作品集「火の音」について


  2008年9月20日に、2冊目の作品集「火の音」を刊行しました。
  その「後書き」を記させていただきます。


  後書きに代えて

 今回、二冊目の作品集「火の音」を刊行することになるとは、考えもしませんでした。
 一冊目の「コスモスダンス」で、メッセージをほぼ伝えたつもりでおりましたので、二冊目となると、なかなかこれといったコメントがみつかりません。
 
 「コスモスダンス」は、自分自身に向かって書き綴ってきた作品のうち五編を掲載したものですが、今回の「火の音」も、そのスタンスは変わっていません。
 ではなぜ二冊目なのか、と問うてみても、はっきりした答えは出てこないのです。
 特に、今回の四編が特別のものかというと、思案に陥ってしまいます。二冊目を出すという方針が(なんとか)固まってからも、作品のどれを俎上にのせるか、のせないか、何度も何度も考え、迷いました。
   無責任なことをいえば、全作品を俎上にのせたいし、全作品をのせたくない、という気持ちに、毎日のように揺れました。

 少しだけ勝手なことをいわせていただけるならば、「私もいつか、大切なメッセージを伝えることができるように」という祈りのもとに書いてきたことは、偽りのないことです。
   三浦綾子さんや、星野富弘さんの作品に接し、その作品が多くの人々の胸深くに、真っ直ぐに、諄々と刻まれていくすばらしさを知り、感動ということの大切さを知りながらも、私の作品はなんと痩せていることでしょう。

 還暦を迎えたいま、「私には、特別なメッセンジャーとしての呼び出しはなかったようだ」ということに、納得し、半ば安堵しています。
 それでも、私は一点、「私たちの存亡の危機」についてだけは、どうしても振り払えない思いがあります。
   それは、幼い頃からの夢とも現ともつかない強いイメージとなって、いまもたびたび脳裏に現れます。

 と同時に、「そんな出過ぎたことなど、いう資格はない」ということばが身内からせりあがってきます。多分、私の夢など、たわいのない、単なる幻影に過ぎないのでしょう。
 それは、それでいいのです。
 でも、私としては、ただ一つ、「畏れを知る」ということだけでも心にかけ、私なりの作品にしていきたいと思うものです。

 私は、文学という語をあまり好んで用いません。そういうと、また屁理屈屋というそしりを受けることでしょう。つい、文学=科学=権威などといった図を描いてしまう、卑小な私の思い過ごしにしか過ぎないのだということになるでしょう。  

   このように、なにをいっても、なにを書いても、どう思っても、なにがしかのエネルギーとなって伝わっていくものだと思っています。
  前回にも書かせていただきましたが、願わくば、今回の刊行にあっても、悪くはない念波を発信することができればと、祈念するものです。

                                                                               2008年9月 有 森 信 二


       作品集「火の音」

  次の4作品を収録しています。

     1 火の音 

     2 タイム・スクリーン

    3 紙飛行機

    4 レフト・アローン


      平成20年9月20日発行
      花書院



 
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