ金に縁がないだけマシだと言えるのかもしれません。
 一般的に、芸術家やモノ書き(詩人、作家)の類を抱えた血筋の人たちは、どれだけ多く「芸術の悲劇」の中に織り込まれてしまったことでしょう。
 なにしろ「芸術家や芸術家崩れたちは、人間としてはなはだ未熟のままに、不器用にしか生きられない」のですから、察して余りあるところです。
 芸術家や芸術家崩れたちのことは、やはりアスペルガー症候群とでも呼ばないことには始まらないのではないでしょうか。彼らに、家産を継ぐ、恒産を繋ぐといった「全くの世俗事」の才覚もなく、できよう筈もありませんから。


 
書くため0201(2017.02.01)
 薄ボンヤリしたまま、掌編を読んでみます。頭に入っているのかいないのかわかりませんが、これをやらないことには始まりません。
 陽羅氏のヒラリズムには、「つまるところ、詩人(小説家も同じ)になるとは、社会人として、世間人として、普通人として、常識人として、駄目になることである。よって、そうした、『志』なくして、詩など書かぬがよい」とあります。
 うーむ、ここで昨日の「血の繋がり」を思い起こしました。


 
書くため0131(2017.01.31)
 今日の西日本文学展望のテーマは「血の繋がり」ということで、牧草氏の作品が紹介されました。
 誠に、この問題は日々に深くあるもので、私もこれを作品化しようと何度も試みましたが、相当の覚悟をしないことには書きおおせないものです。書くべきか、書かざるべきかと、入口のところで迷ってしまいます。
 たまたま昨日、NHKの「プロフェッショナル・動物スペシャル」を見て痛く感動したところですが、実際のところ、人間には「超難問」です。
 今回の九州芸術祭文学賞の最優秀作品も、「アル中」を扱った作品らしく、(粗筋によると)いったん人間が破綻して戻ってくるまでの作品のようですが、このブザマな人間とは何なのでしょう。それをヨシとする「文学」とは、また。


 
書くため0130(2017.01.30)
 風邪と、風呂蛇口の交換のため、読むも書くもないままでした。
 ここに書くことではないのですが、たまたまNHKの「プロフェッショナル・動物スペシャル」を見て痛く感動しました。「夜間救急の獣医さん」「緊迫の中でのキリンの飼育」「ゾウ飼育30年の愛情」「介助犬・驚きの能力涙の物語」というものですが、全てに通じているのは『愛情を注がないことには心が通じない』(ましてや、人間において…)ということでした。


 
書くため0129(2017.01.29)
 そうです。そうだよなあ、と思うことです。
 わが心の、殊に貧しい青春は、まず親鸞の「悪人正機説」を知ることから始まりました。仏教とは縁がなかったのですが、わが心に慈雨のごとく降り注いでくれました。
 勤務先では、(本当に謙虚に振る舞う美人の方から・美人でなくともよかったのですが)三浦綾子さんの三部作を教えてもらい、聖書を読むことに繋がりました。
 今日故あって、聖書の話が出、久しぶりに新約、旧約聖書を取り出してみました。ここに心を癒やしてくれる泉があるのだったと、忘れていたことを思い出しました。


 
書くため0128(2017.01.28)
 原稿を整理し、道場関係者に送りました。


 
書くため0127(2017.01.27)
 私が書くべき「テーマ」は、恐らく「終末絵図」だろうと思われます。
 報じられている「終末時計」に似通ったことが、ずっと心を占めてきました。幼い頃から、幾度も幾度も「その光景」を夢に見てきました。
 このことを表現するのは「文学や文芸」であるのかどうか迷うところですが、わが拙い読書歴からみて、幼い頃には読書を禁じられていたため殆ど読んだものはありませんが、青年期頃からようやく自由を得ても、文学書には向かっていません。
 もちろん、最初に心を奪われたのは、元図書室というべき中学校の倉庫で見付けた貧弱な明治の文学全集でした。啄木、朔太郎、芭蕉へは飛び込んで行けましたが、年齢が年齢だったためか、その後文学の王道ともいうべき漱石にも鴎外にも太宰にも深い興味が持てずにおります。翻訳文学に至っては、お寒い限りです。
 そういう淋しい限りのわが読書歴であり、系統的に学んだものとてありませんので、はてどうすべきかと悩むところです。はっきり言えるのは、「娯楽文学」「売るための文学」「時代文学」「推理もの」などには向かわないだろうと、整理をしてみました。
 人間だけを中心に据えるというものにも気持が引かれないので、人間関係を書き込むというのにも今一つ乗れないのですが、「人間のことを書かないでどうする」という内なる言葉を支えに、自分なりのものを書きたいものだと思うところです。


 
書くため0126(2017.01.26)
 次号海の作品を練り直していましたが、気持が切れました。
 目の前に置いていた村田沙耶香の、「しろいろの街の、その骨の体温の」を読み出したら止まらなくなりました。彼女は確かに、何かに異常に固執するところがあります。しかし、彼女の読書歴などを読むと、少し偏っているのかもしれませんが、現実に書かれた作品(古典から現代作品まで)の多くと、実に深く関わっているようです。
 小学生の頃から、文体を確立したいという考えは、まず誰も持ち得ないと思います。彼女が「かなり偏執的」といわれようと、多くの経験の中から生まれ出たエキスが今の作品であるのだ、と確かに感じるものです。


 
書くため0125(2017.01.25)
 道場と、次号海の原稿ですね。
 身辺雑記ではなく、かといって切れ味のよいもの、というのが一番ですが。努力はしてみますが、こればかりは思いどおりにはいかないものですね。
 井本氏の小説「三人の母」(胡壺)と詩「訣別」(詩と眞実)は、鮮やかですね。というより、大山小山を潜り抜けてきた氏の大きさが羨ましいです。


 
書くため0124(2017.01.24)
 蛮勇を奮い、短編集の原稿を出しました。
 何を出しても、今たいしたものが書けそうもなく。迷っていますね。何か、幹のようなものに出合えればいいのですが。いつも、枝枝ばかり書いています。
 幹がないことはないのですが、書けない(今は)です。しからば、もう少し理論武装をしてかかればいいところ、これが苦手(無理)ですから。
 恩田陸氏に比べるべくもないのですが、彼女は「一作一作、出す物が違う」ということですから、いやあ恐れ入ります。


 
書くため0123(2017.01.23)
 全作家掌編集を読み終えました。58編の作品は、なかなかの読み応えがあります。新人の作と思われる数編が、なかなかのものです。もう一度は読まねばなりません。
 全作家短編集の方にもかかっています。以前の作品に手を加えるものですから、大方はできているのですが、もう少し深めていかねばなりません。


 
書くため0122(2017.01.22)
 さし当たって、全作家掌編集を読み通さねばなりません。今、2/3程度でしょうか。こうして並べて見ると、2ページの作品といえども、作者により大きな違いが見えます。
 ともかく、2度は読みたいものです。
 引き続き、短編集にも掛からねばなりませんが。


 
書くため0121(2017.01.21)
 時間が切迫してきました。まず、全作家掌編小説58編を読まねばなりません。続いて、全作家短編集の原稿です。
 第156回芥川賞に山下澄人氏「しんせかい」、直木賞に恩田陸氏「蜜蜂と遠雷」が選ばれました。


 
書くため0120(2017.01.20)
 小説と詩と評論、全作家掌編集。全作家短編集などを読む予定です。
 鍼に行って、余計に疲れて、まだ気力が盛り上がってこないままです。外は風雪が音立てて、吹き殴っています。


 
書くため0119(2017.01.19)
 小説と詩と評論第336号が送られてきました。第13回森田雄蔵賞の発表です。島永氏の「霧の山伏峠」と、本間氏の「アパートの男」が受賞作だとのことです。選評も読み、全く同感だな、と思わず独りごちてしまいました。
 この二氏が、受賞作によらず、今最も良い作品を発表していますから、納得するところです。おおいに励みにしていただきたいと思います。


 
書くため0118(2017.01.18)
 パソコンのバッテリーチェックに7時間を要しましたので、その間サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」や「ナイン・ストリーズ」の中の「バナナフィッシュにうってつけの日」「小舟のほとりで」「エズミに捧ぐ−愛と汚辱のうちに」などを読みました。
 読みましたと書いたものの、よく解らなかった、というのが本当のところでしょうか。サリンジャー自身が、多分アスペルガーであり、第二次大戦に従軍したということが心に妙な翳を落としているようで、読む方のこちらまでが妙な気分になりました。
 もっとも、一度の読みでは読めていないのだろうと思われます。


 
書くため0117(2017.01.17)
 雑用に追われながら、「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいます。今度こそは、今日読みきりたいものです。
 読むスピード、これも技のうちでしょう。


 
書くため0116(2017.01.16)
 さてと、サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいます。今、あれこれを読んでもなかなか頭に入ってこないのですが、まだ1/3ほどです。
 自分の習性か、文学というものが解っていないためか、どちらかといえば理系の書き物や詩やミュージックや絵の方が素直に入ってきます。
 それでも、比較的若い頃に読んだ朔太郎、中也、啄木らの詩や歌、芭蕉や放哉の俳句、深沢七郎、宮本輝(初期)、村田喜代子、辻仁成、松本清張(初期)、三浦綾子、小川洋子、南木佳士、三浦哲郎、村田沙耶香らの小説を好んで読んできましたが、これらのうちに通う理念とか骨格とか傾向とかはよく自覚しないままです。
 どうやら、文学というものが解っていない、という方が適切です。しかし、ことここに至っては、「誰の」とか、「どういう」とかは置いて、作品のエキスというか一行に出会い、感応することができれば、というつもりでいます。


 
書くため0115(2017.01.15)
 少しその気になってきたので、順序を決め行うことにしました。
 まずは、全作家短編集の作品です。これは過去の作品でもOKですから、幾つかを候補にあげ、練り上げることにしました。
 その後は、2〜3の予定のものから始めることにします。内容は書きながら、これから考えることになります。本当は、しっかりした企画意図があって始めるべきなのですが、自分にはどうもこの式は合っていないようですし、書いている途中に思い付くというか、降りてくるというか、こういう勘に頼ることになります。
 1作が、こうもたいへんなものだとは以前は考えもしないことでした。


 
書くため0114(2017.01.14)
 少しその気になって書き始めたのですが、本を探しているうち、本の並びがあまりにヒドイので片付けになりました。
 知らないうちに同じ本を手にしていたり、ハウツウものの本がどっさり出てきたりと、うんざりしながら「捨てようか」と選りだしたものの、結局また元の位置に。この「捨てる」「まとめる」ということが苦手なもので、頭の整理もうまくいっていないようです。特に他誌の恵贈分が増える一方で、どうしたものかと思うところです。


 
書くため0113(2017.01.13)
 雑件を読んでいます。この「読む」ということはとても大切なことですが、「書く」がないと落ち着かない仕組みになってしまいました。
 その書くがありません。何だか落後してしまったかのように思うのは、いいことなのか悪いことなのか。調べ→書く、という手順に持っていければ、この「空疎」と感じることもなくなるのでしょうが、今に至ってもコツが掴めていません。


 
書くため0112(2017.01.12)
 全作家のHPの絶対文感について、またまた拙い感想を書きました。
 絶対詩感にあげられた詩人たちや詩はすばらしいもので、心に沁みるものばかりです。散文を書くにも詩の心を持つことの大事さ、これは日頃から思うことです。
 宇多田ヒカルの音感や詩(詞)についても触れられており、私も、音学(ミュージック)や絵が放つものの強さ、心に訴えるメロディやリズムや言葉や色彩などがどれだけ「伝える力」を強く持つかについて、自覚し納得するところです。


 
書くため0111(2017.01.11)
 日に何度も目薬をさしながら、パソコン画面を見、本を見ます。
 まるで能率があがっていませんので、今日の記述は「なし」とします。


 
書くため0110(2017.01.10)
 何をしたろう、というほど何もしなかったことです。
 海のHPに少し書き込んだりしたものの、何も芯の部分には入りませんでした。


 
書くため0109(2017.01.09)
 竹内久美子の動物学関係の本を読んでいます。なかなか興味あるないようですが、ウィキペディアによると「トンデモ本」なのだそうです。
 まあ、どこまでのトンデモ内容か、興味あるところです。


 
書くため0108(2017.01.08)
 電車の行き帰りに、また深沢七郎の「楢山節考」などを読んでいます。博多を舞台にした「秘戯」、これは博多人形を楽しむ仲間が、人形の裏に男女のコトを描き見せ合うのですが、その人形は決して残さない(壊す)というものですが、なかなか「謎めいた」物語になっており、心の奥に問い掛けてくるものがあります。
 私たちの知らない博多が出てきて、面白くもあり、ものさびしくもありという、深沢作品のよさを、すばらしさを、読む度に発見します。


 
書くため0107(2017.01.07)
 書く方に回ろうと試みましたが、今ひとつ調子に乗れません。
 いくらか読んでも、書く段になるとやはり自分自身の素との兼ね合いになりますから、右から左にうまくいくという具合にはとてもなれません。
 諦めて、深沢七郎「みちのくの人形たち」などを読みます。


 
書くため0106(2017.01.06)
 3日前のこともあり、「コンビニ人間」を読み返してみました。コンビニという狭い世界に限った不健全な作品なのかもしれませんが、社会不適応というか、アスペルガーというかそういう気質の主人公ですから、読み方によると「何の感動の、カの字もない」と言い捨ててしまえるのかもしれませんが、自分も前者に近く、身近にもそういう気質の者を抱えている身としては、気持が入り過ぎるほどに入ります。
 エリート風の方が力み込んで書いた作品、あるいは教科書みたいな作品をヨシとされる向きには、何の異論もありません。それが結果であるのですから。


 
書くため0105(2017.01.05)
 龍舌闌を読みます。ここにも、上質の文芸があります。
 1年の計は元旦にあり。元旦ではありませんが、これまでの作品の発表具合を書き出し、表にまとめてみました。以前のことはわかりませんので、ここ10年の資料を調べ、一覧にすることにしました。ここから、何かが見えてくればいいのですが。
 まとめてみると、一貫性のなさがよく解ります。一貫性が必要なことかどうかは解りませんが、いつまでも「行き先はボールに聞いてくれ」ではコントロールも、スピードも、切れ味も出ませんから「いったん立ち止まる」必要はおおいにありそうです。


 
書くため0104(2017.01.04)
 詩と眞実第807号から811号までを、まとめて読ませていただいています。


 
書くため0103(2017.01.03)
 詩と眞実、季刊遠近など、まとめて読みました。


 
書くため0102(2017.01.02)
 文芸思潮賞を読んでみました。最優秀賞の「海洋の響き」:大胆でエネルギッシュな筆致で、目を惹き付けてくれますが、中年男が高貴の出の高校生を愛するというところはなかなかのもの。が、少々疲れてしまいました。
 以下優秀賞になりますが、「夕映え 九十五歳を生きる」は読んでいません。「街路樹」:教科書みたいに、ストーリーもよく、葛藤もあり、胸に迫る部分もあり、上手さはさすがです。が、新社長と受付の出来のよい若い子が、偶然に親子だったというくだりなどは作り過ぎではないかと思うぐらいで、欠点のなさそうなところが気になりました。やはり、めでたしめでたしで終わるのですね。「じはんき きょうそう きょく」:この破天荒な発想の方が面白く読めました。童話なのでしょうか?
 驚いたのは、芥川賞作品への批判はアリとしても、冊子全体が「コンビニ人間」への手厳しい批判です…。
 季刊遠近「寒桜」、「夏の夜の唄」「顔」、面白く読ませていただきました。


 
書くため0101(2017.01.01)
 ホームページの整理をし、新たな頁にいつでも入れるように準備しました。
 いただいた年賀状の中にも、海の作品に触れていただいている数枚がありました。昨年は海の外的スタイルにかなり気を使いましたが、これからは本来の「書くこと・読むこと」に打ち込めればいいな、と願うところです。
 なにより、実験作ばかりを書いてきましたので、できればいくつかのテーマを整理し、書き繋いでいきたいというのが今の願いです。




 索 引


2017年

書くため0101
(2017.01.01)


書くため0102
(2017.01.02)


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(2017.02.01)


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