コーヒータイム


「無名作家のメモ」、「無名作家のつぶやき」とでもいうべき欄です。
このHPの中で、管理人が、最も気楽に書いている部分です。内容は、やはり「文芸について」です。


ということでありましたが、評の類はどうにも苦手であるということがわかりました。
2010年2月からは、「小説に至るメモ」の場として、この欄を使いたいと思います。乱雑なメモ、の類
に終止するかもしれません。
私生活については原則として触れないことにいたします。同人誌等の関係者の記述をする場合に
あっても、出来得る限り御迷惑にならないように心掛けるつもりでおります。


2013年12月までの分は→ NO5へ
2012年12月までの分は→ NO4へ
2012年03月までの分は→ NO3へ
 2011年06月までの分は→ NO2へ
2009年12月までの分は→ NO1へ

 


 
書くのだ1231(2014.12.31)
 海の方はかなり勢いが出た感がありますが、退会者があったりで、プラスマイナス零というところだろうと思います。しかし、全国的にも名前が知られ始めた個人がいるということは、同人誌のなかでは評価すべきことでしょう。
 私的には、一定の評価をいただいたことは将来に生かし、もっともっと力不足を感じておりますので、一層の向上に向けて努力したいと思います。
 海にとられる時間が長いのですが、これはわが宿命とでも捉えるべきだと考えます。全作家、文学街、小説と詩と評論各誌にも、積極的に関わり、多くのものを吸収させていただければ、と願っております。


 
冬は将軍1230(2014.12.30)
 暖かかったので、大掃除をしました。我が部屋、玄関まわり、全体の掃除、正月準備(注連飾り、鏡餅)、庭掃除、ついでに蒲団干し、洗濯もやりました。
 年が行くんですね。もうちょっと待ってほしい気もします。
 ちょっと歌に懲りすぎて(PCの検索ですが)、これをやってたら肝心のことがやれませんね。うーん、考えもんです。BOOK OFFでCDを探していた頃の癖が、また出るかもしれません、ね。まだ、緒についたばかりですが。


 
書くのだ1229(2014.12.29)
 はてさて、海の福岡在住者だけの「何でも会」です。半数が福岡県外の方ですから、ちょっと心苦しいのですが、3人程度でも意見交換をと。
 うまくいきますやら。冊子をたくさん抱えて出向きます。
 この間も、感想などいただいています。そう、HPのアップもしなければなりません。うーん、オフになったかと思うとそうもいきません。
 全作家の会費も振り込んできました。


 
書くのだ1228(2014.12.28)
 眠れないほど面白い「古事記」という本をほうほうの体で、読み終わったのですが、これほど面白くない本はありませんでした。
 古事記そのものを読むことから逃げての「面白本」という方を選んでみたのですが、古事記そのものが面白くないのか、面白本に翻訳した内容が面白くないのか、多分両者だと思いますが、心の襞一枚にもひっかからなかった感があります。
 何か違うだろう、という空しさの方を覚えてしまいます。美しい娘、交い、陰謀、権力争い、殺戮ということの列挙は、人間の有り様そのままなのかも知れませんが。


 
書くのだ1227(2014.12.27)
 年末に入り、物流の仕事が滞っているとみえなす。小説と詩と評論も、全作家も、今日は届きませんでした。
 街は(街には出ていませんが、あたりはの方が正しいでしょう)日頃の動きを止め、年末の準備に入ったのでしょうか。ひっそりしています。
 この間に次の準備に入るべく気構えだけはあるのですが…。


 
書くのだ1226(2014.12.26)
 海第13号に関する感想や評が寄せられています。今日の感想の中でとても嬉しい記述がありました。それは、「花書院がしっかりしている」という表現でした。
 作品の内容にはそれほど触れられてはいませんが、多くの同人誌や文芸誌を見られている方であるだけに、海の「装丁」や「製本」の技術面にも目が行かれたのでしょう。また、安易なミスプリントや誤字や脱字がないということは、初歩的なことではありましょうが、そういうところにまで気を配るという真摯さに気付かれたのだと思います。
 花書院の中での校正は実に「1字1句」、「てにをはの言い回し」、「人物の入れ替わり」、「表現の不統一性」などまでしっかりと読み込んであり、ゲラに貼られた付箋を見て「どこにそんなのがあったのやら」と思う、「。」や「.」(てん)の誤りまで見ていただいています。私が最終校正で、初めて「示されるもの」が必ず数点あります。
 要は私たちは表現することから始めるのですが、印刷製本の専門の方は、そこの肝心な点にまで目を配っておられます。私たちも精一杯のことをしなければ、と思わずにはいられないことです。そう言いきかせて書く、ということは大切なことだと思います。
 今手元に他誌があるのですが、「ルビ」の行間が開いたままになっているのです。せっかくの作品が、興ざめになってしまうのですね。


 
書くのだ1225(2014.12.25)
 小説と詩と評論第334号は、私には今後あり得ないほどの高質の冊子だと思われますので、無理を言って追加注文を申し込ませてもらいました。
 さて、海の福岡在住者だけでもと思い、「雑談何でも会」を呼び掛けてみました。花書院の仲西社長ともかねてからやりましょうと言い、延び延びになっていました。年に1度か2度くらいでも集まりをしないと、どこかが乾いてしまいそうですから。
 なにせ、かつての海のこの時期は、大嵐でしたから、往事を知る者には隔世の感があります。意見を交換し、ぶつけあう場は、失ってはいけないと思います。
 お陰様で、海への感想を次々にいただいております。温かい意見、厳しい意見などいろいろですが、前を向くためには厳しい意見にも耳を傾けねばならないと思います。自身の中で完結し、満足してしまっては立ち止まることになりかねません。立ち止まって考え、やはり出来るだけ前へ、そして高く飛びたいものです。


 
書くのだ1224(2014.12.24)
 海の作業を終え、整理にかかります。この間、感想などが寄せられます。有り難いことだと思います。感謝です。
 全作家にも、2晩ばかりじっくりかけて加除訂正をしました。この作業も、楽なようでそうではないのです。細かい部分まで、人物のズレや、数値のズレなどがないか。表現は飾りすぎていないか、作者本人の勘違いはないか、酔ってはいないかなど、細部までチェックしますし、大幅に書き直します。
 ストーリーが大きくは変わらないため、読む方には前のと同じではないか、などと思われることが多いことですが。というものですが、今日出しました。大いに恥を書くことにしました。恥を書く(かく)ことで覚えることが多くありますから。


 
書くのだ1223(2014.12.23)
 今日こそは全作家の分をやるぞ、と取り掛かり2度は目を通したものの、まだしっくりきません。過去に何10度と読んでいるのに、読む度に直したくなるのは、わが作ですから無理もないことですが。
 昨日から今日にかけ、関東文芸同人誌案内掲示板で根保氏から熱いメッセージをいただき、これからの指標にさせていただきたいと、誠に有り難く思います。
 田舎者の私どものこと、聞いて初めて知るという具合ですから、御教示をいただいたことを大切に胸に刻んで、糧にさせていただきたいと思います。


 
書くのだ1222(2014.12.22)
 今日こそは全作家の分をやるぞ、と取り掛かったつもりが、印刷所からの請求書が届いたので、急遽払い込みに走り、その流れで会計報告書を作成しました。
 一番難渋するのは、貯金通帳のコピーです。小さな印刷機のコピー機能で四苦八苦しながら、なんとかなし終えたのですが、色が薄いのです。
 収入の部、支出の部の内訳を書き、通帳のコピーを切り貼りし、印刷所からの請求額内訳を貼り付けます。この間、約半日です。
 郵送の分、メールでの通知分というふうに分け、今日中にケリを付けました。これが上手くいけば、海第13号がようやく終わります。
 この疲労のピークのとき、関東文芸同人誌案内掲示板に海第13号の記事が出され、芯から嬉しく思いました。こういう一事で疲れが吹き飛んでしまうとは、同人誌というものがいよいよ奇妙な魔力を持つものだな、と思えたことでした。
 送付していた原稿が、文学街の方で動き出しそうです。さてさて、どうなることやらと、だんだん心配になってきました。
 

 
書くのだ1221(2014.12.21)
 海第13号を開くたび、気持が晴れないのです。何でだろう。フォントを変えたせいか。表紙の色のせいか。我が作品の魅力のなさ故か。何だろう、と考えます。
 しまいには、同人誌など何でやっているのだろう。という自己嫌悪に陥り、寝ている間もその気持に支配されていますから、どうもよろしくありません。
 文芸は世界に通じる芸術だ。などと威勢よく言っている間はいいのですが、何でわざわざこんな恥さらしをしでかすんだろう。(と、『何度も問われる』ことですが、まともに答えられたことはありません)
 結局、「そこに山があるからだ」、いや「山はなくともやるだろうな」などと考えた日には、「芸術なんて破壊行為じゃん」という、さらに激しい自己嫌悪の気分を強めてしまうのですが、「同じ芸術でも、よい作品に出会うと感動するし、奮い立つ気分になる」「好きな歌など聴くと、癒やされる」のですから。となると、「わが作品がよくない」という話に落ち着くのですが、尊敬する作家でも「御本人は気難しく、家族や親戚にはまるで歓迎されない」という傾向にあるらしいですから、「芸術(知恵)ということを知ったアダムとイブには、心が安まるときなどないのだ」ということでしょうか。
 ならば、今日限り「文芸という芸術関係者の端に連なるのは辞めだ」と勇を奮って実行しようとしてみても、アダムとイブはもう引き返せないのです。
 理屈をこねるのは辞めて、全作家の作品はどうする、と現実的な問題を思い出して、さてどうしたものか「参加し恥を書く」と決めておいたんだし、と考えるのです。


 
書くのだ1220(2014.12.20)
 書かねばならない。と、すぐには切り替えられないのが実情です。
 才能の問題もありますが、取り巻く状況のこともありまして。そんなことは理由にならないと言われそうですが、人間というのは我が儘ばかりも言えないようです。
 部屋に籠もる。人付き合いが悪い。等々と書き出したら、際限もありません。文芸、美術、音楽など、つまり芸術と言われることに係わっていれば、知らず知らずに我が儘、マイペースで生きているようです。
 それで生活している訳ではなくとも、近辺に障害がなくなることはありません。


 
書くのだ1219(2014.12.19)
 海のHPの更新を昨日までに終わらせる予定が手順を間違い、今日の午後になってようやく済ませることができました。
 少し気分が穏やかになり考えてみれば、受賞関係の記述のことで焦ったりしたのは、どうも平常心ではなかったからかもしれません。この間、文学街、文芸思潮などと連絡事項が重なったりして、かなり焦っていました。
 焦ると碌なことはないもので、いったい何事なんだろうかと陽羅氏は思われたことでしょう。とんだ、迷惑をお掛けしたものです。


 
書くのだ1218(2014.12.18)
 海第13号(通巻第80号)の発送作業をしてきました。メール便105通(1冊85通、2冊25通)と、宅急便2個です。約4時間の作業です。
 途中で、受賞関係の記述が気になりだしたのですが、印刷済みであることで何とも出来ません。具合が悪ければ、次号で訂正の記述なりをすべきかと判断をし、作業を進めました。ニュースは早ければいいとは限らないのだ、と気付きました。
 うまく行けば、後は経費の方を片付け会計報告を、と進みます。


 
書くのだ1217(2014.12.17)
 明日に備えて、添え状を印刷、同人には違ったものを印刷、宛名ラベル印刷などし、スタンプや指サックなど「グッズ」を揃え、確かめました。
 明日も激しく荒れそうな天気だな、と考えますが、これを終えないことには。
 たまには歌でも聴きながら、という訳です。昨日はヒカル、今日はZARDです。
 文章は思い出さないのに、歌だと思い出すのはなぜでしょう。歌は、幼時から洩れてきたのを聞いていたからでしょうか。好きだからでしょうか。


 
書くのだ1216(2014.12.16)
 文学街からの依頼の分として、「女王蜂の飛行」を出しました。
 さて、今度は海の発送です。準備も、作業もあります。上手く行けば、会計報告です。ナルシストの仕事も、結構詰まっているのですね。
 全作家はどうするか。まだ、何も決めていません。
 ユーチューブを聞いていて、例えばオフコースだとすると、同じところのソロを聞き比べたら、小田和正の声はとびきりの艶があるというか、違うのです。他のメンバーの歌も上手いのですが、小田和正のところにくると歌が光ります。
 芸術というものは、こういうものなのだな、と感じました。理屈ではないのです。パッと光が射すというか、息が吹き込まれるというか、これなのですね。
 優れた芸術は、万人の中からでも知れるのでしょう。
 作家も同じ理屈になりましょう。同じことを、同じ語り口で書いても、光るものは光るのでしょう。ここなんでしょう。才能というものの所在は。
 命を吹き込まれた何かがあるか、他に命を吹き込むものがあるか、でしょうね。


 
書くのだ1215(2014.12.15)
 文学街からの依頼の分として「女王蜂の飛行」を見直しています。この作品は、2年ほど前に書いたものですが、海に発表するには躊躇われるところがあり、お蔵入りにしていたものです。では、文学街にもどうかと言われると、迷うところです。
 約100枚の作品です。文学街の方でどう扱っていただけるか、に掛かっています。


 
書くのだ1214(2014.12.14)
 ようやく年賀状を終え、文学街からの依頼分に移ろうかと思っています。
 それにしても、某誌の編集後記には「文芸書は売れるの、売れないの」「同人誌に集う人種は、ナルシストで変人」だという趣旨のことが書かれていますが、この誌のかつての評には「思い付き、言いがかり、投げ捨て、攻撃、独りよがり」的な内容ばかりで、悩まされたものです。いったい何が言いたいのか…聞きたくもありませんが。
 他を「小馬鹿」にした書き方をどうにかしないと、「同人誌とは所詮そんなもの」ということで終わってしまうのではないでしょうか。しかも、この方にはまともに取り組もうとする者を小馬鹿にする、という悪癖がありますね。
 目の前のことだけしか、見えておられないのでしょう。残念ですが。


 
書くのだ1213(2014.12.13)
 年賀状に時間を取られて、書くことも読むことも出来ずにいます。
 その間に、同人誌が届けられます。どこも今の時期に重なるのですね。海の送付も近日中にせねばならず、ちょっと焦ります。年末は忙しいというのが、相場ですから。


 
書くのだ1212(2014.12.12)
 まだ躊躇しています。出来たら、これから新たなものを書けたらいいのですが、スケジュールも立て込んでおり、新たなものはキツイですね。
 だとすると、旧作のやり直しとなってしまいます。大抵の作品が公表済みなので、さてどうしたものかとなります。
 新たな方向が漠然と見えかけているだけに、悩めるところです。やはり、旧作の中、改訂しても中身がそれなりにあるものを、と考えます。


 
書くのだ1211(2014.12.11)
 文学街の森氏から、すぐに出せる原稿はないかとの問い合わせが。ということで、どこにも出せずに躊躇している「女王蜂の飛行」をチェックすることにしました。
 この内容、かなり世間を騒がせることになるかも知れません。
 どうしようかな、などと思案している時間がないので、これも何かの縁かと。ここまで考えましたが、まだ躊躇しています。


 
書くのだ1210(2014.12.10)
 書くのだ、は掛け声ばかり。海の作業(「原稿・冊子作成要領」、「送付文書」など作成)でお茶を濁してしまいました。
 読むのだ、の方も空振りです。


 
書くのだ1209(2014.12.09)
 海第13号の発送を18日と想定し、連絡しました。
 それに合わせて送付先確認、宛名ラベル作り、その他一式の準備です。今回は3冊だと2センチを越えるので、2冊を上限にします。
 その他、25冊と11冊です。
 この間、花村萬月の「父の文章教室」を読みました。5歳ほどまでの間に、親や環境からどういうものを与えられたか、どう心に、身体に刻み込んだかが、やはり大切ですね。命令であろうと、脅迫であろうと。ネグレクトだけは、いけません。
 愛情です。優しいとか優しくないとか、そういうことではありません。存在が認められたか、求められたか。その一点に掛かることかも知れません。


 
書くのだ1208(2014.12.08)
 印刷所での、海第13号の校正を終えました。4時間近くかかりました。
 何度経験しても、「ベストだった」ということはありません。判断に迷うことが多いものです。「最低ラインをどのあたりに置くか」ということですが、いつも新しい問題に直面します。難しいものです。
 一方で、出来るだけ早くこの1サイクルを終えたいという気持が働きます。というのは、サイクルが終わらなければ、どうしてもそちらの方に気が散って、他のことに本気で取り掛かれないからです。送付して、会計報告をするまでは。


 
書くのだ1207(2014.12.07)
 明日の校正に向け、準備をします。原稿をもう一度読み、持って行くべき資料を揃えます。気付いた細かな修正箇所など、書き出して。
 こうやって、1つの号を作っていきます。内容はかなりよいものだと、思います。
 肝心の我が作品の、今後について本気にならねばなりません。村田喜代子氏作品に随分刺激を受けましたが、ああは書けないだろうな、と距離を感じています。


 
書くのだ1206(2014.12.06)
 他の本を読もうとしたり、書こうとしたりしても、やはり海の原稿が気になり、読み返してしまいます。先日、直前に差し替えた分も、目を通してみました。
 上々の出来で、文句なし、という内容です。しかし、出来上がるまでは、どうしても気に掛かってしまうというのは、職業病に近いものになってしまいました。


 
書くのだ1205(2014.12.05)
 ううむ次作は、と考え込んでいます。良い作品を読んでも、すぐには血肉とならないようで、我慢して成るか成らぬかの発酵を待つよりありません。
 それにしても、村田氏の話はそこここに落ちていそうなものなのに、氏が描くと途端に息を注がれ、誠に、珍妙に、したたかに立ち上がってきます。
 ああ、ここが才能なんだ、と呻いてみても我が胸に落ちてくるのは、相も変わらぬひねくれ話ばかりです。うむうむ、と何度唸ったことでしょう。
 陽羅氏は殊の外お元気のようで、安心しているところです。


 
書くのだ1204(2014.12.04)
 パソコンをいじっていたら、YOUTUBEでの歌に。歌はいいものですね。胸に、腹にダイレクトに響きます。かつて、何の音楽の指導も受けていませんが、歌は1度聴いたら覚えていました。今では1度でということまではいきませんが、根から好きなんです。1曲を始めたら、止まらなくなってしまいます。
 カラオケでも100曲は下らないでしょう。絵もいいのですが、芸術というのは社会の異端児ではありますね。芸術で生活していくとなると、本気でホームレスを覚悟しないといけない羽目になってしまうでしょう。
 文芸も同じです。文で生活出来る数はどれくらいのものでしょう。 ある意味安全地帯にいるから、中身も、覚悟も足りないのかも知れません。
 村田喜代子の短編集を読みましたが、何度読んでも新鮮です。ああ、これが文で生活していくための才覚なのだな、と納得はしました。
 短編集の中には、生活の中身の現在、未来がぎっしり詰まっています。
「蟹女」「望潮」「茸類」には驚かされますし、「熱愛」「鍋の中」「百のトイレ」などには旨さ、凄さを感じました。


 
書くのだ1203(2014.12.03)
 笹原さんの詩「夢想」が、第20回NHKハート展に入選したという知らせです。お母さんからの電話では「まだ正式通知も届いていませんが」ということでしたが、海第13号には「入選という事項」を掲載し、NHKによる作品とのコラボが2月以降に行われるということなので、それらのニュースを前回(海第6号)のような形で載せられたらと思います。何にせよ、こうやって誰かの作品が社会的に評価がなされると、編集作業人も無性に嬉しくなるものです。
 確かに、海は詩や評論をメインに行うということで始められたと聞きます。当初は、重厚、軽妙、洒脱な作品を書く同人が多くいて、恐らく九州の詩を牽引していたのではなかったかと思うものです。彼らが彼岸に渡ってしまい、現在残された11人で第二期を繋いでいますが、詩には笹原、井本という二人がいて、支えるという形です。
 反面、小説は高岡、牧草というあたりがかなりのハイレベルの作品を書いており、全国的にも反響を呼ぶという域にあります。評論は相当人材が枯れていて、かつての論客たちの勢いを思うに、何とかならないものかというところです。


 
書くのだ1202(2014.12.02)
 書くこともなく、村田喜代子の「八つの小箱」を読んでいます。


 
書くのだ1201(2014.12.01)
 タイトルを「書きたい」としましたが、「書くのだ」に修正しました。
 海の編集がらみで多少説明しておかねばならないと思いましたので、「連絡掲示板」に編集というものの中身を書き、載せてみました。
 しかし、問題は、誰も読んでくれない、ということの方にあるのかも知れませんが。また、こういうことをガチガチに書くと、気持が離れるという部分もあろうかということを見越した上で、なお載せた訳です。思えば、海が荒れていたのは大方は「編集がらみ」のいざこざだったという思いがあります。何をどう願っても、覆されるのが編集担当者の意見だったろうと、今になって思うことです。
 編集という部分は、自分がやる身にならないと、絶対理解出来ないと思います。1同人であった時代に、「何でこれしきのことが問題になるの」と思っていた自分ですから、その身にならないとこれはわからないことだと断言出来ます。
 しからば、同人誌をどう続けるかは、編集者の気持ち次第だと言っても間違いはないでしょう。海よ、海よ、どこに行く、ということです。


 
書くこと1130(2014.11.30)
 昨日までの「読む」生活に慣れ、「書く」にスムーズに移れません。仕事ととして作家ををやっている訳でもなし、仕方ないかの思いです。
 書くことは、幾ら理屈を積み上げても、簡単には身に付かないものでしょう。いや、理屈をこねればこねるほど、筆は進みません。
 こんなとき、何とも情けなくなったり、反対に本当の作家をやっていなくてよかったと安堵したり、めちゃくちゃです。
 読む、書く、が連続的にわが内に根付いてくれるのを願いつつ、どこかで駄々をこねている自分がいます。何ともまあ、性根の座らない奴よ、と唾したくなるのもこんなときです。情けないやっちゃ。自分の頬を張り倒します。


 
書くこと1129(2014.11.29)
 12時に約束していた印刷所に出向き、打ち出したペーパーと、データのファイルを提出、相談に入ります。校正は12月8日になるとのことです。
 さて、普段より遅い朝一番にくだんの件が気になりパソコンを立ち上げます。新たなファイルが入っています。こういう場合は、これまでやったことのある「例外措置」をとることに決め、メールで説明、電話で連絡、新たなファイルを慎重に取り出し、持参するデータに加えます。ただ、印刷所での校正は全てを読んで行うという余裕はありませんので、内容については作者に責任を持っていただきます。
 これが終わると、発送準備、実際の発送、その間に会費納入の調べも(行く暇がない)必要ですが、これだけのことをやるには自分がもう一人必要です。11月20日の納入状況が厳しい状況だったので、一応全員宛に「督促という形」のメールを入れます。(早々と納入いただいた方には、大変失礼なことですが)
 発送が終わると、会計報告、他誌の受領、受領の御礼の返事、などとオフの仕事も結構大変で、こういう状況で考えることは「皆さん、(例えですが)芥川賞ぐらいもらってやる」の台詞だけでなく、本気で書いていただきたいと思います。やればやれる、やれるうちにやる、という本気度一杯の作品に出会いたい、ということです。
 今の海のシステムがうまく稼働していないことは分かります。その中でやるのですから、黙ってリングを立ち去るということなく、(嘘でも、いや本気で)「チャンピオンになる」という思いを持とうではありませんか。
 海のかつての合評会は、この熱気が過ぎる感がありました。しかし、本気の気合いだけは必要だと思います。気合いだけではなく、実現を見ることですが。
 海というところは、かつては荒れ狂うのが常でした。


 
書くこと1128(2014.11.28)
 海の原稿を全て読み、諸資料も点検し、明日印刷所に持参するという準備が整ったと思ったら、「悪魔的とも形容すべき連絡」が…。「原稿を差し替えたい」ということです。
 これをやられると、これまでの半年が何だったのか、「作者校正済み」とは何だったのか、と「とんでもないことだ」となります。しかし、これを「今まで何回やられた」ことでしょう。当方は「全体を見、個々の作品を見、整合性を見、「てにをは」「、」「。」まで確かめ、それらの全てをフォーマットに合わせ、それでも心配だから何度も見返し」、さあチェックもれはなし、と確認した途端に、不思議にやってくるのです。
 「こんなことやってられません」というところが本音ですが、作者の一人である自分に事情がわからない訳はないので、「どういうことですか」とおもむろに尋ねても、回答はありません。真夜中なので、「こんな時刻に電話も?」としかいいようがない訳です。それでも小一時間待ち、返事なし。よって「約束し、これまでお知らせした内容で進みます」とのメールを入れ、電気を消します。
 すると、屋根の上を何物かが走るので確かめに走り、戸締まりを確かめ、寝たか寝てないのかわからないまま横になります。


 
書くこと1127(2014.11.27)
 私による海の最終校正です。全てをプリントアウトして読まねばならないので、後1日を要しそうです。タフな作業です。
 全180頁、かなり充実しているのではないかと感じます。


 
書くこと1126(2014.11.26)
 海第13号の委員校正が大方終わろうとしています。で、実在の人物の半生を扱った作品であるということがわかり、さてどうしたものかと大慌てで調べごとです。
 なかなかのいい作品であるので、どういうふうに処置をしたらいいのか、この道の専門である花書院に問い合わせることにしました。


 
書くこと1125(2014.11.25)
 世間の3連休が明け、ようやく日常に戻りました。
 まず、小説と詩と評論への掲載料の送金です。連絡が付き次第、最初に片付けました。海の方は、WEB上での確認をお願いしております。188頁を180頁にするということも、道筋を付けました。
 陽羅氏は21日に退院された由。かなり辛い入院だったのではないかとのことですが、気迫は変わられないという、事務局からの連絡に安堵いたしました。


 
書くこと1124(2014.11.24)
 我が作品について考えました。私小説風路線は、本来向かおうとしていたものではない、ということです。「私小説風」と書いたのは、いかにも私の生活そのものであるかの如く書いているのですが、ここに私の主張も目的もない、ということです。
 ではどうするか。では、どうするのか、です。
 作品には、どうしても作者の顔が覗きますから、完全に「私小説風」を脱し切れるのかどうか難しいところですが、「どこからきたのか」「どこへいくのか」「なんなのか」を追求していくのに、私小説風を脱することが出来れば、ということを願ってこれまでやってきました。しかし、まだ解決の糸口は掴めません。
 現実生活にはあまり興味はなく、人間関係にもあまり興味はなく、だとするとどこに方法を求めるか、ということになります。
 その入口が見付かるまで書かない、という方向もあります。ともかく、我が狭い経験の世界を書いて何になる、というのが私の直面する問題です。
 この数日は、「私小説風」作品から足を洗うことという重いテーマと向き合っています。そもそも、私はこの世界は「幻」と思い、今日に至ってきたのですから、自分の周辺の人間を描いて何になる、という思いです。
 しかし、小説の対象は人間です。であるのなら、「我が経験や生活とは離れたモノガタリ」を創り出す外はないのですね。また、「ゴンゾー爺さん」シリーズでもやらかしますか。そうそう、この時間空間を越えたモノガタリという入口はもっていますし、力が付いてくれば「時代小説」にも入れます。
 目下は、時代未定の「旧OR近未来小説」を始めてみてもよいのかもしれません。そうです、それこそ「評を度外視して、書きたいことを書く」という姿勢です。
 全くの架空の話の世界です。それらを開拓しましょう。いえ、奥に入り込んでみましょう。入口だけは、小さいものを拵えています。「白い道」「白い音」「タイムスクリーン」などがあります。この方向ですね。
 現在の作品を参考にさせていただくのは、深沢七郎、村田喜代子、松本清張等々になりましょうか。そうです。この方向です。とんでもない作品になりましょうか。


 
書くこと1123(2014.11.23)
 海の整理を行い、180頁で止めようと考えました。私の8頁を抜くことにしました。
 それにしても、「何をしようとしているのか」という問いに、明確に答えられない自分がもどかしいですね。「これをしている」と、客観的に言えるものがほしいところです。自身の指針としても、本当にほしいところです。
 他の同人誌の皆さんは、どうしておられるのでしょうか。


 
書くこと1122(2014.11.22)
 パソコンではファイルのやり取りがスムーズにいかなかった同人と、やり取りが出来るようになりました。多分、ワードの問題だと思われます。
 そこで、ファイルを送付し、パソコンを用いての「確認・修正」(校正)を行っています。やはり、これが行えるととても便利ですね。


 
書くこと1121(2014.11.21)
 海第13号の原稿締め切りを終え、全体を見廻すと188頁を数えました。第10号の190頁に次ぐ厚さです。小説の100頁越えが大きいですね。
 皆さん技術的にはかなりのものですが、後は「しなやかな描写」「あっと目を引かせる内容・書き方」「心理描写の連なり」というあたりで、どうかということでしょう。若者たちの心理の描き方は、非常に弾力があり、粘り気がありますね。
 体質的にどれを受け入れてもらえるるかということですが、要は「好き好きの問題であり、琴線に触れられるかどうか」というところが課題ですね。
 年齢とともに、観念や感性も鈍くなるのでしょうか。作品を書き続けるということ自体が、非常に難しい作業でありますが。


 
書くこと1120(2014.11.20)
 海第13号の原稿締め切りの日です。19時現在、後出されるであろう小説とエッセイは、まだ提出されていません。
 締め切り日のこのギリギリの気分は、なかなか苦しいものです。待つよりほかないので、待ちましょう。24時までです、さて。


 
書くこと1119(2014.11.19)
 待っていた海の詩の作品の原稿が寄せられたので、早速割付を行い、「確認・修正」のために作者に送付しました。
 後は、1名の小説とエッセイ待ちです。160ページあたりとなりましょうか。


 
書くこと1118(2014.11.18)
 海の作品の割付を行い、「確認・修正」の依頼が出来るタイミングを計っています。全ての人がパソコンに堪能な訳ではないため、パソコンでの手続きばかりではなく、郵送も採り入れていますので、相手の状態に合わせます。
 どうやら、約150ページのあたりとなりそうです。
 最近、特に「あるかいど」を中心に、若い書き手になる作品を読んでいます。同年配の書き手のものは何とか分かるのですが、若者の作品は「いい意味で」刺激になります。こういう心理の動きをするのか、こういうふうに感じるのかというふうに。


 
書くこと1117(2014.11.17)
 全作家掌編作品の校正を行い、送付しました。
 海作品は、大詰めにきました。後2名の作品待ちですが、内容は勿論ですが、どの程度の分量の作品が出てくるのでしょう。
 三浦綾子文学館からの文学賞授与式列席案内には、欠席とさせてもらいました。旭川のあの地の文学館を訪れてみたい気はおおいにあるのですが、やはり旭川となると無理なのだな、ということになります。三浦光世氏も亡くなられたので、出向きたい気持はあったのですが、残念です。


 
書くこと1116(2014.11.16)
 海の原稿を割り付けし、郵送で「確認・修正」の依頼をしました。


 
書くこと1115(2014.11.15)
 若い方の作品を読ませてもらうと、「やはり何かが違う」です。悪い意味で言っているのではなく、語られている世界も違いますし、何といっても柔軟です。
 これは、若さがもたらす感性と、年代特有の筆致だな、と感心します。特に言葉、風景が違います。持ち上げてばかりではいけませんが、空気の旨さがあります。
 私みたいな意固地なことばかりを書くのではなく、人間関係の「空虚なアヤ」などを巧みに書かれると、「まいった」と降参することにしています。


 
書くこと1114(2014.11.14)
 さて、海の作業も大詰めになるところですが、編集作業というものは、最後の原稿が出揃わないとページも打てず、目次も作れないという仕組みになっています。
 ということで、締め切り日まで待つしか方法はないのですが、この締め切り前1週間というあたり、妙な緊張に見舞われます。
 待ちましょう。待ちましょうとも。などと、一人呟くのは傍から眺めると、たいそう気味の悪いものでしょうね。人数も多く、経費にゆとりのある同人誌だと、気分の余裕はあるのでしょうか。その反対でしょうか。これらは、それぞれでしょうね。


 
書くこと1113(2014.11.13)
 海の編集作業のついでに、ホームページの整理をしました。
 とりわけ、海の同人が北海道、奈良、兵庫、熊本、福岡等と散らばっているため、合評会や懇談会を開催することを断念しています。それに替わるものとして、「連絡掲示板」を設け、連絡、重要事項の掲示、資料、意見交換等に用いたいと、整理をしてみました。特に、「作品の向上のために」ということで、多くの資料を集め、公開された作品の閲覧資料等をまとめています。
 その過程で、海第二期を始める際、WEBでも公開しようということを言い、そのまま全作品を公開しているのですが、他誌の状況をみるに付け、「ホームページもブログもない」「うち、作品の公開をしているのは極くまれである」「著作権の問題等もあるのかもしれない」等を考え出したら、段々腰が引けてきました。
 そのことを委員に相談したら、「今のままでいいのではないか」という積極的な意見をいただきましたので、少し胸を撫で下ろしているところです。
 このこととは別に、「連絡掲示板」の活用をお願いしたいところです。


 
書くこと1112(2014.11.12)
 HP上のスクリプトエラーというメッセージに捕らわれ、1日ああでもない、こうでもないという時間を過ごしました。うまく治まっているときは勿論何ともない訳ですが、エラーが発生すると途端に時間無制限での対応を迫られるのが、この世界です。
 今や、パソコンでさえ時代から取り残されようという有様ですから、こらからどうなりゆくのでしょう。新聞だったか、テレビだったか、WEB情報でだったか忘れてしまいましたが、近い将来はロボットが判断をするという時代になるそうです。
 となると、われわれは何をすればいいのでしょう。十分あり得そうな話(私の好む話)でもあり、しかしそうなったら、「人間が檻の中に入り」観賞用にでもされるのでしょうか。「人型ロボット」などと言っていたら、「ロボット型人間」の時代が、本当にくるのかもしれないと思え始めました。
 海の原稿の整理をしました。後3名からの原稿の提出を待っています。


 
書くこと1111(2014.11.11)
 夜更かしはいけません。海のファイルをもう少し堅牢なものにしようと、あれこれやっているうちに、気が付いたら3時になっていました。
 それから何とか眠りはしたのですが、今日中ずっといけません。ダルくて、眠くて、とても正常に他のことがやっておれません。
 あの2時間分を今日に回しておけば、何のことはなかったのでしょう。やはり、暴走はいけませんね。
 海の原稿を予測するに、150頁をオーバーしそうな気配です。そうなれば、私の分を減らすということで、あまり嵩張らないものにしたいと思います。


 
書くこと1110(2014.11.10)
 海の原稿が複数入り、その対応で終わりました。
 何度やっても新たな気分になるもので、緊張をもって臨みます。スッキリとした装丁で、内容も深みのあるもの、というのをいつも目指している訳ですが。
 今回、果たしてどうでしょう。
 連絡掲示板で頼んでいる「内容アップのための提言」ほか、全く反応がない、得られないというのも淋しいものではあります。


 
書くこと1109(2014.11.09)
 ちょっと手詰まりの感があります。何でもうまく運ぶとは限りませんが、流れが止まった感があります。何の流れが、という具体的なものではないのですが。
 まあ、あまりシャカリキにならないこと、といたしましょう。
 海の原稿も小休止だし、かといってフリーという訳でもなし、微妙な間が何ともいえない苛立ちをもたらします。
 それでは次の作品は、となるべきですが、これがうまく移行出来ないものです。
 本当に、これという基盤になるものに軸足を置き、書いていきたいとかねがね思うのですが、「何を骨格にするか」が問題です。
 これまで、とにかく「次の作品を書く」という方法でやってきましたので、方向がバラケ過ぎて、芯を設けることを怠ってきました。


 
書くこと1108(2014.11.08)
 文藝軌道を受贈いたしました。2冊に別れていたので説明を見ますと、詩関係と散文関係に別けた方がよくはないかと誌内で意見が出され、検討の結果別けたとあります。なるほど、詩や詩に係わる散文も含めた1冊と、主に小説をメインにした1冊とが作られ、実に見栄えのよいものとなっています。
 2冊の面倒を一緒に見るという労力や、負担(ここは不明ですが)の問題等があり、軽々には踏み出せないことだろうとは思われますが、出来上がった冊子を見る限りでは、2冊の棲み分けが(はっきりとではなく、曖昧にという表現で)なされ、パワーを強くしたのではないかというふうに読ませて貰いました。
 今海を2冊に別けると言っても、まず構成員の問題や、冊子が成るものかどうかの判断が入ってきますし、それぞれに通じた人材の要も出て来ますから、このカタチは理想論として当分置かねばならないな、という感を持ちました。


 
書くこと1107(2014.11.07)
 海の原稿に明け暮れました。推敲を始めると、なかなか止まりません。
 止まらないことの方がNORMALと言えましょう。実際、見直せば見直しただけ多くの修正事項が見付かるものです。これを推敲と言い、重ねれば重ねるほど作品は締まり、輝きを放ち始めます。
 なれど、冊子にするにはどこかで目処を付ける必要に迫られます。そうしないと、一歩も外に出て行かないことになってしまいます。
 ぎりぎりまで推敲をしていただき、いったんは雄々しく立ち止まり、まだ推敲が必要であれば、発表後にも続けていただき、著書などとして次に発表する際、胸のつかえのほどを存分に流していただきたいと思います。


 
書くこと1106(2014.11.06)
 海原稿確認に当たりました。同人誌を出すということは大変なことです。
 まほろば賞優秀作品を読み、こういうレベルの作品を発信出来たら、と思うことはやはりこういったことになります。
 もっとも、続けて行くということがまず最初に来ますが。
 理論や情熱で仲間を鼓舞してくれる人がいないものかと、こちらの方も期待しています。私にそれらの力の持ち合わせがあれば、多少は息がつけるのですが。
 海の発行を引き受ける段階でも、そのことが一番気になっていたことです。現有の同人の中にも、相応しい人材はいる筈ですが。なにしろ、会が全国に散らばり過ぎ、体温の感じられる距離での付き合いが出来ないのが問題です。


 
書くこと1105(2014.11.05)
 海の原稿が、3名から寄せられました。細かい作業ですので、たいへん気を遣います。ですが、これらは同人誌の発行をするなら当たり前のことです。
 スムーズに冊子の作成が行えるよう、努力するのみです。結果は後からついて来るものです。まずは、続けることに意義があります。どうにかして、まほろば賞レベルの、いや芥川賞レベルの作品が出せたらいいな、とは思いますが。


 
書くこと1104(2014.11.04)
 過去のまほろば賞候補作を、4年分ほど読んでいます。同人誌掲載の作品で、これほどの内容のものがあったのかと驚き、同時に安堵します。
 同人誌作品がマイナーなものと言われて定着していますが、どうして、これほどの中身の作品が生み出されているということに、力づけられます。
 確かに、もっと書き込んだら、さらにアップするだろうという作品なのかもしれませんが、この中身ですと私たちの道を照らしてくれるに十分です。
 いわゆる作家の作品には勿論教えられるところが多いのですが、身近なところでこれだけの優れた作品が生まれているということに、勇気を与えられます。


 
書くこと1103(2014.11.03)
 2012年、2013年の「まほろば賞」候補作品を読みました。「のぞみ」「夜の足音」「謎を明かす女」「下北沢路地裏ツアー」「鏡が湖」などに、感銘を受けました。
 特に、「夜の足音」「のぞみ」には、私には手の届かない何か、があります。
 同人誌作品といえど、こうも印象深い作品に合うと、心に震えるものを覚えます。良い作品は、やはり良いのだと。
 勿論、作家として立つ方々の作品には心打たれるものですが、同様の同人誌作品として読ませてもらうとき、私たちも真剣に向かわねばならない、と余計に深く思いをいたします。「もっと、レベルアップをしなければ」の心境です。


 
書くこと1102(2014.11.02)
 塩谷信男氏の「自在力」1冊を、再度読み通しました。
 氏の書かれていることの出発点から、帰着点までが手に取るほどに納得出来ます。「どこから来たのか。どこへ行くのか。何なのか。」の全てに答えていただける本だと、読む度に(完読は2度目ですが)すうっと全身に入って来ます。
 そうです、そうなのです、と言いながら読みます。
 読み終わると、また元の自分に戻り、文芸書などを読むのですが、私への始点から到達点までもを示された後、はたして人間の汚辱にまみれた文芸の方に戻るのはやり切れないものがありますが、泥沼の蓮の根であるわが身を思い、文芸は文芸で励みたいと思うものです。文芸=糾える人間模様の帰着をどう結ぶか、ということでしょうか。


 
書くこと1101(2014.11.01)
 三浦綾子さんの夫君である三浦光世氏が、30日午後亡くなられたそうです。光世氏のことは綾子氏の作品(エッセイなど)に度々登場し、お人柄も、優しい中にきちんとした考え(信仰を通じて)をお持ちの方でした。
 綾子さん没後は、旭川市の三浦綾子記念文学館長を務められ、三浦綾子文学をしっかりと守ってこられました。光世氏も、綾子さんも、心から互いを尊敬し、高め合ってこられた希有の存在だったと思います。
 数年前、三浦綾子文学館を訪れたときのことは、明瞭に記憶しています。見本林の中に佇む文学館。清楚な中の室内・書架などとの触れ合いは、初めて訪ねたところとは思えない温かさを醸していました。綾子さん愛用の椅子にも座らせていただきました。光世氏も、館内のどこかにいらしたのかもしれません。
 見本林の裏に出ると、美瑛川の穏やかな流れがあり、ここが「氷点」の舞台になったのだと、随分長い時間佇んだものです。
 光世氏にはお会い出来ないまま文学館を出ましたが、文学館との書類上の交流は続いたままです。間違いなく、出迎えられた綾子さんと光世氏は、今は光に満たされ、積もる話に花を咲かせておられることでしょう。(三浦光世氏、90歳、10月30日没)


 
書くこと1031(2014.10.31)
 いつも、内容を先に書いて、タイトルをどうすべきかで悩むのですが、今回は逆です。タイトルだけふっと落ちてきたのですが、1字も書き出せません。
 そうです、こういう状態がしばらく続くのです。この状態で時間を置くと、ポトリと内容が落ちてきます。その間、唸りながら待たねばなりません。


 
書くこと1030(2014.10.30)
 さて、今日はこのコーナーにコメントすることが見付かりません。
 最近、編集作業ばかりに頭が行って、読む・書くに頭が行っていません。


 
書くこと1029(2014.10.29)
 海の長編作品の読み込みを終え、作者に最後の確認を依頼する手配をしました。
 1日を要する作業でした。わが作品ももう少し読み込む必要があるのですが、さあ、後どの程度の原稿が入るのかというところです。
 編集作業というものは、生半可な作業では終わらないものですし、続ければ続けるほど新しい課題が見えてきます。


 
書くこと1028(2014.10.28)
 提出された作品を読んでいます。登場人物の呼称の確認や、てにをはなどの確認が必要になります。気付いた点を書き出し、作者に確認してもらいます。
 かなりの作業量になります。校正という作業は、手強いものです。
 文章というものの手強さが、やっと分かりかけてきた感じです。特に散文は、幅広い表現の方法があるので、難しさを実感するようになりました。


 
書くこと1027(2014.10.27)
 海のわが作品のうち、小説を見直しました。何度目か、十何度目かわかりませんが、これで決まりと思っていたのが、日が経つと見方が変わるものです。
 一通り見直しましたが、まだ十分とは言えない気がします。
 書くということは難しいものです。が、練り上げていくという楽しみがあります。この楽しみは、絵や、彫刻や、音楽などにも通じるもので、はたまた仏教などの修行にも通じる歩みではなかろうか、と思います。
 人として生きて行くということを、何故に、どういう意味で与えられたのかはわかりませんが、「極める」という道程を与えられたことは嬉しいことです。


 
書くこと1026(2014.10.26)
 海のわが作品を見直し、かなり修正しました。
 文芸作品というもの、「これで確定」ということはあり得ないことですから、時間を掛ければ掛けるだけ、内容が変わります。
 エッセンスは大きく変わらないとしても、細かい技術的な面で、見直せば見直す度に、変わっていきます。それが向上することになるのか、平易な表現に戻っていくのか、なかなか見極めがつかないことですが。
 もっとも、技術的なことをおざなりには出来ないことです。むしろ、技術的なことこそが大事であり、推敲はするほどよいとされる大切なことです。


 
書くこと1025(2014.10.25)
 文芸福岡第3号の校正を終え、送付しました。
 海のメールによるファイル送付の方は、一部の方の不具合(ワード文書が正常に開けない)が直らず、郵送による「確認・修正」に変えることにしました。
 これだけで時間を取られたら、他のものごとが多くストップしてしまいますから、「パソコンを使わない方の方法」に準じて行うことにしました。
 やれやれです。しばらく、自作の点検に入れるかも知れません。


 
書くこと1024(2014.10.24)
 文芸福岡第3号の校正を先にやっています。しかし、これはなかなか難しいものです。小説、評論、エッセイの3種類しか受け持っていないのですが、同人誌を扱うのとは訳が違うようです。表現手法も違います。
 海の方は、YAHOOメールでのやり取りがうまくいかないものがあり、苦慮しています。手順どおりにしてもうまくいかないのは、何だろうと思います。
 このことばかりに関わってもいられませんので、ペーパーでの確認・修正を行うなど、次の手に進むことにしました。


 
書くこと1023(2014.10.23)
 福岡文化連盟に出向きました。「文芸福岡第3号」の校正(散文の部)をということで、持ち帰りました。11月10日までに必着ということですので、海の作業と併せ行うことになります。
 海の編集作業も、フォント変更による影響が大きく出ずに、スムーズに移行できることを願うものです。 
 小説と詩と評論の原稿の校正を終え、送付しました。


 
書くこと1022(2014.10.22)
 海の原稿割付ファイルが、きちんと読めないという話もあります。特に前回から変わったやり方はしていないのですが、どうしたのでしょう。割付ファイルが機能しないとなると、なかなかたいへんなことになります。
 福岡文化連盟の方から、助っ人の依頼がありました。文芸福岡の下読みの補助、だということでしょうか。


 
書くこと1021(2014.10.21)
 今日から、海の原稿受付を正式に始めました。すると、後数名を残した段階で、約130頁に達しました。嬉しい悲鳴、と言うべきでしょうか。
 この調子で行くと、かなりの厚さになるのかも知れません。フォントを変更したための小さなトラブルもありますが、いよいよ始まりました。


 
書くこと1020(2014.10.20)
 海の原稿が入ってきます。割付を行い、確認・修正依頼をしました。まだ原稿はこれから寄せられますが、100頁超130頁内ぐらいだろうか予測しています。
 小説と詩と評論のゲラ刷りが送られて来たので、十分読み返し、確認・修正を行い、夕方返送しました。思えば、複数誌に掲載していただけることになったものだと、有り難く思います。
 陽羅氏は今月と来月に手術を控えておられるとのこと。今日いただいたハガキによれば、よい体調で臨めそうだとのこと、是非上手く行くよう祈るものです。


 
書くこと1019(2014.10.19)
 海の受付開始を控え、今のうちにと母を見舞って来ました。幸い元気そうでしたので、船の中、帰りの待ち時間を使い、1冊を読みました。小説ではありませんが。
 どうも、小説ではない本に惹かれてしまいます。
 1日1冊というのは久しぶりなので、その形だけでも嬉しいです。


 
書くこと1018(2014.10.18)
 長い方の作品も、念のため推敲しています。
 どちらの作品を選択するか、正直のところ迷っています。


 
書くこと1017(2014.10.17) 
 海のホームページもアップにてこずりました。FFFTPの設定が同じままでは、アップ出来ないのです。
 FC2のパスワードを「自動取得」して、FFFTPにそれを反映させれば、上手くいきました。やれやれです。WINDOWSのアップデートも時間が掛かりました。
 いったん諦めた長い方の作品の方も、今一度見直しています。いずれは、海掲載となる予定なのですから。


 
書くこと1016(2014.10.16)
 日本文学振興会に書状を出し、受贈した誌に礼状を出しました。
 全作家の評論を読み、感想を送りました。


 
書くこと1015(2014.10.15)
 海の作品の自作分の大枠を決めました。何度も推敲しますが、その度に中身が少しずつ変わります。これからは、同人の原稿が寄せられますので、割付を行い、確認・修正の作業を依頼することになります。
 私の作品の次作、読むことにも掛からねばなりません。


 
書くこと1014(2014.10.14)
 日本文学振興会に係る手続きを終えました。
 海の作品、自作の方は大詰めです。長い方の作品は、やはり止めることにしました。次は、もっと書き込んで行きたいものです。
 身辺にいろいろなことがありますが、これも学びになるのかもしれません。


 
書くこと1013(2014.10.13)
 ホームページが何とか使えるように戻りました。一時、真っ青になったものでしたが、やれやれです。
 気分を落ち着け、海の作品に掛かりたいものだと思います。


 
書くこと1012(2014.10.12)
 ホームページの不具合のため、予定していた推敲作業が出来ずにいます。
 PCに保存したデータなど、ずっと安心していてよいのか、気に掛かります。ワンクリックで、フォルダのデータが消えてしまったりしますから。
 トラブルがあると、修復に躍起になりますが、それがまた予期しないことを招いたりするものですから、この道も難しいものです。


 
書くこと1011(2014.10.11)
 海の原稿のために、長い作品の方も推敲をしています。出来ればこの作品は使いたくはない、といった方が当たりましょうか。
 文芸思潮から、予選の結果の通知が来ました。


 
書くこと1010(2014.10.10)
 海への我が掲載予定作品の見直しをしています。有力な同人の一人が今回寄稿出来ないとのことで、ボリウムを考えると、少し長い作品に替えてみようかとの考えも湧き、検討中といったところです。
 ほぼ全体の掲載原稿を決めていただけに、少し労力を必要としますが、100枚程度の作品にした方がいいのかどうか、思案中です。


 
書くこと1009(2014.10.09)
 森田賞の所感を送付しました。こういう文章も、1字1句も揺るがせに出来ない、という緊張を迫られるものですね。
 一つの覚悟というか、自分の立ち位置というか、それを己に決断させるという意味を深く考えたことでした。果たして、書き誤りや認識の誤りはなかっただろうかと、何度も考えた上での送付でしたが、頭が空っぽなだけに心配です。
 海の原稿が出始めました。今回は出さないという、残念な連絡もありました。


 
書くこと1008(2014.10.08)
 全作家の掌編を何とかまとめ、送信しました。
 この掌編という作品は、本当に難しいものがあります。1字1句も揺るがせに出来ない、という緊張を迫られます。
 数十作が並ぶことでしょうが、この見開き2ページの中に、多くのものが込められ、とても刺激的な作品になりますから、楽しみです。


 
書くこと1007(2014.10.07)
 海の原稿を触ったり、全作家の掌編を触ったり、いろいろと首を突っ込んでみたのですが、何もすぐには成らないものです。
 見れば見るだけどこかが変っていくのですが、果たして良い方向に行っているのか、そうではないのかわからない、というところが難しいところです。
 五七五など、考えれば考えるほどわからなくなると聞きます。その原理は同じなのでしょうが、当の私が判断出来るほど深まっていないというところが問題点です。


 
書くこと1006(2014.10.06)
 陽羅氏は退院されたとのことです。しかし、後複数回の手術が必要とのこと。疾患の内容までは知らないところですが、相当な苦痛を伴う入院であったようです。
 森田賞関係の文書が到着しました。内容によると、2人が対象者だとかで、20日までに所感を書くことになっています。
 我が海の原稿は済んだと書きましたが、何の何の、「視座、何故、何、どうなる」等の書き込みが足りません。まだまだ、です。


 
書くこと1005(2014.10.05)
 私の海への原稿の準備は、一応終えました。
 全作家承編も仕上げねばなりません。
 寄贈いただいた本1冊を読み上げました。明治維新とは、通常の歴史でやっていることを越えた、大きな意図や思惑がはたらき、変革が行われたのですね。
 なにしろ、クーデターであり、戦争であるのですから。


 
書くこと1004(2014.10.04)
 我が作品に手を入れています。
 なかなか進みません。気長にやるのみです。


 
書くこと1003(2014.10.03)
 全作家のホームページのことで、若干質問をしました。現在の新たな情報の発信は最も大切ですが、過去の資料もデータとして残されていた方がよろしくはないでしょうかというものでしたが、内容等は執行部で決められているとのことで、それはそれで意図のあることでしょうから、問題はないでしょう。
 フェイスブックというものの立ち位置が今一つよくわからないのですが、まあホームページとは切り離した方がよいのでしょう。我がホームページに掲示板を設けるかどうかで思案したことがありますが、アクセスは増えるものの書き込みがあれば対応しない訳にはいきませんから、考えるところです。
 短編集などを数か所に送りました。海の編集にも入りました。


 
書くこと1002(2014.10.02)
 海の編集に、少しずつかかります。まず、我が作品の推敲です。何度見ても、終わりのない作業です。まあ、入れ込み過ぎない程度にやることにします。
 同人の作品も寄せられつつあります。そろそろ本格的に始めねばならないようです。もう少し我が時間がほしいと思いつつ、寄せられた作品には感謝しなければなりません。第13号も、それなりの冊子にできたら、と願うものです。


 
書くこと1001(2014.10.01)
 海に関する評が続いて寄せられたので、HPに掲載、関係者にメール送付、HPの連絡掲示板に記録として掲載しました。
 評は厳しかったり、意図と異なったりですが、取り上げてもらえるのは「よい」とした方がよろしいでしょう。取り上げる方も、相当の努力をされているそうですから、書く側も批評の大意を汲み取り、次回に生かすということになりましょう。
 取り上げていただいた場合は、一応誌としてのお礼状を送っております。もっとも、それが媚びを売るという意味ではありませんので、同人各位も理解していただければありがたいことです。
 文芸書の発行が減っていることや、同人誌の高齢化などが言われていますが、要は個々の努力と工夫にかかっています。より良い作品を目指したいものです。


 
書かねば0930(2014.09.30)
 読まねば、書かねば、と繰り返してばかりいますが、その10分の1も出来ていないのが現状です。こういう具合に過ごしてきたのですから、時間の無駄遣いもいいところです。しかし、気持は張り詰めています。
 時間のことを考えます。我がいるであろう座標軸のことを考えます。
 読まねば、調べねば、書かねば、と何かがもの言います。まだ、端緒にさえ着いていないことに焦りを覚えます。
 やります。やりますとも。書くことをライフワークとしてきた筈です。石に齧り付くつもりでやります。やれる筈です。やるのです。必ず。
 私が見た座標軸があります。その視点でやれ、という声があります。


 
書かねば0929(2014.09.29)
 他の方々の作品に触れるということは、自分のためになります。
 自分を限定してしまわないこと、常にオープンにしておくこと、を心掛けたいと思うものです。多くの声(自然からの声も含めて)を聞くことが出来るよう努めたいと思います。この歳で、などと思うこともありますが、それはそれです。
 頑なにならないこと、自由無碍であることの方を向きたいと思います。


 
書かねば0928(2014.09.28)
全作家短編集(二)の合評から、言外の指摘を感じました。
 やはり、何を感じ、どういう距離にあり、自らの位置はどこにどうあるべきかということ。それに、どう伝えようとし、どう伝わるかということです。
 自己省察、距離のとらえ方、それを第三者にどう運ぶかということでしょうか。
 技術ばかりに追われるのですが、技術も大切です。特に「タイトル、書き出し、終わり」という流れが問題です。それがどう問題であるのか、考えたいと思います。


 
書かねば0927(2014.09.27)
 全作家短編集(二)を再読しました。が、いちどきに読むのは大変です。
 一篇30枚ですから、それを約20作。それぞれの力作の細部までは、どうにも読み取れません。出来る範囲で、ということで勘弁してもらいましょう。
 が、読んだ後に、手応えが残るのは何かの力をもらったからでしょう。


 
書かねば0926(2014.09.26)
 短い期間での投稿をやめ、少し落ち着きました。
 海の原稿を推敲しています。推敲というのは本当に大切で、何度やってもこれで終わりということにはなりません。趣向が変わるということもありますが、とんでもないミスプリントを見落としているということがあったりします。
 日を空けると、その作品そのものが妥当なものであるのかどうか、に気付き迷うことがあります。1人の感覚というものは、思い込みや錯覚に左右されやすいものだと、自分の作品を推敲してこそ分かることが多いものです。
 多くの作品を並列状態で追い掛けることは、今の自分には無謀なことのようです。目の前の1作にベストを尽くしながら、理想を追うということになりそうです。


 
書かねば0925(2014.09.25)
 北九州に新しい文学賞(林芙美子文学賞)が出来たとのことで、同人に周知し、自分も当てはまる作品がないだろうかと探してみました。ところで、締め切りが5日後ですから、1日悩んでみたものの、まず無理だと判断しました。
 それより、自分が今手掛けている作品を十分に練ることの方が先です。海を出来るだけ良いものにするのが先です。というより、そんなに私自身が器用に出来ていませんから、以前なら何が何でも丸3日ぐらいで書き上げた筈ですが、途中2日間抜けねばなりません。残りの2日、3日で50枚は、今の自分のペースを大幅に越えるものですので、ひとまず落ち着いてみることにしました。欲張らず、焦らないことも修行のうちです。
 全作家の短編集も、精読しなければなりませんから。


 
書かねば0924(2014.09.24)
 海の体裁をかなり整え、自分の作品にも目を通し始めています。同人諸氏の原稿受付が10月21日からですので、自分の原稿はそれまでに粗方見当をつけておかねばなりません。ざっと数えると、40ページほどになります。
 その他共通部分の分もあります。例えば、前号の感想まとめ、同人の著作紹介、もちろん受贈誌抜き出し、海についての諸々、次号の案内等々です。
 作業に入ると、当分の間集中しなければなりませんので、他のことが出来難くなります。まあ、自分が口火をきり、引き受けたことですから望むところです。


 
書かねば0923(2014.09.23)
 海の原稿準備に入りました。既に、表紙から裏表紙に至る必要なところで、今でも準備出来るところは終えています。自分の原稿も、ほぼ終えています。
 今日は和田(奈)の原稿を浄書し、同人の著書一覧などを作成しました。海第12号の感想などのまとめも必要かな、と思っています。
 わが原稿のうち、2号の間掲載を見送っていた文芸漫遊記も再開できるように、(2号前から書いたものを)チェックしてみました。詩と俳句は、これから有森ではなく、松本西夏筆としてみようかと考えています。ただでさえあちこちに「有森」が目立って、どうにも見苦しいものですから。


 
書かねば0922(2014.09.22)
 嘉村磯多の作品に親しみが持てるなどと書いていましたら、毎日新聞の同人誌季評で、「白い翳」の母子関係には「嘉村磯多の幼時に事績が重なる」との評をいただきました。こうなると、嘉村磯多をもう少し読んでみたいと思うものです。
 そうなんだ。先人の誰かが似た経験をしているのだから、それを彷彿させながら自身の作品を掘り下げるという方法もあるのだ、と思った次第です。というより、この方法をとるべきなのかもしれません。


 
書かねば0921(2014.09.21)
 海同人の郵送を必要とする方に、第13号の締め切りについて、第13号原稿・冊子作成要領、第12号の感想等についての資料を作成し、送付しました。
 併せて、WEBの利用と、メールの利用のお願いをしましたが、さて。


 
書かねば0920(2014.09.20)
 葛西善蔵に嘉村磯多を比べながら読んでいます。嘉村磯多の方が、自分には近いのかもしれません。しかし、年表を眺めてみると、「本当の私小説」なんだ、と驚きました。同時に、こうも赤裸々に書けるものか、という驚きです。
 ここまで徹底すべきなのでしょうが、「うーん」と唸ったきり、これは考えねばならないな、と思い至った次第です。
 ここまで行くと(行けると)本物でしょうが、本物になるのは何と純な心を持ち続け、雨も嵐も踏み越え、命を賭ける気がないと出来ないことのようですね。


 
書かねば0919(2014.09.19)
 全集を引っ張り出し、葛西善蔵の数編を読みました。午前中の腰痛もあってか、随分と細かいことを書いた作品だなと感じたくらいで、読むのはこれからです。
 嘉村磯多の方は以前に読んだのだったと、いくらか記憶があります。しかし、これももう1度読んでみることにします。
 花書院の仲西社長に、海第12号6部を持参いただきました。事務用で、準備していた10部全部がなくなり、私用の分まで食い込んで必要分として出していたため、今後の交換のための予備と、保存分を考え3部ほどお願いしていたものでした。


 
書かねば0918(2014.09.18)
 同人誌受贈作品を読みました。腰の具合が悪かったせいか、作品の内容までが気持の中に飛び込んできません。上手い作品なのに。
 今昔物語など、読んでいます。


 
書かねば0917(2014.09.17)
 HPを整理し、これから書くことを始めます。その前に、受贈した誌の作品を読ませてもらいます。
 塩谷信男氏の「自在力」数冊のほか、3つの作品を求めました。


 
書かねば0916(2014.09.16)
 掃除ついでに、読みたい本などを並べています。
 以前に読んだ本もまた読みたくなり、つい夢中になってはまったりします。
 掌編の次の作品に移りましたが、短編の方も準備し置く必要があります。海の原稿提出に合わせ、準備もしなければなりません。
 塩谷信男氏の「自在力」を複数部数求めました。


 
書かねば0915(2014.09.15)
 海の運営についてのまとめ、なるものを整理し連絡掲示板に載せました。
 合評会をもつこともなく、ものごとを進めていく上では、意見を出してもらったり、一つの事項について意見の集約をせねばなりません。
 そういう意味で、文章化していないものをまとめてみるのは悪いことではない、と思った次第でした。私自身、何かがある度に迷うことになりますので、自分のノートを整理するつもりでまとめてみました。
 実際の片付けもですが、PC内の片付けもしないことには、他の方の原稿やお金を預かる訳にはいかないのですから。


 
書かねば0914(2014.09.14)
 趣向をたまに替え、さだまさしの本を読みました。遅読の私も、さすがにスピーディに読めました。それが面白いし、いい本なのです。
 小難しい小説より、よほど感じるものがあります。彼の芸術感覚は、言葉にも十分表れていて、本人も歌も文章も好きだといっているとおり、しっかりした内容です。なにより、生まれた以上は死ぬことに決まっているのだから、恐れずに何にでも立ち向かっていこうという姿勢がすばらしいですね。実際彼の行動力と他を思いやる気持は本物で、本物を見抜く目をちゃんと持っているのです。
 30億円近い負債を抱えたときも、誰もが彼の元を去らなかったということですから、彼の人間力に惹かれてのことでしょう。彼は、例え音楽をやらなかったとしても、文芸でも、絵でも、噺でも、何ででも花を開かせていたことでしょう。


 
書かねば0913(2014.09.13)
 掌編2篇に目処をつけ、送付しました。何度も見返したのですが、私のうちではこれで期限切れということにしました。
 他にしなければいけないことがありますので。
 掌編も終わったわけではありません。まだ2篇残っています。
 読まねばならない資料が多くあります。読む、書くをうまくこなしていくためにはどうしたらよいか、が問題です。
 海HPのイメージを少しだけ変えてみました。連絡掲示板の利用はお願いしているのですが、なかなか難しいようです。


 
書かねば0912(2014.09.12)
 海の連絡事項を先にしました。なかなか意見が出てきません。まあ、少々期間があることだし、待つことにしましょう。意見が出ないということは、賛否がわからないので、やりにくいことであります。合評会があれば、全て口頭で済むことなのですが。
 掌編の2篇は、およその目処が立ちそうです。結局は内容です。なかなか素材選びに難航して、無難な筋書きの方になってしまいます。これが才であり、思慮の狭さであり、生活経験の少なさ故ではあります。


 
書かねば0911(2014.09.11)
 連絡事項に追われ、肝心の書くも、読むも出来ていません。電車の中で、大江健三郎の短編を1作読んだくらいですか。
 書く方も、掌編を4つは書かねばならないのですが、半分というところです。その半分も、推敲がまだまだです。


 
書かねば0910(2014.09.10)
 掌編の仕上げなどしました。書くということは難しいもので、中編には中編の、短編には短編の、掌編には掌編の難しさがあります。
 掌編は、限られた2ページとかに全てを書き込み、意味を持たせねばなりませんから文章力が試されます。もちろん、中身は大切です。
 五七五や詩が難しいように、掌編という手法もやっかいです。何度も、何度も言葉を推敲し、角度を変え読み込みます。


 
書かねば0909(2014.09.09)
 書かねばならない掌編の、2篇目を書いています。書けます、書けますとも、という気合いを自分にかけ、書いています。
 寄贈いただいた誌へのお礼等を書き、投函しました。


 
書かねば0908(2014.09.08)
 体調をおもんばかって、今日はHPやブログの方の整理をしました。同人のブログ・HPは5つあるのですね。
 ブンゲイばかりに捕らわれず、演劇、美術などに興味を示しているのが多く、中身も濃いものがあると思いました。
 取り急ぎ掌編を3つものにしなければならないのですが、1つは何とか、という線まで行きました。あと2つは、まあ大丈夫です。


 
書かねば0907(2014.09.07)
 書く読むを中断し、塩谷信男氏「自在力」を一気に読み終えました。
 ここには、わが疑問の全てが書かれており、人間の実態は何か。それは、宇宙の無限の力により、宇宙も、人も、動物も、魚も、山も、川も全てが拵えられており、人の一生は良くも悪くもあらゆることを経験するようになっています。もっとも、人の一生では調子良く生きる人、さまざまな苦労を経験する人などがあり、不平等ではないかとの考えを抱かざるを得ない状態にありますが、それは短い今生でのことです。
 宇宙を考え、微細な素粒子などの存在を考え、宇宙空間に存在するであろう人類の兄弟たちのことを考え、最近の世界情勢を考えます。
 ここに「日々の生業こそ大事」の考えは出てきません。何も宗教の類ではなく、科学者が科学を深めて行けば、容易に到達するであろう内容です。驚いたのは、昭和43年に就職したときの組織のトップが塩谷勉氏、すなわち氏の実弟だったとのことを知り、50年を越えて結びついた糸の不思議さに驚きました。
 さて、この内容と、わが文芸がどう結びつくか、考えるところです。


 
書かねば0906(2014.09.06)
 掌編1篇を終えました。もう1篇に挑んでいます。掌編であれ、中編であれ、書くということは何にもまして嬉しく、かつ難しいことです。
 長短に拘わらず、1つが終わったときの胸に残る感動がたまりません。
 仕事であれ、スポーツであれ、1戦が終わったときの喜びに似ています。この喜びを1度味わうと、次のチャレンジを心待ちにします。


 
書かねば0905(2014.09.05)
 何をしていたのか、書く方も読む方も、進んでおりません。
 陽羅氏から、清張、トルストイを勧められました。それに、取材の方も大切だとのことで教えてもらったら、「取材に行って初めて、ああここのこれを書かないと、と感じる」「誰それにインタビューするとか、アンケートするとかはなるべくやらない」「ありのままの自然から、自然に感受する」という方法だそうで、人見知りするばかりの私も、これならやれないことはないだろうと少し楽になりました。


 
書かねば0904(2014.09.04)
 2〜3枚書きかけました。まだ、内容が定まった訳ではありませんが、書き出しが出来ただけでほっとします。レベルの低い話ですね。
 本来は、素材を明確にし、しかるべき取材もし、確たるところで書き始めるべきなのですが、これまでに思い付いた書き出し、メモを頼りにすることが多いですね。
 陽羅氏らからは、多くのアドバイスをいただきますが、何もかもが未整理で、焦りと混乱の状態にあります。


 
書かねば0903(2014.09.03)
 散文と韻文という分け方が正確なのかどうかわかりませんが、海誌上では、詩からは手を引きたいと考えます。陽羅氏や波佐間氏からのアドバイスにも関わるものですが、同じ誌に複数の作品は出来るだけ載せない、というためです。
 といって、詩を書かないという訳ではなく、作者名を俳句の松本西夏としているとおり、詩も同作者名にしたいと思うものです。
 大江健三郎の初期作品を読みましたが、考えさせられます。こういう論理的でうねりを持つ文体(江藤淳による)には、当方の淡泊な表現ではなかなか追いつかないものですが、本当に対象を定め、しつこいまでに書き上げていくという姿勢には学ぶものがあります。まだ私の中では未消化ですが、中上健次と同じく、読み込んでいきたい作品であり、作家であります。
 掌編2編を書かねばなりませんが、単純な文体ではなく、うねりを持った文体に多少なりとも近付けていければ、と考えます。


 
書かねば0902(2014.09.02)
 というところでしたが、急に射してきた日射しに誘われ、草毟りと大根の種蒔きをしたため、机には座りませんでした。
 書かねばならない、読まねばならない、と気は焦っていますが。


 
書かねば0901(2014.09.01)
 今日は、照葉樹、ざいん、福岡文化連盟からの原稿募集、ペンクラブ会報と、多くの寄贈誌等を受贈しました。
 受贈した誌は、どこも意欲的な内容で、多くの刺激を与えてもらえそうです。
 高岡氏が、「船底」で室蘭文芸賞の佳作を受賞されています。氏の頑張りには、本当に頭が下がります。
 海HPの連絡掲示板を、だいぶ整理しました。本来はOPENにすべきところですが、内部の振込口座など内輪向けの情報が多いため、同人にのみ開示、としています。


 
書く読む0831(2014.08.31)
 大江健三郎「死者の奢り」「他人の足」「飼育」「芽むしり仔撃ち」「万延元年のフットボール」などを読んでいます。何度目か読む作品もあります。 
  

 
書く読む0830(2014.08.30)
 全作家協会から、短編集第13号の「ひと言メモ」の書き込み可能なファイルが示されたため、先に手書きで送付していた内容を入力し、未明に送信しました。
 1度しか読んでいませんが、1/3は良い作品があったことを思い出しました。
 それにしても、全作家のメンバーの日頃の作品が、同人誌評などで殆ど採用されないことは何故だろう、と思いました。
 もっとも、同人誌評に採用される作品というのは、何か特別な基準でもあるのだろうかと、考えてしまうことでもあります。(全作家関係の作者の作品を、意図的に避けているとでもいうことでしょうか)
 それは、地元の評や、メディアによる取り上げ方にも癖があるようで、まあ我々はそのためだけにやっているのではないとは思うのですが。


 
書く読む0829(2014.08.29)
 連絡掲示板を活用してもらうよう案内メールを出しました。
 もともとは、合評会が開けないため、諸々の意見を出し合うための掲示板だったのですが、「原稿・冊子作成要領」などの内部資料の掲示にも用いているため、あまり使用がなされません。
 意見や考えや感想などを、自由に出してほしいものです。


 
書く読む0828(2014.08.28)
 海の小説、1度目の修正を終えました。
 新規入会者の原稿が既に出されており、私の方であまり無理をせずに済みそうなのが救いです。適度に同人の原稿が出されると、なお有り難いです。
 読む方にも時間を掛けねばなりません。


 
書く読む0827(2014.08.27)
 入会の希望か? と思われる郵便が届きました。作品もきちんと添えられています。用件が短めに書いてあるので、確認のメールを送り、既刊の冊子を送りました。
 海のような誌は、なかなか人が増えません。どうしても大きな誌に奪われますし、もともと文芸をやる人が増加したという話も聞きません。
 しかし、海の個々のレベルはかなりのものだと思われます。第一期時代の伝統というものも、良い方向に影響しているのでしょう。


 
書く読む0826(2014.08.26)
 海掲載の小説作品を選び、割付をしました。後は、内容を読みながら必要があれば修正をします。何度も読み込んだ作品であるのに、読めば必ず修正事項が出てくるものです。時間を置いて読んでみると、まるで違った点に気付いたりもします。
 文章というものは、作品というものは奥が深いものです。


 
書く読む0825(2014.08.25)
 海作品に没頭しました。詩、俳句、掌編小説と、いう具合です。
 次号からフォントを変える予定ですので、フォーマットの仕方の実地訓練も兼ねています。少しでもやり方を変えると、編集作業人はたいへんです。
 MS明朝体からDHF平成明朝体W3に変えることにしていますが、思わぬトラブルが発生したりと、場当たりではいけません。十分対策を考え、対応に慣れておくことが必要だとつくづく思いました。


 
書く読む0824(2014.08.24)
 海作品の方に軸足を移しました。海へのことば、詩5編、俳句約10句を書き付けてみました。肝心の海の作品が出来ないことには、始まりません。
 読む方は、その間を利用し、進めていきたいと思います。


 
書く読む0823(2014.08.23)
 そろそろ海の作品にかからねばなりません。西日本の評の内容は、「振りかざすな」という意図は分からないではないのですが、あまりにも「現実活写」が強調され過ぎているのではないかと、その偏りに違和感をもちます。
 作品がどう評価されようと私の場合はかまいませんが、他の作者のこともあります。今のこの時代が、そんなに「何事もなく続いていく今」なのでしょうか。荒立てて、政治的なことや時代風景を読み込む必要は、むしろ表現としては稚拙であろうということは分かりながらも、「今日も川が流れている」「明日も流れるであろう」という表現に終始しなければならないかのごとくに書かれるのも、如何なものでしょう。「空気を読んで書くことは浅ましい」という評が分からない訳ではありませんが。
 いずれも、時と場合を考えて、と言うべきではないでしょうか。文芸人は、直感という資質をもっていても、おかしくはないのではないでしょうか。


 
書く読む0822(2014.08.22)
 インターネットが繋がらないので、困っています。
 芥川を読んだりしていますが、ウワの空になってしまいます。
 森様から、大雨にかかるお見舞いの電話をいただく。恐縮しました。その他の方からも、メール等でもお見舞いをいただいた。心から感謝申し上げます。


 
書く読む0821(2014.08.21)
 芥川、大江の作品を拾い読みしています。
 精神的に落ち着かない日で、多くは読めません。


 
書く読む0820(2014.08.20)
 全作家短編集第13巻作品への「ひと言コメント」などをまとめ、送付しました。コメントと一口に言っても、簡単なものではありません。
 次は、続けて読むことです。手当たり次第です。
 読めば、能率は悪くとも多少の自信が湧いてくるようで、それが目当てです。そういう意味でも、短編集の37編を読んだことはとてもよかったと思います。


 
書く読む0819(2014.08.19)
 全作家短編集第13巻、全37編を読みました。うち15編ほどにはさすがだ、との感想を持ちました。さまざまな素材、テーマで書かれたもので、統一テーマなどないのですが、40年になる全作家発足時の「すぐれた作品を、時代に対応した合理的な方法で、広く世に送り出してゆく方途をとることが、本協会に与えられた最大の課題と使命でなければならない」という趣旨で発刊され、今日に至っているということです。
 1回読んだだけですので、本当はもっと優れた部分に気付いていないのかもしれません。30枚程度というのは、結構な内容を込められるものです。作者の顔を知らない方が殆どですが、それぞれに含蓄を含んだ内容になっています。
 学ばせていただきましたし、企画・編集に当たられた方々の御苦労を思い、ただ感謝する次第です。


 
書く読む0818(2014.08.18)
 全作家短編集第13巻を読んでいます。


 
書く読む0817(2014.08.17)
 全作家短編集第13巻を読んでいます。


 
書く読む0816(2014.08.16)
 速読の本を2冊買ってきたので、先に読みました。
 知識を詰め込むとか、理論武装しようなどということではなく、今になって、多くの本や資料を読みたいからです。それも、出来るだけ速くということになります。
 かつての子供時代、読書を禁じられたことがありましたが、自立した以降もわが生活に読書ということは根付いてきませんでした。それはわが責任であるのですが、最近は読みたくて、本こそ手に入れられるようになりましたが、なかなか読むスピードが上がらないし、読んでも入ってこない歳になっているようです。
 それでも、傍に置いた本が読みたくて何か方法はないものかと、他の方に読書の方法を尋ねたりしましたが、あまり差があり過ぎるゆえか、それも身に付きません。そこで以前から気になっていた速読法を試してみることにしました。これがどうなりゆくか、皆目分からない今ですが、「読書法」ではなく、フランシスコ・ベーコンの言葉として、「本は信じて丸呑みするために読むな。話題や論題を見つけるためにも読むな。しかし、
熟考し熟慮するために読むがよい」という文言が飛び込んできました。
 そうなのだ、と腑に落ちました。感じ、考え、創り出すためには、読書は是非にも必要なのだ、といういかにもシンプルなことですが。


 
書く読む0815(2014.08.15)
 久しぶりに天神へ。まず、1,000円カット。続いて郵便局、WESTうどん、TSUTAYAと回ってみました。TSUTAYAの中の配置が変わってから、この数ヶ月どこに何があるのやらわからず、たまに寄っても奥までは覗いていませんでした。
 池田晶子などを探すため、中を小まめに回ったら、だいたいの棚の配置がわかりました。ビジネス書は置いて、文芸書よりコミックをメインにしたため、文庫本や単行本の位置がわかり難くなりましたが、一番奥を探すとこれらに出会い、面白い本にも出会えることが分かりました。冷えすぎる冷房の中、2時間近く捜し物をしました。
 久しぶりのことです。


 
書く読む0814(2014.08.14)
 30枚は、3度プリントアウトし、飽きるほど読みました。また時間を置けば、どうにでも変わることでしょうが、ここでひとまず幕を引きます。
 最後のプリントアウトをし、送り込むことにします。
 風邪気味でもあり、肩がさし込むように痛みます。このままではいけません。チェンジのための道筋をつけましょう。
 この間に、溜まった多くのことが並んで待っています。


 
書く読む0813(2014.08.13)
 30枚の修正部分をデータ修正し、プリントアウトしました。見直し、推敲するのは今からですが、日を置かないことには、気が付かないことがあります。
 とはいえ、次のスケジュールがありますから、いつでも浄書出来る状態にはしておかねばなりません。次と今とが、交錯します。


 
書く読む0812(2014.08.12)
 30枚の作品の推敲をしています。WEBではうまくいっていると思っていたのに、紙で見るとまるで違う作品なのです。
 この差異は何だろうと思いつつ、紙と格闘しています。


 
書く読む0811(2014.08.11)
 芥川賞作品「春の庭」(柴崎友香)を読みました。高樹氏ら審査員の半数が誉めている内容が、腑に落ちませんでした。
 それは、人間いつも危険と隣り合わせの経験ばかりしている訳ではありませんが、逆に奇を衒ったつもりなのか、あるいは「退屈極まりない」感性というか、正直うんざりしました。世の中を、人間を肯定するというのは何も悪くはないのですが、腹立たしいぐらいに読み甲斐のない作品に付き合わされた、という印象です。
 この不穏な世情(何も世情におもねろということではありません)において、こういうノーテンキな作品に出会うということは、残念至極というか、哲学も、時間も、空間も感じられない、取り壊されようとする多少は広いが、平凡な家の写真集と、その家を前にして展開される日常なのです。愚作だと思います。
(追記)
 台風11号が長期間に亘って列島を被い、被害をもたらし、中東や欧州や東南アジアが不穏な状態の今、この心の襞に訴えるもののない作品を読んだということもあります。特異な事件が多発し、人心もかなり荒れているかに見え、まさに人類の末期症状さえ感じさせられている今、こういう感覚はこの作者にはないのでしょう。 


 
書く読む0810(2014.08.10)
 さて、30枚です。さして新しい考えも浮かばないので、時間差攻撃ということで、以前の作品を推敲する、という方向にしました。ですから、新しく書くことがあればこれは次に備える、という回転方式にしたいと思います。
 要するに、書けるときには書けるだけ書く、というものです。タイムリーなものではないかもしれませんが、私たちだと何度も何度も推敲するという道を通らねばなりませんので、書けるときは2作でも3作でも取り敢えず書く、というストックを増やそうと思うのです。こうやって100作を突破しようと考えたのですが、なかなか到達しません。しかし、本来は納得のいく作品を書くのが目的ですから、100という数字は粗原稿である、という意味合いなのです。
 ですから、あまり数字には拘らないことにします。


 
書く読む0809(2014.08.09)
 鴎外の「舞姫」です。あと少しです。文章が古文? で書かれているので、中身を十分には掴めていないかも知れません。
 なかなか先に進まないのは、何をしていたからでしたっけ。
 そうです、30枚の作品も書かねばならないのです。まだ方向も中身も決まっていないのに、間に合えば合うし、ダメならダメでよし、と気持を固めています。
 その前に、鴎外を読んでいます。


 
書く読む0808(2014.08.08)
 鴎外の「雁」を読み終えました。清張の「或る小倉日記伝」ともに再読ですから、読むのに重たい気分は感じませんでした。−殆ど内容は忘れているのに、通りを歩くうち、帝大生岡田は「無縁坂」の女と目が会い、お互いに意識する気持を抱くのだった、などとどこかが思い出してくれます。…女の鳥籠に入って来た蛇を退治してやり、さらに意識し合うようになる。女が挨拶をしようと、たまたま空いた1日に窓から眺めていると、岡田は無縁坂を下りてきたのだが、僕という連れがいた。岡田たちは戯れに、不忍の池で投げた石が、たまたま1羽の雁に命中し、その晩は雁を料理して食べ、酒も入ったため女とはすれ違いになる。岡田はドイツに留学することが決まっており、翌日には出発したのだった。こうなったのも、下宿の膳に鯖の味噌煮が出たため、嫌って岡田を誘ったためである−という内容が、女の目線から、岡田の目線から、主人公である僕の目線から、実に正確に、簡潔に、丁寧に語られていきます。
 ここに、現代を彩る作品と比べて見て、人間を描く手法の鋭さは「雁」の方に軍配を上げた方がよいのではないかと思ったことです。


 
書く読む0807(2014.08.07)
 清張の短編を読みました。文体が簡潔で、スピードがあり、内容も緻密に書かれています。「或る小倉日記伝」に、30枚程度の作品5編ですが、読み応えがあります。
 ある弱みを抱えた人間が努力して世に受け入れられるのですが、本人自身がどうしても卑屈にならざるを得ないという、気持の移りも、描写もしっかりした作品です。清張氏は、このような短編にもしっかりした色と厚みを持たせることの出来た作家だったのですね。こうあらねば、という指標になるべき作品でした。


 
書く読む0806(2014.08.06)
 書くことを忘れ、読むことに徹してみました。
 読み方にもコツがありそうなので、陽羅氏に尋ねてみました。しかし、氏は「古今東西、古往今来の、哲学書・文学書・歴史書は総て読破してしまったから、再読になる」と言われ、これは私のピント外れの質問に面食らわれただけでしょう。そう、プロ野球で言うなら長島選手やイチロー選手に、「どうしたらあんなに打てるんですか」と子供が尋ねることに似ていますね。
 もともと能力をお持ちで、そこに無理なく力を付けられた、ということでしょうか。理屈ではなく、揺るぎのない基礎体力(技術)を持たれている上に、次のものを重ねられてもたいした問題ではない、ということでしょう。
 私ごときは、まず足腰を鍛えねばなりません。ごちゃごちゃぼやいている場合ではないとおもいました。氏はさらに「自分で買った本なら読みながら赤線を入れる。同人誌なんかもそうで、感想を求められてもその赤線を確認すればいいので、簡単。ただ図書館で借りた本はそうもいかないので付箋を付けて、読後に付箋の部分をノートやパソコンに転記する。速読も熟読も精読もいろいろで『古今東西、古往今来の、哲学書・文学書・歴史書は総て読破してしまったから、再読になる。』再読が一番愉しいね。読書の楽しみを感じながら読む。外国のものは翻訳が変わると読後感も変わるからそういうとこも面白い。
 私は若い頃から他人の論文とかを随分代筆していたからそういう場合は速読をやっていた。ひとつの論文を代筆するのに一晩でやったから二時間くらいで十冊の本を読んで論文を書いた。その習慣が残っていて、ぱらぱらページをめくっただけで何が書いてあるのか解る。しかしこんなことは読書の楽しみではない」ということですから、やはり「才能は必要」で「その土台の上に夥しいものを積み上げ」ておられるのですから、私の場合話になりません。
 私の場合、なにもかもが「細切れになっていて」、それらの関連性が手を結んでいず、バラバラですから、散らかしっ放しの四畳半の有様です。何とか整理をしなければ、足の踏み場もありません。
 先人の知恵や業績をおおいに参考にすべき(積極的にすべき)ことは、根保氏も群系掲示板に書かれています。海のものとも山のものともつかないものが、我流の作品らしきものを並べても、そこには無理(無知)が見えるし、ものにならない、ということだと思います。
 やはり、芸術ですから、その道の教えや、先駆者の一挙手一投足から学ぶ姿勢が大切なのだ、と今にしてわかりました。
 読んだ本は、漱石、鴎外、清張の「或る小倉日記伝」(掲載の短編を含む)で、やはり正面から勝負を挑まねばならないのだ、と改めて気付かされました。


 
書く読む0805(2014.08.05)
 評論というものに多少触れ、独特の表現の仕方というものを知った上で、群系の作品を読んでみました。正確には理解出来てはいないとは思われますが、こういう表現にたじろぐことのない文学一般についての素養の必要性を痛感しました。
 出来るだけ多くのものを読み込むため、「速読」というものがあることを見知っていましたので、WEBで調べ、YOU TUBEで見本を調べてみました。
 しかし、内容を理解した上での速読が最も大切と思われますので、1行を4〜2に区切り読みし、そのスピードを上げるという方法に目が止まりました。


 
書く読む0804(2014.08.04)
 文学的な素養がない、ということを痛く考えさせられました。さて、どうすればよいか。特別な方法はないのです。学ぶしかないのです。
 ここまで作家(外国人作家を含む)や評論家の名前、立ち位置の違い、作風の違い、文学用語の無知、文学史の無知など、文学というものへの遠さを感じたことはありませんでした。文学の土壌のないところに、それらしいものを載せようとしても、土台がなっていませんから、不安につきまとわれてしまいます。
 取り急ぎ、傍にあった小林秀雄を読んでいます。


 
書く読む0803(2014.08.03)
 群系に目を通してみましたが、読解することが出来ません。焦りばかりが先に立ちます。文学とはもう少し人間や自然の息吹を捉えるものだと思って(勘違いして)いましたが、評の方になると、A主義だの、Bの理論だの、Cの説だのが次々と出現し、私の弱い頭では理解し得ないようです。もっとも、少しでも、この教養の部分を自分なりに耕し、多少なりとも読める程度にはなりたいと、ただいま勉強中です。
 一方で、創作にもかかろうかということで、とても混乱しています。やはり、少年時代から触れることがなかったことで、どこからどうすればいいのからして分かりかねますが、やれることから1歩、1歩という具合に進めたいと思います。


 
書く読む0802(2014.08.02)
 我ながらこれは重症だな、と思いました。評論の文がまるで頭に入ってこないし、理解出来ないのです。
 これでは話になりません。どうしたら、文学を語ることが出来るのか、妙なことに躓いています。というより、素養も教養も、文学に関してはないのです。
 この50年、問題にもせず、追求もせず、ないがしろにしたまま、どうしてこういうことになったのだろうと、あきれるばかりです。


 
書く読む0801(2014.08.01)
 台風接近の中、電灯の付け替えなどをしていたら、読むも書くも何もしていません。と言いつつ、絶対文感ほかに感想文などを書き送りました。
 午後「群系」を受贈したので、文学に疎い私は、真剣に読んでみたいと思います。この数日、文芸思潮、季刊午前などを受贈し、読むべきものが一挙に増えました。


 
書くには0731(2014.07.31)
 鳳仙花読了しました。岬、枯木灘と読んできて、母を主人公にした鳳仙花が最も感動場面が多かったです。母は賢く、強しということです。
 何で中上健次を毛嫌いしていたのだろう、と考えました。文學界にいつも登場していたときの、あの横柄なもの言い(?)にだったのでしょうか。しかし、作品によると、実に正直で正義感に溢れています。ちょっと乱暴ですが。
 この3つの作品は、時間を置いてまた読んでみたい作品です。


 
書くには0730(2014.07.30)
 鳳仙花はクライマックスに入りました。中上健次が母の胎内に入ったと思われる、終戦時のどさくさです。20代半ばで5人の子を生んだ母は、夫に死なれ行商をしながら子供たちを育てていきます。
 そこに現れたヤクザな男。20代で性の喜びを知り尽くした母は、龍造という得体のしれない、屈強な男から新たな喜びを与えられます。


 
書くには0729(2014.07.29)
 中上健次の鳳仙花を読んでいます。中途です。


 
書くには0728(2014.07.28)
 今日は成果なしです。ライトは、蛍光管を替えると復旧しました。


 
書くには0727(2014.07.27)
 船中、鳳仙花を読みましたが、帰りは疲れで眠ってしまいました。
 戻って来たら、机上のライトが点かず、昨夜あたりに時折点滅していたのですが、一気に進んでしまったことのようです。


 
書くには0726(2014.07.26)
 中上健次の鳳仙花を読んでいます。中途です。
 30枚の方は、まだ閃きません。


 
書くには0725(2014.07.25)
 中上健次の鳳仙花を読んでいます。岬、枯木灘に続く雄大な作、と説明があります。中上健次はこれまで読み出しては投げ出してきたものですが、読んで見ると印象が変わりました。中上健次は、本当は「心底優しい」のだなとの思いです。
 紀州の自然を背景に繰り広げられる大人間絵巻、いや神々に触れ合う(というのは私だけの感じかも知れません)物語、と言っては外れているでしょうか。


 
書くには0724(2014.07.24)
 何をしたろう。何を読んだろう、という情けなさです。子供のメールアドレスを設け、設定などをしていたら何も出来ませんでした。
 これから、読みます。まず読みます。書きかけてはみたものの、どうにもポイントが決まらないので、気分を変えたいと思います。


 
書くには0723(2014.07.23)
 メール送受信に終わりました。主として全作家の方々です。有り難いですね。
 メールは良くも悪くも、そのときの情感を伝えるものですから、注意が必要ですね。見えない相手だけに、知らぬ間に自慢になっていたり、相手を傷付けていたりすることがあり得ますので、よくよく心してかからねばなりません。


 
書くには0722(2014.07.22)
 次の30枚にかからねばなりません。まだ、何もアイデアはありません。ピリッと辛くまとめることが肝要ですが、さて何にするか。
 身辺雑記は書きたくありません。読まねばならないものが多くあります。どちらを先にすべきか、そこらで揺れています。


 
書くには0720(2014.07.20)
 全作家の作品を読みます。1度目より、少しは深く読めている気がします。
 話は作れても、芸術作品ですから。なかなか難しいことだと、読めば読むほど気付かされます。では、芸術作品とは何でしょう。
 これがなかなか分からないのです。しかし、まぎれもなくすばらしい作品というのはあります。前にすると、心が震えてくるからそれと分かります。
 でも、芸術作品の定義となると確かには言えませんし、だから「常にこれでよい、これが正解だという解答はなく、常に揺れ動き、不断の努力こそが求められる」という評になるのだと思います。


 
書くには0719(2014.07.19)
 50枚を午前中に読み、一応の了としました。早速プリントアウトし、しかるべきところに送りました。
 何10度推敲をしたかわかりませんが、推敲には「完成」ということがないということも分かりました。完成のない道をひたすら進めていく、というのが文芸の醍醐味でしょう。読み、考え、書く、という地道な連環のなかで、どのような輝くものを紡ぎ出せるか、ということなのでしょうか。


 
書くには0718(2014.07.18)
 50枚の作品を見直しています。今日あたりにケリをつけようと思っていたのですが、段々深みにはまってゆきます。ケリがつかないのです。
 こうやって悩みながら、作品は出来ていくのでしょうが、反対に手垢が付いてくる感もあります。どこでどう見極めるのか、難しいものです。
 海第12号で「推敲は何十度も」という意見がありました。さはさりながら、他が止まってしまい、悩ましいところです。


 
書くには0717(2014.07.17)
 50枚の分を読み返しました。読めば読むだけ、直しが増えてきます。
 もう1、2回は読み返した方がよいだろうと思いますが、こうなると勘どころというものもあります。あまりこまめにやっていると、コンクリートに固めたみたいに通気が良くないものにならないとも限りません。
 芥川賞、直木賞の発表がありました。芥川賞は柴崎友香氏の『春の庭』(文學界6月号)、直木賞は黒川博行氏の『破門』(KADOKAWA)だということですが、メディアもあまり騒いでいないということはどういうことでしょう。


 
書くには0716(2014.07.16)
 50枚の作品に一応区切りをつけ、プリントアウトしました。少し日を置いて、目を通してみたいと思います。
 次は30枚です。ねばり強く書くということを心掛けています。海の作品の準備もせねばなりません。気持を込めて書く。今はこれしかない、という作品を書き込んでいきたいものです。少し展望が見える気がします。
 1作をじっくり書くことも傍に置き、一方で出来るだけ多く書くことで感触を得たいと思うものです。他方で、出来るだけ多く読むということを課します。
 読み、考え、書き、という輪を作っていく必要があろうかと思われます。いつまでも勝手流ばかり続けるのも汚点を重ねるばかりですし、知識ばかり積み重ねて動きがとれなくなるというのも考えものです。
 要は創作です。解釈ではありません。ステージを多く、広くとり、腕のまかせるままに創作していくことが、今の理想です。


 
書くには0715(2014.07.15)
 50枚の作品を書き直します。今年投稿したい中の数件のうちの1作です。未発表作品というのが段々なくなってきます。心して、10枚、30枚、50枚、100枚の作品を荒書きしておく必要があります。
 読まねばなりません。他誌への礼状も書かねばなりません。
 同人誌作成の世話というものは、いたく疲れるものです。しかし、この道がなかったら、どこへ歩き出してよいのだろうと、狼狽えてしまいます。時化たり、うねったりして、難渋している海に感謝しなければなりません。


 
書くには0714(2014.07.14)
 全作家の作品を読了しました。これだ、という作品には出会いませんでしたが、かなり自由な表現をした作品があり、どういう評価になるのか聞きたいものです。
 そういう意味では、読み応えを感じました。そういえば、女性の作品が少なかったことがこういう広がりを生んだのかもしれません。
 全作家掲載の作品は、協会の委員の作品は掲載しない仕組みらしく、確かに二線級の作者の手になるもので、全体がもう一つ盛り上がらないところに課題がありますね。しかし、これが編集方針だとのことですので、そこはそこです。


 
書くには0713(2014.07.13)
 さて、書くスケジュールを調べましたが、その前に読まねばなりません。
 構想、全作家ですね。両誌とも内容が詰まっているので、心して読まねばなりません。その前に、書くことの内容のあらかたを考えておく必要があります。
 木村秋則さんのリンゴの本、2冊を2日で読んだのですね。こういう類の本を読むのが好きで、文学書の前にはこんなものを読みふけっていたものでした。


 
書くには0712(2014.07.12)
 慣れてくると、1日に文庫本1冊の読書は可能なんですね。
 木村秋則さんの2冊目を読んでいます。木村さんは、無農薬でリンゴを作った人。前に映画でも観ましたので、観る方を先にする読書もあるんですね。
 文学書の類だと、なかなか先に読み進めないのですが、無農薬リンゴを作り、UFOに出会う話しの方は、わくわくして先に進めますね。
 それにまた、文藝年鑑を繰る方も興味が尽きません。


 
書くには0711(2014.07.11)
 受贈いただいた誌など数点の作品を読み、感想などを送りました。
 ペンクラブの会費納入、頼んでいた「文藝年鑑2014」の代金を納入しました。
 文藝年鑑は初めて購入したのですが、著作家、同人誌、文芸全般の動向など詳細がわかるのですね。小説、評論を主とする同人誌は全国に約500ほどあるということもわかりました。同人誌で目立った活躍をされている方の一部は、著作家としてのジャンルに掲載されておられます。好ましいことですね。
 海の作品の掲載のあり方について質問がありましたので、返事をしたついでに、HPの連絡掲示板にも掲載しました。


 
書くには0710(2014.07.10)
 受贈いただいた誌などを読んでいます。それぞれに工夫され、発行されたものですから、貴重なものです。私の苦手な、学術的な作品や、歴史を丁寧になぞった作品に出会うと、それだけで頭が下がります。
 同業ゆえに知ることのできる、弛まぬ努力がそこにあります。同業ゆえに気付かせられる、真剣な表現があります。 


 
書くには0709(2014.07.09)
 S氏から、海作品全般についての丁重な感想をいただきました。有り難いことです。こういう中で、退会勧告者が出たということは残念なことです。
 海は、主として「創作」「詩」「エッセイ」を柱として進んでいますから、第一期の「評論」「詩」を中心とするという方向と、少しずつ変わりつつあります。これも、30年近い歳月がもたらした変化であるのでしょう。
 これからは、「書きっ方し」と揶揄されることのないよう、心して臨んでいきたいと思う次第です。ということは、まず自身の作に責任を持つということでしょう。


 
書くには0708(2014.07.08)
 委員各位の大方の賛同も得られたので、蒸し暑さの中、郵便局で1,750円の返金をしてきました。海の仁義です。やれやれです。1人事務担当も、疲労困憊です。もっとほかの、前向きなことに力を注ぎたいものです。
 こういう中であったので、通常はそれほど感じなかった文芸同志会の評をいただけたことが、胸に染みました。有り難いことです。
 受贈誌も一挙に届きました。みな親しく交流しているところからです。見慣れた誌の名前を見るだけで、救われる気がします。
 中身はこれから読ませてもらい、礼状や感想を送ることになります。


 
書くには0707(2014.07.07)
 何かと気分が晴れないままです。同人誌の世話を始めて、退会勧告をしたのは初めてです。自発的な退会を選ばれたのは、数件ありましたが。
 いずれも、気が晴れるものではありませんが、なかなか意思の疎通を取るのは難しく、こういう羽目になるものなのでしょうね。今回の当人の希望である「同人が経費を負担して作るものだから同人のために便宜を図れ」というのは、郷土起こし系、地方史系、学術系などの基盤の確かなところなどが行う方法なのでしょう。
 海などは、「創作」を主とするものですから、強固な基盤もなく、広告などもなく、つまり強固とは相反する「自由」を旨とする誌ですから、「同人に便宜を」というニーズに応える力を持たず、「創作発表したものを広範囲に届ける」という後者の役割を主たるものとして、伝統的に担ってきました。海の体質から、今後も後者の進路を取ることに変わりはないのだろうと、考えるものです。U氏からも温かい便りをいただきました。


 
書くには0706(2014.07.06)
 同人誌などをやっていると、孤独になってきますね。
 初めて今日、「退会勧告」をしました。決して心地よいものではありません。いくつかの選択肢の中からの1つを言わざるを得なかった、ということなのですが。
 いつも思うことは、自分が増長しているのではないかということです。そのつもりでは決してないのですが。
 当人はもっと成長したい、出来ればプロになりたいということのようですが、それは海という場ではなく、もっとしかとした場で始めるべきことでしょう。
 トラブルはトラブルです。
 反省しつつ、甘えることなく、日々の1つを積み上げていければと思うのみです。それにしても、鬱陶しい日です。
 という文を書いていたら、T氏から温かいお便りをいただき、嬉しい限りです。


 
書くには0705(2014.07.05)
 送付した部数が足りない、と苦情のメールです。2週間前には、「受領を確認しました」というメールを寄越した本人がです。
 まあ、何をどう理解しているのか、インタビューした相手(全て)に冊子を送らねば済まない、ということのようです。部数を限定して作成する同人誌には、とんでもない要望です。それも、同人誌の仕組みを説明し、同人配布分以外に10部を増して送付しているにも拘わらずです。書店での購入は可ですし、とてもやってられません。
 それは、それは、当該人への送付冊子は何度も何度も数えましたよ。にも拘わらずこうですから、話になりません。いるものはいる、という駄々っ子ぶりです。


 
書くには0704(2014.07.04)
 左目が深紅、という具合ですからパソコンは控えめにして、読む方にしました。目を使うということでは、どちらもどちらですが。
 途中で何度も投げていた「枯木灘」を読み終えました。人間関係が複雑すぎてよく飲み込めないのですが、エキスは多少なりとも読めた気がします。
 愛憎離苦というより、輪廻であり、運命であり、波のごときもの、とでも言ったら外れてしまうでしょうか。何か曼荼羅図でも見る思いで、読みました。
 毛嫌いしていた中上健次という人物が、そうそうは離れていないゆかしい作家であるのかもしれないと、あの紀州の旅を重ねながら読みました。


 
書くには0703(2014.07.03)
 目が充血して不自由なので、書くことも読むことも、少し遠慮しています。
 とはいえ、これをしないことには治まらないのが今の自分です。あまり障らない程度に読んでみます。それが障るのですね。
 目を酷使してきたので、怒っているのかもしれません。とりかく、何はさておき、明日は眼科に行くことにします。
 HPのPDFがおかしくなっていたので、「PDF作成ソフト」によりファイルを作り直し、HPにリンクし直しました。11作品をやり直しました。


 
書くには0702(2014.07.02)
 久しぶりに読むこと、に時間を用いました。読むべき本が幾冊もあるのですが、なかなか進まないのは読むスピードが上がらないからでしょう。
 それでも、遅々として進まないままページを繰ります。理解の方も鈍いのでしょうし、能率の悪いことこの上もないのですが、やはりこれが血肉になるのですから、続けていかねばなりません。努力あるのみです。


 
書くには0701(2014.07.01)
 文芸の道。私にとっては、やはりライフワークです。世間から、どれだけ「遊び人」だとかの指弾を受けようと、ここに嵌まり込むことは遊びではありません。
 もはや、世間の思惑などどうでもいいのです。
 そこに一体になるべき場があり、思いの全てを吐き出す場があるということは、世間的などういう形容を浴びようとも、構わないのです。
 言葉でも及ばない、態度でも及ばない、ましてや金などいくら積んでも及ばない世界なのです。芸術とは、魔の世界であるのかも知れません。


 
書く前は0630(2014.06.30)
 50枚の作品からようやく離れ、この間にいただいていた作品を読んだり、お礼状を書いたりしています。
 30枚であれ、50枚であれ、60枚であれ、100枚であれ、真剣に書かねばならないのだ、と改めて考え至りました。とても良い経験をしたという思いです。
 やはり、努力なしに技芸は成らない、というのが本当でしょう。
 世に出ておられる方には、人並み優れた才能を持ち、弛まぬ訓練をし、いやしっかりした目標を掲げ、(世界で)NO1の工夫や努力を重ねるということが、欠かせない当然のことなのでしょう。勿論、その過程での出会いを大切にするということは、さらに必要です。
 芸術作品を作るには、弛まず、いかに魂を込めるか、いかに「それと一体になれるか」ということに尽きるということになるのでしょうか。
 とにかく、一生を捧げる、というほどの仕事をすることでしょう。


 
書く前は0629(2014.06.29)
 50枚にまで削った作品を、何度も見直しています。確かに、見直す度に手直しすべきところが目に付きます。やらねばならないことだと思います。
 それでもやはり、期限を定めてやらないことには、他のことが出来なくなります。ですから、先にすべきことから順番にこなすことにしました。
 スポーツでも、足腰をまず鍛え、そのために走り込み、バッティングであればバットを振る。一球一球を想定し、バットを多く振る。勿論、理論に沿い、工夫し、アドバイスに従い、「誰よりも振る」ということを行うそうです。
 文章にも同じことが言えます。書く、読み返す、書き直す、読み返す、書き直す…ということを、何度も何度も繰り返します。勿論、「理論に沿い」「他の書を読み込み」ということになります。
 私には、後者が大きく欠けています。ですから、他の作品を読む、書く、自作を読む、書く、他の作品を読む、書く、自作を読む…ということをすべきところ、「他の作品を読む」点でおおいなる努力を重ねていかねばなりません。


 
書く前は0628(2014.06.28)
 90枚を50枚に縮める作業がようやく終わり、見直しをしています。今回ほど、推敲に意を用いたことはありません。
 普段から、これだけの時間をかけ、真剣に取り組むことが必要なのだ、と少しだけ文章への考え方が改まった気がします。
 これは、H氏らからの厳しい注意を受け、やむなく始めたことですが、推敲を出来るだけ多くの角度から行うことの大事さに、ようやく気付きました。


 
書く前は0627(2014.06.27)
 横尾氏からの特別寄稿「妄想と文学〜『海』に寄せて」の内容が奥が深くて素晴らしいということで、文学街のHP担当の川合氏から、文学街のHPに転載したいとの問い合わせがあり、横尾氏の了解も得られたので、転載してもらいました。
 海のHP発信の方は地味なやり方ながら、これまでも数人の作品に声が掛かり、転載していただいたものです。海のHPも多少は役にたっているのかな、と思った次第です。後は、みんなの書き込み用にと立ち上げた「連絡掲示板」への利用がなされれば、嬉しい限りであるのですが。


 
書く前は0626(2014.06.26)
 削る努力をしています。あと10枚を数えてから、なかなか進まなくなりました。わが作品なれど、書き換えをすることが簡単ではありません。
 この間も、海作品への感想が送られてきます。キリのよいところで、HPにアップしなければなりませんが、削る作業に目処が立ってからと言い聞かせています。
 第12号は、何となく反響が多く感じられます。しかし、小説と詩とエッセイに偏って寄せられてくるのが、不本意なところではあります。全てのジャンルで工夫をしなければなりませんが、評論では「紹介」に止まらず、「論」として深めて行く書き込みが必要ではないのだろうかと思いますし、そういった感想が多く述べられています。


 
書く前は0625(2014.06.25)
 90枚を、今日までで60枚まで削りました。後10枚削ることになります。
 よくよく見れば、余計なことまでよく書いたもので、削りも軌道に乗れば面白いものです。余計なことは書かない。簡潔に表現せよ、とはよく言ったものです。
 私ごときの作品は、100枚を費やしても、10枚にも値しないというほどのものかも知れません。今、削ることの面白さというものを知りました。
 贅肉を取り、風通しをよくする。これは文章だけではないのかもしれません。


 
書く前は0624(2014.06.24)
 今、90枚のものを約半数枚にする作業を行っています。10枚、20枚の減などはどうにかなるのですが、半分にするというのは骨が折れます。
 まあ、文芸のことでは最近「力み過ぎ」の傾向にあります。少し力を抜いた方がいいのかも知れません。それに、競争ばかりを課すと、ギスギスしてしまいます。考えてみれば、自分が抱えている宿題は、競争状態から脱し、自由になることが目的でした。勝つことばかりを課していた日には、あの昔の状態に逆走することになってしまいます。


 
書く前は0623(2014.06.23)
 海を送付したばかりの時期とあって、次々と感想が寄せられます。全てのものとまではいきませんが、その感想の大意を損なわない程度に要約し、ホームページに順次掲載しています。以前から在籍されている同人は、例え厳しい意見であっても、そういうものかという程度に読んでもらえると思います。
 まだ慣れておられない方は、驚いたり、怒ったり、そんなものは知らせるなとかいう気持になられるのではないでしょうか。しかし、これこそが同人誌である、と私の経験からはそう思えるのです。誉め過ぎも困りますし、厳し過ぎるのも困るものです。しかも、人の評価にはどれほどの信憑性があるものかもわかりません。
 単なる好悪であったり、ファンであったりする方の意見には、少しだけ注意する必要があるかもしれません。「絶賛」などという言葉がよく使われますが、これは眉に唾してみる、ぐらいの方が適切ではないかと思いますし、厳しい意見の中に「進む道を示される」場合などがよくあるのも確かです。
 同人誌の目的とするところは、横尾氏が書いておられるように、「全国の同人誌界に発信してもらいたい。そして書く行為をなによりも大切にし…健闘を祈りたい」とあるのは、非常に明るい燈だと思うものです。
 複数作品掲載云々の意見を得ましたが、私たちは、多分いつまでもチャレンジャーである筈です。完成することをどこまで目指しても、完成したと思えることはない筈です。芸術ですから。であるなら、海は海の現在の道を堂々と行くよりほかないのでしょう。海の現在の仕組みが優れて立派であるとか、他に勝っているとかはあり得ないことだとは思いますが、その時々で悩み、激論を戦わせ、工夫し、積み上げてきたものです。
 それこそ過去にも、今回もと、複数回にわたって、海のあり方への忠告の意見をいただきましたが、今、私たちは築き上げてきた海の方式に賭けるよりないのだろうと思われます。もっとも、細部での見直しは、いつであろうと行わねばなりませんが。
 入られたばかりの方も、20年在籍しておられる方も、「真剣に努力し、取り組む」の一言をもって前に進む、ということでいかがと思うものです。


 書く前は0622(2014.06.22)
 いくつかの海作品についての感想が届いています。誠に厳しい内容のものもありますし、おおいに励ましをいただく内容のものなど、たいへん振幅に富んでいます。
 これらをみんなに伝えるのもはばかられますので、ある程度まとまった段階で、その要約版(感想者名を出さず)をホームページに掲載し、参考にさせていただきたいものだと思います。以前のように合評会が持てたときなら、口頭でさらりと報告するだけで済むのですが、どれをどう選択するかなど(内部にも意見があるようなので)難しいものです。しかし、褒め称え合うことばかりが筋ではありません。手厳しい意見の中に、本当に傾聴すべき内容が含まれているという気がしないではありません。よって、取捨選択は原則として行わないものとしたいと思います。
 また、海の内部からの意見がなかなか出てこないのですが、中には首を傾げざるを得ない意見もあります。それも、いずれみんなの意見を聞きたいと思っています。


 
書く前は0621(2014.06.21)
 H氏からの指摘は、本来実に「大切」なものです。
 受け手側の立場で考えると、誠にもっともなことであるのです。この誌は信頼に足るものかどうか、という考えも生まれましょうし、そこらの雑誌に過ぎないものだということで、以降全く開いてもらえないということになりかねません。
 表現し、発表するという趣旨は、もっと「真剣なものでなければならない」のです。これを、応募作の審査と考えてみると分かりやすいと思われます。その人の両方が良い作品であっても、2作応募ということでマイナスに働くというそうですし、仮にその1作に欠点があれば、より低い扱いになるのだそうです。
 海は薄い冊子ではありますが、志は高いものがあります。第一期の時代からもそうですし、現在もそうです。メジャーの作品を凌駕するレベルの作品を目指す、というのは「海の理念」にありますし、仲良しグループをめざしているのではありません。
 だからといって、複数作品がNOだとは考えません。しかし、ジャンルを越えての複数作品はOKだとは思うものの、私がやらかしたように「小説作品を2編掲載:第10号」の例が、今回のH氏の指摘のように、海を貶めたのかもしれません。そこを指摘されたとき、確かに忸怩たるものがあります。
 私にこれといった具体的な提案はありませんが、みんなはどう考えるのでしょう。何もコンテストばかりを意識せずともよいのですが、「真剣にやっている」ということは事実ですし、へんに勘ぐられるのも良しとしません。敢えて提案するとすれば、同一ジャンルには1作のみ、というあたりですが。


 
書く前は0620(2014.06.20)
 海第12号に対する意見が、主なもので3件寄せられました。N氏からは電話が初めて入り、びっくりしました。海のかなりの頑張りを話されていました。
 H氏からは、「1作者の複数作品掲載は、書き捨て御免かも?」というもので、早速説明のメールを送りました。確かに、複数作品の掲載により相殺されてイメージが低下するという意見を、他の方からも過去にいただいたことがありました。さもありなんとは思いますが、半年に1度の刊行ですから、海は「積極的に掲載してきた」という経緯があり、「老け込む海ではない」という意図から、従来の方針を変えるつもりはありません。より積極的に、「発表する海にしたい」とこの際思うものです。
 もう1名の方は、作品に対する通常の感想でした。


 
書く前は0619(2014.06.19)
 印刷経費の支払いを終え、その勢いで会計報告を作成しました。
 あわててやろうとすると、ミスプリントに気付かず、出した後で地団駄を踏む気持になったものです。まず通帳をスキャンし、台紙の報告書に張り付け、またスキャンします。それをPDFに変換したりして、結構手が掛かるものです。
 うまくいっていればいいのですが。
 最近は作品を書くことより、パソコンの扱い、日本語ソフト(WORD)の扱いなどに労力を奪われ、ある意味では楽しませてもらっています。次号からは、DF平成明朝体W3を中心にした編集にしますから、面白いかもしれません。


 
書く前は0618(2014.06.18)
 海のホームページの更新に1日を費やしました。後は会計報告をして、ようやく1号が終了します。海がある間は、他のことに移れません。
 うまく行くことを願うものです。今の時点では、評価がどうのこうのなど頭にありません。例えは違うのでしょうが、子供が巣立ったという思いです。


 
書く前は0617(2014.06.17)
 海の発送です。メール便1冊71通、2冊18通、3冊7通、宅急便2個、レターパック1通を送り出しました。
 昨日準備しておいた発送グッズを持参、宛名ラベル貼り、氏名印押し、文書と冊子を封入、テープで封緘、メール便のシール貼り、宅急便の梱包等々という具合です。
 毎回要領よくやろうとするのですが、やはり3時間を要します。
 外は雨。自分の分を持ち帰るころの本の重さといったらありません。傘をさしながらですが。やれやれというところです。
 戻ってからは、同人にメール送付。特に次号の「原稿・冊子作成要領」を送ることと、ホームページの更新です。後者は、中途までで翌日回しになります。


 書く前は0616(2014.06.16)
 明日の海の発送準備を整えました。宛名シール印刷、一般あて文書印刷、同人あて文書印刷、原稿・冊子作成要領印刷を行い、氏名印、スタンプ、指サック、包装用品、筆記具などを揃えました。
 発送を無事に終えると、HP更新、支払い、会計報告作成となり、1号がようやく終わります。中身より形式に要する時間が、結構長くかかります。



 
書く前は0615(2014.06.15)
 海の発送準備をほぼ終えました。後は、実際にプリントをして作業に臨むことになります。海第12号はどうなりゆくかわかりませんが、第11号は多くの批評等で取り上げられ、HPもかなり扱い甲斐がありました。
 原稿作成要領なども読み直し、できるだけわかりやすいものにしたいと思っています。殊に、フォントの見直しなどもありますので、準備をぬかりなく行う必要があります。1号、1号の積み重ねが実のあるものになればいいなと思います。


 
書く前は0614(2014.06.14)
 唐津行で、途中「枯木灘」を読むつもりでしたが、博多湾、唐津湾の美しさに見とれ、本を開く間がありませんでした。生の松原、虹の松原の風景も見事でした。
 九大が移転したせいか、学研都市駅周辺、姪浜駅周辺が整備され、活気を帯びている様子が車内からも見て取れました。


 
書く前は0613(2014.06.13)
 海のフォントを、「MS明朝体」から「DF平成明朝体W3」をメインとすることにし、メールで関係者に連絡しました。
 海原稿作成要領を作成し、発送宛先の確認・準備を行いました。
 中上健次の「枯木灘」を読んでいます。昔は食わず嫌いの作者であり、作品でありましたが、改めて読んでみると大作ですね。途中でもあり感想も言えませんが、これは大きなドラマですね。読み返してよかったなあ、とつくずく思いました。


 
書く前は0611(2014.06.11)
 海のフォントの件は、現在のMS明朝体と新たなDF平成明朝体W3とでサンプルを作り、委員と小説執筆の関係者に照会しました。
 いずれの場合も、私の方で割付等を行うのですから、関係者は特に変わったことは必要にはなりません。少し趣向を変えてみるのも良いかもしれません。


 
書く前は0610(2014.06.10)
 相変わらず海の編集の関係です。校正の際、「分かりやすい字体にしたい」と印刷所に相談したら、フォントを考える必要があるとのことです。これまで、MS明朝体でやってきましたが、DHP平成明朝体W3か、DF平成明朝体W3かがよさそうだということで、上水氏と相談し、3つのフォントを比較して、あれかこれかと考えています。
 比較を始めると難しいもので、フォントによっては現在のフォーマットにおおきな影響が出るのですね。DHP平成明朝体W3だと「26字×23行」の「26字」が崩れ、全体ページに大きな影響が出ます。DF平成明朝体W3だと大きな影響はなさそうな感じですが、まだ見落としがあるのかも知れません。
 「リュウミンR」だとかになると、WORDにはなく、例えこれに読み替えてもらったとしても、全体が大きく崩れ過ぎることでしょう。
 いやはや、難しいことです。発端は、「もう少し文字をくっきりと見やすく出来ないか」という相談から始まったことです。


 
書く前は0609(2014.06.09)
 印刷所での最終校正を終えました。2時間半を要しました。最終チェックというのは気を遣うもので、全体のスタイルから、細かい表現、誤字等まで調べます。
 とはいえ、改めて全部を読んで行う訳ではないので、後は機械まかせということに落ち着きます。何度読み返しても、完璧ということにはなりません。これ以上は人の域を越えた注文になりますから、要は作品の中身がどうかです。
 スタイルや誤字、誤記にばかり気を取られすぎていると、作品本体がおざなりになります。特に、書く・読むの作業にはマイナスにはならないまでも、プラスにはなりそうもありません。肝心な点は、良い作品を書くこと、これに尽きます。


 
書く前は0608(2014.06.08)
 海同人の作品を紹介した掲示板を同人に連絡、HPにも掲載しました。
 わが作品にまともなものがないことを再確認し、いざ新作に臨もうとするのですが、理屈どおりにはいかないもの。難しいですね。文章作法もさることながら、何をどう書くか、という点がやはり一番ですね。
 遺言のつもりで書く、という書き方もありますが、さて…。小説などの作品には、どう書こうと、作者そのものが出てしまいますから、作者のほどしか書けません。これが何よりの難問ですね。



 
書く前は0607(2014.06.07)
 海の校正可という連絡が入りました。今日は用事が重なるため、予定どおり9日に出向くという返事をしました。
 中上健次を読んでいます。


 
書く前は0605(2014.06.05)
 海のHPを多少いじりました。次号の原稿作成要領等も作成しました。
 中上健次を読んでいます。


 
書く前は0604(2014.06.04)
 中上健次の初期の作品(文庫「岬」)を読んでいました。
 中上作品は、野太いとのイメージをこれまで持っていたのですが、「黄金比の朝」「火宅」など、非常に繊細な面も併せ持った表現に、これが才能の萌芽なのかな、との思いをいたしました。
 やはり、初期の作品にその作家の「持ち来るもの」が現れているようです。氏の、若い年齢からの文学道の歩き方は、実に真摯なものだったのですね。


 
書く前は0603(2014.06.03)
 小休止です。小説の短いものを書き上げました。久しぶりに、恵贈いただいた同人誌の幾冊かを読ませてもらい、お礼を書きました。
 小休止が明けたら、次の道に入らねばなりません。


 
書く前は0602(2014.06.02)
 海の原稿を印刷所に持ち込みました。順調に行けば、途中校正を経て、6月下旬には発送の運びとなる予定です。
 原稿が手元を離れると、やや気分が和みます。もっとも、次号の原稿作成要領作成、発送準備、送付状作成、宛名ラベル作成などの作業が待っています。
 しばらく、積み上げた本を読めればいいなと思います。


 
書く前は0601(2014.06.01)
 海の最終見直しを行い、明日花書院に持参します。今回は、3度は読みました。
 作者それぞれが、かなりの意欲をもって書いてくれたのだと納得しました。これまでもそれなりに納得した上で発行してきたものですが、水準を保っていると思います。
 読んだ後、印象に残る作品が数点あります。やはり、これが大切だと思うものです。今回、文芸というものの厳しさということを強く考えさせられました。芸術作品であるからには、書けているだけでは済まされない。水準作では済まされない。やはり、優れた作品でなければならない、というものです。
 芸術作品にまで高めるには、どうあるべきか。これは、今後の課題です。


 
書く前に0531(2014.05.31)
 海の最終校正・修正を終わりましたが、今日は土曜日です。なにしろこの暑さ、芯から疲れました。印刷所には月曜日早々に資料を持参することを約し、明日もう1度全体を眺めてみたいと思います。
 今回は、なぜか私の能率も上がらず、文字を何度もなぞっては戻りの繰り返しになりました。手元から原稿が離れるまで、気が晴れないことです。


 
書く前に0530(2014.05.30)
 文章とは難しいものだ、と今になってつくずく思います。
 海の最終確認をしているのですが、読めば読むほど迷いが出てきます。「別の表現もある」「こう書いた方が効果的だ」とか、気にし出すと切りがありません。
 締め切り日までには切りを付けてほしい。それも文章の訓練だから、などと言った手前ですが、なかなか「これでOK」とはいかないものです。以前はこんなに迷うこともなかったのですが。
 これは、前に進んでいるのか、後退しているのか、判断がつきません。一つ言えることは、書いても書いても「上手くもなりそうにない」というのが、素人作家の実力のようです。勿論、それでも構いはしないのですが。


 
書く前に0529(2014.05.29)
 海の原稿の確認の目処が立ちました。といっても、今私の方で全体を読み、同時にデータの修正を行っています。なかなか骨の折れることですが、前を向きましょう。
 原稿作成要領は、もう少し分かりやすくまとめる必要があるようです。一応下案を書きましたが、じっくり目を通してから完成させたいと思います。


 
書く前に0528(2014.05.28)
 海の2名の編集担当の方から、1日早く確認・校正の資料とデータが寄せられました。私もこれを受け、寄せられてきた資料等とわが保管するデータを読み合わせながら、最後の確認・校正作業を行っております。丸2日以上はかかるでしょうか。
 ともかく、ここまで漕ぎ着けることがなかなかたいへんで、ですがこういう状況に至ったことを喜びたいと思っています。
 西暦年と和年の不一致、特に数字に関する表記の不一致、どうかしたら登場人物の名前が入れ替わっていたり、異なる意味の漢字を使用していたりで、「誤字、誤記、脱字、妙なスペースの見落とし」等のチェックというのは、なかなかの難問で、何度やってもこれは厳しい作業です。どんなに丁寧に「説明書」の類を作っても、同じことがまた繰り返されます。かく言うわが作品も、指摘されて初めて間違いに気付くという具合で、みんな似たようなことをやらかします。
 予想がつかない、というのが正確なところで、日本語というものは誠に難しいものだな、と思わされています。何度も読み返し、時間をおいてまた読み返し、という訓練を日頃から重ね、原稿を書くということを心掛けたいものです。


 
書く前に0527(2014.05.27)
 説明書の類は、作った本人は分かっていても、受け取った方は全然違うように理解するということが常ですね。
 海の「原稿作成要領」やその他のメール等での連絡も、違う目で見れば違うようにも見え、説明をすればそのようにも見え、というふうに危ういものです。これは、目の前で話したとしても、複数人の受け取り方はバラバラであったという、元の職場での経験にも教えられるところですが、ものごとの伝達というのはなかなかうまく行きません。
 海の「原稿作成要領」も、受け取られ方が一様ではなく、瀬戸際になって初めて問題点が見えてくるというお粗末です。
 ないよりはいいだろうと、「海の事務説明」なるものを作ってみましたが、屋上屋を重ねることになるだけかもしれません。


 
書く前に0526(2014.05.26)
 全作家に投稿する分の校正依頼がきたので、2回読んで修正し送付しました。校正というのは、やたら疲れるものですね。
 同人誌って、書きたくて、そのために自分でお金出して、どうかすると意見の違いで喧嘩沙汰に。これは第一期時代のことだったかと思っていましたが、第二期にもモヤモヤとする空気がどこかにありますね。
 こんなことをすること自体、偏執だと言われても仕方がないところがありますから。ともかく、ずっとそう言われてきたのでした。
 いや、何を言ってるんだろう。バイオリズムが落ち目の方に向いているのかも知れません。ちょっと精神状態がよくないようです。


 
書く前に0525(2014.05.25)
 むむ、海確定原稿の印刷を終え、送付したというのに、差し替え? これが来ると、萎えます。どんなに工夫した締め切り日を設けていても、出て来るのですね。
 文章を練るのは締め切り前までです。そのようにお願いしたつもりです。文章は生き物ですから、見直す度に何か出てきます。しかし、それをやっていたら、複数人で構成される同人誌は成り得ません。個人誌なら別でしょうが。
 個人にとっては些細なことかも知れませんが、全体をまとめるときに「何とかなりませんか?」が出て来ると、困るの一言です。立場を替えて考えてみていただけないものか、と思うものです。実際、全体の進め方にかなりの罅が入るのです。


 
書く前に0524(2014.05.24)
 海第12号の原稿が揃ったので、一応完全原稿の形にして、私の外に目を通してもらうことになっている2人に送り込みました。1人はペーパーにして、1人はデータのままで。総計142頁となりました。
 私の原稿全てを掲載すると150頁になるので、1作は除きました。
 さて、この間は自分の作品を書いたり、積み上げた本を読んだりしたいのですが、どうなりますやら。今後の最後の修正、印刷所持ち込み、校正、発送ということを考えると、やはり海の方が気になってしまいますね。


 
書く前に0522(2014.05.22)
 海の編集がいよいよ本格化しました。これからの約10日間が、もっとも煩雑を極めるところです。本来は、作品の中身に集中すべきなのですが、まず冊子にしなければなりません。形をしっかり整えねばならないのです。
 中身については、一定のレベルにはあると思います。一定のレベルであることは大切なことですが、芸術では一定のレベルを越えていく才能が必要です。
 この才能の出現まで、待つということになります。才能は、現在の構成員も持ち合わせていますし、ひょんなところから出会いが生まれるかもしれません。
 未来の才能の出現を目指し、今足場を組んでいるところです。


 
書く前に0521(2014.05.21)
 海の校正確認原稿が送られてきます。作者もたいへんでしょうが、編集事務もたいへんです。完全原稿に限りなく近付けるため、内容より形に拘らねばならないという逆転現象があります。
 とはいえ、これが編集です。書けてなんぼ、の一同人時代とは違い、冊子の体裁から、作成部数から、経理まで、となると泣けてきますね。
 送っても殆ど読まれることもない冊子作りかも、などと音をあげたくなるときが多くあります。かつての他の同人誌の編集の人々に、改めて敬意を表します。


 
書く前に0520(2014.05.20)
 海の原稿締め切り日です。これまで出されたもの以外の原稿は、出ないのかもしれません。まだ、17時ですからわかりませんが。
 じっとメールの点検をしているというのも、妙な間がありますね。


 
書く前に0519(2014.05.19)
 明日が海原稿の締め切りです。140頁は越えますが、我が作品1作を載せないことにして、150頁には乗らないようとどめようかと考えます。
 あまり薄いのも悩むことになりますが、厚過ぎると送料のことを心配せねばなりません。要は内容の問題なのですが、偶数頁の原稿の場合、奇数頁の原稿の場合で掲載順を入れ替えねばならないことなど、これまで考えもしないことでした。


 
書く前に0517(2014.05.17)
 海の作品が寄せられます。150頁、かなりの手応えのある冊子になりそうです。


 
書く前に0516(2014.05.16)
 海第12号の内容が見えてきました。かなり上質です。
 小説:筆力が高まってきた感じです。3人でしかありませんが、それぞれが違う方向で、なかなかの出来ではないでしょうか。エッセイ:特別寄稿というものもいただきましたが、3人の作者がしっかりと書き込んでいます。詩:短詩がよいと思います。詩と画:諧謔の調子が心地よい。評論:まだ出揃っていませんが、文章には破綻がありません。翻訳:いつもながらの力作です。
 という状況です。150頁を越える見込みです。


 
書く前に0515(2014.05.15)
 三田誠広の「天気を…」の後の、シリーズを一通り読み終えました。加えて、陽羅義光氏の「絶対文感」です。共通するのは、読まずとも小説は書けはするが、そんなもんじゃない。小説は「面白いし、深いし、人生を賭けて取り組むに十二分に値するものだ」ということです。
 一度や二度読んだぐらいで私などに何がわかる、というものですが「読まないと、カラオケで一人歌っている」という域を出ないでしょう。
 だから何だ、となりますが、「読む、先人の通った道をいささかなりとも辿ってみる」という謙虚さがなければ、と痛切に思ったことでした。
 今、海の編集作業に入っていますが、文学街(東京都)の主催者・森啓夫氏は、「読、自、安」という目標を掲げられ、600人を越える同人を一人で牽引されています。これだけ多くの人が集うのは、森氏の「人を惹き付けてやまない人柄」「卓越した発想と情熱」の故、なのだと思います。
 わが海も、せめて「発、自、安」という目標だけでも掲げてみたいと思います。これは、「自由に、(表現し)発表する、安価で」の意を込めたものです。
 意欲ある新人よ来たれ、と願うものです。


 
書く前に0514(2014.05.14)
 三田誠広の「天気を…」の後の、シリーズを読んでいます。
 今見えているものは、これまでに書かれた小説作品など読まずとも小説は書けるけれど、それだけでは浅い場所に浸かったに過ぎない。芸術、小説をより良くするためには、やはり先人の取り組んだ作品を出来るだけ読み込む必要があるということです。
 我が年齢での読み込みは、まるで皮相に触れるほどのことに過ぎないかもしれませんが、読まないより読んだ方が良い。わからなければ、回数を増やしてでも取り組むべきだ、ということです。この宝の山を放って置くには、もったいなさ過ぎます。


 
書く前に0513(2014.05.13)
 三田誠広の「天気を…」の後の、シリーズを読んでいます。
 見えてきたものは、「技芸、芸術、文芸」というものは、(特に書く側は)一般大衆には殆ど縁がないということです。
 これらは、高度な教養がなさしめるものであるだけに、代々とは言わないまでも、せめて親の代には指導階層に属していなければ、「技芸、芸術、文芸」の根となるものを体で覚えていない、という強いメッセージです。
 勿論、例外もいくつかはありましょうが、それでも没落貴族とか、親父が芸事に狂っていたとか、これらの文物に幼い頃からなにかの縁で触れ得たとか、そんな我が身にとっては悲観的なことばかりです。
 プロレタリア文学だって、そうなのですよ。
 だから、人間は嫌だ、とか言ってみても文学、文芸が成り立つか…。文芸も、ホモサピエンスであればこそなのですかねえ。


 
書く前に0511(2014.05.11)
 三田誠広の「天気の好い日は小説を書こう」を再読中の、その後です。まだ途中です。「リアリティとはありそうな話」、「見えたものに限定して書くことで、(見えないものまで想像させ)立体感が増す」、書きたいことを書く。楽しみながら書く」、「主人公に寄り添うことで、読者を巻き込む想像力をかき立てる」、「孤独、絶望、愛、希望、感動という言葉をもろに使うことはダメ」というところまできました。
 技芸→芸術→文学というものは何と難しいものでしょう。気むずかしい頑固親父、を思い起こさせます。気分は、晴れたり曇ったりです。


 
書く前に0510(2014.05.10)
 三田誠広の「天気の好い日は小説を書こう」を再読しています。
 文化や技芸というものは、やはりエリートたちのもの。庶民には遠かった、というよりそれらを知る術もなかった、という話には納得します。エリートたちが生まれ落ちるとともに体で覚え、高等教育の中で育んできたのが、芸術だというわけです。
 それに、文学において「暗さは個性でも特権でもない」、「自己満足の手段であってはならない」、「現実から逃避するためのシェルターであってはならない」という点に、改めて感じるものがありました。
 また、書くに当たっては「モチーフ(内的衝動)が必要」、「リアリティ(本当らしさ)が必要」、「書き手の人間性が肝要」というあたりまで読んでいます。


 
書く前に0509(2014.05.09)
 我が作品を5枚ぐらい書きました。
 海の原稿の提出が小休止状態ですので、この間は出来るだけ書いて、読んでというつもりでおります。


 
書く前に0508(2014.05.08)
 全作家の校正原稿を送り終えました。内容がどうであれ、1つが離れてくれました。やはり、私の能力が落ちてきたのかもしれません。
 能力の問題を持ち出せば、よほどの覚悟で作品に対しなければならないと思います。これから読み、調べ、開拓していこうという算段です。
 何度も、何度も繰り返していかねばならないのでしょう。


 
書く前に0507(2014.05.07)
 郵送での海の原稿がほぼ揃い、全て割付を行い、確認依頼をしています。
 メールでの分がまだかなり寄せられる予定で、やはり150頁のラインでしょう。
 一方、全作家からの校正に手こずっています。何度見直しても、これで完璧という域には至りません。最初から、回数を決めて掛かった方がよいようです。
 投稿分も、やっと終えたところです。
(追記)
 文芸思潮第55号送られてくる。


 
書く前に0506(2014.05.06)
 海の原稿がずい分寄せられてきました。現在手元に届いた原稿だけで、100枚はゆうに越えています。内容も確かなようです。
 全作家の原稿2編の書き直しや、校正などもあります。取り上げていただくだけで、感謝しなければなりません。
 こうやって、多くの方々から指導していただいたり、協力していただくことはとても有り難いことです。学ばせられているのだと思います。
(追記)
 渡辺淳一氏が、4月30日に80歳で亡くなった。


 
書く前に0505(2014.05.05)
 わが作品の書き直し、校正がきていますが後回しに。海の作品の様子がかなり見えてきました。140〜150頁あたりということでしょうか。
 わが作品の書き直しと校正も、急ぐのでした。なかなか新作に掛かれません。ままよ、まずは海の編集の方をしっかりとやらねば。


 
書く前に0504(2014.05.04)
 まず、到着した海の原稿の割付処理を行います。わが予定は、次々に日延べになります。これは、織り込み済みのことです。
 海の原稿を、大切に扱いたいと思います。


 
書く前に0503(2014.05.03)
 日本文学振興会から、芥川賞等のノミネート作品があればという問い合わせがありました。この形は形骸化しているとは思われますが、推薦だけは続けています。
 純文学5誌と言われる商業誌からばかりではなく、非商業誌にも実質的な門戸を開いてほしいものだと思うものです。


 
書く前に0502(2014.05.02)
 海の原稿が届きます。詩などの短いものだけでなく、評論や翻訳などが届いています。割付を行い、作者に割付の確認依頼をします。
 徐々に形が整ってきつつあります。
 全作家に投稿していた作品の、「見直し依頼」がありました。


 
書く前に0501(2014.05.01)
 海の原稿が少しずつ届いています。届いたものから、割付を行います。
 このしばらくの間は、読むことの醍醐味を確認したものです。やはり、読むことなくして、書くことの内容は良くなりません。読む、感じる、感動する、調べる、知る、考える、書くという手順は抜かしてはいけないことです。
 何の蓄えもなく書く、というのはお粗末です。しかし、理屈にばかり走ったり、感情の赴くままに書くというのもお粗末です。
 魂を揺すぶられる作品に出会い、ものごとに出会い、いつか誰かの魂に届けられる作品を書きたい、と思ったことです。


 
書くとき0430(2014.04.30)
 いったいどれだけの期間を要したのでしょう。ようやく、罪と罰を読み終えました。改めて、「凄い作品だ」との感想を抱きました。
 このくらい貪欲に対象にぶつかり、丹念に書き綴るということが必要なのですね。いえいえ、どこまで書かねばならないかとかではなく、こういう作品がかつて書かれたのだ、と知ることが励みになり、この道が間違いではないと知りました。


 
書くとき0429(2014.04.29)
 恥ずかしながら、ドストエフスキーの罪と罰を最後まで読むことに挑戦しています。名前が分かり難くて、台詞が長くて大仰なこの作品、何度かチャレンジしても途中で挫折していましたが、今回は何としてでも読み通すつもりです。
 下巻の中程あたりまできたとき、「魂が震えるほどの感動」を覚えました。これなんだ、これなんだなと思いました。
 これだったら、遊びではない。いや、遊びと言われようと何と言われようと、本物なんだという手応えを感じました。


 
書くとき0427(2014.04.27)
 海の原稿が送られてきたので、割り付けをし、郵送しました。校正依頼ということです。図が入っているので、スキャナで取り込み、一つ一つ張り付けていきます。
 ドストエフスキーの続きを読むことにします。


 
書くとき0426(2014.04.26)
 船中、ドストエフスキーを読みました。
 戻ったら、海の原稿が届いていました。


 
書くとき0425(2014.04.25)
 一定の箇所まで、ドストエフスキーを読みました。理解度や記憶の度合いとなると哀しくなる今ですが、何度もチャレンジしていると少しだけ自信も湧いてきます。
 書くことも、山の頂ばかり眺めずに、身の回りのことに目を向けることも大切なことだと思われます。何事も、急がば回れ、かもしれないと思うものです。


 
書くとき0424(2014.04.24)
 海の編集作業は、今日のところ中断です。寄せられる作品が、まだ届いていないためです。よってわが作品も少し書き、ドストエフスキーも読みました。


 
書くとき0423(2014.04.23)
 海の編集作業中です。わが作品も少し書き、ドストエフスキーも読みました。


 
書くとき0422(2014.04.22)
 海の編集作業中です。ドストエフスキーも読みました。


 
書くとき0421(2014.04.21)
 海の編集作業中です。


 
書くとき0420(2014.04.20)
 ドストエフスキーを読み、文学街を読みました。
 今日から海の編集開始です。届いた原稿を、海のかたちに割り付け、送付しました。どんな冊子になり行くのか、出来るだけ楽しみたいものです。


 
書くとき0419(2014.04.19)
 わが作品のはかばかしい進捗は見られないままですが、海の編集作業に掛かることになります。これから、約2か月がその期間です。
 ままよ、と現在のわが海掲載予定の作品を見直したりしています。
 良い作品よ、新規入会者よ来たれ、という思いにだんだん変わってくるから不思議なものです。やはり、編集作業に夢中になっているときなどに、創作の波動に包まれるのかもしれません。手応えのある冊子を目指し、2か月を乗り切りましょう。


 
書くとき0418(2014.04.18)
 少しだけ書きました。それだけです。1字1字を埋めるのですから、職人の作業です。実に地味な、地味な作業と向き合うことになります。


 
書くとき0417(2014.04.17)
 同人誌の文壇化、これは私の良しとするところではありません。
 同人誌は、書きたい人が書き、発表したい人がする。それだけではありませんか。書くためには、まず謙虚な姿勢と、十分な知見と、間断のない努力(継続)が必要でしょう。想像力と創造力が必要でしょう。技術的な心得も必要でしょう。
 しかし、最も大切なのは、他の作品を裁かないことでしょう。およそ何の根拠があって裁けるのか。根拠のないところに仕組みを作り、その仕組みで裁こうとする。
 文壇とかいうタワーを作り、君臨し、裁こうとする。人が人を裁く、そんなことが芸術であってはなりません。
 人間たるもの、人間を包む諸々、人間が虐げている諸々を知らねばなりません。傲慢になってはいけません。在るものは滅ぶ、という真実を知らねばなりません。


 
書くとき0416(2014.04.16)
 同人誌の作品を読み、感想を書き送りました。いくつもの誌が溜まっています。
 今は、出来るだけ、出来るだけ多く読むことだと思います。


 
書くとき0415(2014.04.15)
 書くことに専念するために、基礎力をつける必要があります。そのためには、かなり読みこなさねばなりません。わからなくとも、読みこなすことを課します。
 舗石のうちの1編を読みました。私小説とは、因果なものかもしれません…。


 
書くとき0414(2014.04.14)
 受贈誌がいくつかあります。まだ中を開いていないものもあります。
 長月氏から、舗石という誌2冊が届きました。260枚と160枚という長いものです。少し読みかかると辞められなくなりそうです。
 草取りに終始した1日でした。海の編集作業開始前の、つかの間の時間です。
 海が始まると2月は掛かりますから、大波小波に巻き込まれることになります。読みたいものを、読んでおかなくては。


 
書くとき0413(2014.04.13)
 何故か、書こうという段になって、ひたすら読んでいます。書こうとすると読みたくなり、読もうとすると書きたくなる、という不調の中にいます。
 結局、どちらつかずで終わることが常ですが、基本は読むことでしょう。今は功を焦らず、じっくりと読むことも併せて進めねばなりません。


 
書くとき0412(2014.04.12)
 全作家第93号が送られてきました。最近のわが低迷ぶりは、本物の様相です。
 全作家文学賞、海第11号ともに、私の場合は全滅です。エネルギーを使い果たしてしまったのか、目標の希薄な作品を書いているのか、恨みがましくなってきたのか。ダイナミックな筆致で、人の胸を打つ作品には仕上がっていないというところです。
 最近、技術面に目を向けているせいか、これも消化不良のままですし、テーマが絞り切れていない、というのが最大の難点です。
 文学とは何ぞと切り込むこと、作品が作品として屹立すること、これが目標であり、問題点です。今、山の姿の見えない山麓を彷徨っています。


 
書くとき0411(2014.04.11)
 海の原稿のチェックをしました。10日後から原稿受付に入りますから、わが作品の準備や整理にあらかた目処を付けておかねばなりません。
 芸術や趣味は「遊び」だという目で見られ、排斥されてきた私ですが、何事にも適当な遊びや遊び心がないと、肝心の仕事も上手くいかないのです。そのことは、子供の頃からの疑問としてありました。
 遊びこそが喜びにも結び付き、次の仕事への意欲をかき立て、さらなる喜びへと向かうエネルギー源になるということを知る必要がありましょう。


 
書くとき0410(2014.04.10)
 海の送付先の修正、海の原稿の整理などに終始しました。


 
書くとき0409(2014.04.09)
 お礼状を書いたり、新たな誌を寄贈いただいた関係者に、海を送付したりで殆どの時間をとられてしまいました。


 
書くとき0408(2014.04.08)
 海関係の手紙やハガキやメールを10通ほど書きました。
 お世話になったお礼や、以外の依頼やお知らせなどなど、です。こういう仕事が多くあります。大事なことですので、こなすことが肝要です。
 出来るだけ外部にも目を向けねばなりません。人と人の関係はお会いしたり、メールを交換することでも、ずい分話が通じるようになります。
 今はなかなか動きが取れない状況にありますが、本来はもっとなすべきなのでしょう。内気な自分に大きく鞭を振るう時なのですが。
 今日は何故か、いくつかの掲示板に海の作品が紹介されました。


 
書くとき0407(2014.04.07)
 真面目にやらなくては、と思います。以前片山氏(理系)が、文学というものを知らないので、大学に入ってから古今東西の作品を読んだと話されていましたが、やはり力をつけるためにはそうでなければならないのだと思います。
 ついつい陽羅氏に泣き言を言ってしまいましたが、それでは済まされないのですね。とは言え、陽羅氏が読み込まれたほどのことを一朝一夕にやろうとするから、無理があるのです。「やらねばならない」のですが、頭はついていかないし…これは事実ですが、何とかやることにし、「やっても簡単にはいかない」ということを自分に言い聞かせることだと、今は反省しつつ考えています。


 
書くとき0406(2014.04.06)
 不義理を重ねていた森氏にお詫びが出来、少しだけ心の重荷が下りた気がします。陽羅氏のお祝い(氏に対しては、なんとももの足りないものですが)にも加われて? よかったことにしていただければ、と思うものです。
 岩谷氏にもお会い出来、嬉しく思いました。荒井氏などにもお会いできました。
 こうして、森氏が設定してくださった場所に出たことで、多くのすばらしい方にお会い出来たこと、ありがたく思います。


 
書くとき0405(2014.04.05)
 文学街の小・掌編作品選集[7][8]を読み返しています。読んでみると、いい作品が多いのに改めて驚きました。文庫本の体裁で10頁ですから、手頃な掌編であり、かなり書き込めるところが魅力です。
 文学街誌にもよい作品が多くあります。こうやって読み直すということは、作品鑑賞には欠かせないものだと思います。


 
書くとき0404(2014.04.04)
 今日は草取り日にしましたから、一字も書いておりません。
 これから書きます。2枚か3枚は書けるでしょう。今21時20分です。


 
書くとき0403(2014.04.03)
 亡義母のエッセイ「今も青春」を打ち込みました。平成13年度の「おんなのエッセイ」(九州電力主催)の入選作です。
 その他いくつかあるのですが、1作ずつを掲載していこうと思います。
 わが作品にも掛かります。4月20日の海の原稿受付開始までに、1作でも2作でも書いて行けたらと思います。中途まででもいいのです。根や幹に至る道行きが見えてくれば、それだけでも嬉しいことになります。


 
書くとき0402(2014.04.02)
 ようやく亡義母の作品を決め、入力に掛かりました。選べば何編もあるのですが、今回は平成13年度「おんなのエッセイ」(九州電力)入選作品を掲載の予定です。
 中身は、透析で体が不自由になり、目も悪いというのに、パソコンを始めてみるというものです。私がパソコンの設定、扱い方、メールの書き方、送り方、電話線の接続(当時は電話ダイヤル接続の時代でした。約15年ほど前のことです)などを細かく、何度も何度も説明したものです。
 私もパソコンの理屈はわからず、操作の仕方だけは見よう見まねで知っていましたので、まずパソコンの購入から、ADSL接続など、全ての面倒を見たものです。義母の精神は「人が出来ることなら自分にも出来る」というのが口癖でしたから、懸命に覚えてくれたものです。それでも、1日に何度も電話が入り「文字が打てない」「マウスが動かない」「どこも変なところはさわっていないのに」という内容の問い合わせでした。
 平成17年12月没でしたから、その4年前のことです。


 
書くとき0401(2014.04.01)
 もう20日もすれば、また海の作業漬けになります。その間、わが作品の準備や、わが次の作品の準備に当たります。ということで、かなり焦りが出てきます。
 亡義母の作品の方も準備しなければなりません。原稿は段ボールいっぱいあるのですが、保管、整理の状態が悪くて、どれもこれもバラバラというのを拾い集め、読みにくい崩し字を読み解きながら、データに打ち込みます。
 中国の地名が多く出てくるのですが、字がわからない(字がない)、原稿用紙が綴じられていないので順番がわからない、内容の前後関係について質問したいけれど聞けない、といった難問に直面します。
 そんな中、某氏からは時を構わず原稿が出てきます。4月20日から、という意味を説明するのも難儀なので受けるのですが、今回はさすがに引いてしまいました。
 届いた横書きの原稿(論文)を開いたのですが、算用数字とアルファベットの多いこと。これを縦書きにすると、横に寝たままになります。「新聞では出来るでしょう」との答えには、言葉をなくしました。これを新聞仕様にするには、打ち直さねば(縦中横という操作かもしれません)なりません。当方は、新聞社の能力はないのです。
 内容も評論とは言いかねるもので、文芸誌とは何なのだろうと、一人で悩む始末です。結局、私には処理不能であるので、出来ない旨を伝えることになりました。
 それと、当然のことだろうとの思い込みで「原稿は縦書きでお願いします」とは当方が送付した原稿作成要領に記載していなかったので、あわててメールでその旨の連絡をしました。全く予期しないことが、突然起こるものです。


 
書くには0331(2014.03.31)
 短い作品を1作仕上げました。長い短いという別はあっても、1作を仕上げられたということは勇気になります。次に繋がるからです。
 1作の後、ひょっとしたらもう書けないのかもしれないという弱気が首をもたげます。一つの世界を作り、「the end」のところまで至るには、かなりのエネルギーを用います。次の作品が容易に書けるかも知れないというあわいに、まだ住んでいます。
 ところが、次作となると新たなイメージが膨らむまで、「かなりの時間待つ」という停滞期に入るのが自分の欠点です。
 とはいえ、次作にスルリと滑り込めるときもありますから、筋書きのない「もの書きのドラマ」というものに付き合わねばなりません。
 調べ、構想を練り、書き甲斐があり、説得力のある作品。これに出会うのを、誰でもない私自身が待っています。


 
書くには0330(2014.03.30)
 調べます、という重要なものが落ちていました。書こう、書こうと、いつも前のめりになり過ぎているのかもしれません。調べるために読む、というあたりを馬鹿にしてきたのかもしれません。ということで、焦りすぎているきらいもあります。
 実際調べ始めてみると、これまで空気感で書いてきたことがかなり曖昧であったり、中身が咀嚼されていないきらいがなきにしもありません。大切なことなのですね。


 
書くには0329(2014.03.29)
 書きます。読みます。といっても、これから始めるつもりです。
 文学的教養がない、の泣き言を言うのは終わりにしましょう。教養をつける算段を実行するのです。やれるだけやってみます。
 やはり散文。これのレベルアップに励みます。30代の、書きたくても時間が足りなくて、睡眠時間を3時間で済ましていた頃の気持は衰えていません。雑用に追い回されていました。何があろうと、それはそれ、これはこれです。
 ライフワークにすると宣言したからには、やれるだけのことをやってみます。
 韻文の方も、投げやりなものばかりでなく、生きて行く不思議、証し、喜び、愛情という方面を、主に開拓したいものだと思います。


 
書くには0328(2014.03.28)
 出だしがしっくりきません。昨日とほぼ変わらないレベルです。
 受贈誌の作品を読みました。


 
書くには0327(2014.03.27)
 数行書いて終わり、という情けない状況です。なかなか始まりが来ません。始まりが来て、うまくギアが入れられれば走り始めるのですが。
 しかたなく、海第12号の原稿を見返したり、訂正したりしています。


 
書くには0326(2014.03.26)
 次に移る前にと、いろいろ手を出していたら、PCが不具合になったりして、そちらに付き合っている状況です。
 WINXPのサポート切れが迫っています。このあたりで、PCも狙われているのかも知れません。「資料が流出した」という話がチラホラで、そうなるとパスワードを変更しろとか、以前のIDではログイン出来なくなったのでもう一度登録のやり直しをしろとか、本当なのか、何かの仕掛けなのか、気持の悪いことが多く出てきます。
 私の場合、「何をどう書くか」という方向から始めるとどうも頓挫します。そこで、「まず何か言葉を発してみる」というあたりから、入ることにしています。


 
書くには0325(2014.03.25)
 手紙類を出し終わりましたので、次作に掛かりました。真剣に取り組みたいと思います。先の福岡市文学賞の受賞者の方々は、現職の大学教授あり、事務職を長年されてきた方あり、営業現場で働いてこられ、現在は夜警の仕事をされている方等、バラエティに富んだ方々が受賞されました。
 ここで言いたいのは、わが田舎では耳が痛いほど聞かされることですが、「文芸(芸術一般)は遊びだ」「楽しみは罪だ」ということへの反論です。
 世間の声にばかり捕らわれ、世間の枠から離れるということで、自らを生かそうとすることなく、子などにも能力を生かさせることをしない、「いらぬことをさせない」、「皮相だけを見る」という生き方は「明らかに、自由を剥奪する暴挙」にほかなりません。
 そういう縛りをかけた中で、見栄えを良くしようとしたり、世間の非難を浴びないように生きるということは、半分は然りであり、半分は間違っています。
 人間であることの不思議、とりまく世界の不思議、広大無辺の空間や極微の世界があることの不思議、必ず生老病死が訪れることの不思議等々、これらの不思議に分け入り、挑戦し、読み解こうとし、かつ、悼んだり、悲しんだり、喜んだりする自由に蓋をすることは、許せない暴挙であると思いますし、哀しいことだと思います。


 
書くには0324(2014.03.24)
 次作に掛かろうとして、その前に受贈誌を読み、お礼状を送ることを先にしました。読むのが遅い私は、これに時間を費やします。しかし、他の誌の作品を読ませてもらうというのは有り難いことです。予想以上の作品に出会ったりすると、学ぶことが多くあります。それにしても、いい作品はいいものです。
 最近メジャーの作家の作品の方に向かわなくなったのは、退行したのでしょうか。それとも、進んでいるのでしょうか。
 そういうことは、どうでもいいことです。この刻に出会えた、という運命の方を感じるというのは、ちょっと大仰過ぎる表現であるかもしれませんが。


 
書くには0323(2014.03.23)
 次作に掛かる前に、海次号の締め切りや編集方法などに係る事柄についての最終案内をしなければと思い立ち、案内を作り終え発信しました。
 内容が細か過ぎるきらいがないではありませんが、編集という具体的な作業に関するものですから、目を瞑っていただきたいと思います。
 またまた編集の時期が来たのかという煩わしい気分と、まだ続いているという嬉しい気分とが混じり合って、妙な気分です。本音は、誰かが引き継いでくれないものか、というところにあります。それほど煩雑なことなのです。と始めてみてわかった、という具合です。誰かが作業をしてくれているときには、こういうことをするものだということは、思いもしないし、考えようともしないことでした。


 
書くには0322(2014.03.22)
 こう素材が偏ってくると、最近のことも作品に取り入れよう。などと、考えつつおります。わが作品と言えば、殆どが子供時代のことで、現在のことを書かないのには訳があるのですが、どうにも手詰まりの感があります。
 それとも、もう少しはストーリーもしっかり作り、読み手(があれば)のことも考え、相手に伝えるべく、少しは相手に読後感を楽しんでもらえる作品作りを心掛けねばなりません。いつまでも突っ張ってばかりいても、先が見えてきます。
 虚無を虚無をと呼ばわっても、何になるのかということです。


 
書くには0321(2014.03.21)
 福岡市文学賞の授賞式に、9年ぶりに列席しました。9年前の緊張を思い出しました。当時、何を喋ったのか、どうしたのだったかを思い出せないほどです。
 授賞式、受賞者スピーチ、交流会と一連の行事が済んで、2次会に出席しました。何と、2次会の場で織坂氏、井本氏らに会い、本当の交流会になりました。
 やはりこういう場に足を運ぶことは、いいものだと思いました。


 
書くには0320(2014.03.20)
 苫小牧から、「苫小牧文学」と「響」が相次いで送られてきました。
 苫小牧は文学に熱心な方が多いようですね。両誌とも、意欲と温かみのある構成で、中身もたいへん充実しています。
 高岡啓次郎氏の作品が目立ちます。
「響」の作品は「逃走」。男が福祉団体に永年名前を秘して寄付していました。それが知られるところとなり、名誉市民賞の最有力候補として名が上げられます。ところが、受賞をかたくなに辞退します。辞退したらしたで、ますます美談としてマスコミなどでも取り上げられ、逃げ場がなくなります。とうとう、精神を病むほどに落ち込むことになります。(かつての何が問題であるのだろう)→と読者をぐいぐい引き付けておいて、幼い頃雪転がしの遊びに夢中になり、雪の斜面全体が動き出し、赤い屋根の養護施設を無残に潰してしまった…と結ばれます。
「苫小牧文学」の作品は「水の甕」。金に困った男が、仮想ゲームで一山どころか莫大な財を手にします。世間といきなり交わるのが難しい、というあたりはよくわかります。それが、何でも金で解決しようとします。豪邸を買い、派手なパーティをやらかしたりしますが、最後は水甕の中という落ちになります
 いずれも、鮮やかな運びです。これらは、名品の部類でしょう。


 
書くには0319(2014.03.19)
 受贈誌4誌に目を通しています。どの誌も、その誌ならではの編集の工夫がなされ、作品もその誌特有の表現があります。
 いい作品に出会うと、大きな刺激を受けますし、余韻に浸ったりします。
 決してメジャーな作家のものではありませんが、息遣いまでうかがえて、とても参考になります。こうして、世に広く喧伝されることはないものの、優れた作品が紡ぎ出され、多くは日の目を見ることもなく時間の流れの中に閉ざされるのでしょう。
 でも、それはそれでいいのではないか、とも思われます。メジャー誌に掲載されるために、奇ををてらったり、背伸びをしたり、やらせをしたりしていないだけ、心が安まるではありませんか。文芸作品は作りものではありますが、金のメッキを貼り付けたり、騙し取ろうとしたり、嫌味なポーズを決め込んだりはしていませんから。


 
書くには0318(2014.03.18)
 わが作品を気合いを入れて、読み返しました。米沢氏や富崎氏の作品に比べ、煌めきがないですね。氏らは、このあたりの書き方が実に上手いものです。
 違うのは何だろう、と考えます。しかし、本人には違いがわかりません。どなたかが言ってくださるように、モチーフが多すぎて、話がこんがらがってしまっているのかも知れません。どうすればよいのか、ということです。
 それが分かるのだったら、苦労はしないのですが。シンプルにして深く、心理を遠くに飛ばして行く。こんな書き方なのでしょうけれど。
 くだくだとではなく、本物らしい虚構に仕立て上げねばならないのでしょう。


 
書くには0317(2014.03.17)
 芸術には、やはり才能が必要なのだ、と思います。
 最近メジャーの文芸誌は読みませんが、同人誌にも数人才能豊かな人々がいます。この人たちが、いったいどうしてメジャーにならないのかということの方がわからないのですが。それほど、確かに他の作品とは違うレベルにあります。その方々の複数の作品を読み感じるのですから、1作、2作だけの偶然ではありません。
 技も、技の冴えも、切れ味もよいのに、今なお同人誌の作家であるというのはどういうことでしょう。そのうちにメジャーデビューするのか、同人誌界という中にあって、頂上を極めて行くのでしょうか。いずれであってもよいのでしょうが、そういうレベルの明らかな違いが存在するというのは、やはり才能の有無によるのでしょう。


 
書くには0316(2014.03.16)
 タイトルを決め、微修正をしました。
 同人誌2誌を受贈しました。


 
書くには0315(2014.03.15)
 文庫本を持って行きましたが、やはり読む間はありませんでした。
 葬儀というものを観察しようと思っておりましたが、特に目立って発見したものはなし、というところです。
 書くことについて、漠然と考えていたのですが、男の書く作品には具象的なものが多いようです。それに対し、女性の場合は、12345というふうには運ばず、372879というふうに話が飛びますが、それがうまく繋げられていて、あまり具象に至らないのに、感情が繋がり、故に話も繋がって行くという作品が多いですね。そして上手いです。
 この話の展開や感情の展開の上手さは、女性の特質なのでしょうか。


 
書くには0314(2014.03.14)
 歯医者に行き、1,000円カットに行く間、全作家に過去に掲載された米沢氏、富崎氏の作品を読み返しました。
 さすがに、上手い。女性の語りというのは、ねちねちしていることが多いのですが、二人の語り口は「大胆、簡潔でいて絵を見せられる如くに読者の気持ちに寄り添う」という言い方が好ましいかどうかわかりませんが、不必要なところには立ち止まらず、強弱をつけた巧妙なもの言いが、天性として備わっているのでしょうか。
 実に見事な作品です。改めて、納得しました。


 
書くには0313(2014.03.13)
 文芸作品とは関係ない書きものをしていました。こういうものは気楽に書けるのですが、いざ作品となると構えてしまうのでしょうか。肩に力が入ってしまうのでしょうか、筆がなかなか進みません。
 先の作品のタイトルが、なかなかしっくりこないのも落ち着かないところです。自分の作品にタイトルを付ける。これがなかなか私にはやっかいなことです。


 
書くには0312(2014.03.12)
 海作品を読み返しました。タイトルがうまく決まりません。
 読めば読むほど迷ってきます。これが創作である、文芸というものでしょう。


 
書くには0311(2014.03.11)
 海作品を見直しました。タイトルがうまく決まりません。ですから、イラストもあれこれ入れ替えてみます。
 何より、見直す度に文章が変わります。ストーリーさえ変わります。
 あまり力を入れ過ぎない方が、いいのですが…。


 
書くには0310(2014.03.10)
 税務署での確定申告の手続きを待ちながら、文庫本を読んでいたのですが、周囲がざわついていたためか、いっこうに頭に入ってきませんでした。3時間もあったのでかなり読めるのかと期待していましたが、番号呼び出しの声に集中を乱され、甲高い主婦の世間話に気が浮いてしまいました。
 こういうところで集中出来ずにどうする、と頑張ってはみましたが、結局修正出来ないままに終わりました。生真面目を装って、世界文学などを持って行ったのが似合わなかったのかも知れませんが。


 
書くには0309(2014.03.09)
 九州文学の後書きには感心しました。文學界などのメジャーな雑誌の横暴に、いたたまれなくなります。芥川賞など、このような選択でいいのでしょうか。
 文芸思潮などが設ける同人誌からの文芸賞のレベルの高さに賛同しますし、芥川賞などのレベルの低下に驚きを禁じ得ません。
 メディアなども、芥川賞などをあまりにも過大に報道しようとします。ファッションショーでもあるまいし、と思うのは多少僻みも入ってはいますが。


 
書くには0308(2014.03.08)
 全作家のホームページ(電子図書館)を読み、感想を書き送りました。
 同人誌2誌が届きました。まだ中身には触れていませんが、いずこも意欲に溢れている内容のようです。刺激が多すぎて、たいへんになるかも知れません。
 海の方も、しっかりと腰を据えてかからねばなりません。
 商業誌を越え、同人誌に勢いを感じます。同人誌に良い内容の作品が多いのは、当然の推移でもありましょう。


 
書くには0307(2014.03.07)
 芳しくない体調の中、意を決して全作家への作品を見直し、送付しました。これは、北日本文学賞の2次まで行った作品に4枚ほど加えたものです。
 次の100枚前後の作品に掛かろうと、ぼんやりした頭で考えようとするのですが、焦点がうまく絞れません。少し時間を置くことにします。
 海の原稿も、いったん終えていたのですが、見直しにかかりました。


 
書くには0306(2014.03.06)
 30枚ものの原稿を見返しました。最近は掌編や短編に慣れて来たせいか、50枚前後で完結する作品に呼吸が合います。
 海の方は、出来れば80枚前後が必要ですから、難渋することが多くなりました。それでも、評価がどうこうより先に、表現することだと思います。
 海第11号は、評価が芳しくないのに、驚かされています。


 
書くには0305(2014.03.05)
 PCの不具合に向き合っていたため、半日をつぶしてしまいました。よって、読むことも書くことも出来ていません。
 3月は気候も不安定ですし、気分も不安定になります(少なくとも私は)。1月、2月の冬が去りゆき、何かが動き始めてきますから、カチッと止まっていたものに隙間が出来たり、疲れが出て来たりするのかも知れません。
 何はあっても、例え短い時間でも、読む書くを課していきたいと思います。


 
書くには0304(2014.03.04)
 書くには、出て来なくるものがなくても書かねばなりません。こういう雑文は思い付くままに書けないではないのですが、作品となると伎倆が必要です。
 感動したり、読んだり、見たり、経験したりしなければなりませんが、見たり経験したりすることには限度がありましょう。同じものを見たり経験したとしても、やはり伎倆が必要です。これらを、磨かねばなりません。
 少なくとも、読み書きは、毎日時怠ってはいけないようです。


 
書くには0303(2014.03.03)
 早めに海の原稿を終え、次の作品に掛かりたいと思います。何も締め切りがあったりする訳ではないのですが。
 戦争と平和を読みながら、次を考えます。とにかく、1つ、1つです。
 これが仕事だ、いやこれが遊びだ。それでいいではないか、という思いが強まりつつあります。この遊びの時間がなければ、何も生まれないと思えるのです。


 
書くには0302(2014.03.02)
 ままよ、と4月6日の参加予定ハガキを出しました。直前にならないと可否がはっきりしませんが、気持をプラスの方に据えて置いた方が良いと思ったからです。
 森様にはたいへん不義理を重ねておりますすし、読者賞等に陽羅様の名前もあります。同人誌にとって、今とても刺激のある集いですから。
 割付原稿への転記の仕方など、いろいろ試してみました。特に「禁則設定」の仕方で、随分と変わってくるものだ、と身を持って体験しました。


 
書くには0301(2014.03.01)
 文学街第317号が届きました。4月6日の集いに行きたいけれど、行けません。当分、こんな調子で過ごさねばならないのでしょうか。
 戦争と平和の1、2巻が届きました。何と、まだ3、4巻があるではないですか。もうこの際、躊躇してはいられません。アマゾンに発注しました。


 
書くとき0228(2014.02.28)
 全作家のホームページに、掌編作品7編が載っていますが、うち1編に当たるものの、他の方の作品がとても素晴らしいものに見え、考えさせられます。
 私には、やはり文学の素養が足りない、もっともっと工夫が足りないというところがモロに見えます。何とかしてここの差を詰めねば、と焦るものですが…。
 必死に読んでみても、何ほども頭に残らず身にも着かないようです。しかし、この努力は続けねばなりません。3度で分からねば、5度、6度と。


 
書くとき0227(2014.02.27)
 間を置かずに、昨日終えた作品を見直しています。考えてみれば、細かいところは未整理なままですから、通し読みしてみました。
 1度読めば多くの訂正点があり、これは何度見直しても終わるわけではありませんが、見直す度に気付きがあります。感想や評(本格的なものは書けませんが)と異なり、新たに作るわけですから、難しいし、それだけにやり甲斐があります。


 
書くとき0226(2014.02.26)
 ようやく1作を仕上げました。もっとも、しばらく時間を置いて見直し、またしばらく時間を置いて見直し、となります。
 その間は、次の作にかかります。いくつかのプランはありますが、1日や2日で仕上がるものではないので、地道にやることになります。


 
書くとき0225(2014.02.25)
 数枚を書きました。が、あい変わらず、60枚のあたりです。
「戦争と平和」を探しましたが見付からないので、アマゾンに注文しました。
 受贈誌を牧草氏が読みたいとのこと。市民図書館で手渡しました。


 
書くとき0224(2014.02.24)
 数枚を書きました。が、あい変わらず、50枚のあたりです。


 
書くとき0223(2014.02.23)
 私もが、高等な「遊び」の入口を見付けることが出来るか、です。
 作品を成すには、1字1字を連ねていくより外ありません。向かうは「芸術」ですから、1日、1日の積み重ねになります。
 浅田選手や、葛西選手の日々の努力、そういうことでしょうか。


 
書くとき0222(2014.02.22)
「創る者が楽しく読む者が楽しいのが小説」
「その中に遊びの精神があれば少しは楽しい」
 という陽羅氏の意見が目に止まりました。さらに、
「辛い小説は読者も辛い。息苦しい小説は読者も息苦しい。ただ難病ものとか苦闘ものとか殺人もので読者を感銘させるためには辛く苦しい中に一筋の光とか一滴の清水を入れればいい。「罪と罰」はその典型ですね。
 それが難しければそれこそ「笑い」とか「軽み」とか「哀愁」とか。ゴヤの絵やバッハの音楽はその典型ですね。私は世界一の傑作小説はトルストイの「戦争と平和」だと考えていますが戦争があっても息苦しいだけではない。平和があっても気怠いだけではない。中略、後略」
 無断で引用させていただきましたが、私にとっては的を射た意見かと救われる思いでした。私には、横文字のあたりがよく理解出来ていないのですが、「遊び」は現実の仕事にも必要であり、文芸そのものも遊びである、と理解しました。
 さらに、次の文言にも励まされます。
・大昔ならいざ知らず、日本人は生真面目で勤勉で頭が硬い者が多いから、「遊び」と云うと、眉をしかめる。
・だが、芸術活動こそ、(高等な)「遊び」なのである。
・「遊び心」が会社の仕事に含まれる、そんな会社こそ伸びる。
・『梁塵秘抄』の唄に心動かされない者があろうか。【遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ】


 
書くとき0221(2014.02.21)
 数枚を書きました。変わらず、50枚にさしかかったあたりです。


 
書くとき0220(2014.02.20)
 数枚を書きました。50枚にさしかかったあたりです。


 
書くとき0219(2014.02.19)
 数枚を書きました。戦前、戦中、戦後の学制等について、調べています。


 
書くとき0218(2014.02.18)
 第150回芥川賞受賞作品「穴」(小山田浩子)を読みました。途中で何度も投げ出し、5度目にようやく通読しました。「わからないでもないけど」というのが正直な感想です。受賞作品だからということで特に身構えることなく、平静な気持で読んでみました。
 ところで、問題の穴とは何。得体のしれない野生動物とは何。義理の兄で、先生と呼ばれる男とは何。大勢登場する子供たちとは何。複雑極まる大家族にあって、因習の残るムラにあって、トラブルや感情のもつれもない関係って何々…。
 確かに、読ませる力はあるのでしょう。が、この楽観のままに流れていく設定には、あまり納得出来ませんでした。
 一方、同人誌の作品、難波田氏の「兄の恋人」です。妹のしなやかな目を通して語る兄、母、父、父母がかつて住み込んだ工務店の息子兄弟。彼らとの関係や心理を、鮮やかに描き出し、入院中の兄の恋人が描いた兄の絵の描写など、大胆かつ微細に描いてあり、読後に共感を得、納得させられる作品だと思いました。

 
書くとき0217(2014.02.17)
 今日も、地道に数枚を書くのみです。


 
書くとき0216(2014.02.16)
 しがみつきながら、書くことにします。現在40枚。あせらずに行きます。


 
書くとき0215(2014.02.15)
 男子フィギュアの難度の高い闘いに、感じるものがありました。文芸も、1字1字を重ねての道筋を辿ります。過酷で孤独な作業に、長時間耐えねばなりません。
 感動とは、着け刃で出来上がるものでも、受けるものでもありません。
 演者(作者)がどれだけ練習を重ね、高きを目指し、観客(読者)に芯からの訴えかけが出来てこそ生まれるものだと感じたものでした。
 もっと苦しみ、もっと工夫し、もっと意思を強く持たねばなりません。良い演技は、良い作品を読んだ後の感動と一緒です。才能に気付け、耕し、さらに他に倍する鍛錬で伸ばしていく。何においても、ここに方法は尽きるでしょう。


 
春近し0214(2014.02.14)
 殊の外寒さが身に染みます。関東あたりでは、積雪が多いですね。
 雪と氷の祭典、特に男子フィギュアはどういう結果になるのでしょうか。異次元の強さを発揮し、羽生選手に栄冠が輝くことを期待したいものです。
 五輪は、今回は特に10代の活躍が目に付きます。


 
書くとき0213(2014.02.13)
 自分の作品を書き出そうとして、ふと、これまでやらねばならないと思いながら手掛けなかった「既成作家の作品の丸写し」をしてみようと、手元にあった梶井基次郎の「檸檬」を取り上げました。文庫本の頁数で8頁の超短編です。何のことはなかろうと、本当に気軽に始めた訳です。
 独特の字遣いもあって少々手こずりましたが、8頁です。そんなに時間もかかっていないのですが、ひどく「疲れ」ました。当然のことながら、梶井の息遣いと私のそれとは、まるで違うのです。「ここでこう書くのか」、という驚きがありました。そう、読んだだけでは分からない驚きです。名作の誉れ高い作品ですが、心理の流れを実に丁寧に追っています。私の書くものとは質が違いすぎます。
 ここまで心理の流れを「上げたり、下げたり、震わせたり、大胆にしたり」というふうに丹念に書かれた作品であるということを知りませんでした。一方で、背景にはポイント的に触れられていますが、背景は背景として淡泊に描かれています。
 心理の導線の導き方が、伏線あり、山あり、谷ありで巧みに描かれ、ここというところは執拗なほど強調され、繰りかえされています。
 読む者を納得させずにはいない作品というのは、こう書くのか、と私なりに感じるところがありました。
 梶井の作品だけではなく、他の作家の作品を写すこともしなければなりませんが、この作業は無駄ではありません。「どういう意図で、どういう息遣いで、どういう文体で、どう説得力をもたせる書き方をするのか」という、本来初歩の初歩として行うべきことで、いやいつでも行うべきことだと思わせられました。


 
書くとき0212(2014.02.12)
 うーん、書けずです。文芸春秋芥川賞発表号です。第150回受賞者小山田浩子の「穴」を読んでいます。
 記念特集の「元選考委員今だから明かす舞台裏」(石原慎太郎、河野多惠子外)や、「作家の本音大座談会」(小川洋子、綿矢りさ外)も面白い記事です。


 
書くとき0211(2014.02.11)
 文芸同志会掲示板の評価は、こちらが考えている内容とほぼ同じでした。
 わたしの作品についていえば、何を伝えたいのか、という点がうまくいっていないということです。そのためには、「説得力」が必要だということです。
 つまり、「独りよがりではいけない」ということになります。
 詩などでは、抽象的な表現もないではないのですが、ことば遊びをしている場合ではないということです。説得力、一貫性、読み手を考えた表現、ということがわが作品には必要になりそうです。
 特異な素材や、特異な筋回しの前に、何よりも「熱心に訴える」という姿勢が求められるものと思われます。やはり、真剣勝負の姿勢です。


 
書くとき0210(2014.02.10)
 海の掌編を一応書きました。割付のベースの上に直接書くことは、掌編にとっては良い方法かもしれないと思いました。全体の構成や分量が一目で見渡せるというのが、どれほどを書き込むかという指標にもなり、使えるなと思いました。
 次は80枚前後の作品ですが、これまでは複数の書き出しかけた作品の上に補充するかたちで書いていましたが、当初の意図やテーマとずれが出来たりし、よく言われる「モチーフにまとまりを欠く」という結果を生んでいるのかもしれない、と思うものです。NOWという作品と格闘することが最も良い方法だと思われるので、この手法に挑戦する価値はおおいにありそうです。
 となると、NOW=「何」ということになりますから、「出来たとこ勝負」から「ある程度の作戦のもとに」ということが必要になります。流れとしても素直であるし、そのための調査にも取り組んだ上で書く、というスタイルの確立が必要になります。


 
書くとき0209(2014.02.09)
 工事中でもあったため、本格的な作業には入りませんでした。しかし、再度海の掲載作品である詩と俳句を見直し、掌編に少しだけ手を加えました。
 応募予定作品の調査の方も、必要になります。


 
書くとき0208(2014.02.08)
 海の原稿のうち、詩と俳句をなんとか予備段階にまで乗せました。今後、時間を置いて、修正等をほどこしていくつもりです。
 掌編にも取りかかり、一応のかたちを作るつもりです。
 小説は、まだイメージを固めるにまでは至っておりません。未発表の作品がいくつかはありますが、やはりよいものにしたい気持が強いです。現在に近いかたちのものが書けるかどうかは、これからの流れ次第です。
 あまり、素材やストーリーにこだわらなくてよいのかもしれません。


 
書くとき0207(2014.02.07)
 全作家短編集参加作品「風光」を、3〜4度見直し、送付しました。
 平板な作品なのかもしれませんが、読み返していて嫌にはなりませんでした。というところで、次は海の作品です。
 出来れば7、80枚前後の作品にしたいものです。たまには、現在に近い設定で作品を書きたいものです。それも、「愛情編」あたりで。


 
書くとき0206(2014.02.06)
 全作家短編集参加作品「風光」を、10頁以内にまとめ、ほぼ目処をつけました。
 こうやって、もう見直しなどしないと決めていた作品に手を加えることも、悪いことではないなと思いました。
 以前言っていた大きなテーマですが、いざとなるとなかなか出てこないもので、「愛情編」、「愛憎編」、「肉親編」、「憎悪編」と並べるとどれも一緒ですね。「人類編」、「極微編」、「宙空編」、「時空編」と並べても一緒ですね。もう少し抽象的な「色即是空編」、「空即是色編」も一緒ですね。もう少し具体的な「幼年編」、「幼少編」、「青年編」と書いても、抽象的かもしれません。「誕生編」、「挫折編」、「死滅編」というのも一緒、「職場編」、「泥酔編」、「耽溺編」などと書いても、あまり代わり映えがしません。
 経験の少なさ、教養のなさ、文化度の低さ。これは、内容になって表れます。
 誰かに傾倒したかとなると、特定の人物の名が出てきません。まだまだ考えてみますが、こうやって書き出して見ると、多少は絞れる感じがします。
 私の唯一の自戒は、恨みや、憎悪でのペンはとらない、ということです。


 
書くとき0205(2014.02.05)
 全作家短編集に、急遽参加することになりました。となると、30枚の作品になりますから、旧作の改訂になります。短編集に出すと、今後の変更は効かなくなりますから、作品を選ぶのに少し迷います。
 ということで、「風光」を選び、2〜3枚削るという作業になります。自分にとってはオーソドックスな作品ですので、見直してみたいと思います。
 海の作品は、これが終わり次第ということに繰り延べしました。


 
書くとき0204(2014.02.04)
 何が固まったわけでもありませんが、小説を書くぞ、という気分だけはあります。
 その前に、海次号の詩、俳句、掌編をつぶしておこうと準備にかかりました。締め切りは5月ですが、出来るものからまず手掛けよう、ということです。
 小説を書くにも、これまでバラバラにやってきましたが、大きなテーマをいくつか定め、その中で書くのも一興かなと思うものです。そうなると、まず大きなテーマを5つほど決める必要があります。併せて、書き掛けたものとの交差をさせようかと考えます。


 
書くとき0203(2014.02.03)
 ぼくのテレビを34枚にして、Nに応募しました。Nはこれまで予選にもひっかかったことがないところですが、参加することに意義ありです。
 海第12号の作品を書かねばなりません。全作家にも投稿したいと思います。
 新たな作品は何にするか、しばし考えることにします。現在の諸問題は、小説と詩と評論の方へ、と考えています。文学街は購読専用にさせてもらいたいと思います。
 海、全作家、小説と詩と評論という3誌に書く傾向がほぼ明確になりました。小説と詩と評論という発表の場が出来たことは、私にとって大きいと思います。


 
書くとき0202(2014.02.02)
 1日、日を空けましたから、わが作品も少しは客観的に見れるかもしれません。
 書くことは読むことではありません。読むことは書くことではありません。しかし、両者には深い関連があります。
 両者への係わりがある程度以上深まったとき、作品が動き出します。
 やはり無知なままだと、書くには至りません。書いても、穴あき状態のままです。だからと言って、知識に溢れていても、反対に書けません。知識も入れ、経験もし、何度も筆を転がしながら、少しずつ作品にして行くことのようです。


 
書くとき0201(2014.02.01)
「小説と詩と評論」に加えていただけるという連絡をいただき、最新号を送っていただきました。東京の誌ですから、多くの頁の提供をいただくのはたいへんですが、構成されているメンバーの方々がすばらしいです。ありがたいことです。
 という訳だからではありませんが、少しはましな作品を書かねばなりません。
 1日、「ぼくのテレビ」を見直し、当初のものとはかなり内容が変わってきました。こうやって、エネルギーを注入していかねば、作品になりません。
 書き、見直し、書き、見直しという作業を重ねながら、一歩ずつ納得の出来る作品に練り上げていきたいものだと思います。これからです。


 
書くため0131(2014.01.31)
 海へのことばを依頼していた鳥井さんから原案が届いたので、返事などを書き、併せて資料を送付しました。
 海へのことばは、巻頭言ともいうべきもので、多少気になった点を書き添え、これから取り組むらしい散文関係の資料を同封した、というものです。
「ぼくのテレビ」の方は、今一つ決まらないので、主人公に「事情を持たせる」こととし、直しつつあります。本当に「何を伝えたいのかを明瞭にせよ」とはよく言ったものです。このままだと、通り一遍の叙述に終わってしそうですから。
 小説というもの、本当に難しいものだと思います。 


 
書くため0130(2014.01.30)
 我が作品「ぼくのテレビ」に掛かり切りでした。一応終えたのですが、「何を伝えたいのか」という点で、足踏みをしています。
 詩とかなり異なり、小説となるとここまで踏み込んで行かないと、何のために紙幅を費やしたのか、となってしまいます。実は、ここが最も難しいところですから。
 読み返し、読み返し、最後の30%の詰めが必要です。調べた、書いた、だけでは収まりませんから。
 全てが難しいのですが、特に最後の30%が決まらないと、何もないに等しくなってしまいます。思案中です。


 
書くため0129(2014.01.29)
 以前恵贈をいただいて現在交流が途絶えている「小説藝術」と、初めて手にした「小説と詩と評論」とは同一の誌と思っていました。
 以前から、「小説と詩と評論」には深く興味を抱いていましたので、申し込みをさせていただきました。「小説藝術」の方には、冊子を送付いたしました。
 多くの優れた誌があります。「小説と詩と評論」には、短い作品を掲載させていただければ、と思っています。また、全作家にはこれまでどおり30枚程度の作品を寄稿させていただければ、とも思っています。
 全作家のハイレベルな雰囲気を、海の同人諸氏には伝えてはいるのですが…。
 

 
書くため0128(2014.01.28)
 聞くところによると、文芸思潮は、10年間で1億円の赤字を抱えたといいます。これは、ゆゆしいことです。文芸冊子が売れない、と言われて久しくなります。
 俗に、文芸冊子の場合、月に2,000冊程度しか売れないと言う話が誠しやかに言われますが、実態はどんなものでしょうか。売れない→奇妙な流行作家を作り出そうとする→売名行為、デキレースを見て、ますます文芸冊子から離れていく…。
 わが海は、毎号会計報告をします。万が一、安全ではない状態に至る兆しが現れたら、いつでも今の体制を閉じることに舵を切ります。ですから、同人各位に、ときに厳しいことを言っています。現実に即応するには、「ベター」と思われることがいくらもありましょう。しかし、「1つのベター」を許したがために、車が逆回転を始めないとは限りません。「ノー」と言うことは、嫌なものですし、勇気がいるものです。
 私の属している全作家や日本ペンクラブや福岡文化連盟も、年に1度の会計報告と予算の議案が議論され、承認されます。
 無謀な計画作成や、安易な妥協や、何とかなるだろうという楽観論には与しません。最も目指すべきは、作品の質の向上あるのみです。


 
書くため0127(2014.01.27)
 一昨日書き漏らしたことがあります。本のことですが、お金に例えます。
 皆が100円の取り分があるとします。中には、30円でいい、50円もあればいいと申し出られる人があります。もらわなくてもいい、と最初から辞退される人もいます。
 そういう状態で、120円を差し上げた人があるとします。しかしさらに足りなくて、あと20円ほしいと言われます。
 話はわからないではないのですが、0円、30円、50円の方を思う気持ちがあれば、一時的にはいたしかたないと思うのです。しかし、一時的ではないらしいのです。
 ここを問題にしているのです。120円は、120円の範囲で行えるように工夫してほしいのです。この工夫が出来ないでは、理解は得られないでしょう。
 かろうじて動きつつある車力ですが、へんなことをすると車輪が外れたりしかねないのです。ですから、重い荷物は積まない方がいい、となってしまうのです。


 
書くため0126(2014.01.26)
 全作家の方々にお会いし、多くの刺激を受けました。最近落ち込む話が身辺に起きていましたが、やはりどう工夫し、どう表現するかです。基礎をバカにしてはいけない。細部をバカにしてはいけない。深く掘り下げねばならない。己を深く、徹底して掘り下げねばならない。皆さんの気合いが違います。書かれることが違います。
 いつも見ている些事を素材に引き、驚かせるほどの作品に仕上げられる方もあります。どこまでお人好しなのだろう、という御本人が滲み出る作品もあります。鬼かとも思わせる作品もあります。みんな、精魂込め、書き込まれた作品です。
 どんな理屈を言っても、表現しないことにはどうしようもありません。どうしたらここまでの作品が書けるのか、という作品を目の前に突き出されます。


 
書くため0125(2014.01.25)
 同人誌をやっていますが、いつまでも同人誌の気分のままでいることではいけないだろう、と思います。力ある人は、ここから飛び発つための場です。もちろん、そう簡単には飛び発てないでしょうから、必要がある限り同人誌というかたちは残していきたいと思います。ある人にとっては助走の場であり、ある人にとっては生涯係わっていくための場であります。そのいずれであってもよいと思います。
 多少の自己PRがあっても限度内であればよいのですが、最近の例(複数)では、異様に自己顕示欲が強い売りの傾向に流れているように見受けられます。
 同人誌という「個人商店」には、出来得る範囲と、無理な場合がはっきりしています。儲けるという仕組みは元々考えていませんから、売れるとか売れないとか、売るとか売らないとかの話が持ち込まれた途端、冷えてしまいます。
 家内制手工業でありながら、限りなく世界の先端を行くレベルのものを出そうとしているのですから、志は高いのです。どでかい夢を育むための場であるのですから、世間の著名諸氏であれども、誰にでも渡すという類いのものではないことを確認するものです。
(付記・我に向けて言うことば)
 海を舐めてはいけない そこは底知れず深いのだ


 
書くため0124(2014.01.24)
 海の高岡氏の作品「船底」への共感の声が寄せられます。私も、もう一度読み返してみました。納得です。心情を真っ向から丁寧に追っています。
 こういうレベルの高い作品には、編集中はあまり心を止めることが出来ませんでした。問題の大方は、「自作の載っている冊子がほしい」というものでした。
 そもそも同人誌は、先に「作成部数を決め」、「それに見合う同人費額を設定」します。ですから、後出しで「◯◯冊ほしい」と言われても限度がある訳です。それは予備を出来るだけ多く作ることで多くのニーズに応えられるのでしょうが、たちまち「同人費額」の方に跳ね返る仕組みになります。出版元には格安で作成いただいているのに、「さらに、◯◯冊の予備をあらかじめお願いする」という「無理なお願いが必要」になります。
 そもそも、同人誌というものは、何十冊という冊数が個人で必要なのでしょうか。敢えてマイナーとは言いたくありませんが、メジャーな印刷物ではないことは確かです。それも、作成に当たっては同人が同等に経費を負担して作るものです。印刷所に泣きつけば何とかなるだろう、という甘えは止めていただきたいのです。
 同人誌というからには、志を同じくする複数人が責任を分け合って作成するものに違いはないでしょう。であるなら、それを利用する場合も、できるだけ同等に行わねば、同人誌そのものが瓦解することになるやもしれません。
 海は、高岡作品、牧草作品、笹原作品など、純粋に表現し発表したい人のためにあるものだと切に思うのです。決して、自己PRのために作るものではありません。


 
書くため0123(2014.01.23)
 文芸思潮第54号が送られてきました。今号は第10回銀華文学賞の発表号です。
 海の高岡啓次郎氏が「凍裂」で特別賞に選ばれています。その上の当選作は、九州文学主宰の波佐間義之氏の「加熱炉」です。
 両作品を読んでみました。いずれもストーリー展開にも優れ、はらはらどきどき感があります。しかし、共通しているのは、「情」であり、人間への「愛情」というものが深くに、しっかりと流れている点です。
 読み終わった後に、共感というか、感動が残る、という点が両者の作品の特徴でしょう。独りよがりではなく、読者に納得を与えるという優れた作品だと思いました。
 銀華文学賞によらず、エッセイ賞などにも、かなりの水準以上の作品が並んでいるのは壮観でもあります。いわゆる売れる作家の作品を越えている、と思ってしまうのは私だけの勘違いなのでしょうか。


 
書くため0122(2014.01.22)
 恵贈いただいた「月白の道」(丸山豊)の感想と、お礼の手紙を書きました。海に感想を寄せていただいた方々にも、お礼を書きました。
 恵贈いただき、読ませてもらう。これは、海の発行の責任者となり、初めて経験することです。無形の恩典と言うべきでしょうか。責任者になっていなければ、自らは触れることのなかった書と出会い、読ませていただくというすばらしい恩典なのです。
 それにしても、「月白の道」には考えさせられました。「大義である」という決定がなされたら、人は人のうちに敵を作り、易々と殺戮に及びます。あるいは、強制的に戦場へと送られ、累々たる屍の中に立ちます。いや、誰もが屍予備軍となり、あるいは道なき道を命からがらに逃げ惑い、弾丸の餌食にならずとも、飢えや疫病で野の屍となります。あるいは、現代の戦闘だと、一瞬の内に消されてしまうかもしれません。
 いったい、人は何を血迷うのでしょう。まさに、これが人間。これが人間の真実でもあるのです。何が、何物が、誰が、人をこういう方向に駆り立てるのでしょう。現在も、片時として戦禍の報を聞かない日はありません。
(付記)
 文学街316号届けられる。 


 
書くため0121(2014.01.21)
 恵贈いただいた「月白の道」(丸山豊)を読みました。うーん、と考えたきり迂闊なことが書けません。北ビルマ戦地での「生と死」の内容です。
 何から書き出していいのか、手が出せない状態です。
 噂に聞いた「龍」部隊の、玉砕記(玉砕とは正確な言葉ではないのでしょうが)ですから、言葉の継ぎようがありません。戦争に大義などないと言う考えは変わりませんが、作戦がどうこう、責任がどうこう、と軽々に言えません。
 言えるのは、「大義あり」という集団の意思が極まれば、人は虫ケラのごとく殺し(死に)ゆくということです。人間が人間である所以のものでしょうか。


 
書くため0119(2014.01.20)
 荒れる海を渡ってきましたが、待合時間などに深沢七郎「東北の神武」などの2回目を読みました。深沢氏の作品は、深刻な内容ではあるのですが、真似の出来ない剽軽さと間合いの取り方の妙があります。
 いつも感服します。


 
書くため0119(2014.01.19)
 文芸作品、例えば小説に限って言えば、これまでの文章作法で古くから言われてきたことが、多く強くあるのでしょう。私も「現実活写」などと言われてきたのですが、「現実」についての解釈が異なれば、活写の仕方も自ずと異なることになります。
 私は、「人間を描く」ということには賛同するのですが、「人間関係の機微だけ」しか認めないとなると、違和感があります。
 まず、人間とは何か、どういう存在か、人間を取り巻く環境は、などを同時に感じ、考えてしまうのですが、芸術や学問はそういうものではないらしいのです。
 私が一人異を唱えてどうなるものでもないのですが、まず「人間ありき、人間同士の葛藤ありき」に、どうしても躓いてしまいます。
 作品だからそれでよい、という意見がわからない訳ではありませんが、人間を取り巻く仕組みについても考えたい…などということは、下衆の言うことなのでしょう。何を言いたいのかより、「どう受け取られるのか」を考えねばならないようです。


 書くため0118(2014.01.18)
 花書院からの請求書が届いたので急遽振り込み、一気に会計報告を作り上げ、関係者に送付しました。ここまでが、1号の仕事です。
 既に、次号に向けてスタートしています。次号の締め切り日も決めています。さあ、どんな作品で冊子を埋めることが出来るか。期待したいものです。
 私も、ようやく個人の時間が持てるのかな、と思うものです。
 しがらみから解放され、現代のテーマにじっくりと取り組めたらいいな。いやそうしないといけない、とつくづく思うところです。


 
書くため0117(2014.01.17)
 書くためには、まず書く姿勢をとらないとダメです。当たり前のようでいて、これが当たり前にならないというのが難しいところです。
 用件を尋ねられて返事を書くというのではありませんから、アバウトにでもイメージが芽生え、骨格が出来、ストーリーがなければなりません。ですから、このあたりが自分の中で飛び出してくる感、のあることが私の場合は必要です。
 モチーフが多すぎる、何を伝えようとするのか絞れていない、とよく言われるのですが、それは私のこのアバウトなイメージのままに書き始める、というところに原因がありそうです。これを書きたい、ということでは書き始められないというところに問題がありそうです。つまり、アバウトなイメージを抱く段階で、モチーフが幾つも入り、作品として締め直すとき、混在したままになっているのでしょう。
 私自身が気付かない、構造上の欠点です。つまり、幾つものことに手を伸ばし、どれもが言い足りないまま、並列の関係で進んでいるのでしょう。
 どうすべきか、考えるべき問題です。


 
書くため0116(2014.01.16)
 海第11号作品に対して寄せられた感想等の御意見を、HPに掲載し始めました。厳しい意見も、そうでない意見も要旨を掲載する予定です。
 肝心の書くことも、始めたいと思います。我が目的はここにあるのですから、書くことによって、一歩ずつでもよいものにして行けたら、と思います。


 
書くため0115(2014.01.15)
 昨日夕方以降、海到着とのメールや、早くも感想を知らせてくださる方々がいらっしゃいます。本当にありがたく、感謝申し上げます。
 今回は特に、ヒヤヒヤの気分が抜けやらないままでの発行でしたので、安堵の気持ちの方が先にたちます。本当は作品の内容やいかに、というべき場面なのですが。
 こうして発行を継続するということに、まず意味があるわけですから、一朝一夕にはならない作品の質の向上の方は、個々が感じ、高めていってくれることを信じたいと思います。文芸の道は、芸術の道。哲学の道。人生を賭けるにふさわしい道です。


 
書くため0114(2014.01.14)
 おおかたの同人に海が到着したとのことのようで、少しだけ安堵しています。とても疲れの残る号でした。しばらく海を忘れていたいものです。
 今、また深沢七郎を読んでいます。氏の作品には、何故か惹かれ、次の頁を繰るのが待ち遠しくなります。波動が合うというのでしょうか。
 読むのが楽しいということは、やはり文芸を厭うてはいないのです。ただ、自分がそれなりのものを書けないから、苦しいのでしょう。文芸に多くの理屈はいらないのではなかろうか、と思うこの頃です。それが才能であり、それを伸ばす努力がいるのでしょうが、先立つものはやはり才能の方でしょう。理屈抜きに、いいものはいいのですから。


 
書くため0113(2014.01.13)
 書かずに読みました。他誌の作品などをです。
 ホームページの微修正などをしました。文芸は理屈ではない、という思いがあります。理屈ではない、という思いが高じすぎると如何なものか、とも思いますが。
 文芸には才能と努力が必要なのだ、と漠とは思います。


 
書くため0112(2014.01.12)
 今日だけは、書きもしない、読みもしない。というくらいに疲れています。


 
書くため0111(2014.01.11)
 海の発送に3時間を要しました。どんなに要領よくやっても、毎回3時間はかかります。宛名ラベル貼り、差し出し人である私のゴム印押し、文書と冊子を必要な部数封入、封のテープ貼り、ヤマト便のシール貼り、10部以上の分の荷造りと、ざっとこれだけの仕事ですが、それぞれが30分以上掛かることで、計3時間にはなります。
 昨夜は4時前に目覚め、ひどく魘されていましたから、グッタリしたままで大丈夫だろうかと思っていましたが、一応11号目をこなしました。
 編集、作業、会計等々全て一人で、ということは当初考えていないことでしたが、我が人徳のなさ故か、福岡近辺には同人がいなくなり、やむなく今に至っています。
(追記)
 海の「一般の方への販売窓口は、書店です。全国のどこの書店から注文されても、海は入手出来ます」とのことです。市場に品物がある間は、という要件も必要です。


 
書くため0110(2014.01.10)
 明日発送のための準備をしました。宛名ラベル印刷、文書印刷、同人宛には「次号原稿作成要領」などの印刷と、ゴム印、スタンプ、指サック等です。
 冊子送付のついでに、必要な伝達事項も送付しなければなりません。
 約3時間の作業になります。無事に終われば、数日して会計報告となります。
 考えてみれば、年の殆どの日を海のことを考えながら過ごしているということになります。あまり妙な利用の仕方が出てくるようだと、決断しなければならなくなるのかもしれません。タウン誌を作るのでは、ないのですから。


 
書くため0109(2014.01.09)
 驚かされることばかりで、海の冊子は11日発行ですが、せめて早めにとホームページを作りました。書けるだろうところは書いた、ということです。
 文芸同人誌にもこのような使命がない訳ではないでしょうが、かなり政治的な色合いも垣間見えます。まあ、どこの勢力に有利にとかいう訳ではないでしょうが、あまり広範囲に宣伝がなされても、必要冊数の準備が出来るだろうかということです。
 文芸同人誌は売れない。と、これは全国的な流れではありますが…妙な具合に使われるのも、意図とは離れてしまいます。本来の文芸を深める話が、かなり逸れて行くのではないかという気がしないではありません。文芸と政治、これはもともと難しい組合せですね。


 
書くため0108(2014.01.08)
 引き続き、海の日でした。問い合わせメールが立て込んで、回答に苦慮した日でもありました。冊子1冊作るということは、結構たいへんなことです。
 対応に明け暮れた1日でした。まだ、発送準備に至っていません。


 
書くため0107(2014.01.07)
 印刷所で、海第11号の校正をしてきました。時間にして、約2時間半です。印刷所では、全てを読み返す間はありません。うまくいったことを祈ります。
 発送は1月11日の予定です。これから、宛名シールの打ち出し、中に入れる文書の作成を行う必要があります。
 花書院は新年の業務が始まったばかりで、とても忙しそうでした。反面、こういう活気のある場所を忘れていたな、との思いを強く持ちました。


 
書くため0106(2014.01.06)
 ええ、書きました。書きましたとも。ほんの5枚ですが。
 という具合に、中間まで話が進むと、少しは展開が見えてきます。後は、結果を気にせず、完結させることですね。
 話を書くということは、本当に出だしの部分に手間取り、中間付近までくれば、タイムは論外として完走することが出来ます。
 良い作品も、良くない作品も、我が作品のうち。そう思うことが先に進むための訓練になるのではないかと、思うことにしています。まず書くこと。書くことの秘訣の第一番目は、私の場合はここにあります。


 
書くため0105(2014.01.05)
 少々書きました。その途上ですが。
 読むことの方は、余程の状態が許さない場合を除き、すぐに取り掛かれるのですが、書くとなると、いろんなセレモニーを経ねばなりません。
 新聞を読み、メールをチェックし、我がHPを含めたいくつかのサイトを覗き、体操をしたり、喉飴を舐めたり、歯磨きをしたり等々の全てが終わり、もうこれまでと疲れ果てた頃からやおら向かうのですから、遅々として進みません。
 ところが、これが佳境に入ってくると、何はさておき書き始めることになるのですから、私の場合は全てが邪道です。訳が分かりません。
 新たに創り上げるということのためには、モヤモヤした気分を潜らねばならないのです。その実、たいしたことが書けるわけでもないのですが。いや、たいしたことを書こうと思う余り、先に気怠さが増してくるのでしょうか。


 
書くため0104(2014.01.04)
 少し書いています。といっても、今日は今からなのですが。
 昨晩何故か眠れず、早朝に目覚めてしまったため、頭が朦朧としています。太宰府天満宮から帰ると、机に突っ伏し小一時間眠ってしまいました。
 YOUTUBEで「The Rose」(下記)を一時間ぐらい聞き、ようやく目覚めました。この曲を聴くと、気持が平安になります。とても好きな曲です。

http://www.youtube.com/watch?v=CB4EgdpYlnk&feature=endscreen&NR=1

「ローズ」(原題:The Rose)は、アメリカ映画『ローズ』(1979年11月公開)の主題歌。同作に主演したベット・ミドラーが歌い、1980年にはシングルとして全米3位、『ビルボード』誌のアダルト・コンテンポラリー・チャートでは1位のヒットを記録した。その後、多くのアーティストによってカヴァーされており、「愛は花、君はその種子」(あいははな、きみはそのたね)という題の日本語カヴァーも存在する。
 作詞・作曲は、カリフォルニア州出身の女性ソングライター、アマンダ・マクブルームによる。当初、映画『ローズ』のプロデューサー達は、この曲を「退屈」「讃美歌であってロックン・ロールではない」と考えて却下するが、同作で音楽を担当したポール・A・ロスチャイルド(映画のモチーフになったジャニス・ジョプリンのプロデューサーでもある)は、この曲を強く推してプロデューサー達に再考を迫った。そして、ロスチャイルドから連絡を受けたベット・ミドラーが、この曲を気に入ったため、最終的に主題歌として採用された。ミドラーは、本作でグラミー賞最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス部門を受賞した。また、作者のマクブルームは、この曲でゴールデングローブ賞 主題歌賞を受賞した。


 
書くため0103(2014.01.03)
 書くためには、書くしかない。当たり前のことですが、書くという材料が決まり、モードに入り、書いたり削ったり…という時間が、どうしても私には必要です。
 書く前には、ああいうふうな、こういうふうな、とかの構想も少しはあって、「リアリティをもたせよ」とか、「余分なことは書くな」とか、「読み手を意識せよ」などと、文章表現の心得も頭にある筈ですが、それらはいつか吹き飛んでいます。
 なかなか自分の殻を破れないのがここにあるのだと思うのですが、「なあに、恥を書くつもりでしか書けない」とどこかで開き直らないと、私の如きアマチュアには作品が書けません。いい素材が、いいストーリーがなどと、考えこそすれ、毎度我流の域を出ません。ううむ、それでも文字遣い、文章表現(ような、形容詞、てにをは、オノマトペ等々)には、これでもずい分心掛けているつもりではあります。
 十二分に調べ、、発酵させ、主人公になり切り、といった手順にいつ辿り着くのやらと、遠い山容ばかり思い浮かべています。


 
書くため0102(2014.01.02)
 とにかく書いてみました。なかなか進みません。少し間を空けると、リズムが狂ってしまいます。もともとリズムがあったのかどうか、定かではありませんが。
 我がHPと海のHPの補修もしました。HPにも時間を取られるものです。もともと楽しみで作っていますので、苦にはなりませんが。
 やはり現代を書こうと思います。いや、未来にまで及ぶかもしれません。もっとも、手法として、過去を用いるという方向も探りたいものです。
 多くを学ばねばなりません。年齢のことは二の次です。入門者の位置にあります。そのうち、自然に何かが動き出してくれればいいなと思うものです。


 
書くため0101(2014.01.01)
 新年になりました。一念発起して、書くためにはどうすればよいのかを、自分なりに考えて見るという年にしたいと思います。
 と言いつつも、昨年末に思い付いた「海の掲示板」の、もう1つの案を全くのゼロの状態から作ってみました。これでよいのかどうかわかりませんが、まず始めてみないことには進みません。同人でパソコンを使用しない人が3分の2おられるという状況ながら、WEBでも発信をすると決めた海の方針にも沿うかたちでです。
 と独りよがりばかりではいけません。特に、これまで我が作品は「テーマがバラバラ」「間口を広げ過ぎている」と言われてきました。ということはつまり「焦点が絞れていない」ということになりますから、バラバラに見える土台を固める必要があります。そのための努力をしなければならない、と歳のことは考えずに思う年始めです。









 索 引


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