コーヒータイム


「無名作家のメモ」、「無名作家のつぶやき」とでもいうべき欄です。
このHPの中で、管理人が、最も気楽に書いている部分です。内容は、やはり「文芸について」です。


ということでありましたが、評の類はどうにも苦手であるということがわかりました。
2010年2月からは、「小説に至るメモ」の場として、この欄を使いたいと思います。乱雑なメモ、の類
に終止するかもしれません。
私生活については原則として触れないことにいたします。同人誌等の関係者の記述をする場合に
あっても、出来得る限り御迷惑にならないように心掛けるつもりでおります。

2015年12月までの分は→ NO7へ
2014年12月までの分は→ NO6へ
2013年12月までの分は→ NO5へ
2012年12月までの分は→ NO4へ
2012年03月までの分は→ NO3へ
 2011年06月までの分は→ NO2へ
2009年12月までの分は→ NO1へ




 
書くため1231(2016.12.31)
 海のことでは、昨年末に破産しかけた財政をなんとかするために、やむなく「実質的な同人費のアップ」を選択しました。そのことに関連して行わざるを得なかったのが、頁を有効に使うため、掲載種目数制限をし、「字数と行数の増」をし、「ポイントを小さくし」たため、「レイアウトに悩み」、おまけにWin10問題やWordの扱いに苦慮した1年でした。
 作品の内容としては、井本氏、高岡氏の活躍で逆にアップし得たのかもしれません。同人諸氏は、積極的に発表し、誌面を盛り上げてくれました。笹原氏の高いレベルの詩、上水氏の端正なエッセイ、牧草氏の小説・詩・翻訳にわたる旺盛で質の高い作品、群氏の内面に迫りゆく詩、鳥井氏のイラストを用いた軽妙な詩、赤木氏の真摯な小説・エッセイ、中野氏のストーリーの中に細やかな情感を描いた小説、そして私は編集作業員としての腕を磨くべく、ワードとかなり真剣に格闘しました。作品の方は、実験作を発表してきたものの、確としたテーマにまで至っていないのが残念ですが、現状です。
 それでも、冊子の組み方として、これはと思われる作品を巻頭付近に組むことで一定の成果がみられたのではないかと思われますし、次号からは頁を縦書きにすることに伴い、空いた巻頭頁に「海の理念」なるものを入れ、新たな表現を目指すことになります。
 今年の同人諸氏の活躍に謝し、さらなる「only1」をめざしていきたいと思うことです。海は同人個々が平等に集う誌であり、互いに高め合うためのすばらしい誌です。
 また、海を支えてくださる花書院さんに感謝です。


 
書くため1230(2016.12.30)
 掃除をしながら、この1年の雑資料などを処分しました。
 寄贈していただいた冊子の多さに、今年の海の広がりを感じました。


 
書くため1229(2016.12.29)
 全作家第104号が送られてきました。今号は掌編小説特集号で、58篇が掲載されています。知る方々の殆どが寄稿されており、見開き2頁の競作がなかなかいいのです。同封のハガキで合評会参加の返信をし、来年分の会費を送金してきました。
 海第17号関連の入金も昨日確認することができ、今年の同人誌関連の仕事納めといきたいところです。厳しかった平成28年の同人誌の諸事に、乾杯です。


 
書くため1228(2016.12.28)
 海第17号の作成関連の作業はほぼ終わり、後は感想や評価関係のニュースをキャッチすることになります。それらは、HPや交流掲示板で連絡・記録し、次号発行の際、要点をまとめ冊子に掲載します。
 わがパソコンの方も、既に次号に向けて準備を進めています。第17号から引き継ぐところ、新たにすべきところ(次号からは、頁の縦組み行うため、準備に入っています)など、データが入ればいつでも動けるように環境を整えます。
 他からの寄贈誌には、原則としてお礼状を送ることにしていますが、滞ることもあります。感想を送る関係のところもあります。誌と誌の関係ですと、どうしても儀礼的なやりとりになってしまいますが、個人的にやり取りをする場合もあります。
 海第17号に対する感想をいただき、お礼状を送る場合もあります。ということで、1年中これらの関係から出るということはないようです。
 好きでないとできないことですし、好きだからこそ興味も湧く訳です。仕事でもないし、売れる訳でもないし、よくもやるねと、身内からは黴菌並みの扱いをされます。
 陽羅氏の絶対文感によると、小説3Mというのがあり、「ものがたり」「もののあはれ」「ものごころ」というものですが、ここまではまだいいとして、次の「明るさ」「健全さ」「愉快さ」は外道で、「暗さ」「不健全さ」「不愉快さ」の方が本道であるというくだりになると、自分も腰が砕けそうになるし、なかなかいいにくいことですね。


 
書くため1227(2016.12.27)
 ネット掲載の作品を半日ほどかかって読み、感想を書きました。
 安物なので、パソコン画面の質がよくないのかもしれませんが、長時間パソコン画面と格闘するというのは疲れの元になります。
 同人誌海では、パソコンの利用・使用を率先して勧めているのですが、これは作品をデータ化し、印刷に回すという手順を踏まざるを得ない関係で、避けて通れないと思う故であるからに過ぎません。私自身としては、かつて「パソコンを出来るだけ使わない」「電子情報=NO」という発言をしていましたから、今はとんでもない方向に転回してしまったものだ、と苦笑せざるを得ません。
 先日、といってもかなり前になりますが、同人誌に関わってこられた方々の席で、「今の空気=街中や、電車などで見る風景(皆が一様にスマホなどに向き合っている)の異様さ」「同人誌に関わる際の手書きの衰退」という、いわゆる「電子化への嘆き」「会話や触れ合いが減りつつあることへの嘆き」を1時間以上も聞かされ、「そうなんです」「しかし、避けては通れないことに」というしどろもどろの返答をしたものでした。
 かつては手書きでやっていた書くことも、今ではキーを打つ方がスムーズにいくし、考えもより纏めやすくなり(と思っているだけなのかもしれませんが)ました。第一、手書きが億劫になり、字を忘れてしまっています。
 今、情報は開かれているようでいて閉ざされています。1対1の関係がし易くなり、多くなったことで、隣で何が起きているのか、隣の人がどんな悩みを抱えているのかさえわからない、というのがその方の意見でした。違った意味で、選挙に利用したり、マインドコントロールに利用したりすることも可能だと聞きます。
 何だか、関係というものが、見える風景が、思考までもが変えられつつある、という不気味さを感じないではないだけに、不安を抱えたままです。「便利であればいいの?」という問いを投げられたのですが、未だに何の答えも出せずにいます。


 
書くため1226(2016.12.26)
 海第17号関係の溜まっていたお礼状を書き、投函しました。
 海の交流掲示板をさわっていたら、「3種目まで」の中身が現行と違背することに気付き、メール連絡・送信、HPと交流掲示板の更新となりました。
 もっとも、前号までの「3種目まで」の記述をあいまいにしていたところを、明瞭に書いたがために現行と合わなくなっていたのですが、考えてみたらこれまでの記述も違背していたことには違いないようです。
 ただ「原則とする」という記述で逃げていました。もともと、海の運営も「問題が発生する度に、小さなツギを当て」て凌いできましたから、まともに読めばおかしい表現だらけだったのでしょう。
 3種目の意図するところは、「種目の制限をしないことには、誌面がだらしがない」という意見を得て「妥協案として」始めたもので、これも「1種目に限る」としなかったところに、「書かねばならないものは書く」という海の海たる所以があるので、今でもすっきりしないままなのですが。


 
書くため1225(2016.12.25)
 海第17号に対する感想が寄せられてきます。HPや交流掲示板で、その要旨を同人に周知します。いつも貴重な意見や感想をいただき、ありがたく思います。
 12月24日の「投稿・冊子作成要領」の抄などを、HPに掲載しました。


 
書くため1224(2016.12.24)
 午前中は海第17号の「会計報告」を、午後は「投稿・冊子作成要領」をとりまとめ、通知し、送付し、交流掲示板にも書き込みました。
 こういうことはずるずるやっていると長引きますから、1日でやってしまおうということで、他の多くは後回しにして片付けることにしました。
 よって、まだ文学街の方への返事も書ききれておりません。福岡文化連盟の方も、どうするか思案中です。
 要は、もっと「書く・読む」に専念する必要があると思うからです。


 
書くため1223(2016.12.23)
 上水氏から、「原稿・冊子作成要領」ならぬ「投稿規定」というのを作ってもらいました。わが「原稿・冊子作成要領」は、8年の間に「規定」と「お願い」が入り交じり、その時どきで問題になったことなどを継ぎ足しているため、見るに堪えない内容になっています。氏の目から見れば、不要な部分が多く見えるだろうと時間をとってもらったのですが、ずい分スッキリしました。
 ということで、詳細は明日見させてもらうことにします。「タイトル」「編集委員」「校正」「同人費の書き分け」のあたりに少し手が必要になるのかも知れません。氏には、いつも助けられていますし、的確な指針を与えてもらいます。
 文学街の方から、一部のブログのお世話の依頼が舞い込みました。有り難い話ですが、今の状況ですとどう足掻いても回りません。これも、明日対処することにさせてもらいます。海にあまりにも手がかかっておりますし…。


 
書くため1222(2016.12.22)
 根保氏から電話をいただき、驚きました。何でもご自身のメールアドレスを変更されるというのが用件でしたが。
 話のついでかとは思われますが、第17号の海の作品には「なかなかいいものがある」というふうに言ってくださったのが、胸に残っています。


 
書くため1221(2016.12.21)
 12月17日の編集委員会まとめを、メールと掲示板で連絡しました。あと、「原稿・冊子作成要領」と、会計報告がありますから、郵送必要者にはこれらが揃った後、発送したいと思います。
 数人の方から感想が届いています。その度に、第17号をめくってみるのですが、こうやって1号を出したということが、実感として感じられるときです。
 また、この間受贈した誌が8冊ほどあり、こちらも嬉しいことです。そこそこで、文芸の仲間が集まり、苦心しながらも、似たことをやっておられるのだと思うと、微笑ましく思えます。半ば変人扱いをされたりする同人誌ではありますが、方々に同じことを志向する仲間がおられるのだな、と奇妙に安心させられます。


 
書くため1220(2016.12.20)
 12月17日の海編集委員会のまとめに対して、どうやら意見、異論は出ないようです。次号から目次を縦書きに組むことに伴い、1頁に「海からのことば」を入れようと苦心していましたが、これもどうやら異論は出ないようです。
 今日中までの意見を締め、明日には同人各位に連絡ができそうです。
 新しい試みである「海からのことば=海の理念」によると、いよいよオタオタしてはいられない気分になります。これが次なる作品の動機付けになるのなら、嬉しい限りではありますが。まあ、他誌にない試みですから、期待は大です。
 海第17号についての感想が、少しずつ寄せられ始めました。


 
書くため1219(2016.12.19)
 編集委員会で決まった「1頁扉」に「海の文言を付ける」件は、6つの案から取り敢えず1つにまとめ、井本氏に内容の確認を依頼しています。
 原稿・冊子作成要領(案)も作成しましたが、もう少し時間をかけましょう。会計報告も残っていますが、同人費の納入が終わるのを待ち、作る予定です。
 今日は、何と5件の受贈誌がありました。


 
書くため1218(2016.12.18)
 昨日の編集委員会の整理をし、委員に送りました。
 昨日書いたほかに、もう1つ変更点がありました。それは、会計報告で「通帳のコピーと花書院の様式のコピーは不要」となったことです。
 原稿・冊子作成要領(案)も、作成しつつあります。


 
書くため1217(2016.12.17)
 海編集委員会を行いました。ほぼ昨年の決定が了承されましたが、頁を縦書きにすることで、扉の文言を置くことについては井本氏と相談の上原案を首尾良くまとめ、委員に諮ることになりました。
 また、追加頒布単価1冊300円とあるのは、1冊200円に改めることになりました。
 忘年会は和やかなもので、2次会に箱崎まで行ったため、大牟田線の終電に乗り遅れ、タクシーで帰ることになりました。


 
書くため1216(2016.12.16)
 明日の委員会の資料を先に作っていましたが、最終の確認をします。


 
書くため1215(2016.12.15)
 海第17号(通巻第84号)の発送です。昨日のパソコントラブルで冷や汗をかいたものの、予定どおり発送作業を行うことができました。
 途上かなり冷え込んでいましたが、支障がなかったのは幸いです。
 パターンどおりに、3時間半の行程でした。これを終えないことには、始まりません。よくぞここまできたものよ、と関係者に感謝です。


 
書くため1214(2016.12.14)
 今日ほど頭にきた日はありません。
 内容は「あんなことこんなこと」に書きましたが、準備したファイルに到達できない。その原因は、「update」にあるなんて。こんなこと、理屈じゃないですよ。
 推奨に従い「update」を自動にしただけで、PCそのものが腰が抜けたみたいになり、挙げ句は「準備したファイルに辿り着けない」というドラマです。
 それはもう、溜息どころか「完全に諦めました」よ。チェックにチェックを重ねたわがファイルに辿り着けないなんてのは、もう悲劇ではなく喜劇です。
 すんでのところで、「システムの復元」で打開の一歩を見ましたが、この海の原稿すらも風前の灯であったのですから。
 いやあ、トラブル満載というより、ここまでくればドラマチックです。


 
書くため1213(2016.12.13)
 海の方からいったん離れ、全作家の作品の方に向かいました。なかなか感覚が戻りませんが、これもしばしの時間が必要です。
 30枚程度のものを2作、何とかしないといけません。足場固めをして、インスピレーションが溢れてくるまで待つことにします。
 関東文芸同人誌交流会掲示板に紹介がなされていたように、かつてのような溢れ出んばかりの情熱が湧いてこないのが、気掛かりです。待つよりほかないようです。


 
書くため1212(2016.12.12)
 編集ソフトなるものはやはり必要なのかと考え、いろいろ検索してみましたが、これというものには出会えませんでした。
 ならばいたしかたない、「ワードを今少し極めねば」と考えられる範囲のことを試してみました。今回の字送りのズレ、これはどう考えても「文字飾り関連の仕業」と思う方がよさそうで、ワードを2013に替えたため「ワードのオート機能」を完全に整備し得なかったからではないだろうかということで、「オート機能の殆どを外し」た後、原稿→テキストファイル→ワードによるフォーマット、という手順がうまく動くであろうかと試してみました。字間などは首尾良くなりましたが、「文字飾りを外したため」→「ルビ付け」「傍点付け」などに工夫を要するようなので、その対処方法を確認しました。
 これ以外のことで問題があれば、また工夫したいと思いますが、一応現在の流れの作業はより良くこなせるのではないか、と考えています。


 
書くため1211(2016.12.11)
 いけません。書けば海のことでの、愚痴ばかりです。かなり疲れたことに間違いはありませんが、私がそれを言えば、誰もが海を信用しないことになりますから。
 やりおおせたことは、言わないことです。もっとも、課題ばかり抱えているのですが。やれることはやる。というスタンスに変えることにしましょう。
 くだんのワードの扱いを調べてみましたが、切りがありません。確かに「印刷」ということばには、「ワードだとか一太郎」というワープロソフトの名前は殆ど出てこないのですね。じゃあ、みなさんどうしておられるのでしょう。そこがよく見えません。
 特殊な編集ソフトを使い、それでフォーマットをし、ペーパーによる校正依頼をし、それらが仕上がったらくだんのソフトで完全に仕上げて、めでたく入稿となるのでしょうか。
 ということであるのなら、作者原稿はワードで作成→受け付けたその原稿をソフトにかけてゲラを作り、作者にペーパーで校正を依頼→校正がきたらソフトで修正し、最終的には全てをペーパーに打ち出し、「読み込み」→誤字脱字などを修正し、完全な原稿をつくる、というのが筋なのでしょうか?。
 ということであれば、活字でさえあればどんな形でもいいとし、入稿をし、同人誌が出来るという筋なのでしょう?。こういう筋をたどればいいとして、そうすれば、ますます1人への集中が免れないということになるのでしょうか。
 編集委員会の資料の方は、レジュメ、新たな目次の資料、1頁目の文言案(これが結構難しく6通りほど作りました)、加えて昨年の委員会メモなどを揃えました。
 発送準備としては、発送宛名・住所の確認までをし、後はラベル印刷をすることになります。A5の送り状案も作りましたし、委員会での意見の集約を待って「原稿・冊子作成要領」を作る運びになります。


 
書くため1210(2016.12.10)
 さてさて、壱岐を往復しながら考えたことです。ワードの扱いです。
 確かに扱いが煩わしくてずっと敬遠してきたのですが、これも慣れと、研究、工夫ですからね。なぜ字間がズレたのかは、多分「文字飾り」によるものでしょう…。
 何度も何度も、トライしてみました。
 ワードで「印刷入稿前の、印刷用フォーマット」を作る手順として、
(1)まず受け付けた原稿は「テキストに変換」すること、(2)テキストに変換したものを、使用しようとするフォントとポイントに直す、(3)テキストに変換したものをコピー&ペーストでワードのフォーマットに貼り付ける、(4)字数、行数を確認する、(5)ルビなどの文字飾りがあれば、段落設定の「体裁]タブ(小見出し)の[文字の配置]欄で、「下揃え」の設定をする、(6)ルビは「4PT」で付ける、というあたりになりますか。いろいろ扱っていれば「ワードも楽し」となりますから、捨てたものではなさそうです。最初から「難しい、扱い難い、欧文用のソフトだ」と決めてかかっては、なるものもならないでしょう。そして、校正も相手に応じ紙媒体によることを増やす必要もありそうです。
 われわれは、印刷入稿前のデータ(具体的にはワードデータ)をどうよりよく作るか、ということに問題を絞るべきで、4面印刷がどうのというあたりになると、これは専門の方に委ねるということになりましょう。
 ただ、今回「当初は字数、行数ともに正常」であったものが、中途で「中身が微妙に変わってしまった」ということが何故なのか、データを作り直している際にはなかなかゆとりがなかったのですが、
少なくとも「字数の確認」をせねばなりません
 また、最終的に印冊所入稿の際は、「ワード、紙媒体」さらに必要であれば他のファイルなども加え、出すことになるかもしれません。


 
書くため1209(2016.12.09)
 ワードの扱い、とりわけ「二段組み、袋綴じ、余白の設定」というあたりを調べていますが、なかなかこれというところに至りません。それだけ、ワードの扱いは難しいということなのでしょう。私たちも、現職の頃は敬遠していたソフトでした。
 いまだに、ワードとの相性はよくないのですが、ワードの使用者が多いということで、周辺を検索し、何とかしようとして、多少はワードの癖に馴染んではきています。が、微妙なところでは、まだその扱いに悩まされています。
 元々一太郎を30年近くやってきましたから、こちらだと勘所も多少は働くのですが、ワードには苦しめられます。とりわけ、オート機能というのが付いていて、本人も気付かないところで勝手な働きをしてしまいます。昔はこのオート機能というのを全て外してかかっていたのですが、バージョンが変わる(頻繁に変わる)ことで、扱いが異なるのですから、悩みは大きいものです。
 特に、ワードに秀でた人が作ったデータには近寄り難く、近寄っても操作が一太郎とは異なるもので、どれだけ泣かされてきたかしれません。今も再び、「ワードよ、今も変わらぬワードか」と呟いています。


 
書くため1208(2016.12.08)
 気になるのは、この1ヶ月、いや半年、1年と、ずっと入れ込んできた海の顛末です。何でこうトラブルばかりなのか。何が問題なのか。
 私にその大半の責があろうとも、ちょっとヤヤコし過ぎます。といえども、与えられたことから逃げ出す自分ではありませんが…。
 必要なものだから来るのだろう、というのが私の持論ですし。
 せめてワードの扱い方を模索してわからないでいる当人を無視するのではなく、他の方法があっても(ないのでしょうが)悪くはない、とは思うのですが。何でこう世間は寒いのだろう。となると、演歌の世界ですか。演歌は好きになれないままでしたから…。


 
書くため1207(2016.12.07)
 ようやく海第17号の校正が終わりました。受付から以降、過激な約1月でした。
 しかし、まだ仕事はこれからです。発送準備、発送、会計報告と続きます。好きでやっているのですから、ありがたく受け止めます。
 と言いつつ、思えばこれは文芸面だけではありませんが、実にトラブルの多い年でした。と、過去形で書いてよいのやら。
 くだんの日月神示に、最近というかこの近年は、よく似てきているなと感じるのは不思議なことでしょうか。そんなことを真剣に考えてしまう、この頃です。


 
書くため1206(2016.12.06)
 なかなか、ことばでの伝達は難しいものです。海のゲラ刷りをもらったのですが、お願いした(つもり)の内容とかなり違うので、大要は見終わろうとしていたものを、結局持ち帰ることにしました。きちんとした校正の必要がありそうです。
 いまさら、25行になっているものを23行などに戻すというのは無理なので、内容を間違いのないように校正するしか、道はないようです。これから、1冊分の校正にかかることになります。双方が手間を取らないように、ということが裏目に出た恰好です。


 
書くため1205(2016.12.05)
 校正と校閲の違いについて、ちょうどよい記事があったので、確認させてもらい、今後の貴重な参考資料にさせていただくことになりました。
 校正と校閲とには、大きな違いがあるのですね。校正はキチンと行うように心掛けていますが、校閲の方は、当初原稿を流し読みしたとき、何だか違和感を覚えたり、話の繋がりがよくわからないときに、作者に尋ねていたことでした。
 これは、あくまでいっしょくたにしてはならないのだ、と学んだことです。
 さて、編集委員会の日程照会を締め切らねばなりません。次に進むためには、依頼したとおりの流れで進むことになります。


 
書くため1204(2016.12.04)
 三田文学、季刊文科、全作家という同人誌系の会員受け入れのことなどを調べました。よくよく考えてみれば、季刊文科とは特に何とも縁がないものです。
 この誌は、同人誌云々を謳いながら、同人誌の方は向いてないのでしょうか。
 文學界評がなくなり、今同人誌の目的であり、成り立つ意味というものが、調べれば調べるほど見えにくくなってきます。いずこも、今の時代、同人誌を扱うことは、仕事として成り立つものではないということのようです。純文学系誌は売れない。と、著名な誌でも、2,000部〜3,000部かとも聞きます。世情とはいえ、淋しいものす。
 海の送付先のチェックなどを終えました。


 
書くため1203(2016.12.03)
 海の同人の福岡近辺在住者の、なんと少ないこと。男女別には拘らないものの、女性が圧倒的に少ないのです。今どうこう言っても始まらないことですが、このバランスの悪さ、人数の少なさは、かなり考えさせられることです。
 もともと海には女性の同人が少なかったのは仕方ないことですが、なぜそうなのかを考えてみたことがありませんでした。単に女性同人がほしいというのではなく、なぜこう敬遠されてしまうのか、ということには意味があるのかもしれません。
 第一期のことを言っても詮ないことですが、第二期になっても同じ傾向は続くもので、居場所にふさわしくない匂いというか、オーラでもあるのでしょうか。
 この「女性の情念を描く」ことがメインになっている現在、女性の同人が殆ど在籍しないということは珍しい現象です。「われわれが女性に甘くない」これはアリかと思えますが、「女性に冷たい」「女性を女性と思わない」は、特にないと思うのです。
 何とも「潤いのない構成」(という表現は、現在の卓越した男性の書き手に失礼ですが)で臨む、という何故か故知れない思いのまま、年月を数えています。


 
書くため1202(2016.12.02)
 海の送付先のリスト確認、ラベル作成、送付文書作成など、しなければならないことはいくらもあるのですが、ままよと海のことを忘れようとしています。
 リーダーを養成するには…この時世、無理か…そうまでしてやるか…海は「生涯現役」と謳っているし…などと、夢にまで追いかけられる始末ですが。
 そんなことも、ままよ…と、まあ次の風が吹くまで落ち着きなよ、ダンナ。


 
書くため1201(2016.12.01)
 印刷資料(データ、プリントアウトした1冊分)を持参し、依頼しました。
 ここを通過すると、拍子抜けした気分になります。こんなことのために…いや、こういうふうにして17号(実際は18号分:海第一期の最終号から)を作ってきたのです。
 いろんな人々と仲間になったり、去られたり。 奇縁なのでしょうね。発信することをしなければ、袖触れることもなかったという。
 一番の問題は、リーダーに不向きな私が、形の上とはいえその座にある、ということ。これでしょう。これは、大きな問題です。と、そこまでにしておきましょう。


 
書くため1130(2016.11.30)
 海の原稿の印冊所持ち込みを明日にして、総読み込み・誤記等の調査によるデータの整備を行っています。この最終の整備が「なくても済む」ものか、「なさねばならぬのか」は意見の分かれるところだろうと思います。海第二期を始めたとき、まさか「そこまでやる」とは思ってはいなかったのですが、以前から編集に関わってきた人(当時は在籍→今は退会)に言われ、「そこまでやらないと駄目でしょう」ということで続けていますが、「なくてもいいかもしれない」が、「やる価値はある」に転じ、さらに、今では「やらねばならない」に変わってきました。
 印刷所での校正でかなり厳密にチェックがなされ、初期の頃は「どうしますか」と尋ねられ、「慌てたもの」です。やはりこれらをやらないと、かなりの量の「誤記・誤字・勘違い」が見付かります。実際、そのままでも全体にさほどの影響はないかもしれませんが、最近はここをクリアしないことには原稿持ち込みができなくなりました。
 誤記・誤字、と一口にいってもさまざまですし、大勢に影響はないでしょう。しかし、自分の原稿に一番「甘くなっている」のに気付いたとき、「やはり、この確認・推敲は必須」という信条を持つに至りました。多分、多少編集者の目になってきたのでしょう。もっとも、ヘボ編集者ではありますが。これをどなたでも経験されるとよいだろうなあ、と海のことを離れ、別の角度から思うのです。辞書を引く、ことばにちょっとした疑問を抱く、事実かなという念を抱く、ことばが適切だろうかという勘を磨く、良い表現だと感心する、という埒もないことですが。
 もっとも、海の原稿では、「明らかな字の重なりなどの誤記は修正しますが、書き換えは作者の筆を尊重して行わない」ということにしています。
 今回の海の原稿を、受付時から時間を空けて読ませてもらい、(わが作品を除けば)「なかなかのレベルだ」と思うに至っております。


 
書くため1129(2016.11.29)
 委員による海の「誤記等確認」が終わりましたので、この資料をもとに元の「フォーマットデータの修正」を私が行います。
 その際は、全てをプリントアウトしたデータを委員に送っていましたので、修正後の1冊全てに目を通します。その上で納得が得られれば、「データ」と「プリントアウトした資料」を印冊所に持参することになります。(明後日、という予約を入れました)
 印冊所では、順調に行けば「約1週間後に校正」となり、さらに「約1週間後に印刷上がり」となる予定であり、直ちに発送作業となります。


 
書くため1128(2016.11.28)
 絶対文感の昨日の残り3人と、続おばけの季節を読みました。陽羅氏の膨大な執筆、いったいどのくらいの枚数のものでしょうか。それに中身が実に充実、豊富、繊細、細密、大胆、膨大ときていますから、簡単に太刀打ちも理解もできません。
 私などが読んでどうなる、というレベルの内容ですが、読むぞといったん決めたのですから、全力を尽くしてと。要するに、やらねば足元にも近付けない訳ですから。空しい抵抗だといわれようと、一歩を進んでみるしかないのです。
 11月は「全力を尽くして行う」ということが、何点かありました。何点かでは足りないのでしょうが、出来る人は出来るのだ、とこの歳になってようやく気付きました。
 人には能力がある、育ちが違う、鍛錬が違う、心構えが違う、と並べてみてぞっとしました。「ナイ、ナイ」を並べて何になる、ということです。なくても、得る。今からでも遅くない。そのチャンスは今しかない。という考えを続けてみようと、思ったことです。結局、自分がやらねば何も始まらない、ということです。単純な話ですが。


 
書くため1127(2016.11.27)
 海の委員確認の合間を縫い、発行後に開催する編集委員会の資料などを作ってみました。ついでに、ワードの細かいタブ設定などをやってみますが、なかなかいうことを聞いてはくれません。ここが、一太郎を長年使ってきた身には辛いところです。一太郎ではスムーズにできることが、元々洋風に作られたとみえるワードには、苦労がつきまといます。細部の字揃えなど、なかなかうまくいきません。(不慣れのせいだけなのかなと)
 絶対文感を読み始めましたが、中身のあまりの濃さになかなか先に進めません。それにしても、こういう内容を骨折中にも書ける陽羅氏には恐れ入るばかりです。
 

 
書くため1126(2016.11.26)
 海の今号ですが、受付窓口での問題がいろいろ出たことで、急遽「今関係のないことまでも含め」、「整理のための掲示板の記述」をしました。
 こういうふうに、全般に触れないと、局所的な問題を抜き書きしただけでは、あまりに具体的になり過ぎるからです。
 いろいろ長く書き過ぎると、書いているこちらが萎えてしまいます。
 しかし、問題点は放りっぱなしにはできず、合わせて懸案の具体的事項についても、年末の委員会事項とすることになりましょう。良い原稿が出て、良い冊子になりそうなときに、お寒い話です。たいした解決にもなりそうにありませんが。


 
書くため1125(2016.11.25)
 海の委員による「誤記・誤字等の確認」を行っています。多少情報が入りましたが、結構直しがあるものですね。
 当初の原稿の段階で、一度「誤記・誤字等」を拾い、校正方をお願いしたというものが今手元に「校正済み」として戻ってきているのですが、このまま「作者校正終了」で掲載できるものであろうかと、悩んでしまいます。
 要するに、単純なことです。例えば「そうしします」といった類で、意味は通じるのですが、ということなのです。それに事実に違わないか、ということも大事です。
 百点とはいかないまでも、せめて90点にまでは仕上げる必要があろうと思うのです。作者(私自身もそうですが)は、自分の原稿には弱い。どこがおかしいか気付かないという傾向にあるのだろうか、と考えます。
 

 
書くため1124(2016.11.24)
 約1月ぶりに海のことを離れ、自分の作品に向き合いました。
 海の構成員のそれぞれの思いはいろいろでしょうが、普段はどのようにでも、どこででも活躍していただきたいというのは海のスタンスであり、偽らざるところです。
 もっとも、こと海に関することでは、海の構成員として、今できる力を十分に海で生かしていただだければと願うものです。


 
書くため1123(2016.11.23)
 全体の整理を一応した上で、2人の委員にメールと郵送で、全体の「誤記・誤字等の確認依頼」をしました。内容の詰まった150頁です。
 意外なことは起きるもので、2度目の休会扱いをしなければならないようです。何でだろう、と意外さに驚かされます。
 それにしても、今号の海は充実しています。と、見られるかどうかは別として、かなりの手応えがありました。次は送付関係です。
 また、懸案がいくつかあります。頁、イラスト、会員の資格などで、年末の委員会に諮ることになります。全体の体裁のことは、うまくいっていればよいのですが。


 
書くため1122(2016.11.22)
 1頁の奇数頁が余計に出たため、1頁を捻出します。事務連絡的部分を、少々詳しく書きます。入選者の情報も入れます。
 頁を全てに入れ、目次を作ります。委員校正に出す前に、ざっと目を通してみたいと思います。もっとも、受贈誌、海の説明、入選、今号のまとめ、次期号の大まかな内容やスケジュールときて、最後に「あとがき」です。やれやれです。
 と思ったところに、福島の地震という報。熊本の地震のことなどをあとがきに書いていたもので、驚きました。というより、最近の世情の不安が実際に攻めてきます。
 せめて文芸では楽しみたいものですが、どうしても世の空気を写し込んでしまいますから、辛いものになってしまいます。
 全作家の掌編の校正をし、掲載費を支払ってきました。


 
書くため1121(2016.11.21)
 海第二期第17号(通巻第84号)の原稿を整理し、頁割付を行いました。
 今号も、150頁を数えました。エッセイ3人、詩4人、翻訳2編、小説6人ということで、小説に多くの頁をさくという好ましいものです。
 あと少々の整理が残っています。
 

 
書くため1120(2016.11.20)
 海第二期第17号(通巻第84号)の原稿受付を終了しました。
 締切日には、最後の原稿が寄せられ、今日はたいそうな量の作業をしました。


 
書くため1119(2016.11.19)
 残すは詩の原稿と、小説の原稿ということになりそうです。
 今時点では、全容は見えません。


 
書くため1118(2016.11.18)
 パソコンの一太郎が重いので、一太郎12だけを残し他をアンインストールしたら、軽快になりました。
 海の原稿受付でも、毎号新手の問題が出てきます。今回は、Windows10への移行問題、Wordのバージョンの問題などで、データのやり取りがうまくできないケースが出て、こちらの方の対応でかなり時間を使い、ストレスが溜まったりします。
 ちょっとしたさじ加減で解決する問題だと思われるのですが、個々に私と同じ調べをしていただくには、厳しいことかもしれません。それは、今日届いた日本文藝家協会からの同人誌などの覧を埋めるための「文藝年鑑」のデータ調べに次のようにあります。
「掲載原稿には、『文藝年鑑2016』に掲載の文字と違う文字が印刷されている、もしくは文字自体が抜け落ちていることがあります。パソコン環境によるもので、ご理解のほど、お願いいたします」
 ということは、この1年でパソコンの環境にかなりの変化があり、問題を抱えているのだろうと推測されるところです。
 パソコンは使えば便利な反面、Windows10への半強制移行などのあった年には、いろんな問題が現れてくるということのようです。普通に対応すればそうたいした問題でもないようですが、「普通に」というということの範疇がなかなか難しくもあるようです。


 
書くため1117(2016.11.17)
 待望の詩が送られてきました。さっそく割り付けをし、校正依頼をしました。
 自作にも手を入れ、道場の分の感想も送りました。


 
書くため1116(2016.11.16)
 海の作品の肝心なところが決まりません。難しいものです。それにしても、郵便物を覗くのですが、次なる作品が届きません。
 道場の作品で意見を求められた作品を読んでいますが、ちょっと複雑です。道場のスタンスがあまりよくわかっていない今、どういう方向の意見を出せばいいのか難しいですね。エンタメ系に評価が集まるようですが、私の感じでは反対になったりもします。


 
書くため1115(2016.11.15)
 わが作品を見直しました。ペーパーで校正を依頼していた作品が戻りつつあります。編集は、いよいよ佳境に入ります。
 あと、1〜2編の詩と小説になりましょうか。


 
書くため1114(2016.11.14)
 さて、海の編集の方です。少し間が空きましたので、わが作品の読み直しです。
 今回は冊子の頁は思ったより少なく、120頁前後で済むかもしれません。


 
書くため1113(2016.11.13)
 さて、海の編集の方にかからねばなりません。送られてきた原稿の方に、取りかかることに切り替えます。
 目次の縦書き要望や、イラストをもうすこし用いてほしいとの要望がなされており、目次の方は案を作り、イラストはどの図案が使えるのかを探したりしました。
 ところで、昨年暮れの委員会で「1年間は現行の内容で冊子を発行し、1年後に検討する」ということにしていますから、今号第17号までは第16号と同じ体裁で行きたいと思います。改訂の方は委員会の協議により決めていただきたいと考えます。
 特に、目次や表紙裏や1頁目の内容は大事なことですので、慎重に検討してもらいたいと思うものです。イラストについても、個々によって「要、不要」の好みが分かれ、イラストの内容をめぐるかなり激しいやり取りもありました。イラストを入れるというのは、編集担当者が一番悩むところであり、現在は「小説の冒頭に相応の空きがある場合に、入れる」としているところです。


 
書くため1112(2016.11.12)
 小説道場です。わがポイントを突かれました。
 全くの正論です。納得しました。


 
書くため1111(2016.11.11)
 昨日の校正作業は、20時間ぶっ続けの作業で終了させました。それにしても、直しの多い校正作業でしたね。内容の点も気に掛かりますが。
 ということで、前後に用務がつかえていることもあり、昼には返送しました。勿論、厳格に見させていただきました。
 海の方も原稿が入りつつあります。目次のスタイル変更の方は、意図は十分に理解しているのですが、当初表紙イメージや、入りの部分は結構入念なやり取りの上決めたのだったという思いがあります。やはり、私の趣味だけではなく、少なくとも委員の意見を聞いた上で改めたいと思います。誌の顔の部分でありますから。


 
書くため1110(2016.11.10)
 驚いたのなんの。福岡文化連盟から、15人分の校正(原稿とゲラ刷り)が送られてきて、これは何だと! エッセイ、評論、小説。つまり、第7部会の大部分ではないですか。もともと、誰がどうやって世話人なるものや構想などを決めたのか、その内容など一切の連絡なし。普通、かくかくしかじかでこうなったなどという連絡などあってしかるべきだと思うのですが。仕方がないのですかねえ。
 作品を提出したときも、着いたとも受け取ったとも連絡なし。
 おまけに、大量の荷物を送り付けてくるという、およそ考えられない仕儀ですよ。その期限が今日着いて、15日の朝までに必着だ、とのことです。なんの予告もない、しかも5日しかない。何かの都合で出掛けていたりしたら、荷物はどこに消えるのでしょうね。わが海の依頼や、受付や、連絡はこんなにひどいことなどしませんよ。
 世の中、荒れているものですねえ。今、海も原稿受付の作業中なのに。


 
書くため1109(2016.11.09)
 アメリカ大統領選挙の動向に、気を奪われてしまいました。「嫌われ者」といわれる二人の候補者の駆け引きや、大芝居は結構ドラチックなものでした。
 夜に、海の原稿が届いたので、印刷用のフォーマットに割付け、校正の依頼をしました。中間にさしかかりますが、意外に原稿の出足がよくない感じがします。


 
書くため1108(2016.11.08)
 海原稿の郵送校正分を送付し、依頼しました。
 海の電子書庫などについて、考え方などの整理文を作りました。


 
書くため1107(2016.11.07)
 海原稿に挿入する写真が送られてきたので、スキャン→切り取り→貼り付けなどの作業をしました。うまく行っていればいいのですが。
 海ホームページに電子書庫を(仮に)設けてみました。これの賛同が得られれば、希望者の作品を列記掲載できるのですが。


 
書くため1106(2016.11.06)
 昼間は海原稿の提出がなかったので、自分の原稿の見直しなどをしました。原稿の見直しは、何度行ってもこれでよし、とはならない難しいものです。でも、こうして何度か見直していくうちに、大きな間違いに気付いたりするものですから、大事です。
 ぶ厚さの大小を問わず、中身の充実した第17号を目指すつもりです。
 松本清張短編集を読んでいます。清張の、飾らずにズバリと対象を表現する力は、やはりただ者ではありません。当然のことですが。何といっても、「ものがたり」の大場面、小場面、舞台設定、唸らせる展開、小物の用い方、徹底した調査、人物の心の襞の描き方など、切れ味が鋭過ぎて、今更のごとく感心するばかりです。


 
書くため1105(2016.11.05)
 海の原稿受付のために、外出は控えています。この時期、いつ原稿が入るか分かりませんので、できるだけ間を空けないように心掛けます。
 今回は、なにかと問い合わせが多いようです。
 間を縫って、小説道場の原稿を読みました。なかなかの作品です。


 
書くため1104(2016.11.04)
 海の原稿のことで、かなりのやりとりがありました。ペーパーでの処理が、増えそうな気配です。何といっても、この初期段階ですね。
 なかなか席を外せません。まあ、やるしかないですから。
 小説道場の原稿も読まねばならないのでした。


 
書くため1103(2016.11.03)
 今日、小説とエッセイが入ってきました。90頁近くになりました。この分だと、どこまでいくでしょうか。150頁あたりで落ち着くと、厚さの心配もありません。
 なかなか読み応えのある内容のものが、寄せられています。うまく流れてくれれば、嬉しいことになります。待つ間の時間の用い方も、考えねばなりません。
 全作家短編集は積み上げたままですが、ぶ厚いので、さてどうしましょう。


 
書くため1102(2016.11.02)
 海の原稿は、ただ今50頁ほどです。どのあたりまでいくのか、です。
 この間、自分も少し作業をしたくなってきました。新しいもの、それとも投稿、いろいろやってみたいですし、海には海の掲載制限を設けていますから、他誌に投稿することになります。書いて、笑われてを、ひたすら繰り返しています。
 わが作品で誉められることはほぼないことで、それでも何でやろうとするのか、分かりません。ただ、もう少しは「伝えようとする工夫も必要なのかな」とは、思うようになってきましたが。もともと根が浅いというか、生えている場所が違うというか、どうも他の心に訴えることなく、自分勝手に書いている感じで、ここが反省点です。
 どうしても自分なりの主張をしてしまう→相手には分かりようがない→自分もうまく説明できないカオスのようなもの→ここのあたりになるのですが。
 他方、というか全てであるのかも知れませんが、現実に足を置いていない(置きたくない)、という何とも知れない自己矛盾があります…。


 
書くため1101(2016.11.01)
 最近というか、この数年、電車に乗ると、全員とは言わないまでも9割方の人たちが、スマホだの携帯だのを取り出して見入っています。
 これらの光景が「異様」に見えるのですが、私たちの同輩や年配の人と話す機会があると、決まって「あれは何だ」「ゲームだか何だか知らんが」「世の中、落ちたもんだ」という話になり、「そうですね」と返すものの、これが同人誌仲間であったりすると、「作品はペンで書くもんだよ」「ピコピコ、ペタペタ音を立ててながら、原稿が書けるもんか」「俺はペンで書く。活字にするのは事務の仕事だ」などという蘊蓄話が出て、「なるほど」と半分は思い、「でも、そういうことは印刷に頼むとなると割高になるし」「同人仲間の誰かが活字化しなければならないことに」などと口籠もってしまうことになります。もっともな意見であり、もっともなことではあるのですが、さて。
 果ては「ペンで書けば自分の原稿が残るじゃないか、キミ」と建前を述べられたりしますが、「フーム」という返事で終わります。
 かつての手書きが、いつかワープロに代わり、今ではパソコンに代わっています。正確な年代は承知していませんが、職場にワープロが現れたのが約35年前頃、パソコンが現れたのは約30年前頃だったと記憶していますが、ずれているかもしれません。
 とにかく、ワープロが現れたときも、パソコンが現れたときも、「これは何だ」という驚きと、これを使いこなさなければいけないのか、という恐れで真っ青になったことを思い出します。幸い、ワープロもパソコンもマニュアルに従って扱えば何とか日常が凌げる、というレベルにまで改善され、当初恐れたこれらの機器の裏側までを知らねばどうにもならないということは免れ、それこそ騙し騙しやってきた訳です。
 職場を離れて5年以上が経った今、パソコンなどの事情がどう推移しているのか詳細は分かりません。

 当時、同世代や下の世代の人でも、パソコンは扱わないぞと、退職の日まで一切手に触れることなく過ごした人もありました。同じ職場で、中年のパートさんたちが、瞬く間に文書を仕上げ、複雑な計算や集計や予測などの資料を巧みに作ってくれるのを口をあんぐりと開け、見詰めていたものです。
 そういう私たち世代ですが、人によっては、パソコンを自分で組み立てたり、ホームページやブログを軽々と操っています。これは何ぞ、と驚いていました。
 まさか私自身が、パソコン処理を担ったり、ホームページなどを作ったりすることになろうとは思いもしなかったことです。しかし「YESかNOか」と迫られたとき、「努力してみます」としか言えませんでした。つまり、パソコンは操作マニュアルに従ってその通りに扱うのみ、という部類でしか知らなかった訳です。
 で今、「ITのグローバル化について、どう思うか」「危機感はないのか」「人間のやる仕事ではないではないか」などという問いに何も答えられないまま、現状に向かい合っているのは危険な兆候であるのかもしれません。しかし、しかし、道理を云々する前に、ITを用いなければニッチもサッチもいかなくなっており、ATMしかり、ネット通販しかり、飛行機に乗るのだって、図書館で本を探すのだって、はたまた自分の背番号までITで管理されてしまっている、というのが実情です。
 ITは侮れない、最も恐い、という深部での不安はあるのですが、「尋ね、尋ねてでも扱わねばならない」という「後ろを向きながらでも、操作だけはしなければならない」というのが偽らざる現況です。よって、電車の中の皆々が、何に向かい合っているのかの是非についてモノ言うこともできず、「何だろうねえ」と呟く日々です。
 海の原稿受付は、佳境に入って行きます。


 
書くため1031(2016.10.31)
 昨日掲示板に長いコメントを書いたことはそれとして、なかなか理解が得られ難いものだと思うことです。メールに添付したファイルが、違うフォーマットになって届くということはない筈ですが、添付したファイル、添付されてきたファイルを添付のままで開くと、大きく崩れて見えるというのが新しいバージョンのwordを用いた場合に出てくるようです。使用するファイルは、多くのケースに対応できるようにと、最も汎用性のある古いバージョンのものを使うことにしています。ところが「新しいバージョンのwordを搭載していれば、古いバージョンのものは崩れる」という訳でもないようです。
 新しいバージョンのファイルで原稿を作っても、新しいバージョンのwordを搭載したPCのメールに添付すれば、「当然のごとく崩れて見える」ということになっているるらしく、どういう意図でそうなるのかは分かりませんが、「分かり難く、扱い辛く」「わざとそう仕向けている」のかもしれない、という意地悪な見方もできない訳ではないことです。Windows10への変更をなぜにこう急ぐのか分かりませんが、専門的な理由は抜きにして、「多くが新しいWindows10のPCへの買い換えを迫られた」「Windows7以下は軽く扱われる(使い続けての、リスクのことは知らないよ、という態度?)」(実際は、Windows7が使い易いし、かつてはWindowsXPもそうでした)というもので、これが経済の論理なのでしょうか。ITをグローバルにし、しかも「短い年限しかサポートしない」という、理不尽を力ずくで通してしまおうという、これはヤバイですねえ。
 そこで、ブログにファイルを短期間掲載し、凌ぐという方法を考えたり…。書いていることが、まるで意味不明になりました。この旅は始まったばかりです。
 それにしても、あの7月頃のWindows10騒動には、痛い目に遭わされました。


 
書くため1030(2016.10.30)
 掲示板に、こういう長いコメントを書きました。
 メールや添付資料の扱いがこれまでと変わったということではありませんが、MicrosoftのWindows10への半強制的な誘導措置などのため、手持ちのPCが変わったということでの扱いに困っている方がおられるのではないかということで、以下を記すものです。ということもありますが、「
赤字の場所はかなり大事だと思われますので」是非お読みいただき、参考にしていただければと思います。
 PCの扱いについては、昨日努力中(検討中)というような、多少曖昧な表現をしておりました。この間、私もフォーマットによる割付(「word97-2003」=ファイルの拡張子がdocであることから、以下「doc版」と記載)ファイルを、yahoo mailやgmailなどに送り、また私よりIT関係に詳しい方にも見てもらったところ、特別のことがない限り「doc版」は開くことができ、自身のファイルとして「加除・修正の可能な」ファイルとして使えるであろうとのことでした。
 とはいえ、PCの機種や設定如何によっては、開けない場合があるのかもしれません。
このことの報告と、次のお願い並びに手順を記させていただき、みなさまのご協力をお願いする次第です。
(「doc版」ファイルとは)
※これまでずっと使用してきたもので、今回から新たに設けたものではありません。
※wordには年が進むにつれ、新たなバージョンのものが作成されていますが、(「word97-2003」=「ファイルの拡張子がdoc」)は最も古いバージョンのもので、新しいバージョンからも「作成・加工・加筆など」ができるとされているため、これを用いています。
※最新のword2016などからは、「互換ファイル」と呼ばれています。
(メールでの「doc」ファイルの展開・保存)
※メールに添付されたままファイルを開くと、バージョンによっては「doc版」のフォーマットが見えない(崩れて見えたりする)ことになっているようです。
※ともあれ、「doc版」ファイルを入手し「作成・加工・加筆」(校正などのため使用)する必要が生じますので、その手順を記したいと思います。
(1)
メールの添付ファイルを、必ず「いったん『名前を付けて保存』などの方法で」、自身のPCのお好みの作業領域などに「保存」してください。
この段階でファイルの「編集を有効にする」というメニューがある場合は、それをクリックし、現れた「doc版」を「保存」してください。

(2)保存したファイルを開き「doc版」ファイルであるかどうか確認してください。
この場合、ファイルの「編集を有効にする」というメニューがある場合は、それをクリックし、現れた「doc版」を「保存」してください。
(「doc版」ファイルでの校正等の作業)
※通常どおり処理し、終われば「上書き保存」してください。
※校正などが終われば、メールにこの修正後の「doc版」ファイルを添付し、返信ください。
※メールに添付した段階では、「doc版」ファイルとの判別ができにくいと思われますが。(崩れて見えたりすることがありますので、ここにも注意)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(以下、例外措置)
※※以上が概略ですが、これらの作業ができない場合は、「pdf版(紙にプリントした状態のもの。書き込み修正ができないものですが)を送ります」ので、修正の必要な箇所を「3ページ-上-○行目:「山」を「川」に修正:の要領で)お示しください。修正などはこちらでいたします。 pdf版そのものは、閲覧のために用いますが、「作業用・印刷用」としては用いません。
※※PCをお持ちでない場合は、当初からプリントアウトした校正用原稿を送付しますので、「加除・修正」等の上返送願います。(郵送の場合、校正は1回のみとさせていただきます)


 
書くため1029(2016.10.29)
 さて、海第17号(通巻第84号)の受付を開始しましたが、最初からトラブル発生です。ある程度危惧したことではありますが、wordのバージョンの違いによる問題、Windows10の問題などが絡んできそうな気配です。
 最初は、「doc」で送られてきた原稿を「doc」で返したら、原稿のファイルが正しく見えないというものです。機種やバージョンなどの違いで起こることではありましょうが、来たものを返したら見えない、とは素人にはよくわからない現象です。
 確かに、メールに添付のままでファイルを開いたのではフォーマットが見えませんので、「必ず、個人のPCの中にいったん保存」してほしいと伝えているところですが、こちらからは先方のPCの状態が見えないので、どうなっているのかわからないとしかいいようがありません。この一見単純な問題は、解決しないことには始まりません。
 Microsoftの説明を見る限りでは「そうはならない」とあるのですが、ものが目の前にないだけに困ったことです。この方面に詳しい上水氏にも同じ資料(に、リッチテキスト形式、テンプレート形式を加え)を送り、確認依頼中です。
 pdf変換版も既に送っていますから、形の確認はできることだろうと思われますので、これがペーパーの送付と考えてもらえば、進まない話ではないでしょう。
 この期間は、決まってPC鬱になってしまいますね。みなさんのご協力をお願いする次第です、という閉めになってしまいますが。(努力中です、悪しからず)


 
書くため1028(2016.10.28)
 さて、海第17号(通巻第84号)の受付を開始する旨のお知らせをしました。
 と言うと威勢がよさそうに聞こえますが、PC処理は大の苦手ですから、苦しみの1月、いや2月が始まるのかと思うと、あまりいいものではありません。
 しかし、発表したいという気持が萎えない間は、きちんとやりたいと思います。それにしても、最近のMicrosoftの横暴(としか思えないのですが)には、素人はなかなかついていけません。問題事例があれば「検索し」何とかしなければなりません。
 誌・編集の問題点は、実技処理、金、指示などいくつもの要素がありますが、やはり悩ましいのは実技処理ですね。という自分が「PCの使用にご協力を」と言わねばならないのですから。まあ、やってみることです。小さな誌は、いずこも同じでしょうから。


 
書くため1027(2016.10.27)
 わが作品の見直しをしました。特に、「テーマにすべきこと」のあたりが書き足りないので、少し工夫しました。この作業は、まだまだ続きます。
 小説だけを掲載する誌の作品を読んでみました。いろんなジャンルが混在していなくて、この方向もいいなと思いました。勿論、実力ある誌ですから。
 同人が他誌に発表した作品の感想を、掲示板に載せてみようかなと思います。


 
書くため1026(2016.10.26)
 児童書「アインシュタイン」を読みました。天才とはこういうものか、と思ったものの天才にあらぬ身にはその発想の起点などわからず、というところです。が、アインシュタイン好きは表面だけでも、と願うものです。多くの語録の中の1つ。
「長い人生のなかで、ひとつ学んだことがある。現実を見るかぎり、わたしたちのつくりあげた科学は、まだまだ幼稚で、原始的なものといえる。にもかかわらず、科学はわたしたちの持っているもののなかで、もっとも尊いものなのだ」
 天才にしてこうです。自分もオタオタせず、アインシュタインのことばに寄り添いたいものです。(そうです、時空を越えて。文芸も然り)
 海の作品、わが小説、和田のエッセイ、共通ページなどの確認をしました。


 
書くため1025(2016.10.25)
 いけない、いけない。市民図書館から借りた本の返却日が書かれた紙を紛失してしまい、遅れてしまったなと朝一番に返しに行きましたが、5日超過でした。情けないことで、せっかく読ませてもらった本に申し訳ない思いです。
 6冊を返却し、うち2冊を継続貸し出ししてもらい、新たに3冊、都合5冊を借りてきました。今回の返却日は11月8日です。間違えないように書いておくことにします。
 ちなみに、新たに借りた本は「雨月物語」「落窪物語」「能、狂言」です。
 海の下準備はかなり進んでいます。受付開始には、新たな原稿がスムーズに受け入れられるよう環境を整えます。


 
書くため1024(2016.10.24)
 海のために、詩を一遍準備しました。
 最近遠ざかっている俳句(これも同人誌用)にチャレンジしましたが、そう簡単にはできないのが俳句です。五七五という短詩、これが本当に難しいのです。
 俳句の気分になるのに、数日かかりそうです。
 富士正晴同人雑誌賞の結果がきました。しっかりした中身をもつ誌が選ばれています。納得いたしました。


 
書くため1023(2016.10.23)
 和田の手書きエッセイ原稿21枚を入力、地図なども入れ、一応目を通しました。


 
書くため1022(2016.10.22)
 海の前主宰織坂氏の生前葬、7回忌が行われる。


 
書くため1021(2016.10.21)
 和田の原稿を引っ張り出し、浄書しています。なにしろ、段ボール一杯に入れて持ってきています。多くは未完成のものですが、まだ扱っていない「小説」もあります。
 10日後には海の原稿受付開始ですから、その間にすべきことの多くを済ませておかねばなりません。自分(自分ではない方がよいです)がもう1人、ほしいものです。
 データ関係の資料作成、前号の概要、次号の予告などです。


 
書くため1020(2016.10.20)
 児童文学「里見八犬伝」を読み終えました。膨大なオリジナルの中の主要部分を、300頁程度にしたものだそうですが、児童書といえども読み応え十分です。
 人物の書き分け、ものがたり作りの精緻さ、ストーリー展開の早さ、上手さには感心します。馬琴によらず、こういう仕事をした作家が多くいた、と知るだけで驚きです。


 
書くため1019(2016.10.19)
 ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディラン氏のその後ですが、いろいろ検索をしてみると、「驚きととまどい」「賞賛と皮肉と否定」という記事が結構あります。賞賛より皮肉などの方の比率が多いようです。
 そもそも、個々によって「文学とは何か」が違う上に、「ノーベル文学賞とはなにか」がまた違います。皮肉ではなくても、「中立」だとか「間接的な表現による否定」の立場が多いのに驚かされます。音楽の分野からも、「NO」の声があったりします。
 何がどうなってこういう選考結果になったのか、誰も正確に説明することのできる筈もないことですから…この話題は止めることにします。
 ただ、しかし、「文学」を「ノーベル賞」に加えたということは、どういう意図があったのでしょう。仮に、文学を「小説、詩」に限定して考えてみましょう。この「言葉の問題」が第一に出てくるものを、「最も理想主義的で顕著な業績を成し遂げた人物」として、どう判断し選ぶというのでしょうか。
 小さなことになりますが、「日本語の名作」が「英語にどう訳されるのか」が疑問として残ります。その逆のケースを考えると分かり易く、私たちが手にする「翻訳」された作品には手を焼きますし、なかなか作品のエキスに到達するのは難がありそうです。では、みな英語で書くということになると、これまた難があるわけでして、この言葉の壁を越えて賞を選考するというのには…というあたりで、この話題は終了にします。


 
書くため1018(2016.10.18)
 ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディラン氏のその後ですが、4日が経過した今も、スウェーデン王立アカデミーからの連絡には答えていないという報道です。
 こうなると、文学賞というものの意味を考えさせられますし、多くのことを考えさせられます。氏の信念による「辞退か」という線も予測されますし、いずれにしても「文学賞についての位置付け」なりの論議が始まりそうな気がします。
 ネットの書き込みも、今鳴りをひそめているかに沈黙の空気が流れていますが、詳細についての情報を私が知らないだけであるのかもしれません。
 ただ、「文学とは○×である」式の決めつけの論理の方に向かわないことを願うものですし、なかなか単純にはいかない気もしてきました。
 季刊午前に掲載の井本氏の「山の日記」。氏の作品には「強弱があり」「キャラも立ち」、読後感に強い印象が残ります。ココなんでしょうね。書くコツとは。

(日経新聞)
 2016年10月13日にまさかのノーベル文学賞を受賞して世界中を驚かせたボブ・ディラン氏。ところが、受賞発表後もスウェーデン王立アカデミーからの連絡には答えず、コンサートでは賞については沈黙を守っている。ついには王立アカデミーは同氏への連絡を断念することとなった(参考:Nobel panel gives up knockin’ on Dylan’s door、TheGurdian)。
 同氏のTwitterは、13日にオバマ米大統領のツイートをリツイートしたのみ。同日開催されたライブでは、賞についてはいっさい話さず、淡々と進行したという(参考:ノーベル文学賞 ボブ・ディラン氏 受賞決定後 初のライブ、NHK)。
 こうした状況のなか、ノーベル賞委員会は「ボブ・ディランへの連絡をあきらめた」と発表(参考:Nobel Prize panel stops trying to get in touch with Bob DylanEntertainment Weekly)。同氏によるノーベル賞辞退の可能性も見えてきた。
 約115年の歴史を誇るノーベル賞において、受賞を辞退した事例は過去に数例ある。多くは受賞者が属する国家の状況が関連したものである。
 ドイツの病理学者、ゲルハルト・ドーマク氏は1936年にノーベル医学・生理学賞を受賞したが、当時政権を担っていたナチス・ドイツの問題から、ドイツ人の受賞が禁じられていたため受賞を辞退。戦後1947年に改めて受賞した(参考:The Nobel Prize in Physiology or Medicine 1939)。
 同様に、1938年ノーベル化学賞のリヒャルト・クーン、および同じく同年に化学賞を受賞したアドルフ・ブーテナントの辞退事例がある。ただし、彼らはいずれも戦後に受賞している。
 完全に辞退したのは、以下の3例になる。1958年文学賞は「ドクトル・ジバゴ」(1957)で知られる旧ソビエト連邦のボリス・パステルナーク氏が選ばれた。「ドクトル・ジバゴ」はソ連国内ではロシア革命を非難する作品として発禁処分にされていた。そのため、ノーベル賞受賞時にもKGBとソ連作家同盟による反対運動の結果、辞退させられた(参考:The Nobel Prize in Literature 1958)。
 1964年、哲学者ジャン=ポール・サルトル氏がノーベル文学賞を受賞することとなったが、「いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない」と受賞を辞退した。彼は、事前にノーベル賞委員会に対して辞退の書簡を送っていたというが、その到着が遅れてしまった(参考:ノーベル賞公式サイトの記録「The Nobel Prize in Literature 1964」およびTheGurdianによる2015年の記事「Jean-Paul Sartre rejected Nobel prize in a letter to jury that arrived too late」)。
 1973年のノーベル平和賞は、同年にパリで行われた、ベトナム民主共和国(北ベトナム)、ベトナム共和国(南ベトナム)、南ベトナム共和国臨時革命政府、アメリカ合衆国による戦争終結協定「パリ協定」を成立させたことについて、双方の代表であった北ベトナム側のレ・ドゥク・トベトナム共産党党中央委員会顧問とアメリカのヘンリー・キッシンジャー国家安全保障問題担当大統領補佐官が選ばれた。しかし、レ・ドゥク・ト氏は「ベトナムにはまだ平和は訪れていない」とこれを辞退した(参考:The Nobel Peace Prize 1973)。
 さて、ボブ・ディラン氏はこのまま無反応を貫いて受賞を辞退することになるのだろうか。世界中の人々が注目の視線を送っている。


 
書くため1017(2016.10.17)
 ノーベル文学賞の関連のコメントが、少ないようです。当初、文学者から抗議のコメントが出されていましたが、この数日、殆ど表に出てきません。
 ディランのどこに文学があるのか、という抗議だったと思います。この部分の解釈を巡って、恐らく侃侃諤諤の内なる意見のやり取りがなされているのかも知れませんが、いずこも模様見という具合なのでしょうか。これだけの重要なことに対し、迂闊なことは言えないのかも知れません。ひょっとしたら、「文学の定義をめぐる大事件であるのかもしれない」ですね。
 決して、関係者が醒めている筈はないと思われますが。
 こういう難しい世情です。本音の言えない時代であるのかも知れません。
 

 
書くため1016(2016.10.16)
 ええと、日本文学振興会からの連絡は周知を終えています。
 今日こそはと性根を入れ、道場の原稿をプリントし、関係者に送りました。量が多いもので、インクが空になってしまいます。
 では次は、海の原稿受付が近付いてきました。これに入ると、約2か月籠もりきりになりますから、気持を整えましょう。野球に例えるなら、選手(特に育成選手、球拾い、ピッチャー、キャッチャー)、コーチ、監督、フロント、アナウンサー、リポーター、記録係、マネージャー、観客といった全てをこなさねばならないということになります。
 まあ、なるようになるのでしょう。楽しみです。


 
書くため1015(2016.10.15)
 もう後のスケジュールを考えると、海の作品はひととおりの区切りを付けねばならないので、プリントして何度か読み返しました。約80枚というところでしょうか。
 文字を追うことの方はまだよしとして、テーマ、ものがたり、のあたりがどうなのか、悩ましいところです。まあ、形にしてみないことには始まりませんから。
 ちなみに、フューチャーソングの後編ではありません。「水際」としました。


 
書くため1014(2016.10.14)
 ノーベル文学賞がボブ・ディラン氏に決まったことで、賛否のうねりが見えてきます。「ボブ・ディランのどこに文学があるのか」という否定的な声には、文学とはそのような型にはまった化石ではないのではないか、といいたいと思います。
 ノーベル自身が「最も理想主義的で顕著な業績を成し遂げた人物へ」贈りたい、としていたことを考えても、「小説家、劇作家、詩人に限定する」という考えだけでは、自らの足場を狭めてしまうのではないか、ともいいたいのです。
 まして、ボブ・ディラン氏の授賞理由は「新たな詩的表現を創造した」とあり、「政治や宗教、民族を越えたところで、個人に直接訴える力を持っているところに文学性がある」(片山恭一氏)との意見のごとく、生きるものへの強いメッセージを与えたということで、十二分に余りあるのではないかと思います。「歌詞は、人々が歌い、反復されて力を持つ」(加藤登紀子氏)という言葉のとおり、詩的なイメージにあふれる言葉を、世界に向け、私たちの心に向け発し、刻み付けてくれました。
BLOWIN'IN THE WING(1962)
(Words and Music by Bob Dylan)
How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
Yes,'n'how many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
Yes,'n'how many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned?
The answer,my friend,is blowin'in the wind,
The answer is blowin'in the wind.
「風に吹かれて」
いくつの道を歩けば一人前と認められるのだろう
いくつの海を越えれば白いハトは砂の上で安らげるのだろう
何回砲弾が飛び交えば永遠に禁止されるのだろう
友よ、答えは風に吹かれている
答えは風に吹かれている

※スウェーデンアカデミーは、まだボブ・ディラン氏と連絡が取れていないと発表したとの報道です。はて、どういうことでしょう。

 
書くため1013(2016.10.13)
 ノーベル文学賞はボブ・ディラン氏に決まったとのことです。文学一筋という枠を越え、シンガーソングライターにまで、対象が広げられたということです。画期的なことですね。目が覚めました。
 詞とメロディからなる彼のメッセージ性は、通常の文学頭に由来するだけでは描けない、格別なものがあります。こういう選考がなされたということに、書き手の一端にある者としても、賛同するものです。個人的考えに過ぎませんが、歌だからこそ、詞だからこそ、メロディだからこそ、民族を越え、宗教を越え、国を越え、時代を越えて伝えられるのでしょう。
 
(毎日新聞)
 スウェーデン・アカデミーは13日、2016年のノーベル文学賞を米国のシンガーソングライター、ボブ・ディランさん(75)に授与すると発表した。歌手の同賞受賞は初めて。ディランさんは「風に吹かれて」などメッセージ性の高い作品で知られる米音楽界の大御所。授賞理由は「偉大な米国の歌の伝統において新たな詩的表現を創造した」としている。


 
書くため1012(2016.10.12)
 他に期待するのはもちろん、自分も現状をよく把握し、向上せねばなりません。世情がどうこうというのはありますが、まず足元を踏み固め、自分の足でしっかり立たねばなりません。海は「恥を書く場」と位置付けてきましたが、あまりひどい恥を書くには、残された時間を考えると、そうそう甘えてばかりもいられません。
 海には「恥は書く」けれども、「もっと真剣味のある恥を書く」というふうに軌道修正をしなければ、安っぽい恥の垂れ流しで終わることになりましょう。「恥は恥でも、精一杯の力を尽くし、汗を流し、芯からのものによる恥」であらねばならないでしょう。自分の甘えた根性を、少しは「叩き直す場」にもしなければなりません。
 オープンにするということには、それくらいの責任を負わねばならないのだ、とこの数日考え、ようやくこういう考えに至りました。
 その海の次の作品ですが、前第16号の「フューチャーソング『火の山』」とは関係のない話で、「フューチャーソング『火の山』」の「序」と「本文」を繋ぐ作品とはなっていません。これだから、「無節操だ」ということになるのでしょう。
 よって、ここで、秘かに「火の山」の後、つまり「近未来の物語は急ぎ書き継ぐ」ことにする、という一点を書き止めておきたいと思います。


 
書くため1011(2016.10.11)
 三度も四度も見直し、全作家に掌編を送りました。
 全作家第103号が送られてきたので、第103号合評会の出欠と、第16巻短編集への参加の返事を折返し送りました。
 第15巻短編集のベストスリー作品を選ばねばなりません。大方の目安は付けていたので、これも近々送ることになります。
 海作品も真剣に詰めねばなりません。一挙に仕事が湧いてきました。読むべき本も多く残っています。スピードをあげていかねばなりません。
 海作品も現在「恥を書くつもりで出しています」が、できればもう一捻り磨き上げ、他の誌の多くの作品に対抗できるほどの作品に仕上げねばなりません。勿論、これまでそのつもりで向き合ってはきましたが、公にするなら、火傷をしてもし甲斐のあるレベルにまで高める必要があります。懸命の工夫が必要です。


 
書くため1010(2016.10.10)
 一念発起し、全作家の掌編をほぼまとめました。
 二、三度読んで送付する、という予定です。
 海の方も、本腰を入れてかかります。本気にならないと、いけなくなりました。


 
書くため1009(2016.10.09)
 薬のせいでか半分眠りながら、古今著聞集を読みました。もっとも児童書ですし、大きな原典の抽出であり、しかも口語訳ですから、読んだといううちにははいりません。 さわりの部分を体験したとでもいうべきでしょうか。
 しかし、なにも知らないよりはましだろう、という具合に考えております。ところどころに原文を示されているところもありますが、チンプンカンプンで、これだったら概要すらつかめません。自分の参考資料なのだから、まあいいかという気分です。
 しかも、児童書は面白いです。通常書物は全体を通して平板に書かれているのですが、児童書ではエキスの部分を抜き出した上に、そのまたエキスの部分は大きく書かれていたり、色が付けてあったり、字が大きかったりと変化があります。ともかく、読者に伝えようという姿勢が前面に出ています。
 まともに児童書を読む機会が持てなかった身には、「ここから始めよ」とでもいわれているごとく、おさらいをしながら進んで行きます。この時間が私には大切なのかも知れません。あまりにも知らない身には、「ここから始めよ」です。
 馬齢を重ねてきたにも拘わらず、「今からでもいい」「分かるところから始めよ」という指示と時間をいただくのはありがたことですし、また「こういう分かるものを書け」という暗示なのかもしれない、と思うこと大です。


 
書くため1008(2016.10.08)
 皮膚科の待ち時間が長いため(今日は2時間)、図書館で借りた児童向けの本、古今著聞集を半分読みました。なかなか面白く、とても分かり安いものです。
 全作家の掌編にもかかりました。海の作品も整理し、体裁を整えねばなりません。


 
書くため1007(2016.10.07)
 皮膚科の待ち時間が長いため、図書館で借りた児童向けの本、奥の細道を読了しました。児童向けの説明があり、とても分かり安いものです。
 全作家の掌編、海の小説等々、今回は準備が十分ではありません。海の作品は、同人の作品に掛かりきりにならざるを得ないため、2月ほど前には一通り完成させておくのですが、今回は書きっぱなしの小説1遍。さて、本気にならなくては、です。


 
書くため1006(2016.10.06)
 図書館で借りた児童向けの本、方丈記、徒然草などを返却し、奥の細道、里見八犬伝、古今著聞集、平塚らいてふ、アインシュタイン、ホーキングを借りてきました。ホーキングは350頁、アインシュタインは170頁もあり、結構本格的です。
 まあ、古典の方は原文の方を一、二度は読んでいるのですが、児童向けの方がどう分かり安く表記しているものか、そちらの方にも興味があります。

(今日返却した徒然草の第150段を記します)
 芸能を身につけようとする人は、
「じょうずでないうちは、なまじ人に知られたくない。人知れず練習して、じょうずになってから人前にでていくのが、奥ゆかしいことであろう」
 とよくいうようであるが、しかし、このようなことをいう人は一芸もきわめることができない。
 まだまったくの未熟なうちから、じょうずな人にまじって、けなされ、わらわれても、恥ずかしいと思わずに、そしらぬ顔でけいこにはげむことがたいせつである。そういう人は、天分はなくても、それをつづけて歳月をすごしていくうちに、なまじ才能があっても練習にはげまない人よりも、最後には名人とよばれるようになり、その名もかがやかしいものになって、たいそうな名声を得るものである。
 世間で一流と呼ばれる名人、といっても、はじめはへたで評判が悪くても、練習熱心で、その道の規律を守り、謙虚にふるまうならば、やがてはその道の模範となり、多くの人の師となることは、どの道でも同じである。


 
書くため1005(2016.10.05)
 図書館で借りた児童向けの本、日本霊異記から宇治拾遺物語を終え、方丈記、徒然草へと向かっています。病み付きになりますね。
 全作家の掌編など、書かねばならないのですが。


 
書くため1004(2016.10.04)
 図書館で借りた児童向けの本、日本霊異記から宇治拾遺物語に入っています。
 平家物語も太平記も、元は膨大なものだそうで、こうしてエキス版だけで済むものかどうかわかりませんが、必要であれば必要な原書に当たる、ということで納得したつもりになっていましょう。
 わが幼時期に読めなかった本ですから、興味深いものです。


 
書くため1003(2016.10.03)
 図書館で借りた児童向けの本、現在太平記です。方丈記、日本霊異記にも興味があります。児童版といえど、中身はたいしたもの。
 この勢いで、児童書を読破、ということも悪くないですね。


 
書くため1002(2016.10.02)
 図書館で借りた児童向けの本、平家物語を読了、次は太平記に移ります。
 この暑さは堪りません。明日も同じだとか。それより、またまた台風です。


 
書くため1001(2016.10.01)
 図書館で借りた児童向けの本、8冊を返し、新たに5冊を借りてきました。
 平家物語、太平記、日本霊異記、宇治拾遺物語、方丈記などです。
 児童向けの本といっても、中身はしっかり詰まっています。古語を現代文に置き換えるなどして読みやすくしてはありますが、なかなかのもの。
 しばらく、病み付きになりそうです。
※ 上に掲げる本の文庫版は、手持ちにはあるのですが→児童版に惹かれて。 


 
書くため0930(2016.09.30)
 図書館で借りた児童向けの本、これにはまっています。何と分かり安く、感動をもたらしてくれることかということです。
 大人向けの本が何と分かり難く、こ難しいことか。つくづくそう思います。
 書くことは書いても、相手により良く伝わらない、という世界で30年ほどやってきましたから、「分かるように書く」ということは非常に大切なことだ、と今更のごとく思いました。もっとも、「下手にスピードを緩める」ということではありません。


 
書くため0929(2016.09.29)
 図書館で借りた児童向けの本、野口英世を2冊、夏目漱石、西郷隆盛を読みました。こういう本から入ると、頭の硬い身にも解り安いので、これからは当分児童書を借れるだけ借りて、アウトラインを知る(あるいは整理する)ことに頑張ってきたいと思います。それは、夏目漱石なら漱石の本を読むことが筋なのですが、これらの児童書は非常に感覚に訴えてきてくれます。
 わが能力の拙さを、何でもいいから解る方法でつかみ、深めていきたいと思います。児童書には、心躍らせるものがありますし、(少ない経験でしたが)実際そうでした。


書くため0928(2016.09.28)
 やはり間に合わせのメガネでは、目の芯や頭の芯にきます。
 昨日市民図書館で、野口英世、夏目漱石、西郷隆盛、福澤諭吉などの子供向けの本を借り、読むと非常によくわかります。私がこういう粗末な知性の持ち主だということの裏付けでもありますが、「知らなかったことがよくわかる」「知ったつもりでいたことは、殆ど知らなかった」ということがよくわかりました。
 子供向けの本で中身が解るのなら、こちらを利用しない手はありません。伝記、詩などもっとたくさん読み、この方面からアタックするのも悪くない、と思ったことです。とにかく、頭の整理を一番にやるべきことのようです。


 
書くため0927(2016.09.27)
 やはり強すぎるメガネでは、文字が読めません。頭の芯が痛くなってきます。メガネ店で計測する必要があるのでしょう。
 安物のレンズがいけないのかもしれません。レンズが悪いと、これも頭の芯に響きますから。眼科の測定に合わせてみたのですが、メガネ店にはメガネ店の要領があり、合うレンズと合わないレンズの見分けも必要になります。


 
書くため0926(2016.09.26)
 海第17号(通巻第84号)の方に、気持が向いています。海は、思いの外評価をしていただいています。もっとも、書く方のわれわれは真剣至極ですが。
 海の現状は、散文にも、詩文にも人を得て、互いの作品を意識し合うというところにあります。それも、全国レベルで、というところにやり甲斐を覚えます。個々にあっては、どことどう競うということではなく、「現在のベストの作品を『オンリーワン』」として発表し、書き繋いでいくことが大切であろうと思っています。
 その競い合うべき仲間が誌のうちに集っている、というのは本当にありがたいことです。これから約1月の間、提出作品の纏めに入ります。


 
書くため0925(2016.09.25)
 海第17号(通巻第84号)の、直前「締切連絡」をし、ホームページの改訂もしました。
 交流掲示板に、海第一期の主宰織坂さんの詩集「掌景」の紹介をしたこともあり、全体を読ませてもらいました。素晴らしいのです。自選詩集とあるように、織坂さんが若い頃に書いた詩、海時代に書いた詩、海以後に書いた詩という「自選全集」というかたちになっており、織坂という人を知る意味でも恰好の詩集になっています。
 こういう良い詩人が身近にいたのか、と思ったのが偽らざるところです。
 さっそく感想を書き、送ったことです。
 書くことの方は、本当に遅々と進めています。


 
書くため0924(2016.09.24)
 海第17号(通巻第84号)の、直前「締切連絡」をしました。
 書くことの方は、本当に遅々と進めています。


 
書くため0923(2016.09.23)
 書くことの方は、本当に遅々と進めています。


 
書くため0922(2016.09.22)
 書くことの方は、本当に遅々と進めています。
 うまくいかないので、最初から読み返し、リズムをつけてやり直します。


 
書くため0921(2016.09.21)
 書くことの方は、また遅々と進めています。
 全作家の短編集の半分ほどを読みました。良いと思われる作品、今少しと思われる作品、後者が多いのだろうかという感じです。


 
書くため0920(2016.09.20)
 進むことに意義はあるのですが、小休止です。


 
書くため0919(2016.09.19)
 書くことの方は、20枚の当たりを遅々と進んでいます。


 
書くため0918(2016.09.18)
 書くことの方は、遅々と進んでいます。


 
書くため0917(2016.09.17)
 進むことに意義はあるのですが、小休止です。


 
書くため0916(2016.09.16)
 進むことに意義はあるのですが、気力体力が必要です。


 
書くため0915(2016.09.15)
 次なる100枚にかかろうと思い、10枚程度を終えました。
 これがこれ以上繋がりゆくか、当分眠らせておくかは10枚〜20枚あたりで決まります。自分を被っていたネガティブイメージが去ったので、期待したいと思います。
 この道より、「われを」とはいえませんが、進むことに意義ありと考えます。


 
書くため0914(2016.09.14)
 次なる100枚にかかろうと思うのですが、いま一つ波に乗れないまま過ごします。出てこないときは逆立ちしても出ないので、せめて読む方にでもと思わないでもないのですが、このジリジリする無為の時間がどうしても必要になります。
 ま、仕方がないか、と模様を見ることにしました。


 
書くため0913(2016.09.13)
 80数枚の分の人物の名を変え、二段組みにしてみました。もちろん、読み込みはこれからということになります。
 書くことが少しでもできると安心するのですが、一方読むことが疎かになります。体系的なものが身に付いていないのは、前のめりになり過ぎるからでしょう。
 ついでに、HPに詩や句を補い、掲載しました。


 
書くため0912(2016.09.12)
 80数枚の分の人物の名前を変えることにしました。
 1時間半の新幹線の中で浮かんできたものです。


 
書くため0911(2016.09.11)
 休憩です。車中読もうと3冊の本を持って出ましたが、全く読まず仕舞いでした。
 それより、熊本周辺の住宅には多くのブルーシートがかけてあり、しみじみと眺めながら通ったことです。新幹線も、この付近ではスピードを緩めます。


 
書くため0910(2016.09.10)
 80枚の予定分は、80数枚で一応書きとばし、まず1回目の推敲をしました。主人公の名前(女性2人)を、変えたいと思います。
 1度読み直すだけでも疲れるものです。数日置いてからの方がよいかもしれません。


 
書くため0909(2016.09.09)
 80枚の予定分は、80数枚で一応書きとばしましたが、詰めに悩んでいます。何度も見直しをする必要があるでしょう。
 今内容は置いて、一つの作品を成し得たということは嬉しいことです。
 全作家電子図書館を読み、メールを書きました。


 
書くため0908(2016.09.08)
 80枚の予定分は、70数枚で詰めに悩んでいます。
 たくさんのメール交換が必要になり、10通以上のメールを書きました。


 
書くため0907(2016.09.07)
 80枚の予定分は、70数枚で詰めに悩んでいます。


 
書くため0906(2016.09.06)
 80枚の予定分は、70枚あたりを進んでいます。
 夕方、日仏学館の講演に出る予定です。


 
書くため0905(2016.09.05)
 80枚の予定分は、60数枚あたりを進んでいます。
 全作家の掌編集の方は、参加申し込みをしました。


 
書くため0904(2016.09.04)
 80枚の予定分は、50数枚あたりを進んでいます。


 
書くため0903(2016.09.03)
 萩原朔太郎の本が、2冊届きました。これで7冊全部です。
 80枚の予定分は、40数枚あたりを進んでいます。


 
書くため0902(2016.09.02)
 萩原朔太郎の本が、3冊届きました。
 80枚の予定分は、30数枚あたりを進んでいます。


 
書くため0901(2016.09.01)
 萩原朔太郎の本7冊を注文し、少しずつ届いています。
 書く方に中心を移し、できれば80枚ぐらいにまとめたいと思っています。


 
書くため0831(2016.08.31)
 書く、読むは休みにしました。


 
書くため0830(2016.08.30)
 20枚の投稿も、一気に済ませました。
 会合を予定していますので、明るい内に出かけます。


 
書くため0829(2016.08.29)
 20枚と、80枚程度になる予定の散文をやっています。
 ときどきは、句や詩も取り入れねばならないかな、と思います。
 絶対文感の後半と、おばけを読み感想を送りました。
 読む方では、目の前に宮沢賢治、柳田国男、萩原朔太郎、中原中也、正岡子規、宮本輝、村田喜代子、三浦哲郎、三浦清宏、深沢七郎、松本清張といった傾向はバラバラの作家の文庫本を目の高さに置き、いつでも取り出せるようにしています。それに、名句集というものもよく手に取ります。
 この頃は読んでもなかなか頭に入りませんが、いつでもどんなときでも読めるようにすることで、能力不足を補おうと思っています。
 書くことでは、最近辞書を読む機会がふえました。
 

 
書くため0828(2016.08.28)
 1日遅れたペースで照葉樹全体を読み、簡単な感想を送りました。
 また、絶対文感を3日遅れで読み(全て読み切れていません)、取り敢えず中途までの感想を送りました。今回から、内容が濃く長くなっており、ただ読ませてもらうというスタイルになってしまいました。
 鹿屋でのヒプノの予約をさせてもらいました。これは治療ということになります。


 
書くため0827(2016.08.27)
 スケジュールが混んできたため、詩と、小説60枚に見切りをつけ投稿しました。
 照葉樹の読みに入りましたが、1作のみというわけにはいかず、全体を読むことにしています。ということで、取りかかりが1日遅れた恰好です。


 
書くため0826(2016.08.26)
 何とも訳のわからない名前、岸田林三なる者が俳句でデビューしました。
 一日、詩と60枚の作品の仕上げで、かなり悩みました。


 
書くため0825(2016.08.25)
 この暑さの中、60枚の作品の見直し、詩作品の見直しをしています。
 宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読み直しています。


 
書くため0824(2016.08.24)
 この暑さの中、詩と眞實、千年樹、ざいんが相次いで届きます。いずれも充実した内容で、私のように弱気な発行者はおられませんし、いずこも運営体制がしっかりしていると見ました。
 発行者の人間性故でしょうか。多くの同人が慕い、集うというのは。


 
書くため0823(2016.08.23)
 村田沙耶香「タダイマトビラ」を読み終えました。何作か続けて読んだためか、この現実世界の方が架空の世界ではないかと思えてしまいます。
 小説にはこういう力があるのだと感心するとともに、自分の世界がねじれてしまった感もあります。これは私が元々感じてきた世界ですから、見事に描き出した作者の姿勢と力量と表現に、少なからずショックを受けました。


 
書くため0822(2016.08.22)
 村田沙耶香「殺人出産」には驚かされました。続いて、「タダイマトビラ」、「しろいろの街の、その骨の体温の」にかかります。
 これほど常識と非常識が反対になり、あるいはぐちゃぐちゃになった作品を読んだことがありません。まず「荒唐無稽」と言いたいところですが、よくもこう掬い上げられてきたものだと感心します。
 語りっぷりにいささかの怯みもありませんから、ここまで堂々と語られると、古い秩序の中にいる大家たちも、あっけにとられたのではないでしょうか。
 私には好きな作品であり、作風ですが、こうなると「時間、道義、感性」などをどう落ち着かせていけばよいのか、かなりとまどうことではありますが。


 
書くため0821(2016.08.21)
 村田沙耶香「殺人出産」(短編を含む)を読み、常識と思っていたものがひっくり返されてしまいました。こういうふうに書けば文芸作品たり得るのか、と思いました。
 私たちがへっぴり腰で書くと「実験小説」だの、「荒唐無稽」だのと言われかねませんが、「自信を持って書く」ということがまことに大切なのだ、と思わされました。


 
書くため0820(2016.08.20)
 60枚のものなど含め、ただいま休憩中です。
 村田沙耶香「殺人出産」を読んでいます。


 
書くため0819(2016.08.19)
 60枚のものはまだ推敲中です。村田沙耶香の「殺人出産」中途まで読んでいます。


 
書くため0818(2016.08.18)
 60枚のものは推敲中です。20枚の方も、何とかしなければなりません。
 村田喜代子、村田沙耶香に衝撃を受けています。


 
書くため0817(2016.08.17)
 30枚の作品を提出しました。60枚のものは推敲中です。
 パソコンのデータ削除作業の間、村田沙耶香の作品を読みました。


 
書くため0816(2016.08.16)
 60枚の作品と、30枚の作品を修正しています。


 
書くため0815(2016.08.15)
 60枚の作品を修正しています。ものがたりを作り、キャラが立つようにするには、簡単なことでは成りません。
 あと、30枚と20枚の作品にもかかる予定です。


 
書くため0814(2016.08.14)
 村田沙耶香の「コンビニ人間」(第155回芥川賞受賞)を読みました。幼少時から「常識を知らない変人扱い」されていた主人公は、なんとも奇妙な「世界の部品」として生きることに、生きがいを見出します。
 この「常識世界」とのズレを丹念に書く中に、「異物を排除する正常さの暴力」をあぶり出すという、コンビニ人間の話。読後に残る不思議な明るさに、惹かれました。
※ 村田沙耶香の作品は、「消滅世界」「殺人出産」を既に持っています。 

(選評の中から)
 奥泉光氏
 人は誰しも自分の言葉を喋り、自らの欲望に従って行動しているように見えて、じつはほかの誰かの言葉や欲望を模倣しているにすぎない−と、このあたりの事情は数多の思索家によって論究されてきたわけだけれど、本作はこの人間世界の実相を、世間の常識から外れた怪物的人物を主人公に据えることで、鮮やかに、分かりやすく、かつ可笑しく描き出した。人物造形も面白く、まるで実力を欠きながら世間をひたすら呪詛するダメ男などは秀逸で、このダメ男を主人公があえて自宅に住まわせるあたりの展開は、唖然として笑いつつ、主人公の世界からの孤立ぶりには慄然とさせられる。傑作と呼んでよいと思います。
 山田詠美氏
 コンビニという小さな箱とその周辺。そんなタイニーワールドを描いただけなのに、この作品には小説のおもしろさのすべてが、ぎゅっと凝縮されて詰まっている。十数年選考委員をやって来たが、候補作を読んで笑ったのは初めて。そして、その笑いは何とも味わい深いアイロニーを含む。


 
書くため0813(2016.08.13)
 わが50枚の作品の修正をしています。よれよれながら1回終わりましたので、この雰囲気から攻めてみたいと、考えています。
 全作家短編集、文藝春秋も読まねばなりません。


 
書くため0812(2016.08.12)
 わが50枚の作品の修正をしています。これという決め手がないか、考えています。


 
書くため0811(2016.08.11)
 わが50枚の作品の修正をしています。


 
書くため0810(2016.08.10)
 全作家短編集第15巻が届きました。全部で29作品、330頁という手頃な感じ。表紙絵も今号は会員の加藤氏の作品を用い、親しみが感じられます。
第13巻は37作品で421頁、第14巻は35作品で483頁と分厚かったのですが、今号ももう少し薄くてもいいのかな。もう少し安くてもいいのではないかな、と感じました。


 
書くため0809(2016.08.09)
 わが50枚の作品の修正をしています。


 
書くため0808(2016.08.08)
 村田喜代子「焼野まで」の再読中止、海のホームページなどの整理をしました。


 
書くため0807(2016.08.07)
 村田喜代子「焼野まで」を再読中です。


 
書くため0806(2016.08.06)
 村田喜代子の「焼野まで」を読み終えましたが、興味深く、再読をしています。
 ちなみに帯には、次のようにあります。こういう作品が書けたらと思うのですが、なかなか簡単にはいきません。中途で、感嘆の声をあげたままです。
【大震災直後、至急ガンを告知された。火山灰の降り積もる地で、放射線宿酔のなかにガン友達の声、祖母・大叔母が表れる。
 体内のガン細胞から広大な宇宙まで、3.11の災厄と病の狭間で、比類ない感性がとらえた魂の変容。前人未踏の異色作】


 
書くため0805(2016.08.05)
 村田喜代子の「焼野まで」を読んでいます。鹿児島の桜島の爆発、東北大震災の惨状と放射能汚染の情景を背景に、(自らと思われる)主人公が子宮癌の放射線治療に鹿児島まで出向いた話です。
 癌患者の奇妙に明るい交流、手術、抗癌剤、放射線療法、はては鍼(鍼師自身が癌体験者)や温泉まで交え、人間模様を描いて行きます。
 私が好きなのは、火山の噴火の様、マグマの様、放射線の被曝、原発、超大数のこと、種子島のロケット打ち上げ、地球を俯瞰する視点での描写など、単純な文学という範疇を超えた作品で、命の真ん中に切り込み、さすがに読ませてくれます。


 
書くため0804(2016.08.04)
 村田喜代子の「縦横無尽の文章レッスン」を読みました。氏の文章への接し方は前作「名文を書かない文章講座」にもあるように、「文章というものは、『文章の芸』から進み、もっと広い言葉の世界で書かれている」ことを知る、ということにあります。
 それは、小学生の作文に、インターネットの質問に回答した世界の学者たちの愉快で皮肉な文章例だとか。100年を超えて変わらぬルーマー・ゴッデンの〈魂の挿話〉の紹介もあれば、生命科学者の理系に珍しい情感溢れる文章や、劇作家や画家の前衛的、ラジカルな文章もあります。
 がむしゃらにただ書いても、我流が身に付くだけで他人には通用しないとし、世にはどんな優れた文章があるか、それはどんなふうに優れているか、理解する力がなければ、自分の狭い文章世界に閉じこもることになる。優れた本は無限にあり、何をどう読むか、それが最大の問題である、ということです。
 良い文章を書くためには、文章に対する感度を育てることが最優先になるということで、「読んで、味わって、自分も書く」という、結局〈文章に王道はない〉ということに帰結してしまいます。
 なかでも〈わたしが〉、心に残った部分は「文芸、科学、芸術と一所にとどまらず、どこに飛んで行くかわからない、その疾走、脱線感覚も味わってほしい」という点です。
 また、「たぶん文章を書く上で最も重要であるのは、『自分の癖を知る』ということであろう。癖というのは我流である。自己流で、悪癖で、これは個性とは違う」とあり、「文章を書くということは、自分以外から文章の指摘を受けるということでもある。読んでもらい、注意を受け、誤りを正される。けなされる。つまり、文章を書き続けることは、永遠に指摘を受け続ける、あるいは誤りを正され続け、けなされ続けるということかもしれない。それほど、文章を書くということは難しい。だからこそ、編集、校閲、校正という作業があるのである。他人に注意されるのが嫌なら、自分で完璧な原稿を出せればいいが、それは殆ど不可能だと私は思っている。ならば注意を受けてあらためることができるように、自分の気持ちの持ち方を変えるしかない」とあります。
 さらに「良い文章は、いわゆる上手な文章とは別物だ。それは人の心に響き入り込んでくる力をもっている。そんな文章は、勉強すればいつでも自由自在に書けるというものではない。それはたまたま作者の思いと、狙いと、個性や性分などと、文章力が思いがけない合体の仕方で功を奏したときにできる。とすれば良い文章が書けたときは、自分の全人格と幸福に快哉を叫べばいい。うまくできなかったときでも、自分の人格を損なうものではない。注意されても傷つくことはいらないのだ。指摘を受けた箇所を正し、できる限りの書き直しをする。それでいい。文章は自分の充実のために書くもので、自分のもう一つの実現のために書くものである」とあります。(原文に同じではありません)


 
書くため0803(2016.08.03)
 散文30枚を見直してみました。まだまだ、です。


 
書くため0802(2016.08.02)
 今日は、俳句は止しにしましょう。
 書き掛けの散文が甘くて、焦点が絞れずにいます。そんなことどうでもいいや、と言いたいところですが、文の道は厳しいのですね。
 たいていのところで止めることにはなりますが、期限までは「一行、一句」に拘りながら何度も何度も読み込み、書き込みをします。


 
書くため0801(2016.08.01)
 「瀧落ちて群青世界とどろけり」(水原秋桜子)といきたい気分です。
 こう暑くては、なかなかそうもいきません。ともあれ、当面は書き掛けの散文に挑戦することにしました。


 
書くため0731(2016.07.31)
 この暑さは堪えます。外の気に触れただけで、萎えてしまいます。
 「念力のゆるめば死ぬる大暑かな」(村上鬼城)、はまさに今を活写していますね。


 
書くため0730(2016.07.30)
 会議です。合評会も含まれています。気分が張り詰めている中なので、たいへん疲れます。やれやれです。お世話を担当される方は、本当に御苦労様です。


 
書くため0729(2016.07.29)
 文芸とは、何でしょう。考えれば考えるほどわからなくなります。
 生きるという中において(その以前、以後のことも含まれましょうが)、自分に関わること、自分に問われること、自分が発すべき何かを、「並列に並べる」ということではなく、「芸ですから、諸々を昇華させ、表すもの」とでもいいましょうか。
 もっとも、自分だけに関わることというのは間違いで、生きとし生けるものを始め森羅万象に及ぶこと、とした方がいいのかもしれません。よくわかっていません。


 
書くため0728(2016.07.28)
 これまでお付き合いさせていただいた中で、ある特定の職種の方は「顕示欲が強く」、やはり「自慢の場」ととらえておられたようで、ときどき困る仕儀に至りました。
 文芸とは普通、「自分をさらけ出し、至らないところも、悪いところも表現する」のが常で、これを「やりませんか」と言っても、こういう「恥ずかしいことはしたくない」ということで、避けて行かれることが多いものです。もっとも、「作品の筋立てや登場人物」に実際のことは書かない(ノンフィクションという事実を追うジャンルは、別にあるのですが)もので、文芸に身を置くという人は、早く言えば「世間の感覚では計り難い、生まれ付きの特別なバランスの持ち主」とでも言うほかはないでしょう。
 勿論、書くことで生活している「職業作家」となれば別の話ですが、同人誌の人たちの殆どは、功を求めることは少ない(できないということがわかっている)と言えますが、その逆に真剣さの度合いは、余計に強いのではないでしょうか。


 
書くため0727(2016.07.27)
 全作家の冊子(102号)を読んでいます。
 かなり厭いたので、電子書庫を覗き、メモ書きをしました。
 作品というもの、なんとも難しいものだと改めて思うことです。


 
書くため0726(2016.07.26)
 西日本詩時評に、笹原さんの「痛み」が紹介されました。「今具合が悪いから、今回はパスさせてください」とのところに、「一作でもなんとか」と頼んだ手前心配していました。実際、この詩文のとおりだと心配ですが、以前聞いた本人の声は暗くはなかったので、お願いしたことでした。
 評文には、「痛みと不即不離の和みが、夏椿の花のように匂っています」とあります。また、「だが降る日嵐の日もあれば、晴れの日もあるのです」ともあります。


 
書くため0725(2016.07.25)
 二つの医者に通ったもので、やはり疲れたのでしょう。読んでいた本も放り出し、ひっくり返っていたら浅い眠りに入り、なにか懸命に考えているようでしたが、寝ている間のことです、他愛もありません。
 夕方になり、Microsoft関係から3通のメール(WIN10アップ関係)が入り、説明や報告をしていたら、かなりの時間を費やしてしまいました。パソコンは難しい。ましてや、専門用語の羅列になると、意味がよくわからないものです。
 もっとも、海のフォーマットでは、難しいことは何一つやっておりませんが。


 
書くため0724(2016.07.24)
 書く方には一向に進まず、お礼状を2通、某図書館から寄贈依頼のあったバックナンバーの海を探し、レターパック2通で送りました。
 こういう依頼が舞い込んだりするのは有り難いことですが、誌が手元に少なくなっていると、こちらも心配になってきます。残っている号は10数冊もあるかと思えば、少ない号は自分用の2冊しかないものもあります。
 特に、創刊号が一番少なく、これ以上寄贈依頼があれば、送付出来ないこともあり、手元の予備(ではなく保存用)がこうですから、心細い限りです。


 
書くため0723(2016.07.23)
 最近ストレスが続いたからか、歯が痛くなり、目が霞むようになりました。多少は風邪気味のせいかもしれません。
 現在かかっている歯科医の方が代替わりのせいか、新たな方針を打ち立てようとしているのか、診療中にもかかわらず、技工士等への叱責がくどいほどなされるので、居心地が悪くなっていました。他の医院はないかと探してみたら、よさそうな医院を見付けたので、その段階で歯の痛みが薄れた感じです。
 視力の落ちが激しいため、眼科にも行かねばなりません。


 
書くため0722(2016.07.22)
 同人誌については、福岡地区の基盤を早く固め、機能的に整えたいという思いでしたが、拙速だったようです。文芸同人誌ですから、多様な個性の集合体です。なかなか機能的にまとめ上げるというのは難しく、第一期でも叶わないことでした。
 という経緯を経て、当分多人数を呼び込むという方向には向かわず、現在の少人数のそれぞれが出来る範囲の力を発揮する、ということで向き合わねばならなようです。
 何も、どこかの誌と競っている訳でもありませんから、肩の力を抜いてやって行くより他にはなさそうです。
 そうそう、昨日注文した中古パソコンが、早くも届きました。今度はWIN10に乗っ取られないように注意せねばなりません。 


 
書くため0721(2016.07.21)
 同人誌についての場外戦は止めにします。
 伝わらないことを、どんなに提案しても始まらない訳です。
 深く文学に精通し、能力があれど、それなりの表現をしないことにはどうにもなりません。全体が見渡せないところでは、明日のこともよくは見えません。
 第一、こちらがパソコン作業の話を一緒に持ち込んだから、話がこんがらがっているのでしょうけれど、こちらが今提案しているのは、作品の問題というより、作品をどうより良く「印刷・製本」に持って行くかという技術の話をしているのであり、これを「検閲」とか「事前統制」とかいうふうに取られると、まるで違う話になります。
 しかし、話は戻り、「発表すれば終わり」というのは作品についていかにも淡泊な考えだと思えます。発表した作品であれ、まだまだ工夫し、生かす余地はある筈です。本来はそこまで切り込むことにしたかったのですが、そのことは諦めました。
 ということで、誌を当面どうするかという話になりますが、「もの言えぬ人」の道を安易に絶やさないのが務めだと思うところです。冊子のことでは、変わらないということがいかに大切なことであるか、ということになりますので。ただ、「新規入会を待つ」の冊子等での記述は縮小していく方向にしなければならないのかもしれません。
 それにしても、第16号が成る前から、今年はいろいろなことがあり過ぎです。しばらく、誌のことを離れ、他のことに気持を向けましょう。


 
書くため0720(2016.07.20)
 パソコンの不具合がイライラを募らせてくれます。
 何故か、粗読みも先読みも、変な方向に解釈がなされようとしているみたいで、これも困ったことです。事前検閲などとは考えもせず、説明もしていないし、そう取られるのだとしたら、理解に苦しむところです。ココログの方は、「希望者があるのなら」という条件を付けたところですが、どこかに飛んでしまいました。
 まして、作品にケチなどつけやしないし、レベルアップを目指すのでもなく、最後の仕上げの段階で「かなりの誤記があります」=「作品はまだ未完成のままです」という現実を告げ、複数の目で見たらどうかという技術的な提案をしたものですが、全然別の方向に走り出した感があります。
 こうなると、同人が同人の作品に手を付けずには成り立たない現在の「印刷用割付」=「フォーマット」を行うことに、日頃から当方も抵抗を覚えながらやっている訳ですが…、ここは困りましたね。
 誰かが、どこかで、割付=フォーマットをしないことには、印刷には進めません。理想と現実のギャップではありますが。まあ、誌を残さねばという運営上の思い(持つ必要もないことでしょうが…一応)からくることでもあり、やはりミクロからマクロまでは一緒にはやれないな、と実感するところです。
 殆どミクロの作業を専門にしている者が、「たいていのところでいいではないですか」というこれまでわが得意としてきた決め台詞を、忘れてしまっています。
 もっとも、後者の方に舵を切り替えることにしなければなりませんが。


 
書くため0719(2016.07.19)
 海の交流掲示板に、ワードやPDFを掲載することができるココログブログを用いようと試みましたが、用いる理由を「先読み希望があった場合の原稿掲載」に当てようとしたため、かなり否定的な意見が寄せられており、断念せざるを得ないだろうという流れにあります。私の勘違いか、それを必要とした人はもう海にいないのか、「先読み希望」の要望がかつてあったと思うのですが、逆の意外な展開にこちらが驚かされています。
 私も「先読み」というのは望まないので、「ナシ」で構いませんが、どこかで編集の問題ともリンクしており、編集となると「全体の面倒を見る」「全体に目配りする」という姿勢が必要になります。ここが機能しないのであれば、先行きがかなり不安です。
 まあ、なるようになることでしょう。かなりショックではありますが。
 第155回芥川賞と直木賞が決まったとのことです。

(WEBから)
 第155回芥川龍之介賞(以下、芥川賞)と直木三十五賞(以下、直木賞)が19日、発表され、芥川賞は村田沙耶香(むらた・さやか)さんの「コンビニ人間」(文學界6月号)、直木賞は荻原浩(おぎわら・ひろし)さんの「海の見える理髪店」(集英社)が受賞した。
 荻原さんは、1956年6月30日生まれ、埼玉県出身。成城大学経済学部卒業。広告制作会社勤務、フリーのコピーライターを経て、97年「オロロ畑でつかまえて」で第10回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2004年刊「明日の記憶」で第18回山本周五郎賞受賞。05年刊「あの日にドライブ」で第134回直木賞候補。06年刊「四度目の氷河期」で第136回直木賞候補。08年刊「愛しの座敷わらし」で第139回直木賞候補。10年刊「砂の王国」で第144回直木賞候補。14年刊「二千七百の夏と冬」で第5回山田風太郎賞受賞。直木賞候補は今回が5度目。
 村田さんは、1979年8月14日生まれ、千葉県出身。玉川大学文学部芸術文化コース卒。2003年「授乳」で第46回群像新人文学賞優秀作を受賞してデビュー。08年に出版した「ギンイロノウタ」で第31回野間文芸新人賞、12年刊の「しろいろの街の、その骨の体温の」で第26回三島由紀夫賞を受賞。芥川賞は初ノミネート。


 
書くため0718(2016.07.18)
 昨夜、ココログというところが「ワードやPDF」を載せることが出来るということで、入会申し込みをしました。そこでテストバージョンの「umiのブログ」を設けてみました。シンプルに、しかも目立たないようにという趣向です。
 これが出来れば、原稿の掲載が出来るので、もし原稿の段階で読んでもらいたい人が1人でもあるとしたら、その仕掛けは設けねば筋が通りません。誰でもが「自己責任で作品を書く」という謳い文句はまことに綺麗ですが、この道も独りよがりの道に通じてしまうかもしれません。何もかも、同じ形やリズムに揃えるというやり方は好まないのですが、誌として考えるなら、道は「広く作って」おかねばならないのだと思います。例え、通る人がなくとも。それが、合評会も開かないことの「お詫び」でもあります。
 編集者という者がいなくなれば、作品はどう転がるか解らないものだと思います。もっとも、編集者が変な方向に転がすことになるのかもしれませんが。
 それらもありますが、はたまた編集作業人の目だけでは見えないものを見てくれる目がほしい、ということの方が目下の切実な希望ではありますが。


 書くため0717(2016.07.17)
 宮本輝の短編集を2冊読みました。でも、いざ書くとなるとこう上手にはいかないでしょう。30数年前、まず氏の短編をむさぼり読んだものです。
 それ以前に、小説と名の付くものを読まなかった訳ではありません。しかし、氏の「幻の光」をめぐって、当時の講師と意見の食い違いがあったため、この作品に思い入れが強く残っています。「見えない人の心」を探るという内容であり、人が消えて行くということの不思議や意味を思い、奥能登の自然の描写に魂を揺さぶられたものです。
 全て読んだ本ですが、書棚の湿気で傷んでいるため、「幻の光」「五千回の生死」「川三部作」「錦繍」「星々の悲しみ」を改めて注文し、村田喜代子「焼野まで」を合わせて注文しました。これから朔太郎を読みます。朔太郎、中也、啄木、秀句集が、初心に返るべきときにいつも読む本です。古い趣味なのかも知れませんが。


 
書くため0716(2016.07.16)
 このところ、かなり迷いの中にあります。
 俳句はきちんとやります。詩も書きます。小説は、原点回帰となりましょう。解らない範囲にまで手を広げ、余計な混乱をしているようです。原点の一等最初は、まず宮本輝の短編です。読み返してみて、もっと深く読みたくなりました。もう一点は、村田喜代子です。読み返してみたいと思います。
 その他、読むべき作品は多くありますが、今一度「忘我の物語」へと回帰してみたいと思います。そこから再度出発です。松本清張、深沢七郎等々からやり直しです。
 できないことはできない。では、できそうなところから…。


 
書くため0715(2016.07.15)
 俳句をまた始めることにしました。最近、頭の中だけでものごとを処理するふうになっており、日常の細部まで見逃さない俳句をまたやってみることにしました。
 約40年前に投句をしたり、2つの結社誌に入っていましたが、最近では海第二期を始めるに際し、埋め草用にまとめて作ったものです。これも7年前になります。
 どんな句が詠めるか、楽しみになってきました。


 
書くため0714(2016.07.14)
 俳句にも励みたいと思います。短詩型は、難しいものです。
 私自身、なにが得意かと問われても答えようはないのですが、散文より短詩型の方に気持が多く入り込みます。(作品の良し悪しは抜きにして)
 しかし、宮本輝の初期作品に込めた「
忘我である。感動である。陶酔である。知的探究心とか、観念への埋没とかの欲求は、芸術の発生においては二次的なものであった。その一次的なものと二次的なものがすりかわったのが現代という歴史の持つ毒である」ということばを聞くとき、小説作品はここを忘れてはならないと思うものです。


 
書くため0713(2016.07.13)
 俳句や詩をまとめて作っていたのは、かなり前になります。定型句となると、7年ぐらい前になってしまいます。句に嵌まると、気分が落ち着いたものでした。
 今、散文の方で少々揺らぎ気味です。同人誌に発表できる句は残っていないかと確かめてみましたが、好きな句は殆どが発表済みなのです。これから作るというのもいいのかもしれない、と思い返したことです。
 自分の息継ぎには、句や詩の方が合っているのかもしれないと思います。もっとも、句も、詩も、小説も、これという作品は書いていないのですが。


 
書くため0712(2016.07.12)
 こういう煮詰まったときは、私には古典などありません。宮本輝氏の「幻の光」を読みます。読めば、今でも震えがきます。良いとか悪いとかを通り越したもの。それに触れます。短い作品であるのに、わが原点がそこにあります。評価が高いとか高くないとかは、どうでもいいのです。作者の、緻密な細部への心くばりの行き届いた作品(大河内昭爾氏)という表現に、不思議なほど一致するのです。
 一遍でもいいです。戻るべきところがあり、救われます。


 
書くため0711(2016.07.11)
 メールばかり送受信していました。なかなか、新たな作品の方に向かえません。
 もう少し、日にちが必要なのでしょうか。


 
書くため0710(2016.07.10)
 海第16号についての、幾つかの感想をいただきました。よくも真剣に読んでいただけるものだ、と申し訳なくもありがたく思います。
 良いという点だけではなく、疑問点、問題点等も書いてくださること、これはまことにありがたく思いますし、書くのに遠慮されたのだろうと思うことです。読んでいただくということは、先方への負担も強いますから、ここも人間関係であるのでしょう。読み、そして書き、という労を取ってくださったことに対し、感謝あるのみです。


 
書くため0709(2016.07.09)
 初めて、小説道場というところに参加させてもらいました。皆さん真剣で、こうやってやれば、粗原稿の段階で、自分の作品がどう読まれるのかを知ることが出来ます。
 そう考えれば、切磋琢磨するために、作品を磨くために、大切な役割を果たすことになるであろうということになります。
 少々疲れ気味です。慣れないシステムなので疲れたのもありますが、30年前の文芸教室以来のことですから、精神的に疲れたということも出来ます。


 
書くため0708(2016.07.08)
 海第16号の作品(井本氏、中野氏)が、かなり大きくネットで取り上げられます。
 加えて、海の編集のことにも多少は及びますから、嬉しいところです。
 わが作品、これは本当に腰を据えて臨まねばなりません。良い作品を読むことで、ようやくそこが解ってきたことです。これまでの作品が良くないとは言いませんが、内部に文学の裏打ちのある作品には脱帽です。と、わがどこを探しても、そういう蓄積がないことに気付かされます。しかし、ここで泣きを入れても始まりません。
 気が付いたときからでも、始めるしかないのですから。見えない者は、見えないなりの工夫が必要ですし、なんとか対応せねばなりません。


 
書くため0707(2016.07.07)
 気持がどうしてもパソコンの方に向かってしまいます。どうして、サーバが何度もダウンするのだろうと。
 せっかく、昨日読んだ大作の印象が薄れなければいいのですが。
 海の作品への感想は、少しずつ寄せられています。今号は、笹原さんの「痛み」(詩作品)に対するコメントを多くいただいています。


 
書くため0706(2016.07.06)
 パソコンのトラブルの方が一応目処がついた感じですので、道場の原稿をしっかり読むことにします。最初、長いなと思っていたのが、なかなかの作品で、新鮮な気持ちです。どこの世界も広いし、こうでなければ、という決め付けはいけないと思うことです。
 わが作品の方は、人物設定まではしたものの、今熟成中というところです。


 
書くため0705(2016.07.05)
 パソコンのトラブルに気を取られながら、「道場」の原稿を読みます。原稿を読むのか、パソコンのトラブルに向き合うのか気を散らしながら、原稿を読みます。
 最初はあまり入っていけなかったのですが、長編2篇にかかったら「えっ」という気になりました。こうして、文章を紡いでいる人がやはりいるのだ、海だけが世界ではない、という気分で襟を正しています。世間の賞罰や、売れるの売れないのとは相関がないのかもしれませんが、真摯に向かう作品には感動します。


 
書くため0704(2016.07.04)
 わがパソコンの「ホームページ」が接続・転送できないので、fc2にも尋ねてみましたが解決しません。7月2日から急に駄目になったのです。
 心当たりは何もありませんが、WINDOWS UPDATEがひょっとしたら関わっているのではないだろうかと思わないでもありません。突然です。あるいは、わがホームページのどこかが都合が悪いという目を付けられ、アップが出来なくなったのかもしれません。
 何をしていても、こういうことが気持に引っ掛かるものです。
(付記)
 ペン会費20,000円を払う。


 
書くため0703(2016.07.03)
 わがパソコントラブルを抱えながら、道場の作品を読まねばならず、その長いことに驚かされています。なんともしまらない、というところです。


 
書くため0702(2016.07.02)
 わが作品は、30枚あたりで止まっています。登場人物もまずまず、表現もまずまずですが、「葛藤がない。何かを抉ろうとする目標が見えていない」ということで、そのまま止まっています。「ものがたり、もののあはれ、ものごごろ」には、まだ近付きそうにありません。よって、こんなときはしばらく放っておきます。
 物語が立ち上がってくるのを待ちます。登場人物に息を吹き込み、しばらく待ちます。彼らが、彼ら同士で絡み合い、諍いを起こし、道行きが見えてくるまでです。
 そのときが必ず来る筈です。息を吹きかけられた人物は、今眠い目をこすりながら、起き上がりつつあります。きっと、起き上がると信じることにします。


 
書くため0701(2016.07.01)
 海の方のフォーマットなどを最終的に確認、必要な差し替えなどを行いました。
 これから書くべき作品の目安を決め、取りかかりました。この気分に早く入らないと、書けるものも書けません。
 道場の資料が届きます。結構長いものが多いですね。 


 
書くため0630(2016.06.30)
 今日もまた海とお付き合いです。というのは、大切な「第6回富士正晴同人誌賞」にノミネートしなければなりません。まず、応募用紙というものを埋め、冊子2冊ということを確かめ、スマートレターに入れました。
 傍のポストに入れればそれで済むのですが、それはそれ、大切な応募資料ですから太宰府郵便局まで行き、窓口で手渡しで送りました。後のことまでは考えませんので、ともかく出すことだけは出した、ということで今日はよしとしましょう。
 うむ、ところで次の作品はどうする、と内なる声が囁きます。


 
書くため0629(2016.06.29)
 海第17号からのフォーマットのことで整理をし、ホームページなどを書き直しました。意外に手間取りました。
 わが作品もどうにかしなければ、と思うのですが、なかなかこちらに戻れない状況です。そろそろその気分に入らねば、と思うことです。なにしろ、こちらが本業ですから。


 
書くため0628(2016.06.28)
 海第17号からのフォーマット・レイアウト・冊子中の体裁について相談するため、花書院社長を訪ねました。
 こういう微妙なことは、当方がいくら頭を悩ませても解決する話しではないので、それこそ専門家にお尋ねするしかありません。花書院の方では、当方が問題にしているところがたちどころに解られ、当然とは思えども感心し、安堵したことです。


 
書くため0627(2016.06.27)
 海のレイアウトの件で、明日花書院社長にお会いします。他誌の状況を見ているうちに、これしかないという方向はないのだと思われてきました。空間を多く用いている誌もあれば、誌面いっぱいに文字を埋めている誌もあります。
 言うなれば、「みんな違って、みんないい」でしょう。出来るだけ固まらない方向で相談に臨みたいと思います。ただ、どの誌も世知辛い世の中、「文字を多く並べるという方向にある」「限られた経費での製作」をの方が多いのではないだろうか、という感です。なんと言っても、問題は中身ですから。ただ、見やすくするということは大事です。
 読書人口が増えてはいない中、商業誌は商業誌の理念があるように、同人誌には同人誌の理念があり、これを生かすこと。ここではないでしょうか。


 
書くため0626(2016.06.26)
 海の編集というか、レイアウトの問題になります。たまたま今日の交流掲示板に紹介しておりますように、海の編集はどのように行われているのだろうとの記事です。
 私も、第一期の間は委員等とはまるで無関係で、第二期からいきなり編集(そのうち会計も。役目半分ぐらいですが、総括も)を始めることになったのですが、編集が何をしているのか海の同人にも、恐らく説明は出来ないだろうと思われます。
 オーバーに言えば、年中海に関わっている、とは言い過ぎかもしれませんが。
 しかし、10人程度の誌が発行を行うには、経費がまるでありません。よって、委員の方々にはボランティアをお願いしている訳です。その私が、「ここまでやるのか」(やれていないのですが)とは正直思うことです。
 印刷・製本に至るには、どこかの過程で「電子化・フォーマット・割付」という作業が必要なのです。海の場合は、各自が原稿を紙に貼り付けることから始め、2代か3代ほど前の編集担当者がパソコン編集を始めたのだと思います。その実態は、私など傍にいても(傍にはいなかったのですが)、その編集者が何をやっているのかまるで知らなかったのです。
 ところが、実際やってみて、これは在職中よりヒドイ(というのは、電子情報の扱いが、専門的でわからないから)状態です。悪いのは、分担が出来ないから「なお悪い」というのが偽らざるところです。電子情報の世界は勝手に進んで行くのに、自慢じゃありませんが機器の扱いには不慣れときています。しかし、受けたからには調べ上げてでもやらねばなりません。「27字×25行で原稿を作成してください」などということは、現在でも必要はないことです。私がもっとITの基礎を積んだものであれば、もう少しは心配せずともよいし、それで済む訳です。「400字詰めで作成してください」でもOKな訳です。
 一方で、というより執筆側に回り、自分が何頁ぐらい書いているのか計る意味もあり、またその字数で書いてみた感覚を知った方がいいので、私の発案で始めたところです。実際はこのように組みますよ、というのが主たる意味です。
 この編集という不慣れな仕事はかなりのプレッシャーで、とはいえ、出来上がった冊子は「50万円かけて作成したものも」「現在の手仕事で作成したものも」同等に見られてしまう訳ですから、手抜きはできません。号を重ねる毎に、慎重になってきます。
 会計がいつか加わり、主宰役までが加わってきました。本来なら、1人がこれら全てをやるということはあってはならない(チェックが出来ない)ことですし、無理な相談です。フォーマットや、一字一句の心配をしながら、会費の納入具合の心配をし、重要事項の伝達をする。トラブルに対応する。こう書くと簡単なことではないかと思われるでしょうが、ミクロからマクロまでをこなすというのはなかなか困難です。どちらかに偏って、どちらかを見誤るということはあり得ることです。まあ、こんなところで急場を凌いでいるのですから、多くのお目こぼしをいただいていることだと思われます。
 ところで、今号の「文字が見づらい、文字が詰まり過ぎている」という問題があるようです。これらは、「行間の問題、紙の色の問題」等ではないだろうかと考えるところです。多くの他誌の状態を見てみるに、ポイントが小さすぎる訳ではなく、文字を鮮明に見せるための工夫について考えているところです。
 多くの誌が「9PT」を使用し、どうかすると「30字×25行」とか「28字×27行」とかもありますが、文字は鮮明に出ているようです。


 
書くため0625(2016.06.25)
 第6回富士正晴全国同人雑誌賞募集要項、北九州文学協会文学賞募集要項などが届きました。なかなかオフにならない台所です。
 交流掲示板が少々動き始めました。積極的に交流に努めていただきたいものです。
 詩と眞實と龍舌闌などに、礼状を出しました。


 
書くため0624(2016.06.24)
 海のフォーマットの検討やり直しです。27字×25行は変えず、余白を微修正することで、考えてみたいと思います。ということは、また「9.5ポイントに戻す」ことになるのでしょうか。当方は、多くの他誌の傾向をみて考えたものですが。
 意地を張っても仕方がないので、可能なことは試してみたいと思います。


 
書くため0623(2016.06.23)
 海第16号についての感想などが、寄せられ始めています。今はハガキ等でのものが多いのですが、要点をホームページにアップしました。今後、順次加えていく予定です。
 一方、編集がよろしくないという意見も寄せられているそうです。どういう言い分かわからないのですが、行間や余白を変えるということで、かなり見やすくするということはあり得ても、中身が先の話ですから。「良いといえば良い」「悪いといえば悪い」という話にしか落ち行かないのですから、「悪い」という意見をタテに、「こんな面倒で、バカ臭いことをやってられるか」という反論はいつでもやりますよ。
 とまあ、せっかくうまく行っているのを一部の「アナログ派」が「言えばどうにでもなる」とでもお考えかもしれませんが、作業は「デジタルで」「いつか、誰かが行う仕組みになっている」ということを理解いただけないなら、話になりません。
 かたちは、タイプライターの時代もあったのですから、文芸書なら、極論すれば「文字を間違いなく入れる」ことが先でしょう。その他、なんなのでしょうか。
 九州の「詩と眞實」は剛健で、26字×27行という大量の文字の頁が悠然としており、「龍舌闌」からは「ともに頑張りましょう」という励ましをいただいたばかりですが。


 
書くため0622(2016.06.22)
 今回の「北緯31度」に行けなかった不手際を、橋さんは「インシュアッラー」と表現していただき、感謝以外の言葉は見付かりません。改めて、「ありがとうございました」と申し上げます。
 これを機に、橋さんの方がより技量を磨こうと言われるなど、もったいないお言葉です。私こそ、もう少し学びの時間が必要であるとの啓示であろうと、しみじみと考えているところです。


 
書くため0621(2016.06.21)
 数年に1度という記録的な豪雨の影響で、22日からお邪魔する予定だった「北緯31度」行きは中止とせざるを得なくなりました。18時40分、熊本と鹿児島中央との間の新幹線が運転中止となっています。
 連絡の行き違いで、「お邪魔します」との連絡が、刻々状況が悪くなり、先方から「時期を改めませんか」という携帯への連絡が来ていたのに気付かず、午後の天気模様、19時の天気模様に見入ったものでした。かなり状況がよくないので、取り敢えずの意見交換をと思い携帯を開いたら、午前中のうちに連絡が来ていました。
 予報では、あまりにも悲観的な豪雨への警戒情報ばかりが流されます。無理は禁物だし、先方にも迷惑を掛けるという判断が、半日も遅れてしまいました。


 
書くため0620(2016.06.20)
 海の会計報告を作りました、と、過去形にならないのは、急いで作ったわけでもないのに、表現のミス(古くからの分の未修正分)などあり、差し替え資料を作ってみたものの、掲示板にきちんと載ってくれないのです。しかたがないので、正誤文を掲示板に書き込む羽目に。今号は同人費を少し上げさせてもらった分、2号前程度の繰越が出来るという、思わぬことになりました。(数字は間違っていない筈です)
 とにかく、会計報告は難渋します。通帳のコピーがうまくいかないのです。いつも、こういう些事とも思えることに頭を悩まされます。
 第16号自体は、フォントを小さくし1頁の内容を増やしたこと、頁数を少なくしたこと、厚みを減らしたこと、掲載の数に少々制限をしたこと等々で、手頃な恰好の冊子になったのではないだろうかと思うものです。
 ただし、内容は「熱いものになった」という思いがあります。特に、小説、詩、エッセイは緊張感のあるものが生まれ、内容の度合いを競い合うという良い意味での競争が生まれつつある、という感があります。
(付記)
 芥川賞候補作品などの発表がありました。予想どおりの選択です。


 
書くため0619(2016.06.19)
 海第16号が到着したという連絡が入ります。電話やメールでと、有り難いことです。ひょっとしたら、入会希望だったのかもしれない電話もありましたが、用件は切り出さないままというのもありました。
 鹿児島方面は大雨だということです。鹿屋の方はいかがでしょう。


 
書くため0618(2016.06.18)
 海第16号が到着したという連絡が入ります。
 苫小牧の高岡氏とは殆どの方は会えずにいまして、会ってみたいという声があるのでその旨を伝えたら、せめてものということでしょう、写真が送られてきましたので、交流掲示板に掲載させてもらいました。交流掲示板はこういう場面にも使えるのですね。
 新たな編集委員の中野氏のことを連絡し、交流掲示板にも掲載しました。
 本拠地を福岡に置く海にあって、「海ではなにが行われているのか」を知っていただき、先に繋いでいかねばならないという意味合いもあり、お願いしたことです。


 
書くため0617(2016.06.17)
 海第16号が到着したという連絡などが、数件入ってきました。
 私の方も「少々堅苦しい冊子になったのかもしれない」と思っていましたが、見慣れてくるうち、「これはこれでいいのかもしれない」という気になってきました。
 新たな委員の方の紹介は、明日にしようと思います。
 鹿屋のことを昨夜詰め、問い合わせたら「いいだろう」とのこと、安心しました。


 
書くため0616(2016.06.16)
 海第16号が到着したという連絡や、一部の作品を読んだとの感想が早くも届きます。その度に、背筋が伸びます。どういう内容であれ、敏感に反応します。
 1の号を出したという安堵もありますが、「アソコ」「アノ点」という反省事項が見付かっているからでもあります。出版を前にした時期には気付かなかった一点に気付いたり、こうすべきであったのではないかという課題を自ら発見したりするものです。
 これからは、多くの方々から厳しい指摘をいただいたり、ときには励ましをいただいたりしながら、次に繋ぐということを考えていきたいと思っております。
 今日までに委員の意見をいただくことにしていた、新たな委員の方に加わっていただく件については、意見等はなく了承していただきました。この件は、明日になり、連絡等に移らせていただきたいと思います。


 
書くため0615(2016.06.15)
 印刷・製本料及びクロネコ便送料の支払いをしました。近く、会計報告へと進むことにしたいと思います。
 福岡地区での委員をお願いしていた件で、返事をいただき、関係者に照会しています。受けてもらえると、一人での判断に迷うときの相談や、発送などの作業に加わってもらえることも、おおいに期待するところです。
 どうしても一人になりがちな電子情報を用いての作業ですから、勘違いなどに気付かないことを防いだり、作業を共同で行ったりと、…というより、この作業を誰かに監視してもらい、先々どこかで生かしてもらえるようにしておかねばという気持の方が、先にきます。私が引き継いだとき、「零から出発」したのでしたから。


 
書くため0614(2016.06.14)
 昨日の作業の疲れで、伸びています。精神的なもの、肉体的なもの。
 休養日です。


 
書くため0613(2016.06.13)
 海第16号の発送です。2時に花書院到着。112通を、1冊、2冊、3冊〜4冊、それ以上という具合に分けて封入です。小さな送付文も入れます。
 同人あてのはそれぞれ送付冊数が異なりますから、確認しつつ入れます。
 井本、中野氏が来てくれたので、手分けして作業をすることができ、助かりました。それでも、作業が終わったのは17時。やはり3時間は切れないものです。
 その後、懇親会に行ったので、帰り着いたのは22時は過ぎていた筈。で、こういうとき、自転車はよくありません。平衡を失い2度転びそうになりました。多分そのときでしょう、胸のポケットに入れていた眼鏡が落ちたとみえ、ないのです。自転車で戻ってきた道を探しに行きましたが、見付かりません。眼鏡が自分の身代わりになったのだろうと、自粛せねばならないことを思いました。
 その後でホームページを発信。届いていたメールに返信し、終わったのが2時30分です。やけに疲れた日です。
 海第16号の方です。やっぱり、詰まり過ぎなのかなあ、という印象です。まあ、見慣れてくると、印象も変わってくるかも知れませんが。 


 
書くため0612(2016.06.12)
 発送の準備を大方済ませたので、ホームページの中身を新たにしました。各号の作品、原稿・冊子作成要領、編集のあれこれ、Q&A、新規加入者のための海説明、海の理念など、今回は全般にわたります。
 明日の発送を待って、更新とする予定です。


 
書くため0611(2016.06.11)
 海第16号発送のための、資料のプリントアウトをしました。宛名ラベルが少なくなっていますので、補充しておく必要があります。
 100を越える図書館、他誌、メディア、個人等と、同人メンバーに正確に送付しなければなりません。送付時には、先の展望をも含め、多くのことを一気に果たさねばなりません。なんとか、うまくいくようにと願います。


 
書くため0610(2016.06.10)
 海第16号の発送準備を、詰めの段階まで進めました。まず送付先確認(今号から10数通の変更あり)、送付状の確認、原稿・冊子作成要領の確認ときて、あとは各資料の打ち出しになります。送付状、宛名ラベル等々です。
 今回はPCがらみのことがあり、時間とお金を使いました。特に、Office2013へのアップで、ファイルの扱いを調整、関連してOutlookのメール読み込み、Excelの調整等々に苦心しました。まだ使えるOffice2007を外すのにも、結構苦労させられました。
 問題はpdfにまで飛び、かなりPCに関する扱いの訓練をしたことにもなります。
 花書院からの連絡によると、4冊をまとめてDM便に入れることができるということで、それに合わせて準備をするになります。


 
書くため0608(2016.06.09)
 海の発送の準備です。送付文書、宛名確認です。
 Office 2013には後刻談があります。うまく行きだしたので、Office 2007をアンインストールしたのです。すると、Wordは数秒で立ち上がるようになり、これで決まった、と思ったのです。が、以前作っていたExcelが動かないではありませんか。
 これには、海の送付先リストなどを入れていたため、(ここで焦って)またOffice 2007をインストールしたことです。と、今度はWordがダメになり、またアンインストールをという羽目になりました。(ますます焦ります)
 次はどうなったかというと、これまで作ったWordがワードパッドになったり、規定のプログラムの定義がなんとか…、と出ます。ここで約3時間経過。
 しかたがないから、Office 2013の修復を!!。ここで0時となる。もうなるようになれ、とまずExcelを開けば「新しいなんとか…」というメッセージは出るけど、なんと開けるのです。次にWordも回復。メールも回復…というところで止まりました。汗…です。
 こうやって、泣かされながら、かつての「字数も行数も狂っているよ」という問題のところも確認できたし、添付ファイルの「右クリック→コピー→貼り付け」という手順も覚えた訳です。ともかく、すごい熱波に見舞われた日でした。


 
書くため0608(2016.06.08)
 Outlook 2013にとりかかろうと、2007からエクスポートし、インポートまではスムーズに運びました。やれやれと、以前のメールを開き、添付ファイルを開こうとしました。ところが、開けないのです。メールの画面のままに開こうとすると、なんとか開いたものの、これまで苦心したフォーマットの影も形もありません。
 ああこれか、と以前フォーマットが崩れているという問い合わせが相次いだのは、このブログ状態に開かれた状態を指すのか、と初めて見た訳です。「保護ビュー」とかの注釈があり、「ウィルスの危険があるからこの状態を保て」とあります。しかし、これではフォーマットの内容が見えません。焦りました。
 ようよう、「表示」「文書の編集」ときて、フォーマットの形が見えましたが、出来るのはそこまでです。ならば、「名前を付けて保存」という首尾になるのは当然のことですが、これがまた「プログラムにコマンドを送信しているときに、エラーが発生しました」ときます。ファイルが取り出せないなら、「原稿提出→フォーマット作成→校正」という手順に進めないではないか、と焦り何度繰り返しても埒が明きません。
 上水氏に電話。氏もOutlook 2013は持たないから調べてみないと、というところでこちらも調べに入りました。「Officeのヘルプ」を読むこと1時間、「添付資料を右クリック→コピー→貼り付け」とあります。言われてみれば「なんだそんなことか」、という類のことです。旧バージョンでは「名前を付けて保存」というやり方が通常のことかと思っていたら、内容としては同じことながら、少しだけ手順が違う(違わない?)のです。ちゃんと「名前を付けて保存」というメニューがありながら。
 そこで文句をいっても始まらないのですが、「配置を変え」「ちょっとした手順を変え」というやり方に「嫌味だな」という感じが過ぎりましたが、当初の予定どおり、「印刷のためのフォーマットが作れる」という確認をしたことです。


 
書くため0607(2016.06.07)
 海の送付状作成、送付先確定、同人あての原稿・冊子作成要領の作成をしました。以降は、宛名ラベル作成等々になります。
 Office2013も稼働し始めたことで、後はOutlookの移行作業を残しています。こちらの方も、慎重に取り組まねばなりません。 
 辞退の申し出をした全作家の方、結局飲むことになりました。


 
書くため0606(2016.06.06)
 さて、Microsoft2013を購入し、インストールしました。
 まだ細かい取り扱いはわかりませんが、Wordがワードパッドに化けた原因は、Wordの読み込みの具合の綾にあるのかもしれない、と今考えているところです。
 もっとも、Office2007も2013も、現在Microsoftのサポート対象期間内であるのですから、いずれの使用も間違いではないのですが、2013からは拡張子docに変換するのがやや難しいのでは、と感じるものです。ましてやPC同士のファイル交換では、こういう現象が希に起こるのかもしれない、とインストールした今は、感じないではありません。
 つまり、今回は両者ともが間違いなどではない、ということがいえるのではないかと。要は、連絡を密にとり合う関係が出来ているかの問題であると。
 今回Microsoftに3年ぶりに関係してみて、同社の対応の不親切さには、いらだちを感じました。読んでも調べても、なんとも判然としないので電話をいれるのですが、担当でないからとたらい回しをされ、結局1時間30分かけても担当者は応対中だとかで、対応してもらえませんでした。
 Microsoftさん、「どうしてこう頻繁にソフトの中身を変え」、「新たなOSや、ソフトを買わねばならなようにするのですか」と恨みごとも言いたくなることです。
 海第16号の、印刷所での校正を終えました。


 
書くため0605(2016.06.05)
 南風忌に出ました。北川晃二氏を偲ぶ会です。会場は、薬院のREAD CAFEです。
 季刊午前の同人を中心に、照葉樹、KORN、海の同人が集うかたちになりました。こういう集まりに出ると、海では得られない話が出来、日頃の逼塞感がやや飛んだかたちになりました。温かい会でした。
 若い方もおられ、懐かしい方にもお目に掛かり、心が癒やされた一日でした。


 
書くため0604(2016.06.04)
 印刷所でのゲラ校正を6日に控え、明日は南風忌です。雨模様でずい分気温が下がってきましたので、外に出ないことが多い最近、出ることが億劫になりました。
 わがPCは能力に問題はあるかもしれませんが、NEC直販の機種(ノート)です。3年目に入ったばかりで、今が最高に安定しています。印刷用フォーマット(割付案)の作成がないのなら、ソフトの更新もまだ先でいいのですが、不具合を少しでも未然に防ぐためという名目で、Office2013の購入注文をしました。また諸々のセットアップに時間をとられることになるのでしょうか。


 
書くため0603(2016.06.03)
 印刷所でのゲラ校正を6日に行い、そこで印刷上がりの予定を確認し、次は発送準備、発送、会計報告と続きます。この間、結局宙ぶらりんのままです。
 次号の原稿・冊子作成要領も仕上げ、送付の準備をしなければなりません。考えてみれば、7年前まではこういう書類は受けるだけだったのです。作成する側の工夫や意図など考慮せず、関係分だけ読んでいたものでした。立場が変わって始めて、歴代の担当者それぞれの疲れ切った顔が、「そうだったのか」と浮かんできます。
 明日にでも、Office2013を注文し、わが方も条件を多少アップし、整備したいと思います。PCの能力アップの方(買い換え)までには首が回りませんので、工夫しつついきたいと思います。印刷割付フォーマットや原稿受付の労力や能力のことを考えないでよいのであれば、ずい分楽な気分になれるのですが。


 
書くため0602(2016.06.02)
 海と同規模の誌に、原稿の出し方、印刷用フォーマットの作り方、校正の依頼の仕方など、参考のために尋ねてみました。
 海と全く同じという訳ではありませんが、「自前で」印刷用フォーマットを作り、校正依頼をし、印刷に回すという手法は同じです。より小規模の誌なども、同じ手法を用いているところが多いのではないだろうか、と思われます。
 確かに「自前で」「印刷用フォーマットを作り」「校正依頼をする」という作業には、「任せた」「任せられた」という信頼関係がなければ、まるで機能しないことです。
 この作業そのものを専門家にお願いするのは、誌の編集担当者としても助かることなのですが、多くの経費が必要になります。よって、例えば30人規模の構成員で、約20人は執筆しないという誌であれば一人当たりの経費は少なくて済みそうですが、海の場合は、現在の同人費の2倍程度を出さねばならない、ということに落ち着きそうです。
 海の現在の10人程度の構成員が冊子を作るには、「データを扱うことが嫌だ」ということは、現実的には言えないということになります。印刷に向かうということそのものが、どこかの過程で「データによる印刷用フォーマット」をこしらえないことには、印刷に入れない時代になっているからです。データでのやり取りは「よろしくない」「再考せよ」「ペーパーに戻せ」という今回の声には、心情は分かっても頷けない今日的事由があります。
 選択は2つに1つです。印刷所に作業を依頼するだけの経費を出すか、出さないかです。後者である海の場合は、自前でデータ化する以外に手はないとみました。
 さらに、データには「オチや、零れや、化け、ズレ」などの不具合がどうしても伴うもののようです。そのための「本人による確認・校正」であるのです。そのあたりを理解し、構成員相互がカバーし合えなければ、ことは進まないことと考えます。通常の同人誌は複数の同人のためにあるのですから、合意がなされたことに協力が得られないということでは、全体の「進みを止める」という働きを生むということになります。
 よって、どうしても合意になじめない場合は、「一人誌」を設けるという方法もありますし、自費出版をして「著書」を作る方向に進むという道もありましょう。
(付記)
 全作家からの連絡があった件、辞退の申し出をしました。


 
書くため0601(2016.06.01)
 Microsoftの説明を読んでも、よく分からないことだらけです。
 Office2016にすべきか、2013に止めるか。それにWindows10の問題が絡んで、さらにクラウドとかの言葉も出て、いったいどこに向かうべきぞ、という有様です。
 自分のデータだけならまだしも、他のデータを預かっているので、大胆な変更をすることに怖さがあります。周辺機器との接続は、メールデータは、などと考えているとこんがらがってきて、焦点がしぼれません。
 ソフトウェアからして、パッケージ形式でもプロダクトキーのみとなり、ダウンロード形式に移行している途上なのでしょうか。Officeだったら2016が最適のようですが、これはダウンロード形式で4万円近くします。
 中途でどこが分からないのかが分からなくなり、こんなときはしばらく時間をおいた方がよいのでは、と考えます。なにより、今の状態で安定しているところですから。
 職を離れると、ちょっとしたことなどを聞く環境にないので、前に進むことにとても億劫になってしまいます。それに、普段は殆ど一太郎を使っているので、Microsoftのソフトに馴染んでいず、これは在職中がまさにそうでしたから悩むところです。


 
書くため0531(2016.05.31)
 手元から、海の原稿が移りました。後は印刷・製本の専門家に行程を委ねます。
 海の場合、第一期の当初から、「完全原稿に近い段階まで仕上げ」印刷に回すというやり方をとってきました。それを引き継いだので当然のスタイルかと思っていたら、他誌は原稿に手に加える(印刷フォーマットにする)段階から、専門家に業務を依頼するところが多いのですね。それはそれで、編集の関わり方が異なることになりますが、海や小規模氏や個人誌などは「海方式」を採らざるを得ないのかもしれません。
 結局は「経費の問題」です。「経費を少なくしよう」というところには、人間関係が密で、信頼関係がないことには成り立たないことだ、とようやく分かりました。
 大規模誌は同人が「フォーマット・割付をする」という作業はない筈ですが、構成員が多ければ掲載される機会もなかなか巡ってこない、とも聞き及ぶことです。
 いずれの手法を採るにしても、印刷・製本は専門家に依頼する訳ですから、出来上がり具合に殆ど差はない筈です。
 海の30年の伝統のままにやってきていますが、「同人が同人の作品をフォーマットする=いうならば、加工する=技術的なお願いをする=目障りになるか、ならないか」ということに帰すことだと思うことです。このあたりは、当分経過を見ながら行かざるを得ないと思われ、あまりにも問題があるようだと検討せざるを得ないことになるのかもしれません。しかし、昨年12月「当面はこの方法で行う」ということになりましたので、経緯を見守るということで進むことは間違ってはいないことだと思われます。
 ともかく、「個々の同人費に関わることであり」、「これまでどおり経費を少なくしたい」というところには、昨年12月から危惧してはいましたが、また別の問題が潜んでいるということにほかなりません。
 さて、現行のソフトでなんら問題はないのですが、この機にMicrosoft officeのバージョンのアップのことを考えたいと思います。勿論、わが機のソフトですからわが責任で行わねばなりませんが、この2〜3年のうちに、CD-ROM方式から変わり、この媒体のない「プロダクトキーのみ」などといういくつかの方式の中から選択をしなければならず、なかなか決心が付きかね、この方面に明るい上水氏に尋ねているところです…。


 
書くため0530(2016.05.30)
 海第16号の印刷所への原稿持ち込みを、行ってきました。
 今回は、ここまで至ることがとても長く感じられました。しかし、第16号はこれだけの深みのある原稿が集まっています。寝た切りの方の原稿も集まっています。
 どうしても、出さねばならないのです。今回は自分史を書いた方が少なく、自己PRもない。本当に、やむにやまれない気持が原稿になった例が多いのです。
 同人誌は、一概には言えませんが、自己を自慢するためのものではありません。むしろ、自分の至らない点、人間として未熟な点、恥ずべき点など、もはや祈るしかない点などをさらけ出し、自分の心を自分で確かめる場ですから。


 
書くため0529(2016.05.29)
 今回は思いがけない事故のため、原稿作成に細心の注意を払ってきた海第16号の印刷所への原稿持ち込みを、明日行うことにし、連絡しました。
 今回ほど一字一句に注意を払ったことはないのですが、それで最善のものが出来るということではありません。問題は、内容です。
 細かく読み通しましたが、「責任を持って送り出せるのではないか」という気を、強く持つことができています。内容はそれぞれが「個性を発揮」するもので、これまでになく面白いものになりそうです。いわゆる、自分史を描いた作品が今回は少なく、旺盛なチャレンジ精神が伝わってくる作品が揃いました。


 
書くため0528(2016.05.28)
 海第16号の原稿の最終読み込み作業は、まずまずの状態で進んでいます。内容も、納得できるものだと思われます。
 ただ、1頁当たりの字数と行数を増やしたため、読み込む内容が増えたな、と実感します。ボリュームが多い、ということで少々重たい気がします。
 原稿・冊子等作成要領の書きチラシを上水氏に送ったところ、氏の丁寧な性格どおりに、綺麗な仕上がりのものを拵えてもらいました。うーん、氏が福岡にいてくれたら、編集トラブルなどなくて済んだだろう、と思うところです。


 
書くため0527(2016.05.27)
 委員に回付し、戻ってきた資料を元に、最終の読み込み作業を行っています。
 今回はくだんのことなどの後であり、細心の注意を払い、読み直しを行い、誤字・誤記等のデータ修正をします。
 そのためには、前後の意味等も理解し、キチンとした読み込みをする必要があります。ということで、二重、三重の対応をしています。冊子内容の出来具合は、なかなかの手応えを感じながら進めています。


 
書くため0526(2016.05.26)
 委員に回付していた海の原稿(プリントアウトしたもの)が戻ってきましたので、最終の読み込みに入りました。
 その前、わがPCにケチがついた恰好になっているので、ウイルスソフトを入れ替え、2度の完全スキャンを丸一日かけて行いました。その結果、ウイルス等の被害は一切なく、既存ファイルも通常の状態で扱える(だろう)ということを確認しました。
 Windows10のアップデートの関係では、わが子供のPCが昨晩希望もしないのにアップになり、その結果不具合が出る、と言っています。いきなり中身が切り替えられる今回のマイクロソフトの手法、これは無茶ではありませんか。
 そう言っていたら、わがアップデートの「推奨」の中に、そのくだんのデータが入り込もうとしています。このPCはWin10対応ではないのに、おかまいなしです。進入しようとするデータを消した(もう何回になるのか)のですが、これがいつまた現れるやらわからないという代物。これは、誰でもが回避処理出来るとは限らないのに、です。


 
書くため0525(2016.05.25)
 あのショックで、私のワードのdocx文書全てがワードパッドに書き換えられたのですが、今(多分)元に戻っただろうと思われるので、先に進むことにしました。
 やらねばならないことが、滞ってしまいました。送付先リストの確認・見直し、宛名ラベル作成、送付文案作成、次号原稿・冊子作成要領作成、等々多くあります。今回の事故を未然に防ぐための事項を盛り込まねばならず、考慮しなければなりません。
 といいつつ、委員確認が終えて資料が戻ってきたら、それらのデータを正し、全体を最終的に読み返します。表紙、内容、海の諸連絡、諸資料、あとがきまで入れた原稿を回付しているところですが、今一度「頭を空っぽにして、最後のチェック」を行い、そこまで済むと印刷・製本発注という段取りになります。
 その後、印刷所での校正。冊子があがったら送付となり、あとは会計処理というところまでスムーズに進めたいものです。冊子送付の際には、次号作成のイメージを固め、文書にして送付する、というところまできて1号のスケジュールを終えます。もっとも、その後にも問い合わせや、評価や、臨時送本、受贈誌、礼状送付等々があり、年中休まるときはないのですが。まあ、ともかく、私も一執筆者ですから、書けるときには書き溜めて置かねばなりません。
 ところで、今回のPCトラブル、これはわが方はWindows10対応機種ではないと確認し、勝手に入って来る「アップデートの中に紛れ込んだデータを数度削除」したから、Windows10自動改変にはならないで済んでいるものの、これは実に始末の悪いやり方だと思うのですが、いかがなものでしょうか。
 今回のわがPCの問題も、ひょっとして原因はここに…?。

(BBCニュース)
 パソコン基本ソフト(OS)ウィンドウズのアップグレードを利用者に促すポップアップ・ボックスの仕様について、マイクロソフトを批判する声が上がっている。ウィンドウズ10への更新を推奨するポップアップ右上の赤い「x」をクリックすると、ボックスが閉じるのではなく、更新手続きが始まるからだ。
 赤い「x」をクリックするとポップアップは閉じるのが、これまで通常だった。それだけに、ウィンドウズ利用者の間に混乱が広まっている。
 マイクロソフトによると、アップグレード開始時間を知らせるポップアップが開くので、そこでアップデートをキャンセルできる。
 ポップアップ・ボックスの仕様が変わったのは、このアップグレードが「推奨」に分類されており、今では多くの利用者がセキュリティー対策として「推奨」更新を受け入れるようパソコンを設定しているからだだ。つまり、ポップアップを不要扱いしても更新を不要扱いしたことにはならない。
 ウエブサイト「PCワールド」の編集者、ブラッド・チャコスさんは「汚いトリック」だと批判する。「こういう汚いトリックは、長年のウィンドウズ・ユーザーを怒らせるだけだ。おなじみで大好きなOSを使い続けるだけの理由がある人たちなのだから」とチャコスさんは書いた。
 マイクロソフトは、「ウィンドウズ10への無料アップグレード特典が7月29日に期限切れとなるので、ウィンドウズの最良バージョンへのアップグレードを手助けしたい」と説明している。
「10月に情報共有したように、『推奨』アップグレード受け入れを設定しているウィンドウズ7と8.1の利用者に、ウィンドウズ10を提供する。ウィンドウズ10の更新を受けるか拒否するか、利用者は選ぶことができる」


 
書くため0524(2016.05.24)
 くだんの「古いPCだからではないですか」と告げられた声が耳に残っており、「互換性はあり、今も正常に動いているPCメール」のプロパティの中を初めて変更してみたところ、作成済みの手持ちのWORDファイルが一時開かなくなりました。焦ります。WORDが開けなければ、その他の方々から寄せられた大切な原稿がダメになります。実に焦ります。それはもう、方々手を尽くし、数時間後の未明まで。
 Q&AからCドライブにトライするという処置をして、無事に元の状態に戻ったからよかったものの、考えさせられました。「瑕疵はない」などというのではなく、「互いに世話になったり、世話を掛けたりしながらやっている」と思いやることではないでしょうか。同志で成る同人誌を成り立たせるための要件は、ここにあるのではないでしょうか。
 一方で、今号は良い出来ではないか、という声も寄せられたりしています。


 
書くため0523(2016.05.23)
 ようやく自分の作品(海に出した分)の確認に入れます。読んだのはおよそ1か月前で、今見直すと具体的な地名など、これはどうかしないといけません。
 名前も変えねば、と1か月ぶりに読み返すと、根本的な点で配慮が足りていない、と思い当たるという始末です。他の方の原稿の細かいところばかり見てきたことで、得るものも多くありますが、わが作品をアップさせるなどという芸当は持ちません。
 わがPCのWord2007へのdocx文書の取り入れも出来るだろう、というふうに今は調整をしたつもりです。これまで1度も出会ったことのない「ワードパッド」というものが次にきたとしても、今後は多分対応出来るのではなかろうかと思います。
 この間(魔)というものを感じ、考えます。思いもよらない方向に、望みもしない方向に動いたのは、いったいなぜだろうと考えます。理屈ではない、どこからか流れくる念派のせいではないだろうか、などと考えざるを得ないエアーポケットでした。
 とにかく、多くのことが、複雑なことが一挙にきますから、「焦るな」「落ち着け」と言い聞かせても、元々弱い判断力が鈍ってしまうのでしょう…。しかしこれらは、全て意味のあることだと思います。意味を汲み取り、強く生かさねばなりません。


 
書くため0522(2016.05.22)
 花書院から、データの送受信にはプリントアウトした資料が欠かせない、というアドバイスをいただきました。これは、郵送でデータを受理する場合は実行していることで、今回のような第三者が介在する場合には、殊更必要なことだということでした。
 言い訳は無用です。プリントアウトしたデータがあれば、今回の事故は起きなかったことであり、二つを付き合わせれば、矛盾がその場で分かったからです。どうしてこの方法を用いなかったかといえば、過去15回が無事故だったことで、過信していたのです。まさかこんなことが、ということは情報処理の現場では常に可能性として起こり得ることらしく、そういう知恵があればと、今回のことが情けない限りです。それに、後は相互信頼を築くことが大切である、と身に染みて感じられました。
 わがパソコンがファイルに対応し得なかったことは、自分の他のメールに転送しても否でしたから、パソコンに問題があるのでしょう。やはり、あの時点の自分ではああするしかなかったのだろうか…と悔やまれます。
 情報化ということを声高く叫ぶものではありませんが、印刷に出すということは、自ずと電子情報の波を被るということですから、多くを慎重に学び、その前に、人間関係の信頼を得ねばならないということです。


 
書くため0521(2016.05.21)
 海の原稿が、手元を離れました。以降は委員の誤字・脱字等の確認を得て、花書院に印刷・製本の依頼をすることになります。
 今回は、特に反省事項があります。海の同人は「平等、同等、仲間である」というキャッチフレーズで進んできましたが、今回の事例=「そんなものは認めない。自分は同等ではない」という趣旨の主張には果たして対抗できるのか、という問題が残ります。問うたのは、「何故海の約束ごとに協力してくれないのですか」「どうして、海のメンバーを貶めることを言うのですか」という二点でした。
 昨年12月の編集委員会の際心配していたことが、的中しました。「同等である筈のメンバーが、どうして協力方の依頼をし、割付作業などを行うのか」という点です。
 ここには、決して同等ではない要素が含まれており、ましてや「自分は大物だ」「売れる書き手だ」と主張する向きのメンバーが現れれば、対抗することが難しいことです。ひいては、勝手流でやられるから、作業がスムーズに進みません。かつて、「海を壊す気ですか」と何度か誰何したものです。などと自己批判をしてみたものの、これをやっていた日には、海の流れは止まってしまう、という思いが去来しました。
 決して対決したり、声を荒げたりすることは好みませんが、求めたファイルが入らず、そのファイルを展開したがために既存ファイルまでもが書き換えられ、寸秒を争って作業をしている中で、適切な対処方法を取り得なかった、という苦いものもあります。こういう経緯で、最後は厳しく対処せざるを得なかったことを残念に思います。
 要は、経費の問題に帰るのかも知れません。海の伝統である「経費を少なく」という方針は、「人の上に人を置かざるを得ない」という見かけのかたちを作り、誤解を生むことになるのかもしれません。しかし、今、自分がこの論法の中に入り込んでしまえば、直ちに海は行き詰まるかも知れません。海の現行の方法、これを当面強い気持で推進することなしには、先行きが見えないことになり行くのではないかと思いますから。
 元々、「経費を少なく」という姿勢に無理があるのかも知れませんね。


 
書くため0520(2016.05.20)
 夜半に目覚めて、送られて来た先の「Office オープン XML ドキュメント (.docx)」とはいったいなんだろうと思い、いろいろ検索をしてみましたが「これが、難しい」のです。かなり情報処理に詳しい人なら分かるのかもしれないと、到着したメール、ファイル、経緯等々を書き出し、専門家に尋ねています…。
 こんな添付資料(最初はウィルスが入ったかと思った)が届き、後で調べてみれば、わが多くのファイルまでがワードパッドに書き換えられているのです。これは驚きましたね。中身の一つ一つは確かめている間がないのですが、もし具合が悪くなっていたら、それこそ「法的措置を取らねば」と言いたくなります。
 なにも妙なことを言っている訳ではなく、「自身の原稿は、自身で管理してください」「あるいは、もっと進めて、自分で原稿を作ってください」と言っているのは、受け取る側ではチェックできないのですから。
 それに、海のHPでは、見出しの「原稿サンプル」や「原稿・冊子作成要領」に入ると、ここにも「原稿サンプル」を示しています。
 念のため、他誌や応募要項などにも目を通してみました。そこには、ワードであれば「ワードの原稿を送ってください」としか書いてありません。もっとも、応募の場合は、変なソフトは受け取らないだけで済みますから。
 同じことでしょう。どこに応募するにも、同人誌に出すにも、自身が責任を持たないで内容の分からない第三者の誰が、是非を言うことができますか。「自分はペンでしか書かない」という主張の方は、同人誌だと5割増し料金となります。ここは、自費出版の道がありますね。その方向へ進んでいただくと、立派な著書が誕生するということになり、自身の業績にもなります。
 かねがね、自身の原稿は完璧だと聞かされていたら、通常の文字が入っていれば、「これは違うのではないですか」と言い出すなんて、あり得ないですね。
 気を遣う方は、自身の原稿のプリントアウトしたものを添えて来られます。そう言えば、私もその方法を取っています。相手にどう届くか、これは私の場合は私の責任だと思って、慎重に扱っています。
 勉強になりました。相手を思いやる気持、これこそ大切なものです。


 
書くため0519(2016.05.19)
 元々docxのファイルの読み込みは可能なのに、あのメールを開いた途端にワードパッドに変わり、わがPCの殆どのデータがワードパッドに変わってしまいました。
 これでは支障が出ます。どうした加減でワードパッドに変わったのか、理由は分かりませんが、検索をしてみるとそうなることもあり得るらしいです。
 エライ大変なことです。一日掛かりで対応し、やっとワードに戻すことが出来たのだろうかな、と思います。しかし、くだんのワードパッドはそのままです。ルビなど出て来る訳もないし、とんだことです。
 第16号の頁付けなどを行いました。申し出により13頁減(1頁の余白分をさらに加え、計14頁減となる)をしましたが、これもたいへん面倒な作業のやり直しです。
「拙稿の割りつけ作業、ありがとうございました。訂正の箇所はありません」という校正終了の手紙が来るかと思えば、いったい何のクレームぞ、という訳の分からないことが起きたりします。まあ。今の世紀らしいなというべき、ことなのでしょう。「色即是空」也、と思うばかりです。「自分には落度はない」などと、聖書など読めば、言える者はいない筈のところが、今の世にはまかり通っているようです。
 しかし、今回のことで、原稿依頼の際のおおまかな参考にはなりました。


 
書くため0518(2016.05.18)
 大方の原稿は見えてきた、などと書いたらとんだ事件発生。
 まあ、これは忙しい中での事件というものですが、「最後に証拠を送る」という段になって、それは組織ではなく、「ゆるやかな人的関係で成っているところに、法的責任」などというキナ臭い話が出ると、それは穏やかには済みません。「何の落ち度もない」という言い分ですが、ホームページでは幾度もフォーマットを示し、協力・依頼の関係にある訳(と思っていたら)ですから、ただでさえ疲労困憊のところに「責任論とくるのですから」、これはやむなしという仕儀でしょうか。
 ボランティアにもの申して、いったいどうなるのでしょう。


 
書くため0517(2016.05.17)
 大方の原稿は見えてきたので、まとめに入りました。校正依頼に出している分が戻らないことには詳細は作りかねるのですが、事務的に準備しおくべきこと、連絡すべきこと、冊子送付先のチェック等々です。
 まだ締切日まで3日を残していますので、差し替えも出てきます。大方の冊子のイメージはこしらえましたが、全てが出揃わないとできない頁打ち、目次作りもあります。この目次が完成しないことには、次に移れないということで気が急いてきたりします。その他、送付文を作ったり、いろいろです。


 
書くため0516(2016.05.16)
 大方の原稿は見えてきたので、校正依頼中のものもありますが、冊子に掲載する順番を決め、それが出来たら頁を打ち、目次をつくります。
 目次が出来たら装丁の方などにも目を向け、いよいよ全体的な誤字、脱字チェックに入ります。全てをプリントアウトし、郵送で行うので、1週間はみないといけません。もう一人には、電子データでのチェックをお願いすることになります。
 勿論、全体を見渡しての「あとがき」「海からのお知らせ」「海の説明」などの作成を併せて行います。それとは別に、送付先のチェック、送付文、同人への次号案内等々を行い、それらの概要が出た頃に、最後のデータを修正し、とりまとめの上、印刷所持ち込みとなります。そして、校正、発送となる訳です。
 1号を作るのは、相撲の1回の優勝をするがごときの作業になります。


 
書くため0515(2016.05.15)
 エッセイが大方見えてきました。評論もなかなかの内容です。全170頁というところでしょうか。全体的なレベルも、良好と見えます。後、詩が1名出てくるかですね。
 今回は冊子追加分の把握もあり、少々難渋しました。


 
書くため0514(2016.05.14)
 海の割付(エッセイ、詩)を行い、校正依頼をしました。
 現在の模様では、今号も約160頁を越えるあたりになりそうです。
 今、校正依頼の郵送をしてきました。
 

 
書くため0513(2016.05.13)
 海の割付(詩、小説)を行い、校正依頼をしました。郵送もありました。
 メールのやり取りが必要になり、5名とのやり取りを計20回ほど行いました。
 連絡ということがとても必要なことです。


 
書くため0512(2016.05.12)
 海の割付(詩、小説)を行い、校正依頼をしました。イラストのスキャンに結構難渋します。これを適宜切り取り、該当のか所に貼り付けます。
 小説の方も、出だしの部分が未完成だったので、加筆修正等をお願いしました。
 さあ、どの程度の頁数になりますか。フォントを小さく、1頁の字数もかなり多くしたので、頁数は140頁あたりで収まりましょうか。


 
書くため0511(2016.05.11)
 殆どが割付作業と、連絡です。データをきちんともらえれば有り難いのですが…。
 原稿の督促のハガキ、メールを今日も行いました。こちらの思うようにばかりはならないのが、編集の現場です。かなり張り詰めています。
 直接声を交わし、メールでのやり取りを行い、意向の確認などが必要です。


 
書くため0510(2016.05.10)
 5時過ぎに起き、全作家短編集のゲラを校正し、海の原稿の最終督促の電話をいれ、ハガキを出しました。全作家短編集の経費は高いです。海の感覚で言えば、3倍です。
 まあそうも言っておられず、ゲラを再送し、送金し、日本文学振興会の推薦をしたことはホッとしたことです。海の方も、大方の連絡が取れ、大方の原稿の出方の把握が出来、落ち着けたところです。
 先日の祝賀会関係のメール送信なども、大方終えました。


 
書くため0509(2016.05.09)
 海の原稿がいくつか入りますが、掲載作品数の問題などあり、作業は違う方向に向かいます。これまでの慣例を改めざるを得ない事態となり、昨年12月に掲載数、レイアウト、経費額などを改めたため、なかなか理解が得られ難いもののようです。
 割付作業そのものは順調に運びますが、この時期になると細かく読まねばならず、今スローペースに落としています。
 全作家のゲラ刷りも届きました。入金も必要です。


 
書くため0508(2016.05.08)
 今日は原稿はこないのかなと思っていたら、詩と小説が相次いで届きました。
 原稿が届くと、やはり緊張が走ります。割り付けして、読んで…と、いつものパターンに入ります。この緊張の時間というものは、悪くありません。
 あとがきなども書きかけていましたが、さて、というところです。


 
書くため0507(2016.05.07)
 今日は来るのではないかと待っている原稿は1通も来ず、今回の海の方針の転換で、何か悪いことでもしたのだったろうかと考えたりする始末です。こちらも切羽詰まってやっていることですが、経費は高くなる、送付冊数は減る、電子情報の使用についての協力依頼はする、という確かに厳しいことばかりです。それでも、経費面では安価に保っているつもりですが、以前と比べられると後退しています。と言いつつ、送付が2冊、1ページが1,000円というのは、それなりの努力があってのことですが。
 原稿が届かないならと、海のホームページの更新の作業があるので、そちらから始めたものの、これがまたパソコントラブルで立ち往生です。いやはや、パソコンと付き合うのは難しいものです。1台ならまだしも、家族のものも含めると4台を管理していることになります。(それでも、不具合を直してやっては、ウルサがられたり…)
 WINDOWSXPなど使えなくなったパソコンが、まだ手元に3台か4台あり、埃を被っています。ということで、狭い部屋がゴミ置き場に変わっていきます。
 ただ漫然と待つのも難渋なので、受贈誌、事務的記述、前号のまとめ、急に第一期のことが書きたくなったもので一通り書き終え、海の同人の著書など、どうページ組みが変わっても対応出来るようにと、差し込み用の原稿も作ります。
 この時期は、来れば来たで、来なければ来ないことで、なぜか悩むものです。


 
書くため0506(2016.05.06)
 久しぶりの平日になったので、郵送原稿が届くかと思っていましたが、届きません。となると、今度は不安になってきます。しかし、個々の問題ですから、こればかりはどうすることもできません。待つ、ひたすら待つ、です。
 同人誌という獏とした結社、なかなかスムーズにはいかないものです。


 
書くため0505(2016.05.05)
 連休には郵便が届かないので、メール添付以外の原稿は届きません。以前は連休はそれこそゴールデンウィークでしたが、今では不便を託つ期間です。まあ、我が儘な言い方になってしまいますが。
 この間、結構長いにも拘わらず、官公庁、銀行、病院は原則として休みですから、このIT時代を標榜するときに、これだけの「流れ」が止まってしまえば、うまく前後の流れを繋いでいけるのだろうかと、いらぬ心配をします。
 実際、郵便が届かないもので、作業休止という状態です。
 4月の地震以降、心のどこかに行動を抑制する力が働き、周辺の文化施設などに行くという気分も失っているようで、これは私だけに限ったことであればと思います。


 
書くため0504(2016.05.04)
 連休には郵便が届かないので、メール添付以外の原稿は届きません。
メール添付の方の分は、届いた順番に割付をし、校正依頼まで進めますが、今のところ新たなものが届きませんので、これまでの分を見直します。
 特に自分の原稿を見直しますが、もう少し時間を空けて見た方がよさそうです。それでも、見る度に少しずつ変わっていきます。思いがけない誤字、脱字を発見したりしたときは、やはり何度も見直しは必要だと感じます。パソコンで元の表記を作っていますので、意味の異なる字への変換間違いが見付かったりするものです。
 名取芳彦氏の般若心経の本、3冊目を読んでいます。特に「空」についてです。


 
書くため0503(2016.05.03)
 連休には郵便が届かないので、メール添付以外の原稿は届きません。
 メール添付の方の分は、届いた順番に割付をし、校正依頼まで進めることができますが、郵送の分はひたすら待つしかありません。
 新聞広告を何気なく見ていたら、1面を用い、fujitsuのパソコン(再生品・WIN7)が1万円〜2万円あたりという値段で出ていたので驚いてよく見ると、CPUは1 ギガとあり、ネットには無理だなと思ったところです。それにしても、「これまでパソコンに触れたことない方にはお得」といったフレーズがあり、なるほどなと思ったものです。
 かくいうわが発注の中古パソコン15,500円(送料・梱包料を含む)の方は、先方から出荷したとのメールが入りました。果たして、どうあいなりますか。


 
書くため0502(2016.05.02)
 海の原稿を整理したり、4月の祝賀会の後整理をしたりと、結構作業をしました。
 原稿が止まっている間には、読み掛けた本に向かいます。なかなか本を読むスピードが上がらず、積ん読の方が多いですね。また、読んでもなかなか入ってこないというのもあります。以前は感性で、身体で読んでいたのが、ウワの空で読んでいるのかもしれません。焦らずにいくしかないのですが。
 書く方も手掛けねばといいながら、これは海の作業のために当分休憩、という理由をつけておおぴらにサボっているところです。


 
書くため0501(2016.05.01)
 さあてお立ち会い、などと気取るつもりはありません。海第16号の原稿受付開始です。問い合わせなども含めると、6人ほどから予告をいただいています。
 今号からは、フォーマット、経費、発送冊数などがガラッと変わりますので、どういう原稿にお目に掛かれるか、とても興味あるところです。
 井本氏からの「海へのことば」による檄を受け、私も交流掲示板に、海の目指すところ、海の歴史的な立ち位置、自由なスタンス、などといったものを整理し、書き出してみました。「海の熱い心」「熱い魂」「放たれた海の広さ」「海の熱情」「際限のない海」などと書き出しているうち、これまでこういう精神を片隅に置いたままだったのかもしれない、と反省するに至りました。ともかく、海は当初から「熱い情熱」と、「詩魂」です。


 
書くため0430(2016.04.30)
 海の原稿作成、データ整理のために、パソコンの整備も怠ってはなりません。
 冊子のフォーマットなども自己流ですが、それだけに入念なチェックが必要です。新たに入ってきた原稿や、校正済みの原稿などを上手に入れ替え、整理していかねばなりません。こんなことは、在職中に幸いいくらかを聞き囓っていましたので、パソコンの多くのトラブル対応にも、自分で検索し何とか方法を見付け出せています。
 これまでパソコンなど使わないと言っていた子供が、急にインターネットを普通に見れるようにしたいと言うもので、中古でもよかろうと15,000円也というのを注文してみました。はたして、まともなものがくるかどうか、心配でもあります。


 
書くため0429(2016.04.29)
 海の原稿の割り付けをし、校正を依頼していた2作品が戻ってきました。
 さてさて、スタートは上々です。書くことにパワーが込められているように感じるのは、気のせいでしょうか。したたかに書き込んだ作品が多く出てきています。
 大型連休がスタートしました。この間は、編集作業に没頭ということになります。
 一作、公募に応じました。


 
書くため0428(2016.04.28)
 海の作品が、重複して入ってきます。それもその筈、今号からフォーマットなどを改めたため、割付などを丁寧に行う必要があります。
 どういう作品が出され、どういう冊子に出来上がるのか、編集担当としては手強い作業でありながら、楽しみでもあるこの時期です。


 
書くため0427(2016.04.27)
 海の作品の受け付けを開始したところ、やはり集中するもので、にわかに手元が忙しくなってきました。まだ全貌は見えませんが、良い作品が寄せられつつある気がします。なかなか華々しい評価は得られませんが、これが海の流儀なのかもしれません。
 本当に書きたいものを書き、本当に発表したいものを発表する。事前に発表作品を回付して意見を聞いたりしませんから、下手なやり方なのかもしれませんが、誰の力も借りない生の作品です。というか、個性の強い面々ですから、こういう方法が適しているのでしょう。海の第一期からの手法は変わっていません。


 
書くため0426(2016.04.26)
 海の原稿に当たっています。新フォーマットなので、慎重に扱う必要があります。本格的な受付を開始しました。良い原稿が出ています。
 配置を考えながら、割付をします。文章として妙なところはないか、そういう点などを中心に見ていきます。作業は、内容よりは形式の方にどうしても傾きます。作品の内容を生かすためには、形式的なケアレスミスはないほうがよいものです。


 
書くため0425(2016.04.25)
 海のフォーマットを変えたため、慎重に割付を行う必要があります。タイトル、氏名と本文に移るところの配置に、かなり神経を使うところです。
 本文を読むのは、新フォーマットの方が読みやすい感じがあります。関係者にお願いし、順次原稿を出してもらうことにしました。
 また、ワードの立ち上がりが遅いので何とかしようとしてみますが、結構難しそうなので二の足を踏んでいます。今ワードが働かなくなったら、原稿の処理が出来なくなりますから、あまり極端な手入れは出来ません。


 
書くため0424(2016.04.24)
 海の原稿を割り付けし、送付しました。今回からフォーマットを変えたため、注意しながら取り組まねばなりません。
 イラストの挿入には技術が必要です。スキャン→切り取り→貼り付け→説明、と文字で書けば1行になりますが、素人同然の身には半日仕事になるものです。貼り付け箇所をどこにするか、というところも判断が難しいものです。


 
書くため0423(2016.04.23)
 海の原稿の方に向かっています。大口の原稿が届いたので、割付・編集作業をしています。私も、小説の他に詩を1つ準備しました。
 イラストの必要な原稿には、画をスキャンして読み込み、文章を読んで最も必要であろう箇所に貼り付けます。


 
書くため0422(2016.04.22)
 小説、エッセイの割付を行い、校正依頼の意味で送付しました。今号から、字数、行数、フォントなどを変えたため、割り付ける方も慎重に行います。
 今5人の段階で、100頁を越える見込みです。


 
書くため0421(2016.04.21)
 海の作品が出始めました。この作品が出ると、まず割付を行い、一通り目を通した上で、作者に校正依頼をします。今回からは、必要冊数の希望も聞くことになります。
 わが作品もまだ腰が入らずにいましたが、本気でやらねばなりません。


 
書くため0420(2016.04.20)
 妙なことが多い気がします。またまた、以前書いた作品に手を加えています。


 
書くため0419(2016.04.19)
 なかなか落ち着かないのですが、以前書いた作品に手を加えています。


 
書くため0418(2016.04.18)
 昨日の行事を終え、ほっとしています。
 行事慣れしない私だけに、今日は休養日にしたいと思います。


 
書くため0417(2016.04.17)
 文学賞受賞者のためのお祝いの会を催しました。13名という少人数でしたが、心の和む会で、受賞者のお人柄のせいでしょうか、快い時間を過ごすことが出来ました。
 あたかも熊本地震の最中で、出席予定の方が医療業務に追われて出席出来ないということなどもあり、一時は開催延期のことも考えましたが、集まっていただいた方はとても明るく受賞を祝っていただき、決行したのも悪くなかったのかなと思います。
 なにはともあれ、会はなかなか感動的な場面が多く、お子さんからの花束が届いたり、御家族の写真がメモリイとして披露され、またメールでお祝いをくださった方もあり、感動の集まりで、こういう集まりなら何度でも行えればと思ったことでした。


 
書くため0416(2016.04.16)
 日が昇れば、戸外では普通の生活が営まれています。
 ブンゲイに入ろうにも、気持が萎えています。夜間の3〜4分おきの地震というものを初めて経験しますが、訳が分からないだけに余計に神経をすり減らします。
 3〜4名の方から見舞いの問い合わせをいただき、感謝申し上げます。


 
書くため0415(2016.04.15)
 暗い夜が明けましたが、とても書く、読むの気分になれません。
 ブンゲイというものは、こういうときには無力ではないと思っていたのですが。


 
書くため0414(2016.04.14)
 祝賀会の最後の仕上げをし、関係の方に資料を送付しました。
 ※地震発生のため、ここで書込みを終了します。

 
書くため0413(2016.04.13)
 多少は原稿に向かいました。少な目ですが。
 祝賀会の最後の仕上げに入りました。お願いしたことを関係の方が受けてくだされば、なんとか準備は進んだということでしょう。
 後は当日に向かいます。


 
書くため0412(2016.04.12)
 祝賀会の資料作りや、連絡をしました。
 心地よい時間が持てればいいな、と思うばかりです。
 友人の紹介で名取芳彦(なとりほうげん)氏の本、「心がすっきりかるくなる般若心経」など5冊を注文し、2冊が届きました。
 はんぶんでもいいから/にっこりわらって/やってみてください。/しんせんなこころが、/きょうからよみがえります。…とあります。元結不動・密蔵院住職とあります。


 
書くため0411(2016.04.11)
 午前中は「発掘プロジェクト」の資料を整理し、送りました。冷やかし気味ではありますが、ちょっとした作業目標が出来ると夢中になれるものですね。
 後はメールの交換をしたり、祝賀会の資料を整理したりと、また今日も自作の方には向かいませんでした。この時間を、「熟成時間」とでも名付け慰めましょう。


 
書くため0410(2016.04.10)
 2〜3枚は書いた、といってよいのでしょうか。
 海ホームページなどの手直しをし、(株)すばる舎リンケージの「発掘プロジェクト」関係資料などを見ています。


 
書くため0409(2016.04.09)
 今日は書くと決めていたのに、なんと1行も書けていません。
 海のことなどの諸々に、どうしてもかかってしまいます。必要なことですから。


 
書くため0408(2016.04.08)
 2〜3枚書ければ、という超スローな状態です。20枚ぐらいまでいけば、全体が動き出してくれるのですが。わが手法としてというか、手法がなくてというか、あらかじめ登場人物や粗筋を作って書けた試しがないので、20枚〜30枚になると筆が勝手に走り出すという手法に委ねねばなりません。
 どういった注意点や、留意点や、扱うべきテーマなどを設定していても、筆は一向に定めた方には向かわず、紐を千切りとって走りだします。
 これが、いつも「わけがわからない」「まとまりが悪い」と言われる点になってしまうのですが、これが能力なのでしょう。この手法を脱しないことには、とも言われる所以ですが、「一度裸にならないと始まらない」という道を、今もまた辿ります。


 
書くため0407(2016.04.07)
 5枚ほどしか書けていないのに、安堵します。やはり、書けていないときは不安なものです。何でもいいから、数行でも書けているときは精神が落ち着きます。
 要は中身の問題であるのですが。プロでもセミプロでもないのに、書けるか書けないかということが体調を、精神の具合を左右します。
 どれだけ何を読んでも、急には滋養にならないらしく、書き始めると裸一貫になります。今持っているもので走る。それしかないんです。いざ書くとなると、普段とは違った自分になりますから、右は右、左は左といった旗が目に入らなくなります。ですから、知識として詰め込んだとしても、それらはなかなかすぐに出てはくれません。
 結局、裸一貫のあられもない姿を剥き出しにしないと、書けないとみえます。ということは、書くということがどんなに恥ずかしいことであるか、ということにもなります。因業なことをやらねばならないものだ、と覚悟すること大です。


 
書くため0406(2016.04.06)
 空っぽになりがちな気分を引き立て、書き掛けの原稿に向かいます。次の100作に向け、うまく走り出せないでいます。
 おおまかなジャンル分けはしたのですが、やるべきは目の前の一作をどうするかです。力を込め過ぎず、評価を恐れず、さあれどわが作品を書く、とこういう図になります。どういう内容を込めていくか、十分に詰めが出来た訳ではありませんが。
 恐れ過ぎず、出来れば楽しむくらいに、が理想です。数で勝負の100作です。


 
書くため0405(2016.04.05)
 このホームページはブンゲイのことだけに特化して作っていますので、「アンタ他に何もしていないの」という風にも見えるかもしれませんね。ええ、生活のことは殆ど書いておりませんから。
 わが作品が、いかにも私小説だなどと見られがちなのは、遊びのない窮屈な筆致故なのかもしれません。わが作品を読むと、何とも融通のきかない主人公が嘆いてばかりいるかのようですが、実際はかなり異なります。
 それをバラしてもどうなることでもありませんし、見られるが如くで何も構わない訳ですから、後は御想像におまかせいたします。作品がもう少し面白くて、感動を呼ぶものであれば極端な誤解もないことになるのかも知れませんが。
 今日の実績は、和田(奈)のエッセイ一遍を活字にしました。


 
書くため0404(2016.04.04)
 全作家第101号が送られてきたので、早速文芸時評賞に目を通しました。今回は2作が受賞となり、候補作もいつもの常連です。
 水木作品「CALL」を読み返しましたが、障害物も曲がり角も巧みに配置され、心理描写も行き届いたさすがの出来です。もう一作の「虹の下」というのは「虹」そのものが何なのか煙に巻くという書き方で、約100枚という長さを感じさせずに読ませますが、オノマトペの多用などが気になりました。いうなれば、奇妙な作品です。
 それにしても、全作家の賞はいかにも地味で、これが年間3,000作と言われる関門をくぐり、辿り着いたとは思えない扱い。文芸思潮の派手さに手を挙げるものではありませんが、せめて今少しレイアウトの工夫なりと、と感じたことです。
西日本新聞の文化欄に、「アートスペース 獏」主宰の小田さんの記事が大きく出ていました。


 
書くため0403(2016.04.03)
 文学街341号の作品を読んでいたら、続けて読まされる羽目になりました。中でも欅館氏の「縣境有情」は、同人誌だけで3回以上発表し続けられていると見え、その心意気に感じるものがありました。約200枚ほどの内容で、前半から後半にかけての、2人の女性に出会い、愛するという切々とした思いは、北国独特の情景描写とも絡ませ、巧みに描かれており、感動を禁じ得ませんでした。ただ、最後に総括的なまとめがなされるところで、説明が過ぎ、やや惜しいなと思いました。
 とはいえ力作に変わりはなく、同人誌に3回も掲載せずにはいない切実な作品であったろうことは十分読めます。しかし、小説として書く以上は、最後のオチのオチまで書かずともよかったのではないか、と思ったことでした。ただ作者には、「小説ではなく、ドキュメントだ」というつもりのものかもしれません。そうであるならなおさら、最後の3分の1がなければどれだけ感動を呼んだことだろうと思うのですが、「小説云々ではなく自伝なのだ」という方向に収められたかったのかもしれませんね。
 読んで、約70年の人の一生というものの愛しさと淋しさが、同時に吹き上げてきました。


 
書くため0402(2016.04.02)
 全作家短編集への作品として、電子書庫掲載の「交差点」を書き直し、4〜5度修正をし、送付しました。
 全作家本誌と、短編集の流通に関しては、昨夏書店で尋ねられたことの何一つとして解決をみていない筈ですが、長年続けられてきたやり方にはそれなりの意味があるのだろうと、思うものです。ただ、何も答えが戻ってこないというのは…。
 全作家の理事15人を選ぶようにということの案内がきましたので、これまでどおりのメンバーを選定し、送付しました。


 
書くため0401(2016.04.01)
 全作家から、第15号短編集の作品があれば、というさらなる照会がきました。今回参加しないという意志表示をしていたのですが、なぜかまた。
 昨年は販売のドタバタがあり、今回だけは連なるのを遠慮しなければと思っていましたが、過去のものでもよいのであれば、ないではなし。さてどうするかと思案です。
 書庫に出しているもの(私としては出来るだけ固まった方の作品が助かる)ので、第一番目の「交差点」を出すことにしました。出すことでどうのこうのがあるのかもしれませんが、先のことは考えません。「そこにあるか」と問われれば、正直に答えるのみです。何かが起きれば、それは定めなのです。ただ、懐具合がひどく気になりますが。
 それに一点、趣意書の「宝石箱を開ける喜び」というのはどうなのでしょうか。


 
書くため0331(2016.03.31)
 海の原稿作成、まとめ、資料作りに集中してみました。次号からフォーマットを変えることもあり、関係者からもとまどいの声が出てきます。
 フォーマット、同人費額、送付冊数、送付先などを改めることになりますので、なすべき準備作業も多いようです。どれもこれも、発案して始めようというものではなく、手持ち経費がなくなったことなどにより、やむなくせざるを得なくなったことです。
 雨がそぼ降る中、静かに準備を整えることになります。


 
書くため0330(2016.03.30)
 海の直前原稿案内の前後に、ちょっと気合いを入れて書いていたのだったか、思いがけないところからひどく低姿勢なお願いがきたり。待てよ待てよ、そんなに厳しくは書いていなかったつもりだったのに、これを全般に向けて書くと、日頃いつも気を使っていただいている方の方々に当たってしまうのですね。
 趣旨は、重ねてのお願いにも拘わらず、パソコンにも触れようとせず、とうに過ぎたと思っていたことを変な時期に蒸し返される方々に対し、「せめてホームページでお知らせしていることですから見ていただき、御理解と御協力をお願いします」「言われるような重要な意見は、私が聞いてもいいのですが、私はどこにも持っていきようがないし、何の解決にもなりませんが」という言うためだったのですが、みなさんに同列に伝えるといけませんね。これらを書状で伝えることは、難しいものです。
 とにかく、輪を故意に乱そうとする意見には、対処方法を変えないといけないかもしれません。もっとも、同人誌というもの、満場一致で進むということなど、あり得ないとは知りつつですが。まあ、こうやって海は流れていきます。
 それでも、第一期に比べると、平和ボケしているのかも知れませんが。思い出すと、第一期の海はいつも大荒れでしたから。
 春の海荒れぬ日はなく鳥渡る


 
書くため0329(2016.03.29)
 何をしていたのか。わが作品の、時間推移の根拠などを調べただけで終えました。
 何とも、お粗末ですね。


 
書くため0328(2016.03.28)
 かなり朦朧とした中での割付をしましたが、勘違いなどしてはいないだろうかと最初から最後まで眺め直して見ました。当たるところがあったら、御容赦ください。
 海へのことばがすばらしい。若者に対するエールと、激励と、叱咤になっています。このことばは、われわれ若者ではない者にも当てはまることです。
 書く間は、今は今なりの向上を忘れてはいけない、ということでしょうか。これでいい、といった安直な妥協をするようになれば、先には何もないということです。


 
書くため0327(2016.03.27)
 内容はともかく、受け付けた原稿の割付を終えました。ときならぬ時に出て来た原稿ですから、うまくいけばいいなと思います。
 ともかく、割付作業というものは疲れます。
 かくいう自分の原稿を、まず仕上げねばなりません。


 
書くため0326(2016.03.26)
 風邪の具合が悪く、早々と到着している原稿があるのですが、根を詰めるだけの力が出てきません。2〜3日様子をみたいと思います。
 割付けが情報処理だけの操作ならまだしも、中身にまで目を通しますから、かなり消耗します。せめて、文章が問題なければ助かるのですが。


 
書くため0325(2016.03.25)
 海第83号(第二期第16号)の、直前の作品提出依頼を行いました。
 今回大きな変革があります。1)同人費額が上がることになったこと、2)字数、行数が変わり、組み方に変動があること、3)同人送付冊子部数を2部(これまでは5部)としたことなど、大きな転換点にあります。
 また、以前からお願いしているように、1)電子情報を用いてほしいこと、2)海のホームページや交流掲示板を利用してほしいこと、を強く依頼しました。


 
書くため0324(2016.03.24)
 書くために、出来るだけ書かない時間を作ってきました。読む方も努力してみましたが、そこそこのことしか出来ていません。
 しかし、まあ、こういうことから切り替えていかないことには始まりませんから、海の受付を控え、モードを変えていきたいと思います。


 
書くため0323(2016.03.23)
 受贈した誌に目を通し、お礼状を書きます。
 福岡市文学賞の受賞作品も、読んでみたいと思います。


 
書くため0322(2016.03.22)
 準備だけはして整理をしていなかった海の「送付先」「エッセイの原稿の扱い」などを整理してみました。なにか、第15号まででかなりのエネルギーを使ったため、第16号についてはまだ真剣になれずにいます。
 とはいえ、5月1日〜5月20日の受付に間に合わせるために、原稿作成・受付についての最終案内をしなければいけません。いい原稿が入ってくれることを望みます。


 
書くため0321(2016.03.21)
 壱岐への行き帰り、志賀直哉の「赤西蠣太」「范の犯罪」「城の崎にて」「清兵衛と瓢箪」などを再々読しました。ううむ、わかっていてもこうは書けないかもしれません。
 いくつになっても、ならなくても、書くとなると裸で勝負に出るに等しいことですから、読んですぐに身に付くとはいかないでしょうが。


 
書くため0320(2016.03.20)
 海の発送先を検討し、数件を除き、10件ほどを追加する予定です。次号から、同人への送付部数も変わりますので、このあたりをどう落ち着かせていけばよいかです。
 海のホームページにやや強烈なことを書いていますが、これはこれまでずっと「要望」というかたちで伝えていたのですが、いつまで経っても状態が変わる気配がないため、この際「強い要望」に改めました。
 動けない方や、個人情報を守るためメール等を持てないという特別な事情がある方以外は、やはり努力の姿勢を見せていただきたいと思うものです。努力しない方については、他誌では通常掲載料も高くするということになっています。(ただし、私が所属し、見知っている誌の場合ですが)
 やって出来ないことはないのに、2年も3年も変化がないということは、信じ難いことです。誰かがその部分を行っているということは、考えずともわかろういうものです。
 最近、芯から怒ることが多くなりました。反対に怒られてもいるでしょう。周囲に流されてはいけないのですが、感情の起伏がやや大きくなったのかもしれません。


 
書くため0319(2016.03.19)
 福岡市文学賞の授賞式です。考えてみれば、もう私も11年前になります。初々しい今年の新受賞者の方、おめでとうございます。
 38歳から70歳半ばの方まで、それぞれ喜びは一入だろうと思われます。これから先がまたたいへんでしょうが、それは今後の取り組み次第ですから。
 取り敢えずは今の喜びを噛み締めていただき、次なるステップを目指してほしいと願います。これがスタートです。春はスタートの「若者」を待っています。


 
書くため0318(2016.03.18)
 同人誌とはなんなのだろう、とも考えます。大別すれば、アマチュアです。
 アマチュアの身で、なにをこう息巻いているのだろうと、時間軸の向こうから見れば奇天烈なことではあります。
 売れる、売れないが、プロとアマチュアを別けるなどとは思いません。言うなら、プロでもアマチュアでもありません。「書きたい」「表現したい」という者です。
 何を、となるとやはり深めて、より深めていかねばなりません。何故に、という言葉が過ぎりますが、「よいものを書きたい」というのは存在証明みたいなものです。
 決して、手練手管の部類ではありません。
 それ以上でも、以下でもないのかもしれません。


 
書くため0317(2016.03.17)
 最近書くこと読むことについて、苛立っている自分を見ています。
 苛立っていては何も始まらないのですが、いろいろなことが思いもせずに顕れ出てきます。こういう時期なのかもしれないとも思います。
 顕れるべきは顕れた方がよいのですが、不思議にその流れの中にあります。全て顕れ出て、その中からしか次のステップには進めないのかもしれません。
 人間関係とは難しいし、なかなか厄介なものだと思う次第です。
 これが人間、それが人間、はたまたあれもこれも人間です。


 
書くため0316(2016.03.16)
 読むことも書くことも知らなければよかったのかというと、そうではありません。
 幼時期から少年期に、それを閉ざされたことが口惜しい、ということが一番です。では、今は楽しいことばかりかと言うと、そういうことではありません。
 知った上での苦しみ、これは大切です。知らないままでの楽しみ、これは悲しいことです。知識のことばかりを言っているのではありません。
 深くを知る。大きな楽しみを知り、また深い悲しみを知る。悲しみから逃れられないことを知る、これこそ大切なことです。


 
書くため0315(2016.03.15)
 去年の7月の全作家短編集の書店持ち込みのことを調べていたら、当時を思い出し気分が悪くなりました。書店で受けた扱い、あれは強烈なショックでした。
 「ユーは何しに書店へ」などと言ったらふざけるんじゃないよとなりそうですが、いったい何をしに、何を目指して行ったのだったか、と考えるとあのときの様を思い出してしまいました。素人が目的も内容もよく飲み込めず、海千山千の連中の待つ書店へ。コテンパンにやり込められ、猛暑の中、冷や汗を流しながら重い本を抱え、戻った屈辱の日でした。以降、紀伊國屋とジュンク堂には足を踏み入れることがなくなり、梶井基次郎よろしく、檸檬爆弾でも置いてくればよかったと口惜しい思いに陥ることです。
 同人誌はとっとと帰れ、というあの日の書店側の対応は忘れないでしょう。その直後に「火花」騒動ですから。あの情けなさといったらないことです。


 
書くため0314(2016.03.14)
 海の次号体制に入らねばなりません。ホームページにお願い事項を書きました。
 またまた、あの時期が始まるのかあ、と考えます。というといけませんが、大変な作業を抱える時期であることに相違はありません。


 
書くため0313(2016.03.13)
 などと考えても、今は今です。嘆くことなく、へつらうことなく、自分の裁量範囲で、可能なことをするだけでしょう。望み過ぎるなど、らしくありません。
 では、自分の出来ることを、出来る範囲で。 (意味不明、ですが…)


 
書くため0312(2016.03.12)
 読むことにあてています。思えば、18歳までの多感な時期、読みたくても、聞きたくても、これを閉ざされてきました。なぜなのか、解りません。子は親の道具でしかない、という姿勢できましたが、そのスタンスは今も変わっておりません。
 今、あれこれ読んでも、胸の芯にまではなかなか届いてくれません。理屈などで考える前の、あの時期の環境がなんとも大切だと思うことです。
 確かに、学歴は付随してついてきますが、この「柔らかな時期を潰された」のでは、なにをか言わんや、ということを叫びたくなります。何回も、何千回もそれをさせてほしいと望んできたのに、です。マインドコントロール、その手口です。
 松本清張は家業が傾いていたと言いますが、父からの「読みの大切さ」については積極的に伸ばしてもらい、自身もその後自ら学ぶことを会得したといわれます。村田喜代子も、お婆ちゃんから同様の扱いを受け、自ら学んだといいます。
 いったい、「子がしたい」「知りたい」「見たい」というものを、早回りしてその気配を察知し、その目を摘んでしまう、などという暴挙はどこから出たのでしょう。そんなに生ける屍を作りたいということの向こうには、目的があったのでしょう。これが罪でなくて、他になにがあるというのでしょう。独善とは、怖ろしいことをしでかすものです。


 
書くため0311(2016.03.11)
 読むでもなく、書くでもなく、中途半端な日を過ごしています。
 書くことに打ち込んでいるときが一番充実するのですが、その間には読む、調べるという時間が必要です。この苛つきそうになる期間が、本当は大切なのです。
 これまで、あまりにも自己流で一気にやってきたため、一度押し止めねば、振り返らねば、という反省があります。ともすれば無為に流れがちな時間をどう過ごすか、この空いた期間の過ごし方が大切なのだと思います。
 なかなか頭に入らない資料などを読み、時間が過ぎます。


 
書くため0310(2016.03.10)
 ただ今、わが部屋で、一人合宿中です。早くも「ファウスト」の一部、二部が届きました。新刊です。
 というところですが、誰かの意見にもあったと思うのですが、素養のないところに新たな滋養を取り込んでも、なかなか馴染んでくれません。受け入れ体制がうまく出来ていないのでしょう。しかし、進むよりほかありません。
 ともかく、今出発したのだ、と思うことにしました。滋養が少しでもうまく取り込めるよう、まずここからだと思います。その間の「書く」方は、多分実験作だか、失敗作だか、まとまらない作だかになるかもしれませんが、これがわが力です。


 
書くため0309(2016.03.09)
 ただ今、わが部屋で、一人合宿中です。ほんの少々進みました。アドバイスを得て、「ファウスト」「ハムレット」「神曲」をアマゾンに発注しました。
 最近は、新書も、中古本もアマゾンに頼むことにしています。新書は送料無料ですから、中古本の方が高くなる場合がありますが、なにしろ品揃えが豊富ですから。
 一方、郵便配達の方はいったい何という怪しいところだろうと思っているのではないでしょうか。ポストに入り切れず、手渡しが多く、それも度々ですから。
 その実は、読めていません。読んでも、片っ端から忘れてしまうことばかりです。


 
書くため0308(2016.03.08)
 ただ今、わが部屋で、一人合宿中です。方向がなかなか定まらず、悩んでいます。


 
書くため0307(2016.03.07)
 ただ今、わが部屋で、一人合宿中です。文芸誌関係のことも少し行いました。


 
書くため0306(2016.03.06)
 ただ今、わが部屋で、一人合宿中です。


 
書くため0305(2016.03.05)
 約10枚ほど書いた、という勘定です。なにはともあれ、走り出せたという意味では嬉しいです。が、「ものがたり」をきちんと作る、「もののあはれ」まで表現する、「ものごころ」を書くにはどうにも世間のこと(人情、世情)に疎い、というところが問題です。もっとも、これらが書け、いえ書け出すと、次の場面に移れるかも知れませんが。
 世間、これは馬鹿に出来ません。馬鹿にしてはいけませんから。


 
書くため0304(2016.03.04)
 結局、なにもなし得ませんでした。それでも、一応構想らしいものが浮かんだので、そこまでとしました。こういうときは、読む方も止まってしまいます。
 書くためには、なんともしれない無為の時間が、何故か必要になります。
 小保方氏の「あの日」は、ただ今22万部だそうです。


 
書くため0303(2016.03.03)
 最近作の1編を、思い切って全作家に投稿してみました。会心の作でも何でもないのですが、教育以外のことを描いたものをと思ってのことです。
 後は、ぼちぼちとやるだけです。ものを書くということは、本当にぼちぼちやるしか方法はないことですから。孤独と言えば孤独な作業だし、地味な作業ですね。


 
書くため0302(2016.03.02)
 30枚の作品を見直しています。正宗白鳥を読んでいます。


 
書くため0301(2016.03.01)
 30枚の作品を見直しています。切りが付けば、どこかに出したいなと思います。
 正宗白鳥の随筆を読んでいます。


 
書くため0229(2016.02.29)
 近未来の話、また読み返しました。まだまだ、でしょうね。
 正宗白鳥の本3冊(「白鳥随筆」「作家論」「入江のほとり」)が到着しました。随筆の方を少々読んでみましたが、高くもない低くもない視線の持ち主かと思え、引き込まれていきます。明治、大正の作ですが、現代の作といっても違和感はありません。
 深沢七郎の「言わなければよかったのに日記」に出てくる白鳥先生、「白鳥の死」に書かれていた懐かしい白鳥先生にお目にかかれた、という感じです。


 
書くため0228(2016.02.28)
 祝賀会の案内文などを印刷、関係の方々に発送しました。
 慣れないことですので、少々心配をしましたが、思いがけない好意の申し出を受けたりで、本当に有り難いことです。よい祝賀会が行えれば、と願うものです。
 最近、なんだか理屈が走り過ぎてきたのかもしれません。あまりわが意見に固執すると、大きな荷を負うことになりかねません。情動に流されないことが肝要です。力のない身で、大それたことを口にすることは戒めねばなりません。勿論、私のことです。


 
書くため0227(2016.02.27)
 文学賞受賞の方の祝賀会の案内文、案内リストなど作成しました。明日以降、発送する運びです。目処をたてることができ、一安心です。


 
書くため0226(2016.02.26)
 小保方氏の「あの日」を読んで一言。もちろん小保方氏の側からのみ見てはいけないと思いますが、1)本人のこの学問分野における甘さは見られるであろう、2)当初は良好な関係であったW氏がなぜSTAPを認めないという方向に走ったのか、そのデータを保持する側にあってどうして脈絡のとれないことを主張するのか、3)S氏は誰に殺(自殺ですが)されたのか、4)執拗なマスコミの攻撃は何故に続いたのか、5)理研の方針(保身)というものが事件を大きくしたのではないか、6)早稲田も、なぜ学位論文を取り消す方向に走ったのか、7)これだけの事件の責めは当事者が受けるにしても、一人の学者の卵を葬り去るには手が込みすぎていやしないか、8)例え、剽窃等のことが事実であろうとしても、「抹殺」しようとするほどのことかということです。
 この書のみならず、かねてから伝えられる報道の内容の激しさ、容赦のなさは、何のために、誰のためになされるのか、という疑問が消えません。
 この現代において、最大の「権力」を握り、いかようにも世論を動かそうとしている張本人は「マスコミ」である、との意を強くしました。「正義」とか「報道の自由」というスローガンのもと、何を生かし、何を殺すのかは、「政治」や「暴力」や「軍事」もさることながら、マスコミの「心への刷り込み」という「爆弾の威力」を考えてもよいのではないかと感じた(感じている)ことです。


 
書くため0225(2016.02.25)
 先日イオン店に行った際、小保方氏の「あの日」を買って来ていたのを思い出し、読んでいますが、中身は専門的なことでチンプンカンプンですが、人の動きに興味があり、ネットでもニュースが流れる度にコピーしてきたことですから、著書の方に何が書いてあるのか興味深いところです。
 まだ中途ですが、学者の社会、科学というものが人間の前を塞ぐ壁のごとくに思えてなりません。しかし、笹井氏の言葉「科学者は神の使徒だと思ってるんだ。科学の神様はね、ときどきしか見せてくれないんだけど、チラッと扉の向こうを見せてくれる瞬間があってね」というところに、文学よりも重い神秘を感じてしまいます。
 これじゃあ、文学論なんか解らない筈だ、などと思うのですが。
 ではなく、在職時の事務の仕事の方も、理系のことの方が胸に入ってきていました。


 
書くため0224(2016.02.24)
 今日は腰を据えて、近未来作に掛かりました。ということで形は出来上がりましたが、はたして「ものがたり」「もののあはれ」「ものごころ」を満たしているのか。
 となりますと、考え込んでしまいます。書くことが、だんだん難しくなってきます。これまでは、恥を書くつもりでやってきたので何とかなったのですが、土台から考え直さねばなりません。このままだと、「実験作」ということで終わりそうですから。
 しかし、この今、出来るだけのことをやれば、という甘い内なる囁きもあります。
 よって、かなり迷いが出ておりますから、書庫の方も中途で止まっています。


 
書くため0223(2016.02.23)
 まず、目の前の近未来作を完成させることが先決だと、掛かり切りで取り組みました。どうしても細かい字句に拘ることになり、大局に目が行きません。
 字句もさることながら、今何故これを作品とするのか、これを考え骨組みの方を見直さねばなりません。以降は、この流れで近未来作を少なくとも10作は手掛けたいものです。そのため、村田沙耶香の「消滅世界」「殺人出産」などを注文しました。
 面白いと思ったので、「ゴースト暗算トレーナー 2ケタ×2ケタ イエロー」という東大医学部生が生み出したという頭脳トレーニングの本も注文しました。最近、いまいち感覚、思考、記憶の切れが足りないと感じることからです。
 現実に近い作品の方は、次作でということにします。


 
書くため0222(2016.02.22)
 このわが難局(と言っても、何をどう書くかですが)にどう対峙し、どう乗り切るか、なかなか見えてきません。
 ままよ、と一つは近未来シリーズで行こうとの案を持ち、もう一つは「きちんと地に足の着いたものにチャレンジしたい」「そういう方向の話なり、学習会などに参加してみたい」「他との交流が必要だ」と思うことです。
 今、かなり迷っています。


 
書くため0221(2016.02.21)
 天神の福岡アジア美術館に「福大・西南大の文芸部初の合同展」に行こうとしたのですが、雑餉隈あたりの人身事故で西鉄電車が不通だとのこと。2日前(合同展のことは2日前の19日の新聞で知った)にも行こうとしたら、鍼の予約を13時から入れており、その日も同じ雑餉隈あたりで人身事故で不通だったことを思い出しました。
 こういう事故はめったに起きないのに、2度も続けて近くの場所で人身事故だなどと、とは「あんなことこんなこと」の方に書いたのですが、今日は何故か妙に気が進まなかったこともあり、行き先を変更しました。
 イオンには、TSUTAYAあり、映画館あり、なにより若い家族たちの姿を見ているだけで、日頃「高齢者社会到来」ということばかりが頭にあり沈んでいたのですが、何か気持の方が晴れてきました。わが作品を「ものがたり」に変えねば、と思っているときですので、こういう若者や子供たちが大勢行き交う姿を幾度も見ているうちに、「否定から肯定」の方になんとかして移れるのかもしれない、と感じたことでした。


 
書くため0220(2016.02.20)
 書き掛けては、イメージが十分に定まらずなかなか進みません。これからは、できるだけ教育に関係することを避け、身辺雑記をとらず、と心掛けていますから、歩き出すのにかなりの工夫と時間を要する感じです。しかし、この一作が成れば、続いて行けそうなので、今のこの時を凌ぐことに力を注ぐことにしています。
 新たな道が見付かるかどうか。苛立ちとともに、期待も込めてのことです。
 素材にはよらないが工夫は必要。「ものがたり」としてもいい加減なものにしない。「もののあはれ」を持たせる。「ものごころ」を持たせる…。
 必要な調査もし、先人の意見も聞かせていただく。勿論、作品も読ませていただく。
 自分にとっては高度な要求を課すことで、これまでの安易な流れにまかせた手法から脱却し、例えるなら「芥川賞的作品から直木賞的作品への転換」をはかりたいと考えます。例え多くの時間が必要になり、多くの失敗作を重ねようとも、です。要するに、丁寧に物語を紡いでいく、ということにほかなりません。
 わが作品ですから、どういう経路を辿ろうとも、責任は私だけにしかありませんから。
 これは、昨今の芥川賞作品への失望と、そういう奇天烈な系列の作品に追随しようとするわが身への嫌悪から、脱しなければならないとようやく思い至ったことです。


 
書くため0219(2016.02.19)
 文学街340号が届いたので、受領のハガキを送付しました。また、福岡市文学賞決定の連絡をいただきましたが、どなたも存じ上げないので欠席の連絡をしました。
 全作家の合評会の方も、早めの手配をしました。


 
書くため0218(2016.02.18)
 メールの対応をしていたら、夕刻になりました。
 これから、なんとか頑張ります。


 
書くため0217(2016.02.17)
 確定申告のため、文庫本1冊を持って行きましたが、雑踏の中、思うにまかせられませんでした。始終番号の案内・呼び込みや人の動きで、落ち着けないのです。
 こういう中でも平然と出来ればいいのですが、修行が足りません。


 
書くため0216(2016.02.16)
 昨日の懇親会の流れで、整理などをしました。メールでの御礼などを終えました。全作家の賞を受けられる方があるとのこと、素晴らしいですね。
 そういう作品を読むなど、読むことに終始しました。


 
書くため0215(2016.02.15)
 同人が全国に散っていることから、3年ほど海の合評会を開けていないのですが、新たな試みとしてiェ地区の懇親会(新年会)を企画してみました。折からの寒波の中、5名参加となり、初めて顔を会わせるという方もありながら、皆さんの熱っぽさは予想以上で、活発な意見の飛び交う会となりました。
 普段、電話やメールや書状でしか伝えられない思いや意見を、直にやり取りするという場は、やはり貴重なものだと思わされました。多くの意見が出され、その分私はたじたじとなるばかりでしたが。皆さんの意欲と、やる気のほどを聞かせてもらっているうち、よりいっそうのチャレンジを続けていけるのではないか、と思ったことでした。
 表現し、遠くに運ぶための海、これがライフワークとなり、人生の全てをぶつけ合う場となりゆけば、同人誌を続けていく意味もおおいにあろうかというものです。


 
書くため0214(2016.02.14)
 昨日、芥川賞作品のことを書いたのですが、じゃあ何が書けるか書いてみろ、と言われてもおいそれとはいきません。
 自分が今、一番悩み、岐路に立っています。岐路に立っているなどというとキザでイヤミになりますが、本当に100の作品を書いて、とうとう先が見えなくなりました。
 この袋小路から出るにはどうする、という焦りばかりが先に来て、いよいよ鈍ります。なあに、たいしたことをやってる訳でもなし、という自虐台詞ばかりが浮かびます。


 
書くため0213(2016.02.13)
 発売日に買っていた文藝春秋の「第154回芥川賞発表」を読みました。わが頭が古ぼけたのか、ついていけないのか、なかなか読みこなすには至りませんでした。というより、読めなかったということになります。個人的な妄言になるかもしれませんが、こんな作品なら「芥川賞は無用ではないだろうか」と思った、というのが印象です。
 今の時期に、こんな緊張感の殆どない作品が特別な評価を得る、という仕組みが分からなくて、おおいに迷うことです。以下の記は、偏向した意見でありましょうが。
 異類婚姻譚
 だらだらしていて、何度も放り出したくなる。饒舌が連なり、ぐだぐだした作品、嫌気がさして、今の時代に、こんなに緊張感のない思考がまかり通ってるんだ、と驚きました。何なんだ。何が言いたいんだ。と独り言を何度言ったことでしょう。
 それにしては、選考委員の評は「読み終えてほっこりする」とか、「説話の形を借りることで、主人公の自意識が上手くコントロールされている」とか、「何とも言えないおかしみと薄気味悪さと静かな哀しみのようなものが小説を魅力的にまとめ上げている」などと、すごく評価が高いのです。この落差故に、まともなコメントが出来ません。
 死んでいない者
 長すぎて、誰が誰だかわからない登場人物が多すぎて、何でこんなに迷惑なことをするんだろう、と思ったところで、結局この作品にも嫌気がさして読み終えることが出来ませんでした。というか、正直うんざりで、誰のことだか分からないし、分かりたくもないという意地の方が先にきます。全体を把握していないので大袈裟なことは言えませんが、短編30枚程度で済む内容ではないだろうか、という疑念を拭い去ることが出来ませんでした。作者も「少しでも長いものを書くことが目標としてあって、そのためには人を多く出そうと考えた」などと書いてあり、何故だ、としか言いようはありません。
 評には「多数の親戚縁者たちがどういうつながりなのかわからなくなる(略)それでも死者は焼かれてどこかへ消えて、生者は葬儀が終われば去って行き、またそれぞれの新しい生を生きていく。(略)作者は相当にしたたかだ」とか、結構なことが書かれています。いずことも分からない荒野で、迷っている気分です。


 
書くため0212(2016.02.12)
 近く海の懇親会を開くので、海第15号を読み返してみました。やはりというか、そうだったのかというべきか、「内容は非常に高質」だと見ました。
 何ごとにも「これでいい」ということはあり得ないのですが、かなりのレベルに至っているのではないかと、改めて思いました。


 
書くため0211(2016.02.11)
 日月神示などを読み過ぎているせいか、芥川賞作品がうまく読めません。神は神でも、八百万の神と、一神教の神、宇宙創生の神などをごちゃまぜにしているから混乱しています。文芸作品は文芸のうちで描くもの。即ち人間の姿を描くものである。
 こう単純に仕分けしてやれば、これから少しは呼吸が楽になるかもしれません。


 
書くため0210(2016.02.10)
 性懲りもなく、読む方で費やしてしまいました。
 書く方は、「身辺雑記風ではなく、ということは体験を交えず」ということを目指していますから、おいそれとはいきません。
 文芸春秋を購入しました。今回は、芥川賞も読めるかが問題です。


 
書くため0209(2016.02.09)
 ものがたり、もののあはれ、ものごころ、と呟きながら考えます。
 少しなりともダイナミックな、本格的なものが書きたいのですが。
 また、最近書庫の方の作業が中途で止まったままになっています。


 
書くため0208(2016.02.08)
 近未来の作品(旧作改訂)は、一応のかたちをみました。これを機に、あと1、2作ぐらい書ければと思っています。
 どこを切り取っても学校関係のことしか出てこず、その作品を書いてきましたが、違う背景を持つ作品を書くことが目標です。


 
書くため0207(2016.02.07)
 近未来の物語に手を付けています。かなり大胆な設定ですので、どうなりますか。


 
書くため0206(2016.02.06)
 なぜか雑件をこしらえては、そちらに逃げています。
 しかし、今夜あたりからとりかからねばなりません。


 
書くため0205(2016.02.05)
 書くことの方に、やや動きつつあります。でもまだ、待ちの状態です。
 海の原稿作成・作品掲載に関し「問い合わせ」があった事項を、同人全体にも周知し、iェ地区の懇親会(新年会)を開催する旨、併せて連絡しました。


 
書くため0204(2016.02.04)
 書くための方に気持を向け換えましたが、おいそれとうまくいくものではありません。まだ集中が出来ないため、思考が定まりません。
 いつもこういう時間があります。無為の時間、これをしばらく過ごさないことには、焦点が定まりません。仕方のないことと言えばそれまでですが、この間他の優れた作品や、新たな思想などにぶつかったため、こなし切れないのです。
 無為とならざるを得ない時間。悶々と過ごすことになります。なにかの「何か」が降りてくるまでは、やり切れない時間を、怯えながら過ごします。


 
書くため0203(2016.02.03)
 書くための準備に入ります。出来れば身辺雑記から離れたものをと、考えております。それがなかなか果たせないのが、本当に悩みの元です。
 真価を問われることになるのだと、これまでとは異なった覚悟で入らねばなりません。一作を問う、これが基本になるのだと思われます。


 
書くため0202(2016.02.02)
 意見をいただきました。なるほど、最近何とか脱しようと思っていることと合致しています。つまり、進学不如意、学校問題、子供時代の親との問題ばかりが背景になり、テーマになっているということです。
 ずばりを自分でも自覚していますから、ここが難しいものです。問題点は分かりますが、どう脱するかということです。かつて「学校を避けた作品」は、ことごとく地に足の着かないものになってしまいました。では、どうするかです。
 時代小説、未来小説という中の後者の方にはチャレンジしてきましたが、これは工夫を要します。では時代小説となると、一朝一夕には出来ないものです。何年もの積み重ねが必要です。時代考証だとか、資料の収集、読み込みと準備が必要であり、そこまで至ってようやく一歩踏み込めるかどうか、ということだと理解します。
 それ以外には、現代の事象を捉え、これまでとは異なる角度から入り、違う流れに沿わねばなりません。これも難しいものですが、この方向が一番可能性があり得るということになるのでしょう。とはいえ、こちらも新たな工夫が必要です。


 
書くため0201(2016.02.01)
 読むことの方はそろそろ終え、書く方の算段もしなければなりません。
 構成をまともに作った上で書こう、といつも当初には思うことですが。


 
書くため0131(2016.01.31)
 全作家掌編特集63編の合評です。出席者は30数名だということで、出席者の作品を扱うだけで、ほぼ予定の時刻になりました。
 今回の作品は、比較的新しく加入した会員の作品が好評でした。やはり、どしりと動かないベテランの作品は勿論良いとして、新しい感性の作品に出会うと新鮮さが違います。他愛もなく行き止まりの扉が開けられるという、驚きがあります。
 全作家のスタンスである「仲間」というのは、素晴らしいものです。


 
書くため0130(2016.01.30)
 もう一度、全作家掌編小説特集63編を読んでいます。
 海の作品が、西日本文学展望で今日紹介されました。西日本詩時評の方は、1月20日に紹介されました。2つの評に出ることは、とても嬉しいことです。関東文芸同人誌交流会掲示板にも、昨年末数度に亘り懇切に紹介いただき、ありがたいことです。
 私の方、最近同人諸氏の熱気に押され、自分もそれなりの作品にしなければと、意欲を高めねばならないと思うこと大です。


 
書くため0129(2016.01.29)
 昨日の続きで、全作家掌編小説集を読み返しています。読み返すと、最初感じていなかった部分にも出会います。それぞれに、工夫があるのだと。
 長い間書く方から遠ざかっていますが、そちらの準備もしなければなりません。書くために読んでいる、というところもあります。


 
書くため0128(2016.01.28)
 全作家掌編特集、いい作品がありますね。広く出しても恥ずかしくないだろう作品が、少なくとも3編はあります。1回目を通しただけですから、2回ぐらい目を通すともっと隠れていた作品が見付かるかもしれません。
 やはり他の優れた作品を目の日当たりにすると、震えます。2ページという限られた中でも、短編や長編に負けないだけの感動があります。やはり、才能なのでしょう。いえ、能力なのでしょう。その方々は、短編でも長編でもいいものがあります。

 
書くため0127(2016.01.27)
 全作家掌編特集の約半分を、読み終え(17時現在)ました。こう並べて読んでみると、それぞれの個性が見えますが、上手過ぎても、まとまらなさ過ぎても違和感が残ります。作者と等身大の内容の作品を期待している訳ではありませんが、ここらの細かいところの差は何だろう、と思うものです。もともとどの作品も一定のレベルにはある訳ですから、この序列の違いというものはどういうふうに考えるべきなのでしょう。
 例えば、期待する作者が、期待どおりの作品を書いていたり、新しい視点からの表現がなされていれば、やはり高く評価したくなりますし、これ見よがしに書かれれば、多少引いてしまうということは出てきますね。それに、いつも「宗教」「魂」などという面に関心のある作者でも、もろに「魂」とか書かれると違和感を覚えてしまいます。
 見開き2ページという狭さの中に、どれだけのびのびと広いものを描けるか、ということになってしまいます。勿論、私個人の考えに過ぎませんが。


 
書くため0126(2016.01.26)
 全作家第100号の掌編小説特集に掛かりました。63編です。
 63編を並べて読むと、1編だけでは分からない味や、自作の欠点がよく見えます。きちんと読み込まないと、と思います。
 短編も難しいですが、2ページの掌編となると、難しいものですね。この短さで、作者の息吹や体温まで感じられるのですから、疎かにはできないものですね。
 最近、書庫の方は中休みしています。読む方に気持が移り、どうしても読まねばならないものが多く、今はこちらに集中しています。


 
書くため0125(2016.01.25)
 日月神示「地の叡智」に入りました。
 2015年の書籍・雑誌の販売額が、前年に比べ大きく落ち込んだということが伝えられていますが、書籍部門で「火花」が多少なりとも救世主役を果たしたとの書き方をされています。しかし、私など捻った見方かもしれませんが、昨年は「火花」発売時期に絡んで同人誌関連の書籍を持ち込もうとした経緯があったことで、業界の閉鎖性を特に強く感じました。要するに、卑屈なばかりの作戦をたてないことには本は売れないと、関係者自身がそう思い込んでいるのだということをまじまじと見、感じました。
 どこからでもいいから、いい作品があれば広めようという余裕も気配も毛ほどもなく、方法は一つしかないとされており、実際そうなのでしょう。では「火花」は業界の行方を明るく灯すものになり得たかというと、逆だと思うのです。
 あんな大々的な作戦をたてて「240万部」です。今後の先行きを見失う分岐点だった、とさえ言えるのではないでしょうか。大々的な作戦があってですから。
 書籍離れと言われて久しいのですが、本に親しまなくなったこと、購買者側も売り手の作戦に嵌まりたくないということ、IT技術の進歩でWEB上で作品を読み、情報を得るという方向が開けたこととで、もはや引き返せない道を進んでいます。
 これらの流れに逆らうかたちで、特定作家を英雄役に仕立て、芸能ニュースを詐欺まがいに作り上げ、「また、デッチあげたのか」という諦観を呼び起こしているのではないでしょうか。つまり、内容が派手であればあるだけ「狼が来た」ではないですが、刺激が作り物臭くて、多くが離れて行っているというのは否めないと思います。もちろん、ITにはなし得ないであろうところは何なのか、などと考えた上での競争であるのならまだ救われるのかもしれませんが、同じようなことを、似た土俵でやっていては先は見えません。
(読売新聞)
 2015年の書籍・雑誌の推定販売額(電子出版を除く)は前年比5.3%減の1兆5220億円で、過去最大の落ち込みとなったことが25日、出版科学研究所の調べでわかった。11年連続の減少。中でも、雑誌は7801億円で、同8.4%の大幅減となった。
 雑誌の内訳は、月刊誌が同7.2%減の6346億円、週刊誌が同13.6%減の1454億円。定期誌やムック、コミックの落ち込みが目立つ。
 書籍は同1.7%減の7419億円と小幅な減少にとどまった。累計240万部を超えた又吉直樹さんの芥川賞受賞作『火花』が、ほかの文芸書へ与えた波及効果も大きかったという。一方、電子出版は、1502億円で、同31.3%の大幅増となった。


 
書くため0124(2016.01.24)
 日月神示「天の叡智」(中矢伸一著)を読み終えました。次は「地の叡智」となります。なかなか読み進めず、難渋します。
 今、このことが必要であるのかどうか、とも思いつつです。
 パソコンで、催眠、退行催眠、前世療法などを検索し、究極のリラクゼーションであろうか、というあたりを眺めました。


 
書くため0123(2016.01.23)
 日月神示「天の叡智」(中矢伸一著)を読んでいます。


 
書くため0122(2016.01.22)
 日月神示「天の叡智」(中矢伸一著)に変わりました。しばらくブンガクから離れるのもよいと思い、かねてから読みたかった本に向かっています。
「引き寄せの法則」(同気相寄る)、「悪は悪ならず、悪にくむが悪」「悪に引き込まれるのは、己に悪あるからぞ」「万が一ばかりを考えていたら、何も行動出来ない」「自分本位の祈りには、自分だけの神しか出てこない」「大きな自分−それは宇宙全体であり、万物万象のあらゆる『いのち』であり、神そのものを表す−のために祈りを捧げ、その祈りに合致させた実践的行動をしていれば、自分に必要なものは時に応じて必ず与えられる仕組みになっている」等々と、まことに深いものです。
 こうやっていると、気持がブンガクから離れ、どうかすると人間からも離れようとします。どうなりますやら、興味津々です。


 
書くため0121(2016.01.21)
 池川明氏の「子供は親を選んで生まれてくる」を読み、ここ数日の気鬱が晴れ、微かにではありますが、自分自身が発してきた問いである「どこからきて、どこへいくのか、なんなのか」の答えが見えたかの思いになりました。その主要部分は、次のようです。
1)子供は、以前(特に中間生において)空の上にいたという。
2)子供は、目的を持って、親を選んで産まれてきたという。
3)死ぬということは、無に帰すということではない。→次の役目に就く。前世(生)があり、今世(生)があり、次生(生)がある。→死は敗北ではない。→怖いものではない。生まれかわりのためのものである。
4)生の目的は、魂をみがくことのためにある。
5)本来の宙には時間も空間もないのだから、セラピーで前生の姿を見、今生の目的を知り、前生のゆがみを正したりすると、前生の姿までが変わる。
6)魂の原理は、1つの原理では説明できない。→私たちには想像もつかないもの。見える世界だけが全てではない。魂が成長すれば、違うものが見えてくる。
7)魂の世界は、この世のすぐ向こうにあるのかもしれない。
8)母親の経験や思い込みで、子供に荷を負わせているのかもしれない。→そうなると、子は拒絶されたと受け取ってしまいかねない。生んでくれてありがとう、生まれてくれてありがとう、が本当のあり方である。
9)流産、死産にも大きな意味がある。
10)科学は万能ではない。一部を見て、その経験を元に積み上げ、認められたもの。だから、ニュートン力学では説明のつかないことが、多くある。
11)生まれかわりの意味は→生の場で、敢えて魂を曇らせる→磨くことで輝きを増す→これを繰り返す→生きていることに、意味がある。
12)人は、自身の存在を通じて、他の役に立つ。
 といったもので、小説に敢えて頸木や災いを用いるのは、11)の「魂を曇らせ」→「磨きに至らせる」という意味になるのかな、と思うものです。だから、「ものがたり」「もののあはれ」「ものごころ」なのであろうと考えます。
 

 
書くため0120(2016.01.20)
 清張などを読んだため、しばらく書けないことになるかもしれません。どうしたら、ああも素材を生かし、物語を組み立て、悲喜交々、もののあはれをも描くことが出来るのでしょう。格の違いを、まざまざと見せ付けられた思いです。相手が大文豪だとて、刺激は刺激として受けます。横綱の前でコロコロ転がされる力士、を見るがごとく。
 第154回の芥川賞・直木賞が決まりました。芥川賞は滝口悠生(33)「死んでいない者」、本谷有季子(36)「異類婚姻譚」、直木賞は青山文平(67)「つまをめとらば」だそうで、青木氏は歴代2番目に高い年齢での受賞だということです。
 メディアがあまり賑わないのは、タレントがいないせいでしょうか。それに、地元関係者がいないらしく、いつもの大仰な見出しは地方紙にも躍っていません。


 
書くため0119(2016.01.19)
 本多清の「314」を読み終えましたが、色や数字に込められた意味、というところはよく理解出来ませんでした。かなり強引な語呂合わせもあるようで…。
 喜怒哀楽、喜怒哀楽と考えますが、そこまでの余裕はとても持てていません。
 清張、漱石、井上靖ですか、学ばねばならないことばかりです。


 
書くため0118(2016.01.18)
 今日も、清張にどっぷり漬かっていました。これほどの「喜怒哀楽」を初期の作品から書けるというのは、凄いの一言です。
 恵与いただいた詩集のお礼状などを書きました。


 
書くため0117(2016.01.17)
 松本清張の「西郷札」「くるま宿」「火の記憶」「啾々吟」「戦国権謀」白梅の香」「情死傍観」など、短編を読みました。
 狷介、圭角などという字句がよく用いられますが、作品もそのものです。しかし、ものがたりの巧みさ、一抹のもののあわれを感じさせるのは、優れた作品であるからでしょう。清張作品を読むと、よくもまあ「調べたものだ、考えたものだ、一筋縄ではいかない、どんでん返しがある、無駄がない、文章が簡潔、くどい説明がない」等々と素人なりに考えます。自分に、この一遍でも書けるなら、と見上げます。
 清張作品の好悪は置いて、城の下から石垣を眺め、天守を眺めるに等しい目眩を覚えます。どこにそれを感じるのかは別にして、これ(こそ)が小説だというものでしょう。


 
書くため0116(2016.01.16)
 今は、もっぱら読むことに集中しています。どうしても読みたいから読む、ということです。ということですが、心霊関係やセラピー関係の本にのめり込み過ぎの嫌いがなくもありません。信じるか信じないか、という類の本もあります。ちょっと、誘導尋問気味なところもあり、「その反対は」という批判もネットでは出ているようです。
 私も「否科学的」という基準でモノ申すのは、人間の浅さ、傲慢さからくると思え、その仕切りには「否」ですが、「最初から都合のよい方向を設定し、運ぶ」というのは、これまたいかがなものかと思えてなりません。


 
書くため0115(2016.01.15)
 メールでの意見を出すことなどが停滞していますが、TSUTAYAで購入してきた分のいくつかに目を通したりしているうち、時間超過となりました。
 なかなか予定どおりにはいかないものですね。飯田氏をほぼ読み、本多氏の方は中途で止まり、清張の西郷札も広げたままです。
 新たに、清張を3冊、池川明氏の本など注文しました。中矢氏のも1冊です。
 科学を3%ほどしか信用しない私ですが、一応やはり科学を入口にする、というのもおかしなやり方かもしれませんが。「宇宙意識」というものは、「時間もない、空間もない」というのですから、3次元のわれわれには想像することの出来ない世界ですね。


 
書くため0114(2016.01.14)
 TSUTAYAで求めたのは、飯田史彦「ソウルメイト」、中矢伸一の「日月神示」3冊、清張の「西郷札」などです。「日月神示」は機会があればと思っていました。
 帰りの電車で「ソウルメイト」の最初のあたりを繰ってみたら、ソウルメイトの定義が述べられており、「対象範囲」というものがあって、「地球内部に限定するか、地球外部の存在にまで広げるか」「人間に限定するか、人間以外の生物にまで広げるか」とあり、「関係を持つ人生の回数」と続きます。それを「最も広い意味−宇宙に存在するすべての生命」からだんだん範囲が狭くなり、「一般的な意味」という中段階では「すべての人間のうちで、一定の関係をもった生命どうし」とあり、この書は、中段階の「一般的な意味」という当たりを念頭に書くという説明がなされます。
 そして、「宇宙の正体」として「無境界かつ無限界の普遍意識」つまり、「宇宙という存在が意識を持っている」のではなく、「宇宙そのものが意識」だというとらえ方をされます。「意識ある存在」とは、「ここからここまでが宇宙」とかいう境界がなく、これで十分」という到達点も持たず、あらゆるところに行き渡っている「意思をもって存在している存在」ということを意味するのです。
 この後の方はまだ目を通しておりませんが、この前文だけでとても納得出来るので、ネットでためしに検索をしてみました。
 すると、予期したとおり「科学的な根拠がない」「虚偽だ」「金儲けだ」「カルトだ」といった激しい非難が寄せられています。矢作氏のときと同じですね。
 例えば、「いま病に斃れている者に、『それには意味がある』などと言うのではなく、A国のB病院に行けば軽快する」といった情報を提供すべきであり、また、「前生、次生などということはどうやって証明するのか」といった、「今、こここそが事実」としか考えない輩の執拗な攻撃があります。さもありなんと思いますが、この道に入る限り現世・現生限り、現世利益的な攻撃のターゲットになるのですね。「おかしい」「狂っている」「騙しだ」と、こうきます。
 中身は読んでみないとわかりませんが、「こういう『自分が一番だ』というエリートが、最大の障害」になるという典型ではないでしょうか。


 
書くため0113(2016.01.13)
 本多清の「314」が意外と面白く、「光の言葉」を色や数字で知るという内容が、興味を持たせてくれます。新羅万象が、「光の言葉で説明され、理解出来る」というものですが、どんな規則性があり、どこにどのようなメッセージが込められているのか、科学を越えたもの、推理小説などとは違う「真実に迫る」ものとして、読んでいます。
 この何日か、人間の知識や思いの及ばない空間を探検している思いです。というか、私の最も興味ある領域です、やはり。「見えないものに真実あり」と幼い頃から考えて来ましたが、やはりここに立ち止まります。
 もっとも、三浦清宏氏と同じく、小説などの作品を書くことと絡めての興味でもあり、存在の意味を知るという意味での、私個人の興味でもあります。


 
書くため0112(2016.01.12)
 最初はそうでもなく、仕方なしに頁を繰っていたのですが、三浦清宏の心霊関連の本が離せなくなってきました。もともとスピリチュアリズムに嵌まったことがある故もありますが、人間存在というものを宇宙的な視点で見ます。こうやって見たとき、人間とは何か、時間とは何か、空間とは何か、という問いが自然に湧いてきます。
 この視点を持つということさえ、人にはそう多くはないことだろうと思われます。自分を含むありとあらゆるものが、この関係性の中にあるというのに、です。
 宗教も占いも出てきますが、中心になるべき「宇宙意識」というものに行き着くのは自然の流れだと思えるのですが。皆さんはそうでもないのでしょうか。
 早速本多清の「314」が届きました、何故か楯の会のことまで読む羽目になりました。こういう繋がりの妙というものは、何かに打ち込んでこそ出会うものだと思います。


 
書くため0111(2016.01.11)
 スピリチュアリズムにはまってくると、面白いものがあります。もともと、ここにはやって来たことがありますから、また興味が出てきました。三浦清宏も、結構広い活動をしているのですね。降霊会で三島由紀夫が出てきます。
 スピリチュアリズムの理想と、小説を書くことの関係について、三浦氏が質問します。スピリチュアリズムの目的は「愛」ですが、小説では「人間の悪を書き」ます。これは違背しないのかと。
 私もここを聞いてみたいのですが、現段階でははかばかしい答えは出てきません。仕組みは分かります。よく理解出来るのです。前世(過去生)→現世→次生という構図はよくわかります。空間や時間というものの意味も一応は、です。
 三島由紀夫が出てきた関係で、楯の会が出ました。幹部の本多清氏は、三島や楯の会の行動について深く考え、霊的な意味をも含めて考え続けてきたということだそうです。その「314」という本を注文することになりました。


 
書くため0110(2016.01.10)
 あと2〜3日、三浦清宏に付き合ってみたいと思います。期待していたほどには面白くはありませんが、久しぶりのスピリチュアリズムです。
 三浦哲郎、深沢七郎、村田喜代子も、もう一度読んでみたいものです。


 
書くため0109(2016.01.09)
 三浦清宏を先に読んでいます。心霊体験紀行というものですが、今のところ目新しい記述には出会っていません。少し退屈気味でもあります。
 海のホームページの整理をしたり等々です。


 
書くため0108(2016.01.08)
 原口真智子「神婚」「電車」を読みました。電車はいい作品ですね。神婚はどうでしょう。当時は、とても新鮮でしたね。
 三浦清宏作品に移ります。心霊世界に入ります。
 昨日から、文学街への転載のことで小さな行き違いなどありましたが、何ごともなく無事解決しました。メディアとか文壇とか書店とかの裏側の同人誌の世界でも、どっこいいい作品は生まれているのです。
 それらを無視する風潮…言っても詮ないことではありますが。流行や付帯価値はメディアによって作られる、というところが何より真実ではないでしょうか。
 そうですね、メディアという武器を持てば、白を黒とも、赤とも青とも、言えてしまうという怖さがありますね。いやはや、中心は本能寺にあり、ですか。


 
書くため0107(2016.01.07)
 清張作品を読みました。「父系の指」「菊枕」「笛壺」「石の骨」「断碑」と進みましたが、凄い短編群ですね。その迫力に、改めて驚かされました。
 生半可の出来合い作品ではないですね。ここまで執念を込めて、人間というものの欲、名誉、反骨に立ち向かう作品は凄いとしか言いようがありません。
 これまで読んではきたものの、ここまで徹底して心底までを見通し、ある意味では非情に徹し、傲岸不遜ともいうべき人間の醜さを描いた作品はなかったでしょう。
 改めて、これほどの筆遣いの精緻さ、綿密さ、不敵さ、偏狭さに徹した作品には、驚くしかありません。ただ、微かにこれら人間の織りなす業の「言い知れぬ悲しさ」を余韻として残している、というところに「人間を描き切った」という感銘を受けます。決して、お涙頂戴的な甘さをもっては近付けない、魔の刃を感じます。


 
書くため0106(2016.01.06)
 松本清張の作品の中途で、止まっています。三浦清宏の2冊、原口真智子の1冊が届きました。あと4冊届きます。
 読み出したら止まらなくなり、しばらくは読みの方専門で行きます。それほど、読むことに日頃時間を割いていないということです。やはり、工夫のなされた作品、新鮮な果実に触れる作品、これらは大切だし、嬉しいですね。
 海第15号を、送るべきであろう方に送付しました。


 
書くため0105(2016.01.05)
 何度目になるでしょう、松本清張の「或る小倉日記伝」を読み、震えが走りました。こんな見事な短編には、出会ったことがない、というものです。実際これまでにも読んできたのですが、他の作品と比べて読んで、あまりの切れ味のよさに今更ながら恐れ入ったというところです。伝便屋の鈴で始まり、醜い障害を持つ田上耕作が、不自由な身で命を賭し、鴎外が小倉にいた3年間の日記(当時見付からなかった)を、周囲の伝手を廻りながら「聞き、書き起こしていく」というもので、完成をみないままに耕作は死ぬのですが、最後に「鈴」という言葉を発します。耕作が生まれた頃に、近くの伝便屋が鳴らして通った鈴の音でしょう。耕作の母のふじの美貌、耕作の伝手廻りに付き合ってくれたてる子の明るさ、彼らにも作者の目は注がれるのですが、見事なまでに乾いています。
 鴎外の平時の姿、軍服を着たときの姿などが、伝手のいくつかの言葉として語られますが、肌に血が通っていながら、濡れたり汗ばんだりしていません。
 耕作の死の3月後くらいに、本物の「小倉日記」が発見されることになります。「田上耕作が、この事実を知らずに死んだのは、不幸か幸福か分らない」という簡潔な言葉で締められるのですが、実に鮮やかです。


 
書くため0104(2016.01.04)
 三浦哲郎に続いて、三浦清宏「長男の出家」「トンボ眼鏡」などを読みました。三浦哲郎の本は6〜7冊ありますが、三浦清宏の方も5冊注文しました。心霊研究、スピリチュアリズムというものの本はかなり読んだのですが、芥川賞作家の心霊研究とはいかなるものであろうかと、興味を抱いた次第です。アメリカ在住歴がある人なので、当時席巻したあのスピリチュアズムであるのか、いかがなものか。
 原口真智子も注文しました。30年前西域では互いに掲載されたことのある方ですが、氏は芥川賞候補になった経歴があり、懐かしいタイトルを見付けたので求めることにしました。書評を書く氏から、「良い本に出会わなくて」とのコメントをいただきました。
 新刊書で読みたいと思う本が少ない、ということは特に感じます。240万部売り上げなどという派手な花火を打ち上げるから、面白くないよと言う羽目になりますが。


 
書くため0103(2016.01.03)
 評論となると読めないし、読んでも入ってこないので、好きな本だけを選んで読んでいます。いい本はいい、としか言いようがありません。
 積み上げている本の数は多いのですが、あまり読んでいませんし、どれかの作品にヒントをもらって書くなどということもありません。と言い切っていいのかどうかは分かりませんが、文学というものを系統だって読んだこともなく、説明することも出来ません。話す機会などありませんが、話す内容も持ち合わせません。
 と言うより、文学文芸とは関係のないことばかりに興味を持ってきましたから、どういうことになりますやら。一番先に触れたのは啄木の短歌や芭蕉の俳句ですから、短歌や俳句の方が手応えを感じますし、絵と風景とストーリーを同時に感じます。詩も嫌いではありませんが、「わざと技法を駆使して分かり難くしたもの」「俺の(この鋭い)感覚が分からぬか」という手合いのものには、あまり近付けないでいます。
 散文の方は、どうしてもパッションを求めてしまいますから、「高等だろう、どうだというもの」や「理屈が勝ったもの」や「分かり難さを狙っているもの」や「あまりにも情感たっぷりのもの」「くどくどしいもの」にも近付き難さを覚えてしまいます。
 書くとなると、理論とまとまった知識がないので「評論は書けない」し、「エッセイは絶対書けません」が、身辺雑記風の小説も出来たら止めにしたいものです。となると、小説の方は「自分の中での虚構づくりの工夫」が必要です。
 ついでに書くと、「小説」という呼び名はなんとかならないものか、といつも思うのですが。どうせ嘘っぽくするのなら、「創作」の方が好みになりますが。


 
書くため0102(2016.01.02)
 正月の間は「読むだけ」と決め、いつでも読みたい本数冊を並べましたが、今は「三浦哲郎」を読み込んでいます。「忍ぶ川」などは芥川賞の選評でも「古風過ぎる」という意見が多かったそうですが、端正な作品だなと読む度に思います。「忍ぶ川」「志乃」という取り合わせも印象に残りますが、志乃がただ堪え忍ぶだけの女性でもなく、だからといって主張するという女性でもない、結局「古風な人物を描いた作品であるのかも知れませんが、明るさを感じさせてくれる作品」でもあり、小説もこういうふうに心を打つ作品であればいいな、と思うことです。
 目の前には、深沢七郎作品、村田喜代子作品、宮本輝の初期作品、松本清張の初期作品、その他幾冊かあるのですが、「小説もいいな」から「小説はいいな」という作品を並べ、前向きになれたらな、と思っているところです。
 一方、海連絡掲示板の色を幾通りにも変えてみましたが、結局元のままがいいという妙な結論に落ち着きました。変に主張しない、かといって引っ込み過ぎてもいない、というあたりでしょうか。それより、目に変な刺激が少ない、というのも大切です。


 
書くため0101(2016.01.01)
 年賀状を読み気持を新たにし、海のHPに新年の挨拶を書き込みました。
 そうすると、第15号までのもやもやがどこかに消え、気持は次へ飛んで行きます。こうやって区切りを付けるということは、悪いことではありません。
 海第16号が「新たな方向を照らすもの」に、何故か思えてきました。さあ行くぞ、という気持です。イメージが広がります。
 その前に、わが作品です。少しまっとうな、少ししなやかな、少し肩の力の抜けた作品が書ければ、いえチャレンジしなければ、と思う次第です。

 索 引


2016年

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