あんなことこんなこと
「無名作家の日々」とでもいうべき欄です。
私生活については原則として触れないことにいたします。同人誌等の関係者の記述をする場合
にあっても、出来得る限り御迷惑にならないように心掛けるつもりでおります。

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 2009年(2009.12.31)
 2009年がゆきます。アメリカも日本も、新政権となり、新たな模索が続けられています。
 しかし、殺戮や貧困、貧富の差拡大、自然からのしっぺ返しなど、多くの問題を抱えたまま、年を越えていきそうです。
 人間の叡智を結集するのは、こういう大所高所に立って行うべきことであり、自らの利益誘導のために行うパフォーマンスは、人類の行く先を危うくするばかりです。
 神の姿に近い、といううぬぼれがあるとしたら、そこに一番の落とし穴が待っているのではないかと思います。
 時間、空間の中に在り在るもろもろの魂たちを統べる存在のことを、忘れてはならないと肝に銘じるべきだと思います。


  
大掃除(2009.12.29)
 今日は比較的穏やかな天候に恵まれたので、午後から大掃除にかかりました。
 いつも、自分の部屋、玄関まわり、庭というのが自分の役目になっていて、張り切ってやりました。
 1年の終わりは、やはりすっきりとしていたいのが人情です。本箱や箪笥の上から、照明器具、机の周辺、もちろん窓などもです。埃を落とし、桟の隅々まで拭き取り、不要になった紙類などを処分します。
 玄関まわりは、足継ぎを持ってきて、高いところから足元まで拭きます。表札や郵便受、門灯の類まで丹念に汚れを拭き取ります。
 最後は、庭に箒の目を入れて、ようよう終わりです。
 年末の大掃除は、これまで欠かしたことはありません。掃除をするということが、清めになり、明日の活力になると信じているからです。
 今年も、なんとか果たしました。ゆったりした気分に浸れるのは、このときです。


  
冬至を過ぎ(2009.12.24)
 冬至(12月22日)を過ぎました。冬至を過ぎると、遅々と日が伸びます。
 現政権は100日を過ぎ、少しずつ綻びが見えはじめました。それにしても、政権の顔、三役クラス、裏の実力者のオーラの暗いこと、これはなんでしょう。
 旧政権をリンチに合わせたまでは颯爽としていましたが、元々は同じ穴のムジナ。
 現政権の方が綺麗事で固めようとするから、質が悪そうです。もっとも、旧政権の最後は、これもひどかったのですが。まあ、政治や社会は、このような露出狂たちが跋扈する場なのでしょう。それも、誰も彼も、二世、三世ばかりですから。
 二世、三世は政治家たちばかりではなく、文士や芸人にもぞろぞろいますね。果たして、彼らは本物の力を携えてきているのでしょうか。


  
年末近し(2009.12.23)
 2009年も、残すところ10日足らずとなりました。
 慌ただしかった今年、いろいろなことが波のように押し寄せてきました。が、なぜか、上手い具合に一つ、一つ片付いていきます。一難去ってまた一難、という具合でしたが、それらが良い向きに方向を替え、片付いていくのには感心しました。
 こういうこともあってもいいのだな、とそれらの流れに委ねることのできる歳に至ったのでしょうか。
 気持の方は、逆に若返っていく、という思いを実感していますが。


 
 寒波襲来(2009.12.17)
 寒い方がいい、などといっていたら本格的な寒波襲来のようです。
 どうやら、4〜5日間は平野部でも雪ということになるらしく、冷え込みの激しい太宰府では覚悟が必要になります。この頃、布団に差し込んでくる冷気から逃れるべく、空調のタイマー設定が寝る前の作業に加わりました。
 寒波到来の朝でも、霜や雪に朝日の照る光景は好きで、首を引っ込めながら雨戸を開けます。
 温暖化の影響でしょうか、考えてみれば寒波のやってくるのが遅いような気がします。やっぱり冬は、切り込んでくる寒さの方が似合っているように思います。


  
度々の(2009.12.12)
 度々の、といえば不適切かもしれませんが、母は10日に手術し、きちんと手術室から戻ってきました。母の手術といえば、何度めでしょう。5〜6度目ぐらいでしょうか。それも、容易いものはなく、結構難度の高い場面をくぐり抜けてきました。
 今回もその一つですが、今後の経過がどうなるのか、リハビリや、日常生活にどう影響があるのか、ないのか、それらが気がかりです。
 ともあれ、私が帰りの船便に丁度間に合うように、部屋に戻ってきてくれましたので、一安心です。顔色も良く、表情も落ち着いていて(これまでのいつのときも、周りを感心させるぐらい落ち着いていたのですが)、今後に十分希望を抱かせてくれました。
 付き添ってくれた人々、病院の皆様に感謝です。


  
冬の灘(2009.12.6)
 昨日、冬の玄界灘を越えてきました。
 折りからの低気圧が下ってきたためか、台風並みの北西寄りのすごい風。波の高さはさほど感じられないものの、フェリーは風に突き当たるように進むのです。
 揺れもすごいのですが、風圧と船に打ちかける波飛沫が尋常ではありません。ドーン、ガタガタ、ミシミシという船の悲鳴と一緒に進み、到着時間に15分近く遅れて辿り着きました。
 なにせ、乗客の誰一人起き上がっている者はなく、売店の土産物のガラスケースの中が、グチャグチャになっていました。
 郷ノ浦港に着くと、飛ばされそうな強風。タクシーの運転所さんが、春一番(壱岐は春一番の呼称発祥の地)さながらですね、というほどでした。
 目的は、母の見舞いで、一週間と少し経っているためか、熱はかなり引いたということで、話もちゃんとできます。ただ、足は固定されたままで、それがかなり辛いらしく身動きできないのが、こたえているようです。
 ちょうど、お世話をしてくれている叔母(母の妹)夫婦とも対面でき、病室では笑い話もできました。


  
呼吸法(2009.12.3)
 書棚から、何気なく呼吸法の本を取り出し読んでいます。
 それが、まさにタイムリーとでもいうのでしょうか、この頃自分が気にしていた体調のことが、呼吸を意識し、気を止めることで、かなり改善されることを思い起こしました。
 以前、座禅に親しみ、静かに呼吸に気を止めながら心身を整えていた時期があったことを、てっきり忘れていました。
 それに、ひょっこり出くわしました。偶然というか、必然というか、私ごときにもちゃんと、誰かがアドバイスを与えてくれるんですね。
 ありがたいことです。


  
辞めるどころか(2009.12.1)
 仕事に、そろそろ見切りをつけようと思い、3月ぐらいが経ちます。
 そのことを言い出す機会を待っているうちに、仕事がドヤドヤと降ってきだし、言い出せないままに師走に突入しました。
 こうなれば、腹をくくるしかありません。少なくとも、これから年度末までを、どうこなしていけばよいか、ということに気持を切り替えねばなりません。
 それにしても、進退のことを言い渋る己の弱さに、つくずく愛想が尽きます。


  
問題山積(2009.11.29)
 今度は、母が倒れたとの報です。
 またか、と過ぎるものがありましたが、転倒して足を骨折したとのことでした。ということで、胸を撫で下ろすということではないのですが、叔母の場合とは違っていたのがせめてもの救い? です。これから、どういうふうに進んでいくのか、また違った問題が生じてきたわけです。
 とにかく、今年はなにやかやと問題山積で、試されることの多さに驚いています。
 昨日は母を見舞うつもりでしたが、急に風邪具合が悪く、持病の方も出てきたため、見舞いはやむなく取りやめ、鬱々としています。
 仕事の方も問題多く、さて、これからどうしたものかと思案しています。
 私の観念癖を振り払うべく、事態が次々と変わってきます。


  
人の波(2009.11.25)
 叔母の納骨のため、21日に京都の妙心寺を訪ねました。
 心配していた天候はまずまずで、順調に、無事納骨を終えました。涅槃堂では、3人の僧による祭事もあり、お堂で聞く僧の朗々とした読経に慰められました。
 全般にわたりお世話を願ったU家の好意で、O家の方も交え、近くのホテルに準備していただいた懐石料理をいただき、しっとりとした、しかし、楽しいひとときを過ごすことができました。
 こういうことでもないと出会わないだろう方たちと、(話には聞いていたものの)実際に出会ってみると、挨拶抜きで語り合うことができるのですね。これこそが、叔母の取り持つ縁なのでしょう。

 この機を得て、京都の紅葉探索をしました。が、連休とあって、それはそれは、どこにいっても朝のラッシュ並みで、せっかくの景観が5割方は削がれた気がします。
 22日は、嵐山方面で、桂川、祇王寺、落柿舎、竹の道などを歩きましたが、人がこんなにもいるのかという嘆息の方が大でした。
 哲学の道では雨になり、日も暮れ、帰りのバスに乗ったところ、(行楽客の多さと雨による)大渋滞に巻き込まれ、運転手の案内で途中下車し、方向もわからない道を歩いて約30分、蹴上とかいう地下鉄駅に辿り着きました。
 23日は、旅館のすぐ傍が三十三間堂で、1001体の観音像が並ぶ姿からは、圧巻としかいいようのない感動を受けました。
 目的地の一つ、東福寺に着いたのは10時過ぎ。ここも、前に進むのが息苦しくなりそうな人出でした。渓谷の紅葉のすばらしさより、「押さないで、順序よく進んでください」というハンドマイクの音ばかりが耳に残っています。
 
 こうやって、強行軍? を突破してきたわけですが、目的は妙心寺にあったわけですから、叔母の最後の願いをなんとかかなえることができ、安堵とともに、多くの方々に感謝しています。


  
寒波到来(2009.11.19)
  ここ数日、急に冷え込んできました。12月末の冷え、ともいわれています。
 この冷えがきて、やっと一息つきます。なぜだかわかりませんが、それは自分のリズムが冬型に合うのでしょうか。
 11月から2月にかけては、寒が締まるせいか、気分も引き締まります。ということは、その他の時期は、気分が弛んでいるということになるのでしょうね。
 秋の京都に行きます。妙心寺への納骨と、紅葉探索というわけです。
 たまには、こういう小旅行もしないと、本当に観念お化けになってしまいますから。

   
一つ一つ(2009.11.14)
   身内のことで恐縮ですが、一つの家系が絶えるという場に遭遇し、その処理のたいへんさに驚かされています。
 戸籍から、不動産の処理から、役所関係から、ライフラインなど、いくつもいくつもの整理が必要なのですね。こんなことなら、もう少し前に教えてもらっておくのだった、といってもそれは叶いようもなく、毎日手探りの状態です。
 しかし、そこは守り神があるのでしょう。行き詰まったと思っていたら、ふっと翌日に解決するという具合で、なにか今、大きなものの力に動かされているのではないか、と感じています。とにかく、一つ一つ、という具合です。


  
夢ですが(2009.11.7)
 夢の中でのことです。こういうことを記すことを、どうかお許しいただくとともに、お笑いください。
 ノーベル賞を受賞したのです。突然、連絡が入りました。勿論、ウソだろうと、最初は悠然と構えていました。ところが、間違いないというのです。
 夢の中で、これはきっと夢なんだろうと、しきりに呟いているのです。
 ところが、多くの人々の前に呼ばれ、多くのマスコミが、とんでもない出来事に驚いているのです。もっとも、一番驚いているのは私自身です。間違いでしょう、と自分で答えます。受賞理由は、人類への貢献、ということだそうです。
 マスコミも、多くの人々も、私自身も、それはなんだ、という顔です。
 繰り返しますが、これは夢の中のことです。
 それでも、醒めがけに、とんでもないことになってしまった、と唸っていました。 


  
電器屋さん(2009.11.1)
 いつもなにくれにつけ相談する電気屋やさん、やはりただ者ではないのです。
 正直一点張りの真の底には、神や仏や先祖や家族に対する、真摯な思いをお持ちの様子です。名はなくとも、財はなさずとも、真実と信じた道をいくとのことです。
 そういってしまえば、堅物のように聞こえますが、なにごともやわらかに受け止め、よかれと対応するという姿勢を持ち、ここまで奥深い心の持ち主にはザラには出会えない方です。市井にあってこそ、キラリと光る生き方がなされるのかもしれません。


  
家絶える(2009.10.31)
 叔母の四十九日の法要を行いました。叔母の死により、家が絶えることになるため、集う者も七人という少人数での仏事になりました。
 かなりの華やかさを誇ってきたという家も、途絶えるときはあっけないものなのですね。 十一月後半には、本人が希望した京都の本山に送り、末永く弔ってもらうことにしました。


  
明日はいいことが(2009.10.30)
 十月もいきます。月日は、いろんな事件や、いろんなドラマや、いろんな人生や、いろんな思いを包み込んだまま、過ぎ去ります。 
 その瞬間は、もはや戻ってきません。(時空を自在に往来できたら、話は別ですが)
 時間の経過とともに、あたりの景色も変わります。あたりの全てが変わります。
 明日はいいことがある、と義母はいつもいっていました。その義母が逝ってもう四年になります。明日はいいことがあれば‥‥。


 
十月もやがて(2009.10.28)
 九月が重苦しく長かったのに比べ、十月は、いつの間にかあと三日になりました。
 政局は新政権誕生で、なにやら華やいだ雰囲気にあります。これまでと違い、なにかをやってくれるのではないか、と誰もが期待しています。
 官僚主導を脱したといわれるのも、どのあたりまでのことかはわかりませんが、多少は揺らいだ、というだけでも画期的なことかもしれません。官僚たるもの、たやすく浮沈するような代物ではないと感じるだけに、まるで血の通っていない、人を食ったような人種が少しだけ後ろに下がったということは、大きな成果だといえるのかもしれません。
 ただし、彼らは、どんな環境をも利して生き延びるしたたかさを有していますので、いかになりますやら‥‥。

 
働く(2009.10.26)
 今の仕事を好きでやっているのではありません。できたら、資料調べをしたり、丸一日フルに書きものをしていたい、などと思わないではないわけです。
 しかし、自分の場合、時間があればよしというものでもないので、まあお呼びがかかる間は働いておこう、と漠然と考えているにすぎないというころです。ためしに他の意見を聞いても、嫌でも外に出て人に交わるということは、健康にもよいし、という答えが返ってきます。
 自分は自分で、職場の足を引っ張っているのではないか、などと考えつつ、まあいいかという気分で日を過ごしています。役に立っているのか、さにあらずなのか、よくわかりません。わかるわけもなかろう、と流れにまかせることにしました。
 というところで、もうしばらくは人の世話になろうと、考えているところです。


 
表現する(2009.10.24)
 同人誌礼賛を、根拠なしにやっているのではありません。
 これまで、文学賞受賞作品なるものを幾たびも読んできたわけですが、理解できるものは殆どなかった、といってもよいと思われます。となると、当然私の資質が欠落しているのだ、ということになりましょう。
 それはそれでよいとして、問題にしているものが違うのです。一階にいて二階を見る、あるいは二階にいて一階を見るというような、どうにも異なったものがそこに横たわっています。
 私の作品への評もそこを指摘されてきたわけですが、そここそが私が問題にしているところであり、譲れないところです。というわけで今は、ということでもありませんが、他誌の作品も含めて同人誌の作品には、おおいに魅力を感じます。
 現在生きている者だけが読者ではないのだ、と思うのです。過去にも、未来にも、見えないところにも読者はいるのです。
 型にはめ込むとかはめ込まないとか、売れるとか売れないとかは問題のうちにありません。いい方が悪いようですが、止むに止まれず表現したいものを表現する、という一点に尽きると思います。


  
詩や俳句を作る(2009.10.19)
 詩や俳句は、このHPを設けたとき、埋め草にと30数年ぶりにはじめたのですが、当初は楽しんで作ろうと思い、気楽に始めたのですが、そうです、散文とはリズムが違うのです。
 さて、楽しんで作れているかどうかとなると、そうなのですが、韻文は感情移入がしやすいので、自分のいいたいことが直截にいえるのでしょう、どこかに疲れが出てきたのかもしれません。
 散文の方が健康によいとはいいませんが、リズムが微妙にずれている自分に、少々とまどい、体の方も慣れるのにたいへんのようです。


  
六十の手習い(2009.10.14)
 初めて出会った会計事務を、丁度一年やってきたことになります。
 最初、約3億円の数字と、データが並んでいる膨大な資料を目にし、どうしようかと震えたものです。一年経って、なにも解決してなどいないのですが、少し厚かましくなったのか、ほんのちょっとの要領だけは覚えました。
 まさに、六十の手習いとはこのことでしょう。
 定年後ということの厳しさが、身に染みて感じられます。しかし、自分が塞ぎ込んでどうなる、の気分です。どうせやるのなら、明るくやるにこしたことはありません。勿論、周囲への配慮も考えた上でのことです。


 
 今日も好日なれど(2009.10.12)
 昨日から行方不明になっていた眼鏡が、実家の草を取ったあとに落ちているのを発見しました。見つけたのはいいとして、踏み付けた形跡もないのに、フレームが押し広げられたように歪んでいました。
 なにか、自分の心の内を覗き見られたような、ドギマギする気分です。イライラしながら草を毟っていた心が、見透かされたのでしょう。
 見かけだけを繕うなど、できないことなのだと思いました。
 今日体育の日は、例年のように、雲一つなく、風もない好日なのでしたが。
 たまたまつけた高校の合唱コンクールを見ました。「いのち」や「喜び」を歌う彼らの表情は、また、それらの作品を作った先達の素朴な心は、やはり美しいものだと思いました。わがひねこびた心に、それらはしっかりと迫ってきました。
 芸は、芸術は、やはりすばらしいものなのですね。


  
空き家となる(2009.10.11)
 叔母の法要を営みました。叔母一人では広すぎる家を守ってきたのが、とうとう空き家となります。
 供養の方は京都の本山にお願いすることになりますが、家の方は空いたままです。今日も、法要の後、草取りをしてきました。
 これから、年を重ねるにつれ、誰も住まない家の手当、庭の管理など、どうにかしなくてはいけないことになります。跡を継ぐ者がいないと‥‥と、世間でいわれているのはこういうことなのだな、少しだけ実感した次第です。


  
宇宙船地球号(2009.10.10)
 我が庭の柿の葉が、色付いてきました。柿の葉の赤は、もみじのそれと違って、長閑な風情があり、大好きです。
 朝晩の気温の差も大きくなり、体調の維持に苦労します。折しも、新型インフルエンザが流行しており、マスク、手洗いが欠かせません。
 オバマ大統領が、ノーベル平和賞を受賞しました。大統領は核の削減という方針を掲げていますが、平和賞に値する働きをすべきはこれから、といえましょう。
 宇宙船地球号の維持、乗組員全員の安寧の実現のために、危急のときに直面している人類の叡智が、オバマ大統領にこの役割を託したのだともいえるでしょう。
 私も、同様の使命を感じてきた者の一人として、こういう拙い文芸を通じてではありますが、その一端を担うことができたらと思うものです。


  
好日なれど(2009.10.3)
 すっかり秋めいてきました。
 秋の気につられ、ほんの少しだけ散歩に出てみました。といっても、自転車で二日市の湯町にお昼を食べにいっただけです。中華の定食です。
 でも、考えてみれば、このようなくつろいだ気分になることはこの1月の間、ありませんでした。一人を見送ることは、やはり大変なことだなと実感した次第です。
 一方、海外に目を移せば、サモア、ジャワでの大地震。その規模の大きさに驚くとともに、被害の大きさに心が痛みます。人として、生命あるものとして地球上に招かれることには、大きな大きな試練や苦しみがつきまとうのだな、と感じ入る次第です。
 それも、これも、心の持ちよういかんで、異なった風景に見えるのだとはいいますが、自分のように「できの悪い」ものには、なかなか重たい課題です。
 今日は中秋の名月ですが、丸い月がうろこ雲のなかを、かなりのスピードで走り過ぎていきます。


 10月来たる(2009.10.1)
 9月行く、という見出しにしようかと思いましたが、待望の10月がやってきたので、急遽変更しました。
 考えてみれば、この9月は大揺れに揺れたときでした。5月と9月、いつも不首尾に終わります。そう思い込んでいるからなのかもしれませんが、今年の9月は実に苦しい日々でした。
 いつの年も、10月、11月と進むうちに、だんだんと持ち直していくので、そのことを信じましょう。
 秋も少しずつ深まっていきます。11月に妙心寺を訪ねることになりますが、これもなにかのはからいかと感謝し、秋の京都を楽しみたいものです。


 
 見送る(2009.9.22)
 叔母が、9月13日20時11分に逝きました。
 その日は、直前まで容態は安定していて、大丈夫だからと、付き添いを1時間ぐらい前に交代したばかりということでした。
 時は、突然訪れ、あっという間の旅立ちでした。
 人一人を見送るということの何かを、いろんな点から考えさせられ、一緒に苦しんだ出来事でした。
 ただ、とても安らかで美しい寝顔であったということが、全てを語ってくれているかのようでした。


  
待つということ(2009.9.12)
 何を待っているというのでしょう。
 今日あたり‥‥といわれ、一週間が経過しました。当人の姿を一刻でも長く留めたいという思いと、「そのとき」がいつになるのだろうという二つの思いに、心は大きく揺れています。
 そのときの後に続く、この世の諸々のことなどを考えると、何を願っているのか気持ちが割かれてしまします。これだけお世話になった人なのに、これだけお世話になった人だから‥‥辛さを留めようもありません。
 今は、いつ携帯が鳴るか、そのことだけしか考えるゆとりがありません。


 
 人としての日々(2009.9.6)
 9月4日から、また病院に用ができました。
 叔母が倒れ、救急車で運び込まれたのです。いま考えれば、先週の土曜日には兆しがあったのです。しかし、こういうことになるとは予想していませんでした。
 今日6日、極めて重篤な状態であると、医師から説明を受けました。
 付き添っている私たちも、予想外の展開にとまどっています。
 じっと枕辺にいて様子をみていると、普段から、家族の全員をキチント見送り、本人もこの日がくるのを静かに待っていた安堵の様が受け取られます。
 言葉は通じないものの、大きななにかの加護が取り巻いているのが、それと知れます。天命を待つのみです。


  
変化の兆し(2009.9.1)
 8月30日の衆議院議員選挙で、民主党308議席、自民党119議席へと、形勢が全く逆転しました。
 前回の選挙が小泉劇場というなら、今回の選挙は反小泉劇場とでもいうべきものでしょうか。民主党への期待というのではなく、わがままや、ままごとを続ける自民党への批判、というかたちになったのではないでしょうか。
 民主党の党首も、あいかわらずの超おぼっちゃまですから、なにか「不吉」な予感が胸を過ぎってなりません。
 元来政治には頓着のない私ですが、今のように一定の方向にしか吹かない風と、マスコミが作り出す風の道筋には、多少うんざりです。
 話題性とファッション、これを抜きにしては語れないようですね。はたして、雇用や、年金や、農政といった地味な部分に日が当てられるのでしょうか。
 いずれにせよ、この世がこのような仕組みでできているのなら、私たちもの書きのはしくれも、世の中を斜めに見ているだけではダメなのかもしれません。
 一方で、2012年も、すぐそこにやってきました。 


 
夏の終わりに(2009.8.30)
 80路を越えた叔母が、胸苦しいというので、かかりつけの医師に往診してもらいました。幸いさしたることもないようで、安静にし、できるだけ気分をくつろげているようにということでした。
 普段、腰が曲がっているくらいで、全てがしっかりしているので、と安心しているのですが、この夏の不順さと、今日の暑さなどがこたえたのではないかと思われます。なにしろ、クーラーはあっても全く使うこともなく、うちわで済ませています。
 くだんの私のパソコンは、外付けのキーボードを付けると、入力に問題はないのですが、万一のことを考え、もう一台(通算5台目の)安いパソコンを注文しました。
   それにしても、政権交代なるかという今日の衆議院議員選挙、どういうことになるのでしょうか。


 
秋来たる(2009.8.26)
 まだ残暑が残っているものの、朝の気はさすがに秋です。
 空気が軽く、透き通っていて、肌に新しい季節の到来を教えてくれます。空には、飛行機雲がかかっていたりします。
 川縁を歩くのは、気分のよいものです。
 8月30日は、衆議院議員選挙です。この秋、どんな出会いが待っているのでしょうか。変化の前の、束の間の静けさかもしれません。


 
海第二期ホームページ公開(2009.8.23)
 海同人 各位
 残暑お見舞い申し上げます。
 一念発起して、海のホームページ(案?)を作成してみました。
 どこに掲載してもらえるか、さんざん悩んだ挙げ句、昨日8月23日の昼に掲載サイトが決まり(OKとなり)、その後の半日で無理矢理作ったもので、改善の余地が多くあるようです。
 ちなみに、タグの文法では「-28点」という凄い評価を得ており、「やっぱり、海のHPらしい」ということでしょうか。
 御参考までに、送信いたします。


   
いやはや(2009.8.22)
  いやはやとんだことになったものです。
 その一は、ノートパソコンを閉じるとき蓋がキシミだしたので、少しオイルを蝶番のあたりに注したのが悪く、文字を打つときにやたら字が滑り出したのです。どういうことかというと、悪くが「悪くう」になったり、結局が「けえっきょくう」、家が「いええ」になったりすることで、滅茶苦茶なストレスに悩まされています。わかっていたことはいえ、パソコンにオイルはダメなんですね。
 その二は、「海」のホームページのサイト案を作ったのですが、現在のプロバイダは1容量→1HPということで、海のホームページが中に浮いてしまっています。どこか適当なプロバイダがないか、よいところがあれば紹介願いたいところです。


 
お盆考(2009.8.16)
 20代から40代にかけては、故郷への足が遠のいていましたが、父を亡くしてからは、そういう訳にもいかなくなりました。
 故郷に帰って思うのは、自分達も初老の域にあるものの、親の年齢でまだ頑張っているという人がかなりおられるということです。親の年齢といえば、もう80代。自分で炊事から、洗濯までちゃんとやっておられるのですが、さすがに年齢というものは容赦がありません。
 それより思うのは、先祖の供養(祭り)です。
「あちらも、こちらも廃墟。どうなっていくのやら」と母は、それが心配のようです。田舎の跡取りもさることながら、都会でも少子化の影響で、継ぐ者がいないという例は枚挙にいとまがありません。
 お盆‥‥。一年、一年と何者かに追い込まれていく心境です。


 
地震、台風、大雨(2009.8.12)
 8月11日5時直後に、駿河湾の海底で発生した地震は、深さ20キロ、マグニチュード6.6の規模で、静岡で震度6弱を観測し、その広い周辺地域に大きなショックをもたらしました。これが東海地震であるか否かの議論がなされつつありますが、このレベルまでは、かねてからの防災対策の積み重ねにより、被害は考えられ得る範囲内に納まったとのことのようです。
 しかし、前後するように大雨と台風が襲来、今の状態は、現生活者が経験してきたこれまでの事態を、「生まれて初めて経験する」と等しく言わしめる過酷な状態になっています。
 これらの自然がもたらす驚異は、いったい序章であるのか、なにかの前兆であるのか、単なる周期的なものに過ぎない程度のものであるのか、相手が、私たちが日頃気ままに痛めつけても恥じることのなかった自然が相手ですので、予断を許しません。
 今年は、いや近年は、われわれがなした自然環境の破壊に対するしっぺ返しともいうべき災害が続発しています。
 このことを、どう受け止め、どう対処すればよいのか、冷静に考えたいと思います。


 
立秋(2009.8.7)
 梅雨が明け三日が経ちました。今日は、もう立秋です。
 夏は夏ながら、湿気を含んだ風が渦巻き、息をすることも苦しくなります。例年、激しく鳴き交わすクマ蝉の勢いのよい声も、今年は殆ど聞きません。
 気が付けば、ヒロシマの日が過ぎ、もうすぐナガサキの日です。この暑い盛りに、あの熱風が街を焼き尽くしたのですね。
 人間の勝手さ、残忍さ、というものをよく考えます。もっとも、その残忍さとは裏腹に、気高さを併せ持つのも人間だとは思います。
 かつて振り仰いでいたような年齢を重ねても、凡庸な私にはなにも見えてきません。
 このまま秋になり、冬に入っていくのでしょうか。
  いろんな季節がありますが、私たちの生に重ねて見たりして、その循環、その業の繰り返しのことを思うこと大です。


 
梅雨明け宣言(2009.8.6)
 8月4日、西日本地区に梅雨明け宣言が出されました。昨年より29日遅く、記録が残る51年以降で、最も遅いものだそうです。
 梅雨が明けたというものの、毎日が雨と縁が切れず、蒸し暑さと湿気にはほとほと閉口させられています。
 考えてみれば、もう原爆の日。ヒロシマのあの抜けるような青空は、今日はどうだったのでしょうか。
 オバマ大統領の核縮小路線が、本当に現実のものになってほしいと思うのは、私たちだけではないでしょう。
 人類に叡智があるならば、このかけがえのない大地である美しい地球を汚し、血を流すことがNOであると、そろそろ気付き、今すぐに実践すべきです。


 
Kさんからの連絡(2009.7.31)
 発行責任者として冊子を出すということは、これまで一同人だった頃と異なり、大きな反響をもろに受けることになり、痛いことも嬉しいこともあり、やはり経験してみなければわからない無形のなにかがありそうです。
 先刻も、是非会いたいという先輩方からのお電話をいただき、恐縮しております。
 リアクションの中で、最も嬉しかったのは、体調を崩して仕事を休んでおられたKさんから、職場に復帰したとのメールをいただいたことです。
 掲載した詩に、Kさんにあてて書いていたことが通じたのです。このときばかりは、海を発刊してよかったと、真から思ったことでした。遠く離れているのに、こういうことがあるからこそ、発表の場を設けることは無意味ではなかった、としみじみと感慨に浸りました。


 
畏るべきこと(2009.7.26)
 この一月の雨。とりわけ、24日からの豪雨。そして、今朝の大雨。
 雨は、今日の午後から、明日の朝にかけてさらに激しく降るという予想です。
 とにかく、この雨。生活を脅かし、交通機関を狂わせ、各地で大きな災害をもたらしています。
 太宰府では、24日の降り始めからの雨量が600ミリを越えたといい、その降りのすさまじさに肝を抜かれます。福岡市天神でも、道路の場所により膝頭あたりまで水が溢れ、その中を歩き、車が泳いでいます。
 福岡空港も水浸しで、飛行場が使えない状況です。
   このような集中豪雨は、私の経験にはありません。
 7月22日の皆既日食も、期待された悪石島は雨。次は、26年後といいますから、これを見ることができるかどうか‥‥。
 2012年問題とかが取り沙汰されていますが、何かの意志が人類に向けて発せられていることだけは、確かなことのようです。
 これを「風を読む」などという表現で片付けてよいのかどうかわかりませんが、いろんな信号をキャッチし、その意を読み解き、畏るべきことには畏るべし、ということを心がけるべきではないでしょうか。


 
豪雨(2009.7.25)
 この一月ほど、ずっと雨模様ですが、昨24日から25日にかけての雨は、凄いものでした。福岡市で、一時間に114ミリを記録し、あっという間に道路は冠水し、交通機関も運転見合わせ、運転中止などということになりました。17時頃、勤務先を出て約100メートルばかり歩く間に、全身ずぶ濡れになり、靴も水浸しになりました。
 電車も、通常20分少々のところを、あと100メートルで駅に着くというところで運転見合わせになり、結局1時間以上もかかりました。
 数日前からの局地的な豪雨で、これまで20人近い被害者も出ています。
 いつも見て通る御笠川も水位が上がり、土色の水がゴウゴウと走っていました。
 この雨、まだ当分続く気配で、私たちは自然の猛威の前に、呆然と佇んでいます。


 
連休中(2009.7.20)
 期待をもって入った連休も、最終日となりました。
 その成果は? と問われても、たいしたものはありません。予想どおり、といえばそれまでですが。
 今も雨が降り出しましたが、梅雨末期の雨。これほど、じめじめと気持や手足を締め付けてくるものはないように思います。日本の四季の中での、最も嫌な季節です。
 湿気で飽和しているにもかかわらず、これでもかこれでもかと、湿気をもたらします。日本の家屋も変わってきたとはいえ、この連日の湿りにはかないません。家の隅々にまで湿気が進入し、黴が生え、虫たちがうごめきます。
 肌から汗の蒸発もできないところに、熱く湿った空気が被さってきます。
 やはり、この時期になにかの能率を上げようとすると、無理がいきます。体内は熱く火照っていて、疲れています。
 一方、北海道では六十歳以上の登山客が、雨と風に打たれ、十名近くの方が凍死するという事故が起きました。関東では、この荒れ模様のなか、遊泳中に溺れるという事故も起きています。さらには、岡山の竜巻? です。屋根や車などが飛ばされ、めちゃめちゃになっています。
 改めて、自然の厳しさ、怖さ、というものを感じさせられました。何もかもが人間の思い通りになるようには、自然は作られていないようです。


 
連休前(2009.7.17)
 思えば、この連休前というのが一番楽しく、くつろげる時間です。
 あれもしよう、これもしよう、などと空想に耽る癖は、今になっても変わりません。
 その実、なかなか、予定の数分の一もできずに終えるのが落ちなのですが。
 私の場合、人さまと違い、どれだけ我が部屋に籠もって過ごせるか‥‥という、尺度になるのですが。
 考えてみれば、休日に遠出をしようとか、展覧会を見に行こうなどとならないところが、私の楽しみであり、‥‥我が儘なのですが。この我が儘を、家人からはとうに見放されているというところが、なんとも説明し難いところです。週日は毎日勤めに出かけるのですから、せめて休日だけでも、我が部屋に籠もりたいという、どうにも理屈にならない我が儘です。
 ともあれ、私のような者を、週日に使っていただけるところがある、というところに一番の感謝をしています。


 
中国の医療(2009.7.13)
 たまたま、昨夜のNHKの放送を見て感じたのですが(もっとも、マスコミ報道ですから、いく分かの誇張や、歪曲はあるかもしれません)、なぜ中国が、という思いでした。
 放送によると、キチンとした病院での診断や治療を受けることの、何という困難なことかということです。診察を受けるため、二晩も極寒の建物の外に並び、それでも診察に至った人は幸運というべきなのでしょう。
 患者のあまりの多さに順番が至らなかったり、診察を受けることになったとしても、診察代、治療代などを先に出さねばなりません。それも半端な額ではなく、蓄えの殆どをつぎ込み、親類縁者に金を借り、全てを使い果たし診てもらうのです。
 中国で、果たして西洋医学がどの程度の重きをおくのかわかりませんが、病院側は雲霞のごとく押し寄せる夥しい病人の数をいいことに、したたか「儲けよう」とするのです。
 そして、富裕層への特別待遇です。富裕層の人たちは、二晩も建物の外に並ぶことなどなく、診療の内容も行き届いています。VIP待遇の極みです。
 これが、社会主義国の雄、中国の本当の姿なのでしょうか。どうして、これほどに差別が大きく、どうしてこれほどに「金を欲しがる」のでしょうか。
 我が国の政治も、昨日の都議選に象徴されるように、今政治担当能力あらず、ということで大きく変わろうとしていますが、まだ中国の富裕層ほどには腐っていないのかもしれない、と思い返しています。


 
梅雨の暑さ(2009.7.10)
 炎暑というわけではないのですが、梅雨の暑さには、独特のものがありますね。
 湿度が高いのでしょうか。それとも、やはり熱いのでしょうか。
 いずれもそうです。気温こそ三十度あたりでしかないのですが、庭の草でも毟ろうものなら、滝のような汗をかきます。それが乾かないのです。皮膚という皮膚が詰まっている、とでもいうべきでしょうか。
 となると、体温が上がり(そんな気がするのかもしれません)、熱の逃げ場がありません。まるで、ビニールハウスにでも入っているような、窒息しそうな暑さです。
 四季のある日本に生まれ、何十年を過ごしてみても、梅雨の時期には慣れません。
 
柿青いまま落つ 今朝の雨に


 
政権を取るまで(2009.7.6)
 恐縮ですが、この頃の政界は、選挙に勝つの負けるのという議論ばかりが前にでて、「いったいなにを目指しておられるのか」が見えません。
 政権を取って、まさか自らの「利権を増やそう」というお考えだけではないと思いますが、我田引水的な言動ばかり聞いていると、「何も変わらないな」、「だって、エリートのお坊ちゃま達ばかりでしょう」と、ふとつぶやいてしまいます。
 はたして彼らに、「税金を使わせてもらう」のだという謙虚な気持ちの持ち合わせがおありでしょうか。「必要なら、集めればいいじゃないか」式の考えに見えて仕方がないのですが。
 今の、構造的な不況、悲しいばかりの雇用情勢、弱者切り捨てなどへの対策‥‥のことは、多少なりともお考えなのでしょうか。


 
梅雨最中(2009.7.3)
 二、三日来の豪雨は止みましたが、梅雨最中です。
 黒くはない雲からも、ときおり激しい雨が落ちてきたりします。おそらく、この時期が一番鬱陶しい季節なのでしょう。
 もう何日も、日の光をみていないような気がします。
 こんなときは、名作といわれる作品を読んでみるのもよいようです。私には、ただでさえ読むという時間が欠けています。川端康成や林芙美子の短編を読んでみましたが、さすがによい作品です。
 こうやって、よい作品に出会うと、自分も新たな気持ちになります。こういう充電が必要であることは、いうまでもありません。


 
二年目の一歩(2009.7.1)
 二年目を迎えました。
 これからの姿勢としては、攻めの気持ちでいきたいと思います。攻めるということで、新たなものを掘り起こしていきたいと思います。
 攻めるということは、争うということではありません。
 自らが一歩でも成長するために、地道に、積極的にいきたいと思います。世界がどうのこうのという前に、まず自らをしっかり導くことだと考えます。


 
一周年(2009.6.30)
 ホームページを開設して、丸一年が経過しました。
 ホームページがもたらしてくれたもの、それは新たな出会いもありましたが、なにより作品を書くことへの動機付けになってくれたことが大きいと思います。それに、日々の推移を、記録しておくことができるということです。
 こんなことなら、もっともっと早目に手がけておくべきだった。などと思うのは、計画性に欠ける私の、いつものいい草です。
 しかし、さはさりながら、です。拙いホームページかもしれませんが、わがホームページにとても感謝しています。


 
地震(2009.6.26)
 昨夜23時4分頃、かなりおおきな地震がありました。
 すぐにテレビのスイッチを入れると、ほどなく、震源は大分県西部、震源の深さは10キロメートル、規模はマグニチュード4.6と、何度も繰り返し知らせてくれました。
 さすがに、西方沖のときほどはなかったものの、「震度3か!」と思うには十分でした。
 たまたま、有名建築家の建物の話などをしていたときでもあり、早や30年になる我が家は、それなりに大きく揺れたものでしょう。
 地震や、風水害などからはなかなか逃れられない我が国のこと‥とはいえ、あまりいいものではないことは確かです。


 
十七歳をいく(2009.6.21)
 さる占いで、十七歳相当と出たということは、何度か書いたかもしれませんが、これを期に十七歳相当でいってみようかな、と秘かに思っています。
 体力のほどはよくわかりませんが、確かに、精神年齢は十七歳かそこらなのでしょう。「いまどきの若いもんは」などとは、考えたこともありませんし、別に彼らの行動(といっても、よくは知らないのですが)が嫌でもなく、逆に彼らが奏でるミュージックなどが好きであり、彼らの考え(これも、よくは知らないのですが)にも、多分さほどの抵抗はないと思っています。
 未だに、小説の世界では十七歳にもなり得るし、十五歳にもなりうるし、八十歳にもなり得ると、(かなり適当な表現であるのかもしれませんが)本気で思っています。
 ですから、「ボーイズ・ビー・アンビシャス」あたりの熱気に包まれ、血気盛ん(思慮不足)な、自称「年齢不詳」を実行するほかはないと思うのです。
 というようなところが‥「実は、おやじなんだけどな」という十五歳の姪などの声を近くに聞き流しつつ、というところではあるのですが‥。


 
健康診断(2009.6.20)
 いつから健康診断が苦手になったのでしたか‥。
 その直前まではなにごともないのですが、いざ会場に入ると、なにやら腹腔のあたりがもやもやし始め、その途端発病してしまいます。なにがどうですかって? 書くのも嫌になり、敢えて書かないことにしますが、少なくとも会場を出て、約一週間は疲労困憊の域に沈みます。
 職場では、定期の健康診断が義務づけられ、受診しないと罰則? まであるのですから、ことは大変です。毎年毎年、この期間をブルー(いや、グレー)な気分で過ごします。
 要は、気が小さいという一言で済まされるのかもしれません。しかし、健診と聞いただけで、忠実な我が体は、条件反射という高等な技を身につけてしまったようです。
 せっかくの職場のはからいを、こうもねじけて受け取る分、たいへん申し訳ないのですが、「体育館に集合」みたいな体育会系のノリに、今年もついていけませんでした。


 
マスコミ考(2009.6.14)
 今の世で最大の権力を誇示しているのは、マスコミではないかと考えさせられます。
 マスコミの報道内容如何で、政局を動かし、経済をも動かします。
 事実は全てに優先するという尊い理念の元、「事実が誤りなく伝えられている」のだと思います。しかし、本当に「事実を事実のままに」伝えているのでしょうか。
 取材現場などにときどき立ち寄ったりしたことがありますが、マスコミに「都合のよい」報道姿勢とはなっていないでしょうか。あるいは、「やらせ」などはないのでしょうか。
 話は少しずれますが、その権力の使い方如何では、マスコミは「最もたちの良くない暴力」ではないかと、最近よく思うのですが。
 例えば、インフルエンザに関して、感染者の顔が透けて見えんばかりに、それも殊更細かく繰り返し、繰り返し報道されます。うがった見方をするなら、「魔女裁判」の様相であり、その報道の故に、犯人に仕立て上げられたり、風評被害で企業が倒産したりと、ニュースに取り上げることによって、どれだけの被害者や社会的被害を出しているのかお考えでしょうか。
 インフルエンザをバカにするものではありませんが、その程度と、度合いというものがありましょう。
 話はまた変わり、事件の被害者の家や親などに、無理矢理マイクを突き付けたり、有名人を徹底的に追いかけたりなど、視聴者側の方でハラハラするようなことをよく見かけます。
 マスコミは、公共の電波を用い、主張や意見を流すことにより、特定のものを持ち上げ、特定のものを陥れ、思う方向に世論をも誘導することができるという、とてつもない力を持つものです。
 いま一度、考えていただけないでしょうか。「自らがトップランナーであるという奢り」に、どっぷり浸かっていやしないかどうかと。


 
怒り(2009.6.8)
 この頃、怒りということについて考えさせられます。
 私など、どれだけ怒ってきたか‥‥ということを念頭におきながら、です。怒りの波動、これは全身に雲を作ります。辺りが暗くなるので、目だけがギラギラ光ります。
 怒りの矛先は、特定の相手に向かっている筈ですが、実は自分自身にも向かっているのです。両刃の剣です。
 怒りは、口に出さなくとも空中を瞬時に飛びます。そう、相手の胸へと同時に自分の胸へ、というわけです。 辛いものです。
 しかし、なかなか非は相手にある、という思いから離れられません。これが、人間なのでしょう。
 怒り、これがなければ‥‥などと甘いことはいいません。しかし、怒り。どうにも始末に負えないしろものです。


 
裁判員制度(2009.6.4)
 制度のいきさつも、詳細もわからない者が出過ぎたことを、といわれるかもしれません。くだんの裁判員制度が始まりました。そして、冤罪事件。
 社会の制度に疎い者として、いや、どうも政治や経済が苦手な者として、一つだけ書いておきたいことがあります。
 冤罪事件もそうですが、罪や罰という裁きの場は、「恨みを助長する場」であることは間違いないことと思われます。
 左の頬を打たれたら、右の頬も出せ、という具合にはいかないようです。
 ドラマを作る場合にも同じことが言えると思うのですが、「恨みには恨みで返す」という、まさに人間らしいことに入っていきます。このことが、果たして誰にでもこなせるであろうか、と「恨むことのないヘボなドラマ」を作ろうとしている者には、考え込んでしまうのです。


 
六月(2009.6.2)
 六月に入りました。六月というと、いろんな事件がありました。
 それを語るには、まだ機が熟していない気がします。
 六月は、父の命日(月)でもあります。ひょうひょうともの言い、好きな酒を酌み交わしていたのは、つい昨日のようです。
 人も移り、世も移るもの。
 ことばには言えても、真実のところなにもわからない。今日まで来て、わかっているといえる何一つない。
 このような私が、六月を語ることができる日が、やってくるのでしょうか。


 
核実験(2009.5.30)
 核実験を行う国があります。
 国の偉容を示そうとの意図がありありと見えますが、そもそも核が何なのかわかっているのでしょうか。
 これを止めようとする国々の言い分も、まるで要領を得ません。
 領土を守り、主権を拡張し、有利に国策を進めようとしているだけのようです。
 きれい事を、言うつもりはありません。
 しかし、なぜこうも自国の利権ばかりを主張しないと収まらないのでしょう。こんなに、めいめいが勝手なことばかり言い張っていては、人類の先行きなど見えないのではないでしょうか。
 真の神があるならば、この腐り果てた人類の様を、そのまま見逃す筈はないでしょう。いや、この人類の様には、いつ天からの怒りが降ってきてもいたしかたないと、思うべきでありましょう。


 
反省(2009.5.29)
 時間勤務者となり、大きな責任もなく職場で過ごしていると、これまでの自分の偏屈さがいかばかりだったかと、冷や汗とともに思い出されます。
 みんな懸命に仕事に向かっているのはいいのですが、懸命であればあるほど、言い募ったり、少しの言葉に傷ついたり‥現役であれば、日常のことなのですが‥少し距離を置いてみると、その激しいやりとりが心に刺さってくるのです。
 そして、つい先刻までの自分の態度を思いみるのです。それは、‥今の若い人たちの比ではありません。例えるなら、刺すか刺されるか、といった様であったという按配でしたから、周辺の人々に、いったいいかほどの緊張と悪影響を及ぼしてきたということになるのでしょう。
 自分ながら、本当に信じがたく、いや‥まさに自分らしく、だからこそ‥できたら、40年ほど時間を引き戻し、反省の日々を送りたいと思う今です。


 
人の目(2009.5.24)
 他人の目を意識して行動することが、プラスにもマイナスにも作用するのだなと思います。
 他人の目が、自分の成長をしっかりと認め、自分も謙虚にそれを受け入れることができれば、まずプラスに作用しているのだといえましょう。
 反対に、他人の目を気にするあまり、偶然の成功に有頂天になったり、周囲を見下したりします。
 あるいは、意識過剰のあまり、出来る筈のことも出来ず、周囲との比較でさらに萎縮し、果ては、自分が疎外されていると感じ、引き籠もりになったり、恨みの気持ちを抱いたりすることになったりしては、それはもう、なにをかいわんやです。
 いくら、後進地の人々のことや、戦禍に晒されている人々のことを考えてみよ、と頭ではわかっていても、なかなか解決には至りません。
 同じ風景を見て、癒されることもあり、泣かされることもある、の例えです。
 多分、世の中のことや、世の中の価値というものは、相対的なものなのでしょう。
 そんな相対的な関係の中にあって、自らにどう折り合いをつけていくか。このことも、私たちに試されていることの一つなのでしょう。


 
心の冷え(2009.5.23)
 自分自身を含め、人間とは欲張りで、掟破りで、なんと業の深い存在であることか、と思うこの頃です。
 元々自己主張の激しい人々から成る同人誌の作成ときたら、なんとも人間臭いというか、人間らしいというか、なるほど然りと思うこと大です。
 話は変わって、声の大きい人、わがままな人、人を人とも思わない人々が、世の中枢にいて、世の流れを作っているようですね。
 学校への親からの苦情なども、どうしたらそんな発想に立つことが出来るのだろう、とその意図やいかに、と思うことの多さに驚きます。
 今、なにがどうこんがらがって、他を他とも思わない事例がこうも多く世間を騒がし、事件になったり、一列に並んでお決まりの「遺憾であります」のポーズになったり‥欲得ずくのことが世間にまかり通っています。
 これらは、今に始まったことではないさ、という声がすぐ傍で聞こえてきそうですが、やっぱり変です。勿論、これらのことは、全く少数の事例でしかないのかもしれませんし、案外まっとうな人々が多いのかもしれません。(なかなか、見えてきませんが)
 今日のように心が冷える日は、後者の方も多いのに、表には殆ど見えていないだけ‥であろうことに、望みを託すばかりです。


 
政治の動向(2009.5.18)
 政治、経済オンチの私が、政治のことを持ち出すのも気が引けますが‥‥。
 最近、衆院選近しということでか、「選挙に勝つ」、「政権を取る」、「政治の主導権を握る」といった類の動きが急、という感があります。
 この世界的混乱の時期に、政権を誰が取ろうが「何かが変わる」のではないかという期待をする人はあまりいないようですが、いかなる事態であれ、権力の座にはつきたいものとみえます。
 それは、文芸の世界においていうなら、芥川賞や直木賞、はたまたノーベル文学賞をとってみたいというようなことに、次元は異なるものの、そう希求することと似たようなものなのかもしれません。
 例えが悪すぎた気がします。
 ところで、お坊ちゃまたち議員が、あまり面白くもない勧善懲悪の筋書きらしい時代劇をやらかしているのは、いかがかと思われます。それにしても、役者のみんなが、悪代官にふさわしい人ばかりのようで、やはり、きれいごとでは済まされないというのが、玄人好みのする芝居のようです。


  20**年問題(2009.5.16)
 幼い頃から、なぜか楽しいという夢を見た覚えがありません。
 それは、20年、30年経っても同じで、どうしてこうも良くない夢ばかり見るのだろうと訝ってきました。いえいえ、夢は本人の思いの投影かと、マイナス思考の自分をおおいに嘆いてきたものです。
 なぜというなら、人類の存亡に関わるようなものばかりでしたから‥‥。
 しかし、1999年は通り過ぎ、私も60の年齢を数えたというものの、今度は20**年問題(?)なるものが頭をよぎり始めました。
 グローバル世界、宗教問題、人種問題、テロ、経済同時危機、インフルエンザ問題‥‥どう考えても、なにかが確実に変わりつつあるようです。それらは、私たちに何のメッセージを与えてくれているのでしょうか。
 悲観してばかりもいられません。世界が変わる。何かの目的のために変わる。
 そのことに、注意深く耳を澄まし、その暗示の何であるのかに気付き、その命ずることに従い、動きたいものです。


 
新型インフルエンザの行方(2009.5.13)
 今日はおおげさなことではなく、家人が6月中旬からイギリスに行く計画をたてていたのをどうするか、という話です。
 後1月の間に、新型インフルエンザがどのような推移を見せるのか予測がつかないところですが、なにしろ、手前では手続きの問題があり、なんらかの決断をしなければなりません。
 ということで、既にコースを組み、お金も払っているということで、当面様子を見ようという、多少世間の動きとは反する判断をくだした次第です。ということは、現段階ではキャンセルしない、ということにいたしました。


 
大型連休ゆく(2009.5.9)
 なにかと世間が騒がしい中、大型(?)連休が終わりました。
 新型インフルエンザの感染者が出た、とのニュースを朝一番からやっています。
 このグローバルな世の中ですから、良いも悪いも、あっという間に隅々まで伝わってしまうのですね。
 願わくば、人類の叡智を結集し、魔女狩りみたいな方向に進まないよう努力すべきだと思います。
 広いようで狭く、狭いようで広い世間、を体感した大型(?)連休でした。


   新芽の季節(2009.5.5)
 新芽の季節といえば、これまでバランスを崩すことが多く、あまりいい思い出はありません。
 そんな中、5月6日から始まったと記憶しているものがいくつかあるのです。
 進学するのさせないののやりとりの中、一応受験した大学に(当然のように)不合格となり、しばらく対応を決めかねていたところ、佐世保に出てこないかとの声がかかって、5月6日に佐世保高等予備校に入りました。この結果は、奇妙奇天烈な結果を生むのですが、今それには触れないことにします。
 次の5月6日は、初めて役場の職員になったというものでした。これも、その年の12月31日を限りに職を辞す、ということになります。
 他にも、なぜか5月から始まるものが多く、それがことごとくよろしくない結果に終わってきました。
 要は、私の努力不足ということに尽きるのですが、「失敗し、打ちひしがれた思いで、家の裏山の木々の芽がウサギの耳のように伸び立つ光景を、呆然自失の思いで眺めてきた」という記憶が、いっぱいに頭を占めています。
 今考えると、私はマイナス思考の塊で、そのくせプライドを捨て切れず、人知れず重苦しい気分に塞がれてきたのです。
 こんな気候のいい、万物の息吹が最も強く感じられるときに、「何故?」という、自分でも説明のつかないわだかまりがあります。
 それらが、少しずつ、少しずつ、薄皮を剥がすように改善に向かったのは、「全ておまかせ」という姿勢に近づいていったからだと思うのですが、はたして、今年の新緑の候は、どうなりますやら。


 ホーム・ページの改修(2009.5.2)
 最近ブログを見ることが多く、その内容のことについては、4月25日にも触れましたが、その画面の作りの巧みさ、綺麗さ、簡易さに感心するうち、わがホーム・ページの画面の粗さ、操作の難しさの方に気持ちが移ってしまいました。
 そこで、かねてから気にしていた画面全体のセンタリングと、文字を大きくしたときの画面の揺れを改善しようと思い立ち、この4〜5日は改修工事に没頭していました。
 いざ改修を、と意気込んだのはよかったのですが、結局、全て打ち直しということになりました。
 ホーム・ページの出来映えは、個人の技量によるところが大きいようで、私のように最初に不出来のものをこさえ、更新を重ねていると、改修のときに、膨大な作業量が要求されるということを知りました。つまり、よい方法を途中で思い付いても、私のような初心者は、いったん現行のものを消し、一からやり直すという、とんでもないことになってしまいます。
 図形や写真のレイアウト一つとってみても、なかなか思うところに、思うように貼り付け(書き込み)ができません。同じ写真の配置などを、何十度繰り返したことでしょう。
 その工夫の割には、出来映えは今一つ、といわざるを得ません。
 結局、ビジュアルの方は早めに諦め、文章や作品の充実の方に目を向けることにしました。



 ゴールデン・ウイーク前(2009.4.27)
 もうゴールデン・ウイークに入った会社もあるといいます。
 途中の平日をも休日に加え、最大16日の休暇を設けるところもあるといいます。
 現在がこのような不況でなかったら、私にしてみれば現役のときであるなら、単純に胸を躍らせているに違いありません。
 幸い私には、同人誌の編集などにはまたとない好機で、時間はいくらあっても足りないくらいであり、どういう段取りでいこうかとワクワクしているところです。ということは、やっぱり嬉しいことに変わりはないのです。
 ただ、自分の毎年の習いとは多少趣が異なるということと、聞こえてくるニュースがやけに暗いということは否めません。
 そんなに世間を気にしてどうする、という内なる声もあります。しかし、地球規模での事件、事故、疾病など、他人事とはいい捨て難いことが多く起きています。
 私には、幼い頃に見た(感じた)こと(「コスモスダンス」後書きなど参照)が頭を離れません。是非とも、大いなる御心により、よきに計らってくださることを祈るばかりです。


 
ブログを見る(2009.4.25)
 この十日ほど、ブログを丹念に見させてもらいました。勿論、今までにもいくつものブログを見ることはあったのですが。
 感じたことは、発信の意図が明快であること、独自の自由な工夫がなされていて興味をそそられること、写真や絵などがふんだんに使われていて綺麗で楽しいこと、素材の切り口が斬新で人の温もりが直に伝わってくること、それになによりタイムリーであること、などでした。
 わがHPの方は、なんとも古典的というか、ビジュアルに疎いというか、堅苦しいというか、おおいに反省させられたものです。
 私も、ブログの方を考えないではないのですが、本来の目的は「作品を書く」ことにあるので(という理由を前面に出し(?)、今しばし、この古典的手法で通してみようと、後ろ向きの結論を出した次第です。
 ところで、ブログにはできるだけお邪魔させていただきたいと思います。とにかく、まわりにさまざまな意図をもって発信しようとされている方のなんと多いことか、ということを肌身に感じ、勇気づけられるとともに、熱い気をいただきました。 


   春の朝(2009.4.15)
  昨年まで、春という季節はあっという間に過ぎ去るものと感じ、実際、いつの年も心に留める間もなく春はうつろうものでした。
 定年を迎えて1年後のこの春、数ヶ月前から短時間の勤務になったこともあり、出勤前に1時間以上のゆとりができました。それに伴い、朝の新芽の庭を眺めるという気持ちも湧き、最寄り駅までの川沿いの道も、ゆったりと歩くことができます。
 水量の多くはない川なのに、家鴨が憩い、鷺がゆっくりと歩き、鯉が水を切り、鮒や蛙が泳いでいる。中途の石の背には亀がとまり、透明な水がきらきら光る。菜の花が咲き、柳や水草の芽が鮮やかです。
 これまでも、何十年と同じ風景であった筈ですが、自分の心の景色がほんの少し変わっただけで、あたりが初めて見る景色ででもあるかのように新鮮に感じられます。
 こんな美しい季節に、今いるのだなあと、この春の一刻、一刻を心に、体に、心地よく感じています。


   
春浅く(2009.4.4)
 今年の春は、格別の感があります。
 百年に一度といわれる大不況の中、私事ではありますが、子供は再就職を勝ち得、甥は難関国立大学合格、姪は難関公立高校に合格となりました。
 温暖化が進み、人工衛星(ミサイル)発射、中近東の緊張、世界大不況と、私たちを取り巻く状況は厳しいものばかりです。
 これらは、私たちに課された試練なのでしょうか。それとも、世界の歯車が本当に狂い始めているのでしょうか。
 ともあれ、私たちは、今この世に生かされています。これは、幾多の問題を越えて、すばらしいことです。いや、すばらしいことの筈です。
 芽吹きの春です。緑や赤の新芽が、競って新しい空気の中に伸び出ようとしています。私は、彼らの登場を喜んで迎えたいと思います。
   春です。彼らが携えてくる新たなメッセージに学び、新しい気運に期待します。 


 
どうしても必要なもの(2009.3.20)
 春浅き折、皆様にはお変わりないことと存じます。
 3月20日に、「海」継続(新生「海」発足)に向けての打ち合わせを行い、基本的事項についての確認を行いました。
 課題はいろいろありますが、要は、やはり作品の善し悪しになりましょう。
 やたらと評価を気にするよりも、自らが書くべきこと、書きたいこと、伝えたいことを、「芸」の域にまで高め、綴り、発信することが第一だと思います。
 「海」は、表現するための誌、発表するための誌ですので、お仕着せでもなく、命令に従うのでもなく、「自らが、自らの表現の過程として、【どうしても必要】」なものを作ろう、という非常にシンプルな動機に基づき、行っていくことを目指したいと思います。
 第二には、その作品をより広い場所に運ぶことだと思います。
 それらを開始します。関係の方々は、自らの「芸」と真剣に格闘していただきたいと思います。
 勿論、私も一員です。すべきことは、同じです。


   
心温まること(2009.3.7)
 今年は、殊の外寒さを感じます。
 世界不況とか、雇用不安とか、世情が暗いのもその要因かもしれません。
 ただ、心温まることもありました。
 文芸同人誌「海」が第67号で終刊となったことに伴い、残された元構成員の一人として新たな「海」のことを発起したのですが、お二人の方から、御高齢(といっては失礼ですが)、体調不良等の事由で参画できないとの、実に丁重なお手紙をいただきました。
 その内容は、本当に「謙遜」ということそのもので、私もこのようにあらねばならないと学ばせていただきました。文芸人といえば、実に我が儘で、不遜な人物が多いように見受けられ(当の私がまさにそうです)ますのに、文芸人の中にもこのような人があるのだと、改めて感じいった次第です。
 また、人数の少なさ、技量のおぼつかなさを心配されてのことと思いますが、サポーターとして入会くださる方もありました。本当に、心強い限りです。
 こういう、私にとっては一大事を発起し、はじめて身に染みて感じる人肌の温かさ、嬉しさ、ありがたさに、この年齢になって初めて出会いました。


 
春一番(2009.2.14)
 福岡地方では、昨日(2.13)春一番が吹きました。
 折りから大陸の黄砂も飛来し、呼吸が苦しく、目や鼻にたいへん刺激があり、春一番とともに大荒れの一日でした。
 社会の方もたいへん荒れ模様のようで、還暦を過ぎたわれわれはもとより、これから入学し、あるいは社会に出ようとする若者たちに、この混迷の状況はどう映っているのでしょうか。
 底なし不況、オレオレ詐欺、無差別殺戮、テロ、心中、雇用不安、様々の偽装、ことあるたびにテレビでお目にかかる「申し訳ありません」の低頭の列などなど、これだけ乱れてきたら、なにを信じて向かえばいいのでしょうか。
 政治家に全ての責任を押し付けるわけではありませんが、なにか重大な事項への対処に当たり、「次の選挙に負ける(勝つ)」ことに繋がる、というように話がすり替えられ、いい加減に事が済まされているようで、腑に落ちません。
 職場や学校などでも、生真面目な者が「空気が読めない」とバカにされるという始末です。
 いったい、われわれは、どこに向かおうとしているのでしょうか。


 
私見を多少いわせていただければ(2009.2.11)
   「海」68号発刊に向けての発起書をお送りしておりますが、私見を多少いわせていただければ次のようです。
 勿論、文芸についての志のあらん方は、どなたでも参集いただければと思います。
   以下は、参集者があれば、ということになるのですが。
(1)編集担当者、発行責任者は未定です。
(2)生涯現役で文芸に取り組む、という方が参集いただければ幸いです。
(3)作品が出来た→発表する場がほしい、という方に参集いただければ幸いです。


 
新生「海」についての資料送付(2009.2.7)
 「海」68号の発刊に向けての発起書を、今日約40通発送しました。はたして、賛同をいただける方があるのかどうか。それは、有森の日頃の行いの有様からして、殆ど期待薄というところが本音のところです。
 文芸に身を置く者で、他と意見が食い違わないということはあり得ないのですが、要はその中身です。もっと簡単にいえば、好まれるか好まれないか、という一言でいいきってもよいくらいですので、こういう場合には身が細るばかりです。
 もっとも、新生「海」の主人公は、主宰者(今回は置かない)などでは決してなく、構成員個々が主となるものであり、編集委員会や編集担当者は前に出ることはありません。万一出て行くときは、クレームへの対処のときぐらいだと考えられます。
 ですので、有森の呼びかけであろうと、「作品を書く」→「発表する」という場であるというふうに割り切っていただければ、と願う次第です。
 やはりどんな良い作品を書こうと、どんなに多くの作品を書こうと、ちゃんとした発表の場がないことには先に進めません。
 文芸という範疇であれば、内容は問いません。勿論、主人公たる同人個々の絶えざる研鑽は必要でしょう。
 が、ともかく、発表の場をまず確保する、というところから始めねばなりません。
  今日、その緒についたということを報告させていただきます。


 
決断のとき(2009.2.1)
 決断、といっても文芸に関することですから、社会的になんら迷惑をかけるほどの内容ではありません。
 しかも、新生「海」の発起に当たろうという程度の内容ですから、いよいよ内輪の問題にしか過ぎません。
 しかし、「海」の終刊から、新生「海」の発刊(が成ったわけではありませんが)への道を辿るのに、2年以上を要しました。
   たかが「文芸」というなかれ。本物の文芸は、科学や音楽をも凌ぐ力をもっているものなのです。が、その、「本物の」というところが見えてきません。これから、「本物=本道」への入口を探さねばなりません。
 いやしくも、今のこのときに、今の混迷極まる社会に向かって投げる作品が、小市民の繰り言の類であってはならないだろうと思います。
 そういう意味では、文芸の道もやはり「険し」です。


 
2009年の文芸に関する方針(2009.1.25)
 今年の冬は、殊の外寒さが厳しいようです。この週末、白世界の中で過ごしております。毎日のように、庭の侘助にメジロがやってきて、目を楽しませてくれます。
 今、2009年(以降)の文芸に関する有森の方針をまとめつつあります。
※ 詳細は、本コラム「コーヒータイム」をご覧願います。

 かいつまんでいうならば、この二、三年の「海」の解散問題に終止符が打たれ、次なる選択をどうするかに迫られてきました。
1)「海」は67号で終刊。後は、「海」の名を冠しない誌での出発
2)「海」は67号で終刊。後は、「海」の誌名を引き継いで出発
3)「海」は67号で終刊。後は、自由
 「海」の終刊ということを前提として、あれこれと思考を重ね、意見交換を行った結果、2)の方向で行こうという案を固めつつあります。
 その理由は、以下にまとめたとおりであり、その趣旨はよしとしても、賛同者が得られるかどうかいう危惧もおおいにあり得ます。もしそういう事態に至った場合には、「個人誌+α」という線もあり、ということで腹をくくっています。
 私たちにとって、表現することは命に等しいほどの大事であり、なんとしても「表現の場」を持たねば話になりません。このHPという手段もその一つですが、自らに課された、自らの証としての表現を行う道筋を、確実に一本は通しておく必要があります。
 しかし、作者にとって、作品に取り組むこと以外の運営などのことで、多くの労力と時間を浪費したくはありません。そのあたりは、これまでの反省を踏まえ、対処していきたいと思うものです。
 とまれ、当面は、有森としてのライフワークを行うための、今後の基礎造りをやっていきたいと考えるものです。

 新生「海」の発刊について(案)
  -「海」について-
 【文芸作品を発表する場である。】
 【文芸作品を広く、遠くに運ぶ場である。】
 【文芸を志す者に、広く門戸を開放する。】
 【主人公は、同人個々である。】
 【主宰者は置かず、編集委員会(編集担当者で構成)の中に発行責任者を置く。】 
 【編集担当者(発行責任者を含む。)は作者であり、併せて編集・発行という作業を行う。】
 さて、68号以降、新生「海」を名乗ることについて、かなりの意見交換を行いましたが、「海」という誌名の他にこれを越えるものがなく、また、創立期とは内容は異なるものの「海」という誌名を引き継ぐことで、高いハードルの上に、新たなるハードルを設け、次の来訪者である同人諸氏に、憩い、くつろぎ、泳ぎ、潜り、あるいはあてどもなく漂流することなどにより、それぞれの「NO1」(「ONLY1」)を目指してもらうものとします。
 よって、新生「海」は、広く、遠く、深く、高く、どこまでも繋がり、文芸を志す誰もが、かなり自由に出入りできる場である、という意味合いを持つものとします。

 新生「海」についての資料など(案)
(1)現代は冊子離れが激しく、中央の文芸誌の同人雑誌評も昨年12月で打ち切られるという中であり、一方「ケイタイ小説」なるものなどが、オンラインで掲載されたりしてはおりますが、やはり、まとまった冊子に発表することは大切な意味を持つものであると思われます。
 よって、志あらん方は、是非、新生「海」を自由自在に泳いでいただきたいものです。
(2)新生「海」は、加入に関し、これまでの「海」在籍者、全く新たな方など、資格を問いません。御自身の責任ある判断の元、御加入くださるよう御案内いたします。


 
2009年の幕開けに(2009.1.1)
 雪の新年となりました。
 庭の木々や葉に降り積む雪の白さは、目に痛いほど美しく、心地よいものでした。
 午前のうちに、産土神社である近くの日吉神社に詣で、午後は家族だけの食事会となりました。
 次から次へと変化のあった昨年とは異なり、今年はじっくり腰を落ち着けてものごとに当たり、処理し創出することができればと願うものです。
 社会はまさに変化のただ中。殺し合い、憎しみ合うという愚かなことに、本当に終止符を打ち、もう少し人間として賢い措置の方法を身に付けねばならない、と切に望むものです。
 我が国にとっては、世界不況の波をどう越えられるか。また、現在の人間の生活の体をなさないような雇用形態の連鎖を止め、希望をもって日々を送ることができるようにと転回することを、一番最初に心がけるべきだと思うものです。
 新しい年のページをめくるごとに、だんだんと、なにかがずれ、なにかが崩れ落ちていくように思うのは、私だけの感傷なのでしょうか。

 思いやことばや文章などは、強烈なエネルギーです。強烈なエネルギーの向く方向を、少しでもまともな方向に変えていければ、と願うものです。
 自分のネガティブな思いをポジティブに、ことばは穏やかに、文章は青臭く、泥臭く、かつ、真っ向勝負で、というところから始めたいと思います。


   
風の中(2008.12.21)
 寒風が吹きすさぶ季節となりました。
 この時期になると、今年を振り返ってみようかということになるのですが、今年に限ってはいろいろ変化があり過ぎて、まとめるのはもうしばらく後にしようか、という次第です。
 世の中全体が、今年を「変」ということばで象徴しようとするのですから、私個人も変であるのは、時流に乗っているのだということかもしれません。
 とにかく、今年は、第二、第三の仕事の開始、同人誌の編集、ホームページの作成、オカリナを新たに始め、また、定年、第二の出版、通算五台目のパソコン購入‥母の入院‥などなど、よくぞこれだけのことが順番にやれたものだと、感心しているところです。
 前回も書きましたが、この「偏屈」な私が、とにもかくにも、多くの人様にいろいろなご迷惑をかけ、お世話になり、今があるのだ、と切実に思うものです。この場を借り、心からお礼申し上げます。
 夕方から、北の風が強くなってきました。雨まじりです。
 ふと、これからの作品は、少しでも「温まるもの」が書けたらいいなあ。そうしたいなあ、と思い至ったところです。


 
考えてみれば(2008.11.28)
 考えてみれば、今年の運勢は良い筈、と決めてかかったのがもろもろのことへの出会いとなりました。
 定年、これは想定内です。定年に引き続く職、これもかねてからお願いしていたことであり、想定外のことではありませんでした。
 しかし、いかんせん、気持ちがついていかなかったのです。仕事であるからには、わがままなどいってはおれません。‥それでも、わずか5月間で辞職しました。‥やっぱり、私のわがままとしかいいようがないでしょう。

 仕事を辞めた途端に、これを待っていたかの如く、流れ込んできたもの。親の病気、同人誌の編集、出版のあれやこれやetc。
 不思議なことに、仕事に出ていたときより忙しくなるという有様。タイムリーというか、ありがたいというか。
 親のことでは、これまで面倒をあまりみてこなかったという引け目もありましたから、ちょっとだけは役に立てたのかもしれません。
 同人誌の編集も、各人の作品の蒐集から始め、通常印刷会社が行う「完全原稿の作成」までをやることになるのですが、今回そのいくばくかに触れさせてもらい、改めて、機械オンチというか、世間へのオンチぶりを知らされることになりました。
   なんといっても、まだ作品を書いているだけのときはよかった、とつくづく思い至った次第です。
 でも、この関門をくぐり進むことができたら、なにか大きなものを身につけることができるのかもしれない、と思うところも大です。
 
 このホームページにしろ、二、三か月での急ごしらえでした。
 その道程にあって、人の世話になるべきときには心から頭を下げるべきだという、当たり前のようなことに、今ようやく気付かされた次第です。
 やっぱり、世間は温かいのです。世間に対し、斜に構えているだけが能ではないのです。
 などということを、今頃いっているわけですから、これまでの数十年、なにをしてきたのやら、と恥ずかしい限りです。
 人と人との関係で世間は成り立っているのですね。‥この当たり前のことに、長い道程を経て、ようやくたどり着いたというわけです。
 ということで、今年の運勢は良い筈‥やはり、これは当たっていたのですね。

 付記ですが、野球ファンとして、今年のライオンズの活躍を称えたいと思います。
 パリーグ、日本シリーズ、アジアシリーズの、いずれも「てっぺん」に立ちました。
 今年のライオンズは、「攻撃」を旗印にかかげ、バッティング、走塁など、思い切った策をとりました。守備においては、チームが若いということもあり、まだ途上のようですが、若者たちの競争心を前面に出し、闘ってきました。
 もちろん、監督の奥の深い采配も見事でした。
 野球ファンとして、深く記憶にとどめたいシーズンでした。


 
身辺雑記(2008.11.23)
 この一月、めまぐるしい動きの中で、窒息気味でした。
 母の入院、手術、併せて親戚二人の入院で、どうもがいても、病院通いを余儀なくされるということになりました。手術、その後の経過と、気にかけることは当然のごとく多く、その都度見舞わねばならないことはいうまでもありません。

 その中、私自身の人間ドッグ。この人間ドッグは最も苦手とするところで、健診センターに足を踏み入れた途端、呼吸ができなくなるのです。
 ということは、健診の間中、呼吸は短く荒く、脈拍は二倍にもなります。ですから、血圧はとんでもない数値を示します。それは、医師も、看護師もあわてさせるほどのもので、本人の辛さは「急病人」並みです。
 胃カメラには慣れ、恐怖などないのですが、とにかく、人間ドッグという傘の中にある間、本物の「病人」になっています。
この、病院アレルギーをなんとかしようと、毎年気力、体力をそれなりに対応でき得るべく準備して臨むのですが、健診センターの玄関をくぐった途端、それらは水の泡となります。
 本気で、神棚の塩を持参するほどです。
 思うところ、このこだわりが「病気」を生んでいることはうすうすわかってはいます。わかってはいながらどうにもならない、金縛り状態になることに、なにかの意味があるのかもしれません。
 急病の状態は、殆ど、約一月続きます。それに耐えるのみ、です。

 そんな私に、また職を斡旋していただけることになりました。こういう私にお付き合いいただくということに対し、感謝の気持ちと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。懸命に頑張りたいと思います。

 海67号の編集作業も終え、よくよく考えてみれば、紆余曲折はありながらも、一つ一つ物事をこなしてくることができました。この有森にも、まだまだなにかのお役に立つべき仕事が多くあるのかもしれません。是非、そう願いたいと思うものです。
 ホームページを設けたということは、私の怠けがちになる気持ちを引き締めてくれますし、創作という点からみるならば、「舞台はここにある。産めよ、増やせよ」というふうに聞こえてきます。
   ちなみに先日、精神年齢をあるサイトで鑑定したら、「年齢17歳→もはや、進化せず」というふうに出ました。まさに、有森の面目躍如、というところかもしれません。


  
小休止も必要(2008.10.31)
  この九月から、これまで一度も経験したことがない浪人のときを過ごしています。この浪人がいつまで続くのか、このまま私の生活のかたちになっていくのか、わからないのですが、とても有意義な経験をさせてもらっています。
 朝のテレビで出会った五木寛之さん、星野知子さん、黒木瞳さんがとても印象に残りました。
 お三方ともに、いつも本やテレビでお会いしているのですが、それぞれの方に三十分以上の時間をかけ、その人柄やエピソードを紹介するということまでには、お付き合いしたことはありません。
 お三方それぞれが、日頃思っておられること、今日まで心がけてこられたことを見、聞き、例えシナリオのままに語っておられたとしても、感銘を受けたことに間違いはありません。
 人間、捨てたものではない。学ぶべきことは、いくらも残されている、と。
 人間、小休止も必要。捨てる神あれば、拾う神あり、と。

 五木寛之さん。ハンサムで穏やかな語り口はいつものとおり。五木さんにもスランプの時期はおありのようで、そんなときは思い切って小休止されるのだという。
 心に残ったのは、「今日、ジュースを買ったらお釣りが三十円あり、嬉しかった」のような、「嬉しいこと、箇条書き」をやっておられるということ。心が晴れないときなど、日常の何気ないことの中から、一つでも、二つでもよいから、嬉しかったことを飾らずに書き残してみる、ということを実践されているということが、とても心に残りました。

 星野知子さん。久しぶりに見る姿は、ちっとも変わられない。五十歳になり結婚されたという。女優として、世界各地を巡るレポーターとして活躍されていたのは知っており、ファンでもありました。
 世界の殆どを巡られ、その思い出の品は、現地の生活の中で使われていた鉢や、棒のようなもの。旅の中では、蛙や虫を食べたりとかが紹介される。とにかく、その気取らない明るさと積極さに脱帽。

 黒木瞳さん。演技と歌と若さは相変わらず。十歳の娘さんとの日常の暮らしぶり、故郷福岡県黒木町の思い出など、とても身近な存在に思えました。
 思い出の品は、稲刈り鎌、宝塚時代の飾り物などの数々。日々努力を続け、自然体で生きようとする黒木さん、一作、一作を刻むことと、その出会いが楽しみですとの結びでした。


 
とりたてて進展もなく(2008.10.26)
 急に、秋が急ぎ足でやってきました。
 文芸面ではとりたてて進展もなく、とはいえ、「海」次々号以降のおおまかな方向が見えてきました。要するに、同人各位の意見によってその方向が決まるということです。
 どのような方向に進むかは別として、編集業務に支障がないよう、胡壺のひわきさんの御協力で、作業の目鼻だけはつけられる段階にまで詰めています。
 
 私事、母の急な入院で、このところその対応に追われています。
 やはり、人は人と係わりながらでしか生きられないのだ、と改めて納得した次第です。

 その間、宮本輝氏の本を読み返したりし、私に最も欠けている「読書」の必要性に気付かされました。
 たまたま「火の音」を発刊したこともあり、数冊の御寄贈をいただき、拝読させていただいたことが、私の大きな財産となるものと感じております。
 この欄を通じ、心からお礼を申し上げます。


 
九月ゆく(2008.10.2)
 めまぐるしい九月が、行きました。
 五月と九月は、いつの年も体調を崩しがちになるのですが、この九月はめまぐるしい勢いで過ぎて行きました。

 まず、四十年以上の勤務から、(一時的になるのかどうか)毎日が休日になるという変化に見舞われました。ちょうどいろんなことが待ち構えていましたので、好都合だ、と勇んだのですが、そう簡単にはいきませんでした。
 リズムがおかしいのです。仕事に出かけない自分が、うしろめたいのです。どうもいけません。
 おまけに、ちょっとした腰痛で針にいけば、相当疲れてますねということで、急に半病人になりました。
 胃カメラにいったり、胃炎の薬を飲んだり。半身浴に、ヨガの真似事と、なにやら完璧な防御モードに入りました。となると、本当に気分がすぐれません。

 その中で、二冊目の作品集「火の音」の出版。六月以前に掲載作品も決め、校正も順々にこなしていましたから、九月に入ってこれといったことはしておりませんが、発送作業があります。
 できるだけ迷惑にならないような範囲にと思い贈ったつもりですが、ことは簡単には運びません。なにかの拍子に、中の数行が気になり出し、フィクションのつもりではあるのに、とんでもない迷惑をかけるのではないかと思い至り、謝りに出かけました。
 ものを書くなど狂気の沙汰、と自分自身が思っているくせに、これではどうにもいけません。どっと、疲れが被さってきました。
 
 義理の妹が主催する「音楽のつどい」もありました。
 小学校一年生から、大人までのピアノの発表会。義理の妹の夫君のホルンもあり、フランス料理のコースもあって、四時間に及ぶ催し。
 私は、カメラマン役で、ひょっとしたらアナウンサーの方より目立つ場所にいたのかも。もちろん、父兄のビデオの邪魔をしないようにです。
 そこで、来年はオカリナで「コンドルはとんでいく」をやろうと、秘かに決めたというわけです。クラッシックには殆ど耳がついていけなかったのに、義理の妹と夫君が最後に演奏した「アメイジング・グレイス」があまりにも(私には)良かったので、ちょっとむらむらときたというわけです。

 水取りというのもありました。
 一定の年月日時間に、一定の方角へ行き、地下水をいただくというもので、水をいただくまではよかったのですが、欲張ったため、その水の重たさにはもう打ちのめされてしまいました。やはり、こういうときにはペーパードライバーでは役に立ちません。

 どういうわけか、文芸誌「海」の編集担当にもなり、その締め切りが九月末日でしたので、メールでの連絡、作品の受領、中間の編集と、あらためて電子媒体を用いた編集作業のたいへんさに気付きました。
 難解な文字の使用、使用ソフトの違い、手書き原稿等々と、これは早めに対策を講じなければと、自らのIT音痴を棚に上げ、悩んでいるところです。

 嬉しい点もありました。
 庭の大根は順調に芽を出し、間引きの後もすくすくと伸びる気配です。植物の存在は、心を慰めてくれます。モミジやラカンマキも、瑞々しい色を見せてくれています。
 観世音寺裏、都府楼脇のコスモス畑も綺麗です。 
 大好きな野球も、何試合もテレビの前にかじりついて見ました。


 
陽水の心もよう(2008.9.15)
 なにが一番好きか、と聞かれたら音楽と答えます。小説でも、詩でも、俳句でもない音楽(というより、ミュージックという方が適切でしょうか)が一番好きです。
 決して自分の職業にしようとか、人前で歌うなどということのない音楽が好きなのは、人間の持つ表現方法の中で、最も通じ合える手段の最たるものだと思うからです。もちろん、絵だとか、写真だとか、ジェスチャーなども表現方法として、優れているといえましょう。

 文芸は、どうしてもことばに依存します。いまだに英語を始め、日本語以外を操ることのできない私には、ことばというものが大きな障壁に思えます。
 どうして、人はこんなにバラバラの言語で話すのでしょうか。

 ひとまず、ことばについては横におくことにして、音楽の中でも、私の好きなトップテンに入る井上陽水のミュージックについて書いてみます。
 陽水は私と同年の生まれで、一級下ですから、考えるところ、感じるところの背景が似通っていることは否めません。
   陽水は歯科医になろうとして、三度の受験に挑みます。
 しかし、運命の神は、彼を音楽の世界に運びます。
 最初の二、三曲こそ世にもてはやされませんでしたが、1972年の「人生が二度あれば」のヒットを期に、「傘がない」、「東へ西へ」、「氷の世界」、「心もよう」、「夏まつり」(以上1973年)、「青空ひとりきり」(1975年)、「なぜか上海」(1979年)、「ジェラシー」(1981年)、「リバー・サイドホテル」(1982年)、「いっそセレナーデ」(1984年)、「新しいラプソディ」(1986年)、「少年時代」(1990年)、「飾りじゃないのよ涙は」(2002年)等々と、すばらしい多くの曲を次々と世に出しています。彼の曲、詞、歌唱力には、天賦の才がふんだんに盛り込まれていて、何度聴いても飽くことはありません。

 私は二十代の頃、一人の部屋でステレオにかじりつき、「断絶」、「センチメンタル」、「氷の世界」というタイトルのアルバムを毎日のように聴きました。
 陽水のもの悲しく、甘いメロディが、詞が、体の襞の奥にまでめり込んでくるのです。
 たしかに、陽水は時代とともに曲も詞も大きく変わっていきますが、私にとっての原点である陽水は、まさにこの時期に誕生しています。
 酔いの中で聴いた、「人生が二度あれば」、「傘がない」、「東へ西へ」、「夏まつり」、「氷の世界」、「心もよう」、「帰れない二人」などに込められたエキスは、陽水がどんな大きな変化を見せようとも、今も彼の中にあり、私の中にもあります。
 
   陽水のどの曲も好きですが、いつか、私は「心もよう」を十八番にさせてもらうようになりました。
   さみしさのつれづれに
   手紙をしたためています
   黒いインクがきれいでしょう!?
   青い便箋が悲しいでしょう !?
 という詞が、たまらなく懐かしいのです。そして、たまらなく素直になります。
 
   私は、これまで理屈っぽい文章を書いてきました。その文章の、なんと痩せていることでしょう。なんとねじれていることでしょう。
 しかし、私は今も、陽水の曲を聴く度に、「心もよう」を歌う度に、これでも素直になり、これでもよいものを書こうと、心がけてはいるのです。


 
博士の愛した数式ほか二作(2008.8.30) 
   映画ファンの方には失礼な話になるかもしれませんが、御寛容に願えればと思います。
 映画となると、映画館に入ったのは「卒業」が最後で、ずいぶん長い間遠ざかっていました。
 なにがきっかけだったか、これといった出来事はないのですが、最近安物のDVD再生専用機を買ったのが縁で、DVD(映画)三昧の日々を送っています。(いました。)
 よほどの凝り性なのでしょう、三〜四か月の間に百作以上を観たことになります。
 もちろん、名作といわれる作品から最新作の「三丁目の夕日」などまで、分野を問わずに観て、たくさんの感動を得ました。

 そこで、私なりのお薦め作を書かせてもらいたいと思います。
 小泉堯史監督、寺尾聰主演(どちらを前に書くべきかを迷いますが)の、三作です。
 それは、「博士の愛した数式」、「阿弥陀堂だより」、「雨あがる」です。
 それぞれのストーリーには触れませんが、三作を通じて感じるのは、「透(澄)明感」、「落ち着き」、「癒し」といえば、そのいく分かを表現できるのではないでしょうか。
 
 例えば、「博士の愛した数式」の寺尾聰(博士役。博士は交通事故に遭い、記憶が八十分しかもたない。数学への卓越した能力を持つ)のひょうひょうとした演技。深津絵里(お手伝いさん役。博士の態度に困惑しているが、次第に博士を尊敬し、親しみを抱く)の誠実な役柄。
 ときに、背景に意図して用いられる抜けるように明るい風景(深津絵里が自転車で走る風景。自転車の色。深津絵里のセーターの鮮やかな色。草花の美しさ)。透明な音楽。自然の営み。その胸をつかれるような美しさ。ストーリー展開の鮮やかさ。
 この作品は、監督が、スタッフが、キャストが、などということを越えた一体感があり、心からの充足を覚えます。

 小泉堯史監督の場合、一言でいえば、自然の借景を生かし、新鮮で、美しい、綺麗な作品に仕上げていることです。
 寺尾聰の場合を一言でいえば、演技も声質も落ち着いていて、観る側に安心感と充足感を与えてくれることです。

 これらは、三作いずれにも共通していることで、「雨あがる」の場合、雨が降りしきる川を背景にした異様に暗い風景の中に、寺尾聰の、一つの落ち着きのあるセリフが入った途端、あたりの降りしきる雨の陰鬱さが剥がれ落ちるようであり、小泉堯史監督は、実際、徐々に、背景を見事に新鮮なものに変えていきます。

 「阿弥陀堂だより」も同様です。
 阿弥陀堂の北林谷栄(堂守のお婆さん)。阿弥陀堂だよりを書く小西真奈美(役所勤務。病弱)。医師の樋口可南子(心を病む。転地療養中)。医師の夫の寺尾聰(いまは売れない作家)。
 彼らが、長野の奥深い阿弥陀堂を中心に心を通わせ合いながら、自然の懐に抱かれ、生きていきます。その過程に、心と心が震え合うような感動と、身も心も洗われるような風景が随所に出現します。

 これだけで三作を表現できているとは思いませんが、蒐集癖の旺盛な私は、三作を特別注文し、現在手元に大切に保管しています。


 
カーペンターズのレコードが買えなかった(2008.8.9)
 ホームページを作るに当たり、部屋の大掃除をしました。
 かつて入会していた同人誌や、折りに触れ書き込みをしていたノート類を探そうということが、主な目的でした。
 本の上に資料を、その資料の上に本やCDを、という具合に重ねたわが部屋は、文字どおり足の踏み場もないといった有様で、作業を始めて1時間も経たないうちに、望みがもろくも崩れていくのを知りました。
 保管しておいたつもりの同人誌や雑誌がない。ノートがない。集めていた筈の、必要な資料がない。ないないづくしです。

 呆然としている間に、本箱がいつの間にかCD箱に変貌しているのに気付きました。CDが出てくること出てくること。なんと、1,000枚を数えました。
 このCDを集め始めたのには、一つのきっかけがありました。

 1970年代、カーペンターズの歌が街に流れていました。
 カレンの歌う、美しく、ソフトで、すばらしいメロディーに、いつも心惹かれました。
 60年代から70年代にかけ、ベトナム戦争が泥沼化していくなか、街には、ビートルズを始めとする賑やかなポップやロックやジャズが派手に流れており、私たち若者の気持ちを奪っていきました。
 時代背景というものもあったのでしょうが、若いエネルギーのやり場のない私は、ビートルズや、PPMや、Jヘンドリックスや、Mウォルドロンや、岡林信康などの歌に飛び込んでいきました。
 レコードのアルバムを買い、一人の部屋に戻ると、灯りを落とし、月賦で手に入れたステレオに向かい、ポップやジャズを聴きながら、ウィスキーを浴びるように飲んでいました。真の底から酔い、前後不覚になるために。

 カーペンターズの方は、レコードには手が伸びるものの、いざ買うとなるとためらわれ、結局元の棚に戻すはめになりました。
 彼らが伝えてくるものが、あまりにも美し過ぎ、あまりにも素直過ぎ、あまりにも綺麗ごと過ぎると思ったのです。
 
 しかし、カレンの歌声は止むことなく私のうちに流れていたのでしょう。
 地下鉄のホームで、商店街のざわめきのなかで、あるいはコマーシャルにもふんだんに用いられていたのですね。
 そんな私の心が、カレンの声をそれととらえたのは、約十年前です。ジグザグ運動を繰り返していた私の気持ちが、ようやく人並みなカーブを描くようになりつつありました。
 飛び込んできたのは、「愛のプレリュード」であり、「シング」であり、「イエスタデイ・ワンス・モア」であり、「スーパースター」であり、「トップ・オブ・ザ・ワールド」であり、古くから馴染んできた曲ばかりです。
 こうなると私の悪い性癖で、カーペンターズの曲の全てを揃えようと思いだしたのです。
 十数枚のアルバムを手に入れるのに、おおげさにいえば、一日二十四時間の全てを費やしたといっても誇張ではありません。来る日も来る日も、カーペンターズです。何度聞いても飽きませんし、曲の終わりには次の曲のメロディが自然に湧いてきます。
 一年、二年というもの、カーペンターズとともにありました。カレンの歌声は、デビュー当時からポピュラー音楽界最高の歌声と絶賛されたといわれるとおり、私にとって天使の歌声であり、魂の歌声なのです。
 かつて、ビートルズやMウォルドロンに魂の底から揺り動かされたと同じように。

 話は逸れましたが、CD1,000枚を手に入れることになったのは、カーペンターズにつながるアーティストを捜しているうちに、その関係が雪だるまのように膨れあがり、いつのまにか1,000枚を数えていたというわけです。
 そうなると、狭いわが部屋のことです。資料や雑誌の類はCDに追いやられ、いずこへとも知れず消えていた(?)ということのようです。

 いま、カーペンターズを繰り返し聴いていると、気持ちは40年前にたやすくとび、そして容易にいまに戻ることができます。
 カーペンターズが古くも新しくもならない、時代を超えていくことのできる、すばらしいアーティストであり、アートであることが、私の場合は、いまの年齢になってようやくわかったという次第です。


 
ホームページを作る(2008.7.24)
 ホームページを作ることになろうとは、2月前までは思ってもいませんでした。
 あんな難しいことは、他人様がすることと決めつけていましたし、職場のホームページを作ることでも、私に声がかかったこともありませんし、また声をかけようとした人もいません。

 さらに、自己PRに結びつくのでは、という否定的な考えもありました。
 しかし、ちょうどこの3月に定年退職し、現在再雇用の身でありますが、なにか新たなことをやりたいとかねがね思っていたことと、所属している同人誌の存続の問題が出てきて、このままでは発表の場を失ってしまうかもしれない、ということが引き金でした。
 
決して喧伝しないこと、決して有頂天にならないこと、決して他と争わないこと、という三点を自らに課し、ホームページ作りに入りました。

 最初は、真正面から、HTMLやタグの理論などの解説書を読んでみましたが、何度読んでも頭に入りません。これでは、何年かかるかわからないし、いつまでたってもホームページは立ち上がらないのではないか、と思い至りました。
 人の薦めもあり、ホームページビルダー(商品名ですね?)を使うことに決めたのが一月前です。
 ホームページビルダーの解説も殆ど読まず、一気呵成に三日で一応の形を仕上げました。その段階で、迷惑をかけてしまったのが、杉山武子さんです。
「ホームページは、PCの機種や設定の違いにより、いろいろな見え方があります。どうひいき目に見ても、文字のダブり、文字と写真のダブりなどあり、いわば宇宙遊泳しているような状態です」
 という意味のことを、実に丁寧に指摘してもらいました。最初、意味のわからない私は、その指摘のなんたるかもわかりませんでした。
 もう一人の辛口のultra氏。「作り替えるべし」という一言でした。
 考えてみれば、ホームページの常識なるものを心得ずに、「作ったから見てほしい」という一方的なお願いをしたわけですので、さんざん迷惑をかけ申し訳なかった、というほかありません。
 そこで、少なくとも「宇宙遊泳」だけはしないようにと、二日をかけて全てを作り直しました。

 というわけで、現在のホームページが果たしてgoodなものかどうかはわかりませんが、なんとか一月足らずで作りあげたというわけです。
 最後に、多少の弁解ですが、小説、詩、俳句、短歌の作品を掲載しようと思っていたのですが、一番の分量を予定していた詩、短歌は掲載誌やノートなどが見あたらず、短歌の方は全てを諦めざるを得ませんでした。
 今回も、「思いつきだけでは怪我のもと」という教訓を得た次第です。


 
中国の学生さんからの励まし(2008.7.12)
   2004年11月に、作品集「コスモスダンス」を刊行しました。
 その後書きにも書いているように、作品は自分自身への問いかけとして書いたものです。
 刊行は、あまり積極的な気持からではなく行うことになったのですが、思いがけない出会いがありました。

 2007年に中国の日本語学を学ぶ学生さんから、卒業論文として4万字程度の作品の翻訳をしなければならないということで、福岡市の文化振興課を通じて照会がありました。
 刊行した冊子は日の目を見ることもなく、押入のかなりの部分を占拠しているという有様でしたので、二つ返事で依頼者の学生さんに送りました。
 決して読みやすい内容ではない私の作品を、どのように苦労して扱うのだろうと、なかば同情に似た気分で送り出したのですが、ほどなく訳文となって戻ってきました。
 私は、訳文を読んで感心しました。どんな素晴らしい能力の持ち主の方なのでしょう。いくら卒業論文であるからとはいえ、大意のつかみ方はともかく、細部に至るところまで神経が行き届いており、まとめ方もすばらしいものでした。
 それは、作者である私自身が見過ごしている点にまで観察が及び、もう私のもとを通り過ぎ、独り立ちしているのです。
 作者冥利につきるとはこのことをいうのでしょうか。

 2008年にも、今度は二人の学生さんから同様の依頼があり、同じ方法で冊子を送りました。
 うち、一人の方からは、一週間に一度くらいのペースで内容などについての問い合わせがあり、作者の私がたじたじとなるほどの質問でしたが、相手の方の呼吸までもが伝わってくるようでした。このやりとりを通じ、私自身の考えを、再度確認するという機会をもつことができました。
 とにかく、中国の学生さんたちの勉学に対する態度や意欲に、すばらしいパワーと、新鮮なものを感じることができ、おおいに励まされることになりました。
 小難しいと、私自身反省している作品の、その細部にまで懸命にお付き合いいただいた学生さんたちに、この場を借り、お礼を述べたいと思います。
 蛇足ですが、「コスモスダンス」、「遠い声」、「天使の黄昏」の三編をとりあげていただいたということを報告したいと思います。
索 引


中国の学生さんからの励まし(2008.7.12)

ホームページを作る
(2008.7.24)


カーペンターズのレコードが買えなかった
(2008.8.9)


博士の愛した数式ほか二作(2008.8.30)

陽水の心もよう
(2008.9.15)


九月ゆく
(2008.10.2)


とりたてて進展もなく
(2008.10.26)


小休止も必要
(2008.10.31)


身辺雑記
(2008.11.23)


考えてみれば
(2008.11.28)


風の中
(2008.12.21)


2009年の幕開けに
(2009.1.1)


2009年の文芸に関する方針(2009.1.25)

決断のとき(2009.2.1)

新生「海」についての資料送付(2009.2.7)

私見を多少いわせていただければ(2009.2.11)

春一番(2009.2.14)

心温まること
(2009.3.7)


どうしても必要なもの
(2009.3.20)


春浅く(2009.4.4)

春の朝(2009.4.15)

ブログを見る
(2009.4.25)


ゴールデン・ウイーク前
(2009.4.27)


ホーム・ページの改修
(2009.5.2)


新芽の季節
(2009.5.5)


大型連休ゆく
(2009.5.9)


新型インフルエンザの行方(2009.5.13)

20**年問題
(200
9.5.16)

政治の動向
(2009.5.18)


心の冷え
(2009.5.23)


人の目(2009.5.24)

反省
(2009.5.29)


核実験
(2009.5.30)


六月(2009.6.2)

裁判員制度
(2009.6.4)


怒り(2009.6.8)

マスコミ考
(2009.6.14)


健康診断(2009.6.20)

十七歳をいく(2009.6.21)

地震(2009.6.26)

一周年(2009.6.30)

二年目の一歩(2009.7.1)

梅雨最中(2009.7.3)

政権を取るまで(2009.7.6)

梅雨の暑さ(2009.7.10)

中国の医療(2009.7.13)

連休前(2009.7.17)

連休中(2009.7.20)

豪雨(2009.7.25)

畏るべきこと(2009.7.26)

Kさんからの連絡(2009.7.31)

梅雨明け宣言(2009.8.6)

立秋(2009.8.7)

地震、台風、大雨(2009.8.12)

お盆考(2009.8.16)

いやはや(2009.8.22)

海第二期ホームページ公開(2009.8.23)

秋来たる(2009.8.26)

夏の終わりに(2009.8.30)

変化の兆し(2009.9.1)

人としての日々(2009.9.6)

待つということ(2009.9.12)

見送る(2009.9.22)

10月来たる(2009.10.1)

好日なれど(2009.10.3)

宇宙船地球号(2009.10.10)

空き家となる(2009.10.11)

今日も好日なれど(2009.10.12)

六十の手習い(2009.10.14)

詩や俳句を作る(2009.10.19)

表現する(2009.10.24)

働く
(2009.10.26)


十月もやがて(2009.10.28)

明日はいいことが(2009.10.30)

家絶える(2009.10.31)

電気屋さん(2009.11.1)

夢ですが(2009.11.7)

一つ一つ(2009.11.14)

寒波到来(2009.11.19)

人の波(2009.11.25)

問題山積(2009.11.29)

辞めるどころか(2009.12.1)

呼吸法(2009.12.3)

冬の灘(2009.12.6)

度々の
(2009.12.12)


寒波襲来(2009.12.17)

年末近し(2009.12.23)

冬至を過ぎ(2009.12.24)

大掃除(2009.12.29)

2009年(2009.12.31)











































































































































































































































































































































































 

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