詩集「零地点」について


  2010年1月20日に、詩集「零地点」を刊行しました。
  その「あとがき」を記させていただきます。


  あとがき

 元寇で二度全滅した長崎県の壱岐という島に、戦後のどさくさの時に生を受けた私は、いつもなにかに怯えていた。
 小心者の私は、道端の古びた墓地や、名も知らぬ石塚が怖かった。汐風に傾き立つ、古戦場跡の松の枝を吹き千切る風の音が、故知らず怖かった。
 島人たちの邪気のないことばや笑い声と、島を包む何気ない空気とが、いつも不協和音を奏でているかのように思えてならなかった。
 戦地から帰還したという父たちが、狭い田畑を耕しながら、陽気に笑い合い、酒を酌み交わすという光景を見るのさえ、不可解だった。
 図鑑を開けば、地球はまるで奇跡の宝石であるとしか言いようのない美しさで、しかし、いかにも不安定な様で宙に浮かんでおり、しかも、あと45億年だとかの寿命でしかないという。
 漆黒の闇の中、手を伸ばせば届きそうな近くにあり、まばゆいばかりにギラついている星たちは、実は何十億光年という時空を隔て、信じられないほどのスピードで互いに遠ざかっていくのだという
 目の前に織りなされる日々の生活。貧困、虚栄、偽善、欺瞞、業欲、憎悪、殺戮‥‥。
 切り崩され、抉り捨てられ、決して泰然自若などということばでは表すことができない自然。
 何十億年という時間。70年などという人の生命。ものたちの生命。その長短。その茫々とした距離、空間。その前、その後ろ。今のこの時も、どこかで流される夥しい血。
 いったい、人や、ものたちや、自然や、今というこの時は、どこへいくのか


 これは、拙著「コスモスダンス」(2004年刊行・小説作品集)のあとがきとして記したものですが、このたびの詩集「零地点」も同様の位置に立っています。

 つまり、私にとって、人であるとを否とを問わず、全てのものたちは「どこからきて、どこへいくのか、なんなのか」という命題の中に、常にあるのです。

 なぜこんなことにこだわらねばならないのか、ということになりますが、それは、幼い頃、繰り返し繰り返し見た夢に、原点があるのかもしれません。

 幼い頃見た夢で、60の今になっても忘れられないものがある。それは、最初にぎやかな空間のなかに涼し気な地球が浮いていて、人や動物や植物がのびのびと棲息していたのだが、あるとき地球は桃色になり、オレンジ色になり、ついには爆発して粉微塵になってしまった。

 そのとき、ああ、ぼくたちの墓場がないと叫び、自分の大声に驚いて目を覚まし、傍にいる父と母と姉妹の寝顔をしげしげと眺め、安心して再び眠りに入ったことを覚えている。(拙著「あだし野へ」から)

 なんだ、と思われるかもしれません。単なる甘えの表現ではないかとも‥‥

 しかし、です。父も、母も、山も、川も現実にあるとして、それらは、広大無辺な宇宙という時空の広がりの中で、限りある身として、どう位置づけられ得るのだろうかということです。

 つまり、私も、父も、母も、友も、山も、川も、犬も、鮒も、梅も、桜も、石ころも、雲も、雨も、時空の間にどう在り在りていくのかという疑問が、次々に湧き起こってやまないのです。

 それが、私に「どこからきて、どこへいくのか、なんなのか」という問いとなって、迫ってきます。簡単にいえば、「私は3億年前はどこにいて(いなくて)、なにかの偶然によって(よらず)この世に生を受け、去っていく。ならば、5億年後にはどこにいる(もはやいない。痕跡すらもない)のだろう‥‥」という煩悶である、とでも言えばいくらかはわかり易いでしょうか。

 もっとも、これらの全てを司っておられる存在があり、これらの全ての解を握っておられるであろうことを願い、信じようとしつつ‥‥。

 一方、現実を見つめれば、戦略や戦争ということばに代表されるように、私をはじめ人間は、その存在の凶暴さ、危うさ、傲慢さ、破廉恥さは目を覆うばかりであり、激しい競争に走り、利益を追求するあまりに、両極の氷が消滅するのではないかというところまで、平気でことをしでかしてしまいます。ここに至り、なにかの意志あるものの手が、すぐ傍にまで伸ばされつつあるように思われてなりません。

勿論、溢れんばかりの愛他の精神をもち、実践されている方々も多くあることと思われますが。

 このような中で、私の詩など無用に過ぎないものでしょうが、やむにやまれぬ中から発した「熱い魂の持ち主への問いかけ」という意味で、本誌をしたためてみました。

 もとより、詩、俳句、短歌などの韻文には、10代の半ばから20年近く関わってきたものの、この30年近く無沙汰をしており、一昨年ホームページを立ち上げたため、その埋め草にでもなればと考え、再び始めたのでした。

 よって、過去に書いた筈の多少の作品も手元にはなく、やむなく、殆どを最近の作で構成するということにしました。もとより私に、たいした詩の心得や才もないことで、誠に見苦しい限りのものかもしれませんが、趣旨はこれまでに記載してきたとおりです。

 御叱責等をいただけましたら、誠に幸いに存じます。


                                                                             2010年1月20日 有 森 信 二


       詩集「零地点」

  次のような構成になっています。

     1 目次 

     2 どこからきたのか

    3 どこへいくのか

    4 なんなのか


      平成22年1月20日発行
      花書院



 
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